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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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カトマンズ 夜景‐4 蝋燭の明かりの中で
カトマンズ 夜景‐4 蝋燭の明かりの中で 1

カトマンズ 夜景‐4 蝋燭の明かりの中で 2

カトマンズ 夜景‐4 蝋燭の明かりの中で 3

カトマンズ 夜景‐4 蝋燭の明かりの中で 4

カトマンズ 夜景‐4 蝋燭の明かりの中で 5

カトマンズ 夜景‐4 蝋燭の明かりの中で 6

 1週間に3日も夜3時間の停電があると、光と闇の交差する世界に出会う機会が
 増えてくる。
 電気が充分に供給されている国では 味わえない世界である。
 神々の像が 人の数と同じくらいにあるといわれているカトマンズ、
 薄暗い明かりの中で カトマンズの神々も復活しているのではと思わせる。

 ほのぼのとした蝋燭の燈す明かりの外側には 闇の世界が広がる。
 そこは精霊の棲家であり、魑魅魍魎の活躍する舞台でもある。
 撮った写真の隅っこにでもそんな精霊たちの姿が現れていないかと眼も凝らしたくなる。

 蝋燭の明かりのほのぼのとしたやさしさは、人をイマジネーションの世界へと誘う。
 太古の時代に人間が持っていた情念の世界、理性では割り切れない世界への扉を
 開く。
 人工的な明かりにあふれている現代社会では 人々が失いかけている内なる闇の世界、
 豊穣な魅惑的な世界、そんな世界が カトマンズの薄暗い街に身を置いてみると、
 しだい次第に拡がってくるのがわかる。

 雑踏や騒音、イルミネーションで誤魔化し、如何にも近代化していると
 見せかけていたカトマンズの街が、電気という文明の利器を失えば、すぐさま
 過去の古い町並みに戻ってしまうことがわかる。

 道端で野菜を売っている人たちの姿が、50年、いや100年前の人の姿と
 どこが違うというのだろう。
 香料を売る老女の姿は どうだろう。

 蝋燭の明かりの中で静かに浮かび上がってくる銅製の壷や器、それぞれがはっきりと
 自分を主張し始める。
 物であることの存在感がはっきり感じられるようになるから 不思議である。

 文明の利器を手に入れることで 得たものと失ったもの、得たものは当然のものとなり、
 失ったものは 記憶の外へと逃げ出してゆく。

 電気がないという世界は確かに不便な世界であるが、一時的な不便さなら我慢もできる。
 蝋燭の明かりの持つ魅力を 今回のカトマンズ滞在は 充分に満喫させてくれた。
 25年前に 当たり前のように街のあちらこちらで息づいていた闇の存在を再び、
 感じることが出来た。

 多くの神々の棲むカトマンズには やはり 光と闇の世界が必要だ。
 首都は どこかにでも移転して、昔、神々の棲家であったようなカトマンズに
 復活してもらいたいものだ。
 そうでもしない限り、神々の恵みも人々の幸せも 失われるばかりである。


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カトマンズ 街の風景 | 15:28:53 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 川辺の学校
カトマンズ 川辺の学校 1

カトマンズ 川辺の学校 2

カトマンズ 川辺の学校 3

カトマンズ 川辺の学校 4

カトマンズ 川辺の学校 5

カトマンズ 川辺の学校 6

カトマンズ 川辺の学校 7


 バグマティ川のカトマンズとパタンに架かる橋 バグマティ橋のすぐ下の
 河川敷きに広がるスラムに再び行ってみた。
 午前10時から午後1時までの計画停電中の時間帯を 外で過ごすためである。
 暑い陽射しの中で、スラムの中央を走る泥道も乾き、歩き易くなっている。
 その道を歩き続けると、最近 建てられたばかりの小さなレンガ造りの学校がある。
 その学校の子供たちの様子や授業風景も見てみたかった。

 今日は平日にもかかわらず、子供たちの姿をよく見かけた。
 不思議に思って、スラムの中にいる人に尋ねてみると、
  「今日はバンダ(ゼネスト)だ。」という。
 橋の上を見上げてみると、確かに自動車は走っていない。
 尋ねた女性は 半年前にスラムのこの地で ビニール張りのバラックを
 建てていたライ族の女性だ。
 川原の小さな空き地を利用して、コウドウ(ヒコクビエ)、大根を植えている
 畑の手入れをしていた。
 手伝っていた若者は 彼の息子だと言う。
 ライ族はキラティという土着宗教を信仰するが、彼女はキリスト教を信仰する。

 バンダの日なら、学校も休みだと思ったら、学校は開かれており、
 4,5歳から10歳くらいまでの子供たちが 学校の中にいた。
 学校といっても 机も椅子もなく、ただ ござが 敷かれてあるだけのものだった。
 先生といっても バウン族の女性と助手のようなマガール族の若い女の子が二人いて、
 子供たちの中に座り込んで、ネパール語の文字やアルファベットを教えている。
 学校というより 託児所といった感じで 子供たちも親に言われて、やって来て、
 友達と一緒にいることを楽しんでいる様子である。
 もっと年齢の上の子供たちは 近くにある政府の公立学校に通っている。

 写真を撮っていると、このスラムのメンバーで構成されている委員会の人間が
 やって来ていろいろと教えてくれる。
 学校のすぐ横の空き地は 校庭として利用するつもりであること、
 集落の学校として充実していくなどと話してくれた。
 リンブー族の30歳前の男である。
 違法に政府の土地に 住居を建て 住みついた人たちであるが、既成事実を積み上げ、
 立ち退きに対抗するための組織作りに精を出しているようにも思われる。

 マオイストの政府が ネパール語でスクンバシと呼んでいるこうしたスラムに対して、
 どう対応していくのか、まだはっきりとはしていない。

 バグマティ川沿いには 何箇所か こうしたスクンバシと呼ばれるスラムがある。
 古い集落は 一応 政府も居住を認めているようだが、去年あたりから建ち並び始めた
 このスラムやテクあたりのスラムについてはどうするかは はっきりしていない。

 1番の問題は、子供たちの教育の問題だろう。
 どこの政府の公立学校も 目一杯の状態だ。
 マオイストはネパールの教育問題については、公教育の重要性を叫んできたが、
 カトマンズでは、公立学校は 全体の2,30%で 大半は 私立学校である。
 これほど公教育に対して無関心な政府も珍しい。
 国づくりが 人づくりということが 全くわかっていないのである。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 02:01:15 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐37 粗食
アジアの街角 1枚の写真から‐37 粗食

 カトマンズの市場に出かけると、必ず眼にするものは、大小様々の豆類だ。
 大豆、小豆、空豆、インゲン豆、えんどう豆と数え上げれば、きりがない。
 それとともにダールと呼ばれている穀類もある。
 これら豆類は、ネパール人がたんぱく質として摂取する重要なものだ。

 ネパールの食の形は、ダール・バート・タルカリ、ダールと呼ばれる豆汁、バートと
 呼ばれるご飯、そしてタルカリと呼ばれる野菜カレー、それに、トマト味、香辛料味の
 少し酸っぱいピクルスのようなものがつく、それが一般的である。
 肉や魚は、肉カレー、魚カレーにして食べるが、たまに食べる程度で、
 毎日というわけにはいかない。

 カトマンズ盆地のネワール族は、他の民族に比べると、肉を食べることが多いが、
 行事の多い彼らは、そのご馳走として水牛肉の料理を食べる。
 しかし、毎日というわけではない。
 大抵は、肉なしのダール・バート・タルカリであることが多い。

 カトマンズ盆地から離れれば、このダール・バート・タルカリなど食べず、
 ディローと呼ばれる、とうもろこしの粉、ヒコクビエの粉をお湯で溶いたものが
 主食で、米など贅沢品であることになる。

 ヤギ、鶏、アヒルなどは飼ってはいても、自分たちの口に入れるものではなく、
 換金のためのものだ。
 これらの家畜を売って、砂糖、塩、香辛料、油、服、薬などを買うお金を
 手にするのである。

 肉などのご馳走を口にするのは、ネパール最大の祭りダサインのときぐらいのものだ。
 確かにネパール人も肉は好きだが、彼らは彼らの環境の中で、適応して生活している
 のである。
 別にそれで飢えて死ぬわけではない。

 自分の小さいときのことを思い出してみても、肉などいつも食べるものではなく、
 ご馳走など 正月に食べていたくらいで、ネパールとあまり変わりはなかったのかも
 知れない。
 たんぱく質など豆腐や豆類で取っていた。

 そんなネパールから、日本に帰ってくるたびに、日本人の食べ物に対する関心、
 執着が年々、強くなっていることだ。
 テレビをつければ、これでもかというほどの料理番組、グルメ番組、食べ物を
 ゲームにして遊んでいる番組、日本人の食べ物に対する良識は、
 どこに行ってしまったのかと疑いを持ってしまう。
 これらの番組を眼にするたびに、食べていない自分たちの方がおかしいのかと
 思えてしまうほどである。
 アフリカの飢餓を放送している同じテレビ局が、飽食番組・グルメ番組を飽きもせず、
 毎日のように放送している。
 万事が万事、こんな調子だ。

 今日一日、どうにか食べることが出来たことを有難がるという謙虚さは、
 もうこの国では失われてしまっている。
 これでは、世界を襲っている飢餓など想像する想像力など、
 期待する方が無理なのだろう。
 食べ物を粗末にしてはならないよという言葉は 誰の口からでてくるのだろう。


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アジアの街角 1枚の写真から | 01:26:13 | Trackback(0) | Comments(2)