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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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カトマンズ もう1つの祭り‐2
カトマンズ もう1つの祭り‐2 1

カトマンズ もう1つの祭り‐2 2

カトマンズ もう1つの祭り‐2 3

カトマンズ もう1つの祭り‐2 4

カトマンズ もう1つの祭り‐2 5

カトマンズ もう1つの祭り‐2 6

 今日は バソンタプールの王宮広場、ハヌマンドカ近辺には 混乱を嫌がってか 
 外国人旅行者の数が少ない。
 いつもは外国人旅行者と物売りでごった返しているクマーリの館の入り口周辺も
 いたって静かである。
 これは良い機会と クマーリの館の中庭の中に入ってみる。
 20年近く前にも入ったことがあるが、物売りたちや外国人旅行者であふれていたことから、
 それ以降は 入るのを避けていた。
 中に入ると カトマンズのネワール族の男たち数人が座り込んで ぼそぼそとは話を
 している。
 彼らを除けば、中庭には私だけだ。
 彼らも私のことなど構わないし、少ししたら、外へ出て行き、中庭には私一人になった。

 せっかくの機会だと思い、カメラを向け、精緻に彫りこまれた木工芸の窓などを
 カメラに収める。

 このクマーリの館は マッラ王国のカトマンズの最後の王 ジャヤ・プラカース王に
 よって建てられたものであるらしく、生き神様 クマーリのティカの儀式は、
 この王の時代から始まったと言われている。

 マッラ王朝の木工芸の最高峰の技術を駆使してクマーリの館を造り上げ、
 マッラ王国の繁栄、一族の存続を願い、生き神様クマーリからティカの儀式を
 受け、王の権威を民衆に知らしめたが、この王がマッラ王国のカトマンズの
 最後の王になってしまうのは 皮肉なことである。

 1768年にカトマンズを侵略、制圧したゴルカの豪族プリティビ・ナラヤン・サハは
 カトマンズ盆地の中に住むネワール族に カトマンズを統治する王が
 自分であることを示すために 生き神様 クマーリからティカの儀式を授かるのである。

 これはカトマンズにマッラ王国を築き上げていたネワール族にとっては、
 屈辱的な行為ではあったように思われる。
 生き神様クマーリの神通力、権威を利用することで、新たな王としての権威をまとい、
 カトマンズ盆地に君臨することを正当化していくのである。
 その中で 生き神様クマーリの儀式、生活を支える仏教徒サッキャ、バジャチャーレの
 一部の集団に利権が与えられるようになるのである。
 そのティカの儀式が 240年近くに渡って ゴルカ王朝の中でも王の権威の象徴と
 して存続し続けてきたのである。

 2008年5月 サハ家によって240年にも渡って続いてきた王制は廃止された。
 これによって、生き神様クマーリは ネワール族民衆のもとに帰ってきたはずでは
 なかったのか。
 王制から共和制へと政治形態も変わった。
 ヒンズー教が国教とされていた時代も終わりを告げ、人々は自分の信じる宗教を
 分け隔てなく信仰する社会が保障されたのである。
 インドラ・ザットラは 本来民衆のものである。
 民衆のものであれば、民衆に返し、本来のインドラ・ザットラの形に戻すべきである。
 時の権力者の権威象徴の利用の道具にはなってはならないはずのものだ。

 パタンのラトー・マチェンドラナート、バクタプールのビスケット・ザットラ、
 すべてネワール族民衆の祭りである。
 カトマンズのインドラ・ザットラも本来の民衆の祭りに戻すべきである。
 今なお、政府の援助という利権を求める一部扇動者に 騙されてはならない。
 1768年、自らの国を奪い取られた屈辱的な日を忘れてはならない。
 インドラ・ザットラが 真に民衆の重要な祭りであるならば、民衆の力で
 運営し、民衆の力で存続させていけばいいのである。


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カトマンズ 街の風景 | 18:09:40 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 川辺の子供たち‐4 ゴミ捨て場で育つ子供たち
川辺の子供たち‐4 ゴミ捨て場で育つ子供たち 1

川辺の子供たち‐4 ゴミ捨て場で育つ子供たち 2

川辺の子供たち‐4 ゴミ捨て場で育つ子供たち 3

川辺の子供たち‐4 ゴミ捨て場で育つ子供たち 4

川辺の子供たち‐4 ゴミ捨て場で育つ子供たち 5

川辺の子供たち‐4 ゴミ捨て場で育つ子供たち 6

 私の住んでいるところから10分ほど歩くと パタンとカトマンズのテクを結ぶ橋が
 バグマティ川の上にかかっている。
 私がいつも通う川辺の寺院に行くには この橋を渡る。

 この橋を渡る手前のパタン側の河川敷一帯が、カトマンズのゴミ捨て場になっている。
 そこでは 捨てられたゴミの山から、お金に換金出来るものを探し出し、それを売って
 生計を立てている多くの人々がいる。

 大半はインドの最貧地域の一つ、ビハール州からやって来た人々だ。
 インドでも食べることが出来ず、家族を引き連れ、生活の糧を求めてカトマンズに
 やってくる。
 人口増加の著しいカトマンズ、ネパール人すら仕事を見つけることが難しい中で、
 何の身分の保証もないインド人が仕事を見つけ出すのは 至難の技だ。
 そこで始めることは このゴミ捨て場にやって来て、廃品を集める仕事だ。
 住む場所を見つけることも難しく、ここに住みつくものも多い。
 カトマンズのバグマティ川の河川敷にあるスラムも 
 村からやって来たネパール人で一杯である。
 ネパール政府もネパール人であれば、河川敷の違法滞在も無視を装うが、
 インド人であることがわかると、容赦なく追い出しにかかる。

 ここは最貧層のインド人たちの最後の砦である。
 ここにも子供たちが住んでいる。
 子供たちにとっては ここに 住む子供同士は仲間であり、遊び友達だ。
 そんな子供たちが 彼らの住処の裏にある泥沼で泥んこ遊びに興じている。
 どれだけの雑菌が蔓延っているのか わからぬ泥沼だ。
 そんなこととはお構いなしに 子供たちは嬉々として戯れている。
 どんな苦しい環境の中でも 喜び、楽しみを見つけ出すのが子供たちだ。

 こんな子供たちの姿を見ると ほっとするところもある。
 親たちの苦しみに満ちた人生の中で押しつぶされることなく、
 子供たちのたくましさは 貧しさをものともせずに育っていく。
 ここに人間が 『生きる』ということはどういうことかという原点がある。
 余計な感傷は 子供たちの生きる力を削ぐだけだ。
 ちょっとした援助で 彼らの生活を変えていくことなど出来はしない。
 そこに 絶対的な貧困の本質がある。
 増え続けるカトマンズの人口、インドを逃げ出しカトマンズにやってくるインド人たち、
 彼らの生活向上への方法はどこにあるというのだろう。

 子供たちの写真を撮っていたら、近くにいた一人の色の黒いインド人の母親が、
 子供たちに向かって 「お金をくれと言え」と けしかけている。
 悲しいことであるが、貧困の中で お金を得るためには仕方のない行為である。
 それは悲しい生活の知恵でもある。
 こんな生活が インドでは 何千年にも渡って 続いてきているのである。
 『ぼろは着てても 心は錦』という言葉は、インドの都市、ネパールの都市では
 意味を成さない。
 インド、ネパールの最貧層の生活は それほど過酷なのだ。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 14:04:42 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐28 伝承
アジアの街角 1枚の写真から‐28 伝承

 ネパールのカトマンズ盆地の中に住むネワール族は、根っからの祭り好きである。
 特にネワール族のカーストの中の農民カースト マハルザンは、祭りの中で
 大きな役割を果たしている。

 祭りの行列の際には、太鼓、シンバル、笛を鳴らしながら、先頭に立って、
 街を練り歩く。
 12,3歳になると、大人に混じって、子供たちもその行列に参加できるようになる。
 太鼓やシンバル、笛の演奏も誰かに教えてもらうというより、
 大人たちの演奏をそばで聴きながら、見よう見まねで身に着けていくようだ。
 大人から子供への伝承が、日常生活の中で 当たり前のことのように行われている。

 女の子たちもそうである。祭りや一族の大きな行事の際には、ロキシ(米で作った焼酎)
 ジャール(どぶろく)は欠かせないものだし、昔からの伝統的な料理も必要だ。
 これらのものを作ることが出来なければ、一人前の女性とはみなされない。
 祖母や母親が、酒や料理を作るそばで、手伝いながら、その作り方を学んでいく。

 日本にもこんな生活はあった。
 つい50年前の田舎は、こんなことが当たり前だった。
 不便な時代であったが、学ぶべきことはいくらでもあった。
 今の時代、日本では、祖父母、親から、孫、子供へ何が伝承されているのだろう。
 祖父母、親は、子供に何を伝えたいと思っているのだろう。

 明治維新以降、欧米文化に傾倒して言った日本だが、それは特権階級だけの世界であり、
 一般庶民とは無縁のものであったが、戦後派、アメリカ文化が入り込み、
 庶民の生活もアメリカ化されてきたというのは、周知の事実だ。
 食生活も文化も表面的なものだけを取り入れ、大切なことは抜け落ちている。
 食べ物とファッションと音楽、そして、生活スタイルだけが、流行する世界に
 なってしまっている。
 アメリカやヨーロッパのほうが、よほど自国の文化、伝統を温存し、大切に
 しているだろう。

 1980年代のバブル以降は、アメリカ、ヨーロッパ志向ははなはだしいものになり、
 都会のマンション生活は、それにますます拍車をかけることになってしまっている。
 子供たちの世界から、手仕事が失われ、ナイフ、はさみが使えない、料理が出来ない、
 五感を使っての作業が出来ない。
 様々のナイフ類など、生活のための道具でなく、殺人の道具に成り下がって
 しまっている。
 教育は学校任せ、生活指導も学校任せというのでは、教師も対応しきれるものではない。
 体力づくりはスポーツクラブ、何から何まで、家庭の外に任せていて、
 子は 親のどこを見て、尊敬の念を抱くのだろう。
 子育てまで楽をしようとすれば、どういう結果になるのか それは今の日本の社会が
 証明している。
 親殺し、子殺しは 後を絶たない昨今だ。

 便利な快適な生活を追い求め、お金を求め、時間を失い、生活も失う。
 親から子への、あるいは大人から子供への生活文化、知恵、人間関係のルールの伝承が
 失われれば、家庭の中での人間関係、社会秩序の崩壊は眼に見えている。
 今ほど五感に支えられた生活に根ざした家庭教育の求められている時代はないだろう。
 次世代の子供に 何を伝えていくことが出来るのかは、大人自身の生活の再生に
 かかっている。


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アジアの街角 1枚の写真から | 01:50:42 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ もう1つの祭り‐1
カトマンズ もう1つの祭り‐1 1

カトマンズ もう1つの祭り‐1 2

カトマンズ もう1つの祭り‐1 3

カトマンズ もう1つの祭り‐1 4

カトマンズ もう1つの祭り‐1 5

 今 カトマンズは インドラ・ザットラを巡る政府の決定に反対するネワール族の
 ゼネストで大荒れである。
 ゼネストを実行するために強制的に商店を閉めさせ、道路封鎖がいたるところで
 行われている。

 つい先日、ツーリスト地区のタメルで 航空チケットの手配を済ませ、アッサン・
 バザールからインドラ・チョークまでやってくると、いつも インドラ・チョークの
 一角にある寺院の境内でウールのショールを売っているネパール人の知り合いが、
 商品も並べず、所在なさげに 境内の石段に座り込んでいる。

 訳を聞いてみると 前日の政府の予算編成で 今までインドラ・ザットラのために
 援助していた予算が削られたことで、インドラ・ザットラの主役であるネワール族が
 反対運動を起こし、カトマンズ市民にゼネストを強制しているからという。
 彼はチェットリ族、別に政府予算からインドラ・ザットラの予算が削られたからといって 
 なんら影響は蒙らないが、ゼネストは 商いに支障をきたす。
 ネワール族以外の民族からすれば、同様の支障をきたすことになる。

 人口増加の激しいカトマンズの中では 20年前までは圧倒的な人口を持っていた
 ネワール族も 今では カトマンズ人口の20%近くになってしまっている。

 インドラ・チョークからニューロードに到ると、カトマンズの消防署の前の
 プリティビ・ナラヤン・サハの銅像の前では、木製の台のようなものが燃やされ、
 道路封鎖に一役買っている。
 見物の人だかりと街を警備する治安警察官が その周りに集まっている。
 治安警察官も様子見のようだ。

 そこから、バソンタプールにある旧王宮広場にむかうと いつもとは多めに
 人が集まっている。
 別に緊張感はない。
 広場では 子供たちがダサインに向けての凧揚げの練習をしている。
 その先にあるハヌマンドカまで行こうとすると、クマーリの館あたりに 
 インドラ・ザットラの際に利用する3台の山車のうち2台が 
 道路封鎖のためのバリケードとして置かれている。
 生き神様クマーリの山車はなく、ガネシュとバイラブの像を乗せる2台の山車だ。
 子供たちにとって 大人たちの政治的な意図とは無縁な楽しい乗り物であり、遊びの
 素材である。

 このあたりに集まっている人々の大半は 新しい祭りでも見る気分でやってきている
 見物人たちである。
 ネワール族にいれば、チェットリ、バウン族、タマン族もいる。
 治安警察隊とデモ隊の攻防を一目見ようと集まっているだけだ。
 再び バソンタプールの王宮広場に集まってみると、バソンタプールの入り口の
 ジョッチェンあたりで 治安警察官とデモ隊がにらみ合っているようだ。
 人だかりで よく見えない。
 人だかりの中から、奇声が上がるたびに 見物人たちは大急ぎで逃げ出す。
 そんなことを繰り返している。
 巻き込まれて、怪我をするのは 誰しも嫌である。


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カトマンズ 街の風景 | 17:45:39 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 川辺の子供たち‐3 インドから来た子供たち
カトマンズ 川辺の子供たち‐3 インドから来た子供たち 1

カトマンズ 川辺の子供たち‐3 インドから来た子供たち 2

カトマンズ 川辺の子供たち‐3 インドから来た子供たち 3

カトマンズ 川辺の子供たち‐3 インドから来た子供たち 4

カトマンズ 川辺の子供たち‐3 インドから来た子供たち 5

 川辺の寺院の前には 石段のようになった沐浴場がある。
 この寺院に参拝した人たちが、聖なる川 バグマティ川の水で身体を清める場所で
 あるが、バグマティ川の水がここまで汚れてしまうと さすがにこの川で沐浴する
 人などいない。

 しかし、雨期で水が増水し、水嵩が増すと、ここにやってきて泳ぐ子供たちがいる。
 又、この川の水を使って、洗濯に励む子供たちもいる。
 この子供たちの大半は インドからやって来た子供たちである。
 カトマンズ市内で 売ることが出来そうな廃品を集め、この寺院の対岸にある
 廃品業者に廃品を売ると、この寺院の前にある沐浴場で水遊びを楽しむのである。
 こんな汚れた土気色の川の中で泳げば、雑菌で病気になってしまうのではと
 心配にもなるが、彼らは一向に気にしている気配はない。

 インドのインド最貧の州の一つ ビハール州のネパール・インド国境近くから
 カトマンズにやって来た子供たちで、親や兄弟とやって来た子供もいれば、
 仲間と連れ立って村を逃げ出し、カトマンズにやって来た子供もいる。
 こんな子供たちが簡単に手にする仕事といえば、廃品集めぐらいのものである。
 ネパール国民ではないから、彼らには教育の機会はない。
 子供たちにとっては 楽な生活環境ではないが、インド人の持つ明るさは
 失っていないようだ。
 大したものである。
 自分の食いっぷちは 自分で稼ぎ出すというたくましさが 身についているのだ。
 彼らの未来に何が待っているのかは わからない。
 神様だけが知っているのだ。

 子供たちが水遊びを楽しんでいる脇では 洗濯に勤しんでいる子供たちもいる。
 川向こうに行けば、もっときれいな水の出る井戸も、湧き水もある。
 そこは彼らの領分ではないようだ。
 汚れた衣類を石段に叩きつけるように洗っている。
 自分のことは自分でするという生きる原点のようなものが そこにある。

 インドからやって来ていれば、このカトマンズでは 何一つ生活の保障はない。
 自分の身は自分で護る、自分のことは自分でやる、このことは出来なくては
 異国の地では生活できない。
 それを 身をもって実践している子供たちだ。

 こんな子供たちが大人になったら、ひ弱な日本人の若者旅行者など敵わないだろう。
 私も出来ることなら、出合わなくても良い。

 ネパール最大の財閥のチョーダリー・グループの創始者もインドからネパールに
 やって来て、路上での石鹸、雑貨売りから、成功したという話がある。
 この子供たちにも、そんな成功物語を期待したいが どうだろう。
 50年前とは カトマンズも 大きく変わってしまっている。

 何はともあれ、頑張れと声援を送るだけである。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 11:04:16 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐27 ドブ掃除
アジアの街角 1枚の写真から‐27 ドブ掃除

 バンコクの私の住んでいるアパートは サンセーブ運河沿いにある。
 その運河の対岸には、バーン・クルアという150年ほど昔、
 カンボジアから移住してきたイスラム教徒 チャム族の集落がある。
 この集落は、北地区、南地区、西地区と三つの地区に分かれている。
 バンコクの中心地区にあって、数少ない木造の家屋の集落である。

 この集落では、年何回かのドブ掃除がある。
 そんな時は集落の住民総出の共同作業になる。
 日曜の休日を利用しての共同作業で、集落に住む人々が顔を合わせ、
 つながりを深めていく機会になる。
 又、密集した集落の生活の中で、清潔さを保つには、大切な作業でもある。
 概して、イスラム教徒の住む集落は、住民同士のまとまりがあり、
 集落の中は よく清掃されている。
 集落の住民の意識の中に わが町という意識が残っている証拠である。

 こんな集落を見ると、スラムのように見えてしまうが、迷路のような集落の中を
 歩いていても、安全である。
 みんな、顔見知りであるから、悪いことは出来ないし、外から、見知らぬ人間が
 入り込んで来てもすぐわかる。
 意外と防犯はしっかりしている。

 金曜日には、イスラム教の礼拝もあり、宗教的な結びつきも強く、
 モスクが、生活の中心にあり、そこで、様々な話し合いがなされ、
 共同作業の打ち合わせなども、モスクで行われるようだ。

 東京などは、みんな、マンションかアパート生活者がほとんどで、
 共同作業などほとんどなく、どこに誰が住んでいるのかもわからない。
 部屋の外の管理は、管理会社に任せ、住民同士が顔を合わせることもない。
 それはバンコクでも同じようになっている。
 日本に比べると、安全という点では配慮があり、警備員や受付などはきちんとしている。
 それでも、泥棒が入ることもある。
 自由と安全は どうも両立しないようだ。

 チャム族の集落のドブ掃除を見ながら、人間が生活していく形は、どういうものが
 いいのか、考えてしまう。
 安心して生活できる場とは、どんな場である必要があるのか、
 これからの都市生活の中では大きな課題だろう。
 警察の取締りの強化だけでは、今の犯罪の増加は防ぐことが出来なくなっている。
 犯罪が起こるたびに 政府はその場限りの対策を立てるが、
 そんな対策が発表されるや否や、次の犯罪が起こっているというのが現実だ。

 束縛のない自由で快適な都会生活を追い求めているうちに、いつのまにか、
 こんな東京になってしまっていたというのが、人々の実感だろう。
 見通しのない政府の政策の結果だ。
 いや、政府は 国民をばらばらにしたかったのかもしれない。

 本当にいつの間にか、みんな ばらばらになり、つながりを失い、
 まとまって 自分たちの要求を出せない社会になり、世の中の動きに合わせていく。
 何か、大変な時代に入ってきているという実感だけはある。


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アジアの街角 1枚の写真から | 01:29:26 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 航空チケットを買いに
カトマンズ 航空チケットを買いに 1

カトマンズ 航空チケットを買いに 3

カトマンズ 航空チケットを買いに 2

 昨日は 午前11時から午後1時まで、そして午後7時から午後10時までの
 計画停電の予定だった。
 朝の11時までにブログの更新を済ませ、タメル地区にある旅行会社へ予約していた
 カトマンズーバンコクへのチケットのお金の支払いに行くことにした。

 自転車では行かず、乗り合いテンプーかトヨタエースを改造したミニバスで
 カトマンズまで向かうことにした。
 大通りまで出たが、土曜日休日のせいか、テンプー、ミニバスの数が少なく、
 やって来た公共バスに乗り込んだ。
 公共バスはいつも込んでいて、避けるようにしているが、
 他がなかなかやってこないので仕方がなく、乗り込むことにした。
 たかだか、2キロ半くらいの距離であるが、12ルピーに値上がりしている。
 バンコクではバンコク市内を走る冷房なしの路線バスは、タイバーツで7バーツ、
 ネパールルピーに換算すれば 約13ルピーである。
 バスの車内も清潔に保たれているが、ネパールの公共バスは清潔とは言いがたい。
 バンコクのバスは 10キロ以上の距離の路線バスであるが、一律7バーツ、
 タイの物価を考えても、バス運賃は ネパールより安く感じる。
 その上、混み合っているから、すりの危険もある。

 混み合ったバスの中で すりに注意しながら、カトマンズの中心部に近づくと
 道はすっかり渋滞になり、バスは遅々として進まない。
 休日の12時近く、こんなに道が込むはずはないと思って、終点に到着するのを
 待っていたが、あと終点まで200メートルのところで降り、歩くことにした。

 ラットナパークまでやってくると、人だかりである。
 煙も上がっている。
 道の中央には タイヤが燃やされ、治安警察と気勢をあげる若者たちのデモ隊が
 対峙しているが、デモ隊よりも野次馬の数の方が多い。
 カトマンズ名物の若者たちのタイヤ焼きの道路封鎖であるが、緊張感はない。
 デモの理由は 後日報告するつもりである。

 少し、その場所を眺め、タメル地区の以前ブログでも紹介した『RED LIONN』と
 いう名の旅行会社へと向かう。
 この旅行会社は休日でも休まない。
 カトマンズからバンコクへの片道が 正規の運賃の7%引きで手配してくれる。
 7%引きのチケットの代金は 277USドルである。
 私はUSドルを持っていないので、ネパールルピーでも支払いになる。
 そのためには 持っている日本円をネパールルピーに換える必要があるが、
 まず、銀行ではバイイング・レートで円を売りネパールルピーを受け取り、
 旅行会社ではセイリング・レートで ネパールルピーをドルに換算するために
 割高になってしまい、277USドルのチケット料金が 日本円でほとんど
 3万円近くになってしまう。
 これではほとんどバンコクでチケットを買うのと同じである。
 次回からは バンコクで往復チケットを買うほうが 賢いようだ。
 タイ航空は カトマンズでは 7%の割引後でも 片道378USドル、
 百ドルも料金が違うと使う気にはなれない。
 3ヶ月半前は タイ航空は290USドル、ネパール航空は248USドルだった。
 タイ航空の場合、燃料チャージがやたら値上がりしているようだ。

 チケットの手配を済ませると 1時近くになり 腹がすいたので、タカリ・キッチンで
 美味しいダール・バート・タルカリ(120ルピー)を食べ、バソンタプール
 旧王宮広場へと向かった。


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旅の情報 | 20:26:48 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 川辺の寺院にて‐2 静寂の棲家
カトマンズ 川辺の寺院にて‐2 静寂の棲家 1

カトマンズ 川辺の寺院にて‐2 静寂の棲家 2

カトマンズ 川辺の寺院にて‐2 静寂の棲家 3

カトマンズ 川辺の寺院にて‐2 静寂の棲家 4

カトマンズ 川辺の寺院にて‐2 静寂の棲家 5

カトマンズ 川辺の寺院にて‐2 静寂の棲家 6

カトマンズ 川辺の寺院にて‐2 静寂の棲家 7

カトマンズ 川辺の寺院にて‐2 静寂の棲家 8

 人にあふれ、道を覆い尽くす車の流れ、いたるところで売られている物の山、
 そんなカオスのようなカトマンズの中心部の喧騒に疲れ果てると、
 いつも バグマティ川の岸辺にある古いシバ寺院にやってくる。

 ここには カトマンズの中心の喧騒、欲望にまみれた時空間とは 異質な時空間があり、
 静けさ、平安、穏やかな時間の流れ、そういったものが 時代の流れに取り残される
 ように漂っている。

 このあたりに住まう人々も時代の流れに取り残された貧しい人々であり、
 牛乳を売って生計を立てる牛飼いの家族たちだ。
 ここにやってくるネパール人たちも 岸辺に座り込んでバグマティ川の川面を眺め、
 穏やかの時間の流れの中で 何やら慰めを求めているようにも思える。

 古い朽ちかけたシバ寺院の前の広場を通り過ぎて 岸辺に沿って歩き始める。
 一人の年老いた牛飼いが座り込んでいる。
 「ナマステ」と挨拶を交わす。
 彼の横では 1羽の鶏が ヒンズー教の神様 ガネシュの石像に捧げられた穀物を
 忙しそうについばんでいる。

 少し歩くと イギリス様式を取り入れた民家がある。
 その民家も 充分に手入れされることもなく、朽ちる寸前のようにも見える。
 その民家を曲がって、もう1つのシバ寺院に向かう細い石畳の道に入り込むと、
 若い男女のカップルが 人目を避けるように ひそひそと会話を交わしている。
 その脇を通り過ぎ、さらに進むと もう1つのシバ寺院の入り口にいたる。
 その入り口を潜ると、シバ寺院の本堂へと向かう通路がある。
 細い石畳の通路、その脇には、雨期に降り注いだ雨によって勢いづいて枝を
 拡げている木々が立ち並んでいる。

 私は本殿には入っていかない。
 如何にもラナ家の権力を象徴しているこの寺院を 私は好まない。
 この寺の周囲が好きなのである。
 この寺の周りには いたるところに静けさが宿っている。
 すっかり朽ちて人さえ住まなくなったレンガ造りの家、人気のない軒先、
 誰も訪れることのない忘れられた塔の数々、それは崩れ行くものの持つ静けさであり、
 寂しさでもある。

 人々に忘れられ、関心を与えることが出来なくなったのなら、
 崩れるままに任せるのも それもひとつの姿である。
 信仰が失われれば、その器である寺院も失われていくのは当然の姿である。
 形だけ残して何になろう。

 人々の生活、心の中で信仰が生きているから、価値があり、形を保つことが出来る。
 人々の心から離れてしまった遺産の維持にお金をかけるよりも、
 生きて苦しんでいる人々のためにお金をかけるほうが よほど信仰にかなっている。
 この寺院のある川の向こうでは、廃品を集めて、やっとのことで飢えを凌いでいる
 子供たちもいる。
 きれいごとは もうたくさんである。


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カトマンズ 街の風景 | 11:47:06 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐26 時間の流れ
アジアの街角 1枚の写真から‐26 時間の流れ

 カトマンズ市内の喧騒や雑踏が、鬱陶しくなると、
 カトマンズ郊外の村に出かけていくことがよくある。
 カトマンズ市内のあわただしさの中に身を置いていると、
 心の健康を保てなくなることがあるからだ。

 カトマンズの中心部は、自動車、オートバイをあふれ、
 用がある人もない人も、わずらわしいほどいる。
 貧しい人もいれば、金持ちもいて、人々は生活に追われ、
 段々 お金 お金に追い回され、自分の時間や生活を見失いつつある。
 混乱にも近い有様だ。

 そんな時は、パタンの端にあるザウラケルやラガニケルに行き、
 カトマンズ郊外の村に行くマイクロバスに乗り込む。

 そして、適当にバスを下り、村の中を歩き始める。
 午後の村の中は、カトマンズ市内と打って変わって、ひっそりとしている。
 村人は、自分たちの昔からの生活のペースを崩すことなく、
 ゆったりと午後の時間を過ごしている。

 日本人は、こんな光景をみると、ネパール人はあまり働かない、怠け者だと
 見てしまう。
 働くことが人生の目的のようになってしまった日本、働くことが美徳のようになって
 しまった日本とは違った価値観が、村の中にはある。
 それは、後進諸国といわれるアジアの国々の村でもそうだろう。

 文明の利器(テレビ、冷蔵庫、ガス代、エアーコンディション、
 コンピューター、携帯電話、オートバイ、自動車など)を手に入れようとすれば、
 それに見合うだけの収入が必要だ。
 そのためには 働き続ける必要がある。新製品は次々と出てくる。
 村のネパール人の生活は 日本人からすれば、不便な生活ではあるように見えるが、
 昔から習慣として、そんな生活を続けてきていれば、ネパールの村人にとっては 
 当たり前のことなのである。

 日本人はお金を得るために 自分の時間を売っているようなものだが、
 彼らは、自分の時間は、充分に確保しながら、生活楽しんでいるだけだ。
 文明の利器、飽食や贅沢な食、快適な住居、流行のファッションにこだわらなければ、
 お金はそんなに必要ではないだろう。
 米、野菜は田畑で作り、足りなければ買う。日本のように馬鹿高い値段ではない。
 酒は自分の家で作る。外食はしない。果物は庭先に植える。

 時間は 家族のためや一族の行事のために使う。
 村人同士の結びつきを深める祭りも数多くあり、それも楽しみの一つだ。
 3世代、4世代で住むというのは当たり前だから、老人問題もない。
 医療も 高度な医療はないから、理想的な治療は受けられなくても その状況を
 素直に受け入れるだけだ。
 寿命は 神様の与えてくれたものだからだ。
 だから、無理をして寿命に抗うこともしない。
 幸福、不幸に対する捉え方が違うのである。
 だから、時間を合理的に、効率的に使うという発想はない。
 彼らにとって大切なことは、楽しく、自分たちのために時間を使うことにある。


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アジアの街角 1枚の写真から | 02:11:23 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 川辺の寺院にて‐1 人々
カトマンズ 川辺の寺院にて‐1 人々 1

カトマンズ 川辺の寺院にて‐1 人々 2

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カトマンズ 川辺の寺院にて‐1 人々 6

カトマンズ 川辺の寺院にて‐1 人々 7

カトマンズ 川辺の寺院にて‐1 人々 8

 バグマティ川にかかる吊橋を超えて、パタンからカトマンズに入ると、
 バグマティ川の岸辺へと下りる石段がある。
 その石段を下りて、右側に曲がると、240年の王制を築き上げたサハ家によって
 建てられたシバ寺院がある。
 200年近く前に建てられた寺院だ。
 この辺りには 寺院がいくつかあり、その敷地全体を包む静けさが 私は好きだ。
 何百年も前からその静けさ、平安は 時代の流れなどお構いなしに この寺周辺に
 漂っている。

 今日は 私の心の中にも落ち着きが生まれてきたので、
 寺院の中に足を踏み入れてみた。
 寺院の広場の入り口近くには 一本の大きな菩提樹の樹が 
 雨期の雨を吸い込んでその葉で覆われている。
 その菩提樹の下では、何を夢見ているのか、一人の男が眠り込んでいる。
 その横には 黒い一匹の犬が 男を護るようにカメラを構えた私をにらみつける。

 古いシバ寺院の入り口では この寺院の中に住まいを得ている人たちが 
 その敷居に座り込み、話こんでいる。
 チェットリ族の中年の男、バウン族の若い女、タマン族の老女。
 タマン族の老女は この寺に来るたびによく見かける。
 寺院の入り口の脇の部屋に住んでいる。
 この寺院の中の一部屋に住み始め、2,30年になるようだ。
 タマン族はカトマンズ周辺に多く住む民族であるが、教育の遅れから、
 貧しい生活に強いられることが多い。
 カトマンズに仕事を求めてやってきても、肉体労働、皿洗いなどの賃金の安い仕事に
 就くことが多い。
 荷運び人夫、リキシャ、畑仕事、レストランのした働き。
 このタマン族の老女も苦労に苦労を重ねてきた人生だったに違いない。
 その顔に刻まれたしわがそれを物語っている。

 このシバ寺院を離れ、次に ラナ家専制時代に建てられたもう1つのシバ寺院に向かう。
 サハ家もラナ家もチェットリ族(ヒンズー教の武士カースト)、激しい気質の神様を
 好むようだ。
 もう1つのシバ寺院への道を辿っていると 白いズタ袋を背にした少女は 
 道の向こうからやってくる。
 カトマンズ市内で集めた廃品を この近くにある廃品業者に売りに来るところのようだ。
 インドの貧しいビハールからやって来た少女である。
 インド コルカタの大都市に出るより、カトマンズのほうが 彼らにとっては近いし、
 安全だ。
 生活の重荷を背負うように、廃品の詰まったズタ袋を背負う。
 インドからやって来た子供たちには 教育の機会はない。

 もう1つのシバ寺院の周辺を散策していると、やはり、家族が寺院の中の一室に
 住んでいる子供たちがいた。
 皆 姉妹のようだ。何か ごっこ遊びでもしていたようだ。
 サリーを身につけるような格好で布を身体に巻きつけている。
 お母さんごっこでもしていたのだろう。彼らもタマン族らしい。
 カメラを持っていることに気がつくと 写真を撮れとうるさい。
 彼らの服装、顔つきをみると、4,50年前の日本の子供と同じである。
 自分の幼児期時代を思い出してしまう。
 貧しい日本の時代だったが、子供たちには 健康的な明るさがあった。

 この川辺の寺院一帯には 時代に取り残された人々の人間模様がある。
 その人間模様を眺めに 私は、ここにやってくる。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 16:47:10 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ インドラ・ザットラ
カトマンズ インドラ・ザットラ 1

カトマンズ インドラ・ザットラ 2

カトマンズ インドラ・ザットラ 3

カトマンズ インドラ・ザットラ 4

カトマンズ インドラ・ザットラ 5

カトマンズ インドラ・ザットラ 6

カトマンズ インドラ・ザットラ 7

カトマンズ インドラ・ザットラ 8

 夜、インドラ・ザットラの前夜祭を見た翌日、再びカトマンズに出かけた。
 人ごみが予想されたので 自転車に乗っては 行かなかった。
 1つの用事は インターネットのプロバイザーに使用料を支払うことだった。

 テンプーと呼ばれる乗り合い3輪自動車に乗って、ネパール航空本社近くで降りた。
 この3輪自動車はバッテリーを利用した電気自動車である。
 スピードは遅いが、8人乗り、環境にやさしい輸送機関だ。
 運賃は3ヶ月前には8ルピーだったのが10ルピーに値上げしていた。

 ネパール航空本社近くも凄い人ごみである。人をかき分け、かき分け、歩いていく。
 この日は ネパールの大統領が 生き神様のクマーリから、ティカを授かる儀式がある。
 ティカというのは ネパールの様々の行事・祭事の際に 額につけてもらう祝いの印で
 ある。飯粒と色粉を混ぜ合わせたものを 額につけてもらい、幸運を授かるものだ。

 旧王宮広場に近いインターネットのプロバイザーの事務所で支払いを済ませ、
 バソンタプールにある旧王宮広場へと向かう。
 ネパールの大統領が来るということで交通規制が引かれ、
 綱を張って立ち入り禁止地域を儲け、多数の治安警察が立ち並んでいる。
 ネパールには大統領と首相がおり、国の儀礼的な役割は大統領、
 実質的な国家運営は首相の役割である。

 国の平安を祈って インドラ・ザットラの際の活き神様 クマーリから
 ティカを授かるのは大統領の役割だ。
 王制時代には 国王が クマーリからティカを受けていた。

 生き神様 クマーリというのは カトマンズでは ネワール族の仏教徒カースト 
 サッキャ・カーストの中から選ばれた女の子である。
 幼児期に身体に痣や傷がないことを 厳しく確かめた上で 選ばれる。
 選ばれ、生き神 クマーリになると、パソンタプールの王宮広場の中のクマーリの館で
 初潮を迎えるまで生活することになる。
 初潮前に 怪我などをして血を流すことになると、クマーリの役目を終えてしまう。
 そのために学校にも行けず、制限の多い生活になり、クマーリの役目を終えたあとの
 社会生活に支障を残すことにもなる。
 それが 今 人権保護団体から、人権侵害として非難されている。

 バソンタプールの王宮広場では、生き神 クマーリの乗り物がすっかり用意され、
 クマーリもお付の者と一緒に乗り込んでいるようだが、遠くから出よく見えない。
 ラナ家専制時代にイギリス様式で建てられた白塗りの迎賓館のベランダには
 各国の賓客、政府要人が、そのクマーリの乗り物に目を向けながら、大統領の
 到着を待っている。

 この王宮広場の裏側に抜ける路地に向かう途中、
 その路地脇の集落のレンガ造りの建物の前の小さな広場があった。
 ここもそのラケの踊りを見ようと人だかりである。

 路地を抜けると 広場の裏に出る。
 そこも人だかりで、交通規制している。
 普段にはない様々の矢倉が各所に設けられている。
 そこにある寺院の中も クマーリを一目見ようとする人々であふれている。
 クマーリが見えるとは 到底思われないが、人々からすれば、祭りの雰囲気を
 味わうことが楽しいのである。

 私も充分に祭りの雰囲気を楽しんだので、家路へと向かった。



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カトマンズ 街の風景 | 08:35:45 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐25 うなぎと鯰
アジアの街角 1枚の写真から‐25 土用の丑の日から

 スーパーに行くと、うなぎの蒲焼が並んでいた。
 以前は、中国産のうなぎが並んでいたが、近頃では 中国産のうなぎは
 犬猿され、日本産のものに切り替わっている。

 うなぎといえば、タイの東北部 イサーンの中心的な町 コンケンのことを思い出す。
 ここには、7年ぐらい住んだことがある。
 市場に行くと、路上に生きたうなぎが良く売られていた。
 それを買い求め、四苦八苦して、3枚に下ろし、柳川風にして食べたことがある。
 東北タイの人たちは、よくうなぎを食べるようだが、
 隣に住んでいたベトナム人家族にご馳走したら、最初は嫌がっていたが、
 口にしたら、美味しそうに食べてくれた。
 ネパールでもバングマッチャと呼ばれ、時々見たこともある。

 私が育ったのは、瀬戸内海の小島であった生家、うなぎを食べる習慣はなかったし、
 うなぎがあったという記憶もない。
 瀬戸内海のアナゴは美味しいから、あえて、うなぎを食べる必要もなかったのかも
 しれない。

 うなぎの蒲焼をみていたら、バンコクの東北タイ料理の屋台で売られている
 鯰の照り焼きのことが頭に浮かんできた。
 メコン川では、2,3メートルの大鯰が時々捕れるらしいが、
 これは、高値で売れるらしい。
 普通 街で売られている鯰の照り焼きは体長25センチ前後の小ぶりなものだ。
 あの鯰の顔つきを見ると、一瞬ぎょっとするが、食べてみると、
 意外と肉質はあっさりしていて美味しい。
 ハーブをたっぷり入れたスープの中に、鯰が1匹そのままの姿で入っていることもある。
 これも美味である。
 店先で売られている鯰の照り焼きは、その顔を見ないで、そのまま食べても美味しいが、
 ヤム・プラードゥックと呼ばれる食べ方もある。
 照り焼きにした鯰の肉部分をはがし、細かくして、その中にハーブを入れ、
 ライム果汁をいれ、和え物のようにしたものだ。

 田舎に行けば、うなぎは田んぼや川にたくさんいるが、気持ち悪がる人間も多い。
 日本にも鯰はたくさんいるけれど、気持ち悪がってあまり食べない。
 鯰1匹まるごとの姿では、見ただけで、喉を通らないだろう。
 食習慣の違いである。

 私は、タイやネパール、インドに行くと、大半のものは口にするが、
 遠慮したいものは、昆虫や虫の類である。バッタやこおろぎのから揚げなどは
 どうも食べる気がしない。
 タイでも東北タイの人たちが 虫類をよく食べるが、美味しいからというより
 たびたびの旱魃で 食物が手に入らず、たんぱく質を得るために食べているうちに
 習慣化したもののようだ。
 近頃では 強い農薬が使われるようになり、農薬に汚染されたばった類を食べて
 中毒を起こすことも よくニュースで報道されている。
 
 どんな魚や肉類も 許容範囲の中にはあるが、どうも昆虫、虫類はその範囲外のようだ。
 食べるものが他になければ、食べる自信はあるが、まだまだそんな過酷な状況に
 置かれたことはない。


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アジアの街角 1枚の写真から | 01:54:40 | Trackback(0) | Comments(2)
カトマンズ インドラ・ザットラ 前夜祭
カトマンズ インドラ・ザットラ前夜祭 1

カトマンズ インドラ・ザットラ前夜祭 2

カトマンズ インドラ・ザットラ前夜祭 3

カトマンズ インドラ・ザットラ前夜祭 4

カトマンズ インドラ・ザットラ前夜祭 5

カトマンズ インドラ・ザットラ前夜祭 6

 夕方6時半を過ぎると カトマンズの街には夕闇が 街中を覆い始める。
 街には灯り、その薄明かりの中を 自転車を走らせる。
 インドラ・チョークに近づくにつれて、人ごみが 増してくる。
 インドラ・チョークの狭い広場は 人だかりになっており、
 人々は アッカス・バイラブ寺院の前に置かれたアッカス・バイラブの神様に
 祈りを捧げている。
 色とりどりの花で 華やかに飾りつけられているアッカス・バイラブの神様だ。
 ここに人が集まることは わかっているのに自動車が入り込んできて、
 混乱状態に近い。
 少し先のビッシャル・バザールに自転車を置き、
 再びインドラ・チョークに帰ってくる。

 インドラの神様は 天候を司る神様だ。
 昔からカトマンズ盆地では 農耕民族であったネワール族にとって大切な神様だった。
 あるときインドラの母親が カトマンズ盆地の中にだけ咲く特別の花がほしくなった。
 インドラは母親のために その花を手に入れるために 自らを人間の姿に変え、
 カトマンズの街にやってきた。
 人間に姿を変えたインドラが カトマンズに降り立ち、その花を見つけ、
 摘み取ろうとすると、禁断の花であるその花を摘み取ろうとした罰で
 牢屋に入れられてしまう。

 天にいるインドラの母親はいつまで経っても帰ってこないインドラのことが心配になり、
 神様の一人 バイラブをカトマンズに送り、インドラの行方を捜させる。
 そして、インドラが牢屋に放り込まれていることを知ると、怒り狂い、あらゆる災難を
 カトマンズの民に与える。
 困り果てたカトマンズの民が バイラブにその理由を訊くと、インドラを牢屋に
 閉じ込めていることを伝えられる。
 驚いたカトマンズの民は インドラを牢屋から出し、インドラとバイラブに許しを請い、
 これからは、インドラとバイラブへの償いと平安への感謝の気持ちをこめて、
 お祭りを催すことを約束して、許してもらう。
 そのことから始まったのがインドラ・ザットラである。

 今から240年以上前のことだ。
 カトマンズ盆地の中のネワールの王国 カトマンズでは 毎年のようにインドラ・
 ザットラが開催されていた。
 人々は 飲めや歌えの大騒ぎ、そんな時にゴルカからカトマンズに攻め入った
 プリティビ・ナラヤン・サハの軍勢は瞬く間に カトマンズを征服してしまうのである。
 そのとき、カトマンズ盆地の王国は カトマンズ、パタン、バクタプールと
 三つの王国に分かれ、すっかり、力を失っていたのである。

 そんなことを思いながら、インドラ・チョークのインドラ・ザットラの様子を眺める。
 怖い顔つきのバイラブの神様も インドラ・ザットラの間は 花々で覆われて、
 嬉しそうである。
 このインドラ・チョークには 二体のバイラブの像が置かれている。
 燈明もたかれ、ゆらゆらと その灯りが揺れている。
 そのすぐそばには 舞台が作られ、その上では、中年過ぎの男女が 
 インドラ・ザットラを祝う歌を歌っている。
 楽器を弾いているのは男たち、歌うのは女たちの役割のようだ。

 インドラ・チョークからカトマンズのネワール族の古い王宮のあるハヌマンドカに
 向かう。
 その王宮前には 多くの人々が集まり、ラケという魔物に扮した男の踊りに
 見入っている。
 人だかりでそのラケの姿は 見ることは出来ない。
 何百年にも渡って、ネワール族の人々は この場所に集まり、インドラ・ザットラの
 祭りの始まりを祝ったのだ。

 すぐ近くには 二つのバイラブの像がある。
 1つの像の口から、管が出ている。
 祭りの間、その管からジャールというどぶろくが 流れ出て、人々に振舞われる。

 そこからバソンタプールの広場に行くと、次の日から使われる生き神様のクマリーを
 乗せる3台の乗り物が暗闇の中に置かれている。

 小雨が降り始めた。
 もう午後8時、自転車に乗り、再びタメルに行き、
 カトマンズで一番美味しいタカリキッチンでネパール定食ダル・バート・タルカリを
 食べて家路へ向かった。


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カトマンズ 街の風景 | 14:35:39 | Trackback(0) | Comments(2)
アジアの街角 1枚の写真から‐24 民族
アジアの街角 1枚の写真から‐24 民族

 ネパールやタイを見ていると、それらの国が、様々な民族によって、
 構成されていることがわかる。
 日本、韓国、北朝鮮などが、実は特殊で、世界の大半の国は、
 他民族で構成されていると言っても間違いはないだろう。
 そういう意味では、日本にしても、韓国にしても、他民族で構成されている国を
 正しく理解することは、得意ではないようだ。

 ネパールを例に取って見ると、ネパールには、50近い民族が住んでいる。
 民族だけでなく、ヒンズー教の教義に従ったカースト制度も含んでいる。
 ネパールを訪れ、トレッキングに行けば、行くコースによって出会う民族も違ってくる。
 バウン族、チェットリー族、タマン族、ライ・リンブー族、シェルパ族、グルン族、
 マガール族、タカリ族、ネワール族、タルー族、インド系のマデェシ数え上げれば
 限がないくらいだ。
 それに加え、ダマイ、カルキ、カサイ、スナール、カミなどの下位カーストもいる。
 ネワール族の中にも もっと複雑なカースト制がある。
 それぞれの民族やカーストの人々が ネパールの中で置かれている位置づけ、宗教、
 生活文化も異なる。

 この辺のことが理解できないと、盲人が象を触って、象を知ることと同じことになる。
 バウン族に深くかかわれば、ネパール人をバウン族のイメージで見るだろうし、
 ネワール族のシュレスタ・カーストの人とのかかわりは深くなれば、そのイメージで
 ネパールを見ることになるだろう。

 カトマンズに訪れれば、ネワール族に接することが多いし、
 政府間交流でやってくれば、バウン族、チェットリー族に出会うことが多いだろう。
 トレッキングに行けば、そのコースになっている村に住んでいる民族に
 出会うことになる。
 南ネパールのタライ地方に行けば、インド系のマデェシの人々やタルー族に
 出会う機会も多い。

 だから、我々は、出会った人々によって、ネパールのイメージを作り上げてしまう。
 しかし、これでは正しくネパールを理解したことにはならない。
 大切なことは、各民族同士、カースト同士が、どういう関係の中にあるのか、
 交流があるとすれば、どういう形での交流かを見極める必要がある。

 政府間援助、民間の援助にしても、表に出てくるのは、ネパールの中枢にいるバウン族、
 チェットリー族、ネワール族であることが多い。
 そうすると、援助はこうした人々の村や地域に偏ってしまうことも多い。
 本当に援助を必要にしている人々のところには 援助は届かないことになる。

 多民族国家でない日本、そこで生活してきた日本人には、各民族間の関係を見るという
 視点を持つことは少ない。
 この視点を持たない限り、今のネパールの問題も混乱も見えてこない。
 援助は善であるというという発想は成り立たないことも出てくる。
 比較的豊かなバウン族、チェットリー族、ネワール族の村に援助をし、近くにある
 もっと貧しい民族の住む村には援助が届かないことだってあり得るのである。

 240年間、チェットリー族、バウン族の支配体制が続いてきたネパールでは、
 このことは肝に銘じる必要がある。
 公立学校の教師といえば、大半がバウン族、チェットリー族が多い。
 カトマンズでは、ネワール族の教師も多い。
 教育援助を目的にやってきた日本人が出会うネパール人教師はこうした教師だ。
 案内する村も、教師の住む村ということになる。

 ネパールのどんな村を見ても、今の日本人からすれば、みんな 貧しく見える。
 村に行けば、テレビも冷蔵庫も、ガスコンロもない。
 水道がないのは当たり前だが、電気も来ていない村も多い。
 しかし、貧しさにもいろいろなレベルがることには 気がつかないことが多い。
 田畑の広さ、家畜の数と正しく見ていかないと、その貧しさはわからない。
 民族、カーストによる貧富の差は、ネパールでは大きい。
 表面的に見ているだけでは、ネパールという多民族国家は見えてこない。


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アジアの街角 1枚の写真から | 01:31:01 | Trackback(0) | Comments(2)
カトマンズ 一夜 明けて カトマンズ市内へ タメル‐2
カトマンズ 一夜 明けて カトマンズ市内へ タメル‐2 1

カトマンズ 一夜 明けて カトマンズ市内へ タメル‐2 2

カトマンズ 一夜 明けて カトマンズ市内へ タメル‐2 3

カトマンズ 一夜 明けて カトマンズ市内へ タメル‐2 4

カトマンズ 一夜 明けて カトマンズ市内へ タメル‐2 5
 
 タメルの宝石屋の前に座り込んでいると、近くの店の店主たちが 
 暇つぶしに話しかけてくる。
 この場所に来てよく話しをするのは 宝石屋の真向かいにあるパシュミナウール・
 ショールを売る店の店主である。
 彼は ネワール族のシュレスタ・カーストに属し、カトマンズ郊外に実家がある。
 実家には広い田畑があり、実家から米を送ってくるので 米の値上がりに苦しむことはない。
 実家ではタイチンと呼ばれているジャポニカ米を主に栽培しているようだ。
 ネワール族はこのタイチンという米から、酒を作ったり、チューラと呼ばれる乾し飯を
 作ったりする。
 今ではこの乾し飯 チューラ、大半のネパール人が 昼食の主食として食べている。
 この乾し飯は一度炊いたご飯を杵の中で搗き、平たくしたものを乾したものだ。
 ネワール族の行事・祭りの時の宴会には このチューラはなくてはならないものだ。
 わたしは 歯が悪いので このチューラは苦手である。

 話がそれてしまったが、彼には二人の子供がいる。
 二人の子供はカトマンズ市内の私立学校に通い、その費用は一人につき 昼食代込みの
 授業料が3千7百ルピー(約5千5百円)、二人だから7千4百ルピー、
 彼の家は学校から歩いて通える距離にあるので バス代はいらないが、
 バス代を含めると、一人当たり 月4千ルピーかかるという。
 カトマンズでの教育費もなかなか大変である。
 しかし、村からやってきて レストランで働く若者は 食事付で 月給2千から
 3千ルピー、彼らとは無縁の私立学校である。
 ネパールの生活格差、教育格差は 広がる一方だ。

 その店主と話をしていると、知り合いの宝石屋に ネパール人の客が注文した
 指輪の仕上がりを確かめにやってくる。
 夫婦と7歳ぐらいの男児である。
 この男の子が 置いてある私の自転車に興味を示し、触っているので、冗談半分に
 「ケ ガレコ (何をしているんだ)」
 と声をかけると 彼の両親が振り向く。
 顔を見ると ネワール族のようだ。
 「タパイ ネワリー フンチャ キ(あなたはネワール族ですか)」
 と訊くと、そうだと言う。
 私の悪い癖で ついつい 彼らのカーストを訊いてしまうのだが、
 ラーズバンダーリと教えてくれる。

 ネワール族のヒンズー教を信仰するシュレスタ・カーストに属する高カーストである。
 昔はバンダーリと言っていたが、ネワール族を征服した民族の中のバウン族の中にも
 バンダーリという氏族があり、ラナ家専制時代に ネワール族のバンダーリを区別
 するために、ネワール族のバンダーリの上に ラーズを加え、ラーズバンダーリに
 したようだ。
 その家族連れの奥さんが
 「今日からインドラ・ザットラが 始まるからハヌマンドカに行くといい。」
 と教えてくれる。
 インドラ・ザットラは終わってしまっていたと思っていた。

 タメルからアッカスバイラブ寺院のあるインドラ・チョークへと
 自転車を進めていくことにした。



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カトマンズ 街の風景 | 10:35:46 | Trackback(0) | Comments(2)
アジアの街角 1枚の写真から‐23 物価
アジアの街角 1枚の写真から‐23 物価

 この三ヶ月の間に、ネパールのカトマンズ、タイのバンコク、そして日本の東京と
 三つの首都で生活していることになる。

 野菜と米の安いネパールから、バンコクへと移動すると、米と野菜の値段は高くなる。
 市内を走るバスなどの公共料金などは、カトマンズの二倍近くなる。
 米は、ネパールでは 日本米は1キロ130円、タイでは170円、日本は安いもので
 400円。

 タイで嬉しいのは、果物と肉が安いことだ。
 果物好きの私にとっては、これほど嬉しいことはない。
 ライチ、ランブータン、マンクッド(マンゴスチン)が時期で、1キロ、2キロと
 買ってきては食いだめをしていた。1キロがみな60円から100円の間で買える。
 ネパールでは、プラムや甘くはない桃など、そして、スイカをたっぷり食べた。
 日本の果物の値段の高さを知っているからだ。

 普段飲む紅茶は、ネパールで買い溜めてきた。
 ついでに砂糖もと思ったが、変なものと間違えられてはと思いやめた。
 ネパールでは、砂糖は、1キロ70円、タイでは70円
 野菜などは、にんじんが 1キロ60円、日本は1本80円、日本は200円
 万事がこんな具合だから、日本では、怖くて買うことも出来ないものが多い。
 安い果物のアメリカ産のオレンジが70円、この安いオレンジも同じスーパーで
 日によって値段が違うから、たちが悪い。
 桃は我慢、メロンは遅い時間に行き、切り売りのメロンが半額になるのを待つ、
 そんなことでもしなければ食べられたものではない。
 スイカ、プラム、葡萄、梨ととんでもない値段だ。
 野菜も同じである。

 食料品の値段を見ていると、家族4人であれば、食費だけでどのくらいになるのかと、
 気にもなる。
 おやつも含めて1日3000円以上になるのではないだろうか。

 ネパールやタイでは 収入の少ない人間でも、買う場所次第で、どうにか生活できる。
 市場に行けば、スーパーよりもかなり、野菜、果物、肉・魚を買うことは出来る。
 米だって、美味しい不味いことを気にしなければ、1キロ50円、60円で買うことも出来る。
 生活の仕方もピンからキリまであるネパールやタイではあるが、救いはある。

 食品の物価高は、日本では収入が少なければ、すぐさま影響を受ける。
 生活必需品にも消費税がかかる日本では、収入の少ない、
 あるいは家族の人数の多い家では、家庭を圧迫する。
 その辺のことは全く考慮することなく、消費税の値上げばかりを考えている。
 貧しい人間も 食べ物ぐらいは、安心して買える態勢を作ってほしいものである。
 企業の非正規社員が40%以上超えているという。
 実態はもっとひどいものかもしれない。
 格差が広がっているのは、白書など見なくても、肌で感じることの出来る政治家が
 いないというのが、日本の政治の貧困だ。
 こんな状態至るまで 放置しておいた政府、力のない労働組合、
 どこに不満を持って行くのだろうか。

 ここにきて、物価高はひどいようだ。前回7ヶ月前に帰ってきた時より、
 20%以上上がっていた。
 サミット、オリンピックと目立つところでは、お祭り騒ぎをしていたが、
 国民の生活に係わるところでは、何一つ対策を建てようとしない。

 この前、物価高のバンコクでは、バンコク都庁が 収入の少ない人のために、路上に
 格安の食堂を開き、安い昼食を提供している。

 本当は 日本は大丈夫なのかと 益々 心配になってきた。
 その上、食の安全まで保障されないのでは 庶民は踏んだり蹴ったりだ。


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アジアの街角 1枚の写真から | 01:50:34 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 一夜 明けて カトマンズ市内へ タメル‐1
カトマンズ 一夜 明けて カトマンズ市内へ タメル‐1 1

カトマンズ 一夜 明けて カトマンズ市内へ タメル‐1 2

カトマンズ 一夜 明けて カトマンズ市内へ タメル‐1 3

 バグマティ橋の袂にあるスラムから家に帰り、部屋で一休み、
 今日はカトマンズの中心部に行かなくてはならない。
 大家への家賃の支払いのために お金の両替をしてこなくてはならない。
 朝から歩き続けていたから、ちょっと疲れてしまった。
 カトマンズの標高は1400メートル、年取った身にはこの標高の高さに慣れるまでは
 結構 堪えるのである。
 若い頃は何にも感じなかったが、年を取るごとにそれを感じる。

 身体に鞭打って、空気の抜けた自転車のタイヤに空気をいれ、
 えいっと わが身に声をかけ、自転車に乗って カトマンズの中心部へと出かける。
 ツリプレッソールからスンダーラの中央郵便局までの上り坂が 辛い。
 はあはあと息を吐き出しながら、停まることなく、一気に上り坂を登りつめる。

 坂を登りつめ、平地に入ると、渋滞である。
 ガソリンが手に入りやすくなったせいか、3ヶ月半前よりも車の数は 増えている。
 ツーリスト地区のタメルに行くまで 車の隙間を縫いながら、神経の使いっ放しだった。

 タメルでの 用事は両替屋に行くこと、休日でなければ、ヒマラヤバンクの両替の
 レートが1番いいのだが、今日は休み、そこで時々利用する顔見知りの両替屋に行く。
 外の表示では 日本円100円につき 66.5ネパールルピーである。
 知り合いということで 67ルピーで両替してくれた。
 2万円両替して13400ルピーだった。
 1つ用事は終わった。

 次はタメルのネパール人の知り合いの店で タメルの情報を仕入れることにする。
 昔からのその知り合いは タメルで 宝石店を開いている。
 挨拶を交わし、「商売はどうか」と訊くと
 「今日も朝から電気は来ないし、全く商売にならない」
 と不平たらたらである。
 「ネパールの電力事情は どうなっているのか、どうして31時間の計画停電に
 なったのか、洪水で壊れた電力施設も修理状況はどうか」
 と訊いてみても その辺のことになると 全く関心はないようで、
 返ってくるのは 新政府に対する不平・不満ばかりだ。
 一応、大学2年まで学んだ男である。

 どうもネパール人にはこうした傾向がある。
 計画停電に慣れきってしまっている面もあるが、週 計画停電8時間から、
 31時間になれば、正確な情報を政府担当者から聞きだし、その対応について
 正すというのが、一般的であるが、仕方ない、いつかはどうにかなるだろうと
 いった感じで どうも 諦めのほうが先にたつようである。

 こんな国民性だから、政府は国民の怒りなど気にはしない。
 新しく首相になった毛沢東主義政党のプラチャンダ氏も 率先して壊れた電力施設を
 視察し、各修理担当者に はっぱをかけるということをすれば、担当者も真剣に
 ならざるを得ないし、国民も身近に感じて、首相の人気も上がるだろうが、
 中国外交、インド外交と対外的に注目を集めることばかりに関心があるようで
 どうも国民の方には 目が向いていないようだ。
 そんな不満が 国民の中には芽生え始めているように感じる。
 期待はずれといた国民の受け止め方である。

 どうもバウン族(ヒンズー教の高カーストの僧侶階級)は、話は巧みだが、
 国民のための改革への行動力には欠けるようだ。
 これでは 従来の政治のパターンと同じである。


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カトマンズ 街の風景 | 11:47:23 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐22 50年前
アジアの街角 1枚の写真から‐22 50年前

 カトマンズ郊外のパンガウンの村の中にあるレンガ造りの家の前の陽だまりで
 母娘が座り込んでいる。
 母親が、娘の髪の毛の中に生みつけられた虱の卵を取っては、
 つぶしている。
 こんな光景は、50年前の日本の田舎では、当たり前の姿だった。
 竹で作った目の細かい虱の卵を髪の毛の間から、すき出す虱取り専用の櫛なども
 記憶にある。

 50年前の日本の田舎の生活は、どんなものだったのか思い起こしてみる。
 当時、テレビなど普及しておらず、情報を得る方法はといえば、
 ラジオか新聞だけだった。
 テレビが一般家庭に入ってくるのは、1960年半ば以降だ。
 家庭には、ガスもなく、料理を作るには、マキと炭、カマドと七輪だった。
 風呂といえば、井戸から汲み出し、風呂桶を一杯にするまで水を運ぶのは、
 なかなかの重労働だった。
 マキは山に行き、木を切り出し、家まで運び、それを適当な大きさに切り分け、
 斧で割って作る。
 生活のすべてが、まだまだ手仕事の時代だった。
 その手仕事のいくらかは、子供たちの仕事だった。

 子供たちは、学校を終えると、夕方近くまで遊び呆け、家に帰ると
 決められている仕事をこなし、夕食のときを迎える。
 夕食を食べ、風呂に入ると、もう午後7時過ぎ、ラジオを聴き、宿題を済ませると
 もう9時近く、そうすると眠くなり、床に就き、朝起きるのは、午前6時、
 朝食を食べて、学校へ行くという生活の繰り返しだった。
 同じことの繰り返しのような生活だったが、退屈ということは、
 一度も感じたことはなかった。

 今の日本の生活水準からすれば、かなり低い生活だったのも確かだし、
 食べ物もおなかが膨れれば、いいという程度で、美味しいものを食べるのは、
 盆と正月ぐらいのものだった。
 皆が貧しかったから、それが当たり前だったし、
 だからといって、不幸ということはなかった。
 着ているものといえば、お下がりや継ぎの当たったものだったし、普段着であれば、
 それで充分だった。
 山や海、畑や田んぼで遊ぶ子供たちに洒落た服など必要なかった。

 何もない時代であったが、子供たちにとっては、生きているという実感はあった。
 親が 子供たちに 玩具など与える時代でもなかったし、
 祭りや正月にもらった小遣いで、縁日の安いブリキ製の玩具を買うぐらいのものだった。
 周りの自然は、それ以上の玩具を与えてくれたのである。
 大人は大人で、子供は子供で、与えられた分の中で生きていた。
 だから、大人も余程のことがない限り、子供の生活に干渉することはなかった。
 1960年代の日本の田舎はそんな時代だった。

 だから、ネパールの村の生活ぶりを見ても、違和感はなかった。
 むしろ、懐かしいをいう思いのほうが強かった。
 貧しい、不潔、不幸という感情は湧かなかった。
 50年前の自分の生活が蘇り、豊かなものに囲まれている生活が、
 幸福の条件ではなかったことを思い出すからだ。

 1970年代にはいると、日本人の生活は、便利な道具に囲まれ、
 新しいもの、新しいものへと走り始める。
 新しいもの、便利なもの、快適な生活を手に入れるために、ひた走りに走り始める。
 その中で どれだけの幸福を手に入れたのか。
 こんな時代の中で、子供たちは、幸福感、充実感を持って生活しているのか、
 気にかかる。
 大人も同じである。


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アジアの街角 1枚の写真から | 04:18:48 | Trackback(0) | Comments(2)
カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐5 川辺のスラム
カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐5 川辺のスラム 1

カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐5 川辺のスラム 2

カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐5 川辺のスラム 3

カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐5 川辺のスラム 4 

カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐5 川辺のスラム 5

カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐5 川辺のスラム 6

 このバグマティ橋のすぐ脇にあるスラムを始めて訪れたのは 
 半年前の今年の三月のことだ。
 一年前にはなかった。
 人々が住み始めたのは 今年の二月あたりからのようだ。
 私が訪れた頃も、まだバラックを建てている最中の人が多く、辺りには空地も多かった。
 再び五月の終わりごろに訪れると、バラックの数は何倍にもなっていた。

 そして、今回 再度訪れた。
 ビニール張りのバラックの数はますます増え、スラムの長さも 
 バグマティ川の上流に向かってどんどん長くなっていた。
 ここに住んでいる人々は、村では食べることも出来ず、逃げるようにカトマンズの街に
 やって来た人たちだ。
 村に住み、食べていくことの出来る人間は ここにやってきた人たちよりも
 貧しくはないともいえる。

 スラムの中へと足を進めていると、毎晩の雨で スラムの中央を走る道は 
 ぬかるみ、水溜りだらけだ。
 その道の脇の小さな猫の額ほどの田んぼに 稲が実っている。
 こんなスラムに住んでいても 地方からやって来た農民は 畑仕事を忘れない。

 30年ぶりの大雨の時はどうだったか 訊いてみると 
 バグマティ川の水が 土嚢近くまでやってきて 一時はどうなるかと 
 みんなして心配したという話だ。
 夜はどうなるかと 眠ることも出来なかったという。
 電気もない暗闇の中で 右往左往している彼らの姿が 浮かぶようだ。

 今日は土曜日の休日、学校も休みで子供たちの姿も たくさん見かける。
 僅かに残った河川敷の空地では 子供たちが 近づくダサインの祭りに合わせて、
 凧揚げをしている。
 このスラムにもダサイン名物のブランコは 設営されるのだろうか。
 凧揚げとブランコがなければ、ダサインの雰囲気は出ない。
 あと3週間もすれば、ネパール最大の祭り ダサインの始まりだ。

 スラムに住む人々、バラックの数も安定し、集落らしい形になってきている。
 ネパールには多くの種類の民族が住んでいるが、このスラムに住む民族も 
 同じように多種多様である。
 1番数の多いタマン族、ライ・リンブー族、マガール族、わずかながら高カーストの
 バウン、チェットリ族もいる。
 こんなところで 民族、カーストを主張していては生活出来るはずもない。
 力を合わせることが出来なければ、いつ追い出されるかわからない。

 スラム住民で構成される組織も出来、皆でお金を出し合い、低学年の子供のための
 小さな学校も出来ていた。
 自分たちの家は ビニール張りのバラックであるが、
 学校は レンガを使ったしっかりしたものだった。
 その学校の前には 一人のタマン族の若者が座り込んでいて、
 この学校についていろいろ教えてくれた。

 彼の家族もこのスラムに住んでおり、彼は今10年生、日本でいえば、高校1年生だ。
 高学年になると 皆、近くの公立学校に行くようだ。
 私立学校に行くだけの財力は ここに住む親たちにはない。
 教育水準の低い公立学校を嫌って、カトマンズ市民の大半は私立学校に行くが、
 ここに住む子供たちは 費用のかからない公立学校しか 選択の余地はない。

 大人も子供も とにかく、その日の糧を求めて生き抜く、それだけがすべての生活だ。
 社会の冷たさに負けるわけには行かない。
 自らを鍛え、社会の荒波を自分の力で乗り越えていくより道はないのだ。


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カトマンズ 街の風景 | 10:38:20 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐21 エコー 
アジアの街角 1枚の写真から‐21 エコー 

 カトマンズ盆地の中を流れる聖なる川 バグマティ川のテクに近い岸辺は
 ゴミの捨て場所になっている。
 この辺りには その捨てられたゴミの山の中から、廃品を探し出し、それを売って
 生活の糧にする人々が集まる。
 ビニールの袋、古着、段ボール箱、ペットボトル、売れるものは何でも探し出し、
 買い取り業者に売る。
 カトマンズにやってきても 定職につくことの出来ない人たちが得ることの出来る
 最後の仕事だ。

 20年前のカトマンズでは、こんな仕事は成り立たなかった。
 使えるものは最後まで使うというのが、当時のカトマンズの人々にとっては、
 当たり前のことだった。
 郵便局を利用して海外に荷を送ろうとすれば、段ボール箱は必需品だったから、
 ネパールでもインドでも、段ボール箱は 食料品店や雑貨屋へ行き、お金を出して
 買うものだった。
 古着だって、穴が開いても、継ぎをあて、最後の最後まで使いきるものだったし、
 プラスティックのペットボトルなど、農作業に行く際の水筒代わりにもなったし、
 農作業の合間に飲むジャール(どぶろく)の入れ物にもなった。
 ビニール袋は、昼食用の煎った豆やチューラ(乾し飯)を入れるにも便利だった。

 それが今では、ビニール、プラスティック製品が 多くの廃品集めの人々の生活を
 支えるほどのゴミの量になってしまった。
 この頃では、何かを買えば、必ずビニールの袋に入れてくれる。
 20年前は、ビニールの袋は、お金を出して買うものだった。

 それはカトマンズに人が増えたからという理由だけでなく、
 カトマンズが 自由主義経済の中に取り込まれ、消費至上主義が入り込んできた
 ことにもよる。

 日本だってそうだ。エコーエコーを叫びながら、新聞の綴じ込み広告の紙は
 相変わらずの量だし、スーパーでものを買ってくれば、ビニール類のゴミは瞬く間に
 溜まってしまう。
 国民に対して、エコーエコーと叫ぶだけでなく、ゴミを生み出す元凶はどこにあるのか、
 見極める必要があるだろう。

 一時レジ袋のことで騒がれたが、レジ袋の原料は、石油の精製の中で出てくる
 あまりもので、レジ袋の廃止はエコーには貢献せず、その代わりに造られている
 エコーバッグのほうが、余程問題だということが明らかになってきている。
 気分だけのエコー流行では、何も解決していかないことが良くわかるし、
 それを主導する政府のいい加減さも良く見える。

 スーパーで食料品を詰めるために使われているビニール類の器、広告用の紙など、
 生産活動につながるものは、景気を冷え込ませるという理由で眼を閉ざして、
 国民だけにエコーを要求するのでは、片手落ちである。
 国民をあおって、無駄なものを買わせることが、資本主義、自由主義の原点なら、
 いつまで経っても、本物のエコーなど生まれては来ない。

 国民もエコーエコーを一緒になって騒ぐのではなく、無駄なものと必需品を
 正しく見分ける姿勢を育てる必要があるだろう。
 節度のない消費を改めることなく、エコーなど不可能なのは明らかなことだ。
 使えるものを捨て、新しいものばかりを追い求める国民の消費主義を改めることなく、
 どうエコーに取り組むというのだろう。
 この日本のこと、日本の国民のことが、ますますわからなくなってくる。


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アジアの街角 1枚の写真から | 01:47:01 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐4 ネワール料理屋へ
カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐4 ネワール料理店 1

カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐4 ネワール料理店 2

カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐4 ネワール料理店 3

カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐4 ネワール料理店 4

カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐4 ネワール料理店 5

カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐4 ネワール料理店 6

 バグマティ川の川沿いの散策を終えて、家に帰ってくる。
 時計の針は 午後12時半になっている。
 秋が近づいてきているとはいえ、日中の陽射しはまだまだ強く、
 すっかり汗をかいてしまった。
 部屋の中で、少しばかり一休みである。

 30分ばかり休息をとっていると、お腹がすいていることに気がついた。
 3ヵ月半ぶりに パタンとカトマンズを結ぶバグマティ橋を越えたタパタリの
 交差点のすぐそばのネワール料理のローカル食堂にいってみることに決めた。
 今日は土曜日の休日なので 店を開けているかどうか心配だったが、
 とにかく行ってみることにした。

 バグマティ橋の上に立つと、ここ何日かの雨でバグマティ川の流れは 
 すっかり水嵩を増している。
 乾期のときのどぶ川の水の臭気は なくなっている。
 川の水の色は、相変わらず汚れた土色だ。

 橋を渡り終え、タパタリの交差点までやってくると、
 いつも通うネワール料理の店は 開いていた。
 この店は 家族総出で切り盛りしている気持ちのいい店だ。
 観光客から見れば、汚らしく見えるかもしれないが、私の好きな店の一つだ。
 このネワールのマハルザン・カースト(ネワール族の農民カースト)の家族の
 母親が、店の前に立っている。
 店の中では 2番目の息子が 店の準備に忙しい。
 いつもは12時に開ける店だが、休日ということで のんびり店を開けたようだ。
 互いに久しぶりの再開を喜び、挨拶を交し合う。

 店のテーブルの前に座り、「モモ(蒸し餃子) チャ」と訊くと
 「チャ」と息子が応え、準備を始める。
 他にアルタルカリ(ジャガイモカレー)、ツウェラ(水牛肉のあぶり焼きの和え物)を
 注文する。
 今日のツウェラは 菜種油の香りが効いており、肉も柔らかく美味しい。
 お代わりをしてしまった。
 モモが蒸しあがる。この店のモモはネパールモモで 日本の餃子の形でなく、丸い。
 水牛肉のミンチがたっぷり入っていて、なかなか美味しいのだ。

 久しぶりのネワール料理に満喫して、家に向かう。
 バグマティ橋の川辺のスラムがどうなっているのか気になったので、
 来た道とは反対の橋側、スラムのあるほうを歩く。
 30年振りの大雨に襲われたネパール、スラムの状態が気にかかったのだ。
 橋の上からスラムを眺めてみると、何事もなかったようだ。
 そのまま通り過ぎていこうと思ったが、やはり、このスラムがどう変わったのか、
 見ておきたいと思い、川辺へと降りていった。


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カトマンズ 街の風景 | 11:20:34 | Trackback(0) | Comments(2)
アジアの街角 1枚の写真から‐20 豊かさ
アジアの街角 1枚の写真から‐20 豊かさ

 カトマンズの郊外に パンガウンという小さな村がある。
 人口4,5百人の村である。
 もともとは山岳地方に住んでいた人たちが、何らかの理由でこの場所に
 移り住んだのである。
 ネワール族でありながら、彼らの使うネワール語は 昔から住み着いている
 カトマンズ盆地のネワール族のネワール語とは大きく異なっており、通じ合わない。

 食生活も周りのネワール族の村とは異なり、主食はとうもろこしである。
 とうもろこしを粉にして、それにお湯を加え、蕎麦掻のようにして食べる。
 造る酒も近くのネワール族の村では、米から造るが、彼らはコウドウ(ヒコクビエ)
 から酒を造る。
 見た目には、確かに貧しい村である。
 昔ながらの生活の形を護り、他の村に比べれば、遅れているようにも思われる。
 しかし、人々の生活や人間関係、家族制度は安定しており、
 物の豊かさはないという点を除けば、問題は感じられない。

 粗末な食事、粗末な衣服、冷蔵庫もテレビもないような彼らの生活だが、
 これは不幸なことなのかと考えたくなってしまう。
 この村は、日本の数十年前の姿でもある。

 便利さと物質的な豊かさをひたすら求め続けてきた戦後の日本、核家族化は老人問題を
 引き起こし、便利さと物質的な豊かさは、体力の低下、飽食からくる人々の健康問題に
 影を与えている。
 際限のない便利さと豊かさの追求は、それに伴う財力を必要とし、
 人々は、その財力を求めて、働き続け、精神的なストレスすら生み出し、
 それが犯罪へとつながっている。

 便利さや物質的な豊かさは、幸福の条件かというテーマは、
 昔から問われていることだが、このことが、今ほどはっきりと問われている
 時代はないのかもしれない。

 楽で快適な生活を求めるあまり、人々から環境への適応力は失われ、
 暑くなれば、すぐに熱中症を起こし、細菌に対する抵抗力もどんどん失われている。
 環境への適応力を失った人間は、病気にかかりやすく、日本の医療費は膨らむ一方だ。
 今の日本人が、戦後のどさくさの貧しい時代の中に置かれたら、何人、生き残ることが
 出来るのだろう。
 資源が枯渇していけば、そんな時代も来ないとは限らない。

 共同体を失った希薄な人間関係は、生活に必要な情報交換の場を失い、
 『おれおれ』詐欺だの 振り込め詐欺などの横行を許してしまう社会にしてしまった。
 アドバイスを受ける人間関係を失った結果だ。
 
 お金万能社会は、莫大な投資詐欺すら蔓延させている。
 一歩立ち止まって考え直してみるという当たり前のことすら
 出来なくなっている社会なのだろうかと思うと、日本の行く末が本当に心配になってくる。

 ネパールやタイで生活していると、投資詐欺は起こっているが、『おれおれ』詐欺、
 振り込め詐欺が起こりそうだとは到底思えない。
 それが成り立たないつながりが人々の間にはあるように思う。

 こんな社会では、国民を騙す口先三寸の政治家たちの国家的詐欺すら容易だろう。
 自助、自立、自衛の力が衰退して行けば、益々この世の中はおかしなことになっていく。


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アジアの街角 1枚の写真から | 02:00:17 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐3 子供たち 
カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐3 子供たち 1

カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐3 子供たち 2

カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐3 子供たち 3

カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐3 子供たち 4

カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐3 子供たち 5

 カトマンズの街は 休日ともなれば、たくさんの子供たちであふれる。
 私の住んでいるあたりでも 例外ではない。
 通りを歩いていても その道路わきで子供たちは遊びに興じている。

 雨期のカトマンズでは 河川敷の原っぱも すっかり夜間になると降る土砂降りの雨で
 しっかり、雨水を吸い込み、ぬかるみになっていて、遊び場所には適さない。
 子供たちは 道路わき、小さな公園に遊べる狭い空間を見つけ出しては 
 群れて遊びに夢中になっている。
 雨期が明けることを待っているのは 子供たちなのかもしれない。

 あと3週間もすれば、ダサインの祭りが始まる。
 それに合わせて、子供たちの凧揚げもさかんになる。
 買ったばかりの凧を大事そうに抱えて歩いている子供たちをよく見かける。
 天に棲むインドラの神様に、もう雨はいらないと伝えるための凧揚げだという。
 米の収穫期を迎えた農民たちの願いが 凧揚げにはこめられているが、
 今の子供たちは 凧揚げのいわれは知らない。
 川辺の狭い空地に置かれているセメントのドラム缶の上で 少年が凧揚げの練習に
 勤しんでいた。

 少し 歩き続けると、白いズタ袋を背中にかけた子供たちがやってくる。
 彼らは 盆も正月もない貧しい子供たちだ。
 バグマティ川周辺のゴミ捨て場にやってきて、お金になるビニール類を集めては
 お金を手にし、飴玉、安いおもちゃを手に入れる。
 昼ごはんも手にしたお金から自分で買う。
 親から、小遣いなど期待は出来ない子供たちだ。
 自分たちの自由に使えるお金を手にするには 廃品集めしか方法はない。
 この子供たちの親も 村では食べることも出来ず、
 カトマンズに仕事を求めてやってきた人々だ。
 これだけカトマンズの人口が増えると、仕事を得ることも容易ではない。

 少しいくと 公園のような小さな広場がある。
 ベンチを利用して、卓球を楽しんでいる子供たちだ。
 卓球台などなくても、工夫次第で 卓球遊びだって出来るのだ。
 ものはなくても、遊びは無限に開発する子供たちであり、
 ものに遊ばれる子供たちではない。

 写真を撮っていると 近所のバラックに住む女の子たちがグループでやってくる。
 写真を撮れとうるさい。
 女の子たちは 写真を撮ろうとすると 逃げ出す子供も多いが、 
 この女の子たちは お構いなしにポーズをとっている。
 皆、親たちが廃品集めをしている子供たちだ。

 このバグマティ川にやってくる子供たちは カトマンズでも最底辺に生きる子供たちだ。
 生きる術は 自分で身につけるより方法はない。
 生きるということが どういうことかを 身を持って知っている子供たちだ。
 今後 世界にどんな苦境が訪れたとしても、彼らは 身を挺して生き抜いていくだろう。
 そういうたくましさを身につけている子供たちだ。
 生きていくためには 食が如何に大切で、それを手に入れるためには
 どうすればいいのか、贅沢など無縁のところで 知恵を働かせることの出来る
 子供たちだ。
 勉強、勉強と追い立てられているもやしっ子などには 負けるなと声援を送りたくなる。


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カトマンズ 街の風景 | 08:59:35 | Trackback(0) | Comments(2)
アジアの街角 1枚の写真から‐19 高見から
アジアの街角 1枚の写真から‐19 高見から

 バンコクのアパートの屋上から、近所の様子を眺めてみる。
 屋上の高台から、辺りを眺めると、近所を歩き回っている自分の姿が
 他人事のように思い浮かんでくるから不思議だ。

 人は、誰しも時間と空間に縛られて生きている。
 平面に這い蹲るように生きていると、
 なかなか別の見方が出来なくなってしまう。

 大きな古いタイスタイルを象徴する建物は、
 タイのシルク王 ジム・トムプソンの住居だ。
 といっても、当人はマレーシアに出かけ、行方知れずだ。遠い昔の話である。
 昔は、アユタヤ式の素朴な住居があっただけだが、
 今は、レストラン、シルク販売と 多くの建物が並び、昔の面影はない。

 そのジム・トムプソンの家の横を流れる運河が、セン・セーブ運河だ。
 19世紀初頭に パッタニから強制移住させられたイスラム教徒によって造られ、
 この運河周辺にはイスラム教徒の集落が多くある。

 このセン・セーブ運河の向こう側は カンボジアから移住してきたチャム族の集落だ。
 古くは、2世紀から17世紀まで ベトナム中部でチャンパ王国を築き上げていた
 民族である。
 タイのバンコク王朝の水軍の傭兵としての働きがあったといわれている。
 その功績からこの地に住むことが許されたと言われている。
 又、織物の技術にも優れ、彼らのシルク織物に注目して ジム・トムプソンは、
 チャム族の集落の近くに住み着いたのだ。
 屋上の上からみると、単なる木造の建物の集落のように見えるが、
 集落は迷路のように入り組んでいる。
 一見スラムのように見えるが、イスラム教徒たちの住む古い集落で、
 中に入ってみると人々の暮らしは安定していて、犯罪とは無縁の集落だ。

 この集落の中を、抜けていくと、このあたりの下町情緒の残る地域があり、
 バンコク庶民たちの生き生きした生活ぶりを眺めることが出来る。
 昔風の市場があり、夕方近くなれば、タイ風、中国風の惣菜が並べられ、
 売られている活気のある街に変貌する。
 この界隈では、私が 一番 ほっとできる空間だ。

 涼しくなる夕方になると、運河沿いを歩き、橋を越えて、チャム族の集落に入り、
 そこを抜け、市場近くの通りで惣菜を買ったり、果物を買ったりしながら、
 バンコク庶民の生活ぶりを眺めるのは、楽しみの一つである。

 この周辺は、バンコクの中心的な場所になりつつある。
 チャム族の住むこの地域もいつか、開発の嵐に見舞われるかも知れまい。
 あと10年もすれば、この集落も姿を消すかもしれない。
 他の地域で、市場がスーパーマーケットに、集落がマンションに変わっていった
 ように。
 そうなったら、私の心の置き所などなくなってしまうだろう。
 この集落の10年後の未来より、自分の10年後の未来はどうなってしまうのか、
 それすら予測がつかない。
 なるようにしかならないと思って 諦めているところもある。


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アジアの街角 1枚の写真から | 01:55:04 | Trackback(0) | Comments(2)
カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐2 秋の訪れ
カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐2 秋の訪れ 1

カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐2 秋の訪れ 2

カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐2 秋の訪れ 3

カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐2 秋の訪れ 4

カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐2 秋の訪れ 5

 東京、バンコク、カトマンズと移動してきたが、
 街に身を寄せていくためには 自分の感覚を切り替えていかなくてはならない。
 そうしないと、街の本当の姿が見えてこない。
 感覚を切り替えるためには とにかく、自分の足を使って歩くことだ。
 自分の心を街に馴染ませていく、歩くという行為が最も有効な手段である。

 カトマンズにも秋の気配が 漂い始めている。
 まだまだ雨期の最中で、夜になると激しい雨が降る。
 1,2時間 降り続けると いつの間にか止んでしまう。
 雨期のカトマンズは 湿気の中にあるといってもよい。
 粘りつくような湿気の多い空気が 街全体を覆い、
 その空気は容赦なく、家の中にも入り込んでくる。

 この湿気を含んだ空気が 豊かな秋の実りを用意してくれる。
 カトマンズの夏の始まりは 紫色の花を満開に咲かせるジャガランダの花だったが、
 やはり秋の訪れには黄色い花が似合う。
 私の住んでいるところから細い路地を抜けて、表通りに出ると、大きな屋敷の庭に
 黄色い花が 咲き誇っている。
 ひとしきり この花を眺める。

 表通りを歩き、川沿いの道に抜けるわき道に入ると、
 民家の庭には 渋柿がたわわに実っている。
 ネパール人は 渋柿の渋を抜く方法を知らないから、
 食べるにはすっかり熟すのを待つことになる。
 私の育った田舎では、渋柿の渋を抜くのに 二つの方法があった。
 1つは蒸すこと、もう1つは 渋柿のへたに焼酎をつけ、ビニールの袋の中に 
 一晩入れておくという方法だった。
 甘柿の美味しさには敵わなかったが、それでもお腹をすかせ、
 甘みに飢えている子供たちにとっては 嬉しい秋の贈り物だった。

 そんなことを思い出しながら、歩いていくと、まだ青い稲穂をつけた田んぼがある。
 この辺に昔から住んでいるネワール族のカーストの1つ、タンドゥカールの人たちの
 田んぼである。
 米の収穫までには まだ1ヶ月ぐらいは必要で、その収穫を期待して
 タンドゥカールの農婦たちが 農作業に勤しんでいる。
 彼らの持つ農地だけでは1年分の米の収穫は望めない。
 大半の農地は売り払い、僅かに残っている農地で 季節を変えて 日々のおかずの野菜、
 唐辛子などを栽培し、今は米の収穫の時期だ。
 その米も ロキシー、ジャールという酒造り、チューラという昼食、祭事用の乾し米を
 造ったら、日常食べる米飯は 市場から買うことになってしまう。

 川辺の寺院の中を歩いていると、日本の紫蘇によく似た植物を見かけた。
 咲いている花も紫蘇の花に似ている。
 まさか毒はないだろうと、その葉っぱをちぎって、口の中に入れてみる。
 日本の紫蘇ほど香りは強くはないけれど、ハーブの香りが口の中に広がる。
 この植物をネパール人は利用しているのだろうか。

 その近くには 赤紫の色鮮やかな草花が 人目を引くように育っている。
 花かと思ったら、美しい観葉植物だった。
 気候の穏やかなカトマンズ盆地の中では、温帯系の植物と亜熱帯系の植物が
 共存している。

 やはり、私も日本人なのだろう。
 どこかで季節の移り変わりを感じようとしている自分がいる。
 自然の変化を見ると ついつい心が動いていく。
 ネパールの季節の変化は どこか 日本のものに似ている。
 こうした季節の変化が生み出したカトマンズの住民の心は どこか日本人と
 共通するものがあるのかもしれない。
 性格の穏やかなネパールの民だ。
 それが 日本人を惹きつけるのかもしれない。


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カトマンズ 街の風景 | 13:37:05 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐18 自転車
アジアの街角 1枚の写真カラー18 自転車

 バンコクのプラカノン運河の向こう岸の場末の通りを歩いていると、
 懐かしい光景を眼にした。
 自転車の修理屋さんだ。
 古びた建物の一角で 年老いた中国人が、客から預かった自転車を修理している。
 今時のバンコクでは、あまり見かけなくなった光景である。
 修理専門の店で、自転車の販売などしていない。
 タイの経済を牛耳っている中国人であるが、こうした細々とした商いで生活の糧を
 得ている中国人もいる。
 いつの時代に中国本土からタイにわたってきたのだろう。
 成功する中国人、成功しなかった中国人、そんなことを考えていると、
 彼のタイへの移住の歴史が気になってくる。

 近頃では、タイでは、自転車は子供たちの憧れの乗り物ではなくなっている。
 路地裏では、まだ年少の子供たちは楽しげに乗り回しているけれど、
 小学校の高学年ともなれば、目が向くのはオートバイだ。
 田舎辺りに行くと、12,3歳の子供たちがオートバイに乗っている姿を
 よく見かける。
 大人たちも同じで、自転車に乗っているのは、オートバイを買うお金が
 ないからとみられてしまう。

 今から、10年以上も前に東北タイの地方都市 コンケンに住んでいたことがある。
 その頃の私の足はといえば、自転車だった。
 その時代でも、もう自転車は少数派、オートバイを買うことの出来ない
 貧乏人の乗る乗り物に成り下がっていた。

 今は ネパールのカトマンズでも同じ状況になってしまった。
 タイもネパールも月賦でのオートバイの購入が出来るようになってから、
 オートバイは 瞬く間に増えていった。
 自動車は変えないが、オートバイなら買えると、自転車からオートバイへの乗り換えは、
 スムーズに行われたようだ。
 しかし、ネパールの石油不足は、ガソリンを手に入れるために、
 何百台のオートバイが列を成し、何時間も待つという事態を引き起こしている。
 待つために失う時間のことを考えれば、自転車を利用すればと思うが、
 一旦 楽な生活が身についてしまうと、それを変えることは難しい。

 東京などは 自転車を安全に乗り回すための道の整備が きちんと出来ているせいか、
 まだまだ、自転車は庶民の足になっている。
 自転車の台数だけ見ても、カトマンズやバンコクをはるかに凌駕している。
 これは余分なエネルギーを使わないという意味では、とても大切なことだ。
 今までは、経済成長、企業の利益を優先して 車社会を作り上げて、自転車のための
 インフラはいい加減にされてきたが、これからは、真剣に取り組むべき課題である。

 経済成長がなければ 豊かな生活は保障されないと脅かされ続けてきたが、
 どこまで豊かさが必要かと問い直す時代に入ってきている。
 今あるものを 皆で分け合って生活する姿勢が生まれてくれば、
 何も難しいことではない。
 政府や企業の一方的な論理だけを鵜呑みにしているだけでは、
 生活は変わっていかない。


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アジアの街角 1枚の写真から | 01:30:42 | Trackback(1) | Comments(2)
カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐1
カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐1 1

カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐1 2

カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐1 3

カトマンズ 一夜 明けて 散歩‐1 4


 カトマンズに到着して 一夜が明ける。
 朝7時に起きる。
 紅茶とバンコクから持ってきたパウンドケーキで朝食。

 計画停電の1週間の予定を確かめるために 近所の雑貨屋に行く。
 いつも行くバウン族の叔父さんの店に行き、計画停電の日程を訊く。
 この店は 客のために計画停電の時間帯を教えてくれる店だ。
 バウン族特有の几帳面な性格を持っている貴重な店主である。
 いつものように煙草と卵を買う。
 
 煙草は『クックリ』、ロングサイズではないが、フィルター付き煙草で1番安く、
 味も悪くない。
 何よりも嬉しいのは 23ルピー(約35円)という値段である。
 倹約生活をしている私にとっては ネパールは煙草天国である。
 他のものの物価は値上がりしているというのに この煙草の値上がりは 
 1ルピーだけだ。

 卵は1個6ルピー(約9円)卵は値上がりしていない。
 卵10個と煙草3箱を持って、家に帰る。

 今日の計画停電は 午前11時から午後1時までと夜7時から10時までの計5時間だ。
 この停電に合わせて、1日の計画を立てなくてはならない。
 東京、バンコクと当たり前に24時間電気の供給される国からやってくると、
 計画停電は 実に面倒だ。

 午前11時 停電になると 近所を散策することにした。
 日中の陽射しは強く、歩いているだけでも汗が噴出してくる。
 カトマンズにやってくると、日課のように歩く場所へと足を進める。

 バグマティ川の川沿いの広い道を歩いていく。
 パタンとテクを結ぶ橋に近づくと、
 リサイクルできるゴミの区分けをしている人々がいる。
 毎日のように降る雨で 地面はぬかるみ、雨に濡れたゴミの区分けも大変そうだ。
 生きていくためには雨期でも休むことの出来ない日常の営みである。
 食べていくため、飢えをしのぐためには好き嫌いは言ってはおれない。
 生きるという最低限の必要を満たすだけ生活であるが、
 それでも人は生きていかなくてはならない。

 そこを通り過ぎ、バグマティ川にかかっている黒い吊橋を渡る。
 折からの雨水で川は増水し、水嵩を増している。
 土気色に濁った川の水だ。
 この水が、カトマンズの汚れをインドへと押し流していくのである。
 橋の上からあの川辺のシバ寺院が見える。
 いつもながらの穏やかな時間の流れを感じさせる風景である。
 木々の隙間から、寺院の前の広場が見え、
 赤い服を着た若い女の子が自転車を支えながら、佇んでいる。
 絵になる光景だ。

 ここだけは 昔ながらの時間の流れが 
 吹き溜まりのように捨て置かれている。
 カトマンズの中にあって、不思議な雰囲気を漂わせている場所である。
 今日は 私は 中に入っていかない。
 この空間の中に入っていくには 心の準備が必要だ。

 黒い吊橋を渡っていく人々をもう一本の橋から眺める。
 通り過ぎていく様々の人々、若者、子供、年寄り、女に男、
 人々は各々の喜怒哀楽を抱えて この橋を行き来する。


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カトマンズ 街の風景 | 14:56:02 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐17 ゆとり
アジアの街角 1枚の写真から‐17 ゆとり

 カトマンズの街を歩いていると、よく子供たちに出会うことが多い。
 近頃、カトマンズも子供たちは高校資格試験を目指し、
 私立学校に通う子供たちが多くなってきたが、それでも子供たちは、
 ゆとりのある子供時代を送っている。

 春先にカトマンズ郊外のバクタプールの町に行った。
 バクタプールは、カトマンズ盆地の中にあったネワール族のマッラ王国時代の
 カトマンズ、パタンと並ぶネワールの王国の一つだ。
 その日は、ビスケット・ザットラと呼ばれる春の訪れを告げるバクタプール最大の
 祭りの前日で、バクタプールの広場には 次の日の祭りの時に練り歩く山車が、
 置かれ、子供たちもその神様を乗せる山車に乗り込んで、祭りの訪れを待ちわびて
 いた。

 ネパールの子供たちの顔の表情を見ていると、ゆとりのようなものを感じてしまう。
 追いかけもせず、追いかけられもせず、自分のペースで生活しているというゆとりだ。
 日本の子供のように小さいときから将来の目標を定めて、頑張っている姿とは
 別のものである。
 大人も同様だ。
 商売や仕事を目的にやって来た日本人は、ネパール人の仕事ぶりを見て、
 驚き、溜息をつくことが多いだろう。
 ネパール人にとっては、仕事は生活の糧を得るために仕方なくやっていることで
 あって、大切なことは生活を楽しむことである。
 それは子供たちにとっても同じことだ。

 ネパール人も、冷蔵庫、テレビ、オートバイ、自動車、快適な生活は望んでいる。
 しかし、生活の楽しみや人との付き合いを狭めてまでして、物質的な豊かさを
 求めないのではと思う。
 だから、無理がないし、置かれている環境の中で、出来ることを自然体で行うだけだ。
 そして、自分の分もわきまえている。

 日本であれば、仕事が出来る、勉強が出来る、運動能力に優れていると、
 人間を狭い枠の中で評価してしまいがちであるが、ネパールあたりは、
 人間を見る目が もっと広いようだ。

 能力主義を第一とする社会では、そこを外れた人間を過小評価してしまいがちである。
 それは子供たちの間でも同じだ。
 少し変わっている子供は、すぐにいじめの対象になるというのが 日本の姿だ。
 
 ネパールでは、大人も子供もその辺の許容範囲が、日本に比べると格段に広いようだ。
 ネパールやインドはカースト社会である。
 マイナス面も確かに多い。
 ただ、社会にはさまざまの人間がいて、それで成り立っているという寛容の精神は
 日本より様々の場所にいきわたっているように思う。
 民族も50以上でその習慣も文化も違うから、違いを受け入れなくては 
 やっていけないのも確かだ。

 日本だって、戦後のどさくさの貧しい生活の中では、生きることが優先され、
 多様な価値観があったし、それを受け入れる柔軟性もあったはずだ。

 この前までゆとりの教育といわれていたと思ったら、今度は学力重視、
 教育とは 何かという問いのない中で、親も子供も教師も右往左往している。

 何のための教育、誰のための教育ということが問われていない。
 狭い学力教育は、ますます、子供たちを狭い人間の見方に追い込んでいくだろう。
 そして、そこで適応できない子供は いじめの対象になっていくのは眼に見えている。
 大人の中の能力主義、子供の中の学力主義、
 世の中は、益々味気ないものになっていく。


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アジアの街角 1枚の写真から | 02:07:38 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 日本食ブーム
バンコク 日本食ブーム 1

バンコク 日本食ブーム 2

バンコク 日本食ブーム 3

バンコク 日本食ブーム 4

バンコク 日本食ブーム 5

 BTSの高架鉄道のサイアム駅の入り口付近に 鮨屋といっても 
 その場で握ってくれる鮨屋ではなく、一つ一つを丁寧に包んだテイクアウト用の
 鮨の販売店だ。
 彩が鮮やかで 鮨というより まるでお菓子のようだ。

 10年ほど前は大きなデパートの中にあるスーパーマーケットで売られるように
 なっていたが、今ではいたるところで売られている。
 新鮮が一番の鮨であるが、生魚を使った食材は避け、痛みにくい食材を使っている。
 昔は興味半分で買ったことはあるが、この頃は、店に切れに並んだ色彩を見ただけで
 遠慮したくなり、食欲も湧いてこない。
 味と素材の割には高く感じてしまう。
 これを買うくらいなら、タニヤ通りの小象寿司で食べた方がましである。
 しかし、小象寿司も この頃、どういう訳か 不味くなったような気がしてならない。

 どうも買うのはタイ人ばかりのようで、ここ何年かの日本食ブームが 生魚抜きの
 寿司の売り上げに拍車をかけているようだ。
 大体寿司一個が 20バーツ以上 日本円で70円近い価格である。
 5,6個買えば、100バーツ近くなるだろうに、近頃のタイの人たちの消費振りは
 大したものだ。

 日本食レストランを覘いてみても 大半はタイの人たちで 
 給料日になると、名の売れている日本食レストランでは タイの人たちであふれている。
 寿司、しゃぶしゃぶ 食べ放題229バーツ(約8百円)の店も 
 いつも人で一杯だ。
 14,5年前のバンコクは考えられない姿である。

 いつの間にか タイの中産階級の人たちが増え、私などよりはるかに豊かな生活が
 出来るようになっていたのである。
 今のバンコクでは、かなりの収入がないと 一歩外へ出ると フラストレーションを
 感じる社会になってしまった。
 年金で 優雅に海外ロングステイを楽しむというのも難しくなってきているようだ。 

 安くて美味しいものというのが タイ バンコクの魅力だったが、
 この頃は高くて美味しいものを食べるというのが ステイタスを見せるシンボルに
 なってきているようだ。
 タイの中産階級からすれば、『日本人恐れずに足りず』といった感がある。

 私などタイの庶民並の生活レベルだから、近頃は 肩身が狭い。
 とはいっても、バンコクでもバンコク市民の70%以上は 庶民である。
 私もタイ庶民と同じ、やはり安くて美味しいものを探して食べるだけで充分だ。
 タイ庶民が食べるような場所の方が、気が置けなくていいし、共感も覚える。
 貧乏人の負け惜しみである。


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バンコク ある風景 | 12:19:46 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐16 家族
アジアの街角 1枚の写真から‐16 家族

 ネパールやタイを見ていると、人々の中にまだまだ祖先とか、
 一族とかという意識が 残っている社会であることに気づく。
 年寄りたちが 楽しげに孫たちの世話をしている姿もよく見かける。

 日本では、どこから来たのか知らないけれど、ニューライフ、モダンライフと称して、
 都市では、親と一緒に住まないのが一般的になってしまった。
 それが、子供の自由を尊重することであり、お互いの生活を大事にすることだと
 思っているようだ。

 しかし、本音はどうだろう。若者たちは親から解放されて、自由な自分たちの生活を
 楽しむことは出来るのは確かである。
 そうは言っていても、いつかは親の年齢に近づき、
 年を取っていくことを避けることは出来ない。
 そして、定年退職して自由な時間が持てるようになると、
 その時間を持て余し、さて、何をしようかと悩むことになる。

 ところが、ネパールやタイを見ていると、年を取れば、孫の面倒を見たりして、
 身体の動く範囲内で、家族のために尽くそうとするし、家族のために役立とうとする。
 ネパールやタイの中国人社会では、家族・一族は、最小の共同体だ。
 不安定な社会の中にあって、互いに助け合い、外的から身を護る大切な共同体である。
 これを古臭い共同体といってしまえば、おしまいだが、このシステムは、人間が
 安全で互いに助け合う人間の考え出した社会システムとして考える必要はないだろうか。
 確かにこうした共同体は互いの自由を制限しあうものかもしれない。
 面倒な行事に振り回されることも多い。
 しかし、個人としては弱い人間が、一族としてまとまることで、
 互いの生活を保障したりする生涯保険を手に入れることにもなる。

 こうした共同体を古臭いものとして、捨て続けてきた戦後の日本であるが、
 その結果生まれたものは何だろう。
 老人問題、ホームレス、環境問題と数え上げれば、きりがないくらいだ。
 誰のために何を護るか、これが、親子という狭い世代の家族構成のために、
 短絡的で、その場限りのものになってしまっている。
 一族の存続という長い歴史的な始点から 家族を見ることも、社会を見ることも
 出来なくなってしまっている。
 世代から世代への伝承は途切れ、新世代と旧世代の共通の話題も失われ、
 皆、ばらばらになってしまっているというのが現状だ。
 こんな世相ほど、施政者にとっては、都合のいいことだろう。
 まとまりを欠いた社会ほど御しやすい社会はないだろう。

 都市と田舎を切り離し、世代間の交流を失わせ、弱者を切り捨てていく。
 護るべきものを失えば、人々は社会に対して無関心になっていく。
 子供のため、孫のため、未来の家族のためという心が、失われてしまえば、
 環境問題、老人問題、教育問題も、ひとごとになってしまう。


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アジアの街角 1枚の写真から | 02:46:47 | Trackback(0) | Comments(2)
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