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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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ブータン布 キラ ルンセルマ (04)
ブータン布 キラ ルンセルマ (04) 1

ブータン布 キラ ルンセルマ (04) 2

ブータン布 キラ ルンセルマ (04) 3

 ブータン 女性用衣装 キラ ルンセルマ 20世紀中期
 ブータンのブレと呼ばれる天然シルクを紡ぎ、その紡ぎ糸で織られる。
 染めも天然染色を用い、茜、ラック、インディゴ、ターメリックなどが
 使われている。

 このキラは 縦縞の両面縫い取り織りの間に 
 ウール糸を使って、片面縫い取り織り紋様を織り込んでいる。
 もともとは 王族、貴族のために織られたものだろうが、
 後に 自分の家臣に与えられたものだろう。
 王族・貴族であれば、多くのキラを持ち、
 場に合わせて、着こなしているだろうが
 貧しい家臣であれば、何枚かのキラしかないので、
 どうしても痛みは激しくなる。
 そんな感じのキラである。

 1980年代から90年代にかけて、カトマンズの街は
 ブータンの織物であふれていた。
 カリンポンからカトマンズに移住してきたマルワリ商人が
 ブータン・インド国境まで出かけ、仕入れていた。
 もともとの彼らの仕事は、アッサム州で織られる野産の生成りのシルク布だった。
 それをカトマンズに運び、えんじ色に染め上げ、チベット人の僧に売るのが
 彼らの主な商売だった。
 カリンポンに住んでいた頃も 同じような商売をしていたのだろう。
 昔は カリンポンといえば、インド・ブータン・チベットの商いの場所だった。
 それが廃れ、彼らは カトマンズに移住してきたのだった。

 ブータンの布ではないが、インド アッサムの野産の生成りのシルクは、
 肌触りも風通しもよく、昔はこれで、シャツをよく作った。
 着心地がよく、ネットにさえかければ 洗濯機での洗いも可能で、
 私も何枚か、愛用して着ている。


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ブータンの布 キラ ルンセルマ | 17:22:44 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 運河の辺の街(13) 今日は溝掃除
運河の辺の街(12) 今日は溝掃除 1

運河の辺の街(12) 今日は溝掃除 2

運河の辺の街(12) 今日は溝掃除 3

運河の辺の街(12) 今日は溝掃除 4

 朝、バーン・クルアの北地区に行ってみると、
 運河のすぐそばで 運河の水をくみ上げる水汲み上げポンプが、
 うなりをあげている。
 何事かと、そのポンプに繋がれたホースを辿って行ってみると
 休日を使っての北地区の住民総出の溝掃除が始まっていた。
 ホースを持つ者、溝板を上げる者、ごみを掬い出す者と 皆 大忙しだ。

 何かあると、住民総出で仕事を協力し合ってするのは、
 この地区の習慣のようだ。
 中学生以上の子供たちも例外ではない。
 中には逃げ出して、運河で泳いでいる連中もいたが、
 見つかっては、街の年寄りたちにお小言をもらっている。
 街を清潔に保ち、住み易くするのは、老若男女と問わず、
 すべての住人の義務ではあるが、
 この地の古い住民チャム族の人々の姿はあったが、
 借家人の出稼ぎの人の姿はなかった。

 水をくみ上げるポンプは、火事の際にも使われるポンプらしく、
 火事の際のための実地の訓練にもなっているようだ。
 チャム族の住民同士の絆は固く、街をよくしようとする協力体勢に
 この集落の長い歴史を感じてしまった。
 誰も嫌がらず、当たり前のことのように 溝掃除をしている。
 ここはスラムではないのだという強い意識とプライドが
 この集落を愛するチャム族の人たちにはある。
 こうした意識がなければ、このような住居の密集している地域は
 すぐにも、不潔でゴミだらけの街になってしまうだろう。

 実際、大した集落だ。
 愛すべき集落である。


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バンコク 運河の辺の街 | 10:35:18 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 運河の辺の街(12) バーン・クルアの消防船
運河の辺の街(12) バーン・クルアの消防船 1

運河の辺の街(12) バーン・クルアの消防船  2

運河の辺の街(12) バーン・クルアの消防船  3

 運河の岸辺に3隻のモーター付の船がある。
 いつもこの前を通り過ぎながら、何のためだろうと不思議に思っていた。
 パトカーについている照明灯が付いており、如何にもいかめしいのである。
 水上パトカーなのだろうか。スピードも出そうである。

 その疑問が 今日、解けた。消防船なのである。
 バンコクでは 交通の発達が運河を中心に始まり、
 後に造られた主要道路と運河沿いの地域を結ぶ道路は 
 ソイと呼ばれる細い路地によって結ばれている。
 そのために火事の際には 消防車が火事の現場まで
 行き着くことが出来ない。
 消防船が唯一の消火の役割を担う。

 この消防船を管理し、整備しているチャム族の男性が説明してくれた。
 1艘の消防船の価格は、百万バーツ(約3百30万円)、
 消防船は政府がくれたが、整備の費用は集落の持ち出しのようだ。
 私が耳を傾けると、消防船にかけている覆いを取り、水を得た魚のように
 機械のこと、整備の大変なこと、モーターは日本製であることなどを 
 長々と説明してくれる。
 この消防船、彼の生きがいのようである。

 遠い昔の水軍としての血の騒ぎをこの消防船に託しているのであろうか。
 タイ海軍の中にも、チャム族の人たちはいるようである。
 きっと 彼らなら、ひとたび、火事でも発生すれば、
 勇敢に現場に駆けつけ、活躍するであろう。
 このバーン・クルアの街には、消防車の入れるような広い道はない。
 火事の消火をするには、運河からの消火の方法しかないのである。

 水軍の末裔であるチャム族の活躍する現場を見てみたいものである。
 消防船を整備するこの男が、消防士の制服を身に付け、
 火事と戦う様は、水軍の長として活躍した先祖の姿に重なるではないか。
 そういう先祖から受け継いだ血の騒ぎを この男の熱弁の中に見た。


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バンコク 運河の辺の街 | 12:32:30 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布 キラ メンシィ・マタ(07)
ブータン布 キラ メンスィ・マタ(07) 1

ブータン布 キラ メンスィ・マタ(07) 2

ブータン布 キラ メンスィ・マタ(07) 3

 ブータンの民族衣装 キラ メンスィ・マタ
 20世紀中期 自然素材による染色
 野産のシルクの手紡ぎ糸で 織られている。

 前回 紹介した20世紀後期に織られたキラ メンスィ・マタと
 比較してもらえばわかると思うが、色合いといい、布の風合いといい
 明らかな違いがある。
 使われている野産のシルクも違うだろうし、その紡ぎの丁寧さも
 違う。
 織りの細かさも違いがあり、時代の流れを感じさせる。
 ブータンの20世紀後半といえば、旅行客もだんだんと増え、
 ブータンにも近代的な時間の流れが入り込んできて、
 のんびりと時間をかけて、織物だけに集中することは
 なくなってくる。
 手早く、簡単に織り上げる風潮も生まれてきたように思われる。
 そのことが、前回 紹介したキラ メンスィ・マタと 
 今回のより古い時代のものと見比べれば、わかるはずである。


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ブータンの布 キラ メンシィ・マタ | 01:01:49 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 運河の辺の街(11) チャム族 女の顔
運河の辺の街(11) チャム族 女の顔

運河の辺の街(11) チャム族 女の顔 2

運河の辺の街(11) チャム族 女の顔 3

運河の辺の街(11) チャム族 女の顔 4

 チャム族の住む街バーン・クルアで忙しそうに働いているのは女たちだ。
 街の中の店の切り盛り、屋台でのおかず売りなど、女の仕事で、男たちは
 影が薄い。

 それはチャム族の結婚形態が、関係しているのであろうか。
 チャム族は、入り婿制だ。結婚すると、男が女の家に入って生活する。
 田舎に行けば、タイの仏教徒も入り婿制であり、
 家を継ぐのは一番末の女の子だ。
 東南アジアでは比較的多い結婚制度ではないだろうか。

 チャム族について言えば、3人娘がいれば、
 3人の婿が、同じ家の中で生活することになるわけだ。
 実際には、家が狭ければ、相談の上で、外に家を持つことも多いようだ。
 入り婿制だから、財産は、当然女が相続することになる。

 そのせいか、チャム族の女は、たくましい。
 家の陰に隠れて こっそり静かに生活している様子はない。
 何か街での共同の作業があれば、男たちへの指示を出しているのは女たちだ。
 スカーフなどで顔を隠していることもない。大変開放的なのだ。
 イスラムの教義に寄れば、男は4人の妻を持つことが出来ると
 女たちは一応認めているが、こんなたくましい女たちの前では、
 男たちも自分たちの権利を主張することは難しいだろう。

 この頃では、仏教徒との結婚もあるらしいが、男は入り婿制であるから、
 イスラムに改宗し、割礼も受けねばならない。
 この街が安定しているのも、
 一つには、女の権限が強いことにあるのかもしれない。
 男は争いごとを好むが、女は安定を好む。
 男は理想主義者であるが、女は現実主義者だ。

 ベトナムからカンボジア、タイと移住を繰り返してきたチャム族であるが、
 その土地土地の政治、環境によって、彼らの宗教も変遷している。
 祖国を失ったものの柔軟な適応力の結果、それは女たちの現実主義が
 生み出したものかもしれない。
 この街全体を包む柔らかさは、
 女たちの現実的な適応力が大きく作用しているように思えてならない。
 やはり、女はしたたかである。


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バンコク 運河の辺の街 | 08:09:21 | Trackback(0) | Comments(2)
ブータン布 キラ メンスィ・マタ(06)
ブータン布 キラ メンスィ・マタ(06) 1

ブータン布 キラ メンスィ・マタ(06) 2

ブータン布 キラ メンスィ・マタ(06) 3
                                      20世紀後期

 ブータンの民族衣装 キラ メンスィ・マタ
 両面縫い取り織り
 野産のシルクの手紡ぎ糸で 織られている。

 このキラを手に入れたのは20年前、
 まだ一度の手を通していないキラだった。
 糊もしっかりついており、ごわごわとしていて
 とてもシルクであるとは思われない状態だった。

 一度水洗いをして、糊抜きをしてみると、
 色が出て、水がすっかり赤く染まってしまった。
 20世紀も後半になると、ブータンにも化学染料を使うことが
 多くなり、このキラも、科学染料によって染められているのかもしれない。
 自然素材を使った染なら、使い込んでいくうちに、味わいも出てくるが
 科学染料を使ったものだと、如何にも色落ちしたように見えるから、不思議だ。
 しかし、このキラ、本当のところはどうだかはわからない。
 ただ、織りを見ていると やはり20世紀中期以前のものに比べると
 技量が落ちるようだ。



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ブータンの布 キラ メンシィ・マタ | 22:48:33 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 運河の辺の街(10) チャム族 男の顔
バンコク 運河の辺の街(10) チャム族 男の顔 1

バンコク 運河の辺の街(10) チャム族 男の顔 2

バンコク 運河の辺の街(10) チャム族 男の顔 3

バンコク 運河の辺の街(10) チャム族 男の顔 4

 旅をする生活が長くなると、出会う人たちの顔が気になるものである。
 信用できる人間がどうか、一瞬のうちに判断することも必要になる。
 ネパールなどでは、50近い民族がおり、その上、カースト制まであり、
 顔を見て、民族を予測し、彼らの風俗・習慣を思い浮かべ、信頼度を  
 判断しなくてはならない。
 タクシー一つ乗るにしても、運転手が何族か予測し、
 このドライバーであれば、メーターをごまかす可能性があるなどと
 考える必要がある。
 
 バンコクでも同じだ。東北タイの人間か、中央タイの人間か
 バンコクの中国系の人間かとついつい考えてしまうのである。
 空港からのタクシーの場合は安全を考えてである。
 タクシーの運転手が、強盗に早や代わりすることもあるからだ。
 概して、年寄りの運転手は安全である。

 近頃では、危険なのは外国人だけでなく、
 日本人もその対象になってきている。
 世界中がお金に汚染され、よほどの僻地にでも行かない限り、
 人間を信用することが難しい世界になってきている。

 長い旅の中では危険なことも、何度かあったが、
 どうにか切り抜けてきたのは、人を観察する私の習慣によるかもしれない。

 このチャム族の集落においても、彼らの顔には興味が湧いてくる。
 ベトナム系の顔、マレー系の顔、カンボジア系の顔と、人々の顔は、
 様々の民族の要素を含んでいるようだ。
 イスラム教徒であることを基本に混血を繰り返した結果であろう。
 しかし、そうした結果を以ってしても、チャム族の人柄のよさが
 顔つきに表れているのは、不思議なものである。

 ここで紹介する写真を見て、皆さんはどう判断するだろうか。
 これらの写真の主人公は、古き良きタイを知る人たちでもある。
 イスラムの掟も 彼らの中では、生き続けている礼儀正しい人たちだ。


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バンコク 運河の辺の街 | 12:23:23 | Trackback(0) | Comments(3)
バンコク 運河の辺の街(09) バーン・クルアの子供たち
運河の辺の街(9) バーン・クルアの子供たち 1

バンコク 運河の辺の街(9) バーン・クルアの子供たち 2

バンコク 運河の辺の街(9) バーン・クルアの子供たち 3

バンコク 運河の辺の街(9) バーン・クルアの子供たち 4

運河の辺の街(9) バーン・クルアの子供たち 5


 密集した街 バーン・クルア、子供たちの姿を見かけるのは、
 土日の学校の休みのときだけだ。
 狭い路地の中で自転車を乗り回す子供たち
 路地に座り込んで、集めてきた草花で色水ごっこをする子供たち
 駄菓子屋の前にたむろする子供たち
 家の前で近所のもの同士で遊ぶ子供たち
 こうした姿に、昔の日本の下町の子供たちの姿が重なってくる。

 カメラを向けるとはにかむ子、喜ぶ子、逃げ出す子といろいろだ。
 こんな密集した地域に住みながら、荒れた表情がないのは嬉しいことだ。
 この街が紡ぎだす穏やかさ、静けさが子供たちの中にも生きている。

 水を友としてきたチャム族の子孫である子供たちにとって、嬉しいことがある。
 運河の水が、年々きれいになり、運河の水の中で泳げるようになったことだ。
 5,6年前は、そのそばにいるだけで悪臭のした黒い運河が、
 彼らに遊び場所を提供してくれるようになった。
 まだまだ清い水の流れではないが、我慢すれば泳ぐことも出来る。
 チャム族の本領を発揮することが出来る。
 水は、川の流れは、何百年の昔から彼らの生活を支えてきたのだ。

 ベトナム、カンボジアを抜け、アユタヤ王朝での水軍としての働き
 今のラッタナコウシンの時代にも 水軍としての働きを認められた彼らだ。
 そのチャム族の子孫たちに 水の流れが帰ってきたのである。
 多少汚れた水であっても、何も言わず、
 大人たちは、笑みを浮かべて、子供たちの泳ぐ姿を眺めている。


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バンコク 運河の辺の街 | 12:31:19 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 運河の辺の街(08) 朽ちていくものたち
運河の辺の街(08) 朽ちていくもの 1

運河の辺の街(08) 朽ちていくもの 2

運河の辺の街(08) 朽ちていくもの 3

 ベトナムでの17世紀のチャンパ王国崩壊の後に、カンボジアを経由し、
 二百年以上前に バンコクの地にやってきたチャム族、
 当時のシャムの国に忠誠を誓い、水軍としてチャックリ王朝に協力し、
 その報償として得た地 チャム族の地バーン・クルアにも 
 大きな変化が訪れようとしている。

 この地に長く住んでいたチャム族の同胞たちが、この地を離れ、
 別の地に住み始めたからだ。
 そして 街の外に住み始めたチャム族の家の持ち主が 
 貸家として、東北タイからの出稼ぎの人々に家を貸し始めた。
 古くからチャム族で占められていた共同体も、
 今では、チャム族は60%以下になってしまった。

 それだけなら まだいい。
 住み人を失った家がそのまま放置され、
 朽ちるに任せるままの姿も見せるようになってしまった。
 カンボジアから移り住み、
 永住の地として 二百年以上にも渡って 住み暮らしてきたバーン・クルア
 一時期は、ジム・トンプソンのシルクの生産地として脚光も浴びた。

 もう時代の流れには 抵抗できないのだろうか。
 静謐と安穏の空気は、滅び行く街の予兆であろうか。
 あと50年も経たないうちに この街は、姿を変えてしまうだろう。
 50年も経てば、街のチャム族も少数派になってしまうだろう。
 そして、別の人々が住み始めるかもしれない。
 バーン・クルアの土地は 王室のものであり、
 今のタイの国王は 貧しい者に慈悲の心で接している。
 しかし、一等地にあるこの土地、いつかは開発に飲み込まれていくだろう。


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バンコク 運河の辺の街 | 11:47:12 | Trackback(0) | Comments(4)
ブータン布 キラ アイカプール(10)
ブータン布 キラ アイカプール(10) 1

ブータン布 キラ アイカプール(10) 2

ブータン布 キラ アイカプール(10) 3

 ブータンの女性用衣装 キラ アイカプール
 20世紀中期あたりに織られたもの。
 野産のシルクの紡ぎ糸で織られ、染料も天然染料が使われている。

 すっかり着込まれ、柔らかく着心地がよくなっているキラだ。
 織りたての頃は、ごわごわして肌に馴染まなかった野産のシルク布も
 何年も着ているうちにすっかり肌に馴染み、余分な色もとれ、
 風合いのある色合いに変わっている。

 大きな行事にはキラの中でも クシュタラ、ノシェムが着られるのだろうが、
 野産のシルク布は、ちょっとしたおしゃれ着として身につけていたのだろう。
 手紡ぎの野産のシルクの布は 通気性に優れ、夏涼しく、冬暖かくという素材だ。
 着れば着るほど、愛着が湧いてくる。


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ブータンの布 キラ アイカプール | 02:46:32 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 運河の辺の街(07) 潤いを求めて
バンコク 運河の辺の街(8) 潤いを求めて 1

バンコク 運河の辺の街(8) 潤いを求めて 2

バンコク 運河の辺の街(8) 潤いを求めて 3

バンコク 運河の辺の街(8) 潤いを求めて 4

 狭い土地の中で密集して生活する運河沿いの集落バーン・クルアの人々にとって
 路地の緑は、人々の心に潤いを与える大切なものである。
 この地を愛する人たちの草花、樹木に対するささやかな心遣いが
 街の人々を優しくする。
 運河沿いに並べられた植木鉢、路地裏を飾る観葉植物、わずかばかりの庭に咲く花々、
 自分のものでありながら、街に住む人たちのものでもある。
 木々や草花の観賞は、何も奪いはしないから。
 
 他の密集住宅にない心遣いがこの集落にはある。
 そのような心遣いが この街に静かな穏やかさを与えているのであろう。
 このような心遣いは、努力なしでは成り立たないものである。
 人の移動の激しいスラムでは、成り立たない。
 スラムは、一時的な仮の住まいであって、そこを愛する心は生まれてこない。
 誰しも機会があれば、逃げ出すことを考えている場所である。
 この地 バーン・クルアは、
 チャム族の二百年の生活の歴史が色濃く残る場所なのだ。

 チャム族であることの誇りとプライドは、
 この密集地域がスラムではないことを主張し、木々や草花を植え、
 心和む場であることに変えているのである。

 それも 他の地域から入ってきた出稼ぎの人々の生活場所が
 増えていくにしたがって、だんだん集落も変貌を遂げつつある。
 借家人たちは、集落を愛すべきものにしようという心遣いがないからだ。
 このことは、この街の悩みの種でもある。
 この街がスラム化していかないことを願うばかりである。



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バンコク 運河の辺の街 | 12:31:45 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 運河の辺の街(06) 集落とジム・トンプソン
運河の辺の街(6) 街とジム・トンプソン 1

運河の辺の街(6) 街とジム・トンプソン 2

運河の辺の街(6) 街とジム・トンプソン 3

運河の辺の街(6) 街とジム・トンプソン 4

 前々から、どうしてこんな場所にジム・トンプソンの家があるのか、
 どうしてこの地に住んだのか、疑問に思っていた。
 確かに運河沿いのこの地は、バンコクらしいといえば、
 そうともいえる場所ではあるが、決して便利な場所ではなかったであろう。

 このトンプソンの家の運河の対岸には、
 150年以上も前にカンボジアから移住してきたチャム族が住んでいた。
 チャム族は 織物を得意とする民族だ。
 この地には昔から織物で生活を支えていたチャム族の女たちがいたのだ。
 トンプソンが見たシルクとは、彼女たちの織るシルクだったに違いない。
 タイシルクではなく、チャム族のシルクなのだ。
 それが後世に タイシルクの名を与えられたに過ぎない。

 第2次世界大戦以後 ジム・トンプソンはアメリカの情報機関の一員として
 バンコクでの生活を始める。
 そして、バンコクのシルク布に魅かれて行く。
 トンプソンの最初の家を建てたのも、運河の対岸に住むチャム族だ。
 その頃のバンコクでは、チャム族以外にシルクを織るものはいなかった。
 トンプソンは、シルク布を織るチャム族の集落バーン・クルアの近くに
 住みたかったのだ。
 シルクの織姫たちと身近なところで 生活したかったのに違いない。

 タイのシルクは、運河沿いの集落に住むチャム族とジム・トンプソンの
 二人三脚の歩みの中で発展してきたのである。
 タイ族より古い歴史を持つチャンバ王国の末裔たちの文化、知恵に
 感動していたことは確かである。
 今だって、十分に魅力的な街なのだから。

 今でも、運河沿いの街バーン・クルアにはいくつかの機織工房がある。
 昔は、各家々に機織機があったが、今は、工房を残すのみである。
 古い工房の壁には、在りし日のジム・トンプソンと工房の主人との
 モノクロ写真が飾ってある。
 タイのシルクを世界に広めようと希望に燃えていたジム・トンプソンと
 工房の主人の姿がある。

 第2次世界大戦後から1967年までのジム・トンプソンと
 チャム族との熱いかかわりが、運河沿いのこの街にはあったのだ。

 1967年3月26日を最後に ジム・トンプソンの姿は消えてしまった。


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バンコク 運河の辺の街 | 22:38:47 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 運河の辺の街(05) 街の名前はバーン・クルア
運河の辺の街(5) 街の名前はバーン・クルア 1

運河の辺の街(5) 街の名前はバーン・クルア 2

運河の辺の街(5) 街の名前はバーン・クルア 3

 モスクのそばに住むイスラム教徒の女性に この街の事を訊いてみた。

 運河沿いの街の名前はバーン・クルア、この集落には、600世帯の家族が住むという。
 今から百年以上も前に、カンボジアから移り住んできたチャム族の住む街だ。
 ラーマ五世の時代にこの地に住むことを許されたという。
 百年前のカンボジアで何が起きたのかと気にかかる。
 百年前といえば、カンボジアのフランス植民地化、そして仏領インドシナ編入の時代だ。
 
 チャム族といえば、ベトナム、カンボジアに多く住む民族で、
 紀元10世紀頃、ベトナムで栄えたチャンバ王国の末裔たちだ。
 古くはヒンズー教徒、後にイスラム教徒に改宗した人たちでもある。
 カンボジアのポルポト時代には、チャム族はイスラム教徒であることから、
 迫害され、その時代に この地に逃げてきたものも多いという。

 今、この街にはイスラム教徒60~70%、仏教徒20%、
 東北タイからの出稼ぎの人10パーセント の割合で住むという。
 三者の関係は良好とのことである。
 南タイでの悲惨な宗教間の対立が、ここでは嘘のようである。
 
 土地の所有者は、王室財産管理局、そこから土地を借りて住んでいる形になっており、
 月ごとの3百バ ーツ程度(広さに拠る)の地代、
 3年ごとに千バーツ程度の管理費を払うことになっている。
 場所柄 こんな地の利の良い土地、開発の目的のため追い出されることはないのか
 と訊くと
 今のところ、貧しい人たちの土地を王室財産管理局が、取り上げたという話はないということだ。
 しかし、どうなのだろう。国民の人気の高い、貧困者思いの現国王の時代は、安心できるが、
 その後は どうなるのかと心配にもなる。

 遠い祖国を追われて、この地に百年、再び、この地から去ることのないことを祈るばかりである。


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バンコク 運河の辺の街 | 09:03:12 | Trackback(0) | Comments(2)
ブータン布 キラ メンシィ・マタ(05)
ブータン布 キラ メンスィ・マタ (05) 1

ブータン布 キラ メンスィ・マタ(05) 2

ブータン布 キラ メンスィ・マタ (05) 2

 赤と黄色の豪華なキラ メンシィ・マタ、
 20世紀中期に織られた布である。
 ブレと呼ばれる野産のシルクを紡ぎ、
 赤は茜で染め、黄色はターメリックで染める。
 赤の地の上に 黄色の糸で、両面縫い取り織りと使って
 紋様を織り上げていく豪華な雰囲気の布だ。

 化学染料を使った染と違って、自然染料を使った染めは
 赤と黄色という派手な色合いであるにもかかわらず
 落ち着いた風合いになっている。

 こんな山奥の国に クシュタラ、ノシェム、ルンセルマ、アイカプールと
 美しい多彩な織物がある。
 織物の技術のルーツはどこなのだろう。
 そして民族のルーツはどこなのだろう。


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ブータンの布 キラ メンシィ・マタ | 01:40:42 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 運河の辺の街(04) 食べ歩き
バンコク 運河の辺の街(4) 食べ歩き 1

バンコク 運河の辺の街(4) 食べ歩き 2

バンコク 運河の辺の街(4) 食べ歩き 3

バンコク 運河の辺の街(4) 食べ歩き 4

 街に馴染みたかったら、
 まずはその街で売られている食べ物に手を出してみることだ。
 食べ物のある場所には、必ず人が集まる。
 よそ者が そこで何かを食べれば、噂に上る。
 そんなことを繰り返していけば、
 街の人もよそ者である私に 気を許すようになるだろう。

 路地で売られている昔風のタイのお菓子は、
 仏教徒の品のいいおばあさんが、手作りのものを売っている。
 これも買わなくてはならない。
 少し先に行けば、
 イスラム教徒の威勢のいいおばさんが揚げ物をあげている。
 これも買わなくてはならない。
 売られているものを買いながら、
 おしゃべりをしてみる。
 それも 私が安心できる人間であることの存在証明を得るためだ。

 時には この街で朝ごはんを食べることも大切だ。
 チョーク・サイ・カイ、鶏肉いりおかゆ、それに卵を一つ
 運河を通り過ぎていく水上バスを眺め、
 このおかゆを味わいながら、私もこの街に馴染んで行く。

 私はこの街で生活している人間ではないから、
 この街の人間にはなれない。
 しかし、邪魔にならないよそ者ぐらいにはなれるだろう。


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バンコク 運河の辺の街 | 22:04:49 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布 キラ ルンセルマ (03)
ブータン布 キラ ルンセルマ (03) 1

ブータン布 キラ ルンセルマ (03) 2

ブータン布 キラ ルンセルマ (03) 3

 ブータン 女性用衣装 キラ ルンセルマ
 ブータンのブレと呼ばれる天然シルクを紡ぎ、その紡ぎ糸で織られる。
 染めも天然染色を用い、茜、ラック、インディゴ、ターメリックなどが
 使われている。

 自然染色のなかなか渋い色合いのキラ ルンセルマ、
 山に囲まれたブータンの自然を象徴しているようだ。
 ブータンの近くにシッキムという地域がある。
 ここも昔は 王国であり、その後、インドに併合された。
 しかし、シッキムにはそれほど有名な織物はない。
 シッキムには ライ族という民族が多く住んでいる。
 このライ族は ネパールにいたる地域まで生活している。
 ブータンほどではないが、ネパールの中では、
 織物に精通している民族だ。
 紀元前から、東ネパール、ダージリン、シッキムを中心に
 生活しているモンゴリアン系の民族だ。
 顔だけ見ていると、ブータンの人たちの顔とは類似性がある。
 遠い昔にどんな民族移動があったのか知りたくなってくる。


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ブータンの布 キラ ルンセルマ | 21:04:29 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 運河の辺の街(03) 猫の王国
バンコク 運河の辺の街(3) 猫の王国 1

バンコク 運河の辺の街(3) 猫の王国 2

バンコク 運河の辺の街(3) 猫の王国 3

バンコク 運河の辺の街(3) 猫の王国 4

バンコク 運河の辺の街(3) 猫の王国 5

バンコク 運河の辺の街(3) 猫の王国 6

 この集落の中を歩き回っても、出会うのは、猫ばかりで犬は1匹もいない。
 犬のいない集落の中で、猫たちはのんびりとわが世を謳歌している。
 見知らぬわたしが近づいても、逃げることはない。 
 カメラを向けても動じることはない警戒心のない猫たちである。
 逆に私のほうに近づいてくる猫もいる。
 えさでももらえると思ってだろうか。
 その猫の姿を見るだけで、住民たちに大切にされていることがわかる。
 わたしの住む近くにいる猫たちといえば、近づくだけで逃げてしまう。
 

 タイ人は 一概に猫好きであると同時に 猫族でもある。
 田舎などいっても、猫が 高床式の階段に寝そべっているのを良く見かける。
 やはり、犬より猫に出会うことが多かった。
 パァック・クランと呼ばれる中部タイでは、その傾向が強い。
 一つの職場に居つかないタイ人の性格は、猫族のもの、
 全面的に信頼しきれないところも 猫族のもの
 気に入らなければ、主人のことなど そっちのけで去っていくのも猫族のもの
 同じ習性を持つもの同士、それでタイ人は、猫を好むのであろうか。

 ここではそれとは違うようである。
 イスラム教では、犬は鼻がぬれていて、不浄なものとされている。
 それだけではなく、限られた密集地域に住むには、犬は問題が多いようだ。
 小さな子供に噛み付く、吠える。
 狭い錯綜した路地では、犬は邪魔になる。
 そんなことをある住民は語っていた。
 それもこんな密集した地域に住む生活の知恵なのかもしれない。
 それでも動物は、必要なのだ。
 どういう訳か、泥棒の心配はしていないようだ。
 猫には、天国のような集落だ。


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バンコク 運河の辺の街 | 20:43:45 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布 キラ アイカプール(09)
ブータン布 キラ アイカプール(09) 1

ブータン布 キラ アイカプール(09) 2

ブータン布 キラ アイカプール(09) 3

 ブータンの女性用衣装 キラ アイカプール
 20世紀中期あたりに織られたもの。
 木綿糸で織られたアイカプール、
 ブータンの女性が日常生活の身に着けるキラ アイカプールである。
 アイカプールにも、王族や身分の高い人たちが身に着ける正絹のもの、
 ブレと呼ばれる野産の紡ぎシルクで織ったもの、
 そして、木綿のもの、これは庶民のものだ。
 しかし、庶民の身につけるものだからといっても、
 その織りに手抜きはない。
 両面縫い取り織りで、時間をかけて織り上げていく。
 我々からすれば、全く贅沢な衣装である。

 近頃では、ブータンの織物に似せたインドのジャガード織りを使った
 値段の安い工場生産の化繊の布も入ってきている。
 面倒な時間のかかる織物より、簡単に手に入るものに
 ブータンの人も向かい始めている。
 今も続いている織りの世界は、観光客用のみやげ物になっている。
 手早く、見栄えのいいもの、そこにはもうブータンの織物と心の結びつきは
 なくなっている。


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ブータンの布 キラ アイカプール | 20:18:53 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 運河の辺の街(03) 二人の老人
運河の辺の街(2) 二人の老人 1

運河の辺の街(2) 二人の老人 2

運河の辺の街(2) 二人の老人 3

運河の辺の街(2) 二人の老人 4

 朝から夕方までの時間は、この運河沿いの町も老人と女ばかりである。
 子供たちや若者たちは学校に出かけてしまっている。
 日曜日の活気も消え去り、街の中はひっそりしている。
 路地の中を行きかう人の姿も少ない。
 平穏なひと時である。

 路地の中へ入っていく入り口近くに、木造の古ぼけた家がある。
 開けっ放しの家の中に一人の年老いた男が座り込んでいる。
 写真を撮っていいかと訊ねると、笑いながら、構わないと言う。
 ポーズをとろうとするのが、見ていて好ましかった。
 家の中は、雑然としているが、生活のにおいが漂っているのは、
 人間の生活を感じさせてくれて、ほっとするものがある。
 もう彼の家族は、この場所に百年近く住みついている、家もその当時のもの、
 昔はこの地域は森だったと言う。
 彼はイスラム教徒、この集落の大半はイスラム教徒だと彼は言う。
 彼の家の先には、モスクもある。

 だからなのだ。近くに住み始めてから、朝夕にイスラムの祈りの声が響く。
 いつも、どこから聞こえてくるのか、不思議に思っていたのだ。
 モスクから聞こえてくるイスラムの祈りの声だったのだ。
 古い一時代前の風貌を残す老人 ここにも、昔ながらのバンコクが残っていた。

 この街は、イスラム教徒ばかりかといえば、そうでもない。僅かながらも仏教徒もいる。
 隣の路地に入り込んでみると、年老いた女が洗濯物を乾している。
 洗濯は彼女の生業のようだ。
 この仕事で、生活を支えているとは思えないが、日々の生活の足しにはなるのだろう。
 この場所に住むようになって20年、コラート(ナコンラッチャシマ)から
 移り住んできたと言う。
 東北タイの玄関口に当たる大きな町である。
 私が、パックチョンに住んだことはあると言うと、今、実家はパックチョンにあると言う。
 急に心を許してくれたように、パックチョンにいる妹のこと、親戚のことを話し始める。

 運河のそばの古ぼけた街に住む老人たちには、昔のバンコクの名残が残っている。
 おおっぴらで、開けっ放しのおおらかな心が。
 それはバンコク庶民の心である。


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バンコク 運河の辺の街 | 10:05:48 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布 キラ アイカプール(08)
ブータン布 キラ アイカプール(08) 1

ブータン布 キラ アイカプール(08) 2

ブータン布 キラ アイカプール(08) 3

 ブータンの女性用衣装 キラ アイカプール
 20世紀中期あたりに織られたもの。
 野産のシルクを手で紡いだ糸を使って織られているが、
 このアイカプールを織り上げるには2キロ近くの糸が必要だ。
 この糸を紡ぐだけでも一仕事だ。

 その糸を 植物素材を使って、染め上げる。
 そして、両面縫い取り織りで織り上げる。
 ブータンのキラは3枚の布を縫い合わせ、
 幅140cm、長さ250cmの大きさのものにする。
 紋様を織り込みながら、幅45cm 長さ250cmの布を
 3枚織り上げる。
 これだけ細かい紋様を織り上げるには、2ヶ月以上の時間がかかる。


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ブータンの布 キラ アイカプール | 01:56:12 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 運河の辺の街(01) 街との出会い
運河の辺の街(1) 街との出会い 1

運河の辺の街(1) 街との出会い 2

運河の辺の街(1) 街との出会い 3

運河の辺の街(1) 街との出会い 4

 私の住んでいる建物の裏には、水上バスの走る運河がある。
 その運河の向こうに高いビルディングに囲まれた谷間のようなところに 
 木造作りの家々が、密集した集落がある。
 時代の流れに取り残されたように 肩を寄せ合って立ち並んでいる
 木造の家々の集まりである。

 バンコクの地価高騰の中でも、サイアムスクエア近辺といえば、
 この前まで地価1番の中華街のヤワラートを抜いて、
 バンコクで1番地価の高い地域になってしまった。
 そんなところにこの集落はあるのである。
 チュムチョム、タイ語で、家の密集地域を指す言葉である。 
 あのスラムで有名なクロント・トイもチュムチョムの集まりである。

 そんな場所を歩くのは、危険かと思って、タイ人の知り合いに訊いて見ると、
 みんな古くから住んでいる人たちで、別段 問題はないということだった。
 本当を言えば、その集落の中を、通り過ぎたことはあるのだ。
 迷路のような路地が錯綜し、目当てといえば、運河の方向に向かうということだったが、
 それほど大きな集落ではなかったので迷うことはなかった。

 運河沿いに散歩道のような細い道が続き、
 その道々に惣菜屋だの、駄菓子屋が並んでいる。
 運河に面した軒並みは、明るく気持ちの良いものだった。
 下町のような風情は、私の心を充分に和ませてくれるものだった。
 バンコクという大都会の中のオアシスとも思われる場所である。
 良い散歩コースが出来たことは、何よりの収穫だった。

 今日は この集落との出会いであり、係わりの始まりである。
 日々の散策の中で、どんなドラマがあるのかは、わからない。
 何か、期待できるものを感じてしまうのだ。


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バンコク 運河の辺の街 | 20:35:06 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン キラ ノシェム (22)
ブータン キラ ノシェム (22) 1

ブータン キラ ノシェム (22) 2

ブータン キラ ノシェム (22) 3

 ブータン 女性用民族衣装 キラ ノシェム
 1970年ごろに織られたもの
 青色の地は木綿糸、紋様の織りこみは 野生のシルク糸を使用。
 
 片面縫い取り織りの技法は、全く刺繍のように見える。
 青色の地の上に織り込まれた数々の多様な紋様、
 幅140cm 長さ 250cmの大きさの布に
 織り込んでいく作業は、超人的な集中力がなければ、
 出来ないものだ。

 縫取り織りは、アジアのラオス、ミャンマー、インド、
 バングラディッシュの国境付近、そして、ブータンに集中している。
 そんなことから、ブータンのひとたちも、
 遠い昔に中国からの少数民族の民族移動の際、
 ブータンにやってきた少数民族の人たちだったのかもしれない。
 織物だけでなく、言語学的な類似点を探れば、この辺も明らかになるだろう。
 突然、ブータンのあの素晴らしい織物が生まれたとは考えられないからだ。


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ブータンの布 キラ ノシェム | 18:19:07 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク イスラム寺院と子供たち
バンコク イスラム寺院と子供たち 1

バンコク イスラム寺院と子供たち 2

バンコク イスラム寺院と子供たち 3

 カオサン通りを抜けると1本の別の通りにぶつかる。
 その通りの裏に 一つのイスラム寺院がある。
 その辺あたりは、イスラム教徒が住むと言われているが、
 実際には、かなり少数のイスラム教徒だけ住んでいるらしい。
 スンニ派のイスラム教徒で南タイのパッタニから、
 昔、やって来た人々のようだ。

 私だけの感覚かもしれないが、
 イスラム教徒にとっては、
 日本人である私は、はっきりとした異教徒であるだろうという緊張感があって、
 イスラム寺院は踏み込んではならない場所のように思えてしまう。
 酒は飲んではいけない、女は顔を隠し、男とは口を利かない、
 私にとっては、とても不自然なことのように思い、
 イスラム教を国教にする国には行く気にはなれない。

 バンコクにいても初めは、そんな傾向もあったが、
 バンコクのイスラム教徒について知るにつれて、
 親しみも持てるようになって来た。
 バンコクのイスラム教徒は
 私の持っているイスラム教徒のイメージを変える雰囲気を持っていた。
 まずは、女が表で生き生きと生活しており、自立していること、
 男も物腰が柔らかく、威圧的ではないこと、
 我々日本人の感覚からしても
 違和感を感じさせない生活をしていたことだ。

 そんなイスラム寺院の中で、
 子供たちが寺院の庭を遊び場にしていた。
 別にイスラム教徒の子供と言うわけでもなさそうだった。
 その姿を見て、タイのイスラム寺院は開かれていると思えた。

 その庭のベンチにイスラム教徒らしい外国人がいた。
 話をすると、パキスタン人だった。
 タイのイスラム教徒と違って、
 彼らには威圧感、違和感を感じてしまった。


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タイのイスラム教徒 | 08:44:05 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータン布 キラ クシュタラ (28)
ブータン布 キラ クシュタラ (28) 1

ブータン布 キラ クシュタラ (28) 2

ブータン布 キラ クシュタラ (28) 3

ブータン 女性用民族衣装 キラ クシュタラ
縫取り織りの紋様の糸には ウールが使われている。
ブータンは羊毛を紡いで、ヤタなどのウールの織物もある。
ウールの糸を使った縫取り織りのクシュタラは、
野産のシルク糸と違った質感があり、南米の織物のようだ。
冬場の冷え込む寒いブータンの気候の中では、
防寒の役割を果たすのだろう。

20世紀の後期になると、インドから工場生産のアクリルウール糸が
入ってくるようになると、このクシュタラのようなインパクトは
なくなってしまう。


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ブータンの布 キラ クシュタラ | 22:57:58 | Trackback(0) | Comments(0)
タイのイスラム教徒(5) アユタヤからトンブリへ
アユタヤからトンブリへ 1

アユタヤからトンブリへ 2

タイのイスラム教徒(5)アユタヤからトンブリへ 3

アユタヤからトンブリへ 4


 アユタヤ王朝でペルシャからやって来たイスラム教徒たちは、
 宮廷内でのシェイク・アフマドの台頭、そしてその末裔たちの繁栄の中で
 その数を増やしていった。
 ペルシャ人の上流階級出身者も多く含まれ 建築、熟練工、学者、詩人などもいた。

 ナーラーイ王(1656-1688)の時代には100人のペルシャ人が称号と住居、
 土地を与えられ、王室の官職に従事し、
 更にペルシャ兵200人を雇っていたといわれている。
 シェイク・アフマドの弟ムハンマド・サイードの息子であるアーカー・ムハマドも
 ナーラーイ王の時代には重職につき、イスラム教徒の交易ネットワークを使い、
 東南アジアのアユタヤの貿易港としての地位を高め、アユタヤ王朝に莫大な富を
 もたらし、当然、ペルシャ人たちもその恩恵を受けていたのである。

 しかし、ナーラーイ王のあとのペートラーチャ王の時代以降は、
 アユタヤの貿易港の貿易量も減り始め、ペルシャ人も地位は低下し始めていく。
 商人としての地位は下がっていったが、王家との通婚、仏教徒への改宗により
 宮廷の中で、重要な官職に就くことによって、
 権力の中枢へと入り込んでいく狡猾さは忘れてはいなかった。

 1767年ビルマの攻撃によりアユタヤが陥落し、ペルシャ人たちもトンブリ王朝の
 都であるトンブリに移っていかざるを得なかった。
 そこでは、タークシン王に協力したソンクラーのスンニ派のモゴール一族が有用され、
 彼らの出番はなかった。

 トンブリ王朝時代は、彼らは優遇されず、彼らのモスクもなく、
 アユタヤ時代からあるトンソンモスクで 礼拝をせざるを得なかった。

 アユタヤのペルシャ人イスラム教徒が 息を吹き返してくるのは、
 チャックリ王朝のラーマ1世の時代からである。

 チャックリ王朝最初のチューララーチャモントリー
 (右港務局長はモスリムの長としての役職)に
 シェイク・アフマドの子孫であるゴンゲーウが就き、
 トンブリにシーア派のモスク クディ・ボンを建て、
 その弟のアーカイーが、クディ・チャルーンパート・モスクを建てた。

 アユタヤ朝以後のシェイク・アフマドの末裔たち、アユタヤのペルシャ人たちの姿を
 知るために、クディ・ボンとクディ・カルーンパートを訪ねてみた。
 クディ・チャルーンパートはすぐに見つかったが、
 クディ・ボンはなかなか見つけることは出来なかった。
 クディ・チャルーンパートの近くに住むモスリムの若者に場所を尋ねると、
 バイクでクディ・ボンまで連れて行ってくれた。
 バンコクのイスラム教徒は、礼儀正しく親切であることを改めて認識した。
 タイの中での少数派であるから、周りに気を使って生活しているのであろう。

 クディ・チャルーンパートでも、クディ・ボンでも、
 何かイスラムの行事があるときに訪問した。
 その行事の担い手は、モスリムの若者たちだった。
 イスラム教徒同士のつながりの深さをそこに見た。
 長い歴史の中でタイ人との結婚を繰り返す中で、
 遠いペルシャ人の面影は失っていたけれど、
 タイの歴史の中で重要な役割を果たしてきたという誇りのようなものはあった。


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タイのイスラム教徒 | 11:47:44 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータンの布 パンケップ(15)
ブータンの布 パンケップ(14) 1
    幅 98cm x 長さ 230cm        19世紀後期から20世紀初頭

ブータンの布 パンケップ(14) 2

ブータンの布 パンケップ(14) 3

 ブータンの布 パンケップ、王や高僧の膝掛け、敷物として
 使われていたようだ。
 19世紀後期から20世紀初頭のものである。
 手紡ぎの木綿の白地の上に 縫取り紋織りの紋様は、
 ラック染めの赤の天然シルクの紡ぎ糸、黒の木綿糸で
 織り込まれている。

 ブータンの古い織物を見ていると、
 人間の心が大事にされていた時代だということがわかる。
 物やお金に左右されることなく信仰や自分の世界に
 没頭できる幸せな安定した社会、
 そんな生活がないと、生まれる織物の世界ではない。
 器用さとか技術を超えて、訴えるもの、人間の心に
 与えてくるものが多い。
 織物が心の表現になっている。
 普通の人が、織物の世界を通して、自分の心や願いをこめていくことで
 別の世界が生まれてくる。
 それは、織る人の予想を超えたものだろう。
 それが百年を経ても、人の目をひきつけるのである。


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ブータンの布 パンケップ | 02:11:32 | Trackback(0) | Comments(0)
タイのイスラム教徒(4) タークシン王とソンクラーのイスラム教徒
タークシン王とソンクラーのイスラム教徒  1

タークシン王とソンクラーのイスラム教徒  2

タイのイスラム教徒(4) タークシン王とソンクラーのイスラム教徒  3

 トンブリ地区をバンコクヤーイ運河に沿って歩いていると、
 銅像を飾ってある寺院に出会った。
 中にいる人に訊くと トンブリ王朝を開いたタークシン王の銅像であると云う。

 タークシン王といえば、ビルマの侵略によって廃墟になっていたアユタヤをビルマから
 取り戻し、再びタイを統一し、トンブリ王朝を開いたタイの英雄の一人である。
 ビルマからアユタヤとトンブリを取り戻す際に 短期間で船団を整え、
 チャオプラヤ川を昇り、プラヤー・ターク(スィン)(後のタークシン王)に協力したのが、
 ソンクラーのイスラム教徒 ルアン・サックナーイウェーン(ムト)である。
 アユタヤ時代にはタイ南部のソンクラーにもペルシャ人が多く移住し、
 その中には、インドネシアのジャワ島中部のサレハの国主であった
 モゴールとその一族が ポルトガルの侵入により ソンクラーに逃れてきていた。
 彼らはシーア派ではなく、スンニ派であった。
 後にモゴール一族は力を蓄え、ソンクラー国主になる。
 ルアン・サックナーイウェーン(ムト)はその子孫である。

 1767年タークシン王が王都をアユタヤからバンコクのトンブリに王都を移し、
 トンブリ王朝を開祖した際には、その功績からタークシン王から
 海軍提督であるチャオプラヤー・ラーチャパンサン(ムト)に任じられ、
 更に、現在の首相にもあたる最高武官であるチャオプラヤー・スィーオンカラック(ムト)にも
 任命され、海軍提督の職はそのまま子孫に受け継がれ、
 商戦監督のプラヤー・ラーチャワンサンにも任命され、
 チャックリ王朝の時代に入ってからもその地位は受け継がれていった。

 トンブリ王朝の時代は ソンクラーのスンニ派イスラム教徒のペルシャ人が優遇され、
 アユタヤ王朝時代に活躍していたシーア派イスラム教徒の出番はなかったようだ。
 彼らが息を吹き返してくるのは、チャックリ王朝に入ってからである。

 そのソンクラーから200年前に移住してきた人々の集落が、
 バンコクヤーイ運河沿いにあり、
 200年近く前に作られたスンニ派のクディ・カーオ(マスジド・バーンルアン)が
 集落の中心部にある。由緒あるトンソン・マスジドの対岸にあるモスクだ。

 しかし、ソンクラーのスンニ派イスラム教徒が勢力を持ったのは、
 トンブリ王朝の時代、それも、15年という短い年月の間であったようであるが、
 ブンナーク家没落後には、再び表舞台に出てくるのである。
 しかし、ペルシャのイスラム教徒のその影響力は、時代とともに失われていく。
 モゴールの子孫たちも政府の中枢に入っていくために 仏教徒に改宗していくものも
 多く現れるようになっていった。
 タイのペルシャからのイスラム教徒は なかなかの適応主義者のようだ。
 貧しいイスラム教徒だけが、信仰を護っていくようである。

 タークシン王1代で終わってしまったトンブリ王朝ではあるが、
 このトンブリでバンコクヤーイ運河の岸辺近くにあるタークシン廟と
 ウォンウェンヤイにある銅像ぐらいしか タクシン王を偲ぶべきものはない。
 ビルマの侵略からタイを救った英雄にしては、あまりに扱いが低いようだ。

 歴史は勝者によって作られる。晩年 精神錯乱によって国を混乱させ、
 そのために後のラーマ1世によって処刑されたとあるが、真相はどうだったのか。
 武人として優れた力量を発揮したタークシン王も 
 宮廷内の権力闘争には勝てなかったか。
 アユタヤ王朝から続いてきた貴族たちに翻弄され、
 権力の座を奪われたというのが本当のところだろう。
 そこにはもう一つのペルシャ人勢力シェイク・アフマドの末裔の巻き返しの
 陰謀もあったに違いない。


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タイのイスラム教徒 | 01:19:47 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータンの布 パンケップ(14)
ブータンの布 パンケップ(14) 1
    幅 113cm x 長さ 260cm           19世紀後期から20世紀初頭

ブータンの布 パンケップ(14) 2

ブータンの布 パンケップ(14) 3

ブータンの布 パンケップ(14) 4

 ブータンの布 パンケップ、王や高僧の膝掛け、敷物として
 使われていたようだ。
 19世紀後期から20世紀初頭のものである。
 手紡ぎの木綿の白地の上に 縫取り紋織りの紋様は、
 ラック染めの赤の天然シルクの紡ぎ糸、黒の木綿糸で
 織り込まれている。

 ラオスといい、ブータンといい、山岳地帯が国土の大半を占める。
 そして、人口も少ない国である。
 山国であることから、他国の文化の影響を受けにくいという点では、
 海岸線を持つ国とは違った文化の発達をするのかもしれない。
 織りに対する集中力に対しては舌を巻く。
 織物をみても、ひたすら心を 織りの世界に捧げていると
 いった感じすらする。
 絣の世界とは違ったものを、山国の織物には感じる。
 片面縫い取り織り、両面縫い取り織りにしろ、時間を意識する世界とは
 別の世界がそこにはある。


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ブータンの布 パンケップ | 20:09:27 | Trackback(0) | Comments(0)
ブータンの布 パンケップ(13)
ブータンの布 パンケップ(13) 1
幅 88cm x 240cm               20世紀初頭から中期

ブータンの布 パンケップ(13) 2

ブータンの布 パンケップ(13) 3

 ブータンの布 パンケップ、王や高僧の膝掛け、敷物として
 使われていたようだ。
 20世紀初頭から中期のものである。
 手紡ぎの木綿の白地の上に 縫取り紋織りの紋様は、
 ラック染めの赤の天然シルクの紡ぎ糸、藍染の木綿糸で
 織り込まれている。

 ブータンでは両面縫い取り紋織りの技法は、このパンケップと
 20世紀中期ごろまでにキラを着る際に用いられた帯 ケラを
 織る際に用いられている。
 このパンケップの持つ布の力には圧倒されるものがある。
 日常用いるものではなく、特別の行事の際に用いられる
 宗教的な意味合いが強いせいだろうか。
 華やかなキラ クシュタラやノシェムとは、違った世界が
 パンケップという織物の世界にはある。


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ブータンの布 パンケップ | 19:16:48 | Trackback(0) | Comments(0)
タイのイスラム教徒(3) 再びトンブリへ
タイのイスラム教徒(3) 再びトンブリへ  1

タイのイスラム教徒(3) 再びトンブリへ  2

タイのイスラム教徒(3) 再びトンブリへ  3

タイのイスラム教徒(3) 再びトンブリへ  4

 今日は、再び、トンブリ地区を再訪することにした。
 いつもと同じように国立競技場前のバス停から、47番のバスに乗って、
 ティアン船着場へと向かう。
 途中 旧王宮のワット・プラケオを見ると、ガラヤニ王女の葬儀に対する
 国民の記帳が行われているらしく、喪服姿の人が目立つ。
 王宮広場はそのためか、駐車場になっている。

 ワット・アルンに向かう船の船着場であるティアン船着場も、
 外国人旅行者もピークを過ぎたせいか、数も少なくなっている。
 船の運賃もことしになってから、3バーツから3.5バーツに値上がりしている。
 ガソリン値上げのためだ。これも仕方がない。

 いつものようにワット・アルンを横目に見ながら、イスラム教徒の住む地区へと向かう。
 バンコクヤーイ運河をはさんで 有名なトンスン・マスジドの反対側にある
 クディ・カーオ(マスジド・バーンルアン)とその墓地を見ておきたかったからだ。
 このマスジドも200年以上の歴史がある。
 その建物もタイ式のもので、タイの仏教寺院の形に似ている。
 墓地もごくありきたりのもので、
 トンソン・マスジットのように贅を尽くしたものではない。
 トンソン・マスジドが身分の高いイスラム教徒のものであるなら、
 バーンルアン・マスジドは庶民のイスラム教徒のものだ。
 イスラム教徒の世界にも はっきりとした身分制社会があるのだ。
 人間である以上、それは避けられないことだろう。
 あの有名なインドのタージマハールも 王妃のためにたてられたものだ。
 あの規模からすれば、それでもささやかな違いである。

 死んでまで墓石に差が出てしまうのは、人間の業の深さなのかもしれない。
 私などは、死んだあとは、川なり海にその灰と遺骨を流してもらえれば十分である。
 天国も地獄も信じないし、生まれ変わってより良い身分になることも期待してはいない。
 あるがままに生きて、あるがままに死ねばそれで十分である。
 あとは何も期待することはない。

 タイでは少数派であるイスラム教徒にとっては、マスジドは交流の場であり、
 互いのつながりを深めていく役割も果たしている。
 ここでは宗教はまだ生きていてその役割を果たしているのかもしれない。
 又、タイの仏教寺院のように派手派手しくなく、豪華でもなく
 ささやかであるところに余分なものをそぎ落とした信仰への誠実さを感じてしまう。


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タイのイスラム教徒 | 10:44:49 | Trackback(0) | Comments(0)
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