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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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カトマンズ 夜景‐2 夜のアッサン・バザール
夜景‐2 夜のアッサン・バザール 1

夜景‐2 夜のアッサン・バザール 2

夜景‐2 夜のアッサン・バザール 3

夜景‐2 夜のアッサン・バザール 4

夜景‐2 夜のアッサン・バザール 5

夜景‐2 夜のアッサン・バザール 6

夜景‐2 夜のアッサン・バザール 7

夜景‐2 夜のアッサン・バザール 8

 前にも話したように カトマンズでは週31時間の計画停電が 実地されている。
 週3日は、夜に計画停電がある。
 夕方6時から夜9時まで、6時半から9時半、7時から10時までの計画停電の
 週3日のこの時間帯は 暗闇の中で過ごすことになる。

 そんな日には 遅めにカトマンズに出かけ、夜8時頃に家に帰るようにしている。
 旅行者の集まるタメル地区にあるタカリ・キッチンでダール・バート・タルカリの
 ネパール定食を食べ、てくてくと徒歩で家まで帰ってくる。
 徒歩1時間の道のりで 家に着くのが8時、8時半過ぎであれば、残り1時間、
 1時間半の停電を我慢すればいいことになる。

 タメル地区から歩き始め、アッサン・チョーク(アッサン広場)に抜け、アッサン・
 バザールの通りを抜け、インドラ・チョークにいたる道程である。
 アッサン・バザールはカトマンズで一番古い市場である。
 アッサン広場周辺では 野菜、穀類、米、粉類、各種香料が並べられ、
 その賑わいも カトマンズ 一といってもよい。
 アッサン・バザールの通りでは 生活必需品である台所用品、銅製の壷、水差し、
 鉄製品、衣類と何でもある。
 カトマンズ市民、カトマンズ近郊に住む村人たちの生活必需品を売る市場だ。

 昔はこのアッサン市場で商店を構え、商いをする人といえば、マッラ王朝時代から
 ここに店を構え、商いを続けてきたネワール族のトゥラダーといわれるカーストの
 人々だ。
 古くはチベット貿易に従事し、インド、カトマンズ、ラサと結ぶ貿易を担った人々で
 ネワール族の仏教カーストのサッキャとチベット人との通婚によって生まれた
 ネワール族の仏教徒カーストの1つだ。
 今でもこのアッサン・バザールの中心的な存在であるが、商売に手を出し始めた
 バウン族(ヒンズー教カースト 僧侶階級)の店も多く見られるようになってきた。

 夕方7時過ぎのアッサン・チョークやアッサン・バザールの風情が、
 なかなか いいのである。
 忍び寄る闇は 昼間なら目立つゴミも覆い隠し、裸電球の下で商いをする人々の姿や
 商う商品の展列だけを際立たせる。
 あと1時間もすれば、店じまい、もう一頑張りという気持ちが店の前に座る店主の顔に
 現れている。
 夕方のあふれるような混雑も収まり、人の流れもまばらになってくる。

 アッサン広場には 豆、穀類の粉、乾物類を扱う店が多い。
 商いのやり方も、並べられている品物も 25年前に初めて訪れた頃の姿と
 少しも変わらぬ姿を残している。
 インドサリーの店も昼間以上にその鮮やかさを際立たせている。
 銅や真鍮製の壷や器を並べた店は あたかも数百年前と同じ姿を残しているようにも
 思われる。

 ここ25年でカトマンズの人口も数倍も増えてしまい、アッサン・バザールの昼間の
 人ごみはやたら、増えてしまったが、夕暮れの店じまい前にやってくると、
 その姿が 少しも変わっていないことに気づく。
 夕暮れ時に このアッサン・バザールにやってくると 
 私の中にある古き良きカトマンズが 蘇ってくるのである。


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カトマンズ 街の風景 | 15:30:31 | Trackback(0) | Comments(2)
カトマンズ 朝の通学の子供たち
カトマンズ 朝の通学の子供たち 1

カトマンズ 朝の通学の子供たち 2

カトマンズ 朝の通学の子供たち 3

カトマンズ 朝の通学の子供たち 4

カトマンズ 朝の通学の子供たち 5

朝の通学の子供たち 6

 停電が 一日平均6時間もあると、停電時には近所に散歩に出かけることが多くなる。
 そんな時には 近所のバウン族の雑貨屋に顔を出すことが多くなる。
 大体 バウン族(ヒンズー教の高カーストの僧侶)というのは口から生まれたと
 いわれるくらいで、口達者な人が多いが、この雑貨屋のバウン族の主人は 
 余計なことは話さず、訊かれれば 必要なことを適切に答えるといった誠実な人柄で
 ある。
 その人柄を示すように 店の中は整理整頓され、客にとってもどこに何はあるかが
 すぐにわかる。

 朝の8時半頃、彼の店で少し買い物をして、彼といつものように話をしていると、
 朝の通学の子供たちが 入れ替わり立代わり、学校で食べるお菓子を求めてやってくる。
 なかなか商売上手の彼は、子供たちの好む菓子類を出来るだけ多くの種類のお菓子を 
 品揃え、子供たちにとっては 人気の店で近所の店を圧倒している。
 1個 1ルピー、2ルピーの飴玉、お菓子、チューインガム、
 5ルピーのインスタントラーメンなど子供たちは1ルピー、2ルピーのコインを握ってきては、
 好みのものを買っていく。
 小さい子供たちは 送り迎えの母親と一緒にやって来ては お菓子をねだっている。

 子供たちのすべては 近所の私立学校に通う子供たちである。
 私の住んでいる1キロ四方の中だけでも 児童数千人以上の私立学校が、4,5校ある。
 幼稚園の3年保育 そして小学校、中学校をかねた10年生の学校だ。
 月々の月謝は 5百ルピーから千ルピーの間だが、学年によって月謝は異なる。
 おやつ代、教材費を加えれば、千ルピーは超えてしまう。
 しかし、有名私立校ともなれば、月謝5千ルピー、インターナショナルスクールで
 あれば 2,3万ルピーと 私立学校もピンからキリである。
 間借り生活をしていても、少し生活にゆとりが出てくれば、どうにか私立学校には
 通わせることは出来る。

 それではカトマンズの公立学校はどうなっているかといえば、私の住んでいる地域には
 1つしかない。4,5百人規模の学校である。
 大半の子供たちは 私立学校の費用を捻出できない貧困層か、村から出てきて、
 富裕層の家で 家事の手伝いをする子供たちである。
 村では 教育の機会のなかった子供たちだ。
 カトマンズでは 富裕層の家庭では 昔から村から出てきた10歳ぐらいの子供を
 置き、家の雑用に使うという習慣がある。
 良心的な家であれば、そうした子供を午前中 学校に通わせることもある。

 そうした子供たちは バウン族の雑貨屋におやつを買いにくることはない。
 そんな余裕などあるはずもないのである。
 食事、寝る場所、服は 家の主人の子供たちのお古、そして、授業料のない
 公立学校への通学、雇い主は それで充分だと思っているし、それが一般的だ。

 政府は 予算不足を理由に 公立学校を増やす姿勢はない。
 今ある公立学校も 百年も前に建てられた建物や、寺などの空き部屋を
 利用しているに過ぎない。
 教育に熱意のない国が 発展するはずもない。
 教育大臣が 私立学校のオーナーであったり、公立学校の教師の子供が 
 私立学校に通うというのでは、子供たちの教育の機会均等など夢又夢の話である。


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ネパールの教育 | 03:34:24 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐32 変わり者‐2
1枚の写真から‐32 変わり者‐2

 カトマンズのバソンタプール 旧王宮広場といえば、旅行者が必ず訪れる場所だ。
 この界隈には 仕事をするでもなく、日長一日座り込んで時間の流れるまま、
 その日を過ごしている人たちをよく見かける。
 カトマンズに仕事を求めてきた人もいるだろうし、ここにやってくる旅行者を目当てに
 やってきている人もいるだろう。

 普通の人、変わった人、おかしな人、異常な人と 人間は、その行動、姿・形によって
 人を分類していくのが 人間の常であるが、ネパールなどは、その区分けがあまり
 はっきりしない世界だという気がする。

 普通であるとか 普通ではないとかという絶対的な基準など、国によって様々だし、
 これほど曖昧なものもないだろう。
 これは社会が人を受け入れることが出来る受容性、寛容性によって違ってくる
 ものだろう。
 ヨーロッパにおいても、人より変わった生活をしている、変わった能力を持っていると
 いう理由で、多くの女性が、魔女だとレッテルを貼られ、魔女裁判で多くの女性が
 命を奪われている。

 正常である、異常であるという境界線は、その時代時代の、
 あるいは場所、場所の基準があって、生きている人間とは無関係に 
 動いていくものなのだろう。

 日本だってそうだろう。
 今の日本、50年前の日本、100年前の日本と 正常・異常の基準、境界線は
 かなり違ったものだったに違いない。

 100年前まで、あるいは50年前だったら、受け入れられていた人間が、
 今の時代では受け入れてもらえない。
 受け入れてもらえなければ、不適応と見なされ、普通ではない、ひどい場合には
 異常ということにもなる。

 今の日本のような能力主義の社会では、生産をする上でその能力が有用かどうか、
 日本の経済発展のために有用かどうかで判断されることが多くなっている。
 教育現場では 学力主義が再び蘇っている。
 日本の経済力を育てるためには、高い学力が必要というわけだ。
 ここには、子供たちが 人間らしく生きるという発想は感じられない。

 こうした日本の流れに乗れなかった人間は、不適応者を見なされ、
 生きる場を失ってしまう。
 正社員、派遣社員、パートと職場の中に 区分けは生まれ、人間同士のつながりは薄れ、
 支えあって仕事をすることもなくなる。
 仲間意識など生まれようもない。
 人付き合いが良い、人当たりが良いという表面的な能力は有用されても、
 無口で、人付き合いの悪い人間は 居心地の悪い世界になっていく。

 昔は無口で人付き合いの悪い人間は、自然を相手にする農業、物を相手にする手仕事の
 世界で生きるということも出来たが、こういう世界は どんどん失われ、生きる世界は
 益々 狭まってきている。

 人間が人間らしく生きることを無視した経済成長は、不適応者をどんどん生み出して
 いくだろうが、それは当人たちの責任だけではないような気もするのである。
 不適応者がどんどん増えていけば、その不適応に対する行動様式に 病名がつけられ、
 レッテルが貼られていく。
 儲かるのは、精神科や心療内科の医者たちというわけだ。
 こんな治療は、対処療法で、本当の治療にはならないだろう。
 問題の本質は、社会そのものが病んでいることなのだから。


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アジアの街角 1枚の写真から | 02:07:34 | Trackback(0) | Comments(0)