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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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カトマンズ ダサインの日の散策
カトマンズ ダサインの日の散策 1

カトマンズ ダサインの日の散策 2

カトマンズ ダサインの日の散策 3

カトマンズ ダサインの日の散策 4

カトマンズ ダサインの日の散策 5

カトマンズ ダサインの日の散策 

 今週に入り、官庁も会社、工場も休みに入ったせいか、計画停電がなくなっている。
 60万人とも、70万人とも言われる人々も カトマンズを離れて郷里に向かった
 そうだから、カトマンズ盆地の電力消費量がかなり減ったためだろう。
 今週は停電に悩まされることはなさそうである。

 近所に住む人たちも1週間という休みということで、のんびり過ごしている様子である。
 表通りからちょっと路地に入った家の玄関では、一匹の犬が気持ちよさそうに寝ている。
 家の犬にもダサインの祝いをと 家の子供たちが ちょっといたずらでもしたのだろうか、
 赤頭巾の狼のように頭に布を巻いているが、気にもせず、眠り込んでいる。

 表通りといえば、どこもかしこも ラングルブルザというさいころを使った賭博である。
 この時期の賭博は政府公認だから、人々は大いに賭博を楽しんでいる。
 普段は 家の中で 知り合い同士でトランプ賭博を楽しんでいるようだが、ダサインの
 祭りには、小うるさい女房も文句は言わないのだろう。

 路上のさいころ賭博も 子供は5ルピー、10ルピー単位で遊んでいるが、
 大人の中には百ルピー札を賭けて遊んでいるから、負ける人間の額は
 かなりのものになるだろう。
 他人の懐のことを心配しても仕方がないので、どんどん歩いて行き、
 バグマティ橋の近くにあるタマン族が集まって住んでいる建物の前に行くと、
 子供たちがトランプ遊びを楽しんでいる。
 建物の中では大人たちがトランプ賭博に熱中している姿を見て、
 それではと子供たちも始めたのだろう。
 お金はかけておらず、ただのトランプ遊びのようだった。

 ここを抜けるとバグマティ川沿いの道に入る。
 川沿いに歩き始めると、向こう岸にビニール張りのバラックの建ち並ぶスラムが見える。
 スラムの中の学校の前の広場には ダサイン名物のブランコ ピンが備え付けられ、
 スラムの子供たちが、ブランコ遊びを楽しんでいる。
 この前このスラムに行った時に、ピンは作らないのかと尋ねた時、
 スラムの委員会の若者が 作らなくては言っていたのが実現されたようだ。
 スラムの中に入ってみようかと思ったが、今日は体調が悪い。
 いつもスラムの中に入って行くには、ある種の心の緊張感が必要だ。
 体調はよくないときには スラムの雰囲気に負けてしまう。自然体を保てないのである。
 こんな時には、スラムに入って行かないほうがいい。
 やはり、エネルギーがいるのである。

 バグマティ橋の下を潜り、川辺の市場まで歩いてくると、
 ここでもさいころ賭博が行われている。
 ここでは、女たちが中心になって遊んでいる。
 普段はこの市場で野菜や肉を売っているたくましい女たちだ。
 男並みの生活力のある女たちである。
 男たちほど大きなお金はかけていないようだが、目一杯ダサインの賭博を楽しんでいる。
 女たちの遊びの方が 男たちのものより 余程生き生きしているようにも思えた。

 川沿いの道では 男の子たちが 飽きもせず、凧揚げに夢中だ。
 凧合戦で糸を切られて落ちいく凧を求めて走り回っている。
 高々2ルピーの凧であるが、手に入れることが楽しみなのだ。

 カトマンズも10月中旬近くなると、夕方になると冷え込んでくる。
 先日降った雨で、季節は確実に秋へと向かっている。
 日中の陽射しは相変わらず強いが、部屋の中に入るとひんやりしている。
 日が落ちると 長袖がそろそろ必要になってきている。
 気候としては 絶好の季節の始まりである。


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徒然なるままに | 16:28:58 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ ネワール族の初七日
カトマンズ ネワール族の初七日 1

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カトマンズ ネワール族の初七日 6

カトマンズ ネワール族の初七日 7

カトマンズ ネワール族の初七日 8

 秋晴れのダサインの祭りの中、バグマティ川にかかる黒い鉄製の吊橋のすぐそばの
 川辺のシバ寺院を歩き回ってみた。
 
 シバ寺院のすぐ近くの沐浴場の上の四角い石造りの休憩所で、4,5人の女たちが 
 何やら料理を作っている。
 カトマンズの寺院の近くでは よく見かける風景で礼拝のようでもある。
 しかし、礼拝のための僧侶はいない。

 近づいて行き、訳を訊くと 7日前に亡くなった母親のための供養を行っていると言う。
 彼らは ネワール族の中のカーランジットというカーストに属する。
 元々は 糸を染めることを仕事にしていたようだが、マッラ王朝時代には、王の占い、
 礼拝にも係わるようになり、マハブラーマンとも呼ばれるようになったカーストの
 人たちだ。

 このネワール族のカーストの人々は 母親が亡くなってから7日目に母親のための
 供養を行う。
 そこで母親の好きだった食べ物を用意し、亡き母親にご馳走するのである。
 子供のうち、結婚した娘たちが集まり、その中でも一番下の娘が 中心になって行う。
 彼女たちは5人の姉妹であるが、末っ子は結婚していないために参加できない。

 父親が亡くなった時にも同じ供養をするが、そのときには結婚している一番上の娘が
 中心になって行う。

 父親が亡くなれば、一年間 ダヒと呼ばれるヨーグルトを食べることはできないし、
 母親がなくなれば、一年間牛乳を飲むことはできない。
 ネパールのミルクティは一年間お預けである。

 今回の母親の供養の中心が 年の若い娘のため、供養の儀式の流れがわからず、
 一番年上の娘の指示に従って、行っている。
 一番年上の娘は父親が亡くなったときに同じ体験をしているから、要領はわかる。
 そのときには 親戚の年長者の女性が 手順を教えてくれたと言うことだ。
 下の娘は その間、口を利いてはならないし、他のものはその娘に触ってはならない。
 下の娘が 巫女の役割を担い、母親を呼び寄せる役目なのだろうか。

 私がネワール族の文化に興味があるというと、最後まで見ていけと言う。
 昔は 64ロプニの農地があったが、50年前のマヘンドラ王の時代に半分の農地を
 取り上げられてしまったこと、マハブラーマンとも呼ばれ、ネワール族の中でも
 高いカーストであること、母親は82歳でなくなり、亡くなる1週間前までは、
 元気で強健だったことなどを話してくれる。

 母親への供養ための料理が整うと、今度はすぐ近くにある丸い石造りの休憩所へと
 料理を運び、一番下の娘が きれいに並べて、亡き母親のための供養は終了する。

 すべての料理を並べ終えれば、したの娘も普通の娘に戻り、口を利くことも触ることも
 許される。
 その途端に そこに集まっていた四人の娘たちは 号泣し始める。
 それも儀式の流れに組み込まれているようだ。

 供養のための食べ物は、近くの犬たちにも与えられ、
 母親のために用意した食べものや衣類は 少額のお金とともに 
 呼ばれたカーストの低いものたちに与えられる。
 この日は 三人の低カーストの人たちが呼ばれていた。

 供養が済んだあと、家に帰るまで後ろを振り向いてはならない。
 名残惜しさを示すと、なくなった母親が再び、家に戻ってきてしまうからだ。
 母親は浄土に行けず、天と地の間を彷徨うことになる。

 彼女たちにお礼を言い、号泣する彼女たちを後に残し、家路へと向かった。


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カトマンズ ネワールの街と文化 | 10:09:50 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐43 若者
アジアの街角 1枚の写真から‐43 若者

 チャオプラヤ川の川向こうのトンブリ地区は、バンコクの下町の姿を
 色濃く残す場所だ。
 大きな川がバンコクを東と西に分け、バンコクの中心部を持つ東側が どんどん
 発展していくのとは反対に トンブリ地区は開発が遅れている。
 それが昔ながらのバンコクの風情を残す結果になっている。

 チャオプラヤ川によって隔てられた、バンコクの東側と西側にかかるサファン・プット
 ブッダ橋を渡ると、トンブリ地区に入っていく。
 ウォンウェイヤイに向かう大通りを歩いていくと、50年も前のバンコクが、
 そのまま 残っているような木造家屋の建ち並ぶ小さな通りがある。
 その通りの途中に、木造の古めかしい一杯飯屋を見かけた。
 そこで、二人の若者が、遅めの昼食を取っている。

 そんな二人の姿を見ながら、自分の若い頃と重ねてみる。
 1970年代後半の東京、田舎から東京に出てきて、4畳半のアパートに住み、
 昼間は学食、夜は安い定食屋というのが、食生活の中心だった。
 風呂は銭湯というのが当たり前だった。
 遊ぶような余分なお金もなく、出来ることといえば、ジャズ喫茶で友人たちと駄弁るか、
 たまに安い飲み屋で安酒を飲むぐらいのものだった。
 だからといって、その生活が惨めだったとは思わなかった。
 それが当たり前だと思っていた。
 当時の若者といえば、みんなそんなもので、働いているものも学生も大差はなかった。

 チャオプラヤ川をはさんで 東と西側に分かれるバンコク、西側のトンブリ地区は
 庶民の街であり、肉体労働者が主に集まる場所だ。
 村から出稼ぎにやってきた人たちは、物価も家賃も安いトンブリ地区に住みつく。
 仕事が、トンブリ地区にあるならわざわざ、贅沢な消費への欲望をそそるバンコクの
 東側に行くこともない。
 タイの東大といわれるチューラコン大学のあるサイアム・スクウェアーあたりに
 行けば、あまりの生活の格差に驚き、自分の生活の惨めさに気がつくだけだ。

 最低賃金 日当210バーツの生活では、フラストレーションは溜まる一方だ。
 オートバイを使ったひったくり、ドラッグの密売、銀行強盗、強盗と、若者の
 犯罪が、バンコクでも多発している。
 お金中心社会を作り出してきた大人たちへの反逆である。

 タイのマフィア上がりの政治家たち、中国系タイ人が優先される社会、
 利権も富みも上層階級に集中していく。

 物価は上がり、最低賃金で働く若者たちの生活を圧迫している。
 追い詰められた若者たちの行き着くところは、どこだろう。
 アジアの各国の都市では同じような問題を抱えている。
 日本でも 簡単な方法でお金を得ようとする犯罪は増加の一方だ。
 自分の未来が見えてこなければ、今さえ楽しければいいという短絡的な発想が
 生まれてくる。
 こんな社会を作り出したのは、彼らの上の世代だが、しわ寄せは、若者たちの
 ところにやってくる。
 大人たちの無責任、無関心が蔓延する都市では、若者の無定形な反抗は
 増え続けていく。


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アジアの街角 1枚の写真から | 00:17:16 | Trackback(0) | Comments(0)