FC2ブログ
 
■プロフィール

ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

■最近の記事

■Automatic translation WEB site
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ
■カテゴリー

■FC2カウンター

■あしとも

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
ネワールの街と文化 カトマンズの街の形 
カトマンズの街の形 1

カトマンズの街の形 2

カトマンズの街の形 3

カトマンズの街の形 4

カトマンズの街の形 5

カトマンズの街の形 6


 カトマンズの街は マッラ王朝時代に造られた街並みと、ゴルカ王朝時代に造られた
 建物が並存している。ゴルカ王朝といっても 大半の建物は、ラナ家専制時代に
 建てられたイギリス様式を真似たもので、ネパール建築とは程遠いものだ。
 街はマッラ王朝時代に建てられた建物が大半で、ゴルカ王朝時代に建てられた宮殿群は
 ネワール族の造り上げた街の周辺地域に散在しているだけである。

 日本の江戸時代のことを考えてみれば、江戸の中心に江戸城があり、
 その周辺に直参旗本の屋敷、大名屋敷、その外に商人たちの居住地と職人たちの居住区、
 さらにその外の川向こうには悪場所、歓楽街が広がり、その向こうといえば、村になってしまう。
 昼間の日常的な世界と夜の享楽的な世界が 街の中に共存することで、
 街にすむ人たちの心に善と悪のバランスを与えていた。
 欲望の捌け口の場を用意していたのである。

 カトマンズの街を読み取るには、マッラ王朝時代の街づくりに眼を向ける必要がある。
 ゴルカ王朝時代の建物を見ても、ただ権力を誇示するための建物ばかりで、生活する人々の
 心の有様を知る手がかりにはならない。

 ネワール族の街づくり、それは、カトマンズでもパタンでもバクタプール、キルティプールでも
 同じ構造になっているものだが、まず、街の中心部に王宮を作り、王宮の周りに寺を建造し、
 その周辺にカーストの高い人たちが住み、周辺に行くにしたがって、
 カーストの低い人たちが住むという構造になっている。
 基本的にはこの構造は250年のゴルカ王朝の支配の中でも変化はしていないようだが、
 上級カーストの生活場所については、ゴルカ王朝に協力的であったものとそうでないものとの
 違いによって、居住区の入れ替えはあったように思われる。
 ネワール族の中のヒンズー教徒、仏教徒によって、ゴルカ王朝への協力度は違っていただろう。
 しかし、大半のネワール族は、マッラ王朝時代からの居住地域に住んでいるようだ。

 ただ不思議なのは カトマンズの街には、悪場所である歓楽地域がないことだ。
 ヒンズー教の影響なのだろうか。
 江戸であれば、隅田川の川向こうは、江戸庶民の歓楽街であったし、バンコクであれば、
 中華街が歓楽街だったはずだ。
 ネワール族の60歳を過ぎた人たちに聞いても、カトマンズにはそんな場所はなかったという
 答えが返ってくるばかりである。
 性に興味を持ち始めた若い頃はどうしていたのだと尋ねると、結婚まで我慢していたと言う。
 酒好きのネワール族、遊び好きのネワール族がである。

 ラナ家専制時代は、ラナ家の御曹司は、かなり性の面でも野放図であったというが、
 それは支配階層のことだけで、カトマンズの大半を占めていたネワール庶民とは
 無縁のことだったようだ。

 ネパールでもカトマンズ以外の街道筋には、男の欲望を満たす場所がたくさんあったという話を
 聞いている。
 街道の食堂や宿屋で働く女たちは、男たちの欲望に応えていたことが多かったと言う。
 昔、東ネパールのダランという町のホテルに泊まったことがあるが、そこにもホテル
 お抱えの娼婦たちがいた。
 カトマンズから離れれば離れるほど、性に対して緩やかであったようだ。
 ここ240年のチェットリ族、バウン族の支配は、カトマンズの享楽への欲望を
 抑圧していた社会だったようだ。
 人間の心の光と闇の世界をバランスよく街の中に取り入れなかったここ240年の
 カトマンズの街は やはり、どこか、贋物めいた気がするのである。
 そうは言っても、賢いネワール族のこと、地域社会の中でうまくやっていたとは思うが。
 おおっぴらにされていなかっただけのことだろう。

 今はどうかと言えば、タメル地区あたりのダンス・バー、あるいは、カトマンズ周辺の
 地元の人間相手のバーなどは、男たちの欲望を満たす場所になっていることは周知のことだ。


++ ブログランキングに参加しています。ご協力を! ++

      忘れないで
        ↓
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ

**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ




スポンサーサイト



カトマンズ ネワールの街と文化 | 12:26:44 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ ネワール族の知恵
カトマンズ ネワール族の知恵 1

カトマンズ ネワール族の知恵 2

カトマンズ ネワール族の知恵 3

カトマンズ ネワール族の知恵 4

カトマンズ ネワール族の知恵 5

カトマンズ ネワール族の知恵 6


 今日は天気もよいので、カトマンズに行ってきた。デジタル腕時計の電池が切れかけてきて、
 電池の交換をする用事もあった。
 いつも利用している時計の修理屋であるが、2年に一度、3年に1度では顔見知りには
 ならない。電池交換175ルピー、随分値上がりしている。
 電池そのものはさほどの値上がりであるとは思わないが、人件費が値上がりしているのだろう。

 そのついでに旧王宮近くの路地を散策してみることにした。
 このあたり路地が入組んでいて、うろうろと歩き回っていると、いつのまにかどこを
 歩いているのか わからなくなる場所である。

 うろつきまわっているうちに 中庭を見つけ、そこに入り込んでみた。
 そこには 仏陀の像が彫りこまれたチャディと呼ばれる仏塔があり、その正面にはビハールと
 呼ばれる仏陀の像を収めた建物がある。
 その中庭の周りには4階、5階建ての建物が建ち並んでいる。
 ここに住んでいる人たちは、ネワール族の仏教徒カースト サッキャと呼ばれるカーストの
 人たちが住んでいる。
 中庭は3箇所あり、ビハールやチャイティアが備え付けられている。
 そんなあたりの様子を眺めていると、一人の青年が、家の中から出てきて、ここに住んでいる
 人々のこと、二つのビハールのことなどを説明してくれた。

 ここに住んでいる人たちは 皆 親戚筋に当たる人たちで1つの家族から分かれていった
 人たちで、 家族が増え、手狭になると、家を建て増し、いつの間にかこんな集落に
 なってしまった。
 それでも足りず、多くの人たちはこの集落を出て、別の場所で生活を始めた。
 何百年にわたる彼らの歴史は 多くの枝分かれを作り出していったが、皆、サンガと
 呼ばれる組織で繋がっていると言う。その家族数は400近いという。
 この集落の中は濃厚な人間関係で結ばれている。
 何か困ったことがあれば、すぐに助け合う態勢が整っている。
 サンガの組織の中には委員会のようなものもあり、集落とその外に生活する人々との
 連絡を密にしている。
 1年に1度はサンガのメンバーがこの集落に集まって、つながりを確かめ合う。

 ネパールでは、バルタマンという重要な儀式があり、その儀式を済ませると、彼らの
 宗教に受け入れられたことになり、宗教な意味で一人前の存在として認められる。
 その儀式を得ていなければ、死んでも火葬されず、土葬されることになる。
 そういう重要な儀式においては、必ず、この集落にあるビハールが使われ、その中庭が
 祝いの席になる。
 このサンガでは 5年に一度まとめてバルタマンの儀式を行うと言う。
 サンガのメンバーは 必ず この場所でバルタマンの儀式を行わなくてはならない。

 カトマンズのネワール族は 千五百年にもわたってこのカトマンズ盆地に住み続けている民族で
 ある。
 リッチャビ王国、マッラ王国の中で、華やかな文明を開花させ、
 後にゴルカ王朝によって征服され、被征服民族になってしまった民族だ。
 それでも知恵を働かせ、たくましく生き抜いてきた民族だ。
 被征服民族として自らを護り、生き抜いていくために考え出したシステムが、
 サンガ、グッティと呼ばれる共同体である。
 このグッティと呼ばれる共同体は、すべてのネワール族のカーストの中にあり、
 濃厚な深いつながりを持つ共同体組織である。
 強固な血族集団を作ることで、新しい支配者からの圧力に耐えてきたのだろう。

 こうした強固な血族集団を持つネワール族の造り上げた住宅構造、都市構造も独特の
 ものがある。
 異なった集団は入り込めば、すぐさまわかる形にもなっている。

 250万人近いカトマンズ盆地の中で、比較的凶悪犯罪が少ないのは、
 ネワール族の造り上げた都市構造、グッティと呼ばれる共同体の力のお陰ではと思っている。
 そのネワール社会も人口増加の中で崩れつつある。
 ネワール族の造り上げた都市構造、共同体が崩れていったときには、
 カトマンズは犯罪都市に変貌していくだろう。
 まだ、カトマンズは、彼らが都市の核のような役割を担っている。
 性格的にはなかなか難しい民族ではあるが、長い歴史の中で、都市生活のための
 知恵を考え出してきた民族と言えば、ネワール族だけなのだ。


++ ブログランキングに参加しています。ご協力を! ++

      忘れないで
        ↓
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ

**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ





カトマンズ ネワールの街と文化 | 01:31:58 | Trackback(0) | Comments(0)