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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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カトマンズ 夜景‐1 タメルの夜
カトマンズ 夜景‐1 タメルの夜 1

カトマンズ 夜景‐1 タメルの夜 2

カトマンズ 夜景‐1 タメルの夜 3

カトマンズ 夜景‐1 タメルの夜 4

カトマンズ 夜景‐1 タメルの夜 5

カトマンズ 夜景‐1 タメルの夜 6

 25年前 私が初めてネパールのカトマンズに訪れた頃の旅行者の溜まり場といえば、
 バソンタプールの旧王宮広場の近くのジョッチェン フリークストリートあたりで
 私が カトマンズに荷を下ろしたのは 今はないGCロッジだった。

 用があって、タメルに行っても ホテルも カトマンズゲストハウス、スターホテル、
 トクチェピークホテルぐらいで、レストランの数も少なく、KCレストラン、プムプキン
 などの何軒かに過ぎなかった。
 人通りがあるのも カトマンズゲストハウス近辺だけで、夜7時ともなれば、
 いたるところに暗闇がすぐっているような場所だった。

 それがいつの間にか、多くのホテル、ゲストハウス、レストラン、土産物屋が
 建ち並び、一大ツーリスト地区に様変わりしてしまい、その規模は バンコクの
 カオサン地区以上の規模にもなっていた。

 ダンス・バー、マッサージ・パーラー、ディスコと娯楽施設も揃え、無国籍な欲望の
 渦巻く場所にもなっている。
 ここには素朴なネパールの姿の片鱗など見つけることも出来ず、
 地元ギャングたちの利権の巣窟にもなっている。
 通りを歩けば、「ガンジャ、ハッシシ」とドラッグの売人たちが声をかけてくる。
 お金をねだるストリート・チルドレンたちは徘徊し、旅行者を見つけては、
 お金をねだる。

 25年前には タメルがこんな街に変貌するとは 予測もしなかった。
 1991年の民主化以前は まだのんびりした雰囲気を残していたが、
 今はカトマンズの人口増加の激しさに伴って、車、オートバイ、リキシャなどが 
 通りの中に入り込んできて、道を歩くのも大変な有様だ。

 確かに多くの日本食レストラン、イタリアン、ジャーマン、中華、韓国料理が
 集まっていて便利なことは便利ではあるが、お金に血眼になったネパール人たちが
 集まっているだけで この頃では、魅力も失せ、用事でもない限りは出かけないように
 なってしまった。
 やって来ても タカリ・キッチンで美味しいダール・バート・タルカリを食べて
 帰るぐらいのものである。

 そんなタメル地区が 今 大揺れである。
 新政府のネパール統一共産党出身の内務大臣が カトマンズのナイトライフは
 夜10時までで閉店という決定をしてしまったからだ。
 レストラン、ディスコ、ダンス・バーの夜10時以降の営業を禁止、ホテルも11時には
 閉める。
 夜10時以降にうろうろしている人間も厳しく取り締まるということだ。
 目的は カトマンズの治安維持らしいが、如何にもバウン族(ヒンズー教の僧侶)
 出身の内務大臣の人間の欲望を抑えるといった抑圧的な対応である。

 これに対抗して、レストラン、ディスコ、ダンス・バーの経営者、従業員が 
 売り上げが下がり、生活できないことを理由に ゼネストを始めるようだ。



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カトマンズ 街の風景 | 18:18:23 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 川辺の子供たち‐7 家族とともに
川辺の子供たち‐7 家族とともに 1

川辺の子供たち‐7 家族とともに 2

川辺の子供たち‐7 家族とともに 3

川辺の子供たち‐7 家族とともに 4

川辺の子供たち‐7 家族とともに 5

川辺の子供たち‐7 家族とともに 6

 そろそろ雨期開けも間近だ。
 所々にまだ雲が残る青空ではあるが、降る雨も少なくなり、晴れる日が多くなっている。
 湿っぽかった空気も 少しずつ、爽やかな乾いたものに変わってきている。
 今日もよく晴れ、なかなかの上天気である。
 
 バグマティ川の川原近くに行くと、田んぼの稲穂も色づき始め、
 収穫時期に近づいている。
 秋晴れの天候の中で、色づいてきた稲穂の前に干した洗濯物が ユーモラスで
 穏やかな1日を感じさせてくれる。

 バグマティ川の河川敷の広場に向かって歩いていると、その道々に 
 秋を装う草花が 咲き誇っている。
 そんな秋の装いに目を向けながら、河川敷の広場に入っていく。
 河川敷の広場から1段下がったバグマティ川の近くに 間借で生活する人たち専用の
 水場がある。
 この広場には 2箇所の水場があり、広場の端っこにある井戸は間借りで生活する
 インド人専用、この水場はネパール人専用、どういう訳か はっきりと分かれている。
 習慣や言葉の違いから来る摩擦を避けるためであろうか。

 ネパール人専用の水場を覗いてみると、いつもは洗濯、水浴びで混み合っている
 この水場にいるのは ネパール人の親子三人連れの家族だけで、
 誰からも邪魔されることなく、のんびりと洗濯に励んでいる。
 母親と4,5歳の娘、13,4歳の娘二人が、それぞれに洗濯に取り組んでいる。
 4,5歳くらいの女の子の髪の毛は茶色で 一瞬ヨーロッパ人の子供かと思ったが、
 この家族はチェットリ族、ネパールのチェットリ族は 4,5百年前にネパールに
 入り込んできたアーリア系インド人の末裔である。
 所謂 先祖がえりなのだろう。
 ネパールでは チェットリ族の人たちの中に 灰色がかった眼や青色がかった眼を
 持つ人々に出会うことがある。

 この4,5歳の女の子も 自分のハンカチを 見様見真似で洗っている。
 休日ではないので、今日は学校に行かなかったのかと 上の女の子に聞くと、
 ゼネストで今日は 学校は休校だと言っている。

 この家族には 5ヶ月前のカトマンズ滞在の折にも、この場所で出会っている。
 そんな話をすると 思い出したようだ。
 見た目は 怖そうで取っ付きの悪い感じには見えるが 
 いたって気さくな気のいいおばさんである。
 小さな部屋を 1500ルピーで間借して、家族4人で生活しており、
 彼女の連れ合いは パタンの端っこ ザウラケルで スポーツシューズを売っている。
 元々 住んでいたのは、インド国境のバイラワに近いブットワルに近い村だ。
 そこで農業を営んでいたらしいが、土地は親戚のものに預け、
 カトマンズに出てきたようだ。
 多少は マオイストとの軋轢はあったらしいが、寄付を強請させられるくらいで、
 それもマオイストなのか、マオイストを騙っていた人間の仕業かどうかわからない。
 彼女からすれば、世知辛いカトマンズでの生活よりも 村の生活の方を好んでいる
 ようだ。
 村に自分の家があって、のんびり生活できるのであれば、カトマンズで間借りをして
 気を使いながら生活するよりも はるかに心休まるに違いない。
 カトマンズで貧富の差を見せつけられ、買いたいものも買えない生活では 
 フラストレーションも溜まっていくだろう。

 夫について カトマンズに家族総出でやってきたものの 成功への道はあるのだろうか。
 カトマンズの路上の露店には、そんな人たちが山ほどいるのだ。
 それでも この家族三人を見ていると、
 貧しくとも 互いに助け合っている母娘のようには感じられた。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 04:37:28 | Trackback(0) | Comments(2)
アジアの街角 1枚の写真から‐31 変わり者‐1
アジアの街角 1枚の写真から‐31 変わり者-1

 カトマンズの街の中を 歩いていると、様々なタイプの人に出会うことが多い。
 日本人の眼から見れば、何故こんなことをしているのだろうと思わせる人も多い。
 しかし、カトマンズの人々から見れば、気にしている様子はない。

 アッサンバザールの広場で セト・マチェンドラナートの祭りの時に
 その神様の彫像をカトマンズ市民たちに見せていたことがあった。
 神様の彫像が置かれている台の上に上っているのは、
 ネワール族の仏教徒の上位カーストのサッキャ・カーストの人たちだ。
 その台のまわりで、金糸入りのシャツを着て、やってきた人々に神様のそばに
 撒かれている花びらを配っている人は、どういうカーストの人かはわからない。
 周りのネパール人に訊くと、自主的にやっているのだと言う。
 別に仕事というわけでもなさそうだ。

 カトマンズでは、人々の生きていくための幅は大きい。
 それは社会が 人々を受け入れる幅が広いということにもなる。
 ヒンズー教の教義から来るカースト制は、人々の生活、結婚を縛り付けることはあるが
 収入を気にしなければ、どうにか、自分に見合った仕事を探すことも出来る。
 公務員、商売人、職人、事務職、農民、行員、露天商、数え上げれば、
 こんなに多くの職業があるのか、驚くくらいだ。
 働かずに、それなりに食べている人も同じくらいに多い。
 貧しい(日本人から見て)ということを別にすれば、人々はのびのびと生きている。
 カトマンズのそんな許容性のようなものが、先進諸国のがんじがらめの決まりに
 縛られた人々をほっとさせる要因かもしれない。

 社会には多種多様の人がいて当たり前ということが 
 自然に実践されている社会なのだろう。
 日本のように効率的なものが優先される社会の中で失われてきたものが
 非効率な社会だからこそ 今なお残っている。
 ネパールのように人間が自分の能力や性格に合わせて、仕事や生き方を
 選ぶというのではなく、日本では 人間の性格や能力を 社会や職場の必要とする
 能力に合わせて、変えていかなくてはならない。

 昔のように小さな町工場で 人間関係を大切にしながら仕事するというような場も
 少なくなっている。
 そんな工場は、今では海外工場移転で、少なくなる一方だし、経費節減のために
 効率ばかりは優先されて、人間らしい関係の中で仕事をすることも出来なくなっている
 だろう。
 他人のことなど考えるゆとりはないだろう。
 変わり者であれば、いじめにあったりするだろうし、嫌がらせを受けることも
 多いだろう。
 そこまで行かなくても、コミュニケーションが成立せず、疎外感を感じることも
 多いだろう。

 確かにネパール人の仕事ぶりを見ていると、合理的ではなく、効率的でもなく、
 真面目に仕事をしているのか わからないこともある。
 何か家に行事があれば、すぐに休むことも多い。
 雇い主も仕方がないと、当然のことのように受け入れている。

 どんな社会が理想的なのかは、わからないが、ネパール社会のほうが
 少なくともストレスは少ないようだ。


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アジアの街角 1枚の写真から | 01:31:11 | Trackback(0) | Comments(0)