■プロフィール

ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

■最近の記事

■Automatic translation WEB site
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ
■カテゴリー

■FC2カウンター

■あしとも

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
ネパール パタン‐14 農民カーストの集落のチャイティ(仏塔)
農民カーストの集落のチャイティ 1

農民カーストの集落のチャイティ 2

農民カーストの集落のチャイティ 3

農民カーストの集落のチャイティ 4

農民カーストの集落のチャイティ 5

農民カーストの集落のチャイティ 6

農民カーストの集落のチャイティ 7

農民カーストの集落のチャイティ 8

農民カーストの集落のチャイティ 9

農民カーストの集落のチャイティ 10


 昨日は久しぶりにパタンの旧市街に行ってみた。
 パタン・ドカ行きのバスがやってきたので そのバスに乗ってパタン・ドカへ向かった。
 いつものようにパタンの門をくぐり、旧市街へ入っていく。
 そこから歩いて5分くらいのところに、私が気に入っている石造りのチャディ(仏塔)  
 がある。
 その中に刻まれている仏陀の像には品があり、彫り手の深い信仰を感じることが出来るものだ。
 ネワール族の農民カースト(ダンゴール)が住んでいる集落の中にあるチャディだ。
 どのくらい古いものか ここに住んでいる人に尋ねてもわからない。

 このマハルザンの住む集落は 1つの家系から出発して、
 何百年も経るうちに大きくなったものだ。
 だから、この集落に住む人々は、濃い薄いはあっても、血でつながっている。
 一番重要なものは、祖父母、兄弟、叔父叔母、息子・娘、孫の家族である。
 こうしたものをグティ(共同扶助組織)と呼んでおり、子供の宗教通過儀礼バルタマン、
 葬儀などのときに助け合う。
 その次には地域住民で構成するグティがあり、これが祭りの運営、地域の問題を
 解決していくためのものだ。
 家族単位のグティと集落全体のグティの二つに人々は属している。
 祭りの中心的役割を果たすマハルザンでは、祭りの多いネパールにおいては、
 集落全体の共同作業は大変多い。

 ここにある石造りのチャディは集落全体の仏教信仰の中心になっている。
 集落の仏教信仰の象徴的な存在ではあるが、彼らは各家の中に、守り神を持っており、
 これは、一族以外のものに見せることは許されない。
 この守り神はヒンズーの神でもなければ仏陀でもない、土着の神のように思われる。
 家の守り神のようのものだ。どこかで、タイのピー(精霊)信仰にもつながるような気もする。
 この家の女が結婚しても、彼女の夫にこの守り神を見せることは許されないが、家に
 迎えた嫁は、家族の1員になり、見ることは許される。

 今日はパタン最大のお祭り、ラトー・マチェンドラナートの祭りの始まりの日である。
 そのことをこの集落の男性から聞かされた。
 この祭りの始まる前には、ブット(お化けのようなもの、人に取り付くと災いをもたらす)、
 ラッチェス(魔物)に108匹の魚、108匹の鶏、108個の卵、羊、山羊などを捧げなくては
 ならないという。
 その後出ないと、祭りを始めることは出来ないと言う。
 社会の安定、作物の豊穣を願うマチェンドラナートの祭り、災いを成す可能性のあるブットや
 ラッチェスにも敬意を表すのが目的なのだろう。

 ネワール族の昔から伝わる神々は、善も悪もなす凶暴な神々である。
 おろそかにすれば、たちまち凶暴な神へと変貌してしまうのだ。
 気候の変化によって一喜一憂する農民の生活の中では、天候は神の存在そのものである。
 人々の心に安定を与える仏教信仰と 絶えず敬い怒らぬようにいさめる土着の神への信仰が
 並存しているところにマハルザンの信仰心の面白さ、興味深さがある。

 眼を集落の中に向けると、年老いた女たちが座り込んでいる。
 その中に90歳になり、あと5年生きることが出来れば、四度目のジャンクーを
 迎えるという女性がいる。寝転んで他の年寄りたちの話を聞いている。
 ジャンクーという儀式は 最初は77歳から始まり、二度目は81歳、次は84歳、
 四度目は95歳になった時に行う長寿を祝う儀式である。
 その齢になった老人たちを担いだり、特製の乗り物に乗せて親族で街の中を練り歩く。
 年を取るたびに人は神に近づいていくと言う。
 別の場所には、ジャンクーにはまだまだ間のある中年女性集団が座り込んでいた。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



スポンサーサイト
ネパール パタン | 21:45:58 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 巡り行く季節の中で
カトマンズ 巡り行く季節の中で 1

カトマンズ 巡り行く季節の中で 2

カトマンズ 巡り行く季節の中で 3

カトマンズ 巡り行く季節の中で 4

カトマンズ 巡り行く季節の中で 5

カトマンズ 巡り行く季節の中で 6

カトマンズ 巡り行く季節の中で 7

カトマンズ 巡り行く季節の中で 8



 春がやってきたと思ったら、もう夏の装いに変わっている。
 カトマンズの通りの至るところにジャカランタの大木が、紫色の艶やかな花を
 満開に咲かせる季節になっている。
 カトマンズの夏の始まりを告げる花である。
 日本を代表する花が桜の花であれば、カトマンズはこのジャカランタの花だ。
 カトマンズの大気汚染にも負けず、毎年、季節を彩る花を咲かせている生命力は
 大したものである。

 今住んでいる家の屋上にも夏はやってきている。
 大家のところの85歳になる花好きのおじいさんが植えた花々が夏の訪れを告げている。
 名前は知らないが、黄色い花が満開だ。
 その脇では、鉢植えの無花果が実をつけている。
 私の育った田舎でも、無花果は夏を告げる果物だった。
 食べ過ぎると、口の周りが荒れる。
 幼い頃は そんなことにはお構いなしに空腹を満たしていた。
 無花果の木には多くの虫たちが集まり、
 スズメバチがその果汁を求めて集まっていたし、ムカデなども棲みついていたものだ。
 腹を空かせた子供たちにとっては、花よりも果物の方が、季節を感じさせるものだった。

 カトマンズの路上の果物を売る露天にも、季節の果物が並び始めている。
 杏に桃、これらの果物が出回り始めると、道端で果物を売るおばあさんの露店に行く。
 タマン族のおばあさんのところだ。1年中同じ場所で商いをしているおばあさんだ。
 ネパール産の果物が出てくると、1番にこのおばあさんのところに行く。
 顔見知りだから、高い値段は言ってこない。
 今日もアッサン広場では、大ぶりの桃、といっても、ネパールでは大ぶり、日本では
 小ぶりであるが、それが60ルピーで売られていたが、タマン族のおばあさんのところ 
 は40ルピーである。
 このおばあさんのところから果物を買い始めてから、10年以上の月日が流れた。
 まだまだ元気である。いつまでも元気で頑張ってほしいものだ。

 家の近くを散歩していても、咲き誇る華やかな草花に出会うことがある。
 それが散歩の楽しみでもある。鉢植えの草花もあれは、庭に植えている草花もある。
 ネパール人が、祭儀用に植えている鉢植えの花は、つまらないが、本当の花好きの
 ネパール人が庭に 丹精こめて育てている花もある。
 暑い午後が過ぎ去り、夕刻の涼しさが辺りを覆う頃、そんな花々を見て回るのも楽しいものだ。
 庭の中を覗きこんでいるから、泥棒の下見と間違えられないようにしなくては
 ならないが。

 何を見ても飽きることのないカトマンズの生活である。
 そこには、カトマンズの人々の生き生きとした生活があるからだろう。
 それは、富んでいるとか、貧しいこととは違ったものである。
 貧しくても、どこか心にゆとりがあるのだ。
 日本のように形だけのゆとりではないものだ。
 そんなカトマンズのなかで 季節の巡りを感じることに喜びを感じる。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



徒然なるままに | 12:33:52 | Trackback(0) | Comments(2)
カトマンズ 生き抜く人々‐08 近所の小さな雑貨屋
近所の雑貨屋 1

近所の小さな雑貨屋 2 

近所の小さな雑貨屋 3

近所の小さな雑貨屋 4

近所の小さな雑貨屋 5


 私が パタンのこの場所に住むようになってから、20年以上になる。
 20年も住んでいると、いくつかの馴染みの店が出来るようになる。
 その1つが 東ネパール出身のバウン族の人が商う小さな雑貨屋だ。
 小さな雑貨屋といって馬鹿にしてはならない。
 この店に行けば、生活に必要な大半のものは手に入れることが出来る。
 煙草、牛乳、コーラ、ミネラルウォーター、お菓子、米、小麦粉、豆、食用油、
 洗剤、シャンプー、かみそり 数え上げればきりがない。
 それらの商品が 店の主がすぐに取り出されるように整理されて置かれている。

 もの店の主はバウン族である。ネパールの国営ラジオ局に勤め始めてから、36年に 
 なり、あと2ヶ月すれば、定年退職になる。
 ネパールの定年退職年齢は、60歳であるが、勤める時に作った書類に記入された
 生年月日が間違っていたため、56歳で定年退職ということになってしまった。

 4歳の時に父親を亡くし、母親の手で育てられたと言うから、かなり苦労はしているようだ。
 子供は4人、女の子二人、男の子二人、女の子二人は大学に行き、もう結婚している。
 男の子は、まだ大学在籍中、長男は修士課程在籍、次男も大学在籍だが、
 政治運動のほうに興味があり、卒業の見通しは定かでない。

 私がこの場所に越してきた20年前は、このあたり、雑貨屋は、2軒しかなく、
 商いも順調だったらしいが、近頃では、あたりに多くの雑貨屋が出来、商いも
 なかなか大変そうだ。
 しかしそれでも、22年前に土地を買って、家を建て、その家も3階まで建て増し、
 部屋貸しもしていると言うし、退職後には6千ルピーの年金も出ると言う話だ。

 出勤前、仕事を終えて帰宅後は、店を商う、彼がいないときには 奥さんが店を
 見るという生活を20年以上にわたって頑張ってきた。
 賢いバウン族ならできるという頑張りである。
 老後は年金、家賃収入、雑貨屋の収入で安泰である。
 東ネパールの山から出てきて、努力に努力を重ねた結果である。

 この店の前は、夕方になると、近所の暇人たちの井戸端会議の場所である。
 市井の情報を得るためには格好の場所だ。政治の話、近所の出来事などは話題に上る。
 そんな話を聞くのは私の楽しみの一つでもある。
 バウン族の習慣、考え方などを知るには、役に立つ。

 塩、砂糖、煙草、食パン、牛乳、食用油などを買い求めるようにして、私もこの場所にやってきて、
 井戸端会議に加わるようにしている。
 品物を買いにやってくる人たちを眺めることもネパールを知る上で役に立つ。
 様々の民族の人たち、カーストの人たちが雑貨屋にはやってくる。
 米1キロ、豆(ダール用 豆汁)0.5キロとその日の糧を小出しに買っていく庶民の生活の姿が
 見えてくる。
 5ルピー、10ルピーのお金が彼らの生活に影響を与える雑貨屋の買い物の世界だ。
 こんな世界は、デパートやスーパーマーケットでは見えない世界だ。
 子供たちは、1ルピー、2ルピーのお金を持ってやってきて、駄菓子を買っていく。
 皆、間借り住まいをしているぎりぎりの生活をしている親たちの子供たちだ。
 今から50年も前の昔の日本の生活の姿と重なる。
 人々の生活は貧しい。しかし、豊かな今の日本より犯罪が少ないというのは、
 どういうことだろう。



  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ


カトマンズ 生き抜く人々 | 00:27:54 | Trackback(0) | Comments(0)
バグマティの辺にて 雨模様の川辺の市場
バグマティの辺にて 雨模様の川辺の市場 1

バグマティの辺にて 雨模様の川辺の市場 2

バグマティの辺にて 雨模様の川辺の市場 3

バグマティの辺にて 雨模様の川辺の市場 4

バグマティの辺にて 雨模様の川辺の市場 5

バグマティの辺にて 雨模様の川辺の市場 6

バグマティの辺にて 雨模様の川辺の市場 7


 四月の初めは よく雨が降った。雨が降るたびに肌寒い思いをしたものだ。
 そんな気候もこの2週間ばかりで、すっかり夏の装いへと移り変わってしまった。

 バグマティ橋のすぐ下に、このあたりに住む人たちの利用する市場がある。
 以前は表通りにあったが、交通が煩雑になるということから、新しく出来た川辺沿いの
 この広い道に移転した。
 私の住んでいるところから歩いて10分くらいの距離にあるので、私もよく利用する。
 家の近所にも野菜を置いている店もあるが、高めであるし、あまり新鮮でもない。
 もやし、きのこ、わらび・ぜんまい、豆腐等特別なものは カトマンズのキチャポカリ
 やアッサン広場あたりでないと手に入らないが、他の野菜の大半は、ここで手に入る。

 四月の初旬、雨降りの夕方近く傘をさして、夕食の糧を求めて、この市場にやってきた。
 折からの雨で、あの汚いバグマティ川も この日はひどい臭気も収まっている。
 小雨になった天候の中で、いつもながらの人々が カリマティの野菜市場や地元の農民から
 仕入れてきた野菜を川辺に広げて売っている。
 雨を避けてビニールをかぶっているおばさん、子供が傘を差しかけ、その下で
 焼きとうもろこしを売る母親、安い、高いとやり取りをする売り手と買い手、
 いつもながらの風景である。
 雨も上がると、夕食の支度のための人々の数は増してくる。
 こんな光景が 私は好きである。

 カトマンズから歩いて帰ってきて、バグマティ橋を渡ると、裸電球の下で人々が
 夕食の糧を求めて、市場の中を動き回っている。
 ほのぼのとした暖かいものを感じてしまう。
 橋の上に立って、しばらくその光景を眺める。
 今日も1日どうにか無事に終えそうだという安堵感も覚える。

 肉、卵、食用油、米、小麦の値上がり、どんどん家計を圧迫し始めている。
 鶏肉はキロ190ルピー、卵は1個6.5ルピー この頃は水牛肉専門になってしまった。
 路上の水牛肉の串焼き1串7ルピー、水牛肉入りモモ(蒸し餃子)一皿25ルピー
 いいたんぱく質補給になる。
 私もこんなことを考えているくらいだから、家族を抱えるカトマンズ庶民はもっと
 大変だろう。
 肉を食べる回数を減らし、水牛のような安い肉を使い、米も安い米を買う。

 ひたすら人々の生活を眺める。庶民の生活を見ない限り、ネパールという国は
 見えてこない。
 自分の身近なところを原点にしながら、人々の生活を見つめる、人々と会話を交わす、
 そういう努力をしない限り、ネパールは見えてこない。
 そこが見えないところで、どんな政治談議をしても意味のないことだ。
 言葉ばかりが先行し、行動が伴わない、それが今までのネパールの政治の姿だったし、
 恵まれたネパールの政治家たちの姿だった。
 さあ、果たして新しいネパールの政治の姿は、出来上がるのだろうか。
 機会あるごとにその変貌の姿を見つめていきたい。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



カトマンズ バグマティ川の辺にて | 14:06:13 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 五月の雨
五月の雨 1

五月の雨 2

五月の雨 3


 四月の初めもよく雨が降ったが、五月に入ってからも毎日のように雨が降る。
 カトマンズは雨が降ると 急激に気温が下がる。
 日が照れば、真夏の暑さ、雨が降れば、10度くらいの気温が下がるのは当たり前の
 ことだ。
 昨夜も真夜中過ぎて激しい雨、これで計画停電が 短縮にでもなれば、嬉しいのだが、
 なかなかそうも行かないようだ。

 この不安定な気候で体調を崩してしまった。
 今日は無理をせず、家でのんびり、地下水の汲み上げの番をしている。
 今日は日が射したので、ソーラーで温めた水で水浴び、4時過ぎて、夕食の買出しに
 バグマティ橋の袂の野菜市場へ行く。
 腹具合も良くないので、今日はおじやにする。
 肉屋で砂肝を200g 37ルピー、ほうれん草二束 8ルピー、青葱一束 5ルピー
 カリフラワーは新鮮だったので、買う。500gで15ルピーだ。
 家には鞘インゲン、ニンジンはある。
 体力づくりに 目一杯野菜を入れるおじやにしよう。

 買い物が終わったあたりから、再び激しい雨が降り始める。
 夕刻になるといつものことである。
 20分ほど雨宿りをすると、小降りになる。

 家に帰り、おじやの準備、砂肝をきれいに荒い、薄切りに、ニンジン、鞘インゲンは
 千切りに、青葱、ほうれん草は細かく、砂肝と固形スープでスープを作り、ニンジンと
 鞘インゲンをいれ、ご飯を放り込む、そして、ほうれん草と青葱をいれ、煮込んでいく。
 醤油をたらし、掻き卵を入れて出来上がり。
 昨夜のおかずの残り ナスの煮浸し、茹でた鞘インゲンとニンジンを
 塩コショウ、中国製の黒酢で合えたもの そしておじやが今晩の夕食である。
 ネパールは野菜が安いので有難い。
 この前などは、かぼちゃの新芽を炒めたら、たいそう美味しかった。
 茎の皮をむくのは大変だったが。

 ネパールは 野菜の種類が多い。食べたことのないような野菜も多く、下ごしらえの
 方法をネパール人に訊かなくてはならない。カレー味で料理すれば美味しいものも
 中華風、和風にすると味がぼやけてしまう野菜もある。
 一人暮らしでなければ、いろいろ挑戦もしたいと思うが、程ほどのところでやめてしまう。
 さあ 明日はカトマンズに出かけよう。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



徒然なるままに | 12:27:02 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 近所のハンディクラフト・ショップ
近所のハンディクラフト・ショップ

近所のハンディクラフト・ショップ 2

近所のハンディクラフト・ショップ 3

近所のハンディクラフト・ショップ 4

近所のハンディクラフト・ショップ 5

近所のハンディクラフト・ショップ 6

近所のハンディクラフト・ショップ 8


 新しい政局をにらんで、主だった政党は、マスメディアを利用して、
 責任の感じられない好き勝手なことを言い始めている。
 それらの発言を耳にするたびに、カトマンズ市民はああだ、こうだと井戸端政治談議を
 繰り広げている。
 1つには、マオイストの政権が どういった政策を実行していくのか、それがわからない、
 彼らの言っていることをどこまで信用していいのかという不安もあるように思われる。
 既成政党やマスコミもそれをあおるような発言も感じられる。
 マスコミを利用しての情報操作で出来るだけ自分たちの政党に有利な体制を作ろうと
 いう姿が見えて、あさましくもある。こうした姿には、国民の生活を見つめようという
 誠実な姿は感じられない。
 うわさ合戦のマスコミに目を向けても、何が真実であるかは見えてこない。
 あと1ヶ月もすれば、はっきりした形が出てくるだろうし、それまで待つより仕方が
 ない。

 今日は近くのクッポンドールにあるハンディクラフトの店めぐりをしてみた。
 バグマティ川に架かる橋を渡り、パタンに向かう坂道の途中には、たくさんの
 ネパールのハンディクラフトの店がある。
 デュクティ、ホストカラー、マハグティは、このあたりでも昔からの老舗だ。
 昔はこれらの店で、ネパールのダッカ布ショール、イラクサ製品、ウールセーター等を
 よく仕入れた。
 7,8年近く訪問していなかったら、店のスタッフもほとんど変ってしまっていた。
 ネパールの村起こし、女性の仕事の援助を目的にしている店であるが、彼らの開発した
 商品も 旅行者のあつまるタメル地区あたりでも多く売られるようになり、昔の勢いは
 なくなっているようだ。

 ここ10年でどのくらいハンディクラフトの変化があるかを見てきたのであるが、
 いくらかの変化は見られたが、眼を引くようなものは少なかった。
 この頃 変わったものといえば、チベット風の家具・調度品がカトマンズでも造られる
 ようになってきたことだ。
 以前から、チベット・タンカの描画技術を工芸品に生かせば、面白いと思っていたのだ 
 が、家具に絵を描き入れているのは、昔からチベット・タンカを書いているタマン族の
 人たちのようだ。
 せっかくのチベット・タンカの描画技術を使っても、色ばかりが毒々しく、日本の
 漆塗りの技術と金粉細工を組み合わせたような繊細な方向に行けば、もっと買う人も
 増えるだろう。
 今造られているものも アジア的なエスニックを求めるアメリカ人の好みには合って
 いるかもしれない。日本人から見れば、大味な感じがする。
 南ネパールのジョナクプール近くの村で描かれているミッテラ・ワークも一時は話題になったが、
 同じものでインド国境を接するインド川の仕事の方が、もう少し繊細である。

 そんなことを感じながら、店を1軒1軒見て回った。
 それらの店を見終わって感じたことは、世界のハンディクラフトについての造詣の
 深い人間が アイデアを提供し、ネパール人の持っている感覚や技術を上手に組み合わせて
 いかないことには、世界に誇れるものはなかなか生まれてこない。
 奇をてらうもの、目立つものは多いが、工芸としての価値のあるものはまだ生まれてきては
 いないようだ。
 イラクサを使ったものなどは、良くはなっているが、もう少し洒落たファッション性が
 求められる。それには、体系的なトレーニングが必要である。

 今日は久しぶりに 夕方からお湿り程度の雨が降った。
 乾燥した皮膚に少しばかり潤いが戻ってきたような気がする。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ





徒然なるままに | 00:22:15 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパールから たまには美味しいものを
たまには美味しいものを 1

たまには美味しいものを 4

たまには美味しいものを 2

たまには美味しいものを 3


 たまには美味しいものを作って、気分転換。
 と言っても 残り物を使っての料理だから、たいした物を作るわけではない。
 
 この間、アッサン広場の近くの乾物屋で、インドからの小さな干し魚を買った。
 200gで60ルピー、カルシウムを取るにはよいかと思ったからだ。200gの小魚の
 干物など早々減るものではない。
 そこで再びアッサン広場に行き、露天で売られている乾燥した山椒の実を買うことに
 した。
 小魚の佃煮を作ってみようかと思ったからだ。
 醤油と砂糖で山椒と小魚を ぐつぐつと煮詰めていくと、佃煮に近いものが出来上がった。
 日本酒を入れれば、美味しくなると思ったがそんな贅沢は出来ない。
 これがあれば、不思議に食も進むから、重宝だ。

 それともう一品は、ナス辛子味噌炒め、油で揚げたナスに 多量の大蒜で炒めた細かく
 切った砂肝に中国製の辛子味噌、オイスターソース、少量の砂糖、醤油を加えて炒めたものだ。
 時間がかからず、結構美味しい。
 ネパールにはナスの種類が多く、いろいろの料理が楽しめる。

 こんな簡単な料理でも、少し真面目にやると、人間らしい気持ちになる。
 かぼちゃの新芽を買ってきて、茎の外側の皮を剥いて、炒めてもおいしい。
 バンコクでも中国系の人が、かぼちゃの新芽を炒めるのを見かけたことがある。

 この頃は砂肝を使って料理をすることが多い。砂肝も鶏肉も1kg 190ルピー
 安いところで185ルピー、鶏肉を買うと、骨付きであるから、肉そのものの量は
 少なくなる。砂肝だと、すべてが使えるし、肉部分と骨部分を分ける手間も要らない。
 炒め物に使うのなら、砂肝の方が美味しいくらいだ。雑炊や粥を作っても、砂肝の方が、
 いいだしが出る。
 安くて美味しいものを作る私の方針には合っている。

 山椒の実と小魚の干物で作った佃煮を いつも行くバウン族の店主に持っていったら、
 おせいじなのか、美味しいと言っていた。

 異国で生活する楽しみの一つは、その国にあるものを使って料理することだ。
 味付けは、自分風に合わせるが、どう料理したら、美味しく食べることが出来るかと
 工夫すれば、脳みその訓練にはなる。

 料理に向かうことで、荒れてしまいがちな外国生活に歯止めをかけているところもある。
 心の健康、体の健康のためには 大いに役立っている。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ


ネパールの食べ物 | 12:27:59 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ ある家族
ある家族 1

ある家族 2


 バグマティ川の岸辺にある共同水場で洗濯をしている間借り住まいの人々の様子を
 眺めていると、仲のよさそうな三人家族がやって来た。
 いろいろ話していくうちにわかったことは 彼らは出稼ぎにカトマンズにやって来、
 カトマンズの建設現場で夫婦ともに働いている、そして一人娘は9年生、日本で言えば、
 中学3年生で、来年は高校卒業資格試験(SLC)の年に当たる。
 娘は父親から色の白さと母親の賢そうな控えめな風貌を受け継いだようだ。
 夫婦二人して働かなければ、カトマンズでは生活できない。

 だんなはネワール族、奥さんはマガール族という異民族同士の結婚である。
 二人の出身地は南ネパールのタライである。そこで出会い結婚したと言っている。
 ネパールでは 異民族間の結婚はまだまだ少ない。カースト、宗教の問題が絡んで
 くるからだ。
 つい20年ほど前なら、ネワール族と他の民族が結婚するということになれば、家族・
 親戚の猛反対に合い、それでも結婚すると 2度と再び家の敷居を越えることが
 出来ないということもあったようだ。
 ネワール族は昔からカトマンズ盆地に住みついている民族であるが、商いのために
 各地に散らばっていった人たちも多い。
 主だった地方のバザールにはネワール族の人たちが多く住み、商いを営んでいる姿を
 良く見かける。
 何代にもわたって地方に住み続けているうちにネワール語を話せなくなった人も多く、
 ネワール語の話せないネワール族を同じネワール族であるとは認めない傾向が
 カトマンズのネワール族には少なからずある。

 しかし、本来ネパールは異民族同士の結婚が頻繁に行われたはずである。
 カトマンズ盆地においても、キラティ王国、リッチャビ王国、マッラ王国の時代まで
 チベット、インドとの交流も盛んで、文化、勢力を広げていくために異民族間の結婚が
 頻繁に行われたはずだ。
 それが、マッラ王朝のジャスティティ王の時代にインドと同じカースト制が
 取り入れられ、身分制度は固定され、その後のゴルカ王朝もカーストによる身分制度の
 固定化を図った。

 インドのイスラム勢力に押されて、西ネパールに入り込んできたゴルカ王朝の祖先
 トックリー・チェットリ族もネパールに入ってきたときには、先住民族との結婚と
 通して、ネパールに定着しようとしたはずである。
 北方から入ってきたトックリー・チェットリ族は、北方系民族と混血し、
 ボテ・トックリー、マッラ・トックリーとなったと言われている。
 チベット貿易で名を馳せたタカリ族も トックリー・チェットリ族と北方系の
 ネパール人との混血によって生まれた民族でないかという説もある。

 異民族間の結婚、異文化の統合は 豊かな文化を作り出す。
 ネワール盆地で栄えたマッラ王朝も異文化との交流・吸収を通して、栄え、
 異文化を持つもの同士の通婚も大いに行われただろう。
 しかし、カースト制を取り入れたジャスティティ王の時代を頂点として、社会は固定し、
 流動性を失い、隆盛を誇ったマッラ王朝も衰退していくのである。
 その後のゴルカ王朝も同様にカースト制を取り、固定的な身分制度を作り上げ、
 人々から意欲を奪い取ってしまった、それが現在のネパールの発展を妨げる大きな
 原因になっている。
 こうした固定的な身分制度、カースト制度を取り除かない限り、ネパールの発展は
 ないだろう。

 この家族のように異民族間、異なったカースト間の結婚がどんどん増えていけば、
 本当の意味でのネパール人という民族、国民が生まれてくるだろう。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



カトマンズ バグマティ川の辺にて | 00:13:16 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ サリーに刺繍をする子供たち
サリーに刺繍をする子供たち 1

サリーに刺繍をする子供たち 2

サリーに刺繍をする子供たち 3

サリーに刺繍をする子供たち 4

サリーに刺繍をする子供たち 5

 
 バグマティ川にかかる黒い鉄製の吊橋をわたり、川辺のシバ寺院の石造りの神々の像を
 眺めながら、ゆっくりと歩を進めていくと、寺院の敷地を出たところに、粗末な工房が
 あった。
 何の工房かと 中を覗きこんでみると、工房の片側では、サリーにミシンを使って、
 刺繍を施している。
 工房の中央には、サリーの刺繍用の畳一畳分以上の大きさの刺繍の台が置かれ、
 子供たちが刺繍に励んでいる。
 アリ刺繍という器具を使っての刺繍である。
 この手法は、インド カシミール地方、ラジャスタン地方でよく使われる。
 古い時代にパキスタン辺りから持ち込まれた刺繍方法であり、ラジャスタンでは
 伝統的な民族靴にも使われている。
 その技術が布にも応用されたようだ。

 その工房の主人は、インド ウェストベンガル州の州都 カルカッタからやって来ている。
 子供たちの顔を見ても、インド系の顔つきである。
 カルカッタは、サリー刺繍でも有名な街である。
 刺繍のほとんどは、イスラム教徒の仕事だ。
 売るのは、ヒンズー教徒のマルワリ商人である。

 以前 カルカッタを訪れた時に、サリー刺繍を探しにブラー・バザールの中を
 歩き回ったことがある。
 ブラー・バザールは、カルカッタ最大の市場である。
 ここに来れば、ないものはないといわれているくらいの巨大市場だ。
 その中をうろつきまわりながら、やっと見つけたが、すべて化繊サリーに刺繍が施されており、
 げっそりしたことがある。
 特別な注文がない限り、シルクサリーには刺繍を施さないようだ。

 近頃では、こうしたカルカッタからやって来た親方が、カトマンズでも刺繍サリーの
 仕事を請け負うようになってきている。
 ネパール人の嗜好に合わせた刺繍サリーが作り易いこともあるのだろう。
 カトマンズ郊外の村々でもサリー刺繍に励んでいる村人を見かけることがよくある。
 ネパール人の趣味に合わせた刺繍サリーは、光物を多く使い、私の趣味ではない。

 ここで仕事をしている子供たちはかなりの熟練工のようだ。その仕事ぶりでわかる。
 アリ刺繍という単純な作業の刺繍であるが、熟練工とそうでないものの刺繍の
 出来上がりには、その仕上がりには、天と地ほどの違いがある。
 こうした集中力は、どういうわけか、イスラム教徒が優れている。
 こうした集中力のひとかけらでも、ネパール人にあればネパールの布工芸も発展する
 のだが、これに匹敵するのは、ネパール帽 トッピに使われている布ぐらいのものだ。

 巷に浮浪児のたちのあふれているカトマンズであるが、こうした仕事の訓練を施していけば、
 ネパールの新しい工芸文化の始まりにもなると思うが、ネパール人は根っからの怠け者 
 根気が続かない。
 インド工芸文化の伝統の力、根気のある精神力は、一長一短に作られたものではないのだ。
 ライ、リンブー族のような集中力のある民族もいることにはいるが、
 政府が工芸に無関心なネパールでは育ちようがない。
 バウン、チェットリ族は注文する側で、ものづくりの人間ではない。
 そんな人間たちが、このネパールを牛耳っているから、ネパールの工芸の発展はないのである。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ


カトマンズ バグマティ川の辺にて | 13:11:24 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ イミグレーション・オフィスに行ってきた
イミグレーション・オフィスに行ってきた 1

イミグレーション・オフィスに行ってきた 2

イミグレーション・オフィスに行ってきた 3

イミグレーション・オフィスに行ってきた 4

イミグレーション・オフィスに行ってきた 5


 今日は昼頃から、雷が鳴り始め、イミグレーション・オフィスに出かける頃になると
 小雨がぱらつき始めた。
 イミグレーション・オフィスの受付は3時まで、2時から2時15分の間は 係官の
 軽食時間、その後の時間を狙って、家を出る。
 2時に家を出た。(午後2時から午後6時まで停電)
 2時半過ぎにうまく到着するには 時間がある。
 いつも煙草や砂糖、牛乳を買う店で店の主人と世間話、近頃は煙草が高くなったので、
 安い煙草の味見をする。今吸っている煙草は シッカール 一箱43ルピー(約70円)
 もっと安い煙草でフィルターつきであれば、長さは短いが、ヤク(24ルピー)、ククリ(22ルピー)も
 ある。 
 緊縮財政で生活しているから、煙草の支出を抑えようかと思っている。

 そんなことで時間をつぶしながら、2時20分 イミグレーション・オフィスへと向かう。 
 家から歩いて15分の距離だ。
 傘は用意していたが、傘はささずに 小雨の中を とぼとぼと歩く。
 2時35分にイミグレーション・オフィスに着いたが、係官の何人かは軽食を
 食べている最中だった。 それでも受付はしている。
 少しは混んでいるかと思ったら、ヴィザの申請をしているのは外国人女性一人だけ、
 私のほうも申請用紙とパスポートを出すと、10分もしないうちに終了、ヴィザ代
 1945ルピー50サタンを支払い、4時の受け取りを待つだけであったが、私の前の
 外国人女性が、ヴィザがすぐにも必要らしく、支給のヴィザ発行を頼んでいた。
 私は4時まで待てばいいと思っていたら、私のヴィザも3時には受け取ることが出来た。
 何か得をした気持ちになって 嬉しくなってしまった。

 イミグレーション・オフィスから出て、一軒の店を探す。あるのかないのかは知らない。
 20年以上前にマイティ・デービーにイミグレーション・オフィスがあった頃にから、
 顔見知りの人間で、当時はイミグレーション・オフィスの近くで小さな店を開いていた
 ネワール族のプラダン・カーストの女性だ。
 イミグレーション・オフィスが引っ越すたびに 彼女の店もそれに合わせて引っ越していた。
 顔を合わせば、お互いに年を取ったことを確かめ合っていた。
 彼女が、このイミグレーションの近くに店を出したのか、あたりを探してみたが、見つけることは
 出来なかった。

 大通りに出ると、ジャカランダの紫色の花が小雨の中に浮き上がってくる。
 カトマンズの大気汚染の中でも そんなことなど ものともせず、見事に花を咲かせている
 生命力には 驚くばかりだ。

 少し歩くと、自動車用のアクセサリーを売っている店の前に紫陽花の鉢植えがある。
 薄桃色の花をつけている。
 カトマンズの雨季にはまだ早いが、今日の小雨には似合っている。
 30年以上も前に行った、北鎌倉の紫陽花寺の記憶が蘇ってきた。

 通りにあるネパールのお菓子屋さんに たくさんの種類の甘いお菓子が見せ一杯に
 並んでいる。
 何事かと尋ねてみると、「アザ アマ・コ・ムーク ヘルヌ・ディン」(お母さんの顔を見る日)と
 教えてくれる。
 今日は皆、お菓子を持って、母親の下へ行く日なのだ。

 午後6時まで停電なので、ゆっくりと家に向かう。
 行きに寄った店の椅子に腰掛けて一休みしていると、土砂降りの雨になる。
 いつも朝食用のドーナツや菓子パンを買う店は、祖母の葬儀のあと、閉じたままである。
 死の穢れが消えるまでの13日間が店を開けないようだ。
 だから、雨宿りしている店で 食パン、牛乳、卵を買い、明日からはフレンチトーストで朝食だ。
 さあ、家に帰ろう。電気が来るまでにはまだ2時間ある。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ


旅の情報 | 00:13:27 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール カトマンズのイミグレーション・オフィス
カトマンズのイミグレーション・オフィス 1

カトマンズのイミグレーション・オフィス 2

カトマンズのイミグレーション・オフィス 3

カトマンズのイミグレーション・オフィス 4

カトマンズのイミグレーション・オフィス 5


 今年 初入国の際の2ヶ月のビザが、あと何日かで切れることから、オールド・
 バスパークからマイティガールに引っ越したというイミグレーション・オフィスの
 場所を確かめるために 散歩がてらに出かけてみた。

 25年前にネパールにやってきた当時、イミグレーション・オフィスは デリー・
 バザールの先、マイティ・デイビーにあった。その頃のイミグレーション・オフィスの
 管轄は、警察だった。
 そのイミグレーション・オフィスが タメル地区に移ったときに、管轄が 警察から
 一般公務員の仕事に代わった。その頃から、イミグレーション・オフィスの係官は
 チェットリ族からバウン族の仕事へと代わっていった。

 何年かタメル地区にあったイミグレーション・オフィスは、バスも通らない不便な
 ナヤバネソールに移った。あまりに不便な場所なので旅行者の間では、不評だった。
 そして、そのあと、オールド・バスパークの近くに、そして現在の場所 マイティガールになった。
 この25年間のうちに4回 引越しをしたことになる。そのたびに外国人旅行者に
 不便を与えてきた。
 この国の観光行政の姿を象徴しているようだ。全く見通しがないのである。

 マイティガールは、家から歩いて15分のところにあり、よく来る場所なのですぐに
 見つかるだろうと思っていたが、なかなか見えにくい路地にあり、路地の手前にも
 何の表示もない。
 ネパールらしい政府の対応だ。サービス精神がかけらも感じられない。
 マイティガールの交差点の真ん中には、広場があり、ドゥンゲ・曼荼羅と呼ばれており、
 広場の中心に曼荼羅は描かれている。
 以前この場所には私が良く利用したナマステ・トラベルというカーゴオフィスがあったが、
 その建物を壊したあとに出来た広場である。

 広場のそばにある雑貨屋でイミグレーション・オフィスの場所を訊くと、親切に教えてくれた。
 反対側にあるネパール軍の兵隊さんに訊いても知らなかった。

 カトマンズから来るなら、ラットナパークのミニバス乗り場からザウラケル・ラガニケル行きの
 ミニバスに乗り、マイティガールで下りれば近い。
 ナヤバネソール行きのミニバスに乗り、同じようにマイティガールで下りればよい。
 安上がりの方法である。

 ミニバスを下りて、近くの雑貨屋などでその路地の場所を訊くと、路地の奥に
 4階建てのベージュ色の建物は見える。政府系の建物特有のレンガ造りではないが、
 路地さえわかれば、すぐに見分けがつく。
 その建物の2階が、ビザセクションだ。
 この頃では、受付時間の違いはあるが、年中無休になったようだ。

 暇つぶしにビザセクションの係官の名前を読んでいくと、ほとんどがバウン族の人たちだった。
 税務関係といい、ビザ関係といい、賄賂の横行するところにはバウン族が 
 ほとんどの場所を占めている、ちょっと異常である。
 一般旅行者は気がつかないだろうけれど。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ


カトマンズ 街の風景 | 13:04:19 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 昼食のカザ(軽食)を食べに ちょっと散歩
昼食のカザ(軽食)を食べに ちょっと散歩 1

昼食のカザ(軽食)を食べに ちょっと散歩 2

昼食のカザ(軽食)を食べに ちょっと散歩 3

昼食のカザ(軽食)を食べに ちょっと散歩 4

昼食のカザ(軽食)を食べに ちょっと散歩 5

昼食のカザ(軽食)を食べに ちょっと散歩 6

昼食のカザ(軽食)を食べに ちょっと散歩 7

昼食のカザ(軽食)を食べに ちょっと散歩 8


 昼時 家の中に食べ物の用意がないとき、散歩がてら バグマティ橋の近くまでカザ
 (軽食)を食べに出かける。
 家を出ると、近所の顔見知りは 暑い陽射しを避けて 軒下で休息(いつも休息中)を
 取っているの  で声を掛け合う。
 部屋に篭ってコンピューターと向き合っていると、ちょっとした散歩はいい気分転換になる。
 大通りに出るまでのこの道は、煙草を買う店、朝食用のドーナツを買う店、路上の果物屋と
 顔見知りが多い。
 生活はネパール人並だから、こうした人々と係わりあうことが多い。

 バグマティ橋の橋を渡っていると、汚く黒ずんだ水の中に牛たちが、佇んでいるが
 こんな汚い水は、牛たちの喉を潤すことは出来ない。こんな水を飲めば、たちまち病気になること
 疑いなしだ。(牛さん、この川の水を飲んだら、駄目ですよ。)

 橋の向こう側には、ラナ家の始祖 ジャンバハドール・ラナの建てたラーム寺院がある。
 橋を渡って、カトマンズ側に入るちょうど手前に 夏を迎えれば紫色のジャカランダの
 花の咲き乱れる高い樹木がある。
 段々と満開へと近づいている。妖艶な感じのする花だ。

 少し先に行くと タパタリの交差点、排気ガスにもめげず、婦人警官が交通整理をしている。
 カトマンズでも、車の吐きだす排気ガスのせいで、呼吸器疾患を患う交通警察官が
 増えているという話だ。
 空気の汚れはバンコク以上である。
 バンコクでも交通警察官の呼吸疾患が問題になっていたが、このカトマンズもそういう時代に
 入っている。

 この交差点の真向かいに いつも行くネワール族マハルザン(農民カースト)のカザ
 (軽食)の食堂がある。家族経営で、雇い人を置かないから、安心して食べることが
 出来る。
 料理の仕込みは母親の仕事、炒めたり、盛り付けたりするのは、父親か息子、
 よく頑張っている。
 ネパール人たちがカザを食べる時間は午後2時前後だ。その頃は人で一杯に
 なるので、その時間帯は避ける。
 今日は、水牛肉モモ、アル・コ・タルカリ(ジャガイモカレー)、ブートン(水牛の
 胃袋を炒めたもの)を食べた。しめて45ルピー(70円)だ。

 腹八分目になったところで、家に向かう。大通りから家に向かう小道に入ると、
 路上の果物屋が、半分に切ったスイカを売っている。
 ネパールではまだスイカは食べていない。
 見ると甘そうによくうれている。1個を買うのは多すぎる。
 半分ぐらいならどうにかなる。インドのオリッサ州から来たスイカだ。
 秤にかけると、2kgちょっと 45ルピーだった。
 早速家に持ち帰り、試食をしてみると甘くて 満足の味だった。
 こんな小さなことでも いい気分になれる。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



ネパールの食べ物 | 02:39:32 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール パタン‐13 ネワール族のサッキャの二つの寺院‐2
ネワール族のサッキャの二つの寺院‐2 1

ネワール族のサッキャの二つの寺院‐2 2

ネワール族のサッキャの二つの寺院‐2 3

ネワール族のサッキャの二つの寺院‐2 4

ネワール族のサッキャの二つの寺院‐2 5

ネワール族のサッキャの二つの寺院‐2 6

ネワール族のサッキャの二つの寺院‐2 7

ネワール族のサッキャの二つの寺院‐2 8

ネワール族のサッキャの二つの寺院‐2 9
 

 パタンの旧市街には ネワールの仏教徒カースト サッキャ、バジャチャーレの人たちが、
 サンカ(日本の檀家のようなもの)のメンバーになっている15のマハビハールが
 あることは、前回話した通りだが、サッキャ・カーストの人たちが多く住む地区に
 大半のメンバーがサッキャ・カーストの人たちであるマハビハール ルドゥラヴァルナ・
 マハビハールがある。
 ここでもサンカのメンバーの男であれば、一生に1度 15日間 このビハール(寺)に
 篭る必要がある。
 大体の34歳前後のときに順番が回ってくるようになっているようだ。

 このマハビハール、あの有名なゴールデン・テンプルに対抗するように存在しているようで
 あるが、寺の中に置かれている像などを見ると、仏教的な雰囲気が損なわれているように
 しか思われない。
 仏教寺院というより ヒンズー教の寺院に近い雰囲気がある。
 どこかからか寄付されたというライオンの像、フライング・ホースという山羊のような
 薄気味悪い動物の像、あの悪名高いラナ専制時代の首相の銅像、何かちぐはぐな感じなので
 ある。

 寺そのものはリッチャビの時代に建てられた古いものなのであろうが、時代の変転、
 支配者の交代にあわせ、その都度、いろいろなものを付け足していったという姿だ。
 だから、この寺の中にいても落ち着いた気分にはなれない。

 15日間、この寺に篭るためにこの寺にいる男も、着ているものは普段着だし、
 朝夕の祭儀の際には、別のものを身につけるという簡素さである。
 修業的な意味合いより、寺の警備に来ているといった様子だ。
 15あるマハビハールもサンカの運営、考え方によって、その修行の仕方もいろいろなのだろう。

 ネパールの仏教といえば、主にタマン族、シェルパ族などの民族が信仰するチベット密教、
 そしてネワール族の信仰するテラワーダ仏教の二つがある。
 チベット密教などは ラマ僧が中心になって民衆の間に信仰を広げ、民衆の間で広まって
 行ったようだ。

 しかし、古い歴史と文化を持つネワール族の中では、仏教は特権階級のものにとどまり、
 大きな広がりを見せていない。
 本来 ネワール族のサッキャ、バジャチャーレが仏教の布教に努める必要があると思うが、
 彼らのサンカという組織は、彼らだけが所属することを許し、他のカーストの人間を受け入れないと
 いう閉鎖的なものである。

 ネワール族の中にも農民カーストのマハルザン、ウダースと呼ばれている職能カースト
 (トゥラダー、シルッパカールなど)、マナンダール(菜種油の製造に従事)など多くの
 仏教徒がいるが、祭儀の時にバジャチャーレを呼ぶくらいで、彼らの中で、サッキャ、
 バジャチャーレが仏教の教えと伝える中心的な存在になってはいないようだ。
 それは1つには、サッキャ、バジャチャーレが仏教の持つ平等思想を正しく理解せず、
 ネワール族の仏教のなかに カーストのような身分制度を設け、自らを仏教徒の特権階級に
 仕立て上げてしまったからだ。
 そして、仏教思想を深めることなく、彼らの祭儀の中に仏教を押し込めてしまったことにもある。
 習慣的には、サッキャ、バジャチャーレは彼らのカーストの中だけで結婚し、
 他のカーストの人たちとは結婚しないし、家の中に低カーストの人々を受け入れることもしない。
 こうした彼らの生活態度は、仏教の布教とは無縁のものである。

 又、ネパールでは、長く修行したテラワーダ仏教の僧侶も少なく、その役割は、
 非常に狭い範囲内にとどまっている。
 何年にもわたって修行した僧侶の仏教に関する知識が生かされる機会が少ない。
 そのために正しく仏陀の教えが伝わっていく機会も少ない。

 そのために仏教徒でありながら、ヒンズー教の神も信仰するというおかしなことも起こる。
 仏陀は他の神々と同じ価値を持つ御利益のある神々という存在になり、仏陀の説いた
 教えはどこかに行ってしまう。
 そんなネパールのネワール族の仏教社会である。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



ネパール パタン | 13:30:43 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール パタン‐13 ネワール族のサッキャの二つの寺院‐1
ネワール族のサッキャの二つの寺院 1

ネワール族のサッキャの二つの寺院 2

ネワール族のサッキャの二つの寺院 3

ネワール族のサッキャの二つの寺院 4

ネワール族のサッキャの二つの寺院 5

ネワール族のサッキャの二つの寺院 6

ネワール族のサッキャの二つの寺院 7

ネワール族のサッキャの二つの寺院 8


 夏の暑さが増すカトマンズ、この頃はパタンに行くことが多くなった。
 昼過ぎに大通りまで暑いさなかを歩いていると、近所の顔見知りのネパール人が、
 「こんな暑い中、どこに行くんだ」と声をかけてくる。
 皆 何をするでもなく、暑い昼間の午後をのんびりと過ごしている。

 今までは、パタンに住んでいながら、パタンに行くにはクッポンドールの上り坂を
 登っていかなくてはならない面倒さから、行くことが少なかったのであるが、
 近頃は乗り合いテンプー、マイクロバスを利用することから、頻繁に出かけていくようになった。

 パタンは仏教徒の多い町である。
 カトマンズ、パタン、バクタプールという三つの旧王国の中では、仏教寺院、遺跡も
 最も多い。
 それは、マッラ王朝の前の王朝、リッチャビ王朝の時代には リッチャビ王国の中心が
 パタンであったせいかもしれない。主だった寺院にはリッチャビ王朝時代に建てられた
 ものも多い。

 そんなパタンの町には、ネワール族の仏教徒カーストのサッキャ、バジャチャーレの
 ためのマハビハールと呼ばれる15のビハールがある。
 パタンに住んでいるか、あるいはパタンの外に移住したサッキャ、バジャチャーレの
 人々は、この15のマハビハールのいずれかに属している。

 そのビハールの中でも有名なもの一つが ゴールデン・テンプルである。
 寺院全体に多くの金が用いられ、そのためにゴールデン・テンプルと呼ばれている。
 建物の維持のために50ルピーの入場料を取っている。

 この寺院も他のマハビハールと同じように日本の檀家制度のようなサンカという組織を
 持っており、サンカによって運営されている。
 この中で1番重要なことは、サンカに属する12歳以下の男児と12歳以上の青少年は
 順番に寺に一ヶ月篭る必要がある。
 そのために僧侶と同じように頭をそり、その間は、肉食、大蒜等は食べてはならないという
 制限もある。
 身につけている衣服も一ヶ月着替えてはならない。
 朝夕の祭儀もある。一種の修行のようなものである。
 寺の掃除、食事の用意は少年たちの家族・親戚の女性によってなされている。
 サンカには2千人以上のメンバーがおり、順番が回ってくるのは一生に1度である。
 次に修行するもののために、それぞれの決まり、生活の仕方などを伝えていくのも
 二人のうち年長者の役目である。

 この寺で修行できるのは、ネワール族のサッキャかバジャチャーレに限られ、他の
 カーストのものは仏教徒であってもサンカに入ることは出来ず、この寺での修行は
 出来ない。たとえ僧侶であっても、サンカに属していなければ、修行は出来ないと
 いう閉鎖的なものだ。

 私がこの寺に行ったときは 8歳ぐらいの子供と20歳ぐらいの青年が修行していた。
 あと1週間で修行は終わるらしく、白い衣服もすっかり薄汚れていた。
 小さい子供の方は遊び盛りで、寺に篭ることには飽き飽きしているようだった。
 私が写真を撮ると、いきなり、「1ドル」という言葉がとび出してくる。
 20歳の青年にとっては、一種の通過儀礼なのだろう。
 この二人はネワール族のバジャチャーレであったが、この寺のサンカのメンバーは
 ほとんどが、サッキャであり、この寺の周りに住む人たちもサッキャ・カーストの
 人たちである。

 バジャチャーレも古い昔はサッキャ・カーストの人たちで、サッキャ・カーストの
 中から祭儀、仏教の特別な修行をした人たちがバジャチャーレと呼ばれるように
 なったという話である。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



ネパール パタン | 01:52:51 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール パタン‐12 繁栄の証 サッキャ・カーストのビハール
繁栄するサッキャのビハール 1

繁栄するサッキャのビハール 2

繁栄するサッキャのビハール 3

繁栄するサッキャのビハール 4


 ネワール族の仏教徒 サッキャやバジャチャーレが多く住む町パタン、街の中を
 あちこちと彷徨していると、突然カラフルな仏教寺院らしきものに出くわした。
 二匹の狛犬とも獅子ともつかない石像が門のまえに仰々しく鎮座している。
 門は閉じられているが、中庭では子供たちが遊び呆けている。
 「鍵がかかっているの」と子供たちに尋ねると、すぐに開けてくれる。

 寺院ではなく個人の敷地だったようだ。
 ビハールといわれている寺院のような建物もこの敷地の中に住む一族のもので、
 一族の繁栄を願って建てられたものらしい。
 たまたま二階の窓から顔を出していた女性に尋ねると、古くなっていた建物を
 彼女の父親の代に新たに建て直したものらしい。
 日本での仏壇の役割をしているようだが、その大きさは 日本に比べれば、格段に
 大きい。チベット貿易、金の取引などに従事していたサッキャ・カーストの財力の
 豊かさが感じ取れる。

 ネワール族 サッキャ・カーストの人たちは、千五百年以上にわたって、カトマンズ
 盆地に住み続けている人たちである。
 ネパールのリッチャビの時代まで溯ることが 出来るらしい。
 同じ仏教徒であるバジャチャーレと呼ばれている仏教の司祭カーストも、サッキャ・
 
 カーストの中から生まれたといわれている。
 彼らの信じる仏教は、古い時代にインドから伝わったテラワーダ仏教だ。
 インド、スリランカ、ビルマ、タイ、ラオス、カンボジアと同じ系列のものだ。
 しかし、東南アジアの国々のように僧侶の存在はあまり重要ではないというのは
 ちょっと変っている。
 様々な仏教行事に僧侶を呼ぶことはないようだ。
 彼らにとって重要な寺院はゴールデン寺院とマハボーダ寺院で、パタンのサッキャ
 ・カーストの男たちは持ち回りで順番に2週間から1ヶ月にかけて寺にこもる必要が
 ある。
 その間 肉食は禁止されおり、ゴールデン寺院では12歳以上の男児も父親と
 一緒にこもる必要がある。
 その間子供たちは、着替えを禁止されている。
 私がゴールデン寺院で見かけた修行中の子供の服は薄汚れていた。
 パタンでは名の知れているこの寺院には僧侶はおらず、サッキャ・カーストと
 バジャチャーレ・カーストの人たちだけで運営されている。
 この近くにテラワーダ仏教の修行場グンバがあったが、表にいた修行僧に訊くと、
 彼は農民カーストのマハルザンでテラワーダ仏教を修行中だと言っていた。
 しかし、僧侶になっても、彼が仏教の教えを実践する寺はない。
 時々地域のビハールに呼ばれて、仏教の教えについて話すぐらいである。

 寺や僧侶に喜捨することで徳を積む東南アジアの仏教とは大きな違いがある。
 カトマンズでは、バジャチャーレという仏教の司祭カーストが、他のマハルザン、
 ウダースというタムラカールなどの仏教徒の祭儀を司る。
 そのため 僧侶の出番はあまりない。
 又、ネパールの国教がヒンズー教であったことから、東南アジアの国々ほど時の支配者 
 の保護をそれほど受けなかったために 個人的なビハールが発達したのかも知れない。

 それにしてもこの家のビハールの派手さには 畏敬の念よりもユーモラスなものを
 感じてしまった。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



ネパール パタン | 12:27:57 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール パタン‐11 パタンのシルッパカール(木彫り職人)
パタンのシルッパカール(木彫り職人) 1

パタンのシルッパカール(木彫り職人) 2

パタンのシルッパカール(木彫り職人) 3

パタンのシルッパカール(木彫り職人) 4

パタンのシルッパカール(木彫り職人) 5

パタンのシルッパカール(木彫り職人) 6


 パタンの王宮近くのモンゴル・バザールも細い通りに入ると、そこには
 タムラカールと呼ばれる(銅・真鍮細工職人)の店が並んでいる。
 大小様々、器の形もいろいろと、金色の真鍮の色、銅の赤色が入り乱れて、
 美しい光景を描き出している。

 その通りを奥に向かうと 木彫り細工に精を出している職人たちがいる。
 シルッパカールを呼ばれている木彫り職人だ。彼らは仏教徒である。
 近頃では、木彫りの仕事といえば、カトマンズ郊外のブンガマティが主な生産地に
 なっているが、パタンでも細々とこの仕事を受け継いでいるようだ。
 ブンガマティでは木彫りの仕事をしている人たちは、同じネワール族のサッキャ、
 バジャチャーレ、トゥラダー、マリ、そしてマハルザンと大半の人たちが、
 木工芸に励んでいる。木彫りの里といっていいくらいだ。

 パタンの彼らが作っているのは、玄関のドアの細工である。
 パタンの中にある木彫りの店の品物といえば、ほとんどがブンガマティの村で
 作られたものが売られている。
 ドアという特注の品物だけを作っているのだろう。

 彼らの店の対面に 小さな入り口があり、その入り口を潜ると、中庭になっており、
 その中庭の一角でも、とんとんとのみを打つ音がする。
 この中庭の周りにパタンのシルッパカールたちの昔からの居住区だ。
 パタンのタムラカールの数に比べると、極めて少ないようである。
 昔から木彫りといえばバクタプール、それが今はブンガティにその地位を奪われて
 いる。

 ひっそりとした中庭の中でこの中庭の住人たちの打つのみの音は、心地よい。
 建物を見上げれば、彼らの先祖たちの仕事の証のように、美しい窓がある。
 余程の財力でもなければ、家に精緻な彫刻の施されたドアや窓を取り付けることなど、
 難しい世の中になってきた。
 職人である彼らが子孫に美しいドアや窓を残すことなど出来ないだろう。
 仕事の合間に 自分の家のドアや窓のために時間を費やすなどというのんびりした
 時間など作り出すことも難しい世知辛いカトマンズである。

 郊外に作られつつある新興住宅は ヨーロッパスタイルで、お金のかかるこうした
 工芸の世界は生かされていない。
 余程の大金持ちでなければ、手に届かない世界になってしまった。
 生きることに汲々としているカトマンズでは、人々は昔からの美しい工芸に目を向ける
 余裕すらなくなっている。それは日本も同じである。
 アジアの他の国々も同様の姿である。
 世界はどんどん均一的な姿になっていく、寂しいことだ。
 カトマンズでは、今、多くの建物が建て替えの時期に来ている。
 今ある古い街並みもあと10年、20年もすれば、なくなってしまうだろう。
 そのとき、美しいドア、窓は残っていないだろう。
 今のうちにしっかり見ておこう。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ


ネパール パタン | 00:53:09 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール パタン‐10 心惹かれたビハール(仏教徒の寄合い所)
心惹かれるビハール 1

心惹かれるビハール 2

心惹かれるビハール 3

心惹かれるビハール 4

心惹かれるビハール 5


 パタンの旧市街地を歩いていると、心惹かれるような建物に出会うことがある。
 この建物もそんな建物だった。仏教寺院という大げさなものではなく、近隣の
 仏教徒たちが、仏教的な行事を催す建物だ。
 レンガの古ぼけた色合いに惹かれたといっても良い。
 入り口の木の彫刻もシンプルで仰々しくはないところがいい。
 入り口をくぐって中庭に入り込んでみても、人影はない。
 石造りの仏塔が静かに佇み、その存在感を示している。
 正面には仏陀の像を納めたレンガ造りのビハールがある。
 建物の横にプラスティックの容器が置かれ見苦しいが、我慢することにしよう。

 ビハールという建物は宗教行事以外には使われないから、行事のないときには
 ひっそりしている。この静けさがいい。
 街の喧騒に疲れたときには、こんな場所に座り込んで身も心も休めるのも
 良いかもしれない。

 カトマンズ、パタン、バクタプールとカトマンズ盆地の中には、こうした仏教に係わる
 建物が多い。それらは、一族のものであったり、地域のものであったりする。
 お金を儲け、余分なものが生まれれば、こうした建物を建てる姿は、利害関係とは
 無縁の姿である。
 現在の金儲けの亡者が、お金のためだけに金儲けをしている姿は、いかにも浅ましい。
 お金を精神的な文化のために使うなど、日本の大企業の中にはない。
 発展、発展、企業の発展を謳い文句に、従業員を奴隷の如く使い、人間らしい生活など
 考えてもいない。

 戦後 追い抜け、追い越せと、皆して 号令を掛け合ってきたが、今の日本の姿を
 見れば、それが、幸福とは結びついていないことが良くわかるはずだ。
 人を大切にしない社会は、若者を無気力にし、短絡的な凶悪犯罪へと向かわせる。
 団塊の世代を出発点にした戦後社会のその結果が日本の今の姿である。
 無批判、無関心、思慮のなさ、従順さが こうした社会を作り出したことに
 誰も気がつこうとはしない。
 自分は関係ないと思っているのである。
 だから、責任逃れに 日本を離れ、海外ロングステイなどと夢見るのである。
 こんな味気ない社会を残された若者たちは不幸である。

 どう考えても昔の人のほうが賢かったようだ。
 百年、二百年以上前の地域、一族の精神的支えになるものが、通りのあちこちに
 存在している社会、何か行事でもあれば、顔を揃え、協力し合う。
 形ばかりのコミュニティホールなど造っても、生き生きした共同体など
 再生出来るはずもない。中味がないのである。
 形ばかりを追いかけるのは、日本人の弱点であり、欠点である。
 教育然り、地域共同体然り、だから、荒廃した心は どんどん考えられないような
 犯罪を作り出していく。
 人と人との心の絆が希薄になれば、犯罪を押しとどめる力は失われるのである。
 親子、兄弟、親戚、近隣 すべてがその力を失いつつある日本だ。

 そんな日本をもう一度見直すには、ネパールの社会、地域、人間関係は、1つの
 手がかりになるのではと思う。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



ネパール パタン | 12:44:13 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール パタン‐09 休日のドゥンゲ・ダーラ(共同水場)
休日のドゥンゲ・ダーラ 2

休日のドゥンゲ・ダーラ 3

休日のドゥンゲ・ダーラ 4

休日のドゥンゲ・ダーラ 5

休日のドゥンゲ・ダーラ 6

休日のドゥンゲ・ダーラ 1


 カトマンズ同様、パタンにも数多くのドゥンゲ・ダーラ(共同水場)がある。
 ドゥンゲというのは石造り、ダーラというのは蛇口と云う意味だ。
 ネワール族のマッラ王朝時代、今から、4,500年前に造られたものだ。
 日本が井戸水に頼っていた時代にこれだけの公共施設が造られていたのである。
 当時のネワール族の土木技術が如何に優れていたかがうかがえる。

 一日7時間半の計画停電の時間帯と週2回の2時間の水の供給の時間が重なれば、
 水を引き込むモーターを使うことが出来ず、水の供給は、週1回 2時間というのが
 現状だ。
 そんな中で、今でも力を発揮しているのが、このドゥンゲ・ダーラである。
 ここのドゥンゲ・ダーラの水の出の勢いは凄い。24時間水がやって来ている。
 人々は次々に水を汲んでは去っていく。
 子供たちに水浴びをさせている女たちもいる。
 皆貸間住まいで、部屋には水道の施設などない。一部屋を借り、家族3,4人で
 生活している地方からの出稼ぎの人たちだ。

 私が、初めてネパールにやって来た頃は、停電もなかったし、水は毎日朝晩の
 決められた時間にはやってきていた。
 25年という月日の流れの中で、カトマンズの人口は、5倍近くに膨れ上がり、
 怠惰な政府のために、電気、水の供給のための開発は一向に進まず、最悪の状況を
 迎えることになったのである。

 それでも ネワール族の造ったドゥンゲ・ダーラがあるお陰で、多くの市民が
 今なおその恩恵を受けている。
 良き治世は、400年たった今も生き続けているのである。

 マッラ王朝時代以降の権力者たちは、民衆を愚民と決めつけ、教育の機会を与えず、
 公共施設の完備などにはお金を掛けず、自らの宮殿作り、富の蓄財のみに精を
 出していたのだ。
 選挙結果が出揃い、制憲議会が開かれ、王制が廃止になれば、ここ250年にわたって
 君臨してきた王制の正しい評価がされていくだろう。
 それを知らないのは、250年間 のんびりと胡坐をかいてきた王族たちと
 それに群がる連中だけである。

 その間、人々は貧しいながらも生き続け、自らの生活をひたすら護り続けてきた。
 ドゥンゲ・ダーラにやって来るのもそのひとつの姿だ。
 親が忙しければ、子供たちが水を汲みに来る。
 家族が互いに支えあって生きているのである。
 こんな姿は、もう日本ではみられない。家族が皆好き勝手に生きているのが日本だ。
 カトマンズの金持ちたちの家族にも 日本と同じ様な現象が生まれてきている。
 自分たちさえ良ければ、それでいいと大人のすがたは、子供にも影響を与える。
 若者たちの凶悪犯罪が増える日本、日本の家族は何を失ってしまったのだろう。
 貧しいネパール庶民、それでも互いに支えあっている美しい姿がこのドゥンゲ・ダーラ
 共同水場にも感じられる。
 そんな人々にすぐ隣のヒンズー寺院は祝福を与えている。



  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ

ネパール パタン | 00:16:43 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール パタン‐08 陶芸職人 アワレの住む集落
陶芸職人 アワレの住む集落 1

陶芸職人 アワレの住む集落 2

陶芸職人 アワレの住む集落 3

陶芸職人 アワレの住む集落 4

陶芸職人 アワレの住む集落 5

陶芸職人 アワレの住む集落 6

陶芸職人 アワレの住む集落 7

陶芸職人 アワレの住む集落 8

陶芸職人 アワレの住む集落 9


 カトマンズ盆地の中にある旧王都パタン、この町の旧市街は、街の要素と村の要素が
 渾然と混じりあっている不思議な場所である。
 カーストによって地域ごとに住む場所が細かく分けられた町並み、昔ながらの古い様式の建物、
 生活の形や人々の服装も 昔風、今風とさまざまだ。

 パタンの旧王宮から少し離れた地域に ネワール族の素焼きの陶芸職人カースト 
 アワレと呼ばれている人たちの住んでいる集落がある。
 バクタプールでは、アワレといえば、左官の仕事をし、陶芸の仕事はプラジャパティと
 呼ばれる人たちの仕事だ。
 カーストの位置からすれば、農民カースト マハルザンの下に属する。
 農業にも従事することから、マハルザンの住んでいる集落に接している。

 近頃は、素焼きの陶芸の仕事は、バクタプールとその近くにあるチミという街が
 中心的な産地となり、パタンではあまり盛んではない。
 むしろ、マハルザンと同じように左官や大工の仕事に精出すことが多くなっている。

 カーストの低い人たちの住む場所に行くと、やたらにお金をくれとねだる人たちに
 出会う。
 特に中年以上の教育を受けていない女たちにその傾向が強い。
 カーストが低いということで、絶えず下に見られ、プライドを失わされている結果の
 ようにも思われる。
 駄目もと主義を盛んに発揮する人たちでもある。
 自分たちの生活を少しでも努力して向上させようとするのではなく、時代の流れに
 身を任せ、良ければよい、悪ければ仕方がないという諦めの姿勢だ。
 この集落の中を歩いていると そんな風にも思えた。
 中年以上の男も女も昔ながらの習慣を維持しているようにも見えるが、それは、時代の
 流れに乗っていけない適応力のなさのようにも感じられる。

 人間としてのプライドを失ってしまえば、人間としての正当な権利にも気がつかず、
 要求することすら忘れてしまう。

 バクタプールの素焼きの陶芸職人のプラジャパティの集落では、集落全体で 生活を
 向上させようという姿が見られたが、ここでは、人々はただただ座り込んでいたり、
 おしゃべりをしているだけだった。

 この集落から表通りに出たところに、素焼きの土産物を売る店があったが、店の中で
 昼寝をしているだけで、商いに打ち込んでいるとは到底思えない。

 ネワール社会をいうのは 各地域によって 大きな違いがある。
 まとまりのある地域、雑然としている地域、その地域のリーダーによって、違いを
 見せるのだろう。
 本来の仕事を失うことは、仕事に対するプライドを失うことであり、ただのカーストの
 低い人間となってしまう。
 これだけは 他の人には負けないという気位は プライドを生み、向上心を育てる
 だろう。
 それを失ったのがこの集落の停滞の結果だろう。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



ネパール パタン | 13:05:48 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール パタン‐07 壊れかかった家
壊れかかった家 1

壊れかかった家 2

壊れかかった家 3

壊れかかった家 4

壊れかかった家 5

壊れかかった家 6


 パタンの旧市街をどんどん歩き続けていくと、農民カースト マハルザンたちの
 住む地域に入り込んだ。
 レンガと泥の壊れかかった古い民家に目にした。
 その民家の写真を撮っていると、
  ― どうして壊れかかった家の写真を撮るんだよー
 と声がする。
 後ろを振り向いてみると、四人のマハルザンの女たちが私のほうを見ている。
 いかにもたくましそうな女たちである。
  ― 古い家が好きなんだよー
 と答えると笑っている。
 どうもこの中の一人の女の家らしいので
  ― あなたの家か
 と訊くと 
  ― そうだ と云う

 どうも建て替えの最中らしく、今ある壊れかけた家を壊して新しい家を建てるらしい。
 75年前の大地震のときに建て替えた建物は老朽化しており、その時期のものは、
 建て替えの時期に入っている。
 中には建て替えるお金がなく、そこには住まず、出稼ぎの地方からの人たちに 
 貸間をして貸し出している建物も多く見られる。

 ネワール族の農民カースト マハルザンの場合、ネワール族の他のカーストの者より
 建て替えが容易である。
 というのは マハルザンの場合、男は 左官や大工を職業にしている場合が多く、
 家の建て替えのときは 親戚一同が協力し合って家を建てるからだ。
 必要なのは、建築材料と食事の用意ぐらいのものだ。
 一族総出の協力体制が、ネワール族の世界にはしっかりと残っている。
 人での必要な時には、20,30人の人間などすぐに集まる。
 細かい仕事は、自分の仕事を終えた大工、左官の男たちが夕方からやって来て、
 家造りを手伝う。
 まずは 1階部分を仕上げ、お金が貯まると 2階部分、3階部分と建て増していく。
 お金のある連中は一挙に3階、4階建ての家を建てあげる。
 マハルザンの中でも土地持ちであれば、土地のいくらかを売って、そのお金で新しく
 家を建てることも多い。
 建築材料、大工、左官の手間賃などの高騰から、一般庶民が家を建てるのは 簡単な
 ことではない。
 カトマンズの外からやって来た人たちであれば、土地を買い、家を建てる費用の
 ことを考えれば、夢のまた夢である。
 それが可能なのは、賄賂が容易に手に入る政治家と官僚だけである。

 そうした世界とは無縁なネワール族のマハルザンの家造りである。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



ネパール パタン | 00:20:11 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール パタン‐06 路地裏の小さなビハール(宗教施設)
ネパール パタン‐06 路地裏の小さな仏教寺院 1

ネパール パタン‐06 路地裏の小さな仏教寺院 2

ネパール パタン‐06 路地裏の小さな仏教寺院 3

ネパール パタン‐06 路地裏の小さな仏教寺院 4

ネパール パタン‐06 路地裏の小さな仏教寺院 5

ネパール パタン‐06 路地裏の小さな仏教寺院 6

ネパール パタン‐06 路地裏の小さな仏教寺院 7

ネパール パタン‐06 路地裏の小さな仏教寺院 8

ネパール パタン‐06 路地裏の小さな仏教寺院 9


 カトマンズ盆地の中の三つの王国の一つ パタンには 多くの仏教徒が住む。
 その代表的な人々が、仏教徒の祭事を行うバジャチャーレと仏教徒の高カースト
 サッキャである。
 パタンでは 彼らは 金・銀細工、仏像の鋳造などの仕事を行う。
 カトマンズ、バクタプールに比べると、その数ははるかに多い。

 パタンの街の中を歩いていると、大小様々の仏教寺院を見かけることも多いし、
 大きな広場にはそれに見合う仏教寺院が、そして 小さな中庭に石造りの仏陀の像が
 置かれていたりする。
 広場や中庭を囲むように 人々の住居が建ち並ぶ。
 サッキャの人々は彼らの広場、中庭を中心にして住み、バジャチャーレの人々も同様で
 あるが、彼らは一緒の広場、中庭と中心とした集落に一緒に住むことはない。

 ネワール族の生活を知ろうとすれば、表通りだけを眺めていたのではわからない。
 表通りに面した建物に小さなトンネルのような入り口があり、その入り口から中に
 入っていくと、中庭に出る。
 中庭の中央には石造りの仏陀の像を彫りこんだ燈籠のようなものが置かれており、
 その正面にビハールと呼ばれる建物がある。
 そして、そのビハールをはさむように仏教徒 サッキャの人々の家が建ち並んでいる。
 この中庭に住む人々はすべて親戚であり、血のつながりを持つ人々だ。
 1つの家系から何世代にもわたって増え続けてきた一族の集落である。
 家族は増え、収容できなくなると二階、三階、四階と建て増し、それでも足りなくなると、
 新たに家を建てることが繰り返されてきた結果だ。
 土地がある限り、その中庭の後ろ、横にも同じように中庭を造り、家を建てる。
 それが、小さなトンネルのような通路で結ばれている。

 このような集落の中心になるのが、仏陀の像を納めているビハールという建物だ。
 グッティといわれる一族の行事はビハールを前にした中庭で行われたり、ビハールの
 二階部分が使われたりする。
 我々日本人の仏壇、仏間のようなものであるが、古い時代のネワール族の仏教徒たちは
 一族の繁栄のためにビハールを建て、得を積んだようだ。
 規模の大きさからすれば、日本など到底かなわない。
 寺は王が建てるものだが、ビハールは一般民衆が自分の敷地内に建てるものだ。

 ネパールの仏教は、インド、スリランカ、タイ、カンボジア、ビルマ、ラオスなどと
 同じテラワーダ仏教である。得を積むことによって、より良い来世が期待できる。
 古い時代のネワールの仏教徒たちは、競うように一族の集落の中にビハールを
 建てていったのだろう。
 富める者は富める者なりに 貧しい者は貧しい者なりに 一族のビハールを
 建てていったのだろう。
 タイなどとは異なり、寺や僧侶に喜捨するということは、あまりなかったようだ。
 サッキャやバジャチャーレの住んでいる集落には必ず、ビハールがあり、
 マッラ王朝時代には ネワール族が如何に豊かであったかを物語っている。
 ネワール族にとっては マッラ王朝時代は古き良き時代なのである。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**


ネパール パタン | 13:45:08 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール パタン‐05 仏陀の教えを伝える寄り合い所
仏陀の教えを伝える寄り合い所 1

仏陀の教えを伝える寄り合い所 2

仏陀の教えを伝える寄り合い所 3

仏陀の教えを伝える寄り合い所 4

仏陀の教えを伝える寄り合い所 5

仏陀の教えを伝える寄り合い所 6

仏陀の教えを伝える寄り合い所 7

仏陀の教えを伝える寄り合い所 8


 パタンの旧王宮近くに 時を経た木造の寺院がある。
 古めかしい雰囲気の漂う寺院だが、訪れる人はほとんどいない。
 門をくぐって入り込んでみると、三人のネワール族の女たちが世間話をしている。
 一人は年老いた女性、二人は30世前後の女性だ。
 年老いた女性は 仏教徒カーストのサッキャで彼女の家族がこの寺を管理している
 ようだ。
 この寺の名前は スリーラーズ・スリーマハ・ビハールであるが、所謂 寺とは違う
 ようだ。寺らしい仰々しさは少しも感じられない。
 仏陀の像は安置されているようだが、寺というより仏教徒に仏陀の教えを伝える場所
 らしい。一階、二階には中庭を囲むように回廊のようになっており、その場所が
 小部屋のようになっている。
 どこか学校のような構造にもなっている。
 仏陀の教えを学ぶ場所、そんな感じがする。昔はこの場所に仏僧を呼び、仏僧から
 人々が 仏陀の教えを学んでいたのではないだろうか。
 サッキャの管理するこのようなビハールにはすべてそんな雰囲気がある。

 ビハールとは、そんな場所で、御参りをする寺院とは違う。
 様々な仏教行事の際に 地域の住民が集まる場所でもあるようだ。
 だから、仏教徒の住む中庭、広場には必ず、ビハールと呼ばれる建物がある。
 そして、一階に仏陀の像を納め、二階が寄り合い所になっている。
 仏教行事があるたびに人々はビハールに集まり、行事の相談、行事のあとの会食などを
 行うようだ。
 それを通して、地域の仏教徒同士のつながりも深めていったようである。

 しかし、このビハールは ヒンズー教徒の金物職人カースト タムラカールの居住区の
 中心にあることから、今はあまり使われてはいないようだ。
 昔は タムラカールも仏教徒であったらしいが、時の権力者の信仰する宗教に合わせて、
 仏教からヒンズー教へと改宗したようである。

 このビハールは、1時期小学校として使われていたようだが、その後、荒れていた建物 
 を改装し、現在の姿になったようだ。
 ネワール族の仏教徒 サッキャの管理する他のこうしたビハールはかなり痛みが
 激しいが ここだけは昔ながらの姿を保っている。
 しかし、このビハールには人々の信仰の名残りはあっても、生き生きした信仰の姿は
 ない。

 寺にいた三人のネワール族の女性の写真を撮り、三人に撮った写真を見せると、
 年老いた女性の前歯のない口元が映り、他の二人にそのことをからかわれている。
 もう一枚、彼女の写真を撮ると、今度はしっかりと口を閉じていた。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



ネパール パタン | 00:57:12 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール パタン‐04 金物横丁
パタン‐04 金物横丁 1

パタン‐04 金物横丁 2

パタン‐04 金物横丁 3

パタン‐04 金物横丁 4 

パタン‐04 金物横丁 5

パタン‐04 金物横丁 6

パタン‐04 金物横丁 7


 パタンの旧王宮のすぐそばには モンゴル・バザールと呼ばれている通りがある。
 パタンのメイン・バザールである。
 カトマンズであれば アッサン・バザールのようなものだ。
 その中の路地に タムラカールと呼ばれる金物職人カーストの人たちが
 手造りの金物を売る通りがある。
 タムラカールと呼ばれる金物職人カーストであるが、パタンのタムラカールは
 ヒンズー教徒、カトマンズのタムラカールは仏教徒である。
 一体どうしたわけで パタンのタムラカールは ヒンズー教徒に改宗したのか、
 興味が湧いてくるが、当人たちに訊いても 昔からそうなっているというばかりで
 わからないようだ。
 このあたり一帯は、様々の金物であふれている。日用品、祭儀に使うもの、外国人
 旅行者の喜びそうなものと多種多用だ。
 銅製品、真鍮製品を古くから造っている地域であり、金物を叩く音を手がかりに
 小さな中庭に入ってみると、職人たちの作業場がある。
 しかし、近頃では、タムラカールもこうした銅製品を作らない。
 仕事をするのが カミと呼ばれるヒンズーカーストの銅、鉄の器を作る職人カーストの人たちだ
 こうした銅製品、真鍮製品は パタンが中心的な生産地である。
 タムラカールは、店の主になってしまっている。
 カトマンズの銅、真鍮製品の店の主は ほとんどがバウン族になっている。
 バジャチャーレと呼ばれる仏教徒の祭儀を執り行うカーストの人たちと、仏像なども
 鋳造する。
 銅製品、真鍮製品はネパール人にとっては、なくてはならないものだし、インドでも
 同じであり、宗教的な祭儀には欠かせないものだ。
 私が日本での生活の中で、記憶に残っている真鍮製品といえば、仏壇の中の
 朝晩 ご飯を入れて備えていた小さな器である。
 それと、私の小学校時代の集団給食のアルミの器類だ。
 それ以外に工業製品を除けば、記憶にはない。
 インドあたりでも聖なる河 ガンガ(ガンジス河)の水を入れる水差しも真鍮製だ。
 インド、ネパールでも 素焼きの焼き物を除けば、陶磁器は一般的ではない。
 最近は中流以上の家庭では、陶磁器を使うようにはなってきているが、一般庶民は
 相変わらず、金属製品に頼っている。
 何よりも壊れず、長持ちをするというのが、一番の理由だろう。
 日本人のように季節による色とりどりの色彩を楽しんで食事をするという習慣は
 ネパールやインドにはない。
 だから、器の色にはこだわらない。

 それでも店先に並んでいる金物製品を眺めていると、きらきらと輝く品々は
 異国風で魅力を感じてしまうが、飽きてしまうのも早いだろう。

 食生活の中での金物文化と陶磁器文化、インド文化と中国文化の影響力の大きさの
 違いによって 生まれたものだろう。
 ネパールでは 目で楽しみながら食べるというより、手の触感、混ぜ合わせを楽しみ
 ながら 食べる文化だ。インドもそうである。
 汁物以外のものであれば、1枚の大きな皿があれば、事足りる。
 料理の色も香辛料の黄色を基調としたものだ。
 だからあまり容器にこだわらないのかもしれない。
 ステンレスの色か、真鍮の色かの選択のみだ。
 そんなことを思いながら、この横丁を歩いていた。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



ネパール パタン | 12:39:23 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール パタン‐03 ヒンズー教寺院の周りで
ヒンズー教寺院の周りで 1

ヒンズー教寺院の周りで 2

ヒンズー教寺院の周りで 3

ヒンズー教寺院の周りで 4

ヒンズー教寺院の周りで 5

ヒンズー教寺院の周りで 6

ヒンズー教寺院の周りで 7

ヒンズー教寺院の周りで 8


 パタンの旧市街地の中を歩き回っていると、木々の茂っている場所が目についた。
 あんなところに何で、高い木々が建ち並んでいるのかと気になり、細い路地の中に
 入り込んでみる。
 両側をレンガの塀に挟まれている路地の向こうに 一本の木の幹が道をふさいでいる。
 人がかがんでやっと通れる高さだ。その幹の向こうにはオートバイが置かれている。
 オートバイの通り抜けは出来ない。
 その幹をくぐって、向こう側の通りに出ると、古めかしいヒンズー教寺院があった。
 木々はヒンズー教寺院の庭から外へと伸びてきたものだ。
 木々は 神々の化身と考えられ、切り落とすことが出来ないのだろう。

 寺院の中に入ると 子供たちがカード遊びをしている。
 プロレスラーの写真の印刷されているカードを使い、カードの強さでカードの
 とりっこをする遊びらしい。
 私にはどのカードが強いのかわからないが、子供の間では、きまりがあるらしい。
 この頃、カトマンズのどこでも見かける遊びだ。
 人気ない寺院の一隅は、子供たちの格好の遊び場だ。
 大人に干渉されることはない。
 何でもかんでも管理される日本の子供社会とは違う。

 寺院を出て、やって来た路地を戻ろうとすると パタンの農民カースト 
 マハルザンの男たち二人、一人は老人、一人は中年の男、中年の男は担いでいた荷を 
 通せんぼをしている木の前でいったん下ろし、担ぎなおしている。
 昔ながらの風景だ。まるで20年も昔に戻ったような気がしてくる。
 身につけている服装も 昔ながらの農民の格好だ。
 どうも親子か、親戚のようだ。精米した米を家へと運んでいるようである。
 荷を担いでいる男を追いかけるように 老人は通り過ぎていった。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



ネパール パタン | 00:38:27 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール パタン‐02 パタンで出会ったマハルザン
パタンで出会ったマハルザン 1

パタンで出会ったマハルザン 2

パタンで出会ったマハルザン 3

パタンで出会ったマハルザン 4

パタンで出会ったマハルザン 5

パタンで出会ったマハルザン 6

パタンで出会ったマハルザン 7

パタンで出会ったマハルザン 8

パタンで出会ったマハルザン 9


 人々の生活する場所に入り込んでいくと、やはり、異質な人間として見られてしまう。
 特に、路次の奥の広場の中に入っていくと、見慣れない人間が入ってきたと、
 警戒されることもたびたびだ。
 こちらは、好奇心から彼らの生活場所に入っていくのだから、当然といえば当然の
 ことである。
 そういう時には出来るだけ自分が日本人であることを明かす必要がある。
 ネパールでは、日本人に対する印象は良く、日本人であることを話すと、
 安心してもらえる。
 私のように、日にやけて少し浅黒くなっていると、見た目だけでは、外国人のようには
 見られず、ネパール人のように思われてしまう。
 ネワール族の人たちも普段使う言葉は、ネワール語だから、それほどネパール語は
 流暢ではない。大体、私といいとこ勝負である。だから、グルン族がやってきたのか、
 ライ・リンブー族がやってきたのか、彼らも半信半疑だ。

 パタンの旧市街に昔から住んでいる人たちはネワール族の人たちだ。
 彼らは64の職業カーストを持っており、それを、ヒンズー教の4つのカーストに
 当てはめていったようだ。
 インドのように厳しいものではなく、緩やかな感じはする。
 マハルザンと呼ばれる農民カーストは、ネワール語で、ジャプーとも呼ばれ、
 きつい肉体労働にも耐えられる人と云う意味だそうだ。
 ネワール族の中でマハルザンは7,80パーセントを占めているのだから、出会うことが多い。
 同じマハルザンの人々でも住む地域によって、性格が随分違う。
 最初に入り込んだマハルザンの人たちの広場は、こじんまりとしていて、広場も良く
 清掃されており、広場に置かれている宗教的な場所も、大切にされているのがわかる。
 こうした場所に住む人たちは、節度があって、礼儀もわきまえている。
 何かにつけて、行事の多いネワール族、ともに協力し合って、生活しているために、
 濃厚な人間関係を持ち、良くも悪くも、隣近所の影響力は強い。

 別の広場に行ってみると、雑然としていて、住んでいる人々も、なんとなく、しまりがない。
 遠くに座っていたマハルザンの男性が近づいてきて、
 「この子達が甘いものをほしがっているから、10ルピーあげてくれ。」
 近くに12,3歳の子供たちがいた。
 いろいろ話を聞いていると、農地もそこそこにあり、貧しくはない。
 カトマンズの郊外に行っても、村によって、こういう風に言ってくる村がある。
 そういう村は、なんとなく雑然としており、気持ちよく会話を交わせない場合が多い。
 不思議なものである。
 地域ぐるみの習慣、教え、プライドが地域ごとに違うのである。
 生活場所の人間関係の影響力は、ネパールでは未だに強いのである。

 日本では、地域ぐるみという活動が力を持たなくなってきているが、
 ネワール族の社会では未だに大きな力を持っている。
 いわゆる地域の持つ教育力である。
 数あるネパールの民族の中では、人間同士の気綱は、1番強固な民族である。
 そのために逆に、他の民族に対して、排他的になっているのが大きな欠点だ。
 しかし、私にとっては、彼らの歴史、文化、人間関係には興味を持っている。
 一筋縄ではいかない民族であるが、その複雑さが、パズルのようで面白い。

 一人のマハルザンの老人が、一輪の花を耳元に飾ろうとしていた。
 日本の老人では考えられない仕草である。生きているなという実感がある。
 諦めていないなと云う強さを感じる。
 そういうこと一つ一つに、興味を惹かれてしまう。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



ネパール パタン | 12:43:20 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール パタン‐01 パタンへ散歩
パタンへ散歩 1

パタンへ散歩 2

パタンへ散歩 3

パタンへ散歩 4

パタンへ散歩 5

パタンへ散歩 6

パタンへ散歩 7

パタンへ散歩 8

パタンへ散歩 9

パタンへ散歩 10


 今日は朝から停電、午前10時から午後2時まで、そして夜には、午後8時から
 真夜中の12時まで、家の中に居ても仕方がないので、散歩に出かけることにした。
 腹ごしらえに えんどう豆とちりめんじゃこ、そして青葱を入れてチャーハンを作り、
 昨夜のおかずの残り、わらびの卵とじと一緒に食べる。

 家から歩いて、パタンに向かう幹線道路に出て、パタン・ドカ(パタン門)行きか、
 モンゴルバザール行きの乗り合いテンプーかバスを待つ。
 しばらく待つ間、バス停にいたグルン族の女性と話す。
 昔はポカラ近くのラムジュンに住んでいたが、今はチトワンに住んでいるという。
 親戚を訪ねて、カトマンズにやってきたようだ。

 パタン・ドカ行きのバスがやって来たので、バスに乗り込む。
 運賃はクポンドールから終点のパタン・ドカまで7ルピー(約10円)、
 歩けば20分ほどの距離であるが、上り坂なので怠け癖が出てしまった。

 別に何を見るというあてはないので、パタンの旧市街の中をふらふらと歩き回る。
 ネワール族は多くのカーストを持ち、そのカーストによって、それぞれに住む場所が
 違う。
 上位カーストはシュレスタと呼ばれ、ヒンズー教を主に信仰し、マッラ王朝時代の
 支配階級にあたる。
 マッラ、プラダン、マスケ、ジョイシー、ラーズバンダーリなどのカーストがある。
 それとは別に仏教のカーストがあり、バッジャチャーレ、サッキャを頂点としており、
 その下に、タムラカール、トラザー、マハルザンなどが居り、なかなか複雑である。
 仏教徒の大半はもの作り、生産に従事する人たちだ。
 パタンの王宮を中心にして、中心部に支配階級、周辺部にカーストの低い人たちの住居が
 あることを、実際に確かめてみたかった。

 パタン・ドカを抜けると、昔ながらのネワールの生活場所へと入っていく。
 真っ直ぐパタンの王宮へとは向かわず、わき道にそれる。
 ネワール族の住居の特徴であるが、細い路地に入っていくと、四角い広場が広がり、
 その広場に面して家が建ち並んでいる。
 その広場の中には必ず、宗教的な場所が 設置されている。
 神様の像であったり、寺院であったりする。
 そうした広場を中心とした家々には、サッキャなり、マハルザン、バッジャチャーレの
 ひとつのカーストの人たちが主にすんでいる。
 人口でみれば、農民カーストのマハルザンが一番多い。全体の7割から8割を占めるだろう。
 私の見るところでは、カトマンズ盆地の中では1番古くから住んでいる人のように
 思われる。
 チベット・ビルマ系語族であるといわれているが、どこから移住してきたのだろう。
 マハルザンの居住地域、バッジャチャーレの居住地域、サッキャの居住地域を
 歩き回っているうちにパタンの王宮広場に来てしまった。

 ここまできたら、ネワール料理のホナチャに寄らないわけには行かない。
 久しぶりのバーラ・アンダー(卵入りバーラ、大豆をつぶして、お好み焼き風に料理する)、
 水牛肉のカレー、ツウェラ(水牛の半生肉の和え物)を食べる。
 しめて40ルピー(約70円)だ。

 腹ごしらえが済んだところで、モンゴルバザールから乗り合いテンプーに乗って、
 家路についた。
 帰ってみると、電気が来ていた。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



ネパール パタン | 01:43:37 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパールの食べ物 カトマンズのカザ(軽食)‐2 サモーサ
カトマンズのカザ(軽食)‐2 サモーサ 1

カトマンズのカザ(軽食)‐2 サモーサ 2

カトマンズのカザ(軽食)‐2 サモーサ 3

カトマンズのカザ(軽食)‐2 サモーサ 4

カトマンズのカザ(軽食)‐2 サモーサ 5

カトマンズのカザ(軽食)‐2 サモーサ 6


 カトマンズのニューロードからインドラ・チョークへと向かう道筋に
 ビッシャル・バザールと呼ばれている建物がある。
 昔は、外国からの輸入品を売る商店が数多く入り、カトマンズでは、1番モダンな
 商店が並ぶといわれ、エスカレーターもいち早く設置された。
 最近は、もっとモダンなデパートメント・ストアが建てられ、古風な建物になって
 しまった。

 この建物の向かいに、ネパール人人気のサモーサの店がある。
 細いトンネルのような入り口の向こうに中庭があり、外からではなかなか気がつかない。
 その中庭に入り込んでみると、サモーサをぱくついている多くのネパール人はいる。
 どこから聞きつけたのか、外国人ツーリストの姿もある。
 サモーサを売っている奥には インド風の超絶的に甘いお菓子の店があり、そこが
 サモーサを売っている。
 その店でサモーサの代金を支払い、外の店で受け取る形になっている。

 以前 このあたりに有名なサモーサの店があると聞いていたが、今日たまたま目にして
 中庭に入り込んでみたのである。
 1つ10ルピー、二つ食べれば、昼間の軽食代わりにはなる。
 私は、サモーサはあまり好きではないので、1つだけ味見をしてみる。
 サモーサには当然タレがつくのであるが、ここのタレは甘ったるくていけない。
 ネパール人はこの甘さが好きなのだろう。

 私から見れば、味のわりには、どうしてこんなに人気があるのかは、納得がいかない。
 材料をジャガイモだけにせず、サツマイモ、かぼちゃ、豆など、いろいろと工夫すれば
 面白いと思うが、そういう融通性はネパール人にはないようだ。
 ネパール人もインド人も伝統的な食べ物に関しては がんこである。
 しかし、いつものことだが、サモーサを食べた後は胃がもたれる。
 油が合わないのだろうか。
 近頃のように、バイオ燃料ブームで 食用油の高騰は著しい。
 自動車などは最低限に使えばいいし、贅沢品である。
 食生活より価値が高いとは到底思われない。
 この世の中、どこかおかしいように思えてならない。
 皆が努力すれば、ガソリンなどいくらでも節約できるはずだ。
 どうも車を売りたい大企業に乗せられている様にしか思えない。

 食生活に食用油を多用するネパールでは、食用油の高騰は、庶民の台所に
 大きな負担になっている。食用油の大半は輸入に頼っているのが現状だ。
 小麦と食用油の値上がりは、庶民のパン屋のパンの値上がりにもつながっている。
 食用油を使うサモーサも同様だ。
 私が朝食代わりに食べるクリーム・ドーナツも10ルピーから12ルピーに
 値上がりしてしまった。
 食用油を使う路上の揚げ物屋の食用油も 黒くなるまで使い込み、節約している。
 何度も使い込んだ食用油の成果、胃がもたれてかなわない。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



ネパールの食べ物 | 12:19:09 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパールの食べ物 カトマンズのカザ(軽食)‐1 バーラ
カトマンズのカザ(軽食)‐1 バーラ 1

カトマンズのカザ(軽食)‐1 バーラ 2

カトマンズのカザ(軽食)‐1 バーラ 3

カトマンズのカザ(軽食)‐1 バーラ 4

カトマンズのカザ(軽食)‐1 バーラ 5

カトマンズのカザ(軽食)‐1 バーラ 6

カトマンズのカザ(軽食)‐1 バーラ 7


 ネワール族の農民カースト マハルザンの食べ物にバーラというものがある。
 大豆をすりつぶし、それを鉄板の上で焼くものだ。
 簡単なバーラは、それだけで焼いたものだが、少し贅沢なものは 
 日本のお好み焼きのように卵を乗せたり、水牛のひき肉を乗せたりして一緒に焼く。

 今日紹介するものは、最もシンプルなバーラ、1つ6ルピーというバーラだ。
 カトマンズのインドラ・チョークのアッカス・バイラワ寺院の横の細い通りを
 に入り、ちょうど、寺院の真後ろに当たる中庭に入り込むと、そこでは いつも
 午後1時過ぎから、ネワール族の女の子たちが、このバーラなるものを売っている。
 白いバーラと少し緑がかったバーラの2種類があり、白い方が柔らかい。
 私の好みは白い方である。
 2枚のバーラとアル・タルカリ(ジャガイモカレー)を食べれば、18ルピー(30円)
 昼間の軽食にはちょうど良い。
 ネパール人にとっても、20ルピー前後というのが、庶民の昼間のカザ(軽食)の
 費用の目安なのだろう。
 モモ(ネパール風蒸し餃子)も20ルピーから25ルピーの値段になっている。

 二人の女の子は、近くのマハルザンたちの集落に住む。
 カトマンズの農民カースト マハルザンはほとんど持っていた土地を売りつくし、
 農民カーストとは名ばかりになっている。
 だから、男は大工、左官の仕事、女はこうした細々とした路上の商いで、生活を
 支えている。
 それでも、自分の住む家があり、地方からやって来手、貸間住まいをする人たちに
 比べれば、まだ生活は豊かだし、彼らの地域共同体も機能している。
 未だに家では、ジャール(どぶろく)、ロキシ(蒸留酒)も造るし、家庭料理も多彩で
 ある。
 ただ農作業という肉体労働を支えるために 彼らの料理には唐辛子を多く入れた辛い
 ものが多い。
 と言っても 近頃では田畑を持たないマハルザン・カーストの人たちだ。

 寺院の裏の中庭の路上の食べ物屋であるが、材料は丁寧に用意しているようだ。
 ただ、ネパール人相手の商い、皿などは用意しておらず、新聞紙の切れ端に
 食べ物を載せてくれる。
 昔は日本もそうだった。4,50年前の日本も田舎はそんなものだった。
 昔の日本人はたくましかったのだ。どこに行っても生活できる適応性を持っていた。
 どのレベルまでだったら、大丈夫かと判断できる力を持っていたように思う。
 今の日本人は、見た目でしか判断できなくなっている。
 清潔感も度を過ごすと、海外旅行も味気ないものになる。

 この中庭に接するアッカス・バイラブ寺院は、農民カースト マハルザンの守り神の
 ようである。
 この寺院の管理は、マハルザンによって維持されているようだ。
 水の神様インドラの守り神であるバイラワを祭っていることから、農耕に深く係わる
 神様なのだろう。神様というより魔物に近い存在なのかもしれない。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ


ネパールの食べ物 | 01:05:29 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパールの食べ物 桃(アル)を見つけた
桃(アル)を見つけた 1

桃(アル)を見つけた 2

桃(アル)を見つけた 3

桃(アル)を見つけた 4



 カトマンズの旧王宮から裏道を使って、タメル地区に向かう通りは、野菜や果物の
 露天の並んでいるところだ。
 バクタプールの手前にあるチミという町からネワール族の農民たちが、この場所に
 自宅で取れた野菜を運び、座り込んで商いをしている場所である。
 私は、こんな商いをしている場所が好きで、ついつい目が行ってしまう。
 この頃は、自転車で移動することより 歩くことが多いので、じっくりと眺めることが
 出来る。

 そんな路上の商いを眺めながら歩いていると、小ぶりの桃を路上に広げ、売って
 おばさんに出会った。
 ネパールでは桃といっても、梅の実を少し大きくしたぐらいの大きさでどう見ても
 桃には見えない。
 摘果をすれば、もう少し大きくなるのだろうが、
 ネパール人にはどうも摘果の習慣はないようだ。
 私の育った田舎の家では、家に白桃が植えてあったが、摘果と袋で覆うのは
 当たり前のことであったが、ネパールでは果物の栽培はあまり得意ではないようだ。

 24,5年前にカトマンズ近郊のキルティプールという町に住んだことがあるが、
 そこでも子供たちが果物を食べている姿を見かけたことはない。
 カトマンズの人たちが、よく果物を食べるようになったのは、ここ14,5年のことだろう。
 ただ キルティプールの下には 試験農園があって、そこでは桃やアプリコットなどの栽培が
 試験的に行われており、すぐ近くにある私立学校のリンカーン・スクールの生徒たちが、
 忍び込んでは、桃などを盗み取っていたという話を、生徒から聞いたことがある。
 子供のいたずらである。

 果物には目のない私であるから、早速買うことにした。
 1キロ40ルピー、ネパール産の果物にしては、少し高いと思ったが、初物だと思い、
 それほどぼられているとも思わなかったので、その値で買った。
 ネパールでは、熟れるまで待って売るということはないので、見はまだ硬い。
 それでも桃の香りはする。
 幼い頃にまだ熟れていないのにもぎ取って食べた桃の味だ。
 その味から家に植えていた桃の木の姿が思い浮かぶ。記憶と味とは結びつき易いらしい。

 もう少し経てば、アプリコットも出てくるだろう。ネパール産の果物は、遠いインドから
 運ばれてくるものとは違って、安さが取柄だ。
 何もかもが値上がりしているカトマンズ、今年も安くネパール産の果物を手にすることが
 出来るのだろうか。心配である。
 この桃だって、去年は25ルピーから30ルピーで買っていたような気がする。

 リュックの中に桃を入れ、家に帰って洗って食べることを思い浮かべながら、歩き始める。
 タメルの入り口 チェットラ・パティに近づく。この辺にはツーリストに貸し出すための
 貸し自転車屋がある。昔に比べると随分と自転車も立派になった。
 なかなかカトマンズでは、自動車が増え、自転車で走り回ることは難しくなったが、
 カトマンズ郊外にサイクリングに行けば、市内とは違うカトマンズも体験できる。
 気をつけなくてはならないのは、盗まれることである。

 夕方から激しい雷雨、停電の中で、桃の味見をしてみると、熟れているものは甘くて
 美味しい。日本の桃の味である。今年の桃は、カトマンズで満喫できそうだ。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ


ネパールの食べ物 | 12:18:10 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 街の風景 雨宿り
カトマンズ 雨宿り 1

カトマンズ 雨宿り 2

カトマンズ 雨宿り 3

カトマンズ 雨宿り 4

カトマンズ 雨宿り 5


 四月の初め頃、カトマンズはよく雨が降った。
 アッサン通りを歩いている時に突然の雷雨に見舞われ、大急ぎで逃げ込んできたのが、
 ニューロードにあるビシャル・バザール、いくら待っても雨は止まない。
 雨宿りの場所は、様々の人々が通り過ぎて行き、それを見ているだけでも楽しい。

 ビシャル・バザールの入り口前に目を遣ると、二人の男が、左右に分かれて、飴玉、
 煙草、お菓子などを降り注ぐ雨の中で売っている。
 雨に濡れないように商品にはきちんとビニールを掛け、固定式の傘をさして座り込んでいる。
 雨の当たらない屋根の下での商売は、ビル管理者から禁止されているらしい。
 以前は、屋根の下での商いも問題はなかったようだが、警備員が厳しく見回りをして
 いる。カトマンズも段々世知辛くなってきている。
 1ルピーから10ルピーの値段の商品が彼らの商いである。
 1日の稼ぎは100ルピーから200ルピーの間だろう。
 建築現場などで肉体労働をすれば、200ルピーから300ルピーにはなるだろうが、
 誰でも出来るわけではない。

 彼らの顔つきを見るとバウン族(上位カースト)のようだ。
 政治や政府につながりのあるバウン族は 皆 楽な生活をしているが、地方に住んで
 僅かな畑を耕しているバウン族なら、現金収入を得るために農閑期にはカトマンズに
 出てくる必要がある。
 カトマンズに家を構えているバウン族と同じというわけには行かない。
 こうした路上での小さな商いは、カトマンズのいたるところで見られる。

 そんな彼らを尻目に、彼らの前にある金細工のアクセサリーの店では、カトマンズの
 金持ちたちが、金製品を買うことに夢中になっている。
 年々増えていく金製品の店のインテリヤの飾りつけは派手になっていく。
 カルカッタ辺りからやって来て商売をしているインド人も多い。ネパール人に
 言わせると、見た目は細工も美しいが、金の純度にごまかしがあるという。
 そんなことにお構いなしに美しさに惹かれて、女たちは買っていくようだ。

 1時間近くこの場所に立ち続けているのに、雨は止まない。
 あたりはかなり暗くなってきた。まだ夕方の6時前だというのに。
 雨を避けて、ストリート・チルドレンのグループがやって来る。
 皆、一様に小さなビニールの袋の中にシンナーをいれ、シンナーを吸っている。
 年々ひどくなるストリート・チルドレンの姿だ。
 昔は、皆 廃品集めをし、それを売ると、王宮通りのアイスクリーム・ピザ屋の前に
 集まり、店の残り物を店員からもらっていたが、今のストリート・チルドレンは
 こじき商売だけに専念しているようだ。ギャング予備軍である。
 彼らも去り、雨も上がってくる。

 私も 夕暮れの中を テクテクと家路に向かって歩き出すことにした。
 まだ、小雨が降っている。


  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ



カトマンズ 街の風景 | 01:35:32 | Trackback(0) | Comments(0)
次のページ

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。