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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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カトマンズ 帰り道‐3 バグマティ橋の辺
カトマンズ 帰り道‐3 バグマティ橋の辺 2

カトマンズ 帰り道‐3 バグマティ橋の辺 3

カトマンズ 帰り道‐3 バグマティ橋の辺 4

カトマンズ 帰り道‐3 バグマティ橋の辺 5

カトマンズ 帰り道‐3 バグマティ橋の辺 6

カトマンズ 帰り道‐3 バグマティ橋の辺 7

 スーン・ダーラの雑踏を抜け、地方へ向かうバスの小さな切符売り場、
 バスに乗り込む乗客たちが腹ごしらえする小汚い食堂の並ぶ一廓を通り過ぎ、
 ツリップレソールへと向かう下り坂を歩き始める。
 道の向こう側はネパール軍の宿舎、その下には名ばかりの国立競技場、
 そちら側は人気もないので夜になると歩かない。

 少し歩くと 暗闇の中に浮かぶインド人の果物屋、インド人の果物屋は
 ネパール人の果物屋と違って、ディスプレイに気を使っている。
 ネパール人とインド人の美的感覚の違いが 店造りにも違いを見せている。
 ネパール人の店がどんな店であっても 整理整頓などお構いなしに 品物が
 店の中に投げ込まれているといった感じである。
 この果物屋も 最初は自転車での果物の行商をしながら、何年もかけてお金を貯め、
 ここまでたどり着いたのだろう。
 ネパール人には、自転車での行商など恥ずかしくて出来ないと言う気持ちが絶えずある。
 しかし、この頃では生活が苦しく、地方からやって来たネパール人も荷車を使っての
 行商には手を出し始めているが、昔からのカトマンズ住民は近所、知り合いに
 恥ずかしいという気持ちから、やはり手を出さない。

 この店を通り過ぎると、電気の灯りのない暗闇の中の道である。
 舗装の崩れた歩道で転ばぬように、後ろ方やってくる足音に神経を使いながら、
 歩いていく。
 足音が聞こえてくれば、後ろを振り向いて相手を確かめる。

 ツリップレソールの交差点まで来れば、明るくなる。
 ここにはカトマンズで一番大きなショッピングセンター ワールドトレードセンターが
 ある。
 外国からの輸入品を扱う店が数多く入り込んでいる。
 庶民とは無縁の場所である。
 夜も8時過ぎになると、客の姿もまばらである。

 信号のない交差点を左に曲がると、道は カトマンズとパタンに架かるバグマティ橋へと
 向かう。
 ゴルカ王朝時代にサハ家の王から権力を奪い、ラナ家を起こし、摂政政治を始めた
 ジャング・バハドール・ラナの建てたナラヤン寺院、ラーマ寺院を過ぎると
 タパタリ交差点に至る。
 ここまでの道も暗闇の中で、黒い人影と行き交うだけだ。

 ここまで来ると、やっと家の近くにまで戻ってきたという安堵感がある。
 橋に向かって交差点を右に曲がると、小さな広場があり、そこは出稼ぎのインド人たち 
 の溜まり場、交流の場所にもなっている。
 暗闇の中でインド人たちが おしゃべりをしている。

 それを横目に見ながら、足を進め、バグマティ橋の上に立ち、バグマティ川の水の流れ、
 街の明かり、カトマンズ盆地を囲む山々に目を向ける。
 この橋の上に立つと、過ぎ去った25年の月日へと心が向かっていく。
 あっという間の25年だった。
 何度 この橋の上で足を止めたことだろう。
 自分の心はそれほど変わってはいないのに、肉体も周りの世界も変わってしまっている。
 私の心だけが、時代に取り残されてしまったという想いすらしてくる。

 橋を渡れば、パタン、私の生活場所だ。
 いつものように橋のたもとの野菜市場では 人々は夕げのおかずを買い求めている。
 心の和む光景である。
 この市場には電気は来ているようだが、私の住んでいるあたりは まだ闇の中である。
 重い足を引きずりながら、家路へと向かう。

*** 写真は夕暮れどきのもの ***



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カトマンズ 街の風景 | 15:19:43 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 路上の物売りたち
カトマンズ 路上の物売りたち 1

カトマンズ 路上の物売りたち 2

カトマンズ 路上の物売りたち 3

カトマンズ 路上の物売りたち 4

カトマンズ 路上の物売りたち 5

カトマンズ 路上の物売りたち 6

カトマンズ 路上の物売りたち 7

 カトマンズの路上や広場は 物売りたちの天国だ。
 人の行き交う通りに少しでも隙間があれば、ビニールを拡げ、品物を並べている。
 野菜・果物、中国からの輸入品の衣類、文房具、魚・卵の揚げ物、水牛の内臓の炒め物、
 店で売られているものなら、何でも路上で手に入れることも出来る。

 店を持つだけの財力を持つことの出来ない庶民たちが 
 生活の糧を得るための手段である。
 これらのささやかな商いで生計を支える人もいれば、甲斐性のない亭主の収入だけでは
 生活できず、わずかばかりの品物を並べ、商いに精出す主婦もいる。
 亭主はともかく、子供たちを飢えさすわけにはいかない。

 政府軍とマオイストの内戦の際、村を逃げ出してきたものもいれば、
 村の人口増加で食べていけず、村を出てきたものもいる。
 カトマンズに家族とともに出てきたはいいが、お金がなければやっていけない
 カトマンズでは お金を稼ぎ出す方法を 考え出さないことには 死活問題だ。

 路上に座り込んで商いをしている人々を見ながら、その生命力、生活力には
 全く頭の下がる思いがする。

 雨の中を 果物や野菜を自転車に積み込み、行商するインド人たち、彼らの仕送りを
 村で待っている家族がいる。

 幼いわが子をそばに置き、飴玉や一本売りの煙草を売る女たち、重い野菜を担いで
 やって来て、路上に広げ、ワイワイガヤガヤとたくましく野菜を売る女たち、
 彼女たちのエネルギーで街は持っているようなものだ。

 ハヌマンドカの広場の隅に並んで花飾りを売るネワールのマリ・カーストの女たち、
 マリというカーストは インドにもある。
 草花の栽培、庭造りを仕事とするカーストである。
 このマリーゴールドの花輪作りを仕事とするマリの人たちは カトマンズでは 
 14,5家族だけになっていると言う。
 野菜売りもそうだが、この花輪も売れ残ったらどうするのか、心配になる。

 ラットナ・パークの片隅では インド系の女たちが 川魚や卵のフライを揚げては
 売っている。
 食料品店では 卵は1個 6ルピーなのに 卵のフライは 8ルピーである。
 手間と油、小麦粉などの材料費を考えれば、わずかばかりの儲けしかない。

 路上の露店は 庶民たちのものだ。
 庶民たちが安く売り、庶民たちが安く買う。
 これがあるから、この物価高の中でも庶民たちは 生活できる。

 こうした路上でささやかな商いをする人々を眺めて歩くこと、彼らの表情を見ること、
 それは飽きることのない私の楽しみでもある。
 カトマンズにやってくるたびに、同じ場所で同じ人たちが座り込んで商いをしていると
 ほっとするし、嬉しくもある。

 1990年代には、こうした路上での商いを禁止することもたびたびあった。
 警察官がやってくる姿を見かけると、人々はビニールの敷物に品物を包み、
 逃げ回っていたものだ。

 マオイストの新しい政府、その日の糧を路上で稼ぐ人たちへの対応はどうするだろう。
 それをみれば、マオイストが本当に庶民、貧困層の味方かどうかわかるはずである。



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カトマンズ 生き抜く人々 | 01:36:09 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐35 商い
アジアの街角 1枚の写真から‐35 商い

 カトマンズは すっかりダサインの祭りに入ったが、この祭り 街中での
 様々のパフォーマンスがあるわけではない。
 強いて言えば、凧揚げが盛んに行われること、ピンと呼ばれる竹で組んだブランコで
 子供たちが遊んでいるくらいのものである。
 大半は 家の中で行われ、家族、親族の絆を確かめるお祭りで、日本の正月に近いものである。
 だから、ネパール最大のお祭りといわれても 外国人旅行者はぴんと来ない。

 カトマンズのハヌマンドカの旧王宮広場からバグマティ川方面のテクに向かって
 歩き始めると、昔と少しも姿を変えていない古い商店街の街並みがある。
 このあたりの建物は、100年、150年前に建てられたものが多い。
 商いの形も、昔ながらのネワール族の商いの形だ。

 ネワール族といえば、リッチャビの時代、今から1500年以上前から
 このカトマンズ盆地に住みついてきた先住民族である。
 昔は、チベット貿易、インド貿易を担っていた民族だ。
 ラナ家専制時代に、インドのマルワリ商人にその地位を奪われ、昔のような勢いはない。

 昔は賑わいを見せたと思われる通りを歩いていると、
 古い建てつけの雑貨屋が 目に入ってきた。
 店の前では、何人かのネワール族の人たちが、おしゃべりに興じている。
 別に買い物にやってきたという様子もなく、店の前で、談笑しているだけだ。

 カトマンズの雑貨屋の店先は、地域の人の談笑の場であり、情報交換の場所だ。
 店の主人も、それを邪魔にすることもせず、むしろ、固定客を作るために利用しており、
 嫌がる様子もない。
 店によっては、地域の情報交換、触れ合いの場所を与え、気楽に店にやってくることが
 出来るように、いくつかの椅子を並べているところもある。

 スーパーやデパートが数多く出来てきたカトマンズであるが、カトマンズ庶民たちの
 買い物の場所の主流は こうした気安い店だ。
 カトマンズ庶民たちにとって、こうした店は、お金の具合で物を買うことが出来る。
 米、小麦粉、砂糖なども 200グラム単位で買うことも出来るし、相手の素性が
 はっきりしていれば、付けで買うことも出来る。

 東京の板橋区にある高島平団地の中の商店街が 住民の高齢化のために半分以上が
 閉店になっているという。
 このカトマンズの店のように、地域の住民たちとの気楽な触れ合いが会ったのだろうか 
 と気にもなる。
 売れればいい、儲かればよいというだけでは、いつかは、住民に見放されてしまうのは
 必然の結果だろう。
 商い+アルファがなければ、人を長くひきつけることも出来ないだろう。

 この雑貨屋の主人は ネワール・カーストのマナンダール(菜種油の製造・販売)と
 いうカーストに属している。
 この地域一体は、マナンダール・カースト、ランジットカール・カースト(布のプリント、
 染めに従事)の人たちの生活場所だ。
 店にやってくる人たちも昔からの古いつながりの人たちが多い。
 地域との深いつながりがなければ、商いは時代の流れに押し流されていくだろう。
 個人商店が 無味乾燥な大型スーパーに対抗していく知恵を、
 カトマンズの小さな店は実践しているのである。


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アジアの街角 1枚の写真から | 00:15:57 | Trackback(0) | Comments(0)