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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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カトマンズ アッサン・バザール詩情‐5 路地裏の風景
路地裏の風景 1

路地裏の風景 2

路地裏の風景 3

路地裏の風景 4

路地裏の風景 5

路地裏の風景 6

路地裏の風景 7

路地裏の風景 8



 カトマンズのネワール族の居住地は、迷路のように錯綜している。
 特にアッサン・バザールの昔からの古い地域であれば 尚更のことだ。
 低い門を潜り抜けると、突然広場が広がっていたりするし、又 狭い中庭に入り込む
 ことにもなる。
 狭い中庭を囲むように4階、5階建ての住居は建っていて、1階は倉庫のようにも
 なっている。
 奥のほうであれば、なかなか陽射さないのは当たり前のようだ。

 昔は一軒だった家が 子供が産まれ、家族が増え、何世代も経ていくうちに、
 庭を囲むように家を建て増して行ったようだ。
 だから、中庭や広場を囲むように住んでいる人たちは、大半血が繋がっていることに
 なる。
 サハ王朝に征服されたマッラ王朝のネワール族が、その気綱を強くするために
 家族や親戚が固まって住むことが出来るようにと考えた住宅の形なのだろう。
 広場、中庭を中心に強固な共同体を形作っていたネワール族の社会にも大きな変化が
 見られるようになってきている。

 手狭になった古い住居を離れ、カトマンズ郊外に新居と建てる、あるいは分譲住宅を
 求め、転居するものが多くなった。
 古い住居は、地方から仕事を求めてやって来た他の民族の人たちに貸し、従来の
 共同体が崩れていっている。
 中庭や広場は、共同体で行われる宗教行事などで使用される重要な場所であったが、
 その場所は、オートバイ置き場に変り、清掃も行き届かなくなっている。

 路地裏の奥にある不便で陽の当たらない場所などには、今では、他の民族が 
 間借り人と住むようになっている。
 彼らは、一時的にその場所に住んでいるだけの人たちだから、地域のつながり、
 清掃などには関心を持たず、建物も中庭も傷むばかりである。

 昔からの共同生活を支えていくための知恵、人間関係が失われていけば、
 カトマンズの街は益々混乱の渦の中に巻き込まれていくだろう。
 カトマンズの住民の中で都市生活を本当に知り尽くしているのはネワール族だけだ。
 そうした彼らの知恵や叡智がこのまま失われていくのは 残念なことである。
 この二百数十年にわたるラナ、サハ家、そしてバウン族中心の政治は、ネワール族の
 知恵を生かしてこなかったし、取り入れようともしなかった、それが今のカトマンズの
 混乱を増大させたことになっていることすら気がついていない。

 ネワール族自身も、長い歴史の中で築き上げてきた知恵に気がついていない。
 自分たちの文化、生活習慣に固執し、他の民族を受け入れてこなかった心の狭さも
 あるのも事実だ。
 カトマンズ盆地に千年以上にわたって、独特のネパール文化を築き上げてきた民として
 その能力をもう一度、再生させ、今度はネパール国を築くために生かしてもらいたいと
 思う。
 それは西洋流の近代化、近代的生活を追い求めることではなく、ネパール人としての
 独特の文化を追求してもらいたい。
 そして、ネパールの他民族をつなぐ核となってほしいものである。


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カトマンズ 街の風景 | 12:44:01 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ アッサン・バザール詩情‐4  庶民の広場
アッサン・バザール詩情‐4 庶民の広場 1

アッサン・バザール詩情‐4 庶民の広場 2

アッサン・バザール詩情‐4 庶民の広場 3

アッサン・バザール詩情‐4 庶民の広場 4

アッサン・バザール詩情‐4 庶民の広場 5

アッサン・バザール詩情‐4 庶民の広場 6

アッサン・バザール詩情‐4 庶民の広場 7

アッサン・バザール詩情‐4 庶民の広場 8


 夕方近くになると、このアッサン広場、大勢の買い物客でごった返す。
 自転車を引いて、この夕方の時間にこの広場に入り込むと、身動きが
 取れなくなってしまう。
 リキシャ、オートバイ、時には車、混み合っていることがわかっていながら、
 入り込んでくるのがネパール人だ。
 何もこの混んでいる広場にリキシャに乗ってくることなどないのに、この広場を
 通り抜けようとする。

 夕方のこの時刻、勤め帰りの主婦たちが、夕食の材料を求めて、この広場にやってくる。
 少しでも安く買おうと、路上の野菜売りとの交渉、売るほうも買うほうの必死だ。
 この生き生きした人々の姿を見るのが、私は好きである。
 近頃流行のスーパーマーケットの買い物客とは違う。
 この広場には、色とりどりの季節の野菜が並べられ、これは日本の野菜と同じ、
 これは見たことがないが、どう料理して食べるのだろうと興味も湧いてくる。
 料理に使う花なども売られている。炒めたり、茹でたりして食べるようだ。
 駄菓子の卸の店、乾した野菜を売る路上の店、話しかければ、親切に面倒がらずに
 その用途を教えてくれる。

 広場の隅っこでは、昔からネパールで使われている葉っぱで作った皿なども売っている。
 まさにエコーを先取りするものだ。大勢の人が集まって、会食する時に使われる。
 まさに使い捨て、環境にやさしい葉っぱの皿だ。

 ぼーっと通り過ぎてしまえば、気がつかないネパール文化の興味深い品々が、
 このアッサム通り、アッサム広場には並べられている。
 他国の生活、文化を知ろうと思えば、市場に行くのが1番である。
 カトマンズ庶民が 集まるアッサン広場、人々があふれ、カオスのような場所であるが、
 ここには人々の生き生きした生活が凝縮されている。
 カトマンズで昔ながらの雰囲気が、1番残っている場所が、この広場周辺だ。
 古い建物、寺院、こうしたものが、アッサン広場の雰囲気を引き立てている。

 異文化の中に生きている異国の国の人々の生活を知ること、それは、日本人が
 自国の生活を見つめ直す手がかりにもなるはずである。
 近代的な生活をしていることと人間らしい生活が 決して結びつくとは限らない。
 旅が、異国の文化と自国の文化への認識を深めることがなければ、それは単に
 流れ行く景色を眺めていることでしかない。
 生活を楽しむということでは、ネパール人のほうが、日本人より上手である。
 そんなネパール人の姿が このアッサン広場にはある。


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カトマンズ 街の風景 | 00:22:54 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ アッサン・バザール詩情‐3 鳩の棲む寺院
鳩の棲む寺院 1

アッサン・バザール詩情‐3  鳩の棲む寺院 2

アッサン・バザール詩情‐3  鳩の棲む寺院 3

アッサン・バザール詩情‐3  鳩の棲む寺院 4

アッサン・バザール詩情‐3  鳩の棲む寺院 5

アッサン・バザール詩情‐3  鳩の棲む寺院 6

アッサン・バザール詩情‐3  鳩の棲む寺院 7



 インドラ・チョークからアッサン・チョークへ向かう道筋のちょうど中ほどに、
 人ごみに隠れるように、1つの仏教寺院がある。
 目を凝らしていないと、その入り口を見過ごしてしまう。
 入り口近くには、いつも同じ物乞いのおばあさんが座り込み、外国人を見ると
 お金を乞う。

 入り口から寺の境内の中に入っていくと タマン族の男や女が とうもろこしを
 売っている。
 境内の中に目を遣ると 無数の鳩が棲みついている。
 寺の屋根、寺を取り囲む民家の屋根、真鍮で造られた彫像の上と、至る所にいる。
 タマン族の売る参拝者用のとうもろこしが目当ての鳩たちだ。

 25年前にネパール人の知り合いに連れられて ここにやって来たときには、
 鳩などはいなかった。
 鳩の糞が、この寺院を傷めていないかと気にかかる。
 装飾の大半に 真鍮が用いられているからだ。
 今 世間で騒がれている鳥インフルエンザも気になる。
 この寺を囲むように多くの人々が住んでいる。
 流行すれば 最初の被害者はこの寺の周りに住む人たちである。

 心配しているのは私だけで、ネパール人はさほど気に留めてはいない。
 この国の人間には未来に対する心配は存在しないのである。
 困ったことが起きれば、そのときに考えればいいというのが、彼らの生活姿勢だ。
 それで取り返しのつかないことになり、慌てふためくことになる。

 ネパール人の信仰の中では、鳩の糞など大したことではないのだ。
 ヒンズー教、仏教、土着信仰、どんなに入り交ざっていても気にならないのと
 同じように、神や仏の顔に、鳩の糞が降りかかろうと、構ったことではない。
 この辺のことは、いつもながらに理解できないことだが、それが彼らの性格なのだと
 考え、納得せざるを得ない。
 ものが整理整頓されていることなどには興味を示さない国民性である。
 政府官公庁などに行っても、書類が雑然と積み重ねられており、どこもかしこも
 埃だらけでも 誰も気にしない。

 以前 ゴミの収集が止まり、街の中に、山のようになった生ゴミがあふれたことが
 あったが、その匂いたるや相当なものだった。
 しかし、そのゴミ近くに出ているハンバーガーの屋台で、ゴミを目の前にして、
 カトマンズ市民は、ハンバーガーをぱくついていた。
 それなりの身なりをした若者たちがです。

 政治の混乱、街の混乱、川・空気の汚染、誰も気にしないのだ。
 どうすれば、ここまで達観できるのか、世界の七不思議に加えてもいいくらいだ。
 これからのカトマンズが どういう経過を辿っていくのか、
 しっかりと見ていたいものだ。
 ネパールの神々は、どう感じているのだろう。
 鳩の糞を頭の上に乗せて、喜んでいるのだろうか。


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カトマンズ 街の風景 | 12:54:18 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ アッサン・バザール詩情‐2 繁栄の名残りを見つめて
アッサン・バザール詩情‐2 隆盛の名残り 1

アッサン・バザール詩情‐2 隆盛の名残り 2

アッサン・バザール詩情‐2 隆盛の名残り 3

アッサン・バザール詩情‐2 隆盛の名残り 4

アッサン・バザール詩情‐2 隆盛の名残り 5

アッサン・バザール詩情‐2 隆盛の名残り 6

アッサン・バザール詩情‐2 隆盛の名残り 7


 アッサン・バザールといえば、カトマンズで過去において 最も繁栄したバザールだ。
 今、カトマンズの若者たちは 大型ショッピングセンターへと流行のものを求め、
 ウィンドウ・ショッピングを楽しむようになってしまったが、カトマンズ庶民、
 地方からの買い物客にとっては、やはり大切なバザールだ。
 日用品、保存食料、衣料と何でも手に入れることが出来る、いつでも人々で
 ごった返していることが それを証明している。
 カトマンズ庶民にとっては、構えることなく気さくに買い物が出来る場所だ。

 バザールとしてカトマンズで一世を風靡した名残りが その建物や店構えに見られる。
 粋を凝らした窓枠、当時はモダンだった建物、時代時代の流行が建物の様式にも
 現れている。
 あるときは儲け、あるときは損をしていたネワール商人の隆盛の姿を、一つ一つの
 建物が証明している。
 インドやチベットとの貿易が盛んだった時代に 大儲けをし、商人たちの勢いを
 誇示しているような建物も、今はすっかり古びてしまい、当時はモダンだったものも
 アッサン・バザールの薄汚れた歴史的な遺物に成り果ててしまっている。

 ネワールの商人カースト トォラザー、チベットのラサまで足を運び、カトマンズから
 衣料、食料を運び、チベットのラサからは金を持ち帰る。
 このネワール族のトォラザーというカースト、ネワールの仏教徒カーストのサッキャ・
 カーストとチベット人との混血によって出来たカーストを言われている。
 貿易のためにチベットへ行ったネワール族の商人が、チベットからチベット人の娘を
 連れ帰り、息子たちの嫁にし、生まれたその子供たちがトォラザーと呼ばれるように
 なった。
 このアッサン・バザールの大きな建物はほとんどといっていいくらいトォラザーたちの
 持ち物である。
 マッラ王朝の官吏から商人へと転進したシュレスタもいる。
 その商人たちも今は、この場所には住まず、店舗も賃貸しに変ってしまっている。
 そして、2階部分以上は、商品の倉庫に変ってしまっている。
 百年、2百年前のアッサン・バザールの隆盛を見てみたいものである。
 マッラ王朝の時代からのことであるから、数百年の歴史を持つ商人カーストである。
 しかし、その時代の建物は、74年前のカトマンズの大地震で大半は失われてしまったようだ

 25年前にカトマンズにやって来て、キルティプールに住むことになった時も、
 このアッサン・バザールで 日常品を買い求めた。
 このバザールを歩くと、絨毯屋、セーター屋の店員が、目ざとく旅行者を見つけ、
 
 ― ヘイ! ジャンパニーズ と声をかけてくる

 ヘイ!日本人とは何事かとむかつき、

 ― ヘイ!ネパーリー ケ・ホ?(何だ、ネパール人!)

 とやり返すと、変な顔をしていたものだ。

 まだスーパーマーケットといえば、キチャポカリ近くのフレッシュハウスと
 ブルーバードぐらいのものだった。
 輸入物はニューロードかビシャール・バザールで買うというのが、当時の買い物の
 姿だった。

 カトマンズを肌で感じ、カトマンズの商人たちの歴史を知ろうと思うならば、
 やはり、アッサン・バザールは ネパールの経済の生き証人としての役割を
 果たしてくれるだろう。
 ここから、ネワールの大商人も生まれ育った、商売のイロハも皆ここで学んだのだ。
 ここが ネパールの経済の原点だったことを忘れてはならない。
 そんな場所に 興味深いエッセンスが今なお存在することを知れば、このバザールが
 どんなに 面白い場所であることがわかってくるだろう。


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カトマンズ 街の風景 | 00:40:37 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ アッサン・バザール詩情‐1 インドラ・チョーク
アッサン・バザール詩情‐1 インドラ・チョーク 1

アッサン・バザール詩情‐1 インドラ・チョーク 2

アッサン・バザール詩情‐1 インドラ・チョーク 3

アッサン・バザール詩情‐1 インドラ・チョーク 4

アッサン・バザール詩情‐1 インドラ・チョーク 5

アッサン・バザール詩情‐1 インドラ・チョーク 6

アッサン・バザール詩情‐1 インドラ・チョーク 7

アッサン・バザール詩情‐1 インドラ・チョーク 8



 アッサン・バザールの入り口には インドラ・チョークがある。
 リキシャ、自動車、人でいつも込み合っている小さな広場である。
 ここには 名高い寺院がある。
 広場の名前が インドラ・チョークであるから、その寺院には ヒンズーの神様 
 インドラを祭ってあるのかと思っていたが、そうではなく、バイラブを祭っており、
 寺院の名前は、アッカス・バイラブ寺院だ。
 インドラ・チョークの名は、ネワール族 最大の祭りインドラ・ザットラが、
 ここを出発点にして始まることに由来している。
 カトマンズ盆地でマッラ王朝を築いていたネワール族が、このインドラ・ザットラを
 楽しんでいるときに ゴルカからのプリティビ・ナラヤン・サハの急襲を受け、
 カトマンズ盆地の支配をゴルカ王朝に明け渡すことになる。

 このインドラ・チョークからは、ツーリストのたまり場であるタメルへと続く道と
 アッサン・チョークへと続く道が交差している。

 この広場の周りには、昔から同じ商いを変ることなく続けている店が多くある。
 カシミール・バザールと呼ばれるビーズを売る店もそうだ。
 商いをする人たちは古くからカトマンズに住みついているイスラム教徒たちである。
 首飾りに仕上げた色とりどりのビーズが 並べられ、夕方そのバザールの中に
 入り込むと 幻想的な雰囲気にも浸ることが出来る。

 小さな寺院の上では、ここでも変ることなく、ウールのショール類が売られている。
 昔からのネパールショールで、アクリルなども使っており品質は良くはないが、
 安いのが取柄である。
 東ネパールの山奥で織られている毛布などもある。ネパールの伝統的な毛織物である。
 20年以上前に知り合ったネパール人が 今も元気に商いをしているのは嬉しい。
 20年もここで商いを続けていながら、子供を育てることで精一杯で、土地を買い、家を
 建てることなど出来ないと言う彼である。

 少し先に行くと、もう崩れてしまうのではと思える古い建物がある。
 2階は、カーペット屋だ。
 昔からの知り合いのネワール族のラッチマンが商いをしている。
 写真を撮っていると、ラッチマンが笑いかけている。

 タメル地区に続く道に少し入ると、カトマンズで有名になったラッシー(ヨーグルトの飲み物)の
 小さな店がある。
 インドのパットナーからやって来ているインド人の店だ。
 先日から何度か行ってみたが、店は開いていなかった。
 3ヶ月ぶりに 今日からの営業だという。木の実、乾し葡萄などの入ったトロピカルな
 飲み物だ。

 昔は夜になるとひっそりしていたインドラ・チョークであるが、今は、夜遅くまで露天が出、
 多くの人々で賑わっている。食べ物の露天がここからニューロードまで続く。
 20年ほど前は、冬の夜になると、山から逃げ出してきた子供たちが、
 リキシャの漕ぎ手たちと一緒にこの広場の焚き火の周りで暖をとり、
 すぐ近くの寺院の軒下で寝ていたものだ。


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カトマンズ 街の風景 | 12:48:03 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 街道を行く‐20 再び木工の郷 ブンガマティの村へ‐3
再びブンガマティへ‐3 1

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 もらった竹を片手に ブンガマティの村の下の方へと下っていく。
 片手に竹を持っているせいか、やたら、犬が吠え掛かる。
 この辺りで木工彫刻はさかんだ。
 アンティークの木工の彫像を売っている。
 木工彫刻の村だけあって、玄関のドアなどにもその趣向が見られる。
 日本のネパール料理店などでも、この村にドア、窓、調度などを注文し、
 店のインテリアに使用しているようだ。

 もう少し、じっくり村の中を歩きたかったけれど、竹を持って移動するたびに
 犬に吠え掛かられるのは嫌なので、村の外を通って、バス停に向かうことにする。

 バス停近くに ネワールの農民カースト マハルザンの木工の作業場があり、
 以前、二人の少年が見習い修行中であったが、その腕を上げているかと、
 作業場の中を覗いてみると、その姿は見えなかった。
 訊くと、親戚の別の場所で仕事をしているということだった。

 ここでバスに乗れば、カトマンズまでのバスがある。
 しかし、ここに来るときに、バスの中から、素晴らしい景色が見えた。
 その景色をゆっくりと眺めるために、その場所まで歩くことにした。
 ネパールのローカルバス、手を上げれば、どこでも止まってくれる。
 竹を杖代わりにして歩き始めると、道筋の家の中でチベッタン・カーペットを
 女たちが織り上げている。
 チベット人の注文で織っているらしい。
 この仕事するのは、ネワール族の農民カースト マハルザンの女たちが多いようだ。
 作業をしている作業場、お茶を飲み、のんびり休息をとっている作業場もある。
 ネワールの農民カースト マハルザンの女たちは働き者である。
 畑仕事、酒造り、こうした手間仕事、育児、炊事・炊飯とよく働く。
 少し会話をして歩き始めると、「気をつけて、行きなさいよ」と声をかけてくれた。

 竹をくれたサッキャの女性やマハルザンの女性の心遣い、そうした小さなことが、
 村の印象をよくするものだ。
 今回の訪問はそれだけでも大きな収穫だ。

 上り坂を 竹の棒を杖代わりにして、登りつめると、素晴らしい景観が見えてきた。
 緩やかな平野部の真ん中を川が流れ、その周りの田畑は広がっている。
 周辺に広がるにしたがって、段々畑になっている。
 平和なのどかな風景だ。こうした風景を見ると、カトマンズ盆地が、如何に豊穣な
 土地であるか、よく理解できる。
 ここに紀元10世紀以降、ネワール族の文化が花開き、マッラ王朝を頂点とする
 宮廷文化の基礎になった、過剰な農産物を作り出していた風土は見て取れる。
 外への侵略の意思は持たず、ただひたすらカトマンズ盆地の中の充実だけを目指した
 マッラ王朝は、今の数々残る仏教建築、上下水道の施設を残し、カトマンズは、民衆に
 とっても 桃源郷のような地であったのだろう。
 今のカトマンズを見ていると、このマッラ王朝の時代より進んでいるとは、
 到底 思えない。人間が賢くなっているとは思えない。
 世界中、人間の愚かさにあふれている。

 そんなことを思っていると、そばにいたネパール人が、

 ― タクシーはいらんかね と訊いてくる
 ― バスで帰るから必要ない と云うと
 ― バスはネパール人が使うもの、旅行者は使わない 。

 と捨て台詞を投げかけてくる。

 余計なお世話である。ここにも愚かなバウン族のネパール人がいる。
 こんな連中がいるから、ネパールはよくならない。

 少し待つと、カトマンズ行きのローカルバスがやって来た。
 バスの中はがらがら、パタンのラガニケルに近づくにしたがって、満員状態、
 窓のすぐ近くだったので、悪臭をかぐこともなく、タパタリで降りることが出来た。
 乗車賃14ルピー、誰が、2,3百ルピーのタクシー代を払うか。


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カトマンズ 街道を行く | 00:35:41 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 街道を行く‐20 再び木工の郷 ブンガマティの村へ‐2
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 マチェンドラナート寺院のある場所に行き着くと、そこには広い広場が広がり、
 その周辺にはネワール式のレンガ造りの民家が建ち並び、その中心に
 マチェンドラナート寺院が聳えている。
 ここを出発点に12年に1回 マチェンドラナートの祭りは始まる。

 広場の中では、ブンガマティの村人が、それぞれに休日の土曜日の午後を過ごしている。
 寺院というより村人共同の広場といった感じである。
 農民カースト マハルザンの女は、木槌で打った豆の枝の中から、豆を拾い集めている。
 あるものは莚作りに励み、あるものはおしゃべりに興じている。

 仏教カーストのサッキャ・カーストの人々が、この寺院を護るように、寺院の回りには
 住んでいる。
 レンガ造りの民家の入り口に、乾燥した小枝や、竹が立てかけてある。
 ― 何に使うの と尋ねると
 ― ネパール式ストーブ と笑いながら答えてくれる。

 カトマンズ郊外の民家には、まだかまどが残っており、今のように灯油が高くなると、
 灯油ストーブと、かまどを併用しているようだ。
 最近の住宅ではこんなわけには行かない。

 前々から、竹の足踏み用の竹がほしかったので
 ― これひとつ、おくれ と乞うと
 ― いいよ、いくらでも持っていきなよ と云う
 ― 何に使うの と尋ねるので
 竹の上に足を乗せ
 ― こんな風に足を乗せて、竹を踏むと、健康にいいし、足の疲れも取れるよ。
   畑仕事で疲れたときには 一番だよ と云うと 半信半疑で聞いている。

 そうすると一人の親切なネワール族の女性が、家から鎌を持ち出し、
 ささくれ立った竹を、持っていき易く、きれいにしてくれる。
 その間、近くにいたネワール族サッキャ・カーストの人たちとおしゃべりをする。
 前回のこのマチェンドラナート寺院訪問の際は、男ばかりで、そっけなかったけれど、
 今回は、のんびりと訪問して、打ち解けた会話を交わすことが出来た。
 ネワール語を少し話すだけで、彼らとの距離が縮まることがわかる。
 そんなことがあると、村の印象は、俄然違ったものになる。

 楽しい会話を交わしていると、中年のイタリア人夫婦が、ネパール人ガイドに
 連れられてやってくる。
 会話が弾んでいるのを見たネパール人ガイドが、何事かと思って近づいてきたようだ。
 ネパール人ガイドがつまらない質問をし始め、雰囲気が壊れてしまったので、
 もらった竹を手に持ち、マチェンドラナート寺院をあとにすることにした。

 寺院の正面玄関から その石段を下りていくと、この前と同じように、一人の老女が
 石段の脇に座り込んでいた。
 この前の時は、お金を乞われたが、今日は話しかけても、そんなことがなかったのは
 不思議である。
 竹の切れ端を持っていたから、怖がったのだろうか。


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カトマンズ 街道を行く | 13:42:31 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 街道を行く‐20 再び木工の郷 ブンガマティの村へ‐1
街道を行く 再びブンガマティの村へ‐1  1

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街道を行く 再びブンガマティの村へ‐1  7


 カトマンズのあまりの毒気を抜くために、今日はカトマンズ郊外へと 
 足を延ばすことにした。
 カトマンズの日中はすっかり、夏だ。道行く人たちも半そでの人が多い。
 パタンのラガニケルに行くために、乗り合いテンプーに乗り込む。
 ラガニケルまで8ルピーの運賃である。
 ラ ガニケルでテンプーを降り、ネパールの電話公社の横にあるブンガマティ行きの
 バス停に向かう。
 5分ばかり待つと、ブンガマティ行きのマイクロバスがやって来る。
 都合のいいことに一番後ろの席一つが空いていた。
 すぐに出発するのかと思うと、目一杯客を乗せる気らしく、いつまで経っても
 出発しない。
 人間を動物並みに思っているらしい。
 ぎゅうぎゅうに人を乗せ、バスは出発する。

 これで大丈夫と思うと、又、人を乗せるために500メートルほど行くと停車する。
 この熱くなってきた時期に入ると、混み合うと、体臭がバスの中に充満する。
 いつ体を洗ったか、いつ服を洗ったかわからないような村人を乗せていくのだ。
 窓際であれば、外の空気も吸えるが、後ろの席の真ん中では、その臭気に悩まされる
 ことになる。

 そんな中、バスはやっとブンガマティに到着。
 ネワール族の農民カーストマハルザンの居住地区を抜けると、仏教徒であるサッキャ、
 バジャチャーレ、トォラザーの居住地区に入る。
 この辺りに入ると、木槌の音が響き始める。のみを使っての彫刻の音である。
 大半が、サッキャかバジャチャーレ、トォラザーのカーストの人の仕事だ。
 村全体が、木彫りの村なのである。
 カメラを向けても、誰も気にしない。慣れているのである。
 こういう場所では、拙いながらもネワール語を使えば、村の人とはすぐに親しくなれる。
 中庭に入って行くと、この子の写真を撮れと話しかけてくるし、2階の窓からは、
 サッキャのおばさんが声をかけてくる。それを写真に撮ると、見せろといって、
 中庭まで大急ぎで降りてくる。

 少し下っていくと、年若い女の子が、木工彫刻の仕事をしている。
 その周りに家族も座り込んでいる。
 作業の様子と写真に撮っていると、嬉しそうに眺めている。
 作業場の中の二人の男はベテランだ。
 この仕事を始め、10年以上、二人は兄弟で 大学に通っている一番下の弟も、
 この仕事をしている。
 自分たちの仕事に誇りを持っていることが、感じられる。
 5ヶ月前は、さっと通り過ぎただけだったが、この村だけを訪問のつもりの今日は、
 のんびりと話をし、彼らの仕事ぶりも眺めた。
 どういうことか、仕事をしているのは若い人ばかりで、年寄りはいない。
 年老いた木工彫刻の巨匠でもいれば、面白いのだが、この村の年寄りたちは、
 路地に座り込んで、老後をのんびりと生活しているばかりだ。
 この作業場に別れを告げ、この村最大の寺院 マチェンドラナート寺院へと向かった。


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カトマンズ 街道を行く | 22:02:17 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール バクタプール‐6 素焼きの職人‐2
バクタプール‐6 素焼きの職人‐2 1

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 トウマディ広場を出て、トロリーバス乗り場へと続く下り坂を下り始めると、
 素焼き陶芸の職人プラジャパティの集落がある。
 昔からの陶芸の集落だ。
 このあたり一帯が バクタプールの陶芸品の生産の中心であり、陶芸品の土産物屋も
 多い。
 集落の中央が広場になっており、昔はそこで多くの陶芸職人が手でろくろうを回して
 いたものだった。
 今はすっかり電動式のろくろうに変ってしまっている。
 今では 広場の隅っこの方で時折、女たちが土をこねている。
 あるいは 土練りの仕事を終えたのか、何人かの女たちを座り込んで話し込んでいる。
 選挙のために学校が休みになった子供たちも広場の中心で遊んでいる。
 この広場の周りには彼らの住居が建ち並んでいるし、彼らの祭る寺院もある。

 広場の一隅には焼き物用の粘土が置かれている。ネパールの粘土は素焼きには良いが、
 釉薬を塗る本格的な陶芸には適さない。焼いても軽く重量感がない。
 この国では 素焼きの焼き物といえば、植木鉢ぐらいが家庭で用いられるくらいで、
 家庭で使われる器といえば、大半がステンレス製のものだ。
 ネパールのダール・バート・タルカリの食事の形に合わせたステンレス製の器を見て、
 「こんな器は 日本では刑務所で使われているよ」と冗談混じりにいうと
 ネパール人は笑っていた。
 インド文化の影響であるが、昔も真鍮製の器が使われていたようだ。
 我々からすれば、味気ない器類ではある。

 こんなことから、ネパールの陶芸は使い捨ての道具として用いられ、中国、日本の
 ようには発展しなかったようだ。
 インドでも同じで、昔 列車の旅をすると、素焼きのカップにミルクティを入れて、
 売りにやって来て、買った客は、勢いよく列車の外に投げ捨てていたものだった。
 東南アジア辺りでは古くから中国人が移住し、中国本土から、陶磁器を運び込んでいたせいか、
 タイあたりでは質の良い陶磁器を生産するようになっているが、
 ネパールでは、中国の影響はつき最近までは希薄だったようである。
 それでも観光客が多く訪れるせいか、近頃の焼き物を見ると凝ったものが多くなって
 いる。
 店先に座っていたおばあさんが、自慢げにレリーフの像を見せていたのが印象的だった。

 この場所を後にして、さらに下っていくと バクタプールの旧市街の外へと続く。
 そして、レンガ造りの橋を渡ると、バクタプールの外に出る。
 しばらく歩いて後ろを振り返ってみると、バクタプールのレンガ造りの家並みが
 建ち並んでいた。


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ネパール バクタプール | 11:17:06 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール バクタプール‐5 トウマディ広場
バクタプール‐5 トウマディ広場 1

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 メインバザールを通り抜けると、バクタプールの中心、トウマディ広場に出る。
 相変わらずバクタプール市民が広場にはたむろしている。
 夕暮れ時の平安な時間を過ごすためだ。
 広場にはバクタプール最大のお祭り ビスケット・ザットラのための山車が据え置かれ、
 明日の祭りを待ちわびている。
 山車には子供たちが群がり、乗り込んでいるが、叱るような大人はいない。
 日本ではこういうわけには行くまい。
 子供たちも祭りを楽しみにしているし、1年に一度出される山車にも興味があるの
 だろう。
 25年前に 初めてバクタプールを訪れた時に昇り、座り込んでいたニャタポーラ寺院 
 が 昔ながらの姿で聳え立っている。
 あの頃は、この場所に25年後に再び来るとは思ってもいなかった。
 25年という月日はあっという間の出来事である。

 山車に乗り込んでいる子供たちの服装もこぎれいになったものだ。
 25年前は、皆 子供たちは粗末な服を着ていたものだ。
 25年前の子供たちが幸せなのか、今の子供たちが幸せなのかはわからない。
 それは日本についてもいえることだろう。

 昔に比べれば、ネパールも日本も物質的には恵まれてきている。
 しかし、心はどうなのだろう。人と人とのつながりの深さはどうなのだろう。
 人間らしい生活が保障されているのだろうか。

 これからの25年 世界はどうなっていくのだろう。
 もうその頃は 私はこの世から去っているかもしれないし、この場所に立つことも
 ないだろう。
 これから先、私の人生がどうなっていくのかはわからないが、25年間、ネパール、
 インド、タイを中心に歩き回ったことは、そんなに悪い人生ではなかったとは思う。
 人間が生身に生きている姿を見続けることが出来たことは幸せだったと思う。
 やはり人間というのは興味深く面白い生き物である。
 本当に人間を見続けることは飽きないものだ。

 明日はビスケット・ザットラ、ネワールの神々を乗せて山車は街じゅうを練り歩く。
 ネパールの新しい年の訪れを祝う祭りだ。
 ネパールがより良い国になることを願うばかりである。


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ネパール バクタプール | 01:11:44 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール バクタプール‐4 通りの風景
通りの風景 1

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 マッラ王朝時代に造られた共同水場 ドゥンゲダーラを横目にみなから、
 タチュパル広場を後にして、トウマディ広場に向かって歩いていく。
 この道筋がバクタプールのメイン・バザールだ。
 店で売られて商品は、昔とは様変わりしてしまったけれど、建物はそのままの姿だ。
 年寄りたちは昔ながらののんびりした商いをしている。
 通りの中心にやってくると、バクタプールの農民カーストのキッサンたちが、楽器を
 打ち鳴らしながら、通り過ぎていく。
 中高年の集団だ。
 近頃の若者たちは、こうした伝統的な音楽には 興味を失っているのだろう。
 老人たちは昔を懐かしむように、徒党を組んで街の中を練り歩く。
 明日の祭り、ビスケット・ザットラを楽しむために。

 トウマディ広場に近づくにつれて、マッラ王朝時代の支配階級たちの多くすむ地域へと
 入っていく。
 シュレスタ、プラダン、アマチョ、ジョイシーなどの支配カースト人たちの住む地域である。
 彼らは主にヒンズー教を信仰する。
 ヒンズー教の王は神であるという神王思想は、国の統治を容易にする。
 タイでも、カンボジアでも、インドのヒンズー教の神王思想を取り入れている。
 王はヒンズー教の神 ビシュヌの化身であるという思想だ。
 マッラ王国は、ヒンズー教を取り入れ、平等思想を持つ仏教徒たちを支配下に
 おいていったのだ。
 後に マッラ王国を侵略し、カトマンズ盆地を支配したゴルカ王朝も同じ支配体制を
 とっていった。

 マッラ王朝の三国時代、カトマンズ、パタン、バクタプールと三つに分かれた王朝の
 1つ このバクタプールに ゴルカ王朝の始祖 プチティビ・ナラヤン・サハは、
 行儀見習いとして、入り込み、カトマンズの支配体制のすべてを探っている。
 そして、この王国を奪い取るための策を練るのである。
 無防備な外交能力のなさ、カトマンズ盆地の中にしか関心を持たなかった心の狭さが、
 マッラ王国の崩壊を招いたである。
 それはラオスのラオ族のランナー王国が ビエンチャン、ルアンパラバン、
 チャンパサックと三つの王国に分かれ、そのためにシャム(タイ)王国に滅ぼされて
 いくのに似ている。時代も同じ頃のことだ。

 それにもかかわらず、ネワール族、特にバクタプールでは色濃くネワール文化が
 残っている。
 カトマンズやパタンと違って カトマンズ盆地の中心から離れていることから
 バクタプールの旧市街の大半はネワール族によって占められている。
 カトマンズやパタンは旧市街の中にも多くの他民族が住みつくようになっている。
 そのためネワール族独特のつながりの強い共同体意識が失われていっている。
 カトマンズのネワール族などは、古い狭い住居を貸間にして、カトマンズ郊外に
 新しく家を建て始めている。
 まだ、バクタプールではそんなことはないようだ。
 何度もここに通えば、バクタプールのネワール族の共同体の姿がわかるだろう。
 そんなことに興味は湧いてくる。


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ネパール バクタプール | 12:10:21 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール バクタプール‐3 バクタプールの木工芸
バクタプールの木工芸 1

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バクタプールの木工芸 12


 高い寺院を目指して、坂道を下っていくと、バクタプールのある二つの広場の一つ
 タチュパル広場へと出た。
 表側から街に入れば、トウマディ広場に行き着くし、裏から入れば、タチュパル広場が
 近い。
 私は裏から入ってきたから、このタチュパル広場にやってきたわけだ。
 このあたりはバクタプールの中で最も古い地域である。
 25年前に初めてこの地に訪れたのだが、たくさんの土産物屋が出来ていることには
 驚いてしまった。所謂観光地の姿である。
 
 昔、ヒンズー教のブラーマン(僧侶)が住んでいた建物は、博物館になっており、
 その建物に有名なピーコック・ウィンドウが取り付けられている。
 カトマンズの木工工芸の高い到達点を示している。
 昔の記憶からすれば、もっと大きなもののように思えていたのだが、再び見てみると、
 意外と小さいものだった。

 ネワール族の特質かもしれないだ、彼らは細かい細工に興味を示すようにも思われる。
 木工の世界では、ダイナミックな大きな像のようなものは見かけない。
 あまり自分たちの力を誇示する民族ではないのだろう。
 インドの巨大建造物に比べると、小粒であるが、その繊細な芸では勝っている。
 富の違いによるのだろうが、ネワール族を見ていると、領土を増やすこと、侵略するという
 自分たちの領土の外へと向かう志向はあまりなかったようだ。
 だから 兵力を持つことにも興味を示さず、カトマンズ盆地の中で、安穏とした生活を
 送っていたのだろう。
 そのためにインドからの移住者 チェットリ族、バウン族に国を奪われる結果にも
 なったのだろう。
 国を奪われたあとも、人口数ではネワール族のほうがはるかに多かったにもかかわらず、
 国を再び奪い返すということもなく、今日に至っている。

 バクタプールにおいても これだけの歴史的遺産を残しながら、工芸はその後発展せず、
 木工芸の仕事の中心は、カトマンズ近郊の村 ブンガマティに移ってしまった。
 土産物屋で売られている木工製品のほとんどは、ブンガマティで造られたものである。
 バクタプールにもシルッパカールと呼ばれる木工の仕事をする職業カーストがあるが、
 木工工芸というより家を建てる大工(シッカルミ)になってしまっているようだ。

 街全体を博物館のようにして、入場料をとっているせいか、カトマンズに比べると
 建物の保存は良くなっているようだが、バクタプールの人たちの信仰とはかけ離れて
 いっているような気もする。
 それは観光地の持つ宿命のようなものだろう。

 歴史的建造物はともかく、バクタプール庶民の建物の老朽化が進み、建て替えも
 盛んになってきている。至る所で、そんな姿を見た。
 カトマンズに比べると まだ落ち着いたたたずまいを見せているが、旧市街地の外は
 どんどん建物が建ち始め、昔あった田園風景は失われてしまっている。
 ここにも環境汚染の問題は忍び寄ってきている。


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ネパール バクタプール | 00:46:35 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール バクタプール‐2 旧市街の人たち
旧市街の人たち 1

旧市街の人たち 2

旧市街の人たち 3

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旧市街の人たち 5

旧市街の人たち 6

旧市街の人たち 7

旧市街の人たち 8



 旧市街への入り口に監視員がいなかったので、旧市街の中に入ってしまうことにした。
 バクタプールの紹介をするということで自分を納得させることにする。
 実際、入場料である750ルピーも手持ちにはなかった。
 バクタプールの街の中に入ってみると、街の後ろ側辺りには、昔のネワール族の
 カーストの低い人たちが住んでいるようだ。
 低いといっても、中より下の人たちだ。
 アワレと呼ばれる左官職人たちが、住んでいる。
 いつも思うことだが、低いカーストの人ほど、お金を乞う人たちが多い。
 高いカースとの人たちから、困った時には恵んでもらうという姿勢が 習慣化した
 ものだろうか。そうだとすれば、悲しい習慣であるし、そうした関係から上下関係が
 生まれてしまうことに彼らは気がついてはいない。
 年寄りであるほど、その傾向が強い。
 若者たちにはそうした姿勢がないことが救いである。

 今日は天候も暑かったせいか、子供たちが1つ5ルピーのアイスケーキをなめている。

 もう少し内側に入ってみると、今度は、農民カーストの人たちの居住区になる。
 カトマンズ、パタン、キルティプールでは、この農民カーストの人たちのことを
 マハルザンと呼んでいるが、このバクタプールでは、キッサン(ネパール語で農民と
 いう意味である。)と呼ばれている。
 ここでは キッサンとまとめて呼ぶことはなく、様々のグループに分かれている。
 1つの家族から発生したグループが、何十世代も経るうちに1つの大きなグループを
 形作っていったようである。
 スナール、メイチャンなどと呼ばれるグループが百近くあるという話だ。
 日本で言えば、姓のようなものだろう。
 大工の仕事は バクタプールではシルッパカールという職業カーストの人々の仕事で
 あるが、簡単な家具職人の仕事は、このキッサンと呼ばれる農民カーストの人々も
 従事されるようになっているが、木工工芸のような高い技術の要求されるものは、
 シルッパカールの仕事のようだ。

 町の中心部に近づくにつれて、次にはサッキャ、バジャチャーレと呼ばれる
 仏教徒カーストの居住区に入っていく。
 ビハールと呼ばれるバジャチャーレの寺院は仏教、ヒンズー教両方の神々の像が
 並んでいる。その時々の王の信仰の形に合わせてきた結果だろう。
 サッキャ・カーストの住むところでは、あまりこんな形はないようだ。
 カトマンズやパタンのサッキャ、バジャチャーレの居住区に比べると、こじんまり
 している。
 又、カトマンズやパタンに比べると、ヒンズー教色も強いようだ。

 仏教徒たちの住む地区を出て、中心部に近づくと、マナンダールと呼ばれている
 菜種油を作る職業カーストの人たちが、ヒンズー教の神、ガネーシュを祭った寺院の
 前でモミを乾している。
 そして、その向こうには、寺院群か見えてきた。


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ネパール バクタプール | 12:28:04 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール バクタプール‐1 素焼きの職人‐1
素焼きの職人‐1 1

素焼きの職人‐1 2

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素焼きの職人‐1 5

素焼きの職人‐1 6



カトマンズのトゥリップレソールからマイクロバスに乗って、バクタプールへ行った。
 トォリップレソールからバクタプール行きのトロリーバスも出ているが、
本数が少なくやって来ない。
それでマイクロバスを使ったのであるが、走っている時間より停車している時間の方が
長いくらいだ。
停留所ごとに客待ちをして、なかなか出発しない。
その間 ゆっくりあたりの景色を眺めていたのだが、15年近くこの道を
通らないうちにすっかり様変わりしていることには驚いてしまった。
昔 見られた田園風景は、建ち並ぶ家々に変り、所々を流れていた川も臭気を発する
汚れた川になってしまっている。
途中のチミの村も町へと変貌し、どこがチミの町だかわからない。
家々の建ち並ぶ道を1時間近くかかり、バスはバクタプールに到着した。
マイクロバスの到着したあたりは、バクタプールの後側に当たるはずれだった。
歩き回りたかったのは バクタプール周辺の村だったが、ここまでくれば、
バクタプールを見学するのも良い機会だと思い、あたりを散策してみた。

歩き回っているうちに、素焼き用の器を天日で乾かしているところに出会った。
ナンに使うのかと訊いて見ると ダヒ(ネパールのヨーグルト)を入れる器だと言う。
バクタプールは、ダヒの生産でも有名なところである。
この器の中で発酵させたダヒを天秤棒で担いで売りに来るバクタプールの人を
カトマンズでも見かけたことがあるし、カトマンズ市内の店でも売られている。
器の形を見ると 確かにそうである。

この作業をしている人たちは プラジャパティと呼ばれているネワール族の
素焼き職人カーストの人たちである。
バクタプール、チミ辺りにはこの職業カーストの人たちが多く、素焼きの壷、
灰皿、皿などの素焼き製品でも有名な地域だ。

彼らが作業をしているそばには 神様を祭った水場がある。
こぢんまりとした素敵な水場だ。石造りの神の像が置かれ、その造りは精巧なものだ。
素焼きの器と神々の水場が、絶妙の雰囲気をかもし出している。
きちんと清掃されたこの場所の様子から、人々から愛されている場所であることが
伝わってくる。

バクタプールとの再会には、なかなか出だしが良い。
ただバクタプールを囲む道路の内側の旧市街に入っていくためには、10USドルの
入場料が必要だ。これは小さな額ではない。
ネパール人の職人の2日分の日当だ。私の三日分の食費、煙草代、果物代にあたる。
ちょっと考えてしまう入場料だ。
4月7日から選挙のためにネパールは休日に入っている。
このあたりの入り口には 休日のために監視の職員もいないようだ。
ネパール人であることを押し通し、中に入ってしまうかどうか迷ってしまった。


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ネパール バクタプール | 01:37:26 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 春の祭りの始まり
春の祭りの始まり 1

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春の祭りの始まり 6

春の祭りの始まり 7


先日、小雨混じりの中をカトマンズに出かけていった。
四月に入ってからよく雨が降るし、夕方からは肌寒い気候になってしまった。
雨宿りのつもりで、インドラ・チョークの小さな寺院の境内の上に上り、
雨をやり過ごすことにした。
この境内の上では ネパール製のウール・ショールが売られており、そこでは
昔からの知り合いが、20年以上にわたってショールの商いをしている。
昔、彼から何枚かのショールを買ったことがある。
当時、若かった彼も、すっかり中年のおじさんになってしまった。

彼のご馳走してくれたミルク・ティを飲んでいると、辺りが急に騒がしくなり、
赤いサリーを身につけた何人かの女たちが、境内に上ってきた。
アッサン通りを赤い帽子をかぶった大勢の男たちが、神輿のようなものを担いだ
男たちに率いられるようにやってくる。

パンチョーリ・ザットラというお祭りで、コンゲッソリー(コンゴアジマ)という
神様の像を担いで練り歩くお祭りのようだ。
神様の像を担いでいるのは ネワール族の農民カースト マハルザンたちである。
ネワール族の大半の大きな祭りの担い手は、農民カースト マハルザンだ。
カトマンズ盆地の中で、最も古く農耕を営んできた人たちである。
彼らの神様は 土着信仰の神様が多く、大地、天候を司る神様を信仰する。
土着信仰の神様が、仏教化、ヒンズー教化していったようである。

祭りを通して、農作物の豊饒を祈り、同時に地域の農民同士のつながりを深めて
いったのだろう。
このお祭りでは、三箇所から神様が担がれてきて、担ぐ神様は地域ごとに異なり、
地域ごとに、かぶる帽子の色は 赤、黄、白と異なっている。

担ぐ人、太鼓、シンバルのような楽器を叩く人、ラッパを吹く人たちが入り乱れて
行列は進んでいく。お酒の入った酩酊気味の人間もいる。
神様を元の場所に戻したあとは、地区ごとに宴会があるようだ。

ネパールでは 多くの祭りが催されるが、このカトマンズではほとんどがネワール族の
ものである。
昔はカトマンズの人口の大半を占めていたネワール族であるが、
カトマンズの人口増加の波に押されて、その人口比率を下げている。
農民といっても 土地を持たない農民が増えてきている。
郊外へ家を新しく建て、移転していくネワール族も多い。
カトマンズの中心部、繁華街の裏の露地あたりのネワールの住居には、
もうネワール族の姿はなく、貸間になり、地方から出て来たほかの民族の人たちが
住んでいる。
あと一ヶ月もすれば、赤いマッチェンドラナートのお祭りも始まる。
今後、ネワール族の祭りがどう変貌していくのかは、興味のあるところである。

あと数日後に控えた選挙の催しには人は集まらないが、祭りにはまだ人々を
惹き付けるものがある。
昔の選挙は祭りのような要素が強かったが、今の政治の中では、信じることの出来る
ようなものは1つもない。


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カトマンズ 街の風景 | 11:49:22 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ ハヌマン・ドカの木工芸‐2
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 カトマンズ盆地に2000年にわたって住み続けているネワール族の人々、
 彼らは本当に木工芸を愛する人々なのだろう。
 カトマンズのハヌマン・ドカ周辺のマッラ王朝時代に建てられた寺院、王宮、
 クマーリの館、どの建物にも素晴らしい彫刻が施されている。
 窓の一つ一つに、当時の木工芸の巨匠たちの創意工夫が現れている。

 マッラ王朝を征服した、もっと厳しい言い方をすれば、ネワールの土地を奪った
 サハ(ゴルカ)王朝は、こうした工芸を保護することなく、
 その後のラナ専制においては、イギリスの建築様式を真似るばかりで、
 その愚民政策の中で他民族を抑圧し続け、ネパールの山岳民族を、ゴルカ兵、
 イギリスの傭兵として身売りすることで巨額の富を蓄財していった。
 この時代に優れた工芸が生まれていないことは、如何にネパール独自の文化を
 ないがしろにし、インド文化、西洋文化に傾倒していったかが、わかる。

 こうした中断がなければ、カトマンズの木工芸は、世界に名だたるものに
 なっていただろう。
 商いによって得た富を喜捨することで、寺院を造り続けていたネワール商人は、
 インドのマルワリ商人に取って代わられてしまう。
 ラナ家がマルワリ商人を優遇することで、ネワールの大商人たちは、その地位を
 マルワリ商人に奪われていく。
 マルワリ商人は、商売で得た利益はすべてインドへと持ち帰る。
 富はすべてインドへと流れていくのである。
 なんと愚かな政策であったことか。
 このことで、ネパールの経済は、インド マルワリ商人に今も 牛耳られているのだ。
 そして、その周りには王族、官僚、政治家がダニのようにまとまりついている。

 商売によって得た富が、寺院、公共福祉へと循環していくシステムが失われていく。
 その中では、更なる工芸の発展はなかったと言っても良い。
 だから、マッラ王朝崩壊以後、素晴らしい木工芸の粋を尽くした素晴らしい遺産は
 生まれてはいない。

 すべての悪循環がこの国を覆い尽くしている。
 それが、マッラ王朝時代の遺跡の保存をこんなにしている。
 カトマンズの優れた建造物は、ネワール族の遺産であることから、
 権力を握るバウン族、チェットリー族の関心の外にある。
 だから、政府は保存、修復には関心を示さない。
 全くの朴念仁だし、田舎者なのである。文化を理解しない山奥の野蛮人なのである。
 政治家として、権力者としてカトマンズで君臨しても、自らの蓄財のみに走る野蛮人
 にすぎない。
 それがネパールの不幸である。


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カトマンズ 街の風景 | 01:45:04 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ ハヌマン・ドカの木工芸
ハヌマン・ドカの木工芸 1

ハヌマン・ドカの木工芸 2

ハヌマン・ドカの木工芸 3

ハヌマン・ドカの木工芸 4

ハヌマン・ドカの木工芸 5

ハヌマン・ドカの木工芸 6

ハヌマン・ドカの木工芸 7

ハヌマン・ドカの木工芸 8

ハヌマン・ドカの木工芸 9


 カトマンズの旧王宮広場のハヌマン・ドカには数多くの寺院が建ち並んでいる。
 13世紀から18世紀までこのカトマンズ盆地に王国を築き上げたマッラ王朝時代の
 ものだ。
 その当時の木工彫刻の粋を凝らした素晴らしいものだ。
 ネワール族の木工職人カースト シルッパカールたちの技術の高さを証明している。
 最近は、メンテナンスにも力を入れ始めているが、私が25年前にネパールに
 やって来た頃は、充分な管理もされず、捨て置かれていた状態だった。

 このカトマンズの地を力ずくで奪い取ったサハ王朝も、その後のラナ摂政制時代に
 おいてもネワール文化の質の高さには目を向けず、ラナ家の時代に入ってからは
 ひたすら、イギリス風の建築様式を追い求め、ネワール文化は無視されていたようだ。

 このハヌマン・ドカの王宮広場にしても、パタンの王宮広場、バクタプールの王宮広場
 キルティプールにしても、すべてネワール族のマッラ王朝時代に造られたものである
 ことは忘れてはならないことだ。
 王宮のみならず、カトマンズ盆地の中の旧市街地はすべて、ネワール族の手によって
 造られたものだ。
 今の王制が造り上げたものなど わずかしかないのが事実である。
 そこをしっかり認識しておかないと、カトマンズの文化は見えてこない。
 大半の旅行者は カトマンズの数多くの寺院を見て、ネパール文化と片付けてしまうが
 ネワール文化というのが本当である。

 カトマンズ征服以降 支配者階級であったチェットリ族(武士カースト)バウン族
 (僧侶カースト)はカトマンズを200年以上にわたって支配してきたが、
 彼らの文化は、インド亜流のもので、単にインドを真似ていただけのものだ。
 彼らの出自がインドであったことから、どうしてもインド志向になってしまったので
 ある。
 ネパールで1番進んでいたカトマンズのネワール族の文化、都市機能を利用しながら、
 搾取を続けてきただけの王朝だった。
 そのため、ネワール文化以上の特有の文化は残していない。
 木工芸、仏像の鋳造、建築などはすべてネワール族のものである。
 ドゥンゲ・ダーラと呼ばれる上水道の施設など、当時のネワール族の土木技術、
 石彫刻の技術の高さ、公共福祉への姿勢も見られる。リッチャビからマッラへと
 つながっていくネワールの国づくりは、これからのネパールの国づくりにも 充分
 有用なはずである。
 15世紀には世界水準に達していた文明を持っていたネワール族の叡智、知恵、能力は
 もう一度見直されてもいい時期に来ているはずだ。
 そして、ネワール族自信のもっと心を広く持ち、すべてのネパール人のために、
 その力を発揮してもらいたいと思う。
 その能力が、すでに化石化してしまっているのか、再生の道を辿るのかは、
 ネワール族のこれからの努力にかかっているし、それを期待したい。


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カトマンズ 街の風景 | 22:42:40 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ カトマンズの夕暮れの風景
夕暮れの風景 1

夕暮れの風景 2

夕暮れの風景 3

夕暮れの風景 4

夕暮れの風景 5

夕暮れの風景 6

夕暮れの風景 7

夕暮れの風景 8


夕暮れ時に カトマンズから家路に向かう。
ふと 後ろを振り返ってみると 昔ながらのカトマンズが 顔を出したような気がして
懐かしい気持ちになる。
ツリケルの広場にはもう人の姿はなく、その向こうには家の明かりが、つき始める。
横断歩道橋の上に佇んでみると、あわただしいはずのビンセン・タワーあたりも
忍び寄る夕闇の中で しっとりとした情趣をかもし出している。

家路に向かって、歩を進めるにしたがって、太陽はやさしく夕暮れ時の穏やかな光を
投げかけてくる。
『夕焼け小焼けで日が暮れて…』という幼い日に家路を急いだ頃の気持ちが
蘇ってくるのは どうしたことだろう。

夕闇は カトマンズの汚れを押し隠し、25年前に感じさせてくれた時間の流れを
取り戻してくれる。
こんな時に カトマンズは 昔ながらの美しさを取り戻し、再生する。

沈み行く夕陽にあわせて、ゆっくりゆっくり足を進めていく。
タパタリのラーマ寺院の向こう、バグマティ川の向こうの山間に 
夕陽は沈もうといている。
まだこんな美しい光景が 残っていたのかと、驚かせてくれる習慣だ。

バグマティ橋の上に立てば、折からの雷雨のあとで、その臭気を押し流している。
橋のたもとの路上の市場で夕食の糧を求める人々の流れ、
そして 闇は迫りつつある。
どんなに暮らしに困っていても どうにか今日一日を終えることの出来る安堵感は
すべての人の心の中にある。
そんなことを思いながら、私も家路を急ぐ。


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カトマンズ 街の風景 | 14:09:37 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 四月の雨
カトマンズ 四月の雨 1

カトマンズ 四月の雨 2

カトマンズ 四月の雨 3

カトマンズ 四月の雨 4

カトマンズ 四月の雨 5

カトマンズ 四月の雨 6


 家賃の支払いのために、午後から銀行に両替に行く。
 雨模様の曇り空の中を 傘を持たずに 出掛けてしまった。
 ネパール航空の前まで、ミニバスで行く。
 乗せられるだけ乗客を乗せ、すし詰め状態、以前は定員制だったのに、いつの間にか
 その制限はなくなっている。規則があってないようなもの それがネパールだ。

 ビシャル・バザールのすぐ横にあるヒマラヤン・バンクに行く途中のニューロードの
 パン屋でドーナツを二つ買う。1つ12ルピー、小麦粉、食用油の値上がりから、
 10ルピーから12ルピーの値上がり、物の値上がりは日本だけでなく、ネパールも
 同じことである。このドーナツは、朝食用のためだ。

 ヒマラヤン・バンクは他の銀行より現金での両替のレートが良い。
 今日は1万円で6340ルピーだった。

 次はアッサン広場へ向かうが、わざと、路地裏の道を選んで遠回りをする。
 路地裏にカトマンズの昔からの民 ネワール族の生活がある。
 迷路のようになった道の奥に、10年以上前の美しい彫刻を施した窓を見つけることが
 出来る。
 今日見つけた場所は、コンサカールというネワールカーストの工芸職人の住居だった。
 空はすっかり掻き曇り、雨までは時間の問題、まるで夕暮れのような有様だ。
 写真を撮ろうにも、明るさが足りない。まだ午後3時前だというのに。
 路地裏の奥に入り込み、カメラを向け、フラッシュをたくと、何事かと人が出てくる。
 家屋の1階に間借りしている人たちだった。
 話を聞くと、東ネパールの山岳地方イラムを故郷とするライ族の家族だった。
 薬になる木の実、草などを故郷の山からカトマンズに運び、薬を作り、売っている。
 夫婦と子供3人の5人家族だ。バウン族の男が一人、客としてきていた。
 昔、東ネパールに行ったことがあるので話が弾む。
 ライ族というのは、ネパールの先住民族で、キラティと呼ばれ、狩猟民族であったようだ。
 イギリスのグルカ兵としても、スナイパーとして重宝されたようだ。

 アッサン広場の近くの煙草の卸売りの店で煙草を1カートン買う。煙草も値上がり、
 シカールと云う銘柄のネパール煙草の卸値が、1カートン 368ルピーから
 408ルピーへの値上がりである。
 広場の野菜売りから 蕨のような山草とライムを3個、そして、1キロ60ルピーの
 平茸を500グラム買ったと思うと、雨が降り始めた。
 大急ぎでもと居たビシャル・バザールで 雨宿りをするつもりで急ぐ。
 雨脚はどんどん激しくなる。ずぶ濡れになる前にビシャル・バザールに到着した。
 3時過ぎだというのに夜のような暗さだ。雷の音、稲妻が走っている。
 どうもしばらくは止みそうにない。空気も冷え込んできて、長袖でも寒い。

 雨宿りした店の前が電気屋、40インチの液晶テレビが飾ってある。
 値段を訊くと、20万ルピー(約32万円)、1ヶ月に1台程度は売れるという。
 そんな家には、大型充電器があり、それを使って停電中もテレビが見ることが出来る
 という。
 停電に苦しむのは、貧乏人ばかりかと、情けなくなってくる。
 クレカニの第2発電所の修理は、終わったというのに、電気事情はよくならない。

 1時間経って、雨はやっと小降りになる。
 お腹も空いた。タパタリのネワールの食堂で モモとツエラ(水牛肉の和え物)を
 食べようと思って歩き始める。
 食堂に着いたはいいが、今日は寒かったせいで、すべて売り切れ、仕方がないので 
 アル・タルカリ(ジャガイモカレー)とツエラとセクワを食べて、家に向かった。


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カトマンズ 街の風景 | 11:55:22 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ マッラ王国の英知 水を求めて
マッラ王国の英知 水を求めて 1

マッラ王国の英知 水を求めて 2

マッラ王国の英知 水を求めて 3

マッラ王国の英知 水を求めて 4

マッラ王国の英知 水を求めて 5

マッラ王国の英知 水を求めて 6

マッラ王国の英知 水を求めて 7

マッラ王国の英知 水を求めて 8


 3月も終わりに近づき、乾期の真最中のカトマンズ、カトマンズ庶民にとっては
 水不足に悩む地獄の季節を迎えている。
 政府の水道局からの水道水の供給は2日に1度、2時間程度、計画停電の時間帯に
 重なれば、モーターを使って水を引き込むことも出来ない。
 人口増加、建設ラッシュは、水不足に益々拍車をかけている。
 私のところのように地下水を利用している家は、どうにか生活できるが、間借り生活を
 強いられている人々にとっては、水を確保するためには、大変な忍耐を要する。

 こ20年近く政府によるカトマンズへの水の供給の対する成果は 全く上がっておらず、
 カトマンズ盆地の外から水を引き込む計画は、前から始まっているが、汚職、賄賂、
 使い込みで、大幅に遅れており、いつ完成するのかも、めどが立っていない。

 政府による水道水の供給が、充分でなければ、カトマンズ庶民は、どうするのか。
 今、カトマンズ庶民への水の供給を支えているのは、なんと、3,4百年前の
 ネワール族のマッラ王朝時代に完備されたドゥンゲ・ダーラ、ネワール語でヒティと
 呼ばれる共同水道である。
 ここ20年間のネパール政府が 如何に無能・無策であったかが、見て取れる。
 あきれ果てるばかりである。
 マッラ王朝が、民衆の公共のために如何に努力していたか、そしてその遺産である
 ドゥンゲ・ダーラが 今も役に立っていることは驚くべきことだ。

 今、カトマンズの中心部に住む庶民にとっての唯一の頼りはこのドゥンゲ・ダーラ
 だけである。
 それだって、長い行列の中で、時間をかけてのみ、手に入れることの出来る水だ。
 日長一日の仕事だ。子供や娘たちがその仕事に借り出されている。

 それにしても 13世紀から18世紀後半まで続いたマッラ王国の繁栄には
 目覚しいものがある。過剰なるものは、神社・仏閣にお金を投じ、公共福祉にも
 惜しまず、お金を使っている。
 今のネパールの政府にも見習ってもらいたいものだ。
 賄賂、汚職、使い込み、これが当然のことのようにまかり通る現政府、後世に
 何を残すことが出来るというのだろう。
 政治家、官僚の懐ばかり豊かになっていくネパール社会、特定の民族だけが
 優遇されていれば、今に不幸を呼び込むことになるだろう。

 カトマンズにあるドゥンゲ・ダーラ、ヒティ(共同水場)を見回り、今の政府の
 愚かさと、数百年前のネワール族のマッラ王国の賢さ、それがはっきりと見えてきた
 ことには、皮肉な笑いも出てきた。

 カトマンズ庶民よ、もっと怒れ。
 選挙も近い。
 怒りを向けるところはどこかと、しっかり見つめろと言いたくなってしまう。
 カトマンズの昔からの民 ネワール族も、もう一度、マッラ時代の英知を
 発揮してもらいたい。
 ネパール国民の融和のための柱として、中心として 柔軟に他民族を受け入れ、
 ネパールのために一仕事してほしいと願う。


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カトマンズ 街の風景 | 00:17:55 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパールの食べ物 カトマンズ 食べて 大丈夫?
カトマンズ 食べて 大丈夫? 1

カトマンズ 食べて 大丈夫?2

カトマンズ 食べて 大丈夫? 3

カトマンズ 食べて 大丈夫? 4

カトマンズ 食べて 大丈夫? 5

カトマンズ 食べて 大丈夫? 6

カトマンズ 食べて 大丈夫? 7


 バンコクからカトマンズにやってくると、そのあまりの違いに呆れ果て、
 この街にどう馴染んでいくか、考えてしまう。
 体と心が、この街に馴染んでいかないことには、何も見えてこない。
 カトマンズの街中は、ゴミがいたるところに散らばり、乾期のこの季節には
 埃も舞い、空気すら霞んで見える。
 そんな中で、路上の食べ物売りは、食べ物を売り、客はその食べ物を買い、
 路上で食べる。
 南京豆売り、切り分けた果物売り、サモーサ売り、こんなものが埃の舞う、
 ゴミの散らばる路上で売られ、人々はそれを食べる。
 こんな光景を見ると、無菌室の日本からやって来た旅行者は、驚き、拒否反応を
 示す者もいるだろう。
 カトマンズ庶民の出入りするレストランやこうした路上の食べ物屋は、おおむね
 そんなものだ。

 どうも 我々日本人とは、清潔に対する考え方が違うし、雑菌に対する抵抗力も違う。
 その国の環境にも拠るのだろうが、どうもこれは国民性の問題のようにも思える。
 ネパールの場合、多くの民族が生活しており、民族によっても、清潔、不潔の感覚が違 
 い、一概にネパール人はと云うことは難しい。
 ネパールのアンナプルナのトクチェ・ピーク辺りに住むタカリ族などは、例外的に
 清潔好きで、彼らの経営するレストランであれば、安心して食べることが出来る。
 彼らの作るネパール定食 ダール・バート・タルカリにはネパール人の間でも
 定評がある。

 カトマンズのネワール族は、昔からのカトマンズの住民であるが、無類の酒好きだ。
 米から作る蒸留酒ロキシー、ジャール(どぶろくの1種)を家庭でもつくり、
 行事には欠かせない。
 ローカルな飲み屋の大半は ネワール族の店であり、ネワール族の中のマナンダール
 (食用油の製造、販売に従事するネワール族の中のカースト)の店が多い。
 旧王宮広場の裏の細い路地は、ネワール族のこうした店の並ぶ路地裏だ。
 こうした店も我々の感覚からすれば、清潔とは云い難い。
 昼間でも薄暗く日の差さない食べ物屋の中で、多少の汚さなど気にもせず、
 ネパール人たちは、チューラ(乾した飯)チェラ(半煮えの水牛肉の和え物)、
 モモなどを軽い昼食代わりに食べている。
 食べるにはちょっと勇気がいる。
 同じ人間が食べているのだから、大丈夫だと思い込むより仕方ない。
 彼らからすれば、お腹を壊すことがなければ、問題なしという考えなのだろう。
 何より大切なことは安くて美味しいことが優先する。
 きれいなファーストフードの店が美味しいとは限らない。
 酒を飲むにしても、ビールやウィスキーを飲んでいたのでは、彼らの収入を超えてしまう。
 
 ネパール人を見ていると、不潔・清潔に対する感受性が、日本人とは違うようだ。
 雑菌に対する抵抗力も日本人よりはるかに強いようだ。
 これからの世界、どちらが生き残っていくのだろうか。
 
 路上ではインドからやって来た果物売りやココナツ売りを見かける。
 今の時期なら、パパイヤ、パイナップル、スイカなど切り売りしている。
 乾いてくると、どういう類の水かわからないが、ふりかけている。
 この水が怖いのである。ネパール人は気にもしないで、買って食べている。

 路上の食べ物、ローカルな食堂の食べ物、どこまでを良しとするかは、
 あなたの強靭な胃袋しだい、
 判断の基準は、人それぞれであるが、埃舞う路上の食べ物だけは、私は遠慮したい。


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ネパールの食べ物 | 13:33:00 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ カトマンズで食べる
カトマンズで食べる 1

カトマンズで食べる 2

カトマンズで食べる 3

カトマンズで食べる 4

カトマンズで食べる 5

カトマンズで食べる 6


 カトマンズで生活することになると、食べることに 相当神経を使うことになる。
 日本食レストランや洋食レストランで食べるゆとりのある人間は別として、
 節約のために 自炊に頼らざるを得ない者にとっては、様々の問題が山積している。
 調理のための水とプロパンガスは必須のものである。

 私の住んでいる大家のところは、地下水が利用でき、水はどうにか確保出来る。
 カトマンズの場合、地下水によっては、鉄分などが異常に多く含まれ、食用には
 適さない水があり、置いておくとすぐに鉄分が酸化して、水は茶色に変色してしまう。
 私の住んでいるところの水は、どうにか食用には適している。
 モーターを使って地下水を汲み出すわけだが、乾期のこの時期は、水量も落ち、
 モーターを使っても僅かしか汲みだすことは出来ない。
 政府から水が充分に供給されない以上、どうにもならない。
 3日に1度2時間ばかりの水の供給があるが、計画停電にぶつかってしまえば、
 その貴重な水も、引き入れることは出来ない。
 政府からの水を引き入れるにもモーターが必要だ。
 カトマンズ盆地の外には多くの水源があるが、政府の怠惰から、一向に開発が進んで
 いかない。

 次はプロパンガスの問題であるが、インドと国境を接する南ネパール地方のタライで
 つい最近までバンダ(ゼネスト)が2週間近くに及び、ガソリン、灯油、重油 そして
 プロパンガスがカトマンズに入ってこなかった。
 その影響のため、今でもプロパンガスの供給は充分ではない。
 私の場合、予備のガスボンベが1本あり、今回の滞在では問題はない。
 料理もネパール料理のように時間のかかるものではないから、ガスの消費量が
 少ないことが せめてもの救いである。

 日本人の私がどうしても必要なものは、醤油と味噌である。
 醤油はカトマンズでもマレーシア製のキッコーマン醤油が手に入るが、
 物価高のカトマンズを恐れ、タイから、1リットルの醤油を持ってきた。
 だしの素は日本から持ってきた。
 味噌はネパール人が日本方式で作っているから、どうにかなる。
 米はネパール生産の日本米が、1キロ70ルピーから75ルピーで手に入る。
 日本の米ほど美味しいとはいえないが、我慢できる味である。
 少しでも美味しく食べようと思えば、1時間は水につけておく必要がある。

 ネパールで嬉しいことは、野菜が安いことだ。種類も多い。
 白菜、青首大根、カリーフラワー、ブロッコリー、ほうれん草、えんどう豆、ナス、
 ほとんど日本の同じものが格安の値段で手に入る。
 中国人が作る豆腐など、1丁15ルピーで手に入り、充分に美味しい。
 湯豆腐、麻婆豆腐、入り豆腐、豆腐ステーキと楽しめる。
 鶏のミンチと豆腐を組み合わせれば、豆腐ハンバーグも大丈夫だ。

 今の時期、カトマンズ盆地を囲む山々からわらび、ぜんまいの、こごみのような山菜が
 入ってきている。
 日本のものほど あくがないので少し茹でて、調理すれば、わらび、ぜんまいの卵とじ、
 山菜飯、おひたしと楽しむことが出来る。てんぷらにしても美味しいかもしれない。

 暗いろうそくの明かりのなかで、電気の来るのを待ちながら、料理の準備をするのも
 停電中の暇つぶしにはなる。
 1週間のうち4日も 夕食時、停電というのでは、こうでもしない限りやっておれない。


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ネパールの食べ物 | 00:27:54 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 生き抜く人々‐07 インドから来た人たち
カトマンズ 生き抜く人々‐12 インドから来た人たち 1

カトマンズ 生き抜く人々‐12 インドから来た人たち 2

カトマンズ 生き抜く人々‐12 インドから来た人たち 3

カトマンズ 生き抜く人々‐12 インドから来た人たち 4

カトマンズ 生き抜く人々‐12 インドから来た人たち 5

カトマンズ 生き抜く人々‐12 インドから来た人たち 6


 街中を歩いていると、インドから出稼ぎにやって来ている路上の物売りたちを
 見かけることが多い。
 南ネパールのインド・ネパール国境辺りにも多くのインド系ネパール人もいるから、
 尋ねてみないことには、ネパール国籍なのか、インド国籍なのかはわからない。

 インド国籍の路上の物売り、路上の床屋、路上の串焼きの水牛肉を売る人たち、
 彼らは、インドで最も貧しい州であるとされているビハール州からやってくる。
 未だに大地主制が残り、インドでも保守的な州だ。
 地主と小作人の争いが絶えず、騒動が持ち上がると、地主が ギャングを雇い、
 小作人の村を襲撃させ、村人を殺戮するという事件もよく耳にする。
 今でもダコーツと呼ばれる山賊集団があり、ネパール人、インド人の旅行者は
 ビハールを旅するときは、細心の注意を払う。

 そんなビハールで仕事を得ることの出来ないインド人たちがカトマンズに出稼ぎに
 やってくる。カルカッタに出るよりカトマンズに来る方が近いこともある。

 ネパール人が路上での物売り、行商を嫌がることから、彼らの仕事も 容易に
 見つけることも出来る。

 カトマンズのスンダーラあたりで水牛肉の串焼きを焼いて売っているのは、
 ビハール州のパトナ周辺の村からやって来たイスラム教徒たちだ。
 インドでは、水牛肉を食べるのはイスラム教徒たちで、ヒンズー教たちは食べない。
 このカトマンズでは、昔はネワール族と仏教徒の山岳民族だけが 水牛肉を食べていたが、
 近頃は、大半のネパール人が水牛肉を口にするようになっている。
 それだけに 水牛肉の串焼きは 商売になる。

 水牛肉の串を焼いているインドからのイスラム教徒の顔はなかなか立派である。
 インド全土を支配したムガール帝国の戦士の末裔たちなのであろうか。
 一見怖そうに見える彼らであるが、話しかけると 人懐っこい表情を見せる。
 キチャポカリの肉・魚市場の魚を売る人たちもイスラム教徒であるし、
 今彼らが串焼きを売っているあたりの肉屋も イスラム教徒である。

 路上の床屋たちもインド人である。インドとネパールを一年に何度か往復している。
 お金が溜まると、インドに帰郷し、再びカトマンズにやってくる。
 家族思いのインド人の一般的な姿だ。
 働くことを厭わないインド人、出来れば怠けてすごしたいネパール人とは
 大きな違いがある。

 路上の子供たちを見てもそうである。
 インドからやって来ている子供たちは、廃品集めをして生活しているが、
 ネパール人の路上の子供たちは、こじきをし、お金が余分に入れば、シンナーを
 吸っている。
 大人の姿が、子供の生活にもはっきりと反映しているのである。
 それは、自立していこうと努力をしてきたインドと 
 援助ばかりを頼ってきたネパールとの違いでもある。
 楽をして、儲けようというネパール人、これではいつまでたっても国の発展はない。
 路上の行商人、子供たちを見ても インド人たちのほうが一枚上手である。


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カトマンズ 生き抜く人々 | 13:20:31 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 生き抜く人々‐06 街を清掃する人たち
生き抜く人々‐11 街を清掃する人たち 1

生き抜く人々‐11 街を清掃する人たち 2

生き抜く人々‐11 街を清掃する人たち 3

生き抜く人々‐11 街を清掃する人たち 4

生き抜く人々‐11 街を清掃する人たち 5


 カトマンズの繁華街を歩いていると、朝夕、道路を清掃している人々に出会う。
 タメルなら、タメルの商店主と月極めで清掃の契約をしている人たちだ。
 カトマンズのネパール人たちは、家の前、店の前にどんなにゴミが散らかっていても
 掃除をしようとはしない。
 通りの清掃は、自分の領分ではなく、月極めで契約している清掃人の仕事だと
 思っている。
 だから、彼らが賃金値上げのストライキ、あるいはゴミの捨て場所がなくなれば、
 たちまち、街には ゴミの山が至るところに現出して、あたり一面、生ゴミの臭気を
 撒き散らすことになる。

 カトマンズでは、ゴミの処理は大きな悩みの種である。
 カトマンズ郊外の村と契約してゴミ捨て場を確保しているが、ゴミを廃棄した後、
 必ず、土をかぶせるという約束でありながら、業者、政府のゴミ収集車は、
 その約束を守らない。
 そのために ゴミ捨て場周辺は悪臭に悩まされることになる
 それに耐え切れなくなった近隣の村の住民たちが、ゴミを捨てることを
 拒否することがたびたびだ。
 そのたびにカトマンズは、至るところがゴミの山になる。

 月極めの清掃人たちは、決められた場所までゴミを運ぶだけで、そこから先は、
 ゴミ収集車を持っている政府や業者の仕事になる。

 タメル地区や繁華街で通りを清掃している人たちは、昔からの掃除人カースト 
 ポーレと呼ばれる人たちである。
 魚採りを生業にしながら、汚物の処理をする低カーストの人たちである。
 昔から川の近くに住んでいる人たちだ、
 火葬の際、そのあとの清掃もする。
 そのため、他のカーストの人たちから差別を受けてきた人たちである。
 戸外の清掃は、ポーレの仕事という考えがあり、他のカーストの人たちは、
 決して 手を出さない。
 出稼ぎで国外であればする仕事も、ネパール国内では決してしようとしない。
 朝夕に彼らが清掃したあと、どんなに通りが汚れても、誰も清掃しようとしないから
 カトマンズの街は、ゴミであふれているのである。

 彼らがいるから、少なくとも街がそれなりに姿を保っているにしても、
 彼らに対する差別的な意識はあっても、感謝の気持ちはないのである。

 カトマンズ市民は 街を清潔に保つのは、自分たちの仕事ではないと思っているから、
 積極的に街の美化に参加することはない。
 なんとも困ったカースト制である
 誰も手を出さないから、彼らの仕事が成り立っているところもある。
 どんどん月極めの賃金の値段を釣り上げていけばいいと思う。
 そのお金を彼らの子供の教育に使えば、彼らの地位も上がっていく。
 人の嫌がる仕事を黙々とこなしていく彼らの仕事がなければ、街の清潔は保てない。
 カトマンズ市民は もっと彼らに感謝すべきである。
 カーストの低い人間だから、感謝する必要がないと思うのは 傲慢である。
 汗水たらして働き、社会に貢献している人に身分の高い低いはないはずだ。
 政治家や高級官僚になって、賄賂、汚職を繰り返している人間の方が、余程 醜い。
 どんな高級住宅に住み、自家用車に乗り、スーツに身を固めていたとしても、
 彼らの心の中は、清掃する人たちの扱うゴミより不潔であり、汚れている。


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カトマンズ 生き抜く人々 | 04:23:59 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 廃品を集める子供たち
生き抜く人々‐10 ゴミを集める子供たち 1

生き抜く人々‐10 ゴミを集める子供たち 2

生き抜く人々‐10 ゴミを集める子供たち 3

生き抜く人々‐10 ゴミを集める子供たち 4

生き抜く人々‐10 ゴミを集める子供たち 5

生き抜く人々‐10 ゴミを集める子供たち 6

生き抜く人々‐10 ゴミを集める子供たち 7


 カトマンズの街の中を歩いていると、大きなズタ袋をさげ、せっせと廃品拾いに
 精出している子供たちを見かけることがある。
 顔つきを見るとインド系の顔つきの子供たちである。
 インド・ネパール国境近くのインド側から親や親戚と一緒にカトマンズにやって来た
 子供たちだ。
 インドで食べることが出来ないから、カトマンズにやって来る。
 しかし、技術もパスポートもない彼らにインド大使館の援助はない。
 大体 大使館というものは 貧乏人など用はないのだ。
 ネパール人ではない彼らには教育の機会もない。
 廃品集めをする親の手伝いか、自分のためのお金を、廃品を回収して、お金に買えて
 生活している。
 彼らにとって1番の敵は犬である。大きなズタ袋を提げて、犬の前を通りかかると
 街の犬たちは必ずといっていいくらい、彼らに吼えかかる。
 周りのネパール人の彼らに対する蔑みの気持ちを知っているかのように。

 カトマンズのテク橋一帯は、カトマンズ市民のゴミの集積場所だ。
 一旦、ここに集めてカトマンズ郊外の村にあるゴミ集積所に運ぶ。
 カトマンズ市のごみ収集車は、皆ここに集まってくる。
 集まって来るのは、ゴミ収集車だけでなく、そのゴミの中から、お金になりそうな
 ペットボトル、プラスティック製品、金物を拾い集める子供たちも集まってくる。
 それを区分けしている大人たちもいれば、買い上げる業者もいる。
 だから、カトマンズでは、日本のようにゴミの区分けをする必要はない。
 リサイクル可能なものは、彼らの手によって回収される。
 そして、インドから逃げ出し、カトマンズに生活の糧を求めてやってきた最貧層の
 インド人たちの最後の砦である。

 このあたりは私の住んでいるところから、数分のところにある。
 時々の散歩コースにもなっている。
 ここには 人間のすべてを含んだ人間模様があるからだ。

 ゴミと流れ来る下水で、目も当てられないバグマティ川の岸辺には、廃品を集める
 インド人たち、スラム、寺院、火葬場、立派な住宅群と何でも揃っており、
 さながら、現世にある天国と地獄である。慈悲のない世界だ。
 仏も神もあったものではない。
 人間が生きていくことは、こうも過酷なものかと、圧倒されるばかりである。
 今日の食べ物を得るためには、大人も子供も関係なしに、お金を得る方策を
 考えざるを得ない。
 これはアジアの発展途上国なら、どこでも見られた姿だ。

 発展をしていないネパールにもこの波が押し寄せてきている。
 政治の怠慢からだ。その責任を問う国民もいなければ、真剣に地道に活動する政治家も
 いなければ、市民運動家もいない。
 皆、お金が手に入り易い場所、マスコミの話題に上り易い場所ばかりを求めている。
 貧しいものたちは、どんな形でも生きていかなくてはならない。
 誰からも見放された中でも 大人も子供も生き続けていくより方法はないのだ。

 平和ボケした日本の援助団体には、こうした最貧層の姿は見えてこない。
 現在の日本の価値観、生活観からしか、ネパールの姿は見えてこない。
 そういった日本人に係わるネパール人も、如何に日本人からお金を引き出し、
 自分のものにしていくか、そのことばかりを考えている。
 そういう日本人は、お金目的のネパール人に体よく利用されてしまう。
 利用されていることすら、見えない。
 こんな中からは、真のネパールとの友好関係、共感は生まれてはこない。
 本当に援助を必要としている人たちの下へは、援助の手は届かない。
 ネパールの実情がわからぬうちは、簡単な気持ちで援助などと、手を出さない方がよい。
 逆効果にもなりかねない。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 12:04:29 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 生き抜く人々-05 老人の顔
生き抜く人々-9 老人の顔 1

生き抜く人々-9 老人の顔 2

生き抜く人々-9 老人の顔 3

生き抜く人々-9 老人の顔 4

生き抜く人々-9 老人の顔 5

生き抜く人々-9 老人の顔 6

生き抜く人々-9 老人の顔 7


 ネパールには50以上の民族があり、それぞれの文化・生活習慣によって生活している。
 民族によっては ネワール族のようにカトマンズを住処としてきた比較的豊かな民族もいれば、
 タマン族、マガール族のように山間の僅かな土地にしがみついて生活してきた貧しい民族もいる。
 あるいは支配階層として長年にわたってネパールを支配してきたチェットリ族、バウン族もいる。
 どの民族に生まれ、どのカーストに生まれるかは、その人間の人生に大きな影響を与え、
 その後の一生を支配してしまう。
 しかし、幸福であろうと、不幸であろうと誰しも 齢を重ね、年老いていくことを
 避けることはできない。

 
       あーあ

  最後に
  あーあというて人は死ぬ
  生まれたときも
  あーあというた
  いろいろなことを覚えて
  長いこと人はかけずりまわる
  それから死ぬ
  私も死ぬときは
  あーあというであろう
  あんまりなんにもしなかったので
  はずかしそうに
  あーあというであろう

        天野 忠  ~ 動物園の珍しい動物より

 こんな風に終わってしまう一生も 人間に様々の表情を作り出し、
 しわを刻んでゆく。

 白いサリーを身につけたバウン族の老女は、その姿・形によって、高カーストで
 あることの示そうとするし、タマン族の老女は、今まで背負ってきた苦労が
 顔のしわに、その体ににじみ出ている。

 豊かでお互い同士深いつながりを持つネワールの老人たちは、幼馴染とゆったりと
 休日の午後を過ごす。

 遠い昔からカトマンズに住み着いているイスラム教徒の老人は、年老いても
 商いに精を出す。
 インドからやって来てカトマンズに住み着いたシーク教寺院の用務員のシークの老人、
 どういう訳か、カトマンズから80キロ以上はなれたツルスリの村からカトマンズに
 やってきて、疲れ果てて座り込んでいるチェットリ族の老人、なんと人間はいろいろの顔を
 持つものだろうか。
 彼らの顔を見ながら、私自身も自分の顔が気にかかる。
 生活の過酷なネパールでは、それぞれの人々の顔に深く、その人の歴史が刻み込まれて
 ゆく。
 ヒンズー教徒、仏教徒、イスラム教徒、シーク教徒
 山の人、街の人、インド国境近くに住む平地の人
 カーストの高い人、 低い人
 金持ち、貧乏人
 これらの要素が絡み合って、創り出されたネパールの老人たちの顔がある。


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カトマンズ 生き抜く人々 | 01:51:54 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 生き抜く人々-04 リキシャを漕ぐ男たち
生き抜く人々-8 リキシャを漕ぐ男たち 1

生き抜く人々-8 リキシャを漕ぐ男たち 2

生き抜く人々-8 リキシャを漕ぐ男たち 3

生き抜く人々-8 リキシャを漕ぐ男たち 4

生き抜く人々-8 リキシャを漕ぐ男たち 5


 オートバイ、自動車と急激に増えたカトマンズでは、リキシャは無用の長物に
 なりつつある。
 狭い穴ぼこだらけのカトマンズの道では、嵩ばかり大きくて、スピードのでない
 リキシャは、交通の邪魔にすらなっている。
 自転車に乗って移動することの多い私にとっては、前にリキシャが走っていると、
 邪魔で仕方がない。
 歩くことの嫌いなインド人、カトマンズ在住のチベット人などが乗っていると、
 歩け歩けと言いたくなってしまう。
 道の渋滞の原因が動きの遅いリキシャが原因になっていることも多いのである。

 と思いつつ、学校もろくろく行っていない村からやって来ているリキシャを漕ぐ男たち、
 手っ取り早くお金を稼ぐ方法はといえば、体力があれば、リキシャを漕ぐか、荷運び
 人夫になるより他に道はない。
 農閑期にカトマンズに出てきて稼ぎ、農繁期には 村に現金を持ち帰り、
 田植え、稲刈りに精を出  す。大半は素朴な農民たちなのだ。

 人力車といえば、インド・カルカッタが有名である。
 その人力車を主人公にした有名な小説がある。映画化もされた。
 その名は『 The City of Joy 』 フランス人の Dominique Lapierreによって
 書かれたものである。
 インドの貧しいビハールの村から追い出された家族が、カルカッタに行き、主人公が
 人力車をしながら、苦労して娘を嫁に出すといった話だった。

 この間カトマンズに来る前にバングラディッシュのダッカに寄ったが、
 ベンガル人特有のエネルギッシュなリキシャの漕ぎ方で、のんびりと走っている
 カトマンズとは随分違うと思ったし、リキシャも漕ぎ手もこざっぱりしている。

 そんなリキシャを漕ぐ男たちのひとりに話を聞いてみた。
 年齢45歳、リキシャ稼業を始めて15年になる。エベレスト・トレッキングの起点に
 なるジリ近くの村から出てきており、農閑期に現金を手にするためにカトマンズに
 やって来てリキシャを漕ぐ。子供は8人、男4人、女4人 1番下の子は11歳だ。
 長男は大学で勉強している。長女はカタールに出稼ぎに行っている。
 マガール族の男である。同じ村からも何人かのリキシャ稼業をしているものがいる。
 隣に座っている若者も親戚の息子である。
 じっくりと落ち着いて話すと、素直に誠実に話をしてくれるマガール族の男だった。
 そんな男だから、息子を大学にやる計画性もあるのかもしれない。
 もしリキシャを利用するならこんな男の漕ぐリキシャなら安心できるかもしれない。
 リキシャを漕ぐ男たちの大半はタマン族かマガール族のようだ。
 ネパールでは1番教育レベルの低い民族である。
 しかし、マガール族の場合、少しずつながら、上に向かって這い上がっていっている
 ようにも見えるこの頃である。

 リキシャひとつにしても一日いくらという賃貸しで、リキシャの持ち主は 
 ネワール族の農民カースト マハルザンであることが多い。
 今、カトマンズでリキシャを漕ぐ男たちは 合わせても百人ぐらいのものだろう。
 狭い道のカトマンズ、リキシャは確かに渋滞の原因になりつつあるのも事実だ。
 あと何年かすれば、カトマンズの街から姿を消していくだろう。
 もっと いい仕事に彼らが就くことを願うばかりである。


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カトマンズ 生き抜く人々 | 16:55:45 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 生き抜く人々-03 建設中のビルと電気
生き抜く人々‐7 建設中のビルと電気 1

生き抜く人々‐7 建設中のビルと電気 2

生き抜く人々‐7 建設中のビルと電気 3

生き抜く人々‐7 建設中のビルと電気 4

生き抜く人々‐7 建設中のビルと電気 5

生き抜く人々‐7 建設中のビルと電気 6


 カトマンズの街中を歩いていると、大型ビルディングの建設現場に良く出合う。
 ここでも山や南ネパール・タライ地方からの出稼ぎの人たちが働いているのを
 よく見かける。
 どのくらいの日当がもらえるのか訊いて見ると、単純な肉体労働で、250ルピーから
 300ルピー(約400円から500円)、技術を要する仕事であれば、400ルピー
 手にすることができるらしい。若い人たちが多い。
 身体を酷使する仕事だから、若い人たちにしか出来ない仕事だ。
 月に6千、7千ルピーくらいは稼ぐことができるだろうから、カトマンズでは、
 どうにか生活できる。
 村への仕送りはといえば、心もとないだろう。
 1500ルピーぐらいの部屋を借りて、3人ぐらいで済み、自炊をすれば、千ルピー、2千ルピーくらい は残すこともできるかもしれない。

 そうしたこととは別に、大型ビルディングの建設ラッシュは、どうしたことだ。
 今、ネパールの銀行には、お金が余っており、どんどん融資しているという。
 ショッピングセンター、スーパーマーケットと目白押しである。
 何を馬鹿なと思ってしまう。
 バグマティ川の岸辺近くでは、8階建ての分譲マンションの建設も終了間じかだ。
 7階8階に住み、停電があれば、エレベーターも-使えず、登り降りはどうするのだろう。
 万年的な水不足、水が充分でなければ、下から運ぶのだろうか。
 電気の供給すらおぼつかないカトマンズでこのような建物を建ててどうするの。
 電力供給のための開発計画すらない中で、大型ビルディングを建てていけば、
 2年後、3年後には、一日10時間以上の停電も現実のものになるのは、目に
 見えている。
 郊外には休むことなく、分譲住宅が建てられている。
 25年前のカトマンズでの電力の使用は、明かりを採るか、ラジオ、テープレコーダー
 で音楽を聴くことぐらいに限られていた。
 今では、中流家庭であれば、テレビ、冷蔵庫、洗濯機は当たり前のことになっているし、
 金持ちであれば、エアーコンディションその他多くの家電が入り込んでいる。
 人口は増え、使う電気製品は増えれば、電力消費量が増え、電気が足りなくなるのは
 自明の理である。
 電力を増産していく開発計画は、ここ何年かは成されず、ダム施設の修理ばかりに
 お金が使われていた現状だ。
 電力の供給に関しては、カトマンズは末期的な症状を示している。
 それにもかかわらず、電力を大量に使う不必要な大型ビルディングは建設されている。
 政府は何を持って、建設を許可するのか、その意図が見えてこない。

 計画性がなく、いつもその場しのぎの政策に追われてきたのが、ネパール政府の性格だ。
 電気、水道、環境汚染、人口増加、貧富の差の増大と多くの問題を抱えながら、
 計画的に問題を解決していこうという姿勢は感じられない。
 政治かも官僚もバウン族が大半を占めるネパール、汚職、賄賂で太った彼らは、
 土地を買い、家を建て、車を買う。特権階級さながらである。
 こんな彼らには、国の問題も、生活に苦しむ国民の暮らしも見えてこない。
 金持ちは賄賂を払い、適正な税金を支払わない。税務署官吏は富むばかりだ。
 そうした悪循環の中で、国家予算は増えず、国家的な開発は出来ず、
 外国からの援助ばかりを期待している。
 正しく税金を召集せず、国の未来に対する展望も持とうとしないネパールに 長年に
 わたって、援助し続けてきた日本を筆頭とする諸外国、無批判な援助は ネパールの
 自助自立を妨げてきた。
 その結果が、今のカトマンズの姿だ。
 そんなネパールに仕立て上げた政治家たちが、再び選挙に立ち、次の国政を担おうと
 している。
 国民は政治には期待せず、日々の糧を求めて、走り回るだけだ。


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カトマンズ 生き抜く人々 | 11:45:00 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ スラムから集落へ‐1
生き抜く人々-6 スラムから集落へ 1

生き抜く人々-6 スラムから集落へ 2

生き抜く人々-6 スラムから集落へ 3

生き抜く人々-6 スラムから集落へ 4

生き抜く人々-6 スラムから集落へ 5

生き抜く人々-6 スラムから集落へ  6

生き抜く人々-6 スラムから集落へ 7


 バグマティ川の辺に 昔はスラムであった場所が 集落へと姿を変えている。
 もともとは政府の土地、バグマティ川の河川敷に14,5年前から住み着いた人々の
 集落だ。
 建物はビニール張りから木造へ、そして大半はレンガ造りへと変化している。
 まるで、『3匹の子豚』の家のような変りようである。
 
 その地域に新たに人が住み着き始めている。
 木箱を買い集め、その木材を利用して家を建て始めている。
 カトマンズの人口増加が原因であるとしても、ここ4,5ヶ月のこうした動きは
 どうしたものだろう。
 
 この集落の上流でも、ビニール張りのスラムが形成されつつある。
 力のない暫定政権の支配の隙間を狙ってのことか、選挙にかこつけてであろう。
 確かにこうしてバグマティ川の河川敷きに済んでしまえば、家賃を払わなくてもいいし、
 うまくすれば、わずかばかりであるにしても、土地を手に入れるチャンスにもなる。
 中には自分の土地を持っているにもかかわらず、そうしたことを狙っている住人もいる 
 という話である。居住権をねらってのことだろう。
 選挙、選挙で他のことには目の届かない政府の隙間を狙ってのことだろうが、
 棚ぼた式に漁夫の利を得ることが出来るのだろうか。
 話を聞いてみると、木箱を買ってきて、いろいろ資材を買うと、4万ルピー(7万円)を越える
 支出になるらしい。

 そんな作業の中にいた二人のネパール人、ダマイ(低カースト、縫製の仕事をするカースト)、
 タマン族の二人が、自分たちの家を見せるというので、集落の中を歩いてみた。
 ダマイの人の家は、小さな3DKのレンガ造り、夫婦・息子3人の5人暮らしである。
 以前は、木造のバラックだったが、4万ルピー(7万円)を借金して、レンガ造りに
 立て替えたという。

 ネパール人の家に行けば必ず始まることだが、自分が以下に貧しいか、
 借金の利子の支払いが如何に大変か、仕事が少なくなって困っているかと
 泣き言を言い始め、何か援助してもらえるのかを期待するのである。
 息子たちはもう成人している。
 まともに働けば、何の問題もない家である。
 タマン族のネパール人は昼間から酒びたり、貧乏なのは政府が悪いと
 毛沢東主義者の受け売りをしている。
 お前が貧しいのは仕事をせずに酒を飲んでいるからだと言いたくなってしまう。
 ネパールではこんな輩が山ほどいるのも確かだ。
 大変なのは、こんな亭主を持った女たちである。
 この二人から逃げ出すと、今度はバウン族(高カースト 僧侶階級)の男が自分の家を
 案内するという。
 目的はわかっているので、人との約束があると、さっさと逃げ出してきた。

 本当に住むところがなく、ここに居ついた人もあるであろうが、うまくすれば、ただで
 土地が手に入るというチャンスに賭けた人間たちも少なからずいることだろう。

 間借り住まいで家賃を払って生活している人からすれば、腹立たしくも思えるようだ。
 そんな話も聞いた。
 取り壊す、立ち退きが迫れば、マオイストに鳴きつくのだろうか。
 この集落の中にマオイストたちが 選挙の戸別訪問にやってきているのを見かけた。

 早い者勝ちのネパール、川原に住む人のどこかにしたたかさを感じるし、上流でスラムで 
 バラックを作っている人々はいつ追い出されても構わないように、お金を掛けず、
 下流のこの集落では、どうも大丈夫そうだということで、お金を掛けているようにも思われる。
 思惑通りに事が進んでいくかどうかは、この不安定なネパール、誰にもわからない。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 11:41:44 | Trackback(0) | Comments(0)
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 メールで問い合わせても、全くの音沙汰なし、透明性に欠けるようだ。
 日本最大のブログサイトと謳っているが、どうも信頼すべきものではないようだ。
 かなり怪しげである。
 新しくブログランキングがすぐわかると、ランキング票なども開発されたようだが、
 得点合計が一致していないようにも思える。
 これからも、チェックだけはしていきたい。


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徒然なるままに | 02:45:02 | Trackback(0) | Comments(0)
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