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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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インドの布 グジャラート カッチ刺繍布‐1 
インドの布 グジャラート カッチ刺繍布‐1 1

インドの布 グジャラート カッチ刺繍布‐1 2

インドの布 グジャラート カッチ刺繍布‐1 3

インドの布 グジャラート カッチ刺繍布‐1 4
    50cm x 52cm


 インド グジャラート州 カッチ地方のアンティーク刺繍布。
 大きなミラーが独特だ。
 灼熱の太陽の光を 縫い付けられた鏡に反射させ、
 光を 衣服や小物の中に取り入れる。
 暑い太陽を敵に回すのではなく、仲間をして取り込んでいくたくましさ、
 それがなければ、砂漠の中では生きていけない。


 窓の外の牛の死骸から逃れるように ナゴールの町を去り、
 砂漠の王国ビカネールを目指す。
 ラジャスタン砂漠地方には ラージプートのマハラジャの住んでいた王国が
 いくつかある。
 有名なのは、これから向かうビカネール、他にはジャイサルメール、ウダイプル、
 ジョードブルなどが有名な町だ。
 ラージプートというのは、ヒンズーカーストのクシャトリア(武士カースト)に属し、
 インドにやってきたイスラム勢力と 最後まで勇敢に戦った人たちだ。
  
 朝早く、荷物を積め、大きなリュックを背負い、バス乗り場へと足を運ぶ。
 太陽の光は 容赦なく照りつけ、砂漠を灼熱の熱さが覆っている。
 ビカネール行きのバスを見つけ、行き先を再度、確かめると 「そうだ」と応える。
 荷物をバスの屋根の荷台に載せろというので、鉄製のはしごを掴み、上ろうとすると、
 鉄製のはしごは 太陽に照らされて もう熱くなっており、あまりの熱さに掴むことは
 出来ない。
 それを見て、所掌が笑ったので、この砂漠の気候の中で、熱くなっていた脳みそには
 怒りがたぎってきた。

 バスに乗り込み、座る場所を確保する。
 バスは 砂漠の荒地の中を走り出していく。
 正午が近づいてくると、バスの中は 熱気に包まれてくる。
 バスの窓は、閉め切りだ。
 窓を開けると熱風が入り込み、余計に車内の温度を上げてしまう。
 ひたすら 耐えるだけだ。感覚はすっかり、麻痺してしまっている。
 何も考えない、何も感じない、そんな世界に自分を追い込んでいく。

 ビカネールまで 何を飲み、何を食べたか、今では思い出すことも出来ない。
 こんな暑さに慣れていない日本人にとっては 全くの限界への挑戦だ。
 体感温度は、45度を超えていたに違いない。
 サウナの中に 4,5時間 いたようなものだ。

 バスは小さな町や村で停車しては、人を降ろし、又乗せていく。
 砂漠の民族服に身を固めた女たち、ターバンをかぶりドーティを身につけた
 たくましい砂漠の男たちが、バスの中にも、バスの外にもあふれている。

 そんな光景を ぼんやりとした感覚を失った視覚が追いかけていく。
 まるで悪夢の中の世界である。
 夕方近くなり、バスは 砂漠の王国ビカネールに到着した。


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インドの刺繍布 | 20:05:04 | Trackback(0) | Comments(0)
東京から タイの行方‐2
 のんびりと展示会の準備をしようと思っていると、日本でもアジアの国々でも
 様々の事件が起こり、落ち着かない日々を送っている。

 世界金融危機、元厚生次官殺害事件、インド・ムンベイでのテロ、タイ・バンコクの
 スワンナブーム国際空港封鎖と 聞き流すことの出来ない事件ばかりである。

 特に生活の場所をタイのバンコクに置いている自分にとっては、
 スワンナブーム国際空港封鎖は 人事のようには思えない。
 長らく続いている首相官邸占拠は 別段、バンコクに住む外国人や旅行者にとっては
 世間で騒いでいるほど影響を及ぼすものではなかったが、今回の空港封鎖は予想外の
 出来事である。
 ソムチャイ首相がペルーでのAPEC首脳会議からの帰国に向けてのデモぐらいに
 考えていたのであるが、こんなに何日も渡って空港を封鎖するとは 
 予測も出来なかった。

 少なくともタイという国は 国内事情がどうであれ、外国人には便宜を図るというのが
 タイ人の間での暗黙の了解であると思っていたのであるが、この期待が見事にはずれて
 しまった。
 今まで何度もバンコクではクーデターがあったが、
 現場以外であれば、さほど外国人の生活にとっては、支障はなかったのである。
 国際的な非難、国際的な評価を落とすような過激に行動に対しては、
 タイ人特有の何らかのバランスが働き、上手くことを収めてきたのが、
 今までのタイであった。

 それが2006年9月の軍によるクーデター以後、
 おかしな様相を現すようになってきている。
 どうも『マイ ペン ライ』の国ではなくなっているようだ。
 連合(PAD)を支える旧支配層は、外国に亡命している元タクシン首相に対して
 必要以上に警戒し、脅威を感じているようにも思える。
 2百年以上 綿々と続いてきた王族、貴族、軍・警察、バンコクの潮州系の中国系
 タイ人の財閥がタイの利権維持を確実なものにしようとする意図が感じられる。
 タイ国民の国王に対する敬愛は、本当の姿であるし、即位以来 国王も骨身を削って、
 国民のことだけを考えて邁進してきたのも事実である。
 その国王も今年の12月5日で81歳を迎える。
 健康状態も 以前ほどよくないようで、表にはあまり顔を出すことも少なくなっている。
 国王が存命中であれば、今のタイもある程度 王室の維持も出来るが、その後のことは
 わからないというのが 今のタイの現実である。

 真剣に王室の安定的な存続を考えている人々もいるが、王室の権威を利用して、
 利権をあさる人間たちもいることは確かである。
 そうした人々は王室に対する不敬罪をあげつらい、脅しの武器にしているのも
 確かな事実である。
 そうした態度が 王室の安定的な存続にどんな悪影響を与えているのか
 気がつかない輩なのである。
 
 国王自身が政治的な判断、裁定を行わなくてもいいようなタイ社会であれば問題は
 ないのであるが、タイの政治はあまりに未熟で、利権に振り回されている場所である。
 それはタクシン派の政治家であろうが、反タクシン派の政治家であろうが同じである。

 連合(PAD)の中心的指導者のチャムロン元バンコク都知事などは、現国王に対する
 忠誠心から、王室の安定的な存続を考えて 今の運動を進めてきたのであろうが、
 それが逆に国を分裂させる結果になってしまっている。
 旧支配勢力に利用されるという形になり、憲法裁判で選挙違反による有罪判決から
 今の政権が崩壊したとしても大きなしこりを残し、国の分裂は解決することにならない。


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タイ事情 | 09:16:47 | Trackback(0) | Comments(2)
インドの布 グジャラートの刺繍 カッチのバッグ‐3
インドの布 グジャラートの刺繍 カッチのバッグ‐3  1

インドの布 グジャラートの刺繍 カッチのバッグ‐3  2

インドの布 グジャラートの刺繍 カッチのバッグ‐3  3

インドの布 グジャラートの刺繍 カッチのバッグ‐3  4
  上のバッグ 33cm x 32cm   下のバッグ 31cm x 25cm

 グジャラート州のカッチ地方の刺繍を施したバッグ、
 刺繍は 砂漠の女たちのおしゃれだ。
 砂漠の太陽の光に反射して、きらきらと光るミラー
 小物入れのようなこのバッグに
 女たちは何をいれていたのだろう。


 汚い部屋と塩気の強い飲み水、これだけで砂漠の町メリタから逃げ出して
 しまいたくなる。
 真夏のラジャスタンの砂漠の町メリタには見るべきものは何もない。

 しかし、乾季の12月を過ぎると、この町や隣村のプシュカルでは 
 盛大な駱駝市やメラ(祭り)が開催され、多くの人々が 
 各地から集まってくるという。
 そんなときには、町は一変して 別物に変わってしまうのだろう。
 しかし、真夏のメリタの町は ただのひなびた生気のない町だ。

 朝 起きだし、この町から逃げ出すように隣の町 ナゴールへと移動した。
 この町は、メリタとは違って、活気があり、それなりに施設の整った安ホテルもあった。
 当時のインドルピーで一泊40ルーピー、日本円で5百円ぐらいだったように
 憶えている。

 受付でお金を支払い、階段を上っていくと、その踊り場には 大型扇風機からの
 風で 無数のハエが床にへばりついていたのを思い出す。

 部屋は 2階のシングルルーム、ベッドが一つ置かれ、浴室も部屋にはある。
 水道の蛇口をひねると 水も出る。
 その水の味を確かめてみるが、やはり塩気の強い水である。

 窓を開け、外を眺めてみると、1頭の牛が、死んだように横になっている。
 どう見ても死んでいるようにしか見えない。
 それが本当かどうかは、時間がたてばわかると思い、街の中を散策する。
 この町も 同じように暑い。

 市場辺りを目指して歩き始めると、一人のインド人がネパール語で話しかけてきた。
 私を見て、ネパール人だと思ったらしい。
 彼はネパールに住んでいたことのあるマルワリ商人だった。
 彼も、こんな名も知れぬ町にやってきているのは モンゴリヤン系のネパール人だと
 思ったのだろう。
 ネパールでも商売をしていたらしく、懐かしくて声をかけてきたらしい。
 まさかこんな辺境の土地に 日本人がいるとは 考えも及ばなかったのだろう。

 私もこの頃は 少しはネパール語も話せるようになっていたので、
 ネパール語で会話を進め、街の中を案内してもらった。


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インドの刺繍布 | 01:28:51 | Trackback(0) | Comments(0)
東京から タイの行方‐1
 代替空港として パタヤの近くの海軍基地の中のウタパオ空港での発着が可能に
 なったようでだが、10万人近い待機中の乗客の便宜を図るには、充分と言えない
 状況の中にある。

 現政権のソムチャイ首相も チェンマイを本拠地にして、指示を与えているが、
 これでは、治安を任された警察組織も真剣には取り組まないだろう。
 こういった際には 陣頭指揮が不可欠である。
 バンコクで陣頭指揮を取らない限り、国民の支持は失われていくだろう。
 官僚出身で押されて、無理やり首相の座に置かれたという人物で、タクシン元首相、
 サマック前首相のような強烈な個性を持つ人間ではない。

 テレビ報道によれば 早ければ12月3日にタイ憲法裁判所から選挙違反に対する
 連立与党3党の解答裁判の判決がでる予定である。
 有罪の場合は タクシン元首相の義弟のソムチャイ首相ら党役員の参政権が5年間
 停止され、閣僚、議員を失職する可能性がある。

 12月3日の憲法裁判所の判決、12月5日の国王誕生日までには 
 何らかの動きがあるだろう。
 しかし、26日からの空港閉鎖から4日も過ぎてしまった。
 いくらなんでも 国際空港閉鎖という事態になれば、厳しく対処するだろうと思って
 いたが、どうも予測がはずれてしまった。
 25年 アジアでの生活をする機会が多かったが、こんな話は始めてである。
 連合(PAD)の今回の抗議デモが 如何に常軌を逸しているかがよくわかる。
 現政権が秩序の回復をしようと思っても軍・警察組織が協力せず、少数派の連合に
 利する動きをするようでは この国の未来にも翳りが感じられる。
 今世界中が 世界金融危機に追われているというのに このアナクロリズムの中に
 いるタイという国は大丈夫かと心配になる。

 連合の指導者 チャムロン元バンコク都知事が連合(PAD)にかかわる前の生活と
 いえば、1991年のスチンダ軍事政権打倒の指導者であり、国王の仲裁によって
 スチンダ政権は終わりを続け、タイの議会制民主主義の道筋をつけた功労者として
 有名な人物である。

 タクシン政権時代には 副首相としてタクシン政権を支えたが、途中で袂を分かち、
 その後は バンコク郊外で「1日1食」の菜食主義を通し、常に農民服の・モホームを
 着用し、バンコク郊外に「清潔、勤勉、質素節約、正直、自己犠牲、親孝行」の心を
 持つ人材を育てる人材育成センターを設け、有機農業を実践していたという人である。

 勤勉実直で清廉な人柄から、権力者が法を遵守しない、汚職に励むといったことには 
 敏感に反応し、タイの国王の提唱する『足るを知る社会』に賛同したしたことが
 伺われ、それが連合(PAD)の運動につながったということは理解できるが、
 やはり首相官邸占拠から今回の国際空港選挙に至る行動は、目的のためなら、
 手段を選ばぬという過激な行動としか映らない。
 潔癖な性格を持つ人間は こうした運動の中では過激な行動に走りやすいもの
 なのだろう。
 国王以外の人の話は受け入れないといった姿勢もどこかにあるようだ。

 何か起これば、国王の采配を求めるというのでは、いつまで経ってもタイの政治は
 成熟していかないだろう。
 チャムロン氏の求める「清潔、勤勉、質素節約、正直、自己犠牲、親孝行」の心の
 育成には別に反対するものではないが、どうも実践する場所が違っているようにも
 思える。
 そこにはどうも寛容の精神はないように感じられてならない。


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タイ事情 | 20:18:19 | Trackback(0) | Comments(2)
東京から バンコク ソムチャイ首相はチェンマイに
 相変わらず、解決の目途の立たないタイの国情である。
 非常事態宣言が発令されたのはいいが、その法の趣旨にあった対応が出来ないことに
 今のタイの現実がある。
 この調子だと、いつスワンナブーム国際空港の業務が再開されるのか、定かではない。
 パタヤ近くのタイ軍のウタパオ海軍基地での民間機の発着が本格化してきている
 ようだが、国際空港の代わりにはならない。

 ただ考えられるのは 12月5日が タイの国王の誕生日であることから、
 それまでには、空港封鎖も解決の方向に向かうのではという楽観的な予測もある。
 しかし、それは 元タクシン派政権の退陣か 軍のクーデターによる新政権の樹立
 という形でしか方法はないように思われる。
 しかし、この経済危機の中で、国を運営していくだけの能力が 軍にはないことは
 2年前のクーデター後の国の運営ぶりで 証明されている。

 首相府を連合(PAD)に占拠され、その代替として設置したドンムアン空港も
 連合(PAD)に封鎖され、動きの取れなくなっている現政権である。
 パタヤ近くのタイ軍のウタパオ海軍基地での民間機の発着が本格化

 ペルーで開催されたAPAC首脳会談への出席を終え、26日に帰国したソムチャイ首相  
 も 混乱を避け、チャンマイに閣僚たちを集め、チェンマイから指示を与えるという
 異常な事態になっている。
 北タイや東北タイでは 連合(PAD)も手を出せないというところに 地方と
 バンコク、バンコク周辺の対立の構造を見ることが出来る。

 政府の指示通りに動かない軍部、まだ可能性のある警察組織を動かせば、
 再び非難の嵐を引き起こすことから、身動きの取れなくなっている現政府である。

 タイには 枢密院という組織がある。

 ― 枢密院は王の顧問官である。国王は枢密院議長1人および枢密院顧問18名を
 意のままに勅命によって任命・解任出来る(12、13、14条)。
 枢密院議長が議長として公務を行うことが出来ない場合は顧問の内誰か一人が
 代行する(20条)。後述するように、王位継承者の選定は国王に権限があるが、
 顧問官は、王室典範で言及される王位継承者の人格を国王に指摘する事が出来る
 存在であり、国王に大きな影響を持つ存在といえる。―

 現在の枢密院議長は プレム元首相である。
 彼についての略歴は次のものである。

 ― 1920年、南部ソンクラー生まれ。
   1978―1980年陸軍司令官、1980―1988年首相。
   プミポン・タイ国王の信頼があつく、1988年の退任時に、枢密顧問官に任命される
   とともに、「ラタブルット(国家功労者)」の称号を受けた。1998年から枢密院議長。
   タイ枢密院はタイ国王の諮問機関。  ―

 この人物、現在 88歳の高齢であるが、王室、軍、貴族を中心とした財閥、王室と
 かかわりの深い昔からの中国系タイ人たちの経済界、いわゆる昔からの支配階級に
 大きな影響力を持っている人間である。
 2006年9月19日の元タクシン首相追放のクーデターの裏には 彼の指示の下に
 行われたという噂もあるし、連合(PAD)の影の指導者であるとも言われている。
 現王室に大きな権威をもたらしたのも 彼の功績によるものが大きい。
 王室の権威回復の努力を合わさって、王室も現在の権威の象徴になったのである。

 現在 連合(PAD)の中心的な指導者 チャムロン元バンコク知事も 
 プレム枢密院議長が首相であった当事、首相秘書官をしており、
 二人の結びつきは強い。

 そんなことから 連合(PAD)-軍-中国系タイ人(潮州系)財閥-元貴族階級
 -枢密院-王室というつながりが見え隠れしているように思えるがどうだろう。


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タイ事情 | 15:33:28 | Trackback(0) | Comments(0)
インドの布 グジャラート カッチ刺繍 壁掛け‐1
インドの布 グジャラート カッチ刺繍 壁掛け‐1 1

インドの布 グジャラート カッチ刺繍 壁掛け‐2 2

インドの布 グジャラート カッチ刺繍 壁掛け‐1

インドの布 グジャラート カッチ刺繍 壁掛け‐1 4
   幅 86cm x 長さ 170cm

 インド グジャラート州 カッチ地方の刺繍の壁掛け、
 刺繍ミラーワークのミラーが、輝いてきれいだ。
 まるで生命の樹を表すような図柄だ。
 こんな壁掛けを家の中に架け、どんな祈りを捧げたのだろうか。
 砂漠の容赦のない暑い日光によって 干からびた大地、
 厳しい風土の中で生まれた信仰とはどのようなものだろう。


 真夏のラジャスタンのオアシスのような村 プシュカルですら、
 照りつける陽射しは例外ではなかった。
 聖地として有名になった観光地 プシュカルは どういう訳か
 居心地のいい場所ではなかった。
 村中を ブラーマン階級の高慢さが 覆っていたせいかもしれない。
 うわべだけの友好、計算高さが感じられたのかもしれない。

 もっとなんでもない砂漠の町に 行ってみたくなった。
 そこで 地図を調べ、近くの町 メリタへと向かうことにした。
 バスに乗り、メリタの町に着くと、そこは 荒地の真ん中にぽつんとある町、
 そんな感じの町だった。
 町には 宿といえば、一つ、巡礼宿だけだ。
 外から見る眼には、3,4階建ての立派な建物だった。
 受付に行って、宿の宿泊料を訊くと 20ルピーもしなかったように思う。
 一泊、2百円以下、お金を支払い、階段を上り、部屋に入ってみると
 外と内とは大違いで、掃除などほとんどされておらず、ベッドのシーツといえば、
 何ヶ月も洗われていないような代物だった。
 
 白いシーツの色が にしめた様な茶色に変わり、とても 横になることの
 出来るようなものではなかった。
 シーツを変えてくれるように頼むが 一向にやってこない。
 一休みをしようにも横になることも出来ない。
 頭にきて、汚いシーツをベッドから引き剥がし、受付に持っていき、
 それを見せ付けると、やっとしぶしぶと洗ったシーツを出してくれた。

 次の問題は水だが、下の受付の近くにある水道の水は、真水ではなく、
 塩気を含んだ水、24,5年前の辺境の町では、まだまだミネラルウォーターなど
 なかった。
 地元の人間が飲む水といえば、その塩気のある水だけで
 それをを飲むより仕方がなかった。

 この町でも夜、何を食べたのだろう。
 小麦粉を練って伸ばして焼いたチャパティ、酸っぱいヨーグルト、ジャガイモ、
 そんなものがセットになっていて、4,5ルピーだった。
 案外食べやすかったことを覚えている。

 食べ物に対する関心は のっから薄れてしまっていたのだ。
 暑さのために食欲など湧いてこなかった。
 暑さと水に慣れるだけで精一杯の状態だった。
 仕方なく飲んでいたのは、ホテルの前の広場で売られている屋台の自家製のソーダー、
 塩気を感じないだけ、抵抗なく飲むことが出来た。


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インドの刺繍布 | 00:41:23 | Trackback(0) | Comments(0)
東京から バンコク 非常事態宣言 発令!
バンコク 非常事態宣言 発令 1
  連合指導者 チャムロン元バンコク知事

東京から バンコク 非常事態宣言 発令 2
  1991年のスチンダ政権倒閣運動の際の国王の仲裁の写真

東京から バンコク 非常事態宣言 発令 3
  連合の指導者の一人のソンティ氏

東京から バンコク 非常事態宣言 発令 4
  現首相 ソムチャイ氏


 ― ソムチャーイ首相は27日21:00から放送された特別放送の中で民主主義市民連合に
   占拠されているドーン・ムァン空港及びスワンナプーム国際空港に対して
   非常事態宣言を発令した。―

 非常事態宣言が発令されたが どれだけの実行力を持つのか、明確ではない。
 非常事態宣言により、両空港では5人以上の集会が禁止になり、報道規制が敷かれるわけ 
 であるが、王室、軍の支持を得ていると考えている連合(PAD)に対して、どれだけ
 実効性を持つのか定かではない。

 選挙で選ばれた政権でありながら、軍に対して 統帥権を持たないところにタイの
 政治の混迷があり、国民のための政治が進展していかない原因になっている。
 タイにやってきている外国人に対しても、すぐさま対応できない原因は、現政権に
 あるのではなく、政府の要請に対して、動かない治安組織に責任がある。
 日本でも問題になったように 軍(自衛隊)に対して、文民統制が働かなければ、
 国の混乱の解決に どう対処すればいいというのだろう。
 自分の国のことだから、外国人は関係ないというのなら、鎖国でもすればいいのである。
 こういうことに対して、タイの良識ある市民は どう考えているのか、聞きたいものだ。

 バンコクの中でも少数派であるPADの暴挙が許されるところに、タイの支配構造の
 実態が露呈されているのである。
 1千万人の人口を持つバンコクでも PADのやり方に対して支持を表明する市民は、
 10%にも満たないだろう。
 バンコクの特権階級対大多数の地方の新興勢力という構図があり、バンコクにおいても
 20年前と違って、旧バンコク市民は 少数派であり、大半は地方出身者によって
 占められているが、地方出身者は生活することが精一杯で、政治にかかわる暇など
 ないのである。
 出稼ぎ労働者で仕事にあぶれていれば、政治的な心情とは別に 日当5百バーツで
 PADのデモ隊に参加するのである。
 空港に座り込んでいる人間の顔つきを見ても、そうした人たちが多いことあることが
 窺われる。
 何か起こったときには すぐさま逃げてほしいものである。

 多量の武器を後ろ盾に力を鼓舞する軍、旧支配階級と国の利権を分け合ってきた
 軍の国際感覚の無さ、国の未来を見通すこと展望の無さ、こうした無能さが 
 傍観という姿勢につながっているのである。
 なすべきことが何かわからないようでは、この国の将来も危ないことになるだろう。

 連合(PAD)の指導者の顔であるチャムロン元バンコク知事も 1991年の
 スチンダ軍事政権に対する倒閣運動で50万人の市民を集めたが、
 今回の反タクシン政権倒閣運動では、5万人の市民を集めることも難しいものと
 なっている。
 時代錯誤的な行動によって そのカリスマ性に陰りが見えてきている。

 軍が今後どう動くのか、国王がどういう判断を下すのか、それによって
 この国の今後の行方がはっきりしてくるだろう。
 タイの政治の賢明さはその柔軟性にあったが、連合(PAD)がそうした柔軟性を
 持っているとは思えない。


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タイ事情 | 15:28:03 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 東京アール 遠田知子さんとインドサリー‐3
東京 東京アール 遠田知子さんとインドサリー‐3

 手の込んだよいサリーを見つけようと思えば、都市で探すより方法はない。
 安く手に入れようとするなら、田舎に行けばいいが、本当に上質のサリーは
 都市の店からの注文で織られたり、刺繍の細工がされるからだ。
 そのデザインも 店独特のデザインがあり、そのデザインの斬新さを競っている。
 そのデザインも村の確かな技術、技法と合わさって、素晴らしいサリーが生まれて
 くるのである。

 だから、私のサリー探しは都市に限られる。
 インドの都市には サリー・マーケットと呼ばれるバザールが必ずある。
 その場所を探し出すことから、サリー探しは始まる。
 コルカタであれば、中心部のチョーロンギあたりのニューマーケットに行けば、
 それなりに質の高いシルクサリーも手に入れることが出来るが、分けのわからない
 人間がそのマーケットに迷い込めば、べらぼうな値段を吹っかけられるのは見えている。
 だから、コルカタの街のサリーの卸しをしている場所で 大体の値段を調べておく必要がある。
 ここだって、一見の客であれば、吹っかけてくる。
 素人ではないことを見せ付けるために、サリー知識を披露しなくてはならない。
 使われている素材、生産地、ジャガード織り、刺繍の名前、そんなことを話している
 うちに 相手も只者ではないと認めてくれるようになる。

 コルカタには ベンガル刺繍 カンタの施されたタッサシルクサリー、オリッサ、
 アンドラプラデシュのシルク絣サリーなどが多く集まる。
 コルカタの最大のバザール ブラーバザールには イスラム教徒が得意とする
 豪華な刺繍サリーもあるが、大半が化繊の布に刺繍したものである。
 シルクに刺繍したものは デリーのほうが多い。

 サリー探しは 足が勝負である。
 コルカタでは 地図を片手に地下鉄に乗り、バスに乗り、市電に乗り、
 バザールを見つければ、ひたすら足を使って歩き回るだけである。
 4,50軒のサリーの店を見て歩くのは当たり前のことである。
 気に入ったサリーがあれば、値段交渉は相手のペースに巻き込まれないための
 神経を使うものだ。
 大量仕入れであれば、値段交渉も楽であるが、納得のいくものということになれば
 1軒、1軒の店を回り、足を使う必要があり、値引き交渉も大変だ。
 楽な仕事ではない。


 遠田さんのこの作品は 手染めのクレープシルクサリーを使ったものである。
 インド人の手染めの技術もなかなかのものである。


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インド サリー | 10:22:51 | Trackback(0) | Comments(0)
インドの布 グジャラート カッチ刺繍 玄関の飾り‐3
インドの布 グジャラート カッチ刺繍 玄関の飾り‐3 1

インドの布 グジャラート カッチ刺繍 玄関の飾り‐3 2

 インド グジャラート州 カッチ地方のアンティーク刺繍、
 玄関の飾り。
 クラシックな刺繍のデザインが素晴らしい。
 小さい飾りは、どこに飾ったのだろう。


 アジメールの小高い丘の上には、石造りの古い寺院があり、そこに座り込んで
 吹き抜ける風に身を任せていると、ラジャスタンの暑さを忘れさせてくれた。
 帰り際に イスラム教徒の集落に迷い込むと、子供たちも友好的ではなく、
 小石を拾って投げつけてくる子供がいた。
 通りでは 絞り染めの木綿のサリーをよく見かけた。

 アジメールに2,3日滞在して、次に目指したのは ヒンズー教の聖地プシュカルだ。
 町というより小さな村といった感じで、住んでいる人たちの大半は ブラーマン
 (ヒンズー教カーストの最上位である僧侶階級)だった。
 当然、村全体は 菜食主義の村で、その村の滞在の際、何を食べたのか、
 全く記憶がないのは よほど不味かったのだろう。
 プシュカルの村の中心には 小さな湖があり、その湖の湖畔に政府の
 ツーリストバンガローがあったが、いつも一杯で泊まることはできなかった。

 インドの各地の観光地には 観光客用の政府運営のツーリストバンガローがある。
 宿泊費も高くなく、民間のゲストハウスに比べると、施設も整ったものだ。
 私もダージリンやブッダガヤ、サルナートではお世話になった。

 いくら村の中心に湖があるとはいえ、四月のラジャスタンでは、日ごとに暑さは
 増して行くばかりで、泊まったゲストハウスでは、夜は、宿の屋上にマットレスを持ち上げ、
 星を見ながらの睡眠だった。
 日の出が 目覚まし時計代わりの1日の始まりである。

 24,5年前の真夏のラジャスタンのプシュカルでは 日本人に会うこともなかった。
 今は 観光客も増え、すっかり変わってしまっているだろう。
 村の中心にあったあの小さな湖は 昔ながらの姿を残しているのだろうか。


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インドの刺繍布 | 09:45:00 | Trackback(0) | Comments(0)
東京から 閉鎖されたスワンナブーム国際空港
 26日からタイの国際空港 スワンナブーム国際空港が PAD(連合)による
 デモにより、閉鎖に追い込まれたようである。
 この連合という組織 反政府派市民団体『民主市民連合』
 英語では『the People's Alliance for Democracy』となるらしいが、どう考えても
 民主的な団体とは思えない。

 タクシン元首相の汚職に対する追及とその解決を目的にしているようだが、
 今の政権が タクシン元首相派の政権であるという理由だけで、その政権打倒に
 向けて、市民生活、外国人に支障を与えるデモが許されるとは 到底 思えない。
 首相官邸占拠、挙句の果てにスワンナブーム国際空港、ドンムアン空港占拠と
 自分たちの要求が受け入れられなければ、エスカレートした行動に出て行く姿を
 見ていると、この団体が民主主義を求めている団体であるとは、考えられない。
 軍がクーデターを起こして、現政権を一掃してほしいことを希望したりするようでは、
 どこに民主主義があると考えているのだろう。

 バンコクが国の王都、首都になって2百年余りの月日が流れた。
 19世紀中期に40万人だったバンコクの人口も1千万を超えたという話もある。
 その間、王族、貴族、軍、警察、中国人の住むバンコクは 
 タイの富が集まってくる場所だった。
 米、チーク材は輸出の中心であり、中国人を仲介にしてバンコクは繁栄してきた。
 1932年の立憲革命、その後のサクディ・ナー制の廃止までは、地方農民の移動は
 許されておらず、バンコクの人口も百万人にも満たなかったようだ。
 タイの利権のすべては バンコクの王族、貴族、軍、警察、中国商人の下に集中し、
 そこに住むバンコク市民もその恩恵を受けていた。
 一方、地方農民は 税に苦しみ、奴隷に身を落とすものも少なくなかった。
 軍、警察に押さえ込まれた農民たちはその苦しさに声を上げることも出来ないくらいに
 虐げられていた。
 そこにバンコクと地方の格差を生む要因があったのである。

 今回の連合(PAD)の中心になっている人たちは、この旧支配体制に属する人たちであり、
 タイの民主化以降 旧タクシン政権によって、利権を奪われてきた人々である。
 奪われた利権を取り戻し、それを恒久化しようとしているようにしか思われない。
 下院議員の70%を任名制にして、30%を選挙で選ぶという憲法改正を要求して
 いることからも、そのことが窺われる。
 バンコク中心主義の過去の世界への回帰を願っている人々である。

 一方 連盟、親政府派の団体は 地方特に北部、東北部を地盤に持つ人々で、
 旧タクシン政権の下で力を得てきた新勢力である。

 ここを理解しなければ、タイの今の混乱は見えてこない。
 このことを理解すれば、王室や軍が 簡単に動けないことも見えてこないだろう。
 警察は 元タクシン首相が警察出身ということで 内部に元タクシン首相の影響を
 受けているものが多いが、王室、軍との関係で簡単に動けない状況にある。

 人口1千万人のバンコクで、たかだか2,3万人の集団が ここまで力を持っている
 というのは、この辺に問題があるのである。
 デモ参加者の多くが 日当をもらって参加しているというのは、バンコク市民の周知の
 事実である。
 それを差し引けば、本当の支持者の数はもっと少ないだろう。
 日当5百バーツということだから、1万人を動因しても1日5百万バーツの出費である。
 空港閉鎖で 1日6千万バーツの損失、それはタイ航空関係だけであるから、実際には
 その数倍にも上るだろう。

 この世界金融危機の最中、こんな状態をどこまで続けることが出来るのか、何も手を
 打つことが出来なければ、今以上のタイの経済危機は 避けることは出来ないだろう。


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タイ事情 | 20:21:56 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール 老人のいる風景
老人のいる風景 1

老人のいる風景 2

老人のいる風景 3

老人のいる風景 4

老人のいる風景 5

老人のいる風景 6

 カトマンズ盆地の中のパタン、バクタプール、キルティプールの旧市街地を歩いていると、
 パティと呼ばれている寄り合い所や、家の軒先に老人たちの姿を見かけることが多い。
 近くに住んでいる老人たちが 集まって、遠い昔のことを思い出しながら、
 午後ののんびりした時間を過ごしている。
 悠々自適のときを楽しんでいるような感じがする。
 彼らは カトマンズの古くからの民 ネワール族の人々である。
 それも特に農民カーストマハルザンの人たちが多い。
 楽しむべき場所を失い、語り合う友とともに過ごす時間を失った日本の老人たちとは
 異なる姿である。

 寄合い所に座り込んでいる老人たちには、何一つ老後の保証もなければ、
 医療の援助もない。
 頼りになるのは、息子たちであり、その嫁であり、孫たちである。

 ネワール族の社会は 昔から集合家族である。
 男兄弟の家族は、1つの家に一緒に住むか、家族が増えて手狭になれば、
 すぐ横に家を建てまして行く。
 そのため、中庭の周りには、兄弟・親戚の住居が建ち並ぶ構造になる。
 だから、年老いた親を見るのは、中庭の周りに住む兄弟・親戚の仕事になる。
 地域全体がそれを当たり前のこととして受け入れている。
 日本のように充実した贅沢な医療・介護は受けることは出来ないにしても、
 家族とともにいる満足感、心の安らぎを得ることは出来る。
 カトマンズの街には 街でありながら、こうした村のような共同体が、今でも生きている。
 ネワール族のそれは1つの生活の知恵でもある。

 日本は村の共同体を壊し、村の人々を都市へと引き寄せ、街の中に共同体を作ることなく、
 人々をばらばらの状態で生活させてきた。
 深いつながりのない地域社会は すべての負担を個人に押し付けていった。
 老いた親の面倒すら見ることが出来ないようなゆとりのない社会を作り上げてしまったのだ。
 これが経済大国 日本の実態である。
 経済論理、企業論理を優先させ、生き生きした人間生活に目を向けず、邁進した結果である。

 その責任は 国民にもないとはいえない。
 政策を実行する政府を無批判に受け入れてきたのは国民なのだから。
 お金があればどうにかなると、それだけを信じてきた日本人である。
 どういう社会を作り出したいのか、そうした視点がきちんと国民の側にない限り、
 満足のいく社会が生まれてこないのは当然のことである。
 実際に困った場面に出くわした時には、もう遅いのである。
 政府に期待しても 人間に対する認識が違うのだから、期待しても満足のいくものを
 得ることは困難だ。
 教育にしても、老人問題にしても、年金問題にしても、凶悪な犯罪にしても、
 政府任せにしていた結果なのではないか。
 自分はそれにどう係わっていたか、もう一度 問い直す必要があると思うが、どうだろう。

 ネパールの人々は貧しくて生活は大変であるが、政府が信頼できないのだから、
 自分たちの生活は、自分たちで護るという知恵はまだ残っている。
 政府に頼り、他人の力に頼る今の日本人は、自衛すら出来なくなっている。
 生き生きした人間らしい社会を作り出さない限り、生き生きした老後などないのは
 当然のことである。


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ネパールの不思議 | 09:31:38 | Trackback(0) | Comments(0)
インドの布 グジャラート カッチ刺繍 玄関の飾り‐2
インドの布 グジャラート カッチ刺繍 玄関の飾り‐2 1

インドの布 グジャラート カッチ刺繍 玄関の飾り‐2  2

 インド グジャラート州 カッチ地方のアンティーク 玄関の飾り。
 ユニークな刺繍が楽しい。
 砂漠の乾いた泥造りの家には 色鮮やかに映える。

 もう24,5年前のことだ。
 ネパールのカトマンズに住んでいた頃のことだ。
 ネパールヴィザの書き換えのために インドに出かけ、その足で砂漠地方の
 ラジャスタンを旅したことがあった。
 4月にカトマンズを出て、インド ゴラクプールからデリーへ 
 そして、ラジャスタンの入り口 町の建物の色がピンク色に近いことから
 ピンクシティと呼ばれているジャイプールにやって来た。

 泊まったホテルは ピンクシティと呼ばれる旧市街近くのボンベイホテル、
 イスラム教徒の二人の兄弟が経営する気さくなホテルだった。
 そこではネパール人が何人か働いており、人のよいネパール人は
 オーナーがイスラム教徒のホテルにもかかわらず、豚肉料理をご馳走してくれた。
 
 すぐそばには ピンクシティの入り口であるチャンドポール門があった。
 又、ジャイプールでは有名なインドレストラン ビシュミラレストランもあり、
 そこのチキンカレーは最高に美味しかった。
 ラジャスタンの暑さの中で育った鶏は どれを見ても痩せていて食欲を
 そそるものではないが、その痩せた鶏を使ったモモ肉のチキンカレーは
 香辛料の使い方が素晴らしく、みすぼらしいモモ肉も 感動を呼ぶような
 味付けだった。
 それが高級レストランではなく、庶民たちの出入りする普通のレストランで
 値段も安かった。
 ラジャスタンの州都であるこの街には ラージマンディールと呼ばれる自慢の映画館も
 あり、そこで 初めて 『ラムテイリ・ガンガー・メイリ』というインド映画を見た。
 音楽も踊りも秀逸なもので、サウンドトラックのカセット、後に映画のCDも手に入れ、
 よく聴いたり、見たりしたものだ。

 ハワーメールと呼ばれる風の宮殿、宮殿にも足を運んだ。
 当時の入場料は やたら安かったので、気にならなかった。
 
 何日かのジャイプール滞在のうちに 砂漠の州 ラジャスタンの入り口の町とはいえ、
 気温は 日増しに上がる一方だった。

 ジャイプール滞在のあと、ラジャスタンの砂漠の中の町 ジャイサルメールに向かって、
 動くことにした。
 ジャイプールからバスでアジメールへ、そこはイスラム教徒の町で、木綿の絞り染めで
 有名な街だった。
 当てもなく街の中を歩き回り、少し町の小高い丘の上にある場所に宿をとった。
 そんなラジャスタンとの関わりの始まりだった。


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インドの刺繍布 | 01:07:54 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 元厚生事務次官宅連続殺傷事件に寄せて‐3
 相も変わらず、この事件に対するテレビ報道は 重箱の隅をつつくような報道姿勢で
 ことの本質からは どんどん遠ざかっているとしか思えない。

 確かに殺人という行為は 許しがたいことであるが、こうした事件を引き起こすに
 至った容疑者の心の軌跡をきめ細かく探求しない限り、ことの本質には気づくことは
 出来ないだろう。

 以前にもブログで紹介したことがあるが、こんな動物実験がある。

― ジョン・カルブンという人が、ノルウェーのネズミ、スカンジナビア・レミングと
  いわれるネズミを使って実験を行っている。
  このネズミ、ネズミにしては貞操観念の強い一夫一婦制を厳重に守る習性がある。
  このネズミを、一つの限定された箱の中で、どんどん数を増やしていく。
  そして、このネズミを観察してみると、ネズミが増えるにしたがって、おかしくなる。
  副腎機能(食欲と排泄のバランスを司る器官、ストレスが起こると、副腎機能がやられ、
  ショック死することもある)がやられる。
  1番最初に死んでいくのは、赤ん坊とメス、そのネズミ、そして一夫一婦制が乱れる。
  メスは巣の掃除を全然しなくなる。セックスの混乱が起こる。
  しっぽに噛み付く、メス・オスの境がはっきりしなくなって、狂乱状態におちいる。
  そして、最後には、いっぺんにどっと食べるものは、凄い量を食べて、がっくりいってしまう。
  食べないものは、全然食べず、餓死してしまう。 ―


 人間も動物である。
 動物であれば、とっくの昔に死滅していたと思われる人間が 今日まで生き延びることが
 出来たのは、ひとえに知恵の働きである。
 世界の人口は増加の一途にある。
 人間が文明、文化を持つようになった古い時代から社会の安定、その中で生活する人々の
 心の安定、幸福は 人類の希求することだった。
 様々の形の社会システムを考え出しながら、人口増加によるストレスを解消しようと
 努力してきたが、その社会システムがここに来て 破綻し始めているように思える。
 宗教、教育、科学、共同体、社会思想(自由主義、民主主義、共産主義など)に
 支えられた国家システム、様々の知恵を生み出しながらもどうにか人類は、
 生き延びてきたのである。

 しかし、それがここにきて そうした人類の知恵が上手く作用しなくなっているようだ。
 人類の目的は 人類の幸福ということ出るにもかかわらず、富や権力は一部の人間に
 集中し、多くの世界の人々は 身勝手な金の亡者に奉仕する形になっている。

 生活に追われる人々は ストレスを溜め、ちょっとしたことで攻撃的な行動に出てしまう。
 親子の愛情は薄れ、子殺し、親殺し、動機のはっきりしない衝動的な殺人は増える
 ばかりである。
 人と人とのつながりも希薄なものになり、どこに危険が潜んでいるかわからない。
 社会が病んでいるのである。
 
 1980年から始まるバブル、バブル崩壊、新たなバブルを避けるために効率、
 合理性ばかりを追いかけ、人々の心の安定、幸福をないがしろにしてきたつけが、
 やってきている。
 お金や富を得るための悪知恵は働いても、人の心の安定、生活の満足、幸福のために
 必要な知恵は働かなくなっている。
 不器用な人間には 生きにくい社会に変わっていることには 誰も眼を向けようとは
 しない。
 寛容、受容性を持つ社会が失われているのである。
 そういう社会に対する反逆の予兆のように思われてならない。
 世の中が変わっていかない限り、これからもこのような事件は 減ることはないだろう。


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徒然なるままに | 15:49:16 | Trackback(0) | Comments(2)
カトマンズの街の形
カトマンズの街の形 1

カトマンズの街の形 2

カトマンズの街の形 3

カトマンズの街の形 4

カトマンズの街の形 5

カトマンズの街の形 6

 カトマンズの街は マッラ王朝時代に造られた街並みと、ゴルカ王朝時代に造られた
 建物が並存している。
 ゴルカ王朝といっても 大半の建物は、ラナ家専制時代に建てられたイギリス様式を
 真似たもので、ネパール建築とは程遠いものだ。
 街はマッラ王朝時代に建てられた建物が大半で、ゴルカ王朝時代に建てられた宮殿群は
 ネワール族の造り上げた街の周辺地域に散在しているだけである。

 日本の江戸時代のことを考えてみれば、江戸の中心に江戸城があり、
 その周辺に直参旗本の屋敷、大名屋敷、その外に商人たちの居住地と職人たちの居住区、
 さらにその外の川向こうには悪場所、歓楽街が広がり、その向こうといえば、村になってしまう。
 昼間の日常的な世界と夜の享楽的な世界が 街の中に共存することで、
 街にすむ人たちの心に聖と俗のバランスを与えていた。
 欲望の捌け口の場を用意していたのである。

 カトマンズの街を読み取るには、マッラ王朝時代の街づくりに眼を向ける必要がある。
 ゴルカ王朝時代の建物を見ても、ただ権力を誇示するための建物ばかりで、
 生活する人々の心の有様を知る手がかりにはならない。
 それにあるものは 専制独裁制のシンボルはあっても、民衆の姿は見えてこない。

 ネワール族の街づくり、それは、カトマンズでもパタンでもバクタプール、キルティプールでも
 同じ構造になっている。
 まず、街の中心部に王宮を作り、王宮の周りに寺を建造し、
 その周辺にカーストの高い人たちが住み、周辺に行くにしたがって、
 カーストの低い人たちが住むという構造になっている。
 
 基本的にはこの構造は250年のゴルカ王朝の支配の中でも変化はしていないようだが、
 上級カーストの生活場所については、ゴルカ王朝に協力的であったものとそうでないものの
 違いによって、居住区の入れ替えはあったように思われる。
 ネワール族の中のヒンズー教徒、仏教徒によって、ゴルカ王朝への協力度は違っていただろう。
 しかし、大半のネワール族は、マッラ王朝時代からの居住地域に住んでいるようだ。

 ただ不思議なのは カトマンズの街には、悪場所である歓楽地域がないことだ。
 ヒンズー教の影響なのだろうか。
 江戸であれば、隅田川の川向こうは、江戸庶民の歓楽街であったし、バンコクであれば、
 中華街が歓楽街だったはずだ。
 ネワール族の60歳を過ぎた人たちに聞いても、カトマンズにはそんな場所はなかったという
 答えが返ってくるばかりである。
 性に興味を持ち始めた若い頃はどうしていたのだと尋ねると、結婚まで我慢していたと言う。
 肉好き、酒好きのネワール族、遊び好きのネワール族がである。
 性的な面においても ゴルカ王朝時代は カトマンズは 性的に抑圧的な街だったようだ。

 ラナ家専制時代は、ラナ家の御曹司は、かなり性の面でも野放図であったというが、
 それは支配階層のことだけで、カトマンズの大半を占めていたネワール庶民とは無縁の
 ことだったようだ。

 ネパールでもカトマンズ以外の街道筋には、男の欲望を満たす場所がたくさんあった
 という話を聞いている。
 街道の食堂や宿屋で働く女たちは、男たちの欲望に応えていたことが多かったと言う。
 昔、東ネパールのダランという町のホテルに泊まったことがあるが、そこにもホテル
 お抱えの娼婦たちがいた。
 カトマンズから離れれば離れるほど、性に対して緩やかであったようだ。
 ここ240年のチェットリ族、バウン族の支配は、カトマンズの享楽への欲望を
 抑圧していた社会だったようだ。

 人間の心の光と闇の世界をバランスよく街の中に取り入れなかった
 ここ240年のカトマンズの街は やはり、どこか、贋物めいた気がするのである。
 そうは言っても、賢いネワール族のこと、地域社会の中でうまくやっていたとは思うが。
 おおっぴらにされていなかっただけのことだろう。

 今はどうかと言えば、タメル地区あたりのダンス・バー、あるいは、カトマンズ周辺の
 地元の人間相手のバーなどは、男たちの欲望を満たす場所になっていることは周知のことだ。
 1990年代の民主化の過程の中で、聖と俗が共存できる街に変わってきたのである。

 マオイスト中心の現政府は 俗の世界への締め付けに手をつけ始めたようだ。
 民衆の娯楽に対する締め付けは 新たな抑圧を生み出し、混乱を招くだけだろう。



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ネパールの不思議 | 12:41:27 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 『辻まこと』のこと‐2 『山で一泊』
東京 『辻まこと』のこと‐2 『山で一泊』

 辻まことの本を読んでいると 奥鬼怒温泉郷 手白沢温泉の話がよく出てくる。
 奥鬼怒は彼の愛すべき自然の中の生活の舞台だったようだ。
 彼は山登りの場として、自然を見ていたのではなく、自然と一体化することで
 心と身体の健康を取り戻していたようだ。

 山の人 サンカにも関心を深め、山の人から 逆にサンカと思われるほど、
 山の生活に親しんでいたようだ。
 山の人 サンカが 自由な生活を求める放浪の民であったら、辻まことも自由人であり、
 放浪の民であった。

 辻まことの山の生活について書かれた画文集を読んでいると、そんな自由な放浪の
 精神が 散りばめられており、自然に向ける視点、社会に向ける視点の確かさからくる
 批評の精神には 惹きつけられてしまったのもしばしばのことだった。

 彼が最も愛した奥鬼怒の自然に触れたくて、日光湯ノ湖から奥鬼怒温泉郷まで
 歩いたことがある。
 それは 30年前の秋のことだった。
 湯ノ湖を囲む山々の紅葉が素晴らしかったことは記憶にあるが、
 奥鬼怒に至るまでの記憶がすっかり抜け落ちてしまっている。

 辻まことが定宿にしていたという手白沢温泉にも行ったが、
 こぎれいな山小屋風に変わっており、露天風呂だけが昔ながらの姿を残していた。

 真冬に 雪道をひたすら登り、鬼怒沼にも行ってみた。
 登り詰めるとそこには 雪に覆われた平原が広がっていた。
 夏には山の花に彩られる湿原も すっかり雪に覆われ、
 白い平原を吹き渡る風に震え上がってしまった。
 ナップサックに入れて運んできたストーブで寒さに耐えながら コーヒーを沸かし、
 大急ぎで下山したこともあった。

 私の奥鬼怒の体験は 単なる旅行者のものであったが、辻まことにとっては、
 生活の場であったし、猟師としての能力を発揮する場所でもあった。

 奥鬼怒周辺の彼の生活体験をもとに 書きまとめたものの一つが 
 『山で一泊』という画文集である。
 30年近く前に 2800円という定価は高いものであったが、
 充分に辻まことの世界を楽しませてくれた。

 この本を読んでもわかるように 辻まことが ただの旅人でないことがわかる。
 山の風景に溶け込むほどに、山の自然、生活、そこに生きる人々との
 生き生きした交流を読み取ることが出来る。
 彼の持っていた自由な放浪の精神は、容易に山の人たちの生活に溶け込み、
 山の人たちからも仲間として受け入れていったようである。


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徒然なるままに | 11:06:41 | Trackback(0) | Comments(0)
インドの布 グジャラート カッチ刺繍のブラウス‐2
インドの布 グジャラート カッチ刺繍のブラウス‐2 1

インドの布 グジャラート カッチ刺繍のブラウス‐2 2

インドの布 グジャラート カッチ刺繍のブラウス‐2 3

 アンティークな刺繍のブラウス、
 美しい刺繍が 所狭しと 散りばめられている。
 その模様も 子供が描いた絵のようだ。
 刺繍のデザインも古典的なものだ。

 インドに行くと 太った体格のいいインド人と
 痩せた小さなインド人がいる。
 この砂漠の民の刺繍のブラウスなど、
 子供の衣服かと思えるくらい小さい。

 何千年にも渡るインドの歴史は 
 2種類の人間を造りだしてきた。
 太ったインド人と痩せたインド人、
 富むものと貧しいもの

 富むものは好きなだけ食べ、使用人を使い、身体を動かすことはない。
 貧しいものは 僅かの食料で 重労働に耐えなくてはならない。
 慢性的な栄養不足は、長い歴史の中で 
 貧しい人たちの骨格にも体格にも影響を与えてきた。
 自らの体格の貧弱さを補うように 素晴らしい刺繍の衣服を身につける。
 自らの手で施した眼も覚めるような刺繍の技を使って。



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インドの刺繍布 | 00:50:12 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 東京アール 遠田知子さんとインドサリー‐2
東京 東京アール 遠田知子さんとインドサリー‐2

 遠田知子さんの作り出す洋服の持つイメージは 華やかさである。
 着物の世界で言えば、訪問着のような世界だ。

 この華やかさというイメージは 東京の一般の人々には なかなか受け入れられない
 という面もある。
 東京や江戸の時代から、華やかな色合いのものは好まれず、地味でシックなものを
 好まれたせいもある。
 又、東京・江戸は 武家政治の中心であり、華美なものを敬遠してきた歴史から
 かもしれない。

 私などいつも遠田さんに話すのだが、遠田さんの洋服を身に着ける芸能界の人間は
 いないのかと。
 遠田さんの洋服を身につけ、リサイタルでも開けば、それだけでも華やかさが増し、
 リサイタルの主役の趣味のよさも引き立つように思うが、どうだろう。

 インドの高価なシルクサリーは 日本の訪問着と同じである。
 結婚式などの儀式の中では インドの女たちはこぞって 豪華なシルクサリーを
 身に着ける。
 そんなサリーで作られた遠田さんデザインの洋服が世間の注目を引かない
 というのが不思議でならない。

 彼女は東北の秋田出身の女性である。
 人柄はとても個性的な人ではあるが、どんどん人前に出かけ、
 自分の洋服を宣伝していくような人柄ではない。
 だから、所謂 コマーシャリズムに乗っていくような人ではない。
 1点、1点を大切にデザインする職人気質と芸術家気質を併せ持っている人で、
 世渡り上手ではない。
 
 私から見ると 歯がゆい気もするが 正確だから どうすることも出来ない。
 そこで少しでも様々の人に遠田さんの洋服を知ってもらいたいと思い、このブログで
 遠田さんの洋服を紹介している次第である。


 この洋服に使われているサリーは 薄地のオーガンジシルクで織られており、
 夏用のサリーである。
 サリーの前面、上半身を覆う部分は金糸が使われており、
 豪華さ雰囲気を感じさせるサリーである。
 他の部分にはランダムな絣模様は織り込まれている。
 布のカッティングの妙技は 遠田さんの得意とするところである。
 アメリカやヨーロッパであれば、注目の的になるデザインの洋服である。
 日本では 1歩も2歩も先に進みすぎている。
 高級ブランドばかりに走る日本人には この洋服の素晴らしさも
 サリー地の素晴らしさ も伝わっていかない。
 まったく残念なことである。


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インド サリー | 18:57:54 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 元厚生事務次官宅連続殺傷事件に寄せて‐2
 運よく正社員になり、安定した暮らしを手にすることの出来た人、
 運よく社会的地位を手に入れ、贅沢な暮らしが出来るようになった人、
 確かにそこに至るまでには努力もあったのだろうと思う。

 しかし、その反面、運悪く正社員にもなれず、運悪く安定した生活を
 手に入れることも出来ず、未来に希望を持つことの出来ない人もいる。
 努力すれば、本当に報われる社会なのだろうか。

 テレビで報道されている中学時代の写真の笑顔が 警察の車の中のあの顔つきに
 至るまでの30数年、一体どういった生活史、人生があったのか 気にかかる。

 怒り、憎悪、諦め、挫折といった感情が ここ20年の人生の中で渦巻いていたに
 違いない。
 何に対して 怒り、憎悪の感情をぶつけていけば、自分の生活が変わっていくのか、
 そんな気持ちの中にいる人は 小泉容疑者だけではないだろう。

 タイやネパール、インドでも 殺人事件はよく起こる。
 しかし、その動機ははっきりしている。
 お金が絡んだり、政治に絡んだテロ行為であったり、嫉妬であったり、
 お金目当ての強盗であったりする動機のわかりやすいものである。
 殺人の目的がはっきりしていて、直接に対象に向かっているのである。

 今回の事件の動機は 「保険所に家族を殺された」と容疑者は言っているが、
 調べてみてわかるのは 30年以上前に飼っていた犬が殺されたという納得の
 いく理由ではない。
 彼にとって理由は 何でもよかったのかもしれない。
 それは 秋葉原無差別殺傷事件でも同じである。

 人は 怒り、憎悪、挫折の感情を 心の内側に閉じ込めたとしても、
 それは忘れられたことにはならない。
 諦めという状態は 何一つ解決にはならない。
 生活が苦しくなればなるほど、心の内側で 怒り、憎悪は醸成されていくものだ。
 それが自分への攻撃になれば、自殺という形を取るだろうし、
 外へと攻撃性が向かえば 反社会的行動に出てしまうものだ。
 攻撃の対象がはっきりしていれば、その対象に直接向かうだろうが、
 長年にわたって下積みの苦しい生活を続けていれば、
 我慢しきれなくなった怒りや憎悪の感情はどこに向かっていくのだろう。

 この10年 小泉容疑者は 仕事らしい仕事はしていないようだったという。
 部屋に閉じこもり、他人との暖かいかかわりもなかった生活の中で生まれてくる
 精神状態はどんなものだったのだろう。
 その不安定な心から生まれてくるものは どこか被害妄想的な面もあっただろう。
 それが 埼玉のアパートの住民、近所に工事にやってきた人とのトラブルを生み出している。
 自分の心の中に生まれる攻撃性を 部分的に発散しているようにも思われる。

 それが今回の事件を引き起こすきっかけになったのは なぜだろう。
 貯金していたお金が 尽きたのだろうか。
 引きこもりのような生活に終止符を打ちたいと思ったのだろうか。


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徒然なるままに | 12:31:19 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール 糸を紡ぐ人たち
ネパール 糸を紡ぐ人たち 1

ネパール 糸を紡ぐ人たち 2

ネパール 糸を紡ぐ人たち 3

ネパール 糸を紡ぐ人たち 4

ネパール 糸を紡ぐ人たち 5

ネパール 糸を紡ぐ人たち 6

 カトマンズ近郊の村々を歩いていると、羊毛の糸を紡いでいる人たちに
 出会うことが多い。
 これは昔からの仕事であったのかというとそうではない。
 カトマンズ盆地に限って言えば、羊毛を紡ぐという習慣はなかった。
 こうした仕事が始まったのは 1959年のダライ・ラマのインド亡命に伴い、
 難民としてネパールに逃げ込んできたチベット人によって チベッタン・カーペット
 作りの技術が伝えられた頃から始まったらしい。

 カトマンズのチベット難民の住む地域では、生活のためにチベット人によって
 チベッタン・カーペットが 織られ始め、その規模が大きくなるにつれて、
 ネパール人に毛の手紡ぎの技術、カーペットの織りの技術が伝えられた。

 私が始めてネパールを訪れた25年前には、パタンのザウラケルには
 チベット難民センターがあり、そこにはチベッタン・カーペットの工場があったが、
 働いている人は ネパール人も多かった。

 そうこうするうちに 外国からの注文が増え、チベット人たちはいつの間にか
 工場のオーナー、タメル地区の店のオーナーに早変わりして、カトマンズで富を
 蓄えるようになり、今では御大尽様である。
 そうなると、自分でカーペットを織るよりは下請けに出したほうが、
 はるかに効率がよいことになり、カトマンズ近郊の村では、チベット人たちの注文で 
 村人たちは毛を紡ぎ、カーペットを織るようになっていくのである。

 私が25年前に住んでいたキルティプールの町では 当時、織物が盛んな町で、
 丘の上に立つ民家の1階では カタンコトンと機織の音が聞こえていたが、
 今はそれがカーペット織りに変わってしまっている。

 カトマンズの人口が急激に増え、農地が住宅地に変わっていくにしたがって、
 村々では 女たちの畑仕事も減り、それが、手紡ぎ、カーペット織りの内職を
 促すことになったのだろう。
 自給自足の生活が崩れ、現金収入が必要な社会に変わってきているカトマンズである。
 主食の米の生産もままならず、市場から買うことが多くなっている。
 農地が減り、農民が農民でなくなってきた現在、内職なしでは生活も成り立たなく
 なっているのである。

 テレビ、冷蔵庫、プロパンガス、オートバイがカトマンズ近郊の村々にも入り始め、
 消費をあおり始めている。
 テレビのコマーシャルは 村人の欲望に火をつけていく。
 お金がなくては 欲望を満たすことが出来なくなりつつある。
 昔ながらの生活を脅かす贅沢な生活が 入り込み始め、村人の生活も忙しさを
 増してきている。
 傍目には穏やかな村の暮らしであるが、台所は火の車かもしれない。
 この頃では 月賦を利用しての購買も簡単に出来る。
 払えると思った金額も 何か起これば、借金に変わり、返金も出来なくなる。
 知らず知らずのうちに 危険を背負い込むことにもなっている。
 事が起こるたびに 村の女たちの仕事は増えていく。


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カトマンズ 街道を行く | 09:57:53 | Trackback(0) | Comments(0)
インドの布 ラジャスタン刺繍 壁掛け‐2
インドの布 ラジャスタン刺繍 壁掛け‐2 1

インドの布 ラジャスタン刺繍 壁掛け‐2 2
  幅 113cm x 高さ 73cm


 アンティークな刺繍を集めたパッチワークの壁掛け
 素晴らしい刺繍がこの壁掛けノン課に集まれば、
 それだけで 迫力が感じられる。
 同じパターンの刺繍をこれだけ集めるのは大変なことだ。

 この壁掛けは 20年近く前、ラジャスタンのバールメールから
 パキスタン、インド国境近くの村 チョータンに出かけ、手に入れた。
 そこのジェーン教徒の商人がおり、古いインド、パキスタン刺繍を集めては
 ラジャスタンの有名な観光地 ジャイプールにいる弟の店に送っていた。
 チョータンという名の村にある彼の家にも行ったが、
 日本人は 肉食好きの異教徒と思うのか、居心地はあまりよくなかった。

 このあたりでは金持ちなのか、村では珍しい自家用車を乗り回していた。
 きっとジャイプールの店で、観光客相手にしこたま儲けたのだろう。
 20年以上前にもなるが、日本人、ヨーロッパ人相手にかなりの商売を
 していたようだ。
 インド人特有の押しの強い商いの仕方だったことを今も覚えている。
 20年経った今でも、彼の強烈な性格が、彼の顔とともに思い出される。

 インドのジェーン教徒といえば、菜食主義者であり、生き物の殺傷を嫌う人たちで
 あったが、お金に関してはかなり執着する人たちのように感じた。
 しかし、金儲けに大しては かなり厳しく、その儲けをジェーン寺院に喜捨することも
 多いらしく、ラジャスタンにあるジェーン寺院は 大理石を使った豪奢なものが多かった。

 ラジャスタンは マルワリ商人のふるさとで、マエスリー、アガルワール、
 ジェーン教徒という三大マルワリ商人がいることを知ったのも ラジャスタンの
 砂漠の町 バールメールだった。

 身体にまとわりつくような砂埃、しょっぱい地下水、乾いた空気、
 気温45度を超える暑さ、民族服に身を固めた男や女たち、
 かなり、サバイバルなバールメールの滞在であったが、
 今では、懐かしい思い出になっている。
 快適ではない厳しい体験は、深く人の記憶の中に残るものである。


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インドの刺繍布 | 00:42:42 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 東京アール 遠田知子さんとインドサリー‐1
東京 東京アール 遠田知子さんとインドサリー‐1

 東京アールといっても ご存知ない方が大半だろう。
 東京アールというのは、アジアの布を使って服作りをしている遠田知子さんの
 会社の名前である。

 私が遠田知子さんと知り合ったのは 20年近く前になる。
 インドを旅しているときに出会った日本の若者が遠田さんと知り合いで 
 その紹介で知り合うことになった。
 遠田さんも自分の服作りにあったアジアの布を探しており、それではということで
 遠田さんの好みに合った布を探すことになったのである。

 遠田さんがどんな布を好み、どんな色を好むのか、どんな素材の布が遠田さんの服に
 合うのか、それがわかるまでには長い時間がかかった。
 それがわかって、タイ、インドと布探しに 歩き回って布を探しても、
 遠田さんの作る服は1点物で、同じものは必要ない。
 そのためにインドでは 数多くの店を回り、できるだけ多くのサリーを見る必要が
 あるが、量はいらないということになれば、なかなか安く仕入れることも難しかった。
 日本では 高級サリーを使って自分でデザインをして服作りをする人は少なく、
 遠田さんが気に入らなければ、そのまま在庫になってしまう。
 又、サリーの素材であるシーフォンシルク、ジョーゼット、クレープ、オーガンジなど  
 の布素材の縫製もなかなか大変である。
 そのテクニックに精通している人は 遠田さん以外にいないといっても嘘ではない。

 サリーの仕入れのために あるいはシルク布の仕入れのために 
 インド商人相手に交渉するのも大変だ。
 下手をすると 化学繊維のものをシルクと言って売りつけようとする。
 ライターを片手に シルクサリーの横糸と縦糸を少し切り取り、燃やしてみるのは
 必須のことだった。
 いろいろと商品を売りつけようと、棚から商品を出してくるが、それはインド人好みの
 物であって、日本人好みのものではない。
 私好みというより、遠田さん好みのものをイメージしなくてはならないので、
 ことは 余計に複雑なものになっていく。
 だから、店の中に入ると、自分で探してもいいかと断り、
 棚の中のサリーを勝手に探すことになる。
 その方が 時間がかからないのである。

 遠田さんが年 何回か個展、展示会を開いている。
 そのテーマは 『民族の美』である。
 展示会の案内状の中にある遠田さんの言葉を紹介すると

 ― 世界の民が創り出す布に魅せられて 創造的で遊びのある洋服を
   作りつづけております。―

 写真にある作品は ジョーゼットシルクのプリントサリーで作ったパンツスーツである。
 ジャケットは オーガンジシルクを使ったものである。

 遠田さんの大学での専攻は 彫刻である。
 服作りは立体裁断という方法で行うというのは、人間の身体にあった服という発想が
 基盤にあるからだろう。
 これから 少しずつ、遠田さんの仕事を紹介していきたいと思っている。

 遠田さんの連絡先は 民族の美 アトリエ
 〒167-0053 杉並区西荻南3-8-9 畠中ビル3F TEL03-3333-6498


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インド サリー | 20:50:00 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 元厚生事務次官宅連続殺傷事件に寄せて‐1
 今 世間を騒がせている元厚生事務次官宅連続殺傷事件についての新聞・テレビの
 報道を読んだり、見たりしても 判然としないコメントばかりで、事件の本質に
 迫るものは感じられない。
 それは 秋葉原無差別殺傷事件の反応と同じものを感じてしまう。

 今の日本は急激な2極化へと進みつつあるようだ。
 富むものと貧しいもの、正社員と派遣労働者、
 その違いが人々の生活を二分しているようにも思われる。
 パート、アルバイト、派遣社員という不安定な職に就き、未来の見えない
 不安定な生活をしていれば、誰だって、精神的におかしくなるのは当然である。
 人間は 動物であり、ロボットではないのである。

 合理的で効率のよい利潤追求ばかりを重要視する職場だけが
 一人歩きをしてしまえば、そこからはみ出してしまう人間が
 生まれてくることを避けることは出来ない。
 人間が変わってしまったのではなく、人間が適応していく社会が
 変わってしまっていることに人々は気がつかない。
 小さな変化の積み重ねは 人の感覚を麻痺してしまう。
 それでもそうした変化に適応できる人間は 幸いである。

 テレビの今回の事件の特別番組のコメンテーターといえば、
 皆 社会の変化にうまく適応できた人々の発言ばかりである。
 言い方をかえれば、上手く社会に適応できた成功者たちといってもよい。
 こういう人たちの発言と聞いていると、どうしてそんな凶悪な事件を起こすのか、
 理解できないというのが主流で、事件と引き起こした容疑者の周辺を見て、
 ああだ、こうだと勝手なことを言っているようにも思えてくる。

 そこには 職場を転々とし、ひとところに落ち着かず、近所との折り合いの悪い
 社会不適応者の姿が浮かび上がってくるだけである。
 すべてのパート、アルバイト、派遣社員といった社会の底辺で生きている人たちが
 このような犯罪を実行するわけではない。
 実行しなくても 心の中で思うということはあるだろう。
 殺人にしても お金、憎しみ、怒りが絡めば、普通の生活をしている人だって、
 「こいつ、殺してやりたい」「こんなやつ、死ねばいい」と思うことだってあるだろう。
 それは思うだけで 大半の人は 実行などはしない。
 憎しみや怒りの代償行為として、そう思うだけで持続するものではない。

 しかし、不安定な生活が持続していけば、人の精神状態、歯止めを促す理性の働きに
 狂いが生じてくるのは確かである。
 すべての人間が スーパーマンであるはずもないのだから。

 世の中、すべての人間が器用な人間、世渡りの上手な人間ばかりではない。
 一時代前は 多少の変わり者であっても 地域社会や職場では 余程のことがなければ、
 上手く受け入れてやっていくことが出来るだけのゆとりが あったはずである。
 どんな世の中でも 人間は同じではないのである。
 様々の人間を受け入れる社会、職場の寛容、受容の喪失が 
 こうした犯罪を生み出してきているよう思えてならない。

 日本という国で生活し、一人一人の心の中に何が起こっているのか、
 それを探る努力がない限り、今回の事件も いつの間にか忘れ去られ、
 忘れた頃に 又再び、次の事件が 世間を賑わすことになるだけである。


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徒然なるままに | 14:06:37 | Trackback(0) | Comments(2)
東京 染織ギャラリー 『TEORIYA』
東京 染織ギャラリー 『TEORIYA』

 今回 『アジアの布展 インド刺繍の世界』というテーマで開く展示会の会場となる
 ギャラリーTEORIYAとの付き合いは もうかれこれ20年になる。
 今回の展示会の前にも 2回ほどお世話になっている。

 TORIYAとの付き合いというより オーナーの多田米子さんとの付き合いといったほうが
 正しいだろう。
 委託で 布や服を預け、お世話にもなり、ネパール、インド、タイから日本に帰ると
 いつもお邪魔していたし、布知識を得るには格好の場所だった。
 多田さんは時間が許せば、日本の布の産地のみならず、アジアの国々、南米の布の産地を
 旅行し、その旺盛な知識欲にはいつも驚かされている。

 年齢も80歳を超えたようであるが、つい最近もミャンマーへ出かけ、
 現地の布の工房を見学してきたらしく、布に対する好奇心、知識欲は
 一向に衰える気配はない。
 売るための布の仕入れという気持ちは さらさらないらしく、
 布の産地を訪れるのも まったくの布に対する純粋な知識欲からだ。
 儲けようという気はさらさらなく、布の紹介、工芸の世界を 皆に広めていきたい
 という気持ちだけで ギャラリーを続けてこられたという人である。
 以前は 常設の織物も展示されていたが、今は催しの展示だけになってしまった。

 草木染、手紡ぎ、手織りの確かな技術もあり、今でも手紡ぎは日課の毎日である。
 80歳を過ぎても織物に対する情熱は衰えることもなく、がんばり続けておられる。

 今は 長年にわたって収集してきた布のコレクションの組織図を 専門家に
 解明してもらって、それを本にすることの手助けをしておられる。

 織物一筋に展示してきた東京では 稀有のギャラリー『TEORIYA』も
 多田さんの代で終わってしまうようだ。
 身体が元気なうちは 頑張りぬくという覚悟のようだが、
 とにかく 少しでも長く続けてもらいたいものである。

 多田さんにとっても 同じことだろうが、
 出会いからの20年という歳月は瞬く間に過ぎてしまった。
 まったく出会いというものは不思議なものである。


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徒然なるままに | 11:33:31 | Trackback(0) | Comments(0)
インドの布 ラジャスタン刺繍 壁掛け‐1
インドの布 ラジャスタン刺繍 壁掛け‐1 1

インドの布 ラジャスタン刺繍 壁掛け‐1 2
    横 120cm x 縦 73cm

 ラジャスタン 砂漠地方のアンティーク刺繍を集め、
 パッチワークで壁掛けにしたもの。
 もうこんな刺繍布は インドでは手に入らない。
 赤い糸の刺繍に飾られたミラーが
 きらきら輝いてきれいだ。


 ラジャスタンの刺繍の布を見るたびに、
 20年近く前の辺境の町にいる自分を思い出す。
 町の名前は バールメール
 泊まっていたところは、巡礼宿 セワ・サダン、
 そこ以外に泊まる場所はなかった。
 愛想の悪い高慢なブラーマン・カーストの支配人、
 その顔は今でもはっきり記憶している。

 食べていたのは、マトンカレーにタンドリーロティ、
 暑いラジャスタンの気候の中で かまどの前で
 黙々とロティを焼いていたおやじ
 水といえば、塩気を含んだしょっぱい水

 ターバンを巻き、ドーティをはいた男たち
 鮮やかな刺繍をしたブラウスを身に着け、
 アクセサリをジャラジャラとならす女たち

 パキスタンからやってきていたシイドゥのタバコ屋のおじさん
 チャイ屋できびきびと働く子供たち、
 そういえば、素焼きの模様入りの甕を路上で売っていたな。
 走馬灯のように一つ、一つの光景が蘇ってくる。

 ざらざらとしていて男らしい雰囲気のあふれていたバールメール
 又、行って見たいな。


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インドの刺繍布 | 00:53:33 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 『辻まこと』のこと‐1
東京 『辻まこと』のこと‐1 1

東京 『辻まこと』のこと‐1 2
    辻まことの芸術 宇佐美英治編  みすず書房より


 辻まことの書物を読むようになって、もう何年になるのだろう。
 もう30年以上になるはずだ。
 どういうきっかけで 彼の書物や絵に出合ったのか、思い出せない。
 本屋でふと手にしたときに 惹きつけられたのだろうか。

 3年間住むつもりで ネパールに初めて行った時にも 
 手放すことの出来ない書物だった。
 何かにつけて 彼の書物の中の一文は 心の支えになってくれた。

 彼の言葉の中にこんなものがある。

 ― 自然を抜け動物を抜け、人間を抜け、人を抜け、自分を抜けてみるまで、
   どんな権威の前にも立止らないようにしよう。 ―

 人間が自由であることの絶対条件がこの言葉の中にある。
 この言葉が彼の人生経験の中から導き出されてきたものであることがよくわかる。
 いつも自然とともにあった彼の感性は 既成の価値観から身を引き離し、
 世界を見つめようとする。

 アーナキスト辻潤と伊藤野枝を両親として持ち、10歳のとき、母親である伊藤野枝は 
 大杉栄とともに甘粕憲兵大尉に虐殺される。

 15歳のとき、父 辻潤とともに渡欧、1年間 パリに滞在。
 32歳のとき 天津にて現地召集を受け、陸軍に入隊して先頭に従事。
 その後は 山登り、挿絵、諷刺画文などを発表し、これを生涯続けた。
 自由人という言葉があるなら、まさに辻まことこそ 自由人だった。

 辻まことがなくなって 33年の歳月が流れた。
 世間の表に出ることなく、自由闊達に生きることを望んだ彼の生き方には
 野を駆ける風のようなさわやかさがある。

 自然人でありながら、深い知性を合わせ持った魅力的な人物であったことが
 彼の書物や絵から感じ取れる。

 ― 人を取除けてなお価値のあるものは、
   作品を取除けてなお価値のある人間によって
   作られるような気がする。―
 
 この言葉の意味を知るためには 彼の生きた軌跡を見つめることによって
 その深みを与えられるだろう。
 彼の生きる姿、それが一つの芸術であったような気がする。
 権威や既成の価値観を疑い、自分の生きる方向を探り出す姿勢、
 それは簡単なことではなく、苦痛を伴うものでもある。

 62年の人生を風のように吹き抜けていった辻まことの残したものは大きい。
 こんないい加減な時代だから、余計に彼の残したものに触れてもらいたいと思う。
 生きていくことのエッセンス、エスプリが散りばめられている彼の残した言葉は
 現代社会に対する警句としても古ぼけてはいない。


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徒然なるままに | 18:48:00 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 アメリカンドリームと世界金融危機
 アメリカの自動車大手3社(ビッグ3)首脳に対する19日のアメリカ下院金融委員会
 公聴会で、公的支援を求める立場の首脳らが一般の民間機ではなく自家用ジェット機で
 アメリカ連邦議会のあるワシントンに乗りつけた。
 最大大手ゼネラル・モーターズ(GM)のワゴナー会長の07年の報酬は1440万ドル
 (約13億7300万円)、フォード・モーターのムラリー社長は2170万ドル
 (約20億6900万円)と高額である。

 こんな話を読んで、驚き、あきれ果てる以外のなにものでもない。
 アメリカの大手企業の会長、社長、役員の報酬の額の大半はこれに似たものだろう。
 世界中からアメリカにお金を集め、こうした人間たちに贅沢な生活を与えるのが
 アメリカンドリームというのなら、まったくの詐欺である。

 アメリカ政府は米保険最大手アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)に対し、
 400億ドルの 公的資金を注入したが、その会社が 22万ドルを使って、リゾートで
 役員たちを呼んでのパーティを催したという話もある。

 自動車会社の労働者の年間の給料は 約4万ドル 会長、社長の給料はその三百倍から
 五百倍である。
 こんなクレージーな社会を作り出すのが アメリカンドリームというのなら、
 アメリカという社会は狂っているとしか考えられない。
 それが世界の経営者の手本であるとしたら、恐ろしいことである。
 プロの運動選手、シネマスター、シンガーの収入も
 アメリカンドリームの延長線上にある。
 一人の人間が何十億、何百億と独占する社会が正常であるとは思えない。
 人間が当たり前に生活するためには どれだけのお金が必要になるというのだろう。

 こうした人間たちの生活を支えるために お金に目がくらんだ外国の企業は 
 せっせと投資した結果が 今回の世界金融危機である。
 投資したお金はどこに消えたのか。
 どこかにその痕跡はあるはずである。
 原油価格は 最高値の3分の1近くなっている、
 それでは高値に至るまでに動いたお金はどこに行ったのだろう。
 ガソリン価格の高騰に泣いたのは誰だろう。
 それに伴う物価高、運送費、航空運賃の値上げに泣いたのは誰だろう。
 企業は石油の高騰に合わせて、値上げをしているから 懐は痛まない。
 賢く儲け、資産をしこたま増やした人間は必ずいるはずである。
 こうなると地球規模の詐欺としか考えられないではないか。

 アメリカの投資熱に翻弄されるように 投資した日本の金融機関、企業、個人投資家、
 飽くことを知らない人間の欲望の姿がそこにある。
 世の中に貢献することよりは 自分たちの欲望を満たすだけの醜い人間の姿が 
 そこにはあるだけである。
 バブル、バブル崩壊の経験をした日本の経済界も 再びアメリカのバブル崩壊に
 巻き込まれている。
 すべて欲望のなせる業である。
 そのたびに付けは一般庶民の下にやってくる。
 派遣社員、リストラ、経営者の倫理はどこに行ってしまったのだろう。
 お金とか儲けばかりが 一人歩きをして 共存しようという人間の理想は
 どこかに行ってしまっている。
 もうこうなると 世界は末期的である。
 こんな馬鹿げた世界が いつまで続くというのだろう。


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徒然なるままに | 11:46:56 | Trackback(0) | Comments(2)
インドの布 グジャラート カッチ刺繍 玄関の飾り‐1
インドの布 グジャラート カッチ刺繍 玄関の飾り‐1 1

インドの布 グジャラート カッチ刺繍 玄関の飾り‐1 2

インドの布 グジャラート カッチ刺繍 玄関の飾り‐1 3

 若い頃、マチスの色に惹かれたことがあった。
 特に、マチスの切り絵の色に新鮮さを感じた。
 そんな世界を、グジャラートのカッチ刺繍の色の世界を重ねた。
 インドの刺繍に惹かれたのもそんなことからかもしれない。

 ラジャスタンの砂漠地方といっても、
 我々日本人が思っている砂浜のイメージではない。
 荒地といったほうが近い。潅木と石ころの世界だ。
 吹き溜まりのところどころに 砂が集まっているだけである。
 ひとこぶ駱駝はいるけれど、歌にある『月の砂漠』のロマンティックな
 イメージの世界ではない。
 緑の少ない世界では、女たちの派手な刺繍が似合うのかもしれない。

 ラジャスタンの村では、泥作りの丸い家にも泊まったこともある。
 そこは ラジャスタンの勇士 ラージプートの家だった。
 日本で言う民宿である。
 熱い砂漠の気候の中では、夜は、ベッドを野外に出して寝る。
 日が落ちて、温度が下がってくると、
 1番早く、温度を下げていくのは大地だからだ。
 大地の温度が下がっていくと、風が出てくる。
 その風が、熱さに疲れた身体を癒してくれるのだ。
 しかし、風が強いと砂が舞い上がり、頭まで布をかぶって
 眠ることになる。

 朝夕にラージプートのたくましい老女のいれてくれた
 香辛料のたっぷり入ったラジャスタンのお茶が美味しかった。
 それを牛糞と泥で固めた床の上で飲む。
 電気などはない。日が暮れれば、寝るだけの生活だった。
 それでも退屈しなかったのはどういうわけだろう。


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インドの刺繍布 | 10:11:59 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 拡がる大麻汚染-4
 若者たちの間で 大麻(マリファナ)の使用が問題になり、世間を騒がせているが、
 麻薬、薬物に対する知識のないものにとっては 大変なことが起こっていると
 考えがちである。

 大麻(マリファナ)と他の薬物を同列に扱うことには 多少疑問を感じてしまう
 ところもある。
 ヘロイン、覚醒剤、LSD、コカインに比べると、身体や心に及ぼす影響は
 かなり軽いものである。
 私は別に大麻(マリファナ)擁護派でもないし、反対派でもない。
 ただ 正しい知識と情報を得たいと思っているだけである。

 ヨーロッパでもオランダあたりでは 許可を取れば、大麻の販売も許可されているし、
 インドで大麻使用者を逮捕するということになれば、インド政府も対応しきれない
 だろう。
 インドは宗教上の理由で 昔からアルコールに対する制限の厳しい国だった。
 そのため、インド人は 大麻を利用してリラックスする、リフレッシュする
 ということが当たり前のように行われていた。
 バングジュースと呼ばれる大麻の葉をつぶしたジュース、大麻入りのラッシー、
 大麻入りのミルク菓子、マリファナと民衆の間では習慣化していたし、
 宗教的に利用されることもあったようだ。

 ネパールでは シバラットリーというお祭りの際には パシュパティナートの
 寺院の前でサドゥたちが マリファナを参拝者たちに与えていた。
 インド人やネパール人たちが大麻を使用するからといって、大きな社会問題が
 起きたという話は聞いたことはない。

 ベトナム戦争時代にヒッピーたちがアメリカ、ヨーロッパに持ち込んできた頃から、
 社会問題になり始め、大麻に対する規制が起こり始め、大麻が世界の注目を集め
 始めたようである。
 その後。アメリカでもヨーロッパでも大麻の是非の論争が始まり、未だ解決を見て
 いない。
 その辺の論争については 『カナビス・スタディハウス』
   http://www.cannabis-studyhouse.com/index.html 
 を参照にすれば、そこで詳細に説明されている。
 このホームページを読む限り、大麻が アルコール以上に危険なものではないように
 思えてくる。
 大麻を吸って 障害、殺人事件を起こした話は聞かないし、交通事故を起こしたという
 話も聞かない。
 覚醒剤、ヘロイン、コカイン、LSD、覚醒剤などと同列に扱っていいものかと疑問も
 湧いてくる。

 科学的な根拠のもとに麻薬の仲間に入れられたというより、アメリカの影響によって
 大麻禁止の法律が加えられたようである。
 そのアメリカでも1972年3月に発表された米国大麻委員会の報告では

 1、カナビス(大麻)の個人的な所持と使用は合法。
 
 2、1オンス(27g)以上を公然と所持していた場合、およびカナビスを公然と
  使用した場合は没収または罰金。
 
 3、金銭を得ることを目的とした栽培、売買は従来通り重罪。

 ただ思うことは マスコミも極悪犯罪のように大麻汚染を取り上げるのではなく、
 もう少し 大麻の歴史的、科学的な方面からも報道してもらいたい。
 テレビの報道を見ても 面白半分という要素が強く、そこにはマスコミに必要な批判、
 批評の精神は感じられない。


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徒然なるままに | 18:20:25 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐55 タイの中学生
アジアの街角 1枚の写真から‐55 タイの中学生

 私が タイによく行き始めた1987年頃、バンコクでの滞在先といえば
 中華街の安ホテルだった。
 その頃、安ホテルの1階は食堂になっていて、そこでは小学校を出たばかりの
 子供たちが働いているのをよく見かけた。

 その頃のタイの中学へ進学率の統計を見てみると、全国平均で38%、貧しい地域と
 言われている東北部では、24%であったが、バンコクではその当時でも中学への
 進学率は96%にも達していた。
 現在は 中学への進学率は 90%近くまでなっているようだが、バンコクと地方との
 格差は未だにあるようだ。
 高校への進学率は 50%近くである。
 地方によっては20%以下だろう。
 お金にゆとりのない家庭の子供たちは 高校への進学も、大学への進学も
 かなり難しいというのが現実である。
 タイ人の人生の分岐点が 中学から高校への進学の有無で決まってしまうようだ。

 タイでは学歴の違いで 就職の機会、給料の違いがはっきりしてくる。
 同じ職種でも学歴によって 給料は違うし、昇進の速度も違う。
 これは日本でも同じであるが・・・。

 1970年代前後の日本のことを思い出してみると、今のタイと重なってくる。
 私の育ったのは田舎であったから、高校への進学率は 70%ぐらいだった。
 クラスの14,5人は就職組で 大阪を中心とした地方都市へと旅立っていった。
 職種といえば、工場や店員のような仕事が多かったのだろう。

 バンコクの中学卒業の給料は 月収6千バーツ強程度である。
 大きな企業であれば、寮などもあるかもしれないが、大半は住むところは自前である。
 食べるのが精一杯で 貯金も仕送りもほとんどできるはずもない。
 映画を見れば、70バーツ、1日の給料の3分の1がなくなる。
 15歳から30歳近くまで仕事を続けたとしても どれだけの昇給が期待されるの
 だろう。

 大学が集中しているバンコク市民には高学歴を得る機会もあるし、
 それに伴う財力もある。
 タイの短大、4年制大学卒は合わせて20%以下である。
 タイの東大のような存在のチューラコン大学の学生の顔を見ても、
 大半は 中国系タイ人である。

 どこに生まれるか、どんな家庭に生まれるかで その後の一生が決まるのが、
 発展途上国の現実である。

 タイはここ20年で大きな経済成長を果たしたが、その恩恵を受けているのは
 大学に進学させることの出来る財力を持っている家だけである。
 反政府運動の団体 連合(PAD)には そこがみえていない。
 どう見ても バンコク市民が 既存の利権を護るために運動しているとしか見えない。
 彼らの口から、貧富の格差、教育の機会均等の声は聞こえては来ない。
 未だに プー・ディー(特権階級)とプライ(庶民)との溝は埋まっていかない。
 地方農民が 我が子のために高教育を与えるのは至難の業である。
 頑張っても中学進学が精一杯である。
 中学を卒業すれば、出稼ぎに行くより道はないところに 
 生活水準の格差は生まれてくる。

 タイが手本にしている日本だが、この20年のあいだに 高学歴社会になった。
 果たして、日本国民の間の中で、貧富の格差は縮まり、
 人々は幸福になったのだろうか。


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アジアの街角 1枚の写真から | 14:53:02 | Trackback(0) | Comments(0)
インドの布 グジャラート カッチ刺繍のスカート
インドの布 グジャラート カッチ刺繍のスカート 1

インドの布 グジャラート カッチ刺繍のスカート 2

 自分の着るものは、自分で作るというのが
 おしゃれであるとしたら、このスカートこそ、
 おしゃれといえるだろう。
 刺繍を施すだけで、何ヶ月もかかるだろう。
 そうした姿は もう日本では 失われてしまった。
 あてがいぶちのファッションばかりで
 個性はもうどこかに行ってしまった。



 飛行機でデリー空港に降り立ち、イミグレーションの手続きを済ませると
 次は、荷物を受け取り、税申告なしの出口を目指すだけだ。
 この出口を出た途端に、インドとの裸の出会いが始まる。
 荷物が少なければ、ツーリストバスを利用しニューデリー駅に向かえばいいし、
 荷物があれば、プリペイドタクシーを利用すればよい。

 しかし、このプリペイドタクシーというのが曲者なのだ。
 支払いはカウンターで済ませ、タクシーに乗り込み、
 行き先を告げると、それからの対応によっては、大変なことになることもあるのだ。

 運転手は訊ねてくる。
 ホテルか決まっているか、どこに泊まるつもりか。
 いいホテルを知っているから案内してやる。

 その話に乗ったら、相手の思う壺である。
 訳のわからないホテルに行き、そのホテルは悪徳旅行会社と結びついている。
 ホテルの周りには外国人旅行者の姿もなく、
 デリーの情報を得ることも難しく、旅行会社の言いなりになってしまう。
 インドの物価もわからない旅行者は格好の餌食になり、
 高額な金額の旅行料金をせしめ取られることになる。

 4年ぐらい前、プリペイドタクシーに乗ったオーストラリアの女性が
 デリーの街の中心に行く途中の森の中で強姦され殺されるという事件があった。
 それ以来、デリー空港も神経質になり、空港の外の警備を強化している。
 訳のわからないインド人は、空港の敷地内には入れないようにしているようだ。

 一時期、日本の若い女性を騙す若者集団もあったようで、金銭を巻き上げ、
 薬物を飲ませ、強姦する手口で、日本女性の訴えで、逮捕されたという
 話も聞いた。

 しっかりしていないと、犯罪に巻き込まれる機会は山ほどある。
 しかし、日本の常識で対応している限り、問題は起こらない。
 外国への旅は 旅人の心を 開放するが、それと同時に地に足がつかなくなる。
 ちょっと親切にされたぐらいで、すぐに気を許してしまうところに
 問題があるのだ。

 空港からタクシーを利用する際には、嘘でもいいから、ホテルはもう予約している、
 パハールガンジの…ホテルへ行けとはっきり言えばいいのである。
 ガイドブックに載っている適当なホテルの名前を言えばいいし、
 パハールガンジのメインバザールにはホテルやゲストハウスが山ほどあるから、
 パハールガンジに着きさえすれば、どうにかなる。

 大切なことは、はっきり、「NO! 」と言えることである。
 笑いながら、言ってはならない。毅然として言わなければならない。
 インド旅行に行く前に鏡の前で、「NO! 」と毅然とはっきり言う練習を
 することを是非お勧めしたい。
 笑いながらの「NO! 」ではなく、鬼のような顔で。


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インドの刺繍布 | 08:00:00 | Trackback(0) | Comments(0)
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