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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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ネパール ネパール・ダッカ布とイラクサショールの店
ネパール・ダッカ布とイラクサショールの店 1

ネパール・ダッカ布とイラクサショールの店 2

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ネパール・ダッカ布とイラクサショールの店 7

ネパール・ダッカ布とイラクサショールの店 8

 パタンのクッポンドールに 東ネパールのダッカ布とイラクサのショールの小さな店が
 ある。
 私がこの店と出会ったのは、20年近く前のことだ。
 当時 ネパールのダッカ布に興味を持っていたことから、東ネパールのダラン、ダンクッタ、
 ヒレ、バソンタプールまで行き、ダッカ布の生産地 テーラツムまで行くつもりであったが、
 自動車の行く道がバソンタプールまでで、それから2,3日歩いていかなくてはならないと
 聞き、諦めてしまったことがある。

 そんなことから、クッポンドールの通りを歩いていて、ダンクッタ・シスターという名が
 目に留まり、この店に入った。
 20年近く前のこと、ダッカ布、イラクサ製品もまだまだ、洗練されておらず、
 イラクサ製品などは、繊維を柔らかくするために漂白した白い糸で編んだストールや
 ショールが置いてあった。

 今回、懐かしくもあり、ダッカ布やイラクサの商品がどんな風に変わっているのかを、
 確かめてみるために店の中に入ってみた。
 20年の月日の経過はたいしたものである。
 随分 洒落たものが多くなっている。
 イラクサで編んだショールやカーディガンも見栄えがよくなっている。
 ダッカ布のスカーフやショールも木綿でなく、シルクで織られるようになっている。
 細いシルク糸を使うと、時間がかかるせいか、ダッカ布の複雑な文様のものはない。
 どこからの援助もなく、店の経営を考えると、インドからシルク糸を大量に買い入れる必要が
 あり、多様なシルク糸の買い付けは難しいという。
 
 タイあたりであれば、質の高いシルクの布など、王族や金持ちがこぞって買うだろう。
 ネパールではあまりそうした形はないから、ダッカ布の更なる発展も難しい。
 シルク糸を使っての素晴らしいショールなど作る技術があっても、外国からの注文がないと
 積極的に織ることが出来ないと言う。

 こつこつと絶え間なく努力している店ではあるが、村の人たちが中心になって運営しており、
 資金力がなく、大きなプロジェクトは組めないようである。
 ここで頑張っている女性たちは、ダンクッタの出身者や、その周辺の村の出身者のようだ。
 応対してくれた女性も、ダンクッタ出身者で、先住民族とチェットリ族との混血であると言う。
 キラティ(ライ、リンブー族)の流れを汲む先住民族らしく、本来はキラティと同じ宗教だったと
 いう話だ。

 ライ、リンブー族では死者が出ると、イラクサで織られた布で死者をくるみ、土葬にする。
 シェルパ族などは火葬にする。
 イラクサ、ダッカ布などは もともとは らい、リンブー族の仕事である。
 カトマンズのリチャビ王国の前には、ライ・リンブー族の祖先が キラティ王国を築き、
 カトマンズ盆地を支配していたと言われている。紀元前のことだ。
 彼らが東ネパールに辺境の地に住みながらも、高度な布文化を持っているというのも 
 そうした歴史を持つ民族であったからなのかもしれない。

 今から20年も昔にどうして、キラティ王国の子孫 ライ、リンブー族の布文化に惹かれたのか、
 不思議でならない。
 ネパールにきたら、是非 この店に立ち寄ってください。
 山から来た誠実な人たちが、誠実で良心的な織物を見せてくれるはずですから。


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ネパールにあるハンディクラフト | 21:00:52 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 石の彫刻 ドゥンゲ・ダーラ(共同水場)の神々
ドゥンゲ・ダーラ(共同水場)の神々 1

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ドゥンゲ・ダーラ(共同水場)の神々 7

ドゥンゲ・ダーラ(共同水場)の神々 9

ドゥンゲ・ダーラ(共同水場)の神々 10


 パタンの表通りに 水不足のパタンの庶民に 水をもたらしてくれるドゥンゲ・
 ダーラ(共同水場)がある。
 3,4百年前のマッラ王朝時代に造られた水道遺跡だが、今なお水不足に苦しむ人々に
 水の恵みをもたらしている。
 3,4百年前のネワール族の祖先たちは、3,4百年後の今の役立つとは、
 考えてもいなかっただろう。
 ネワール族にとっては、水は 神々のシンボルだ。このドゥンゲ・ダーラも、井戸も
 神々の棲家なのである。
 おろそかには出来ないのだ。
 水をもたらしてくれる神々への感謝の気持ちを忘れてはならない。
 ネワール族の信仰する神、インドラもマチェンドラナートも皆、水にかかわりのある神々だ。
 水の周りを清潔に保つことで、神々への畏敬の念を表していることが感じられる。

 パタンの表通りにあるこのドゥンゲ・ダーラには、石に彫られた多くの神々が鎮座している。
 このドゥンゲ・ダーラにやってくれば、人々は様々の神々と出会うことが出来る。
 人々の行いが悪ければ、神々は水の量を減らすだろうし、行いがよければ、豊かな水を
 与えてくれるだろう。

 今日は、仏陀生誕日、ネワールの仏教徒たちは、仏陀の生誕の日を祝って、
 通りを練り歩いている。
 そのせいか、今日はいつもより、ドゥンゲ・ダーラの水の出もよいようだ。

 ここに鎮座している神々はヒンズー教の神々であるが、ヒンズー教から見れば、
 仏陀は 9番目に姿を現した神ということになっている。

 このドゥンゲ・ダーラの神々が どうもヒンズー教の叙事詩 『ラーマーヤナ』に
 登場する神々のようだ。
 ラーマとシーター、ハヌマン、シバ、クリシュナなどが 石に姿を変えて鎮座している。
 愛らしい素敵な石造りの神々たちである。
 ネワールの職人カースト シラッカールたちの心のこもった仕事だ。
 こんな素晴らしい石の彫刻が、道端のドゥンゲ・ダーラの中に、何気なく存在しているというのが、
 ネワール文化の凄いところだ。

 大半の旅行者たちは、ネワール文化、ネワール族については、知ることもなく、
 カトマンズのネワール族の世界遺産を眺め、通り過ぎていく。
 ネワール族が、カトマンズの先住民族であり、ゴルカ王朝によって征服されたネワール族の
 悲劇を知らないまま、カトマンズを去っていく。
 歴史に眼を向けなければ、眼も前にある素晴らしい遺跡を眼にしても、
 豊かなイメージの世界は広がっていかない。風景として過ぎ去ってしまうだけだ。
 征服されつつも、カトマンズ盆地に住み続けてきたネワール族の心の姿は見えてこない。
 
 ネワール族というのは、確かにわかりにくい民族である。
 彼らの本音を知ることは難しい。
 この240年の被支配民族としての歴史は、彼らに本音で生活することを阻害してきたのである。
 顔で笑って、心で泣く。本音は他民族、他のカーストには見せない。
 壁に耳あり、障子に目あり 本音で語れば、身の危険すらあった時代を生きてきた民族なのだ。
 したたかに生きるより他に道はなかったことを忘れてはならない。
 ネワール族への理解はそこから始まるのである。


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カトマンズ 街の風景 | 12:32:43 | Trackback(0) | Comments(0)