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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

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ビエンチャンへの旅(4) ビエンチャンの外国人租界-2
ビエンチャンへの旅(4) ビエンチャンの外国人租界-2 1

ビエンチャンへの旅(4) ビエンチャンの外国人租界-2 2

ビエンチャンへの旅(4) ビエンチャンの外国人租界-2 3

ビエンチャンへの旅(4) ビエンチャンの外国人租界-2 4


 メコン川の岸辺に行ってみるが、乾期のため、中洲が出来て、
 遠くにメコン川の細い流れが見えるだけである。
 悠久のメコン川から程遠い有様である。
 川岸には、こんなにあって商売になるのかというほど、屋台が出ている。
 地元の人間相手というより、旅行者を当て込んだものだ。
 屋台でありながら、レストラン並の値段になっていることは考えられる。
 何も高いお金を払って、砂地ばかりのメコン川を眺めながら、
 ビールを傾けることもない。

 レストランといい、旅行者用の屋台といい、それだけの規模に見合う旅行者が
 ビエンチャンの街にいるとは思えない。
 観光ブームに乗せられているとしか思われない。
 ローカル色の全く感じられない外国人租界、
 ベトナム戦争当時からアメリカ兵、各国の記者、様々な組織から派遣された外国人を
 相手に商売をしてきたベトナム人の知恵であろうか。
 彼らにとっては、ラオスは祖国ではないのである。お金が手に入ればよいのである。

 観光によってお金を手にするのはベトナム人や中国人であって、ラオス人ではない。
 ウェーター、ウェートレス、ホテル、レストランでの下働き、
 給料はしれたものだ。
 日長1日 客を待ち続ける乗り合い3輪自動車の運転手、
 旅行者からぼるより 生活が成り立たない様子である。
 だんなは、ベトナム人か、中国人では、何のためにこの国に生まれてきたのか。
 1党支配の独裁制、政府役人は賄賂をベトナム人、中国人からもらっているのだろう。
 なんとも侘しい姿のラオス人である。
 川向こうのイサン(東北タイ)のラオス系タイ人も同じような姿である。
 フランス統治時代からの付けは大きいのだ。

 まだまだ人口密度の低いラオス、ベトナムの1/10である。
 政府がしっかりしていて、自国の民を愛していれば、どうにかなる国である。
 生粋のラオス人が観光客相手に儲けるというならわかるが、
 これではあまりに情けない。

 チェンマイ周辺にチェンマイ王国(ランナー王朝)、
 そして今のラオスの基礎となるラーンサーン王国を築き上げた歴史あるラーオ族
 今1度奮起して、ラーオ族のために理想的な国づくりをしてもらいたいものである。
 それにはフランスの統治によって低下させられたラーオ族のプライドを
 取り戻すことが大切だ。
 ラーオ族の伝統文化を再生させることだ。
 そんなことを、今のラオスに期待してしまう。


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ビエンチャンへの旅 | 19:39:39 | Trackback(0) | Comments(0)
ビエンチャンへの旅(4) ビエンチャンの外国人租界-1
ビエンチャンへの旅(4) ビエンチャンの外国人租界-1 1

ビエンチャンへの旅(4) ビエンチャンの外国人租界-1 2

ビエンチャンへの旅(4) ビエンチャンの外国人租界-1 3

ビエンチャンへの旅(4) ビエンチャンの外国人租界-1 4

ビエンチャンへの旅(4) ビエンチャンの外国人租界-1 5


 一眠りして、すっきりしたところで、メコン川周辺を散策してみることにした。
 この辺一帯は、外国人旅行者と外国人相手の商売をする中国人、ベトナム人の
 場所である。
 当のラオス人といえば、ウェーター、ホテルの掃除、乗り合い3輪車の運転手などの
 仕事をする人たちである。
 10年ばかり前は何もなかったメコン川岸辺周辺が1大外国人租界になっている。

 1893年ラオスはフランスの保護国になり仏領インドシナ連邦に編入されてしまう。
 第2次世界大戦中は日本に占領され、日本軍支配下、1945年独立を宣言するが、
 実際は1949年、フランス連合内のラオス王国として独立を果たしたが、
 それはフランス連合内の枠の中で、防衛権、外交権は持つことは出来なかった。
 1953年10月22日 ラオスはラオス王国として
 フランスから完全に独立することが出来た。
 しかし、その後は政権も安定せず、長い内戦の混乱状態を経て、
 1975年王制が廃止され、ラオス人民共和国へと移行し、その後は安定した政権を
 確立している。

 ラオスには多くのベトナム人と華人がいる。
 ラオスの経済的実権を握っているのは彼らのようである。
 フランスの統治時代 ラオス人にはほとんど教育の機会はなく 就学率は3%以下、
 その3%もフランスの植民地支配の手先として働いてくれるラオス人下級官吏を
 養成するためのものだった。
 教育を与えれば、反仏運動が起こることを怖れたのである。
 それだけでなく、フランスにとってラオスは重要ではなかったことから、
 直接統治はせず、フランスの植民地経営にベトナム人を使って 
 ラオス人を最下層労働者として管理させる『愚民政策』を行ってきたのである。
 更にベトナム人の移住を積極的に進めたことにより、
 ベトナム人、カンボジア人の混血が進み、複雑な上下関係を生み出していった。
 それと同時にラオスの伝統的な生活習慣、様式が失われていったのである。

 狡猾なフランス人の植民地政策は、ラオス人を自国に住んでいながら最下層の人間に
 貶めていったのである。
 こうしたフランスの統治によって、ラオス人は教育に対する関心を失い、
 整った教育制度が生まれてくるのは、1975年のラオス人民共和国の成立以降の
 ことになるのである。
 
 その影響は今なお残っているのである。
 旅行者の集まる地域のレストラン、ホテルの経営者が、ほとんどベトナム人であり、
 表通りに店を出しているのが、ベトナム人か、中国人であることからも
 そのことが覗えるである。
 人の良い素朴さだけでは、商いが出来ないラオス人、自国に住んでいながら、
 ベトナム人、中国人に富を奪われてしまうラオス人、そこにラオスの暗い影が
 あるようである。


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ビエンチャンへの旅 | 03:35:30 | Trackback(0) | Comments(0)