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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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カトマンズ ダサインの風景‐4 子供たち
カトマンズ ダサインの風景‐4 子供たち 1

カトマンズ ダサインの風景‐4 子供たち 2

カトマンズ ダサインの風景‐4 子供たち 3

カトマンズ ダサインの風景‐4 子供たち 4

カトマンズ ダサインの風景‐4 子供たち 5

カトマンズ ダサインの風景‐4 子供たち 6

 ダサインの祭りが近づき、そしてダサインの祭りの15日間に入ると、
 子供たちは 凧揚げを競うようになる。
 凧揚げは、本来 天にいる天候を司る神インドラに もう雨はいらないと伝えるための
 ものであり、稲の刈り取り、乾燥を願う農民たちの祈りをこめてのものだったが、
 今の子供たちは、もうそのことを知らない。
 凧揚げの季節になると 子供たちは ガラスを粉々に砕き、糊の中にそれを入れ、
 タコ糸に塗りつけ、凧同士の戦いになった時に、相手の糸を切りやすくする。
 相手の糸を切ったほうが勝ちである。
 糸の切れた凧が ふわふわと地上に落ち始めると、子供たちは その凧を求めて、
 競うように走り出していき、自分のものにしようとする。
 店では 1つ2ルピーで売られている凧ではあるが、拾うことも楽しみの一つだ。

 昔はダサインともなれば、無数の凧が 大空を舞っていたものだが、
 近頃ではその数も減り、昔の勢いはない。
 ダサインの祭りの風物誌としては 寂しい限りである。
 凧揚げを楽しんでいるのは、コンピューターゲームや高価なおもちゃを持たない
 貧しい家の子供たちの遊びになってしまっている。

 男の子たちは 凧揚げを楽しんでいるが、女の子たちはピンと呼ばれる 
 これもダサインの祭りの風物誌である竹で組んだブランコを楽しむ。
 一度、ブランコに乗ってしまうと、皆 なかなかブランコを放さず、周りはぶーぶーと
 不満の声を上げる。
 中には若い女の子がブランコに乗ると、重さのためにブランコの綱が伸びてしまい、
 結びなおすこともしばしばである。

 日本の正月と同じで、子供たちはダサインの祭りの時には 新しい洋服を買ってもらう。
 それも楽しみの一つである。
 この物価高の折、新しい衣類、ダサインの時には腹いっぱい食べるための肉の調達と
 親にとっては 頭の痛い時期でもある。

 今、カトマンズからダサインの祭りを郷里で迎えるために 村に帰っていった人たちは
 60万人にも上ると報道されている。
 10月6日からは、官庁も休みに入るから、カトマンズから郷里を目指す人間は
 もっと増えるだろう。
 この時期は 村へと向かうバスの事故がよく起こる。
 無理やりに乗客を積み込み、バスの屋根の上まで人を乗せ、バランスを失い、
 谷底に落ちて、多くの死者や負傷者を出す時期である。
 せっかくの里帰り、無事に再びカトマンズに帰ってくることを祈るばかりである。

 10月6日からの1週間は国の休日に入り、人口の減ったカトマンズは、静かになる。
 旅行者にとっては 多くのレストランが休みになり、受難の日々である。

 今日などは工場も休み、人も少なくなったということで、
 午前10時から午後1時までの停電が、午前10時半には電気が来ていた。
 この1週間、どうも計画停電は 中止のようである。
 ダサイン後には 計画停電の時間が増えるという噂が立っている。
 一体 どうなることやら。
 その頃は、私はカトマンズからバンコクに移っているので、救われたといった感じで
 ある。


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カトマンズ 街の風景 | 16:43:29 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 川辺の子供たち‐9 シバ寺院の中の子供たち
カトマンズ 川辺の寺院に住む子供たち 1

カトマンズ 川辺の寺院に住む子供たち 2

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カトマンズ 川辺の寺院に住む子供たち 6

カトマンズ 川辺の寺院に住む子供たち 7

 ダサインの祭りの最中に 黒い吊橋を渡って、バグマティ川の川辺にある
 シバ寺院に行ってみた。
 私の愛すべき場所なので、機会があれば顔を出すようにしている。
 このあたり一帯の人たちとは すっかり顔見知りになってしまった。

 このシバ寺院の中には いくつかの家族が住んでいる。
 カトマンズの大半の寺院はそんな具合だ。
 貧しい人たちが安い家賃で住めるのは、こうした古い寺院だけだ。
 ほんの僅かの家賃の代わりに 寺院の清掃などには気を配っている。
 寺院の中の部屋も 2百年以上も経っていると、決して住み易いとはいえない。

 このシバ寺院には タマン族が1家族、ネワール族のナガルコティと呼ばれる家族が
 1家族、そして バウン族が1家族、クンワール・チェットリ族が 2家族住んでいる。
 皆ぎりぎりの生活をしている貧しい人たちで、子供たちはお金のかからない公立の
 学校に通っている。

 子供たちと知り合ったのは 1年近く前である。
 バグマティ川の岸辺を散策していて、このシバ寺院に立ち寄ると、3人の子供たちが
 寺院の入り口に座り込んでいた。
 何をしているのかと近づいてみると、一人の女の子が 二人の男の子に読み聞かせる
 ように 本を読み上げている。
 男の子たちも神妙な顔つきで聞き入っている。
 女の子の手にしている本を見ると 学校の教科書だった。
 女の子はタマン族、男の子のうち、一人はネワール族、もう一人はタルー族、
 どうも学校の同じ教室で学ぶ同級生ようだ。
 何年生かと尋ねると小学2年生だと答える。
 そんなことから、顔見知りになった。

 時々顔を合わすたびに声をかけるようにしている。
 ポケットの中に飴玉があると プレゼントしている。
 そのせいか、ネワール族の男の子は私の顔を見ると
 「チョコレート」と言う。
 ネパールでは 包み紙に包んだ飴玉をチョコレートと呼んでいる。

 この前、この寺院に寄ったときには タマン族の女の子は熱を出し、
 学校を休んでいたが 元気になり、学校に行く支度をしていた。
 私の顔を見ると、飴玉を要求してくるネワール族の男の子は学校へ行く支度を
 していない。
 「学校に行かないのか」と尋ねると
 「今日は休みだ」と言う。
 「同じ学校ではないの」と訊くと
 女の子が説明してくれる。
 男の子は別の学校に転向し、今年も2年生、女の子は3年生になっている。
 どうも男の子の方は、落第し、恥ずかしくて別の学校に転向したようだ。

 二人の写真を撮ったので、今度は二人一緒にと言うと、恥ずかしがって近づかない。
 女の子の方が どうも意識しているようだ。
 1年で少し成長し、ませてきたようだ。

 今回来た時には、ネワール族の男の子の姿は見なかったが、
 タマン族の女の子は ダサインということで すっかりめかしこんでいる。
 この日は、この寺院に住む子供たちは 皆おめかししている。
 ネワール族の男の子の名前は、ビックラム、タマン族の女の子の名前は スリール
 「おばあちゃんと一緒に写真を撮ろう」と言うと
 スリールもおばあちゃんも恥ずかしがっている。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 10:46:43 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐42 米
アジアの街角 1枚の写真から‐42 米

 タイも日本同様に 主食は米である。
 タイの米の輸出は アユタヤ王朝時代から、主要な輸出品であり、タイ経済を
 支え続けてきた。
 米の商いを担ってきたのは、華僑・華人であり、米の買い付け、精米、輸出は
 彼らの仕事だった。
 その上、徴税人としての役割も 時の王朝から与えられ、タイ農民を直接的に
 苦しめてきたのも華僑・華人である。
 お金を持たない農民に生活必需品を付けで売り、収穫時に清算するという方法を
 取ってきたが、その時の買い付け価格は、市場よりかなり低いものだったようだ。

 旱魃、長雨で充分な米の収穫がなければ、その借金を支払うことも出来ず、
 奴隷に身を落とすか、娘、息子を借金のかたに奴隷として売るということも
 昔は、当たり前のことだった。

 近頃の食糧危機から、米の豊富なタイも 米の輸出価格が上がり、国内市場でも
 米の値が上がり、庶民の家計を苦しめ始めている。
 タイは米の種類によって、値段にかなりの違いがあるから、一段下の安い米を
 食べざるを得ないだろう。
 北タイのチェンライやパヤオあたりで生産されている日本米も 20%近く値上がり
 しているから、頭が痛い。

 タイでは、米から麺類も作る。センミー(ビーフン)、センレック、センヤイなど
 米粉から、麺を作り、タイ人もよく食べる。
 タイの一般庶民は、パンやスパゲティなどそれほど食べないから、小麦粉も高騰は、
 日本ほど影響を受けない。

 日本も本来の食生活、米中心の食生活に回帰していくことも真剣に考える時期に
 来ている。
 今のように西洋化された訳のわからない食生活では、食糧危機の影響をまともに
 受けるのは必須のことだ。
 今のように食料の60%近くを輸入に頼る状況の中では、何もかも値上がりして、
 国民の台所を苦しめるのは 眼に見えている。
 いつまでも政府の食料政策、農業政策に任せて、無関心に装っていれば、困るのは
 自分である。
 この前も輸入汚染米の大騒動が あったばかりである。
 高級料亭で飽食に明け暮れている政治家に 庶民の食生活のことなど
 わかるはずもない。

 食糧危機、エネルギー危機、地球温暖化 すべて、経済至上主義が生み出した結果だ。
 『経済成長がなければ、豊かな未来はない』という嘘が、証明されてきている。
 企業という魔物が、国民生活を豊かにするより、苦しめてきている。
 リストラ、派遣社員、パートと企業優先の効率的な経営方法が、人間の生活を貧困へと
 追い詰めている。
 時代は再び、女工哀史の時代と同じ様相を現し始めている。
 労働組合の力は 衰え、働くものの権利は 誰も護ってはくれない時代の中で
 なっている。
 行き着くところまで行くより、仕方ないのだろうか。


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アジアの街角 1枚の写真から | 00:48:10 | Trackback(0) | Comments(0)