FC2ブログ
 
■プロフィール

ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

■最近の記事

■Automatic translation WEB site
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ
■カテゴリー

■FC2カウンター

■あしとも

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
ネパールにあるハンディクラフト‐9 チベッタン・カーペット
チベッタン・カーペット 1

チベッタン・カーペット 2

チベッタン・カーペット 3

チベッタン・カーペット 4

チベッタン・カーペット 5

チベッタン・カーペット 6

チベッタン・カーペット 7

チベッタン・カーペット 8

チベッタン・カーペット 9


ネパールでチベッタン・カーペットが織られるようになったのは、中国によるチベット
侵略によって、難民となったチベット人がネパールにやってきてからのように思われる。
25年前に私がカトマンズにやって来た頃には、チベッタン・カーペットはネパールの
重要な産業のひとつになっており、パタンのザウラケルあたりの作業場でも、チベッタン・カーペットを織っている人たちの姿をよく見かけたものである。

このカーペットビジネスで大金持ちになったチベット難民も多い。
手に確かな職を持っていれば、どこでも生きていけるという証明だ。

その頃は、まだ決まったパタンのものしか織られていなかったが、この頃では
ヨーロッパ人業者がデザインを持ってきて、モダンな図柄のものを織らせることが
多くなったようだ。
畳3畳大くらいの大きさだ。値段も結構張る。

湿気の多い畳のある日本の住居には、ダニなどもわき易く、合わないようだ。
寒い田舎の冬場には 畳1畳大のチベッタン・カーペットは重宝するかもしれない。
最近のマンションの板敷きのモダンライフには、ネパールのモダンな図柄も合うかもしれないが、すぐに飽きが来るような気がする。
伝統の図柄には 適わないだろう。

高価なものを好む日本の金持ちの眼は ペルシャ・カーペットの方に向いてしまうようだ。
織りの細かさ、カーペットの耐久性では、どうしてもペルシャ・カーペットには敵わないようだ。

私のカトマンズの部屋にもチベッタン・カーペットを敷いているが、カトマンズの
住居の床は、大半コンクリートだから、絨毯なしでは、冬場はしんしんと冷え渡り、
とても生活できたものではない。

街中では、チベッタン・カーペットを肩に担いで売り歩く村の人たちの姿も よく
眼にする。
寒さ避けに使用するには、タメルあたりのカーペット屋で売られているものより安いし、
充分である。

近頃では、カトマンズ郊外の村に行くと、カーペット用の毛糸を紡いだり、
カーペットを織っている農民たちも多い。ほとんど女たちの仕事だ。
生活するためには、現金の必要になってきた村の生活では、貴重な現金収入になって
いる。
昔から機織の盛んだったネワール族の里では、カーペットを織る音がよく聞こえてくる。
布を織ることから、カーペット織りへの転換はスムーズに行われたようだ。

25年前のキルティプールの街の中は、機織の音がいたるところで聞かれたが、今では
それがカーペット織りに変わってしまった。
寂しい気もする。
それでなくても乏しい布文化のネパールである。


++ ブログランキングに参加しています。ご協力を! ++

      忘れないで
        ↓
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ

**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ


スポンサーサイト



ネパールにあるハンディクラフト | 23:06:07 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパールにあるハンディクラフト‐8 アンティーク・インド刺繍布
アンティーク・インド刺繍布 1

アンティーク・インド刺繍布 2

アンティーク・インド刺繍布 3

アンティーク・インド刺繍布 4

アンティーク・インド刺繍布 5

アンティーク・インド刺繍布 6

 20年以上前、インドの砂漠地方のラジャスタンによく行った。
 バールメール、ジャイサルメールには良く通ったものだ。
 砂漠地帯の風景、民族衣装を当たり前のことのように身につけた砂漠の男や女たち、
 ラクダ、砂漠の中の宮殿、今でも眼に浮かぶ。
 楽な旅ではなかったが、貴重な想い出だ。

 カトマンズのジョッチェン、フリーク・ストリートの入り口に グジャラートから
 やって来たインド人の商うインド、パキスタンのアンティーク刺繍布の店があった。
 これも20年以上前のことだ。
 もともと彼らは、デリーの路上に露天を開き、商いをしていた人たちだ。
 今でも、コンノートプレスあたりの路上では、刺繍布、ペインティングなど品物を
 拡げ、商いをしている女たちを見かけることも出来るはずだ。

 一家の主は、パキスタン国境のラジャスタンまで出かけ、布を仕入れていたようだ。
 片足の少し不自由な男だった。売る仕事は娘たちの仕事だった。
 私はよくラジャスタンに行き、彼らの売っている品物を安く買うことが出来たので、
 この店で布を買うことはなかったが、からかい半分に良く立ち寄ったものだ。

 そんな時代から20年の歳月が流れた。
 フリーク・ストリートは、旅行者の溜まり場所をタメル地区に奪われ、刺繍布を売る
 彼らの店もタメルへと移っていった。
 1軒だった店も 孫、甥が商いに加わり、いつのまにか4,5軒へと増えていった。
 そんな彼らの店の何軒かを訪問してみた。
 1軒は甥の店、1軒は娘の店、昔に比べると随分こぎれいになっている。
 もう1軒の店には、あの足の不自由な一家の主が店の前に座り込んでいた。
 もう84歳になるという。少し痩せたようだが、同時の面影はそのまま残している。
 中には1番下の娘がいた。
 彼は私のことを忘れているらしいが、私は覚えている。
 彼はいつも仕入れにインドに出かけ、カトマンズにいることが少なく、出会う機会が
 なかったせいもある。
 彼の長女とは出会えば、声を掛け合う。

 カトマンズにもインド、パキスタン刺繍の店は増えてきた。ネパール人もこの商いに
 手を出すようになったからだ。
 しかし、30年近い彼らのキャリアの持つ力には適わない。
 布の値段は昔に比べると何倍にもなっているが、置いてあるアンティーク・刺繍布は
 かなり質の高いものだ。

 久しぶりにインド、パキスタンの刺繍布を見るにつけ、あの熱いラジャスタンの砂漠の
 大地が懐かしくなった。
 一緒に刺繍の仕事をしたマルワリ商人の若者ラビ・シャンカールはどうなっただろう。
 もう50近くなっているはずだ。
 親に頼らず、自分の力で自分の商いを開発すると頑張っていたが。
 もう1度、バールメールの街を訪れてみたくなった。


++ ブログランキングに参加しています。ご協力を! ++

      忘れないで
        ↓
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ

**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ



ネパールにあるハンディクラフト | 13:28:39 | Trackback(0) | Comments(0)