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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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バンコク カトマンズライフからバンコクライフへ
バンコク カトマンズライフからバンコクライフへ 1

バンコク カトマンズライフからバンコクライフへ 2

バンコク カトマンズライフからバンコクライフへ 3

バンコク カトマンズライフからバンコクライフへ 4

 カトマンズから運んできた重い荷物を抱えて、アパートの自分の部屋に向かう。
 1ヶ月ぶりにドアを開け、部屋に入る。
 むっとするような黴臭い匂いは いつものことである。
 荷物を置き、窓を開け、空気の入れ換えをし、汗だくだくになった服を着替える。

 大急ぎで日本円を出し、近所の両替屋へと向かう。
 今日の日本円は 99円台、100円を切っている。
 1万円で タイバーツ 3450バーツだった。
 日本円が上がり、少しでも多くのタイバーツがもらえるのは嬉しいことだ。
 ひどいときは 百円で28バーツしか両替できない時期もあった。

 両替をした帰りに、先ほど通り過ぎた東北タイの牛肉入り麺 カオ・ラーオの屋台に
 よる。
 いつものおばさんが 疲れ果てたような顔をしている。
 そろそろ店じまいのようだ。
 私の好きな牛筋の煮込み部分はもう残っていない。
 それでも懐かしい味なので注文する。
 バンコクについてから、初めて口にするタイの味である。
 25バーツで味わえるタイの味覚、東北タイ イサンのロイエットからやってきている
 おばさんのイサンの味だ。

 帰りがけにいつも利用する旅行社で日本までの一番安いチケットについて尋ねる。
 東京直通では、ノースウェスト航空が安いようだ。
 ユナイテッド航空も1ヶ月オープンなら安いが、今回は日本滞在が1ヶ月以上に
 なるので利用できない。
 ノースウェスト航空の場合は 1年オープン、21700バーツである。
 前回より2千バーツ以上の値上がりである。
 カオサンあたりの旅行社でも調べてみる必要がある。

 再び、部屋に帰り、やっとのんびりした気持ちになれた。
 バンコクでの生活は 水・電気と24時間供給、インターネットはADSLが
 当然のことで、便利は便利であるが、便利さゆえに何も引っかかるものがないのだ。
 カトマンズであれば、水のこと、計画停電のことを考えて、1日の計画を立てる必要がある。
 それが、脳味噌に適度の緊張感を与えてくれていた。
 不便な生活であったが、生活を工夫して生きているという実感もあった。
 そんな中で人々が、生き生きと生き抜いている姿を眼にすることも多かった。
 そんなカトマンズ庶民の姿を眺めていることは 楽しみの一つだった。

 バンコクという都会のど真ん中にいると、便利さばかりが目立ち、
 人間の姿が霞んできてしまう。
 自分の中にある野生のようなものが そぎ落とされていくような気にもなってしまう。
 人間が生きている姿を生で見る魅力は カトマンズには敵わないようだ。
 年々バンコクに対する魅力が失われていくのがわかる。
 ひたすら、日本の都市ライフに近づいているバンコク、
 だんだんと素っ気ない街になっていっている。
 私にとっては、心を震わせるようなものが少なくなっている。
 
 今の日本の旅行者は 日本と同じものをバンコクに見つけては喜んでいる。
 私は、日本にないもの、日本では失われてしまった世界をバンコクの中で見つけては
 喜んでいる。
 おかしな性分である。



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徒然なるままに | 19:06:11 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク カトマンズからバンコクへ‐3
バンコク カトマンズからバンコクへ‐3 1

バンコク カトマンズからバンコクへ‐3 2

バンコク カトマンズからバンコクへ‐3 3

バンコク カトマンズからバンコクへ‐3 4

 イミグレションを出て 3階の到着フロアから1階下のフロアへと向かう。
 そのフロアを出たところに バンコク市内に向かうエアポート・バス乗り場がある。
 私の住んでいるとところまでだと パブリック・タクシーを使えば、
 メーター料金+手数料50バーツ、それに高速料金 スムーズに行っても
 350バーツ近くにかかる。
 昼間なら、荷物が少なく、場所さえわかっていれば エアポート・バスで充分だ。
 目的地近くまで運んでくれて150バーツである。
 冷房もあるし、荷物置場もついている。
 もっと節約するつもりなら、空港からシャッフルバスを利用して ローカルバス・
 ターミナルまで行き、そこからバンコク市内に向かう公共バスに乗れば、
 安上がりである。
 荷物が多い場合は、ちょっと無理である。

 私の場合、中型の旅行用カバンに23キロ、小型のリュックの5,6キロ、
 合わせて30キロ近くの荷がある。
 パブリック・タクシーを利用すれば、楽であるが、近頃は節約に心がけている。
 200バーツの節約になる。
 バンコク市内へのエアポート・バスには 目的地に合わせて4種類ある。
 バスの車体には AE1、AE2,AE3,AE4と書かれている。
 私の場合は MBKセンター方面行きだから、AE4である。
 バンコクのバックパッカーの溜り場 カオサン・ロード方面はAE2のようだ。
 AE4方面に向かうバスは いつも最後にやってくる。

 その間、近くに設置された椅子の近くで一服していると、すぐそばに 
 骨折でもしたのか、片手を肩からの紐で吊り下げている外国人旅行者がいる。
 「国はどこか」と訊くと、スペインだと答える。
 「私は日本人で、今日 カトマンズからバンコクへやってきた」と言うと
 「自分もそうだ」と応える。
 トレッキングでもして怪我をしたのだろうと思って、怪我について尋ねると、
 そうではなく、カトマンズの計画停電の闇の中で、事故にあったようだ。
 暗闇の中で自転車にぶつかったか、道のところどころにある穴にでもつまずいて
 転んだのだろうか。
 カトマンズでなら、ありうる話である。

 AE4と書かれたバスがやってくる。
 そのバスに乗り込むと 乗客は私を含めて、二人だけである。
 あとで乗り込んでくるだろうと待っていたが、20人乗りのバスに乗客は
 二人だけだった。
 これでは、ガソリン代、高速料金にもならないだろう。
 オランダから初めてタイにやってきたというオランダ人女性と私だけだ。
 大半のバックパッカーは AE2のバスで カオサンを目指すのに フアランポン駅
 に向かうと言う。
 宿はまだ決めていないようだった。
 少しアドバイスをしたが、私のほうも30キロ近い荷を抱えているので、
 どこで降ろしてもらおうかと思案中、MBKセンターの前で降りれば、荷物を抱えて、
 階段の上り下りがあるしと いろいろと考える。
 
 バスは バンコク市内に入っていく。
 少し 小奇麗になったバンコクの最大のスラム クロントーイの横を抜けて 
 バスは走っていく。
 ラーマ4世道路を横切り、スクムビット道路を横切り、ペチャプリ道路へと左折して
 入っていく。
 そして、パヤタイ道路へと入り、MBKセンターも間近に迫り、
 右手には 私の住んでいるアパートも見えてくる。

 ディスカバリー・センターの手前で下ろしてもらい、重い荷を引きながら、
 サンセーブ運河に架かるフア・チャン橋の下を潜る。
 道は悪いが、この方法だとアパートまで 階段を上る必要はない。
 フア・チャン橋の下を潜り、いつも私が惣菜を買ったり、東北タイ風麺を食べる一角を
 通り過ぎていくと、惣菜屋の親父から 「外国から帰ってきたのか」と声がかかる。
 向こうでは、いつものように カオ・ラーオという東北タイ風麺を作るおばさんの
 屋台が見える。
 やっと、我が巣に帰ってきたという実感が湧いてきた。


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徒然なるままに | 11:25:56 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐48 パッタニーから来た男
アジアの街角 1枚の写真から‐48 パッタニーから来た男

 バンコクの中心部を流れる運河 セン・セーブ運河を走る水上バスの停船する場所に 
 ボーベーという街がある。
 インドのボンベイをもじって名付けられたという。
 インドのボンベイも 一時期 外国輸出向けの衣料品マーケットとして
 名をはせたことがある。
 このボーベーも 同じようにバンコクの中では プラトーナムと並んで名高い衣料品を
 売る卸売りマーケットである。

 このボーベーで水上バスを降りると、運河の向こう岸に イスラム教のモスクが見えた。
 運河にかかる小さな橋を越えて、そのモスクのあるところに行ってみた。
 このモスクの周辺は イスラム教徒の集落だった。
 集落の中は 迷路のように入り組んでいるが、いわゆるスラムと違って、
 危険な感じはしない。
 このイスラム教徒の集落の人々は 古い昔、今から200年近く前、
 当時のパッタニー王国から戦争捕虜としてつれてこられた人々の子孫だといわれている。
 スコタイ、アユタヤ王朝時代から、当時のシャムの支配下にあったが、その支配から
 脱するための反乱のたびに敗れ、パッタニー王国から多くの人々が 戦争捕虜として
 バンコクに連れてこられ、戦争奴隷として バンコクの街づくりに従事させられた。
 この集落の横を流れるセン・セーブ運河も彼らの手によって造られた。

 この集落の中を歩き回っていると、集落の中には イスラム教の墓地もある。
 大半はこの集落で亡くなった人たちが埋葬されるのであるが、異国からやってきて
 このバンコクの地で不慮の死を遂げた外国人も埋葬されることもあるらしい。

 そんな話をこの集落の住民であるイスラム教徒の男から聞いた。
 なかなか 堂々としていた男だった。
 バンコクにあるヨルダン大使館に勤めていたが、今は退職してのんびりと過ごしている。
 彼の祖先は マレーシアのクランタン州である。
 パッタニー王国は 当時 タイ側とマレーシア側に領土を持っていた。
 それが、タイとイギリスとの交渉の折に タイ側とマレーシア側に分断されてしまったのである。
 14世紀から19世紀までは パッタニーはインドネシアのアチャと並んで
 南シナ海貿易の中心的な港であった。
 中国人、琉球、日本、そしてインドのイスラム教徒もこの地には多くやって来た。
 パッタニー王国の前身であるランカスカ王国の時代には イスラム教ではなく、
 ヒンズー教が信仰されていたというから、インドとの深いかかわりがあったに違いない。

 この男の顔を見ながら、その顔つきに 西方の血の流れを感じてしまう。
 どこかアーリア系人種の血が流れているようにも感じられる。
 中国人でもなければ、タイ人でもない雰囲気が 男の風貌にはある。
 古い時代に東南アジア貿易を支配したコスモポリタンなパッタニー王国の血が
 彼の身体には綿々と流れ続けているような気がする。
 不思議なものである。


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アジアの街角 1枚の写真から | 04:57:16 | Trackback(0) | Comments(2)