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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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アジアの街角 1枚の写真から‐43 若者
アジアの街角 1枚の写真から‐43 若者

 チャオプラヤ川の川向こうのトンブリ地区は、バンコクの下町の姿を
 色濃く残す場所だ。
 大きな川がバンコクを東と西に分け、バンコクの中心部を持つ東側が どんどん
 発展していくのとは反対に トンブリ地区は開発が遅れている。
 それが昔ながらのバンコクの風情を残す結果になっている。

 チャオプラヤ川によって隔てられた、バンコクの東側と西側にかかるサファン・プット
 ブッダ橋を渡ると、トンブリ地区に入っていく。
 ウォンウェイヤイに向かう大通りを歩いていくと、50年も前のバンコクが、
 そのまま 残っているような木造家屋の建ち並ぶ小さな通りがある。
 その通りの途中に、木造の古めかしい一杯飯屋を見かけた。
 そこで、二人の若者が、遅めの昼食を取っている。

 そんな二人の姿を見ながら、自分の若い頃と重ねてみる。
 1970年代後半の東京、田舎から東京に出てきて、4畳半のアパートに住み、
 昼間は学食、夜は安い定食屋というのが、食生活の中心だった。
 風呂は銭湯というのが当たり前だった。
 遊ぶような余分なお金もなく、出来ることといえば、ジャズ喫茶で友人たちと駄弁るか、
 たまに安い飲み屋で安酒を飲むぐらいのものだった。
 だからといって、その生活が惨めだったとは思わなかった。
 それが当たり前だと思っていた。
 当時の若者といえば、みんなそんなもので、働いているものも学生も大差はなかった。

 チャオプラヤ川をはさんで 東と西側に分かれるバンコク、西側のトンブリ地区は
 庶民の街であり、肉体労働者が主に集まる場所だ。
 村から出稼ぎにやってきた人たちは、物価も家賃も安いトンブリ地区に住みつく。
 仕事が、トンブリ地区にあるならわざわざ、贅沢な消費への欲望をそそるバンコクの
 東側に行くこともない。
 タイの東大といわれるチューラコン大学のあるサイアム・スクウェアーあたりに
 行けば、あまりの生活の格差に驚き、自分の生活の惨めさに気がつくだけだ。

 最低賃金 日当210バーツの生活では、フラストレーションは溜まる一方だ。
 オートバイを使ったひったくり、ドラッグの密売、銀行強盗、強盗と、若者の
 犯罪が、バンコクでも多発している。
 お金中心社会を作り出してきた大人たちへの反逆である。

 タイのマフィア上がりの政治家たち、中国系タイ人が優先される社会、
 利権も富みも上層階級に集中していく。

 物価は上がり、最低賃金で働く若者たちの生活を圧迫している。
 追い詰められた若者たちの行き着くところは、どこだろう。
 アジアの各国の都市では同じような問題を抱えている。
 日本でも 簡単な方法でお金を得ようとする犯罪は増加の一方だ。
 自分の未来が見えてこなければ、今さえ楽しければいいという短絡的な発想が
 生まれてくる。
 こんな社会を作り出したのは、彼らの上の世代だが、しわ寄せは、若者たちの
 ところにやってくる。
 大人たちの無責任、無関心が蔓延する都市では、若者の無定形な反抗は
 増え続けていく。


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アジアの街角 1枚の写真から | 00:17:16 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ ダサインの風景‐4 子供たち
カトマンズ ダサインの風景‐4 子供たち 1

カトマンズ ダサインの風景‐4 子供たち 2

カトマンズ ダサインの風景‐4 子供たち 3

カトマンズ ダサインの風景‐4 子供たち 4

カトマンズ ダサインの風景‐4 子供たち 5

カトマンズ ダサインの風景‐4 子供たち 6

 ダサインの祭りが近づき、そしてダサインの祭りの15日間に入ると、
 子供たちは 凧揚げを競うようになる。
 凧揚げは、本来 天にいる天候を司る神インドラに もう雨はいらないと伝えるための
 ものであり、稲の刈り取り、乾燥を願う農民たちの祈りをこめてのものだったが、
 今の子供たちは、もうそのことを知らない。
 凧揚げの季節になると 子供たちは ガラスを粉々に砕き、糊の中にそれを入れ、
 タコ糸に塗りつけ、凧同士の戦いになった時に、相手の糸を切りやすくする。
 相手の糸を切ったほうが勝ちである。
 糸の切れた凧が ふわふわと地上に落ち始めると、子供たちは その凧を求めて、
 競うように走り出していき、自分のものにしようとする。
 店では 1つ2ルピーで売られている凧ではあるが、拾うことも楽しみの一つだ。

 昔はダサインともなれば、無数の凧が 大空を舞っていたものだが、
 近頃ではその数も減り、昔の勢いはない。
 ダサインの祭りの風物誌としては 寂しい限りである。
 凧揚げを楽しんでいるのは、コンピューターゲームや高価なおもちゃを持たない
 貧しい家の子供たちの遊びになってしまっている。

 男の子たちは 凧揚げを楽しんでいるが、女の子たちはピンと呼ばれる 
 これもダサインの祭りの風物誌である竹で組んだブランコを楽しむ。
 一度、ブランコに乗ってしまうと、皆 なかなかブランコを放さず、周りはぶーぶーと
 不満の声を上げる。
 中には若い女の子がブランコに乗ると、重さのためにブランコの綱が伸びてしまい、
 結びなおすこともしばしばである。

 日本の正月と同じで、子供たちはダサインの祭りの時には 新しい洋服を買ってもらう。
 それも楽しみの一つである。
 この物価高の折、新しい衣類、ダサインの時には腹いっぱい食べるための肉の調達と
 親にとっては 頭の痛い時期でもある。

 今、カトマンズからダサインの祭りを郷里で迎えるために 村に帰っていった人たちは
 60万人にも上ると報道されている。
 10月6日からは、官庁も休みに入るから、カトマンズから郷里を目指す人間は
 もっと増えるだろう。
 この時期は 村へと向かうバスの事故がよく起こる。
 無理やりに乗客を積み込み、バスの屋根の上まで人を乗せ、バランスを失い、
 谷底に落ちて、多くの死者や負傷者を出す時期である。
 せっかくの里帰り、無事に再びカトマンズに帰ってくることを祈るばかりである。

 10月6日からの1週間は国の休日に入り、人口の減ったカトマンズは、静かになる。
 旅行者にとっては 多くのレストランが休みになり、受難の日々である。

 今日などは工場も休み、人も少なくなったということで、
 午前10時から午後1時までの停電が、午前10時半には電気が来ていた。
 この1週間、どうも計画停電は 中止のようである。
 ダサイン後には 計画停電の時間が増えるという噂が立っている。
 一体 どうなることやら。
 その頃は、私はカトマンズからバンコクに移っているので、救われたといった感じで
 ある。


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カトマンズ 街の風景 | 16:43:29 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 川辺の子供たち‐9 シバ寺院の中の子供たち
カトマンズ 川辺の寺院に住む子供たち 1

カトマンズ 川辺の寺院に住む子供たち 2

カトマンズ 川辺の寺院に住む子供たち 3

カトマンズ 川辺の寺院に住む子供たち 4

カトマンズ 川辺の寺院に住む子供たち 5

カトマンズ 川辺の寺院に住む子供たち 6

カトマンズ 川辺の寺院に住む子供たち 7

 ダサインの祭りの最中に 黒い吊橋を渡って、バグマティ川の川辺にある
 シバ寺院に行ってみた。
 私の愛すべき場所なので、機会があれば顔を出すようにしている。
 このあたり一帯の人たちとは すっかり顔見知りになってしまった。

 このシバ寺院の中には いくつかの家族が住んでいる。
 カトマンズの大半の寺院はそんな具合だ。
 貧しい人たちが安い家賃で住めるのは、こうした古い寺院だけだ。
 ほんの僅かの家賃の代わりに 寺院の清掃などには気を配っている。
 寺院の中の部屋も 2百年以上も経っていると、決して住み易いとはいえない。

 このシバ寺院には タマン族が1家族、ネワール族のナガルコティと呼ばれる家族が
 1家族、そして バウン族が1家族、クンワール・チェットリ族が 2家族住んでいる。
 皆ぎりぎりの生活をしている貧しい人たちで、子供たちはお金のかからない公立の
 学校に通っている。

 子供たちと知り合ったのは 1年近く前である。
 バグマティ川の岸辺を散策していて、このシバ寺院に立ち寄ると、3人の子供たちが
 寺院の入り口に座り込んでいた。
 何をしているのかと近づいてみると、一人の女の子が 二人の男の子に読み聞かせる
 ように 本を読み上げている。
 男の子たちも神妙な顔つきで聞き入っている。
 女の子の手にしている本を見ると 学校の教科書だった。
 女の子はタマン族、男の子のうち、一人はネワール族、もう一人はタルー族、
 どうも学校の同じ教室で学ぶ同級生ようだ。
 何年生かと尋ねると小学2年生だと答える。
 そんなことから、顔見知りになった。

 時々顔を合わすたびに声をかけるようにしている。
 ポケットの中に飴玉があると プレゼントしている。
 そのせいか、ネワール族の男の子は私の顔を見ると
 「チョコレート」と言う。
 ネパールでは 包み紙に包んだ飴玉をチョコレートと呼んでいる。

 この前、この寺院に寄ったときには タマン族の女の子は熱を出し、
 学校を休んでいたが 元気になり、学校に行く支度をしていた。
 私の顔を見ると、飴玉を要求してくるネワール族の男の子は学校へ行く支度を
 していない。
 「学校に行かないのか」と尋ねると
 「今日は休みだ」と言う。
 「同じ学校ではないの」と訊くと
 女の子が説明してくれる。
 男の子は別の学校に転向し、今年も2年生、女の子は3年生になっている。
 どうも男の子の方は、落第し、恥ずかしくて別の学校に転向したようだ。

 二人の写真を撮ったので、今度は二人一緒にと言うと、恥ずかしがって近づかない。
 女の子の方が どうも意識しているようだ。
 1年で少し成長し、ませてきたようだ。

 今回来た時には、ネワール族の男の子の姿は見なかったが、
 タマン族の女の子は ダサインということで すっかりめかしこんでいる。
 この日は、この寺院に住む子供たちは 皆おめかししている。
 ネワール族の男の子の名前は、ビックラム、タマン族の女の子の名前は スリール
 「おばあちゃんと一緒に写真を撮ろう」と言うと
 スリールもおばあちゃんも恥ずかしがっている。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 10:46:43 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐42 米
アジアの街角 1枚の写真から‐42 米

 タイも日本同様に 主食は米である。
 タイの米の輸出は アユタヤ王朝時代から、主要な輸出品であり、タイ経済を
 支え続けてきた。
 米の商いを担ってきたのは、華僑・華人であり、米の買い付け、精米、輸出は
 彼らの仕事だった。
 その上、徴税人としての役割も 時の王朝から与えられ、タイ農民を直接的に
 苦しめてきたのも華僑・華人である。
 お金を持たない農民に生活必需品を付けで売り、収穫時に清算するという方法を
 取ってきたが、その時の買い付け価格は、市場よりかなり低いものだったようだ。

 旱魃、長雨で充分な米の収穫がなければ、その借金を支払うことも出来ず、
 奴隷に身を落とすか、娘、息子を借金のかたに奴隷として売るということも
 昔は、当たり前のことだった。

 近頃の食糧危機から、米の豊富なタイも 米の輸出価格が上がり、国内市場でも
 米の値が上がり、庶民の家計を苦しめ始めている。
 タイは米の種類によって、値段にかなりの違いがあるから、一段下の安い米を
 食べざるを得ないだろう。
 北タイのチェンライやパヤオあたりで生産されている日本米も 20%近く値上がり
 しているから、頭が痛い。

 タイでは、米から麺類も作る。センミー(ビーフン)、センレック、センヤイなど
 米粉から、麺を作り、タイ人もよく食べる。
 タイの一般庶民は、パンやスパゲティなどそれほど食べないから、小麦粉も高騰は、
 日本ほど影響を受けない。

 日本も本来の食生活、米中心の食生活に回帰していくことも真剣に考える時期に
 来ている。
 今のように西洋化された訳のわからない食生活では、食糧危機の影響をまともに
 受けるのは必須のことだ。
 今のように食料の60%近くを輸入に頼る状況の中では、何もかも値上がりして、
 国民の台所を苦しめるのは 眼に見えている。
 いつまでも政府の食料政策、農業政策に任せて、無関心に装っていれば、困るのは
 自分である。
 この前も輸入汚染米の大騒動が あったばかりである。
 高級料亭で飽食に明け暮れている政治家に 庶民の食生活のことなど
 わかるはずもない。

 食糧危機、エネルギー危機、地球温暖化 すべて、経済至上主義が生み出した結果だ。
 『経済成長がなければ、豊かな未来はない』という嘘が、証明されてきている。
 企業という魔物が、国民生活を豊かにするより、苦しめてきている。
 リストラ、派遣社員、パートと企業優先の効率的な経営方法が、人間の生活を貧困へと
 追い詰めている。
 時代は再び、女工哀史の時代と同じ様相を現し始めている。
 労働組合の力は 衰え、働くものの権利は 誰も護ってはくれない時代の中で
 なっている。
 行き着くところまで行くより、仕方ないのだろうか。


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アジアの街角 1枚の写真から | 00:48:10 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ ダサインの風景‐3 賭け事
カトマンズ ダサインの風景‐3 賭け事 1

カトマンズ ダサインの風景‐3 賭け事 2

カトマンズ ダサインの風景‐3 賭け事 3

カトマンズ ダサインの風景‐3 賭け事 4

カトマンズ ダサインの風景‐3 賭け事 5

 ネパール人は本来賭博好きの国民である。
 法律では賭博を禁止しているが、ダサインの祭り、そのあとに始まるティハールの
 祭りの間は、賭博は許可される。
 といっても、こうした祭りの日以外でも、皆 結構普段から、隠れてトランプ賭博など
 に興じており、賭博で身上をつぶしたなどという話もよく聞く。

 祭りの間は、路上でもよく賭博が開かれている。
 6種類の図柄の描かれたビニールなどを置き、その図柄の上にお金が置かれている。
 ラングルブルザと呼ばれる6面に異なった図柄が描かれたさいころのようなものを
 6個使う。
 ビニールの上に描かれた図柄の上に各自お金を置き、さいころを転がし、
 6個のさいころのうち、自分の賭けた図柄が二つ以上出れば、勝ったことになる。
 二つ出れば2倍、三つ出れば3倍のお金が戻って来、最大6倍までだ。
 遊び方は、全く単純である。

 路上のいたるところで 朝から晩まで、子供から大人まで、この遊びに興じている。
 どっちにしても勧進元が儲かるように出来ているのだろう。
 中には 賭け事に熱中しすぎて 1年間、汗水たらして貯めたお金を 村には持って帰らず、
 賭け事ですってしまい、村に帰れなくなる出稼ぎの若者もいることだろう。
 あまり、後先を考えないネパール人だから、あり得る話である。

 余っているお金を使って消費し、それを神様に捧げるという意味合いもあるようだから、
 ダサイン、ティハールの間は、特別に許されるのだろう。

 政府とマオイストの内戦中、マオイストの支配地域では、酒、賭け事は 厳しく禁止
 されたようだが、マオイスト主導の新しい政府も この賭け事には 今のところ、
 制限を設けていない。
 インドラ・ザットラ、ダサインに対する政府の援助を年間予算から削減したが、
 一部の人間から、猛烈な反対に合うと、あっさり予算を復活してしまった。
 マオイスト主導の政府といっても、国会の議席数の3分の1の議席しか持たず、
 連立でしか政権を維持できない弱みがあるのだろうが、国民を充分に説得するという
 努力をしているようには思えない。

 マオイストの党首であり、国の首相であるプラチャンダも 外遊に忙しく、
 内政には 充分目を向けていないようだ。
 娘を比例代表制で国会議員にし、今回のアメリカ外遊でも、息子を連れて行き、
 行き過ぎた家族優先主義に非難が集中している。
 これでは、国民会議派政党の前首相 ギリジャ・コイララと同じだという落胆の声も
 大きい。
 アメリカでも豪遊に近い費用を使い、これが人民の側に立つ人間かと、
 マオイスト内部でも問題視され始めている。
 どうもネパール人は 権力を手に入れると 押しなべて 質素、倹約の精神は
 どこかへ行ってしまう。
 マオイストの頭首であっても同じことらしい。
 山の人が、贅沢の味を知ると どうも歯止めがなくなるらしい。
 賭け事の味を知るのと同じことである。


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カトマンズ 街の風景 | 18:14:27 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ もう1つのスラム
カトマンズ もう1つのスラム 1

カトマンズ もう1つのスラム 2

カトマンズ もう1つのスラム 3

カトマンズ もう1つのスラム 4

カトマンズ もう1つのスラム 5

カトマンズ もう1つのスラム 6

カトマンズ もう1つのスラム 7

カトマンズ もう1つのスラム 8

 カトマンズのバグマティ川の辺には ビニールと竹で作ったバラックの建ち並ぶ
 スラムが2ヶ所ある。
 1つは カトマンズとパタンに架かるバグマティ橋のたもとに広がるスラムと
 もう1つは もっと下流のバルクー近くにあるカトマンズで最も大きなスラムである。
 世帯数は 400世帯以上だろう。
 1年前のダサインの祭りの時には もう出来上がっていたから、1年半以上も前から
 人々は住みつき始めたのだろう。
 
 スラムの中は、やっと雨漏りが防げる程度のもので、8ヶ月前に訪れた時から
 ほとんど同じ姿のままである。
 狭い通路が 迷路のように錯綜していて、行き交うことも難しいくらいだ。
 電気もなければ、水道もないという最悪の環境だ。

 8ヶ月前にここを訪れたときに このスラムの中に教会を造るという女性二人に
 出会った。
 彼女たちの試みがどうなったのか、確かめてみたくて再び訪れてみたのである。
 どの通路から入れば、その当事 作りかけだった小屋に到るのか、わからず、
 スラムの中を歩き回って、やっとそれらしきものに出会った。

 二つの小屋のうち一つは 学校になっているが、教会もかねているのだろうか、
 入り口の粗末な扉には 十字架のマークが取り付けられている。
 中には長い机と椅子が並び、一応 学校の体裁を整えてはいるが、これが学校かと
 思わせるような貧弱なものだ。
 スラムの住民でお金を出し合って、作ったというが キリスト教団体からの援助の手は
 なかったのだろうか。
 このスラムには 多くのキリスト教改宗者がいるというのに。

 何かにつけて、華々しく日本で宣伝しているNGOなどは こうしたカトマンズの
 スラムの状況には 無関心なのだろうか。
 村での学校づくりと暇があれば、寄付を募っている日本のNGO団体であるが、
 カトマンズのスラムに目を向けないというのも不思議なことである。
 自助自立のための援助プログラムがあってもいいと思うが、
 そうした動きも感じられない。
 きれいごとの好きな日本のNGOばかりだから、こんなところには入ってこないの
 だろう。
 道造り、橋造りといった見栄えのいい援助ばかりの経済大国日本も 
 こんなところには眼を向けない。

 前回会った二人の女性は このスラムには住んでいないようだ。
 スラムの外のネパールのキリスト教団体から派遣されてきているようだ。

 バグマティ橋のたもとに広がるスラムは 明るい印象があり、日々変化していると
 いった様子が感じられるが、ここは変化もあまり見られず、変わったことといえば、
 貧弱な学校が出来たきりで、スラム住民の生活の向上は見られず、ビニール張りの
 バラックもそのままの姿である。
 身につまされる思いである。

 スラムから表通りに出ると、ほっとする。
 スラムの子供たちの遊び場は この表通りである。
 大人たちは生活の重さに打ちひしがれていても、子供たちは元気一杯で遊んでいる。
 昨年のダサインのときは ダサイン名物のブランコ ピンも用意されていたが、
 竹を組合しただけで ブランコはなかった。
 今年は、竹すらも用意されていない。
 ダサインの祭りからは 程遠いスラムの姿である。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 10:19:07 | Trackback(0) | Comments(2)
アジアの街角 1枚の写真から‐41 飲み水
アジアの街角 1枚の写真から‐41 飲み水

 カトマンズの水事情は、年々悪くなる一方だ。
 乾期も終わりに近づいてくる4月、5月になると水不足は最悪の状況になる。
 3日に一度の2時間の水道局の水の供給も、計画停電と重なれば、
 水を引き込むことも出来ない。
 市水道局の水を期待していたのでは、生活は成り立たない。

 そんな中での救いは、5百年近く前のネワール族のマッラ王朝時代に造られた
 ドゥンゲ・ダーラと呼ばれる石造りの共同水場である。
 長い列に並び、時間をかけて、飲料水、料理用の水を確保する。
 ほとんどの人たちが、間借り生活の貧しい人たちだ。
 大臣や高級官僚の家には、特別の水道管が敷設され、水に困ることはない。
 お金があれば、私設業者の給水車から、水を買うことも出来るが、
 大半の庶民にはそんな余裕はない。

 カトマンズからバンコク、そして、日本に帰ってくると 水が充分に自由に
 使える便利さには 喜びを感じる。
 カトマンズやバンコクの水道水は、そのまま飲むことは出来ない。
 市販のペットボトルに入った水を買うか、沸かして飲むかのどちらかである。
 それか、業者が売りに来る20リットル入りのフィルターを通した水を買うことも
 出来る。
 カトマンズなら20リットル入りのものなら、百円前後、バンコクなら2百円前後だ。

 日本の水道水は、美味しい不味いを 別にすれば、水道水は安全だし、
 市販のフィルターをつければ、充分に飲むことの出来るものだ。
 私が日本で生活していた頃には、水を買って飲むなどということはなかった。
 その当時から比べて、水道の水が飲みにくくなったとも思えない。
 だから、未だにペットボトル入りの水を買って飲む気にはならない。
 飲むことが出来る水があるのに、何で買ってまでして飲む必要があるのか、
 そう感じてしまう。
 冷蔵庫で冷やして飲めば、高級飲料水も水道の水もさほど差はないように思う。

 昔、山歩きをしていた頃、湧き水や小川の水を飲んでその美味しさに
 感動したこともある。
 それと同じものを、日常生活の中で、買ってまで飲もうとは思えわい。
 水道の蛇口から安全な飲料水が出てくるだけでも幸せに思ってしまう。

 食べ物といい、飲料水といい、今の日本人は、あまりに贅沢になりすぎているのでは
 ないだろうか。
 東京の水道水が耐えがたく不味いものとは、到底思えない。
 買った水は美味しいという思い込み、流行に左右されているように思えてならない。
 ネパールの水事情の中にいると、日本人の水に対する意識は、逆におかしいものの
 ように思えてくる。
 百円も2百円も出して、ペットボトルの水を買うお金があるなら、
 水で困っている国にでも援助した方がよほど賢い選択のように思えるが、どうだろう。
 水で困っている国々の情報は テレビの番組で報道されているが、豊かさ、贅沢さの
 中で生活している今の日本人には 想像の外の出来事なのだろう。


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アジアの街角 1枚の写真から | 04:17:24 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ ダサインの風景‐2 生贄の山羊たち
カトマンズ ダサインの風景‐2 生贄の山羊たち 1

カトマンズ ダサインの風景‐2 生贄の山羊たち 2

カトマンズ ダサインの風景‐2 生贄の山羊たち 3

カトマンズ ダサインの風景‐2 生贄の山羊たち 4

カトマンズ ダサインの風景‐2 生贄の山羊たち 5

カトマンズ ダサインの風景‐2 生贄の山羊たち 6

 昨日は 夕方からカトマンズに出かけた。
 パタンとカトマンズに架かる橋 バグマティ橋を渡り、マイティ・ガールに向かい、
 ネパールの国会議事堂になっているラナ家の宮殿であるシンハー・ダルバールまで
 やって来て、そのまま 真っ直ぐ プットリ・サラックに入る。
 プットリ・サラックの途中で左に向かう大通りに入ると、その通り一帯には、
 ダサインの祭りの時期に入ると 多くのカシ(去勢山羊)、ボカ(雄の山羊)、
 ベラ(雄の羊)が売られる。
 15日間のダサインの祭りの日の中のアストミといわれる日に 女神ドゥルガに
 生贄として捧げられるためだ。
 カシは生贄としては用を為さず、ダサインの祭りの間に各家庭で食されるためのものだ。
 ボカやベラにしても 女神ドゥルガに生贄の血を捧げたあとは 家庭で食される。

 アストミの日には ハヌマンドカの広場では、政府の予算で、154頭のランゴ
 (雄の水牛)、154頭のボカ、154頭のカシなどが首を切られ、女神ドゥルガに
 捧げられる。
 ヒンズー教を国教からはずし、信仰の自由を謳った共和制政府は、最初の予算では
 ハヌマンドカでの生贄のための費用は削っていたが、利権を抱える一部ネワール族の
 反対に合い、又予算の復活をしてしまった。
 ここで生贄にされた動物たちの肉は 軍、警察、管理、一部ネワール族に回される。
 カトマンズ庶民にとっては、益のないハヌマンドカの行事である。
 山羊や水牛にとっては、受難の日は終わらない。

 そんな運命であるとは露知らず、山羊や羊たちは寄り添って草を食んでいる。
 ダディン村からやって来た農夫たちが ボカやカシを引きつれ、この場所に売りに
 やってきている。
 直接売れば、一応1キロ250ルピー計算にはなっているが、値引きが当たり前の
 ネパールでは、1キロ220,230ルピーが売り値だろう。
 この通りでこうした農夫からカシ、ボカを買い付け、売っている商人に売るとなると、
 1キロ 200ルピー以下の値段になってしまうだろう。
 ダディンからやってきた農夫たちは どうしようかと思案している様子である。
 グルン、タマン、ネワール族の農民たちだ。

 村からまとめてボカを連れてきて、商いをしているタマン族の女もいれば、
 父子でボカやカシを打っているバウン族もいる。
 普段は 運転手の仕事をしていると言う。
 車を使って、村々を回り、ボカやカシを買いつけ、この場所で商いをしている。
 大体、ボカ、カシの1頭の値段は 6千から8千ルピーである。
 一般庶民の手に届く値段ではない。
 バウン族やチェットリ族の中産階級以上のものたちが買っていく贅沢な代物である。

 仏教徒であるグルン、シェルパ、タマン、キラティーを信仰するライ・リンブー族に
 とっては、ダサインはさほど重要なものではない。
 240年間に渡りネパールを支配した支配勢力、チェットリ、バウン族が 
 他の民族に押し付けたもの以上のものではない。
 王制が廃止され、共和制が生まれたにもかかわらず、何の批判も自覚もないまま
 ダサインの祭りは 国家的行事として 継続されていく。
 共和制になっても 何一つ 変わってはいないネパールである。


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カトマンズ 街の風景 | 14:41:10 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 川辺の子供たち‐8 洗濯をする少女
カトマンズ 川辺の子供たち‐8 洗濯をする少女 1

カトマンズ 川辺の子供たち‐8 洗濯をする少女 2

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カトマンズ 川辺の子供たち‐8 洗濯をする少女 4

カトマンズ 川辺の子供たち‐8 洗濯をする少女 5

カトマンズ 川辺の子供たち‐8 洗濯をする少女 6

カトマンズ 川辺の子供たち‐8 洗濯をする少女 7

 ダサインの祭りも形だけは始まり、本格的な祭りが始まるのは プルパティと
 呼ばれる日の10月6日からプルニナまでの1週間だ。
 プルパティまであと3日残すだけだ。
 ネパール最大の祭りといわれているダサインの祭り中も 週30時間近い計画停電は
 続き、改善の兆しはない。
 今日も朝7時から10時まで、夕方は5時45分から夜の9時15分までの停電だ。

 午前中の停電の間、近所を散策することにした。
 ほとんどの学校は ダサインの祭りの休みに入り、通りには子供たちの姿が目立つ。

 何日かバグマティ川の河川敷の広場には行っていなかったので、そこまで足を延ばす
 ことにした。
 田んぼの稲も すっかり実り、もう稲刈りも始まり、刈りいれた稲を干してある。
 田んぼの脇の細い道を抜けると、広場に入る。
 時間が早いせいか、広場で遊んでいる子供たちの姿はない。

 広場の向こうに見える井戸の周りでは インド人たちの洗濯が始まっている。
 井戸まで近づくと、この前、芝の上に干した洗濯物を番していた少女がいる。
 今日は髪の毛を三つ編みにし、少し大人びて見える。
 父親らしき男の洗濯の手伝いをしている。
 父親が石の上に叩きつけながら洗った洗濯ものをゆすぎ、搾るのが彼女の役目らしい。
 小さな手で洗濯物と格闘し、着ている服はびしょ濡れだ。
 そのそばには、小さな男の子もいる。彼女の弟のようだ。
 この前居た祖母は 家で朝食の準備でもしているのだろう。

 一人前に仕事をしている少女の顔は 大人の顔である。
 仕事に没頭する姿が、この前よりも少女を大人に見せたのだろう。
 同じ年齢の日本の子供たちの持つ顔つきとは 明らかに違ったものだ。
 家族の中での自分の役割をしっかり自覚した顔である。
 仕事をしている最中、ふと顔を上げ、私に気づくと驚いた顔をしている。
 それでも仕事の手は休めない。
 弟といえば、仕事に飽きて、幼い弟のそばで座り込んでいる。

 インドから家族総出でやってきて ドビと呼ばれる洗濯の仕事を 家族で助け合って、
 こなし、そして、生計を立てていく。
 そして、大人になっていく。
 楽な生活ではないかもしれないが、何か家族同士の信頼関係がそこにはあるような気がする。
 皆で頑張れば、いつかは洗濯屋の店を開くこともできるかもしれない。
 路上で自転車を引いて 果物の行商をするインド人たちが、いつかは自分の店を
 持つことを夢み、そして実現してゆくように、彼らもいつかは店が持てるかもしれない。
 そういうエネルギーが インド人たちにはある。
 少しでも今の状況から前に踏み出し、一歩一歩先に進んで行くことを願うばかりである。

 インド人たちにとっては ダサインの祭りは重要ではない。
 ネパール人たちが ダサインの祭りで浮かれている間も 
 この家族の仕事は休むことなく続いていく。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 01:19:59 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐40 神様の散歩
アジアの街角 1枚の写真から‐40 神様の散歩

 四月、五月にカトマンズの市街地を歩いていると、竹で作った棹の両端に
 荷をぶら下げ、通りを歩いている人を見かけることがある。
 その人の後ろには、大きな太鼓やシンバルを持った昔ながらの音楽隊が 
 続き、その後ろには着飾った人々が列を成して続いていく。
 この行列は ネワール族のマナンダールと呼ばれるカースト
 (菜種油の製造・販売に従事するカースト)のデワーリと呼ばれる宗教的な行事で
 ある。
 ハルメンの音楽隊のような雰囲気すらする。
 自動車の行きかう車道を 何十人かの行列が昔ながらのやり方で
 神様を先頭に 通り過ぎていく。

 ネワール族には クル・デェオタと呼ばれる一族の護り神がいる。
 この神様の像は 一族以外に見せることは許されない。
 この神様はネワール族の中のカーストにかかわらず、すべての一族の本家に
 置かれているものだ。
 その神様が、仏教の神様でもなければ、ヒンズー教の神様でもない。
 どうも土着の信仰のようだ。
 遠い昔、ネワール族の祖先が、カトマンズ盆地に移住してきた時からの
 土着の信仰なのかもしれない。
 一族の護り神であり、災いから家族・一族を護るものだ。

 その神様を担いでその一族とともに 街中を練り歩くのがデワーリと呼ばれる
 行事である。
 街を練り歩くのはマナンダールのデワーリの行事の形であるが、
 カーストによってそのやり方は違うようだ。
 外を練り歩くにしても、その神様を、一族以外のものに見せることは出来ないから、
 その神様の上には、金属製の器がかぶされている。

 世の中はいつも変転している、その世の変化を一族の神様に眺めてもらいたいと
 いうことだろうか。
 素朴に心を寄せて信じるものがあることは、人々に心の安定を与えてくれるはずだ。
 家族・一族の護り神である神様と街中を練り歩いたあとには、宴会が待っている。
 自分たちが米で作ったロキシー(蒸留酒)を酌み交わしながら、一族の繁栄を
 願う。
 そして、互いのつながりを確かめ合う機会でもある。

 そんな世界が日本にもあった。
 そんな世界が失われていくにしたがって、日本の何が変わり始めたのだろうか。
 祈りもなく、人への信頼も失われた世界の中で、人々は何を求めて生きていくのだろう。


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アジアの街角 1枚の写真から | 23:24:32 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ ダサインの風景‐1 ダサイン商戦
ダサインの風景‐1 ダサイン商戦

ダサインの風景‐1 ダサイン商戦 2

ダサインの風景‐1 ダサイン商戦 3

ダサインの風景‐1 ダサイン商戦 4

ダサインの風景‐1 ダサイン商戦 5

ダサインの風景‐1 ダサイン商戦 6

ダサインの風景‐1 ダサイン商戦 7

 一帯どこから湧き出てきたのというぐらいの人、人、人のカトマンズの中心部だ。
 スーン・ダーラ周辺、ニューロード、アッサン・バザール、ラットナパーク周辺と
 歩くことすら難しい人の波である。

 日本には年末商戦ということがあるが、ネパールも同じようにダサインというお祭りが
 近づくと 同じ様相を示し始める。
 形の上ではダサインの祭りには入っているが、プールパティからプルニナまでの
 1週間にダサインの祭りの主な行事が集中することから、10月6日から官庁も休みに入り、
 カトマンズに出稼ぎにやってきている人やカトマンズで仕事をしている人たちは、
 10月6日に郷里に向かい始める。

 両親、兄弟、妻や子供のためのダサインのための贈り物である衣服や靴などの
 買出しの真っ最中の時期が今なのである。
 この時期に自転車でカトマンズの中心部に行こうとすれば、交通渋滞、人ごみで
 身動きが取れなくなる。

 通りという通りには 衣料品、アクセサリー、靴などの露店が 所狭しと並び、
 道行く人々に大声で呼びかけている。
 売られているものの大半は 安い中国製品である。
 品質の方は 保証はないが、見た目だけで言えば、洒落たものも多い。

 衣料品や下着類が山のように詰まれ、女たちは目の色を変えて、好みのものを
 探し出している。
 ダサインの休みの始まりまでは あと3日、売り手も買い手も、血眼の形相である。
 1年のうちで最大の購買力の上がる時期だ。

 お金のあるものも ないものも 自分の懐具合に合わせて、何か土産物を 村に下げて
 帰らなくてはならない。
 待ちわびる親や子供のことを考えれば、手ぶらというわけには行かない。
 この日のために 食事も節制し、贅沢もせず、ひたすら我慢して 
 お金を貯めてきたのだ。

 しかし、昔のダサインはもっと静かだったような気がする。
 こんなには 物はあふれていなかったし、布地を買って、ダマイと呼ばれる仕立て屋の
 ところに持っていき、ダサインのための新しい衣服を縫ってもらい、それを子供たちに
 与えていた。

 今は、Tシャツ、ジーンズ、洒落たトレパンと様変わりし、縫って貰うより安上がりに
 なってきている。
 ネパールで生産された布で衣服を縫うなど、見向きもされなくなっている。
 すべて 工場生産の商品へと目が向いてしまっている。
 ダマイと呼ばれている縫製カーストの人たちの仕事も先細りである。
 物の供給のバランスが崩れ始めているのである。

 購買の熱気にあふれているカトマンズであるが、昔の静かなダサインが懐かしい。



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カトマンズ 街の風景 | 13:36:51 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 橋の上で‐2 雨の日には
カトマンズ 橋の上で‐2 雨の日には 1

カトマンズ 橋の上で‐2 雨の日には 2

カトマンズ 橋の上で‐2 雨の日には 3

カトマンズ 橋の上で‐2 雨の日には 4

カトマンズ 橋の上で‐2 雨の日には 5

カトマンズ 橋の上で‐2 雨の日には 6

カトマンズ 橋の上で‐2 雨の日には 7

カトマンズ 橋の上で‐2 雨の日には 8

 旧王宮に近いこの橋を渡ると カリマティという場所に出る。
 カリマティも ビシュヌマティ川をはさんで隣にあるテクも物騒なところである。
 テクに近いバグマティ川沿いには ビニールを張ったバッラクの建ち並ぶスラムがある。
 明るいうちは 別に問題はないが 夜遅くなると、強盗も出るような場所だ。
 夜8時を過ぎれば、歩きたくない場所のひとつだ。

 25年前、カトマンズ郊外のキルティプールという小さな町に住んでいた頃、
 自転車に乗って、よくカトマンズに出かけたものだ。
 バソンタプールの旧王宮広場の一角にネパール人の知り合いがいて、
 その知り合いに会いに キルティプールの丘の上から、カリマティまでやって来て、
 この橋を渡り、旧王宮広場までの上り坂を上って行ったものだが、
 遅くなるとこの橋を渡って、キルティプールへ帰って行くことはなかった。
 この橋、周辺は貧民窟という雰囲気があったのである。

 雨期最後の雨と思いながらも、よく雨が降るカトマンズだ。
 そんな日に再び、この橋に行ってみた。
 今回はしとしとと雨が降る中を旧王宮広場から下って橋に向かった。
 こんな雨の中で 橋の上で露店を開き、日々の糧を求める人たちはどうするのだろうと
 気になったからだ。

 橋に近づいていくと、いつもの賑わいはない。
 雨の中では仕事にならず、手回しミシンで仕事をする路上の仕立て屋の姿も、
 中国衣料の露店もない。
 あるのは野菜売りの姿だけである。
 朝 仕入れた野菜だけは売ってしまわないと、痛んでしまう。
 僅かの利益だけで 生活の糧を得ている人にとっては、雨の日でも休むことは
 できない。

 路上の物売りたちは 傘をさして、商いに励んでいるが、いつもほどの人通りはない。
 傘をささず、ビニール袋をかぶって頑張っている人もいる。
 いかにも村から出てきた人といった様子だ。

 雨が降ると傘をさすというのが 当たり前の姿であるが、25年前のネパールでは
 傘は高級品で 誰でも持っているというものではなかった。
 あってもインド製の黒い傘が 各家庭に1本あれば、いいほうだった。
 家の誰かが 傘を持って出かければ それまでである。
 雨が止むまで雨宿りを決め込む人、雨の中を濡れながら、歩いていく人、
 そんな姿をよく見かけた。
 今は中国からの見栄えのよい安い傘が 巷に出回るようになり、
 皆 傘をさして 街中を動き回っている。

 この小さな橋の上の市場でも 昔風の黒い傘ではなく、色とりどりの傘をさして、
 商いに精をだしている。道行く人もそうである。

 雨も小降りになり、物売りたちは増え始め、路上にビニールを敷き、野菜を並べ始め、
 少しずつ、活気も出てくる。
 母親に抱かれている幼児にカメラを向け、写真を撮り、その写真を見せると、
 その母親は 姑に 「おばあちゃん、この子の写真を観て」と声をかける。
 孫の写真を見て、おばあちゃんも喜んでいる。
 そのおばあちゃんの写真も1枚、撮る。

 カメラを向けると 嫌がる人、嫌がらずにポーズをとる人といろいろだ。
 男や子供は大体嫌がらないが、女は逃げ出すもの、顔を背けるものが多い。

 マガール、グルン、タマン、ネワール、チェットリ、ダマイ、カミと
 この橋の上には 多くの民族・カーストの人たちが 集まっている。
 社会の表舞台には 出てこない人々だ。
 彼らの生き生きとした楽しげな表情を眺めに来るだけでも 
 一見の価値のある橋の上である。


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カトマンズ 街の風景 | 02:01:49 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐39 神様と子供
アジアの街角 1枚の写真から‐39 神様と子供

 二千年以上の歴史を持つカトマンズの街の中には、
 数え切れないくらいの神々の像がある。
 路上にも、街の広場、寺院の境内、家の前にも神々の像が置かれ、
 そして敬われている。
 その場所は、カトマンズの子供たちの遊びの場所でもある。
 子供たちは、生まれた時から神々の像とともにあるというのも嘘ではない。

 カトマンズのネワール族の生活の中には 宗教的行事が多い。
 仏教、ヒンズー教、土着の宗教が、入り混じり、人々の生活の中に入り込んでいる。
 朝夕に祖父母、父母が、近くの神々の像を敬い、礼拝を欠かすことはない。
 その姿を見ながら、子供たちは成長し、祖先から伝わってきた信仰を受け継いでいく。
 ここにカトマンズのネワール族の安定した家族関係、共同体の安定の基礎を
 見るような気がする。

 ネワール族の何人かの人たちは、ネワール族はたくさんの行事があって大変だと言う。
 しかし、それが共同体、家族の絆を深め、強固なものにしていることには気づかない。

 ネワール族の子供たちの世界を構成しているものは、クル・デェオタといわれる氏神を
 中心とした強固な氏族集団、仏教、ヒンズー教の祭りなどをともに催す集落共同体の
 世界でもある。
 信仰とつながりの深い共同体の中で生活しているネワール族の社会では、犯罪は少ない。
 親族を大切にするネワール社会では 親殺し、子殺しなど考えられない。

 寺院や集落の中にある大小の広場は、子供たちの遊びの場所であり、触れ合いの場所だ。
 その中心には必ず神々の像が置かれ、広場は集落の宗教行事の中心的な場でもある。
 子供たちの遊びには干渉しないが、大人たちの目が行き届いている安心して遊べる場所だ。

 子供たちは 日々の生活の中で大人たちの生活を眺め、大人から子供への文化の伝承が
 この広場の中で自然に行われている。

 近代的な価値観が、入り込んで来ているカトマンズではあるが、ネワール社会の中では
 まだまだ、昔ながらの生活習慣が生き続けている。


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アジアの街角 1枚の写真から | 01:12:09 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 夜景‐5 夜 蘇る過去の時代
カトマンズ 夜景‐5 夜 蘇る過去の時代 1

カトマンズ 夜景‐5 夜 蘇る過去の時代 2

カトマンズ 夜景‐5 夜 蘇る過去の時代 3

カトマンズ 夜景‐5 夜 蘇る過去の時代 4

カトマンズ 夜景‐5 夜 蘇る過去の時代 5

カトマンズ 夜景‐5 夜 蘇る過去の時代 6

カトマンズ 夜景‐5 夜 蘇る過去の時代 7

カトマンズ 夜景‐5 夜 蘇る過去の時代 8

 カリマティから坂を登り、ビシュヌマティ川に架かる橋を渡り、旧王宮広場へと続く
 坂道を再び登り始める。
 夕暮れの薄明かりから夜の闇に変わり始め、通りの店には灯りがともり始める。

 カトマンズ盆地にネワール族の王国が生まれたのは 紀元5世紀のことである。
 その王国の名は リッチャビ王国、ネワール族の民にとっては、理想の王国のように
 言われている。
 その王国は 紀元13世紀初頭に、新たに起こったマッラ王国に取って代られてしまう。
 このマッラ王国の時代に 絢爛たるネワール文化が花開くのである。
 マッラ王国の中心であったハヌマンドカの歴代のマッラ王の王宮、その周りには
 木工芸の粋を尽くして建てられた多くの寺院がある。
 ハヌマンドカの王宮から百メートルも離れていない場所には 
 市場も、ネワールの民たちの住居もある。
 それは 王と民衆との新密度の表れでもある。
 このマッラ王朝時代には ヒティと呼ばれる石造りの共同の水場、沐浴場が 
 カトマンズの民のために多く造られた時代だ。

 240年前にゴルカからの侵略者 プリティビ・ナラヤン・サハによって、
 カトマンズ盆地を征服されるまでは その豊かな土地の滋味によって、
 ネワール族はその繁栄を 謳歌していたのだった。

 そんな時代の名残りが 旧王宮広場脇の市場にはある。
 マッラ王朝時代に建てられた木造建造物の寺院の1階では、様々の商いをする店が
 軒を並べる。
 売られているものといえば、その大半が 日常必要とするものばかりである。
 乾物、穀類、果物、食用油、ダヒ(ネパールヨーグルト)、野菜、
 値段を誤魔化すことのできない生活必需品ばかりの店だ。
 誠実な商いを何百年にも渡って続けてきたネワール族商人の姿が そこにはある。
 ネワール族商人が 誠実というのでなく、ここで商いをするネワール族商人が 誠実な
 商いをしているのである。

 食料品、雑貨を売って得る利益はささやかなものだ。
 そのささやかな利益の積み重ねは 誠実さ、正直さを失ってしまえば、
 明日から来る客は いなくなってしまう。
 地味な商いの中で、誠実に商いをする人間の落ち着きが その顔からうかがわれる。
 昔から続いてきた商いを受け継ぎ、何百年も変わらぬ姿のまま、商いを続ける。

 夜の闇の中で 灯りに照らされ、浮かび上がってくるこの市場は 
 マッラ王国時代のカトマンズの街の姿、人々の姿を髣髴させる。
 今 自分がどの時代にいるのかをも 忘れさせてしまうようだ。

 このハヌマンドカ周辺には 何か凝縮された気のようなものがある。
 だからこそ、マッラ王国の王宮をここに建てたのだろう。
 ネワール族の過去の精霊たちが 今も暗闇のそこかしこに佇んでいる、
 そんな気もするのである。

 この場所で商いをする人も 何百年か過去へと 時代が溯ったとしても、
 時代に合わせた服を着て、同じ商いを何の不自然さもなく、続けるだろう。
 それでも誰一人困る人はいないだろう。
 我々現代人が 一体、何に血迷っているのか、考えさせられる風景だ。
 今夜は 市場の建物の上には 三日月が顔を覗かせていた。
 ダサインの祭りは この三日月が 満月に変わるまで続いていく。



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カトマンズ 街の風景 | 03:32:52 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 橋の上で‐1 晴れた日には
カトマンズ 橋の上で‐1 晴れた日には 1

カトマンズ 橋の上で‐1 晴れた日には 2
 
カトマンズ 橋の上で‐1 晴れた日には 3

カトマンズ 橋の上で‐1 晴れた日には 4

カトマンズ 橋の上で‐1 晴れた日には 5

カトマンズ 橋の上で‐1 晴れた日には 6

カトマンズ 橋の上で‐1 晴れた日には 7

カトマンズ 橋の上で‐1 晴れた日には 8

 カトマンズの中心部を流れる聖なる川は 二つある。
 1つは バーグ(トラ)の口から流れ出た水から出来た川ということから、
 バーグマティと名づけられ、もう1つは ヒンズー教のビシュヌ神の名をとって 
 名づけられたビシュヌマティ、この二つの川 聖なる川にもかかわらず、
 すっかり汚染され、自らの名前をつけられた神もトラも苦笑していることだろう。

 私の住んでいるところからカトマンズの中心部へ向かう道は 二通りある。
 バーグマティ川に沿って上流に上れば、バーグマティ橋、下流に向かえば テクに至る
 橋にぶつかり、ブシュヌマティ川に沿って上っていけば、今日王宮広場へと出る。
 このテクでは バーグマティ川とビシュヌマティ川も合流する地点だ。

 テクからビシュヌマティ川沿いには舗装された道路があり、川辺のゴミの山と
 汚染された川の流れを眺めながら、上流に向かうと、一本の橋がある。
 私が25年前にやってきたときにも同じ姿でかかっていた。
 その頃は この橋の周辺には カーストの低い掃除人カースト、屠殺カーストの
 人たちが住みつき、掘っ立て小屋のような住居が建ち並んでいたが、近頃では
 昔よりこぎれいになってきている。

 このビシュヌマティ川は、マッラ王朝時代から旧王宮のある聖なる場所と
 穢れた場所カーリマティという低カーストの生活場所に分けていた。
 そのために川沿いのカーリマティ周辺には 貧しい人たちが多く住んでいた。
 聖と穢れをこのブシュヌマティ川が隔て、それを結んでいた橋が この橋である。

 この橋の上は 今では 小さなバザールだ。
 それも貧しい庶民たちが 昔ながらの品物、一山ごとに売られている安い少し質の
 劣った野菜を求めてやってくる。
 売る側も貧しいぎりぎりの生活をしている人々、買う側も同じように貧しい人たちだ。

 昔ながらの手作りの鉄製品を売るカミと呼ばれる鉄職人カースト、ダマイと呼ばれる
 縫製カースト、手押しミシンを並べて、注文の服を縫っている。
 乳飲み子を抱えて 僅かばかりの野菜を売る明るい母親、中国製の安い服を売る露店の
 後ろで子供たちがズタ袋をハンモックのようにして遊んでいる。
 写真を撮っていると、子供たちの父親が写真を見せろとやって来て、撮った写真を
 見せると大喜びである。

 この橋の上には タマン族、グルン族、マガール族、ネパールではダリットと
 呼ばれている低カーストのカミ、ダマイと 皆、ネパールの底辺部で生きている
 人たちだ。
 どんなに虐げられても 明るさだけは失わずにいき続けてきた人々だ。
 25年前のネパール、カトマンズでは 皆、貧しかったし、今ほど貧富の差も
 なかった。
 貧しくても 明るくたくましく生きる人々であふれていた。
 そんな時代の片鱗を この橋の上の人々の中に見た思いがする。


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カトマンズ 街の風景 | 01:53:14 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐38 路上の野菜売りのおばさん
アジアの街角 1枚の写真から‐38 路上の野菜売り

 カトマンズの街では、一歩 家の外を出ると、街の中で生活している人々の
 生きる息吹のようなものを感じることが出来る。
 通りが、小さな広場が、カトマンズの人々の生活の舞台である。
 路上の物売り、何をするでもなく所在無く座り込んでいる人、
 暇つぶしのおしゃべりに夢中の人、道端で賭け事にふける人、
 通りの人々のそんな姿を見ているだけでも、飽きることはない。

 東京に帰ってきて、通りを歩いていても、人間の生きている息遣いを感じることが
 出来ないのは、どういうことだろう。
 用もないのに、声をかけることなど、考えられないことだし、声などかけようものなら
 不信がられるのは当たり前だし、通りは、歩き、移動する以上の場所ではない。

 カトマンズやバンコクなら、いつも歩く通りなら、いつの間にか、馴染みの人間も出来、
 声をかけたり、眼を合わせたりするようになるものだ。
 そして、街や通りが馴染んできて、自分の身体の一部になっていく。
 ずっと、東京に住み続けている人間にとっては、通りは移動の場所だと思うのは
 当然なのだろうが、東京より、カトマンズ、バンコクの生活の方が長くなった
 自分にとっては、あまりに素っ気なく、かかわりの持てない街のように思えてしまう。

 カトマンズのどこを歩いていても、人間が生地のまま生きている姿を見かける。
 出会った人々に声をかけるということもおかしなことではないし、一緒に座り込んで
 話を始めることも自然に行える。
 人間に対して関心を持つ、同じ街に生きているという共感が どこか感じられる。
 人間が生きている街の姿がそこにはある。

 カトマンズのハヌマンドカの旧王宮広場の近くの坂道で 一山10ルピーの野菜を
 並べて、ささやかな商いに精を出すおばさん、話しかければ、気楽に話もはずんでくる。
 みんな、生活は楽ではないにしても、人間としての余裕が感じられる。
 私とおばさんが話をしていれば、近くで同じように野菜を売っている人たちも
 関心を持ち、耳を傾け、時には会話に加わる。

 そんな人との関わりを25年近く続けていると、日本の方が、私にとっては
 異文化のように思えてくる。
 使う言葉も 時間的にみれば、日本語を使うより、タイ語やネパール語を使う
 時間の方がはるかに多くなっている。
 25年間の中で大きく変わってしまった日本人と話す方が、余程 神経を使う。
 私が25年前に持っていた日本人のイメージとは あまりにかけ離れてしまっている
 からだ。
 カトマンズやバンコクなら、人々の行動もある程度、予測も出来るが、
 今の東京で、日本人の行動の予測は出来ない。
 ネパール人やタイ人、インド人が日本にやってきて、
 どんな気持ちで生活しているのか、気にかかる。
 彼らの日本に対する憧れは、一体どういうものなのだろう。
 私にとっては、カトマンズやバンコクにいるほうが、人間を近くに感じることが出来る。


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アジアの街角 1枚の写真から | 00:13:30 | Trackback(0) | Comments(2)
カトマンズ 夜景‐4 蝋燭の明かりの中で
カトマンズ 夜景‐4 蝋燭の明かりの中で 1

カトマンズ 夜景‐4 蝋燭の明かりの中で 2

カトマンズ 夜景‐4 蝋燭の明かりの中で 3

カトマンズ 夜景‐4 蝋燭の明かりの中で 4

カトマンズ 夜景‐4 蝋燭の明かりの中で 5

カトマンズ 夜景‐4 蝋燭の明かりの中で 6

 1週間に3日も夜3時間の停電があると、光と闇の交差する世界に出会う機会が
 増えてくる。
 電気が充分に供給されている国では 味わえない世界である。
 神々の像が 人の数と同じくらいにあるといわれているカトマンズ、
 薄暗い明かりの中で カトマンズの神々も復活しているのではと思わせる。

 ほのぼのとした蝋燭の燈す明かりの外側には 闇の世界が広がる。
 そこは精霊の棲家であり、魑魅魍魎の活躍する舞台でもある。
 撮った写真の隅っこにでもそんな精霊たちの姿が現れていないかと眼も凝らしたくなる。

 蝋燭の明かりのほのぼのとしたやさしさは、人をイマジネーションの世界へと誘う。
 太古の時代に人間が持っていた情念の世界、理性では割り切れない世界への扉を
 開く。
 人工的な明かりにあふれている現代社会では 人々が失いかけている内なる闇の世界、
 豊穣な魅惑的な世界、そんな世界が カトマンズの薄暗い街に身を置いてみると、
 しだい次第に拡がってくるのがわかる。

 雑踏や騒音、イルミネーションで誤魔化し、如何にも近代化していると
 見せかけていたカトマンズの街が、電気という文明の利器を失えば、すぐさま
 過去の古い町並みに戻ってしまうことがわかる。

 道端で野菜を売っている人たちの姿が、50年、いや100年前の人の姿と
 どこが違うというのだろう。
 香料を売る老女の姿は どうだろう。

 蝋燭の明かりの中で静かに浮かび上がってくる銅製の壷や器、それぞれがはっきりと
 自分を主張し始める。
 物であることの存在感がはっきり感じられるようになるから 不思議である。

 文明の利器を手に入れることで 得たものと失ったもの、得たものは当然のものとなり、
 失ったものは 記憶の外へと逃げ出してゆく。

 電気がないという世界は確かに不便な世界であるが、一時的な不便さなら我慢もできる。
 蝋燭の明かりの持つ魅力を 今回のカトマンズ滞在は 充分に満喫させてくれた。
 25年前に 当たり前のように街のあちらこちらで息づいていた闇の存在を再び、
 感じることが出来た。

 多くの神々の棲むカトマンズには やはり 光と闇の世界が必要だ。
 首都は どこかにでも移転して、昔、神々の棲家であったようなカトマンズに
 復活してもらいたいものだ。
 そうでもしない限り、神々の恵みも人々の幸せも 失われるばかりである。


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カトマンズ 街の風景 | 15:28:53 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 川辺の学校
カトマンズ 川辺の学校 1

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カトマンズ 川辺の学校 6

カトマンズ 川辺の学校 7


 バグマティ川のカトマンズとパタンに架かる橋 バグマティ橋のすぐ下の
 河川敷きに広がるスラムに再び行ってみた。
 午前10時から午後1時までの計画停電中の時間帯を 外で過ごすためである。
 暑い陽射しの中で、スラムの中央を走る泥道も乾き、歩き易くなっている。
 その道を歩き続けると、最近 建てられたばかりの小さなレンガ造りの学校がある。
 その学校の子供たちの様子や授業風景も見てみたかった。

 今日は平日にもかかわらず、子供たちの姿をよく見かけた。
 不思議に思って、スラムの中にいる人に尋ねてみると、
  「今日はバンダ(ゼネスト)だ。」という。
 橋の上を見上げてみると、確かに自動車は走っていない。
 尋ねた女性は 半年前にスラムのこの地で ビニール張りのバラックを
 建てていたライ族の女性だ。
 川原の小さな空き地を利用して、コウドウ(ヒコクビエ)、大根を植えている
 畑の手入れをしていた。
 手伝っていた若者は 彼の息子だと言う。
 ライ族はキラティという土着宗教を信仰するが、彼女はキリスト教を信仰する。

 バンダの日なら、学校も休みだと思ったら、学校は開かれており、
 4,5歳から10歳くらいまでの子供たちが 学校の中にいた。
 学校といっても 机も椅子もなく、ただ ござが 敷かれてあるだけのものだった。
 先生といっても バウン族の女性と助手のようなマガール族の若い女の子が二人いて、
 子供たちの中に座り込んで、ネパール語の文字やアルファベットを教えている。
 学校というより 託児所といった感じで 子供たちも親に言われて、やって来て、
 友達と一緒にいることを楽しんでいる様子である。
 もっと年齢の上の子供たちは 近くにある政府の公立学校に通っている。

 写真を撮っていると、このスラムのメンバーで構成されている委員会の人間が
 やって来ていろいろと教えてくれる。
 学校のすぐ横の空き地は 校庭として利用するつもりであること、
 集落の学校として充実していくなどと話してくれた。
 リンブー族の30歳前の男である。
 違法に政府の土地に 住居を建て 住みついた人たちであるが、既成事実を積み上げ、
 立ち退きに対抗するための組織作りに精を出しているようにも思われる。

 マオイストの政府が ネパール語でスクンバシと呼んでいるこうしたスラムに対して、
 どう対応していくのか、まだはっきりとはしていない。

 バグマティ川沿いには 何箇所か こうしたスクンバシと呼ばれるスラムがある。
 古い集落は 一応 政府も居住を認めているようだが、去年あたりから建ち並び始めた
 このスラムやテクあたりのスラムについてはどうするかは はっきりしていない。

 1番の問題は、子供たちの教育の問題だろう。
 どこの政府の公立学校も 目一杯の状態だ。
 マオイストはネパールの教育問題については、公教育の重要性を叫んできたが、
 カトマンズでは、公立学校は 全体の2,30%で 大半は 私立学校である。
 これほど公教育に対して無関心な政府も珍しい。
 国づくりが 人づくりということが 全くわかっていないのである。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 02:01:15 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐37 粗食
アジアの街角 1枚の写真から‐37 粗食

 カトマンズの市場に出かけると、必ず眼にするものは、大小様々の豆類だ。
 大豆、小豆、空豆、インゲン豆、えんどう豆と数え上げれば、きりがない。
 それとともにダールと呼ばれている穀類もある。
 これら豆類は、ネパール人がたんぱく質として摂取する重要なものだ。

 ネパールの食の形は、ダール・バート・タルカリ、ダールと呼ばれる豆汁、バートと
 呼ばれるご飯、そしてタルカリと呼ばれる野菜カレー、それに、トマト味、香辛料味の
 少し酸っぱいピクルスのようなものがつく、それが一般的である。
 肉や魚は、肉カレー、魚カレーにして食べるが、たまに食べる程度で、
 毎日というわけにはいかない。

 カトマンズ盆地のネワール族は、他の民族に比べると、肉を食べることが多いが、
 行事の多い彼らは、そのご馳走として水牛肉の料理を食べる。
 しかし、毎日というわけではない。
 大抵は、肉なしのダール・バート・タルカリであることが多い。

 カトマンズ盆地から離れれば、このダール・バート・タルカリなど食べず、
 ディローと呼ばれる、とうもろこしの粉、ヒコクビエの粉をお湯で溶いたものが
 主食で、米など贅沢品であることになる。

 ヤギ、鶏、アヒルなどは飼ってはいても、自分たちの口に入れるものではなく、
 換金のためのものだ。
 これらの家畜を売って、砂糖、塩、香辛料、油、服、薬などを買うお金を
 手にするのである。

 肉などのご馳走を口にするのは、ネパール最大の祭りダサインのときぐらいのものだ。
 確かにネパール人も肉は好きだが、彼らは彼らの環境の中で、適応して生活している
 のである。
 別にそれで飢えて死ぬわけではない。

 自分の小さいときのことを思い出してみても、肉などいつも食べるものではなく、
 ご馳走など 正月に食べていたくらいで、ネパールとあまり変わりはなかったのかも
 知れない。
 たんぱく質など豆腐や豆類で取っていた。

 そんなネパールから、日本に帰ってくるたびに、日本人の食べ物に対する関心、
 執着が年々、強くなっていることだ。
 テレビをつければ、これでもかというほどの料理番組、グルメ番組、食べ物を
 ゲームにして遊んでいる番組、日本人の食べ物に対する良識は、
 どこに行ってしまったのかと疑いを持ってしまう。
 これらの番組を眼にするたびに、食べていない自分たちの方がおかしいのかと
 思えてしまうほどである。
 アフリカの飢餓を放送している同じテレビ局が、飽食番組・グルメ番組を飽きもせず、
 毎日のように放送している。
 万事が万事、こんな調子だ。

 今日一日、どうにか食べることが出来たことを有難がるという謙虚さは、
 もうこの国では失われてしまっている。
 これでは、世界を襲っている飢餓など想像する想像力など、
 期待する方が無理なのだろう。
 食べ物を粗末にしてはならないよという言葉は 誰の口からでてくるのだろう。


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アジアの街角 1枚の写真から | 01:26:13 | Trackback(0) | Comments(2)
カトマンズ 夜景‐3 ガネーシュ・タンのまわり
カトマンズ 夜景‐3 ガネーシュ・タンのまわり 1

カトマンズ 夜景‐3 ガネーシュ・タンのまわり 2

カトマンズ 夜景‐3 ガネーシュ・タンのまわり 3

カトマンズ 夜景‐3 ガネーシュ・タンのまわり 4

カトマンズ 夜景‐3 ガネーシュ・タンのまわり 5

カトマンズ 夜景‐3 ガネーシュ・タンのまわり 6

カトマンズ 夜景‐3 ガネーシュ・タンのまわり 7

カトマンズ 夜景‐3 ガネーシュ・タンのまわり 8

 昨日も 夕方の5時半から夜8時半までの計画停電だった。
 部屋の中に居てもすることがないので、夕食のメニューにしていた鶏すきの材料を
 求めて、散歩がてらにカトマンズのキチャポカリまで行くことにした。
 豆腐と青葱と白菜を買うためだ。
 豆腐や白菜は 近所では手に入らず キチャポカリまで行かなくてはならない。
 鶏肉と春雨は 家にある。

 家から30分ほど歩いて スーン・ダーラに到着し、横断陸橋に登り、カトマンズを
 囲む山々を見回すと、その向こうに白いヒマラヤの山々が 顔を出している。
 もう少し早くこの場所に来れば、夕闇前のくっきりしたヒマラヤの山々を見ることが
 出来たのにと残念である。

 相も変わらず、カンティパティの大通りは 大渋滞、スーン・ダーラ近辺にも
 人があふれ、肉・野菜市場のあるキチャポカリまで行くのに 人並を掻き分けていく
 始末で 難儀をしてしまった。
 やっと いつもの八百屋で白菜と最後の2丁の豆腐を手に入れたが、
 青葱の新鮮なものがない。
 青葱は近所の市場で買うことに決めた。

 夕暮れの6時半を過ぎると 盆地のカトマンズではすっかり闇に包まれる。
 バソンタプールの王宮広場に行ってみると、大勢のカトマンズ市民たちが 
 広場の暗闇の中で 話しこんでいる様子が ぼんやりとシルエットのように
 うごめいている。

 その広場の横を抜け、広場の裏のガネーシュ・タンに向かう。
 この場所が ガネーシュ・タンと呼ばれているのは、カトマンズ市民がよく礼拝に
 訪れるヒンズー教の神様 ガネーシュが 小さな祠の中に置かれている場所があるからだ。
 その近くまでやってくると、おびただしい燈明がたかれ、お参りをしている人々で
 ごった返している。

 一人の小さな少年が 燈明の種火の番をしている姿が浮かび上がっている。
 シバとパルバティの間に生まれた象の顔をした異形の愛の神様 ガネーシュに 
 人々はどんな祈りを捧げているのだろう。
 人々の流れは 止むことなく次々と続く。
 若者たち、中年のものたち、老人たちと年齢は問わない。
 火曜日には 毎週 燈明がたかれるという。
 自然の火は そのやさしい光で あたりを幻想的に包み込んでいる。

 ガネーシュ・タンの幻想的な光景に満喫し、帰り道に向かう。
 暗い広場の片隅のネワール族の年老いた商人が薄暗い灯りの中に
 座り込んでいると思えば、同じように広場の一隅には 携帯用非常灯の灯りの中で
 野菜を売っている
 人たちもいる。
 何もかもが心に残る懐かしさを感じさせる幻想的な光景なのだ。

 野菜を売っている人々のすぐそばには 細い通り抜けようの路地があり、
 そこはこのあたりの小さなネワール族の居酒屋が並ぶ路地だ。
 居酒屋の中を覗きこむと 水牛や山羊の内臓料理や魚のから揚げが並び、
 客たちは話し込み、楽しそうに酒を酌み返している。
 暗い路地を抜け、ジョッチェン フリークストリートまでやってくると、
 ネワール族のマナンダール(菜種油の製造・販売カースト)の居住地の路地では
 街灯の周りに群がる人々が何やら話し合っている。

 光と闇が程よく交差すれば、そこには安らぎが生まれる。
 人の心の中に 光と闇の部分があるとすれば、街にも光と闇の世界が必要だ。
 先進諸国と呼ばれる国々では 生活の場所から闇を追い出してしまった。
 そして、薄っぺらい文化を作り出し、心の安らぎを失っているのは 皮肉なものである。


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カトマンズ 街の風景 | 15:27:27 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 路上で育つ少年たち
カトマンズ 路上で育つ少年たち

カトマンズ 路上で育つ少年たち 2

カトマンズ 路上で育つ少年たち 3

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カトマンズ 路上で育つ少年たち 5

カトマンズ 路上で育つ少年たち 6

 カトマンズの露店の物売りたちに混じって、一人前の顔をして物を売っている子供たち 
 に出会うことが多い。
 又、父親や母親のそばにいて、商いを手伝い、大人の仕事を見ている子供たちもいる。
 日長一日、父親や母親の仕事ぶりを見て、その苦労を知ることも多いだろうし、
 売り買いのいろはを少しずつ学び、品物を買いにやってくる人たちの表情や仕草から
 人間について知ることも多いだろう。
 学校は 知識は与えてくれても、人生の『いろは』は教えてはくれない。
 本来学びの場は 学校だけではないのだ。

 路上の商いは 学校では得ることの出来ない知恵や人間に対する見方も
 教えてくれるだろう。
 一人前になることがどういうことか、それを子供たちの姿の中に見つけることが出来る。
 こうして育った子供たちは 人生のどんな逆境の中でも生き抜いていくだろう。
 ひたすら 生きるたくましさを身につけていくのだ。
 そんなしたたかさが、子供たちの眼には現れている。

 ムリといわれるおつまみのような食べ物を作る少年の手つきは 一人前の大人のもの
 だし、一山5ルピーで野菜を売る少年は 買いに来る人たちがどんな人かを見る眼を
 養うだろう。
 値引きを求めるような品物を扱う少年たちは、大人相手にうまく値段の釣り合いを取る
 技術、掛け合いも必要になる。
 子供だからといってなめられてはならない。
 本当に困った時には 近くにいる大人の物売りたちの手助けもある。

 スーン・ダーラの近くの中国衣料の露店では、学校も休みになったタマン族の少年が
 大声を上げて、客寄せをしている。
 大人顔負けの声量で あたりを圧倒している。
 すぐそばの幼い弟が 兄の声に合わせて、声をあげているが 兄には敵わない。

 私の住んでいるところは 3階がチェットリ族の大家で 2階に私が住み、
 1階にはバウン族の母子が住む。
 大家の息子は27歳になるというのに 未だ働こうとはしない。
 起きてくるのは、昼間の12時近く、1日中 家の中でごろごろしている。
 私立の寄宿舎制の学校に行き、親は 子育ては学校任せ、
 何の生活力も身につけないまま、23歳で私立の大学中退、
 父親は12年前に癌で亡くなったが、
 母親は家賃収入があることをいいことに働こうともせず、
 一日おしゃべりに明け暮れている。
 息子は 日本で言えば、全くのニートである。
 家の修理など男の仕事もほとんど出来ない。
 85歳の祖父が 老身を鞭打って頑張っていても手伝おうとはしない。
 母親も同じである。

 階下のバウン族の父親はマレーシアに出稼ぎ、母親も夫の仕送りをいいことに
 暇に任せて、上の大家とおしゃべり三昧の生活だ。
 子供は 私立の寄宿舎制の学校に入れているから、長い休みの時だけ帰ってくる。
 今はダサインの祭りの休みで帰ってきているが、それに合わせて、コンピューターを
 買い与え、これまた、一日中コンピューター・ゲーム漬け、ネパールで中産階級と
 呼ばれている家庭の子供たちは、こんなものである。

 それに比べれば、路上の子供たちはなんとたくましい。
 しっかりと大地に根を下ろし、子供ながらに生きているという強さを感じさせる。
 こんな子供たちが大人になって 社会の中心的な存在になっていけば、
 ネパールも もっと良い国になるだろうと思う。
 ネパールには 理屈ばかりをこねて、身体を動かさない連中が
 ネパールの政治の中枢にいる。
 全く困ったものだ。


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カトマンズ 生き抜く人々 | 01:33:50 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐36 晩年
アジアの街角 1枚の写真から‐36 晩年

 カトマンズのネワール族の住む地域に行くと、チョークと呼ばれる広場に
 老人たちが座り込んで、のんびりした午後の時間を過ごしているのを
 よく見かける。
 ネワール族の集落には、3階、4階建てのレンガ造りの建物に囲まれた広場
 があり、そこが憩いの場所になっている。
 老人、若者、子供たちが、集落に住む人々との触れ合いを求めて、
 この広場に集まって来る。

 60,70歳を過ぎたネワール族の老女たちが、広場の片隅に座り込んで、
 満ち足りた表情で、午後のひと時を過ごしている。
 ネワール族のサッキャ・カースト(仏教徒)の女たちだ。
 主だった家の仕事は、嫁たちに任せ、午後になると、幼なじみ、親戚のものたちと
 のんびりしたひと時を過ごすのである。

 ネワール族は、大家族制の習慣があり、この老人たちの息子家族も、
 同じ家の中に住むのが普通だ。
 娘たちは結婚すれば、家を出て行く。
 息子が三人いれば、息子が結婚すれば、息子の嫁、その子供が同居することになる。
 だから、家族10人以上というのは当たり前である。

 息子たちの家族は、母親であるこの老女たちに生活費を渡し、彼女たちが家庭を
 取りまとめていく。
 彼女たちが亡くなると、大家族にまとまりがなくなり、
 財産分けの問題が出てくることもある。

 カトマンズの昔からの先住民族であるネワール族は、他の民族に比べれば、
 土地も家もあり、豊かな民族といえる。
 しかし先進諸国に比べれば、決して物質的に豊かだとはいえない。
 豊かでないから、互いに支えあうともいえる。
 その一つの実りが、このネワール族の年老いた女たちの姿である。

 日本では、子供たちの世話にならないことを前提として、生活を考えていく。
 年金、医療など社会制度もどうなっていくかわからない。
 老後のために貯めておいたお金をねらう振り込め詐欺、おれおれ詐欺、
 ものを買わせる悪徳業者、孤独な老人だけでは防ぎきれないくらいの執拗さで
 迫ってくる。
 アメリカ的な似非自由主義、似非個人主義を謳ってきた家族制度の結果が
 今の家族問題、老人問題だ。
 古い伝統を捨て、すぐに新しいものに走る日本人の欠点の結果だ。
 それを進めてきた政府、それを信じてきた国民、にっちもさっちも行かないところまで
 日本は来てしまった。

 こんな時には、一番身近な家族で支えあうというのが本当であるが、
 その家族も崩壊寸前だ。
 それすら、気がつかないで、安心しきっているところもある。

 いつかは誰しも歳を取り、老後を迎える。
 支えあう人間を失った老後を考えることも出来ないくらい想像力を失った日本人なの
 だろうか。
 みんな自分だけは違うと思っているのだろうか。


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アジアの街角 1枚の写真から | 00:11:09 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 帰り道‐3 バグマティ橋の辺
カトマンズ 帰り道‐3 バグマティ橋の辺 2

カトマンズ 帰り道‐3 バグマティ橋の辺 3

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カトマンズ 帰り道‐3 バグマティ橋の辺 5

カトマンズ 帰り道‐3 バグマティ橋の辺 6

カトマンズ 帰り道‐3 バグマティ橋の辺 7

 スーン・ダーラの雑踏を抜け、地方へ向かうバスの小さな切符売り場、
 バスに乗り込む乗客たちが腹ごしらえする小汚い食堂の並ぶ一廓を通り過ぎ、
 ツリップレソールへと向かう下り坂を歩き始める。
 道の向こう側はネパール軍の宿舎、その下には名ばかりの国立競技場、
 そちら側は人気もないので夜になると歩かない。

 少し歩くと 暗闇の中に浮かぶインド人の果物屋、インド人の果物屋は
 ネパール人の果物屋と違って、ディスプレイに気を使っている。
 ネパール人とインド人の美的感覚の違いが 店造りにも違いを見せている。
 ネパール人の店がどんな店であっても 整理整頓などお構いなしに 品物が
 店の中に投げ込まれているといった感じである。
 この果物屋も 最初は自転車での果物の行商をしながら、何年もかけてお金を貯め、
 ここまでたどり着いたのだろう。
 ネパール人には、自転車での行商など恥ずかしくて出来ないと言う気持ちが絶えずある。
 しかし、この頃では生活が苦しく、地方からやって来たネパール人も荷車を使っての
 行商には手を出し始めているが、昔からのカトマンズ住民は近所、知り合いに
 恥ずかしいという気持ちから、やはり手を出さない。

 この店を通り過ぎると、電気の灯りのない暗闇の中の道である。
 舗装の崩れた歩道で転ばぬように、後ろ方やってくる足音に神経を使いながら、
 歩いていく。
 足音が聞こえてくれば、後ろを振り向いて相手を確かめる。

 ツリップレソールの交差点まで来れば、明るくなる。
 ここにはカトマンズで一番大きなショッピングセンター ワールドトレードセンターが
 ある。
 外国からの輸入品を扱う店が数多く入り込んでいる。
 庶民とは無縁の場所である。
 夜も8時過ぎになると、客の姿もまばらである。

 信号のない交差点を左に曲がると、道は カトマンズとパタンに架かるバグマティ橋へと
 向かう。
 ゴルカ王朝時代にサハ家の王から権力を奪い、ラナ家を起こし、摂政政治を始めた
 ジャング・バハドール・ラナの建てたナラヤン寺院、ラーマ寺院を過ぎると
 タパタリ交差点に至る。
 ここまでの道も暗闇の中で、黒い人影と行き交うだけだ。

 ここまで来ると、やっと家の近くにまで戻ってきたという安堵感がある。
 橋に向かって交差点を右に曲がると、小さな広場があり、そこは出稼ぎのインド人たち 
 の溜まり場、交流の場所にもなっている。
 暗闇の中でインド人たちが おしゃべりをしている。

 それを横目に見ながら、足を進め、バグマティ橋の上に立ち、バグマティ川の水の流れ、
 街の明かり、カトマンズ盆地を囲む山々に目を向ける。
 この橋の上に立つと、過ぎ去った25年の月日へと心が向かっていく。
 あっという間の25年だった。
 何度 この橋の上で足を止めたことだろう。
 自分の心はそれほど変わってはいないのに、肉体も周りの世界も変わってしまっている。
 私の心だけが、時代に取り残されてしまったという想いすらしてくる。

 橋を渡れば、パタン、私の生活場所だ。
 いつものように橋のたもとの野菜市場では 人々は夕げのおかずを買い求めている。
 心の和む光景である。
 この市場には電気は来ているようだが、私の住んでいるあたりは まだ闇の中である。
 重い足を引きずりながら、家路へと向かう。

*** 写真は夕暮れどきのもの ***



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カトマンズ 街の風景 | 15:19:43 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 路上の物売りたち
カトマンズ 路上の物売りたち 1

カトマンズ 路上の物売りたち 2

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カトマンズ 路上の物売りたち 4

カトマンズ 路上の物売りたち 5

カトマンズ 路上の物売りたち 6

カトマンズ 路上の物売りたち 7

 カトマンズの路上や広場は 物売りたちの天国だ。
 人の行き交う通りに少しでも隙間があれば、ビニールを拡げ、品物を並べている。
 野菜・果物、中国からの輸入品の衣類、文房具、魚・卵の揚げ物、水牛の内臓の炒め物、
 店で売られているものなら、何でも路上で手に入れることも出来る。

 店を持つだけの財力を持つことの出来ない庶民たちが 
 生活の糧を得るための手段である。
 これらのささやかな商いで生計を支える人もいれば、甲斐性のない亭主の収入だけでは
 生活できず、わずかばかりの品物を並べ、商いに精出す主婦もいる。
 亭主はともかく、子供たちを飢えさすわけにはいかない。

 政府軍とマオイストの内戦の際、村を逃げ出してきたものもいれば、
 村の人口増加で食べていけず、村を出てきたものもいる。
 カトマンズに家族とともに出てきたはいいが、お金がなければやっていけない
 カトマンズでは お金を稼ぎ出す方法を 考え出さないことには 死活問題だ。

 路上に座り込んで商いをしている人々を見ながら、その生命力、生活力には
 全く頭の下がる思いがする。

 雨の中を 果物や野菜を自転車に積み込み、行商するインド人たち、彼らの仕送りを
 村で待っている家族がいる。

 幼いわが子をそばに置き、飴玉や一本売りの煙草を売る女たち、重い野菜を担いで
 やって来て、路上に広げ、ワイワイガヤガヤとたくましく野菜を売る女たち、
 彼女たちのエネルギーで街は持っているようなものだ。

 ハヌマンドカの広場の隅に並んで花飾りを売るネワールのマリ・カーストの女たち、
 マリというカーストは インドにもある。
 草花の栽培、庭造りを仕事とするカーストである。
 このマリーゴールドの花輪作りを仕事とするマリの人たちは カトマンズでは 
 14,5家族だけになっていると言う。
 野菜売りもそうだが、この花輪も売れ残ったらどうするのか、心配になる。

 ラットナ・パークの片隅では インド系の女たちが 川魚や卵のフライを揚げては
 売っている。
 食料品店では 卵は1個 6ルピーなのに 卵のフライは 8ルピーである。
 手間と油、小麦粉などの材料費を考えれば、わずかばかりの儲けしかない。

 路上の露店は 庶民たちのものだ。
 庶民たちが安く売り、庶民たちが安く買う。
 これがあるから、この物価高の中でも庶民たちは 生活できる。

 こうした路上でささやかな商いをする人々を眺めて歩くこと、彼らの表情を見ること、
 それは飽きることのない私の楽しみでもある。
 カトマンズにやってくるたびに、同じ場所で同じ人たちが座り込んで商いをしていると
 ほっとするし、嬉しくもある。

 1990年代には、こうした路上での商いを禁止することもたびたびあった。
 警察官がやってくる姿を見かけると、人々はビニールの敷物に品物を包み、
 逃げ回っていたものだ。

 マオイストの新しい政府、その日の糧を路上で稼ぐ人たちへの対応はどうするだろう。
 それをみれば、マオイストが本当に庶民、貧困層の味方かどうかわかるはずである。



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カトマンズ 生き抜く人々 | 01:36:09 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐35 商い
アジアの街角 1枚の写真から‐35 商い

 カトマンズは すっかりダサインの祭りに入ったが、この祭り 街中での
 様々のパフォーマンスがあるわけではない。
 強いて言えば、凧揚げが盛んに行われること、ピンと呼ばれる竹で組んだブランコで
 子供たちが遊んでいるくらいのものである。
 大半は 家の中で行われ、家族、親族の絆を確かめるお祭りで、日本の正月に近いものである。
 だから、ネパール最大のお祭りといわれても 外国人旅行者はぴんと来ない。

 カトマンズのハヌマンドカの旧王宮広場からバグマティ川方面のテクに向かって
 歩き始めると、昔と少しも姿を変えていない古い商店街の街並みがある。
 このあたりの建物は、100年、150年前に建てられたものが多い。
 商いの形も、昔ながらのネワール族の商いの形だ。

 ネワール族といえば、リッチャビの時代、今から1500年以上前から
 このカトマンズ盆地に住みついてきた先住民族である。
 昔は、チベット貿易、インド貿易を担っていた民族だ。
 ラナ家専制時代に、インドのマルワリ商人にその地位を奪われ、昔のような勢いはない。

 昔は賑わいを見せたと思われる通りを歩いていると、
 古い建てつけの雑貨屋が 目に入ってきた。
 店の前では、何人かのネワール族の人たちが、おしゃべりに興じている。
 別に買い物にやってきたという様子もなく、店の前で、談笑しているだけだ。

 カトマンズの雑貨屋の店先は、地域の人の談笑の場であり、情報交換の場所だ。
 店の主人も、それを邪魔にすることもせず、むしろ、固定客を作るために利用しており、
 嫌がる様子もない。
 店によっては、地域の情報交換、触れ合いの場所を与え、気楽に店にやってくることが
 出来るように、いくつかの椅子を並べているところもある。

 スーパーやデパートが数多く出来てきたカトマンズであるが、カトマンズ庶民たちの
 買い物の場所の主流は こうした気安い店だ。
 カトマンズ庶民たちにとって、こうした店は、お金の具合で物を買うことが出来る。
 米、小麦粉、砂糖なども 200グラム単位で買うことも出来るし、相手の素性が
 はっきりしていれば、付けで買うことも出来る。

 東京の板橋区にある高島平団地の中の商店街が 住民の高齢化のために半分以上が
 閉店になっているという。
 このカトマンズの店のように、地域の住民たちとの気楽な触れ合いが会ったのだろうか 
 と気にもなる。
 売れればいい、儲かればよいというだけでは、いつかは、住民に見放されてしまうのは
 必然の結果だろう。
 商い+アルファがなければ、人を長くひきつけることも出来ないだろう。

 この雑貨屋の主人は ネワール・カーストのマナンダール(菜種油の製造・販売)と
 いうカーストに属している。
 この地域一体は、マナンダール・カースト、ランジットカール・カースト(布のプリント、
 染めに従事)の人たちの生活場所だ。
 店にやってくる人たちも昔からの古いつながりの人たちが多い。
 地域との深いつながりがなければ、商いは時代の流れに押し流されていくだろう。
 個人商店が 無味乾燥な大型スーパーに対抗していく知恵を、
 カトマンズの小さな店は実践しているのである。


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アジアの街角 1枚の写真から | 00:15:57 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 帰り道‐2 スーン・ダーラ
カトマンズ 帰り道‐2 スーン・ダーラ 1

カトマンズ 帰り道‐2 スーン・ダーラ 2

カトマンズ 帰り道‐2 スーン・ダーラ 3

カトマンズ 帰り道‐2 スーン・ダーラ 4

カトマンズ 帰り道‐2 スーン・ダーラ 5

 キチャポカリの肉・魚を売る店の並ぶ通りを抜けると、スーン・ダーラと呼ばれている
 広場に出る。
 何故 スーン・ダーラと呼ばれているかというと、そこにはネワール族の
 マッラ王朝時代に造られたドゥンゲ・ダーラ(石造りの水場)、ネワール語でヒティと
 呼ばれる共同水場があり、その水の出口に当たる石造りの蛇口が真鍮で細工されており、
 それが黄金色に輝いているからだ。
 スーンとは黄金のことであり、ダーラは水の出てくるところという意味だ。
 しかし、今は地下水も枯渇し、水は出ない。
 20年近く前は このスーン・ダーラで水浴び、洗濯をしている人々を
 よく見かけたものだ。

 それに対抗するように広場の中央には ビンセン・タワーと呼ばれる高い塔がある。
 今から、200年近く前のサハ王朝に 当時の首相であったビンセン・タパによって
 建てられたと言うが、この時代は イギリスとの戦争の時代で、まだ、イギリスの
 建築様式は入ってきていなかったはずだから、今ある塔は 後世 再築されたもの
 だろう。

 夜の8時を過ぎてもこのあたりは 人通りがある。
 このあたり一帯には 中国の衣料品の店が数多く建ち並んでいる。
 安く衣料品を買い求めるために 人々が集まってくるのである。

 午前中は住んでいる近くを歩き回り、午後はラットナ・パーク、アッサン・バザールと
 歩き回るせいか、このスーン・ダーラまでやって来ると、足は棒のようになっている。
 この広場を観光の名所にしようと考えているのか、スーン・ダーラやビンセン・
 タワーの近くには いくつかの木製のベンチが置かれている。
 夕暮れのひと時を過ごそうと、ネパール人たちが座り、話し込んでいる。
 しかし、外国人旅行者の姿はない。
 私も足の疲れを癒すために、開いているベンチを探し、座り込む。
 そして、流れていく人たちの姿を眺める。
 薄暗い暗闇の中を 人々は 家路へと向かっていく。
 近くの衣料品を売る店では、値段交渉をしている人たちが 店の明かりの中で
 浮かび上がってくる。

 少し、疲れも取れた。
 再び、私も家路に向かって歩き始める。

 この広場を出ると、ネパールの中央郵便局前の通りでは 衣料品を売る露店が
 ひしめき合い、通りかかる人々に大声をあげて、ひき止めている。
 衣料品を買いに来た人々と露店で あたりはまるでカオスのようだ。
 電気はないので、露店の店主たちは、非常灯を使って、薄暗い中で商売をしている。
 如何にうまく売りつけるか、如何に安く買うかの駆け引きが、
 熱気のように夜の闇の中で渦巻いている。

 何はともあれ、生き続けなければならない、その強い意思が感じられる広場だ。
 カトマンズに店を持たない地方からやって来た人たちの商いの方法だ。
 一攫千金を夢見ても 商売敵が増え続け、上がりは減る一方だ。
 それでも止めるわけにはいかない。
 人ばかり、増え続けるカトマンズでは、他に仕事を見つけることも至難の技である。

 そんな雑踏を背にして、重い足を引きずりながら、坂道を下ることにした。


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カトマンズ 街の風景 | 21:33:08 | Trackback(0) | Comments(2)
カトマンズ カトマンズの幼い天使たち
カトマンズの幼い天使たち 1

カトマンズの幼い天使たち 2

カトマンズの幼い天使たち 3

カトマンズの幼い天使たち 4

カトマンズの幼い天使たち 

カトマンズの幼い天使たち 6

カトマンズの幼い天使たち 7

カトマンズの幼い天使たち 8

 カトマンズにやってくるたびに驚くことは 子供たちの表情が 
 日本とあまりに違うことである。
 特にカトマンズに住む庶民の子供たちを見るたびに そんな実感がある。
 カトマンズの子供たちの表情には 多様な輝きがある。

 子供なりに精一杯生きている生命感を感じさせるせいかもしれない。
 動物としての人間が 本来持っていた動物としての本能の輝きが 見え隠れしている、
 そんな気もする。

 近代化の過程の中で、それまで子供、大人の区別のなかった時代から 
 子供という概念を作り出してきた。
 子供の持っている動物的な野生を削ぎ落とし、社会的存在へと変えていくために
 公教育というものも生まれてくる。
 先進諸国は 教育制度を充実させていくことによって 容易に子供の社会への適応を
 可能にしてきた。
 それは子供の成長を1つの方向へと向かわせてきたものだろう。
 しかし、今の時代を見ていると それがあまりに徹底しすぎているような気が
 してならない。

 今の日本の子供たちを見ていると、子供が 動物としての人間が 本来持っていた
 動物的な生命力が失われ、小さくまとまり、愛らしい、可愛らしいという範疇の中に
 収まってしまっているようなことはないだろうか。
 着せ替え人形のように愛らしい衣服を着せ、まるで親の自慢のアクセサリーのように
 見えることすらある。
 子供もそうした存在に甘んじているところもある。
 大人の求める世界の中で 上手にその役割を演じているようなところもある。
 大人の管理の外にはみ出していくことも少なくなっている。

 カトマンズでも中産階級以上の家庭は 子供たちの生活に制限を与えることが多くなり、
 教育熱心になり、質の良い私立学校に通わせ、仲間との係わりにも制限を与えるように
 なってきているが、庶民といわれる人々の子供たちは 自由奔放に生活している。
 大人も余程のことがない限り、子供たちの世界には入っていかない。
 大人たちも 生活のために忙しく、子供たちまで手が回らないせいもあるのだろう。
 大人の管理を離れたところで 子供たちは 生活に必要な技術・能力を身につけていく。

 そうした子供任せの大人の態度が、子供たちに 生活する自信、自分たちの世界で
 生活して力を感じさせるのだろう。
 それが、子供たちの表情や仕草を魅力的なものにしている。
 五感を精一杯使って、現実世界と向き合って生きている、そして動物としての野生を
 失うことなく、子供時代を生き抜いているような気すらする。
 どこか人間として 子供ながら、一人前なのである。
 

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カトマンズ 生き抜く人々 | 01:38:36 | Trackback(0) | Comments(3)
アジアの街角 1枚の写真から‐34 変わらぬ店
1枚の写真から‐34 変わらぬ店

 カトマンズのアッサン広場は、カトマンズの中心でありながら、
 昔からの姿が、そのまま残っている地域だ。
 そんなアッサン広場の片隅に 昔ながら商いをしている古ぼけた雑貨屋がある。
 20年以上前も同じように 古ぼけた店だった。

 20年以上前、この店で フィンと呼ばれているチベット経由でやってきている
 春雨のようなものを買ったことがある。
 もうこの頃から、チベット経由で多くの中国製品が入ってくるようになっていた。
 中国製の陶器などもよく見かけるようになっていた。
 ネワール族のトゥラダと呼ばれているチベット貿易を扱うカーストの人たちの
 仕事だった。
 古い昔にチベットへ出かけたサッキャ・カースト(仏教徒)の人が、
 チベット人女性と結婚して、生まれたカーストであるといわれている。
 このアッサンバザールの商店の大半は トゥラダ・カーストの人たちのものだ。

 フィンと呼ばれる春雨のようなもの、日本で売られている春雨に比べると
 かなり太めのもので よく白滝代わりに使った。
 すき焼き風な煮物をつくると、煮てもしっかりしていて重宝したものだった。

 この店の前を通ると、そのフィンという食べ物のことを思い出す。
 今は、そのフィンという食べ物は姿を消し、日本と同じような春雨が、売られている。
 店の姿は昔ながらのものであるが、店主は代が替わり、その息子の代になっているようだ。
 売られているものも相変わらず、カトマンズ庶民相手のもので、目新しい今時のものは
 置いていないようだ。

 そんなカトマンズの姿を見ているとほっとする。
 変わっていくことが 進歩のように錯覚しているこの世界であるが、
 変わっていくで 人間に何をもたらしているのかを吟味していく必要もあるだろう。
 人間が生きていくうえで、本当に必要なものは何か、
 そんなことを 昔ながらのこの店は 問いかけている。


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アジアの街角 1枚の写真から | 00:17:24 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 帰り道‐1 キチャポカリ
カトマンズ 帰り道‐1 キチャポカリ 1

カトマンズ 帰り道‐1 キチャポカリ 2

カトマンズ 帰り道‐1 キチャポカリ 3

カトマンズ 帰り道‐1 キチャポカリ 4

 夕方6時台から3時間の計画停電が 週3日あるので、
 そんなときには 家を遅めに出て、夜8時過ぎに家に着くようにしている。
 停電の暗闇の中の部屋での3時間はやることもなく、あまりにその3時間が
 長く感じられるからだ。

 カトマンズの中心部から家に向かうコースは いつも同じコースである。
 夜になると 安全面でも問題があるので 出来るだけ人通りのある道を選ぶことになる。

 カトマンズのメインストリート ニューロードからキチャポカリの市場方面へと
 歩き始める。
 キチャポカリの市場の通りに入る手前には 紅茶をいつも買うインド人のお茶屋さんが
 ある。
 インドのラジャスタンからやって来たマルワリ商人だ。
 肌の色の黒さをみると、とても北インドのインド人とは見えず、
 南インドのインド人のように見える。
 店じまい前の店の整理に忙しそうだったが、声をかけると 
 愛想のいい笑顔が返ってきた。

 ネパールのどこの店でも売られている紅茶は 大体同じようなものだが、
 カトマンズ市民相手の商いの店だから、良心的な値段で売られている。
 旅行者の集まるタメル地区の店であれば、同じぐらいの質の紅茶が2倍近くで
 売られている。

 ネパール人もインド人も かなり特殊な上層階級以外は 紅茶の味は知らない。
 カトマンズ市民たちの買う紅茶といえば、葉の形をした紅茶ではなく、
 ごろごろと丸いアッサムティであり、甘いミルクティやレモンティなら抵抗なく
 美味しく飲めるが、香りはほとんどなく、紅茶の色もすぐに出る。
 だから、二番茶は ちょっと頂けない。

 このラジャスタンからやって来たインドのマルワリ商人も 
 紅茶の味は良くわからないようだ。
 家では いつも飲み慣れているアッサムティを飲んでいるに違いない。
 だから、店主の薦めには耳を貸さず、店にあるネパールのイラムティ、
 安めのインドのダージリンティを百グラムずつ買っては味見をしているが、
 ネパールの紅茶はこんなものと期待せずに飲んでいる。

 この店を過ぎ、通りを左に曲がると、キチャポカリの市場へと入って行く。
 野菜の露店は アッサン・バザールが主流で、ここは もともと 肉・魚市場が
 中心の市場で、野菜を売っていた広場に 衣料品のショッピングセンターが出来たため、
 野菜の露店は少なくなってしまった。
 肉類であれば、去勢山羊肉、鶏肉、豚肉、水牛肉、養産の猪肉と 
 牛肉以外であれば 手に入る。
 牛肉は コルカタから輸入されたものが スーパーマーケットで手に入る。

 肉類を商う人たちの大半は ネワール族ではサイ・カースト、ヒンズーカーストの
 カサイ・カーストの人たちの仕事であるが、近頃ではお金になるとわかると、
 別のカーストの人たちも商うようになっている。
 昔は 肉類を扱うカーストの人たちは 低カーストの人たちの仕事と決まっており、
 上位カーストの人たちは 決して手を出そうとはしなかったのである。
 背に腹は変えられない世知辛いカトマンズになってきているのである。

 魚を扱うのは コルカタからやってきているイスラム教徒たちである。
 大半は川や池で採れる淡水魚であるが、海の魚は コルカタから冷凍輸入されている。
 売れ残ったものは 冷蔵庫に入れて翌日、翌々日も売られているようであるから
 鮮度についての保証はない。
 インド人やネパール人の好みであるかもしれないが、骨の多い淡水魚が大半で
 私の好みの魚はない。
 タイで売られているテラピア(プラー・ニン)、雷魚(プラー・チョン)などを
 養殖して売れば、結構売れるのではと思うが、ネパール人やインド人は 
 日本人や中国人、タイ人のように 魚の味には関心はないようだ。
 カレー味にしてしまうから、魚本来の味はどうでもいいのかもしれない。

 野菜、果物、肉・魚の店を眺めながら、ビンセン・タワーという名の高い塔のある
 スンダーラへと向かう。


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カトマンズ 街の風景 | 14:02:14 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 体調を崩した時には
カトマンズ 体調を崩した時には 1

カトマンズ 体調を崩した時には 2

カトマンズ 体調を崩した時には 3

カトマンズ 体調を崩した時には 4

カトマンズ 体調を崩した時には 5

 カトマンズで生活していると 健康維持には気をつけているつもりでも、
 風邪を引くこともあるし、腹具合がおかしくなることもある。
 今のように夏から秋への変わり目の時期になると、朝夕の温度差がかなりあり、
 寝冷えや風邪の原因になる。
 雑菌の棲家であるようなカトマンズでは、病気にかからないほうがおかしい。

 そういうわけで 私も先日から風邪を引き込んでいる。
 無理をしないようにと心がけてはいるが、部屋に引きこもっていると どうしても
 退屈してしまうので、外を歩き回ることになる。
 体力だけは回復しなくてはと思い、こんな時には 自炊の生活になる。

 買っておいた砂肝(1キロ145ルピー 約200円)、里芋、玉葱、おくら、
 インゲンなど野菜のたっぷり入った雑炊なども作る。
 ネパールで鶏肉を買うと 骨付き肉であるから、割高になる、
 砂肝なら骨はついていないし、鶏の香りもあって雑炊には最適だ。
 この頃のネパールの鶏肉といえば、大半がブロイラーで脂肪ばかりがついていて、
 鶏らしい匂いも味わいもない。
 地鶏もあるにはあるが、ブロイラーの2倍近くの値段でちょっと手が出ない。
 何よりも嬉しいのは 野菜がとにかく安いのである。
 野菜のたっぷり入った雑炊と 今が盛りの油菜の出たばかりの苗でおしたしを作って 
 食べれば、食も進む。
 ただ困るのは、日本のようにすぐに料理できるようにはなっていないので、
 下ごしらえには時間がかかる。
 まあ 計画停電中の時間つぶしにはなる。

 今は大根も美味しい。
 路上の野菜売りから、2本ほど太目の大根を買う。1キロ24ルピーである。
 日本の種から育てた青首大根もあるが、昔からネパールにある大根の方が
 煮ると柔らかくなって美味しい。
 大根の煮物を作るときには 奮発して鶏肉を買ってきた。
 鶏の半身で 800g 170ルピーである。
 知らぬ間に鶏肉も 1キロ200ルピーと値上がりしている。
 4ヶ月前は 1キロ 160ルピーだったから、25%近い値上げである。
 半身の鶏肉を買ってくると 必ず 骨部分と肉部分に分ける作業がある。
 ネパール人は鶏肉料理といっても 鶏カレーか唐揚げぐらいだから、ぶつ切りで
 充分だから、手間はかからない。

 私の場合は骨と肉を分けるから、手間がかかる。
 少し、肉のついた骨や手羽先は 大根の煮物のスープだしに使う。
 醤油とかつおだしの素は用意してある。
 骨から切り離した鶏肉は 後日の鶏すき用に残してある。
 豆腐、長ネギ、白菜、白滝代わりの春雨(中国産の春雨が安く手に入る)を
 後日 手に入れるだけである。

 体調維持のために気をつけていることは 普段から、果物を食べることだ。
 今の時期は ネパールでは 果物の種類が少なく、ほとんどがインドか中国からの
 輸入品だ。
 リンゴ、パパイヤ、バナナ、モソミと呼ばれている甘みも酸っぱみもないインドからの
 蜜柑、蜜柑好きの私でもこれは食べる気にはならない。
 インド産やネパール産のスンタラと呼ばれる蜜柑が出回るまでには あと1ヶ月待つ
 必要がある。
 今 ネパール産で出回っているのは、ギャバ、固い梨くらいのものだ。
 中国産の白い梨は甘くてなかなか美味しいが 値段が張る。
 中国産のリンゴもあるが、残留農薬のことを考えると 食べる気にはならない。
 ネパールでも 中国からの乳製品や中国のミルクを使った菓子類は輸入禁止になったが、
 すでに輸入されているものは、未だに出回っている。
 しかし、あまり神経質になっていると、食べるものがなくなるので 程々にしている。
 
 今日は 大根の煮物の煮汁が残っているから、それを利用しての里芋の煮転がしを
 作ろう。
 こんな感じのネパールでの私の食生活である。


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徒然なるままに | 03:07:10 | Trackback(0) | Comments(4)
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