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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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カトマンズ バソンタプール 旧王宮広場にて
バソンタプール 旧王宮広場にて 1

バソンタプール 旧王宮広場にて 2

バソンタプール 旧王宮広場にて 3

バソンタプール 旧王宮広場にて 4

バソンタプール 旧王宮広場にて 5

バソンタプール 旧王宮広場にて 7


 ついこの前のことだが、マオイストに殺害されたというシュレスタ氏の真相解明を
 求めてのバンダ(ゼネスト)の日だったので、カトマンズへ行くことは中止していたが、
 この日は、日本円の交換レートも良さそうなので、少しばかり両替をしておこうと思い、
 ニューロードのビシャル・バザールの建物に隣接したヒマラヤン・バンクへ出かける
 ことにした。

 雲行きは 少し怪しかったけれど、まあ大丈夫だろうと思い、乗り合いミニバスに乗り、
 ネパール航空本社まで乗っていった。
 この航空会社、国際便に使用できる飛行機1機とは、あまりに情けない国立の航空会社である。
 24,5年前には 4,5機は所有していたはずである。
 その頃に比べると、外国人ツーリストも何倍にも増えているはずだし、出稼ぎのネパール人も
 多くなっているにもかかわらず、この有様だ。
 そんなネパール航空の本社ビルを眺めながら、ニュウーロード・ゲートを潜り、ニューロードへと
 向かった。

 ヒマラヤン・バンクで日本円の現金を両替すると、1万円で6610ルピーの交換レートだった。
 3日前が6500ルピーだったから、交換レートはよくなっている。
 少し、気分もいい。

 その足で旧王宮広場へと向かった。広場へと歩いていると、昔からの顔見知りの笛を
 売り歩くインド人が 声をかけてきた。
 インドのビハール州からの出稼ぎである。もう知り合ってから、何年になるだろう。
 15年以上にはなるだろう。4,5日前にカトマンズにやってきたと言う。
 私のほうは随分老けてしまったのに、彼のほうは 結構若々しいままだ。
 こんな昔からの知り合いが、この広場には結構いる。

 バソンタプールの広場の一角に昔からの知り合いがいたので、当時 旅行会社を
 経営していた彼の小さな旅行会社で、暇つぶしをしたものだが、その彼も 別の場所に
 引越ししてしまった。王家のサハ家につながる人物だった。
 そのことから、この近辺では みんなから、ラザ(王)と呼ばれていた。
 もう彼も65歳を越えているはずである。彼の住んでいた家は、貸家になっている。

 そんな懐かしい思いに浸りながら、広場全体を見渡してみる。
 広場の入り口付近には、240年前、ゴルカからカトマンズに兵を引き連れ、
 カトマンズのマッラ王国を征服したプリティビ・ナラヤン・サハ王の建てた
 ネワール族の建築様式の王宮が聳えている。
 この王宮には、ネワール文化に憧れたゴルカの地方豪族であったプリティビ・ナラヤン・サハの
 気持ちがよく現れている。
 ゴルカの片田舎に住んでいたプリティビ・ナラヤンからすれば、カトマンズは
 大都会のように映っただろう。
 ゴルカ王朝創設からラナ家の独裁政治に至るまでの建物は ネワール建築様式で建てられて
 いるものが多い。
 ツリプレソールにあるサハ家の三代目国王 ラナバハドール・サハ王を偲んで、
 その后によって建てられたツリプレソール・マハデヴィ寺院もネワール族の建築様式である。

 その横に建つ白亜のヨーロッパ様式の建物は、ラナ家独裁の時代に、シェムシェル・
 ラナによって、イギリス人建築家と技師を呼んで建てられたものだ。
 給料は、金を秤にかけて支払われたという。
 この時代から、ネワール族の建築、工芸文化は衰退していくのである。
 ここを初めとして、ラナ家のマハラジャ宮殿 シンハ・ダルバール、サンカール宮殿、
 現王宮のナラヤンティが矢継ぎ早に、ヨーロッパ建築様式で建てられていくことになる。

 近代ヨーロッパに憧れ、伝統文化を蔑ろにする風潮は、この時期から始まったのだ。
 マッラ王朝時代に建てられた寺院、遺跡は、傷むままに放置されてきたのである。
 全くの成金主義の塊のような時代だったのである。
 インドからやって来た田舎者のラナ家が出来ることといえば、圧政と成金趣味だけの
 建造物だったのである。
 なんとつまらない味わいのない白亜の建造物だろう。
 やたら権力を振りかざしたラナ家の象徴的な建物である。
 周りとの調和などどこにも感じられない悪趣味以外の何ものでもない。


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カトマンズ 街の風景 | 19:07:55 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパールにあるハンディクラフト‐2 フェルト細工
フェルト細工 1

フェルト細工 2

フェルト細工 3

フェルト細工 4

フェルト細工 5

フェルト細工 6


 カトマンズでバッグ、アクセサリー、スリッパなどのフェルト細工が見られるように
 なってから 4,5年になるような気がする。
 昔からネパールの山岳地方では、敷物か毛布として、織られた布をフェルトかする技術  
 があった。
 私も20年近く前に買い、敷物として利用したことがあるが、山の中で織られているもの、
 虫除けの処理がされておらず、何年か使っているうちに虫にやられて駄目に
 なってしまった。
 ネパール毛をつかっていたせいか、かなりごわごわした肌触りであった。

 フェルトには興味を持っていたが、カトマンズで見かけるフェルト製品の色合いが
 あまりに派手な色彩のもので、道化師の持ち物のようで私の好みではなかった。
 若者向けには楽しくてよいのだろうが、もう少し渋い色合いのものがあっても良いように思えた。
 カトマンズのいつものパターンであるが、フェルト製品が売れるとなると、猫も杓子も
 店を構え、売り始める。
 どこかの店のコピーであるだけで、品質の向上、染めの技術の向上へとは向かっていかない。
 値段合戦になるから、逆に品質さえ悪くなってくるという現象も起きてくる。
 品質の向上、あるいは天然染織、製品のデザインなど目を向けていかなければ、
 いつかは 飽きられてしまうだろう。
 日常的にネパール人が使っていないものを、ヨーロッパ人の注文で作る、
 こうした新しい製品作りには 製品開発のための努力が必要であるし、
 世界のフェルトの歴史的な流れについても知ることも大事だ。
 インドのカシミールにもフェルトの上に カシミール刺繍を施したものがある。

 若者に受ける程度のフェルト製品も結構だが、
 せっかくフェルト作りの技術を習得したのであるから、
 世界に通用する工芸品としてフェルト技術を発展させてもらいたいものだ。
 日本でもフェルト細工は いろいろな教室で催されているようだ。
 素人であっても フェルトに対する目は肥えている。

 私がよく訪問する染織家のブログでも 正倉院所蔵の毛氈、1500年近く前に日本に
 シルクロードやってきたフェルトの毛氈の復元についても紹介されていた。
 工場生産的に多量にフェルト製品を作るだけでは、
 ネパールでも単なる流行で終わってしまうだろう。
 伝統に支えられている技術ではないから、底が浅いのである。
 今後 ネパールで どういった形でフェルト細工が変っていくのか見ていきたいという興味は
 あるが、染め、デザインなどの専門的な技術援助は必要だ。
 造る人と売る人が別々の社会ネパールでは、専門的な染織家が育ちにくい状況にある。
 そうした状況の中では なかなか質を求める染織世界は生まれにくい。
 ブータンやインドでは伝統に支えられた染織文化があるが、
 ネパールの染織文化にはダッカ布を除いては、高度な染織文化は見当たらない。
 そのために流行だけに走る傾向がある。それが残念である。


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ネパールにあるハンディクラフト | 13:07:54 | Trackback(0) | Comments(0)