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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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バンコク カトマンズぼけから抜け出せない
バンコク カトマンズぼけから抜け出せない 1

バンコク カトマンズぼけから抜け出せない 2

バンコク カトマンズぼけから抜け出せない 3

バンコク カトマンズぼけから抜け出せない 4

バンコク カトマンズぼけから抜け出せない 5

バンコク カトマンズぼけから抜け出せない 6

 バンコクに到着して 3日目になったが、カトマンズの残像が 頭や心の中を
 占領していて、なかなかバンコクの生活に適応できないようだ。
 1ヶ月と言うカトマンズ滞在は 私にとっては短いもので、その短い期間に
 インドラ・ザットラ、ダサインの祭りとあわただしい行事も多く、
 街中を歩き回ることも多かった。
 カトマンズの街中が車や人にあふれ、自転車を使わず、徒歩で歩き回ったせいか、
 カトマンズで精一杯に生きる人々の姿にも触れることが多く、濃厚なカトマンズの
 空間に身を置いていたという気すらしてくる。

 路上でたくましく商いをしながら、生き抜いている人々、五感を思い切り作動させて
 生きている子供たち、今回のカトマンズ滞在は カトマンズの底辺で生きている人々の
 姿に密着してみた。
 そのインパクトが大きすぎて、未だにその影響力から抜けきることが出来ずにいる。

 カトマンズの街が 2千年の歴史を持ち、その文化の蓄積、そこで生きる人々、
 そして神々、そうしたものが 混然としてカオスのような世界を作り上げている。
 政治の形態がどう変化しようとも、簡単には影響を受けない世界だ。

 街でありながら、村的な世界も併せ持っている不思議な町である。
 カトマンズの先住民族 ネワール族の住む地域に行くと、何百年も前から
 続いてきた共同体のシステムが未だに残っている。
 カトマンズをネワール族から奪い取ったゴルカからの征服者 ゴルカ王朝の歴代の
 王たちもこのネワール族の強固な共同体を打ち壊すことは出来なかった。

 そんなカトマンズの街に 水道も電気もない村から 怒涛のような勢いで村人たちが
 カトマンズの街の中に 村の生活を持ち込んでくる。
 今、カトマンズの街のダイナミズムは エネルギーにあふれている。
 芋を洗うような人、人、人のカトマンズだ。
 街も川も大気も ゴミと人の排出物であふれ、狭いカトマンズ盆地は 
 人でどんどん膨れ上がっている。
 どうもその毒気にやられてしまったようだ。

 人間がその生地のままで生きているカトマンズからやってくると、
 バンコクの魅力も半減してしまう。
 日本が人間のダイナミズムを失ってきたように、バンコクも同じような経過を
 辿っている。
 人間の生の顔が見えなくなってきているのである。
 バンコクという街は もともと強固な共同体のないばらばらの世界だ。
 あえて共同体があるというなら、中国人社会とイスラム教徒集落、キリスト教徒集落
 くらいのものである。

 1932年の立憲革命までは バンコクは 王族と中国人、官僚たち、軍人、
 ラオス、カンボジア、パッタニー王国の戦争捕虜たちの住む街だった。
 立憲革命以後 人々の村からの移動の自由が許され、多くの人々がバンコクに
 入り込んでくるようになる。
 人々はてんでばらばらに入り込んでくるから、共同体など成り立ちようはない。
 それだけ、バンコクの人間関係は希薄なものだといえる。

 そういう社会にカトマンズからやってくると、何か物足りないのである。
 文化の持つ深みのようなものに欠けているそんな風にも感じられてしまう。
 カトマンズの2千年、バンコクの2百年、その歴史の重さの違いは大きい。
 その中で養われた人間関係は 濃厚で魅力的であり、興味は尽きない。


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徒然なるままに | 18:19:55 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク モダン・シティライフ
バンコク モダン・シティライフ 1

バンコク モダン・シティライフ 2

バンコク モダン・シティライフ 3

バンコク モダン・シティライフ 4

バンコク モダン・シティライフ 5

バンコク モダン・シティライフ 6

バンコク モダン・シティライフ 7

バンコク モダン・シティライフ 8

バンコク モダン・シティライフ 9

バンコク モダン・シティライフ 10

 今 サイアム・スクウェアといえば バンコクの中でモダンなシティライフを
 代表する場所である。
 BTS高架鉄道の二つの路線が交差するサイアム駅があり、ディスカバリー・センター、
 昔からのサイアムカフェ、その隣には 高級デパート パラゴンがある。

 東急MBKセンターを出発点にして、ラーマ1世道路をスクムビット方面に向かって
 歩いてみた。
 ディスカバリー・センターを見上げていると BTSの高架鉄道を2台の電車が
 走っていく。
 ディスカバリー・センターのそばの階段を下りて、ディスカバリー・センターの横を
 歩いていると、前をタイの女の子と手をつなぎながら、日本の若者が歩いていく。
 大丈夫ですかと少し心配にもなる。

 サイアムカフェを通り過ぎ、高級デパート パラゴン脇の階段を上って、パラゴンの
 2階のフロアに行く。
 デパートの2階フロアの周辺も余裕持って造られており、如何にもお金がかかって
 いますという感じだ。
 タイは 本当にこんなことでいいのかと不安も感じる。
 一部の人間に 富が集中している。
 バンコクのシティライフと地方の格差が 予想以上に開いているのではと感じてしまう。

 パラゴンの中を抜け、スクムビット方面側の出口に向かう。
 そこから、そごうデパートの先まで遊歩道が作られている。
 その遊歩道を歩くと、大きくなったワールド・トレード・センターの横を抜け、
 そごうデパートまで至る。
 この一帯は 一大消費センターになっている。
 この消費センターの建物も 出稼ぎの東北タイ農民の安い労働によって建てられたものだ。
 東北タイの出稼ぎ農民なしにどんな建築現場も成り立たない。

 この遊歩道を歩いている人たちの服装を見ても、ファッショナブルであり、
 如何にも中産階級以上といった様子だ。
 20年という月日の流れは すっかりバンコクを変えてしまい、驚きよりも
 溜め息の方が出てきてしまう。
 ここだけ見るなら、東京よりもモダンに見えてしまう。
 こんな状態が このタイで本当に続いていくのだろうか。
 どこかに落とし穴が あるように思えてならない。
 その一つの兆候が バンコクの政治的な混乱ではないかとも感じられる。

 すべての富をバンコクに集め、繁栄してきたバンコク、
 その影で地方農民は苦しい生活強いられている。
 バンコクにやってきている出稼ぎ農民とバンコク市民との生活の格差、
 バンコク市民は そのことに 眼を向けようとはしない。
 今回の政治的混乱が解決しないのも 自分たちの利権、富を護ろうとしているバンコク 
 の昔ながらの中国人を中心とした市民たちのわがままのようにしか見えない。

 このサイアム・スクウェア周辺の一大消費センターを見ていると、そんな思いになる。
 どう見ても こんな状態が普通であるとは思えない。

 そんな思いに駆られながら、やって来た道を帰ってくると、一本の樹が紅葉を
 迎えていた。
 紅葉なのか、排気ガスにやられたのか、こんな暑いバンコクでも紅葉があるのかと
 不思議な気持ちになった。


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バンコク ある風景 | 12:36:35 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐49 ある楽師
アジアの街角 1枚の写真から‐49 ある楽師

 ネパールのカトマンズに行ったことのある人なら、眼にしたこともあるだろう。
 ネパールの結婚のシーズンになると、街中で行われる結婚式のパレードを。
 赤い服を着た楽団を先頭に この日のために飾り付けられた花嫁・花婿を乗せた自動車、
 その後ろには大勢の親戚・縁者が 続いていく。

 その先頭で賑やかに楽器を打ち鳴らす楽団、その事務所をカトマンズの裏通りで
 見つけた。
 カトマンズの裏通りを散策していると、壊れかけている古い寺院を見かけた。
 近くにいたネパール人のおばさんたちに 何の神様を祭ってある寺なのかと
 訊いていると 一人の男がその会話を聞きつけ、暇つぶしに 会話に加わってきた。
 きちんとワイシャツとスラックスをはいた男である。

 何の仕事をしているのかと尋ねると 近くの建物にある事務所を指差す。
 彼と一緒にその事務所まで行ってみると 事務所の中には 多くの楽器が
 並べられている。
 結婚式の際に ネパール人がパレードに使う楽団の事務所だった。

 彼のネパールでのカーストは ダマイと呼ばれるカーストである。
 本来は 縫製の仕事を生業とするカーストであり、ヒンズー教の四つのカースト
 ブラーマン(僧侶)、クシャトリア(武士・戦士)、バイシャ(商人)、スードラ(職人)
 の中で、最下層に当たるスードラ・カーストにあたり、ネパールでは ダリットと
 言われている。
 カトマンズでは カーストに対する意識・掟は 随分ゆるくなってきているが、
 カトマンズを離れ、村に行くと昔ながらの掟がいまだに残っている。
 一緒に食事はしない、彼らの触った水は飲まない、家の中に入れない。
 彼らの持つ宗教的な穢れを嫌うためである。
 ダマイ(縫製)、サルキ(皮加工職人)、カサイ(動物の屠殺)、カミ(鉄職人)、
 チャミ・ポーレ(掃除人)などがいる。

 その中のダマイというカーストは 縫製とハレの際の楽団と言う二つの役割を
 持っている。
 結婚式の楽団として呼ばれると、1日につき一人当たり千ルピー(1600円)ぐらいに
 なるようだ。
 しかし、仕事は毎日あるわけではない。
 普段は ダマイと言われ、蔑まれている彼らであるが、結婚式と言うハレの舞台では
 彼らはパレードの先頭に立ち、一番目立つ存在になる。
 音楽的に言えば、それほどのテクニックは持たないが、太鼓、トランペット、
 クラリネット、トロンボーンと派手な音楽を 当たり一帯に吹き鳴らす。
 普段の憂さを晴らすように。

 昔、カトマンズ近郊の村に住んでいた頃、近所の子供たちが 何人かよく遊びに
 来ていた。
 その中に プルナという名のダマイ・カーストの子供がいた。
 素直ないい子であったが、遊び仲間の中に上級カーストの子供がいると
 その子供たちから、ダマイ、ダマイと馬鹿にされることもあった。
 その村はネワール族の村であったから、農民カーストのマハルザンの子供たちとは
 わけ隔てなく遊んでいたが、上級カーストのシュレスタの子供たちの中には
 強い差別意識があったようだ。

 何ヶ月か前に この村に行ってみたが プルナの家族が住んでいた家の近くを
 通ったが、その家は跡形もなく、なくなってしまっていた。
 彼の父親には、何枚かシャツを縫ってもらった。
 そのプルナも 今では、30過ぎになっているだろう。
 どこかの楽団でラッパを吹いているのだろうか、それとも、父親の後を継いで
 服をぬっているのだろうか。


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アジアの街角 1枚の写真から | 00:48:37 | Trackback(0) | Comments(0)