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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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カトマンズ 夜景‐5 夜 蘇る過去の時代
カトマンズ 夜景‐5 夜 蘇る過去の時代 1

カトマンズ 夜景‐5 夜 蘇る過去の時代 2

カトマンズ 夜景‐5 夜 蘇る過去の時代 3

カトマンズ 夜景‐5 夜 蘇る過去の時代 4

カトマンズ 夜景‐5 夜 蘇る過去の時代 5

カトマンズ 夜景‐5 夜 蘇る過去の時代 6

カトマンズ 夜景‐5 夜 蘇る過去の時代 7

カトマンズ 夜景‐5 夜 蘇る過去の時代 8

 カリマティから坂を登り、ビシュヌマティ川に架かる橋を渡り、旧王宮広場へと続く
 坂道を再び登り始める。
 夕暮れの薄明かりから夜の闇に変わり始め、通りの店には灯りがともり始める。

 カトマンズ盆地にネワール族の王国が生まれたのは 紀元5世紀のことである。
 その王国の名は リッチャビ王国、ネワール族の民にとっては、理想の王国のように
 言われている。
 その王国は 紀元13世紀初頭に、新たに起こったマッラ王国に取って代られてしまう。
 このマッラ王国の時代に 絢爛たるネワール文化が花開くのである。
 マッラ王国の中心であったハヌマンドカの歴代のマッラ王の王宮、その周りには
 木工芸の粋を尽くして建てられた多くの寺院がある。
 ハヌマンドカの王宮から百メートルも離れていない場所には 
 市場も、ネワールの民たちの住居もある。
 それは 王と民衆との新密度の表れでもある。
 このマッラ王朝時代には ヒティと呼ばれる石造りの共同の水場、沐浴場が 
 カトマンズの民のために多く造られた時代だ。

 240年前にゴルカからの侵略者 プリティビ・ナラヤン・サハによって、
 カトマンズ盆地を征服されるまでは その豊かな土地の滋味によって、
 ネワール族はその繁栄を 謳歌していたのだった。

 そんな時代の名残りが 旧王宮広場脇の市場にはある。
 マッラ王朝時代に建てられた木造建造物の寺院の1階では、様々の商いをする店が
 軒を並べる。
 売られているものといえば、その大半が 日常必要とするものばかりである。
 乾物、穀類、果物、食用油、ダヒ(ネパールヨーグルト)、野菜、
 値段を誤魔化すことのできない生活必需品ばかりの店だ。
 誠実な商いを何百年にも渡って続けてきたネワール族商人の姿が そこにはある。
 ネワール族商人が 誠実というのでなく、ここで商いをするネワール族商人が 誠実な
 商いをしているのである。

 食料品、雑貨を売って得る利益はささやかなものだ。
 そのささやかな利益の積み重ねは 誠実さ、正直さを失ってしまえば、
 明日から来る客は いなくなってしまう。
 地味な商いの中で、誠実に商いをする人間の落ち着きが その顔からうかがわれる。
 昔から続いてきた商いを受け継ぎ、何百年も変わらぬ姿のまま、商いを続ける。

 夜の闇の中で 灯りに照らされ、浮かび上がってくるこの市場は 
 マッラ王国時代のカトマンズの街の姿、人々の姿を髣髴させる。
 今 自分がどの時代にいるのかをも 忘れさせてしまうようだ。

 このハヌマンドカ周辺には 何か凝縮された気のようなものがある。
 だからこそ、マッラ王国の王宮をここに建てたのだろう。
 ネワール族の過去の精霊たちが 今も暗闇のそこかしこに佇んでいる、
 そんな気もするのである。

 この場所で商いをする人も 何百年か過去へと 時代が溯ったとしても、
 時代に合わせた服を着て、同じ商いを何の不自然さもなく、続けるだろう。
 それでも誰一人困る人はいないだろう。
 我々現代人が 一体、何に血迷っているのか、考えさせられる風景だ。
 今夜は 市場の建物の上には 三日月が顔を覗かせていた。
 ダサインの祭りは この三日月が 満月に変わるまで続いていく。



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カトマンズ 街の風景 | 03:32:52 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 橋の上で‐1 晴れた日には
カトマンズ 橋の上で‐1 晴れた日には 1

カトマンズ 橋の上で‐1 晴れた日には 2
 
カトマンズ 橋の上で‐1 晴れた日には 3

カトマンズ 橋の上で‐1 晴れた日には 4

カトマンズ 橋の上で‐1 晴れた日には 5

カトマンズ 橋の上で‐1 晴れた日には 6

カトマンズ 橋の上で‐1 晴れた日には 7

カトマンズ 橋の上で‐1 晴れた日には 8

 カトマンズの中心部を流れる聖なる川は 二つある。
 1つは バーグ(トラ)の口から流れ出た水から出来た川ということから、
 バーグマティと名づけられ、もう1つは ヒンズー教のビシュヌ神の名をとって 
 名づけられたビシュヌマティ、この二つの川 聖なる川にもかかわらず、
 すっかり汚染され、自らの名前をつけられた神もトラも苦笑していることだろう。

 私の住んでいるところからカトマンズの中心部へ向かう道は 二通りある。
 バーグマティ川に沿って上流に上れば、バーグマティ橋、下流に向かえば テクに至る
 橋にぶつかり、ブシュヌマティ川に沿って上っていけば、今日王宮広場へと出る。
 このテクでは バーグマティ川とビシュヌマティ川も合流する地点だ。

 テクからビシュヌマティ川沿いには舗装された道路があり、川辺のゴミの山と
 汚染された川の流れを眺めながら、上流に向かうと、一本の橋がある。
 私が25年前にやってきたときにも同じ姿でかかっていた。
 その頃は この橋の周辺には カーストの低い掃除人カースト、屠殺カーストの
 人たちが住みつき、掘っ立て小屋のような住居が建ち並んでいたが、近頃では
 昔よりこぎれいになってきている。

 このビシュヌマティ川は、マッラ王朝時代から旧王宮のある聖なる場所と
 穢れた場所カーリマティという低カーストの生活場所に分けていた。
 そのために川沿いのカーリマティ周辺には 貧しい人たちが多く住んでいた。
 聖と穢れをこのブシュヌマティ川が隔て、それを結んでいた橋が この橋である。

 この橋の上は 今では 小さなバザールだ。
 それも貧しい庶民たちが 昔ながらの品物、一山ごとに売られている安い少し質の
 劣った野菜を求めてやってくる。
 売る側も貧しいぎりぎりの生活をしている人々、買う側も同じように貧しい人たちだ。

 昔ながらの手作りの鉄製品を売るカミと呼ばれる鉄職人カースト、ダマイと呼ばれる
 縫製カースト、手押しミシンを並べて、注文の服を縫っている。
 乳飲み子を抱えて 僅かばかりの野菜を売る明るい母親、中国製の安い服を売る露店の
 後ろで子供たちがズタ袋をハンモックのようにして遊んでいる。
 写真を撮っていると、子供たちの父親が写真を見せろとやって来て、撮った写真を
 見せると大喜びである。

 この橋の上には タマン族、グルン族、マガール族、ネパールではダリットと
 呼ばれている低カーストのカミ、ダマイと 皆、ネパールの底辺部で生きている
 人たちだ。
 どんなに虐げられても 明るさだけは失わずにいき続けてきた人々だ。
 25年前のネパール、カトマンズでは 皆、貧しかったし、今ほど貧富の差も
 なかった。
 貧しくても 明るくたくましく生きる人々であふれていた。
 そんな時代の片鱗を この橋の上の人々の中に見た思いがする。


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カトマンズ 街の風景 | 01:53:14 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐38 路上の野菜売りのおばさん
アジアの街角 1枚の写真から‐38 路上の野菜売り

 カトマンズの街では、一歩 家の外を出ると、街の中で生活している人々の
 生きる息吹のようなものを感じることが出来る。
 通りが、小さな広場が、カトマンズの人々の生活の舞台である。
 路上の物売り、何をするでもなく所在無く座り込んでいる人、
 暇つぶしのおしゃべりに夢中の人、道端で賭け事にふける人、
 通りの人々のそんな姿を見ているだけでも、飽きることはない。

 東京に帰ってきて、通りを歩いていても、人間の生きている息遣いを感じることが
 出来ないのは、どういうことだろう。
 用もないのに、声をかけることなど、考えられないことだし、声などかけようものなら
 不信がられるのは当たり前だし、通りは、歩き、移動する以上の場所ではない。

 カトマンズやバンコクなら、いつも歩く通りなら、いつの間にか、馴染みの人間も出来、
 声をかけたり、眼を合わせたりするようになるものだ。
 そして、街や通りが馴染んできて、自分の身体の一部になっていく。
 ずっと、東京に住み続けている人間にとっては、通りは移動の場所だと思うのは
 当然なのだろうが、東京より、カトマンズ、バンコクの生活の方が長くなった
 自分にとっては、あまりに素っ気なく、かかわりの持てない街のように思えてしまう。

 カトマンズのどこを歩いていても、人間が生地のまま生きている姿を見かける。
 出会った人々に声をかけるということもおかしなことではないし、一緒に座り込んで
 話を始めることも自然に行える。
 人間に対して関心を持つ、同じ街に生きているという共感が どこか感じられる。
 人間が生きている街の姿がそこにはある。

 カトマンズのハヌマンドカの旧王宮広場の近くの坂道で 一山10ルピーの野菜を
 並べて、ささやかな商いに精を出すおばさん、話しかければ、気楽に話もはずんでくる。
 みんな、生活は楽ではないにしても、人間としての余裕が感じられる。
 私とおばさんが話をしていれば、近くで同じように野菜を売っている人たちも
 関心を持ち、耳を傾け、時には会話に加わる。

 そんな人との関わりを25年近く続けていると、日本の方が、私にとっては
 異文化のように思えてくる。
 使う言葉も 時間的にみれば、日本語を使うより、タイ語やネパール語を使う
 時間の方がはるかに多くなっている。
 25年間の中で大きく変わってしまった日本人と話す方が、余程 神経を使う。
 私が25年前に持っていた日本人のイメージとは あまりにかけ離れてしまっている
 からだ。
 カトマンズやバンコクなら、人々の行動もある程度、予測も出来るが、
 今の東京で、日本人の行動の予測は出来ない。
 ネパール人やタイ人、インド人が日本にやってきて、
 どんな気持ちで生活しているのか、気にかかる。
 彼らの日本に対する憧れは、一体どういうものなのだろう。
 私にとっては、カトマンズやバンコクにいるほうが、人間を近くに感じることが出来る。


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アジアの街角 1枚の写真から | 00:13:30 | Trackback(0) | Comments(2)