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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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バンコク トンブリ サンタクルーズ教会とカステラ
バンコク トンブリ サンタクルーズ教会とカステラ  1

バンコク トンブリ サンタクルーズ教会とカステラ  2

バンコク トンブリ サンタクルーズ教会とカステラ  3

バンコク トンブリ サンタクルーズ教会とカステラ  4

バンコク トンブリ サンタクルーズ教会とカステラ  5

バンコク トンブリ サンタクルーズ教会とカステラ  6


 花と野菜のあふれるパクローン市場のすぐ横にあるラッチニー船乗り場から
 渡し船に乗って カラヤーナミット船乗り場まで渡ると、
 古い中国廟とワット・カラヤーナミットという大乗仏教の寺が
 ある。中国廟(建安宮)の前のチャオプラヤ川に沿った岸辺の遊歩道を少し歩くと
 集落の中に入っていく木で作った細い道がある。
 家の中に入っていくように見える道だが、この道を少し行くと路地に入って行く。
 そこがアユタヤ王朝時代に傭兵として、
 チャオプラヤ川を警備していたポルトガル人傭兵たちの末裔の住む集落である。

 このポルトガル人と山田長政を首領とした日本の傭兵部隊とは因縁がある。
 アユタヤ王朝の時代に、ビルマとの戦闘の際、ビルマ側にもポルトガル人の傭兵がおり、
 ポルトガル人同士の同士撃ちになると、鉄砲を発射せず、
 ビルマ兵をそのまま通過させてしまった。
 そのことから、ポルトガルの傭兵に対する信頼が失われ、日本の傭兵需要が増し、
 日本の傭兵の価値が上がっていったのである。
 400年前の話である。

 そのポルトガル人の末裔が、サンタクルーズ教会の周辺の集落には多く住む。
 彼らは、カソリックのキリスト教徒である。
 住んでいる人の顔つきを見てもポルトガル人を思わせるような容貌は
 どこにも感じられない。
 タイ人との通婚を繰り返す中で、すっかりタイ人化してしまっている。
 残っているのは、彼らの宗教のカソリックのキリスト教と、
 ポルトガル人が教えたという甘いお菓子のカステラだけだ。
 タイではカノム・ピンと呼ばれているらしいが、ここではカステラといっても
 通用する。
 日本のカステラと同じと思われては困る。むしろマドレーヌのようなお菓子である。
 集落の中では、このお菓子がポルトガル人の末裔たちによって、作られている。
 アヒルの卵を使っているが、バターをあまり使わないせいか、しっとりはしておらず、
 少しぱさぱさしている。やはり、日本のカステラの方が美味しい。

 このトンブリ地区には様々の宗教の寺院がある。キリスト教、イスラム教、大乗仏教、
 道教のお寺があり、すべてこれらは、タイの外からやってきた宗教だ。
 ポルトガル人、ペルシャ人、インド人、中国人、アラブ人 その時々の王朝は、
 外国人である彼らを優遇してきた。彼らの持つ商才や技術を必要としたからだ。
 タイ人と同化し、従順ささえ示せば、快く受け入れたのである。
 この従順さが、決め手なのである。
 従順さを装いながら、その地に深く根ざしていく、それが外交能力というものだろう。
 その能力にかける日本人は、掃討され、タイに根付くことは出来なかった。
 日本人の外交べたはこの時代から始まっていたのだ。
 今、タイに入ってきている企業も山田長政の二の舞にならぬように、
 儲けを持って帰ることばかり考えず、タイに根付くことにも同時に考えた方が良い。
 
 アユタヤ王朝時代から400年以上に渡って
 バンコクに生き続け、信仰を護ってきたポルトガル人の末裔に拍手喝采である。


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バンコク風情 | 10:40:14 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク トンブリの中国廟 ~ 先祖の寺
バンコク トンブリの中国廟 ~ 先祖の寺 1

バンコク トンブリの中国廟 ~ 先祖の寺 2

バンコク トンブリの中国廟 ~ 先祖の寺 3

バンコク トンブリの中国廟 ~ 先祖の寺 4

バンコク トンブリの中国廟 ~ 先祖の寺 5


 バンコクの旧王宮 ワット・プラケオから、サファン・プットに向かって歩くと
 花、野菜市場で有名なパク・クロン市場にぶつかる。
 そのパク・クロン市場の手前の川岸にラッチニー船乗り場がある。
 川向こうのトンブリのカラヤーナミット船乗り場への渡し舟がここから出ている。
 そこには何があるかといえば、一つはワット・カラヤーナミットという仏教寺院、
 そして古い中国廟がある。
 私の目的はこのお寺である。
 この中国廟とその周りの商店街は
 タークシン王が、アユタヤから王都をトンブリに遷都したときに
 移住してきた中国人によって造られたといわれている。
 200年以上の歴史を持っていることになる。

 バンコクの中華街にある派手な造りの中国廟のようではなく、
 この廟は 長い年月の中で派手な色合いが失われ、その姿に歴史を感じてしまう。
 信仰を本当に必要とするものだけがやってくるような寺院である。
 ここにやってくるには、船を利用する以外にはない。
 陸の交通を使うと、ここにやってくるのは厄介である。
 近くに主要道路はなく、チャオプラヤ川の岸辺にあるこの寺までやってくるには
 迷路のような道をさ迷い歩くことにもなりかねない。

 その寺の脇には古びた商店街があるが、
 打ち捨てられたような店がひっそりと並んでいるだけだ。
 トンブリ王朝が倒され、チャックリ王朝が川向こうのバンコクに移ったときに
 ここに住んでいた中国人たちもヤワラートの中国人街に移っていったのだろう。
 しかし、この中国廟は彼らの信仰の中心の場所であったことから、
 ヤワラートに移っても 忘れられることもなく、バンコク側から、渡し舟に乗って、
 ここにやって来て、朝夕の祈りを捧げていたのは、充分想像できることである。
 トンブリの地に根を下ろした先祖の菩提寺なのだから。

 隣のワット・カラヤーナミットは規模をどんどん大きくしタイ人たちで賑わっているが、
 このこじんまりした中国廟は、先祖たちが日夜祈りを捧げた大切な寺なのだ。
 この寺を心から大切に思うものだけが、やってくる寺なのだ。
 どこにいても、この古い寺だけが、自分たちのルーツを証明してくれる。

 そんな雰囲気が感じられるような中国廟だった。
 小さな寺ではあるが、信仰に深く根ざした霊気が漂っているような寺だ。
 タイの派手派手しい薄っぺらな仏教寺院に見飽きていた眼には、
 この寺は 新鮮な快い一吹きの風のようだった。


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バンコク風情 | 01:11:39 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク  トラベリング・プアの街 カオサン・ロード
バンコク  トラベリング・プアの街 カオサン・ロード 1

バンコク  トラベリング・プアの街 カオサン・ロード 2

バンコク  トラベリング・プアの街 カオサン・ロード 3


 バンコク カオサン・ロード、カトマンズ タメル、
 インド コルカタはサダル・ストリート、デリーならパハールガンジと
 ツーリストの溜り場になっているところだ。
 これらの溜り場の中で、1番ローカル色のないところが カオサン・ロードだ。

 私は、用事で行くことはあっても、カオサンに滞在したこともないし、
 滞在したいとも思わない。
 今は、アパート暮らしだからホテルに泊まることもないが、
 以前泊まったところは、中華街が多かった。
 今はなきジュライホテル、台北ホテルなどは、
 中華街の雰囲気が色濃く残っていて、楽しかったし、食べ物も美味しかった。
 他にはプラトーナムあたりのインド人の経営するホテルに泊まったこともある。
 その時々の気分や都合でホテルを選んでいた。

 カオサンあたりには興味も湧かなかったし、
 何で外人租界などにという気持ちもあった。
 バンコクにいるなら、
 できるだけ地元の人たちの生活がのぞける場所というのが条件だった。

 外国人が集まる場所というのは、いつの間にか、ヨーロッパナイズされてしまう。
 そして、そういう場所がインターナショナルであると誤解している旅行者も多い。
 インターナショナルというのは、
 いろいろの国の人間が寄り集まっていることではなく、
 タイに来れば、タイの文化を知ろうとすることだし、
 ネパールに行けばネパールの生の文化を知ろうとする姿勢のことだ。
 自分たちの文化を押し付けることではないはずだ。
 カオサンでヨーロピアンなものを食べ、ビール、ワインを飲んでいるようでは、
 タイを知ることからは程遠い。
 カオサンで外国人と話をした、住所交換をした、一緒にご飯を食べたというのが、
 インターナショナルということであれば、あまりにお粗末といえる。

 旅の情報を得るには、旅行者の溜り場は便利であるが、
 旅の情報を得るために旅をしているわけでもあるまい。
 一人旅をしているなら、自分流の旅の追及をしてもらいたいものである。
 どうも近頃は、暇つぶしのために旅をしている
 トラベリング・プアが増えつつあるように思えてならない。
 ワーキング・プアの中で 日本でいじめられ,苦労して日本を出てきたなら、
 豊かな自分独自の旅であってほしいと願うばかりである。
 
 ただただ移動が旅であれば、そこには冒険もなければ挑戦もない。
 快適な場所ばかり探して 旅をするのでは旅の醍醐味も失われてしまう。
 簡単に外国旅行が出来るようになった今の交通の発達は、
 誰でも容易に旅に誘う。
 そして、旅人の質も低下していくのである。


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バンコク風情 | 13:24:44 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク イーカン地区から渡し舟に乗って
バンコク イーカン地区から渡し舟に乗って 1

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バンコク イーカン地区から渡し舟に乗って 3

バンコク イーカン地区から渡し舟に乗って 4

バンコク イーカン地区から渡し舟に乗って 5

バンコク イーカン地区から渡し舟に乗って 6

バンコク イーカン地区から渡し舟に乗って 7


 ダウンドゥン船乗り場からプラアティッド船乗り場へとチャオプラヤ川を渡る。
 客は私一人だけ、申し訳ないような気分になる。
 運賃は5バーツである。ガソリン代にもならないだろう。
 この渡し舟が込むのは、朝の通勤・通学と夕方のその帰りの時間帯だけなのだろう。
 船長ともう一人の乗組員、二人とも女性だった。ちょうど昼飯の最中だった。

 船が岸辺を離れると、7,80年以上前に建てられた貴族の大邸宅が眼に入ってくる。
 誰も住むものもなく、打ち捨てられている。
 この豪邸を打ち捨てるほどの財産家だったのだろうか。
 持ち主はこの邸宅を捨てて、どこに消えてしまったのだろう。

 昔はチャオプラヤ川の岸辺に家を建てることが、ステイタスシンボルであったという。
 時代の趨勢がこのトンブリ地区から、対岸のバンコクに移るに従って、王族・貴族も
 対岸へと移住して行ったのだろう。
 こんな豪邸の中で、華やかなりし日々には何が催されていたのか、
 想像は膨らむ一方だ。

 対岸のプラアティッド船乗り場に着く。
 ここから、チャオプラヤ・エクスプレスボートで、
 ラッチニー船乗り場へ行くつもりだったが、船賃はいつの間にか13バーツから
 20バーツへと値上がりしている。距離に関係なく一律20バーツである。
 そこには又の機会に行くことにして、歩くことにする。

 10分も歩くと、再びプラ・ピンカーオ橋までやってくる。
 プラ・ピンカーオ橋を渡り、バンコクノーイ運河によって、
 二分されているバンコクノーイの北側を歩いてみることにする。

 ここにも利用されなくなった運河が打ち捨てられている。
 運河の水面にはプラスティックの袋、容器が朽ちることなく浮かんでいる。
 運河とともにトンブリ地区そのものが、打ち捨てられている気さえしてくる。
 バンコク都心部とこのトンブリ地区の差は、どうしたものか。
 どんどん発展していくバンコク都心部、庶民の住むトンブリは行政から
 全く無視されている。

 呆れながら、歩き続けていくと、ここには、打ち捨てられた仏教寺院がある。
 境内は駐車場になっている。
 寺院の建物といえば、雨露でその華やかな色はすっかり失われ、
 朽ちてゆくのに任せている。
 しかし、黒い仏像というのも珍しい。大半は、金ぴかの仏像なのに。
 信仰深いタイ人の一面がここにある。
 豪華絢爛たる寺院以外は、有難みがないのだ。見た目の素晴らしさがすべてなのだ。
 なんともいえない功利的なタイの仏教だ。
 お金を出来るだけ多く喜捨すれば、それだけ幸せな来世が、保証される。
 貧しきものはそれだけでもって救われるのではなく、貧しいがゆえに救いはない。
 タイは仏教の国で 階級はないように見えるが、
 王族・貴族の末裔のために都合よく作られた社会なのだ。


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バンコク風情 | 13:45:32 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク トンブリ イーカン地区の下町の商店街へ-2
バンコク トンブリ イーカン地区の下町の商店街へ-2  1

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バンコク トンブリ イーカン地区の下町の商店街へ-2  10


 100メートル近くに渡って続くこの商店街、日本人の目から見れば、
 小汚い店の集まりにしか見えないかもしれない。
 しかし、この通りには、ここに生活する人々の濃厚な空間がある。
 高度経済成長の中で、日本が失い続けてきた、あるいは、破壊し続けてきた
 生き生きとした人間の生活がある。
 バンコクの都心部も 
 日本を アメリカを追いかけるモダーンライフが浸透してきている。
 人と人のつながりを失った都会砂漠である。
 人間性よりは経済を優先してきた国や企業に翻弄され続けてきた結果である。
 長い時間をかけて侵食された人間生活の崩壊は、気づくことが出来ない。

 事実を確かめることもなく、マスコミに踊らされ、騙され続けていることすら、
 わからなくなっている。

 そんな世界と別物のものが この通りにはある。
 金持ちなどいない。毎日の生活を精一杯生きている人間がいるだけだ。
 ここには、贅沢もなければ、飽食もない。
 ごくありきたりのものを身につけ、ごくありきたりの食を摂る生活である。
 マスコミに踊らされ、何十万もする衣服を身につけ、何万もかけて食事をする
 人間はいない。

 食事時になれば、通りで売られている惣菜を買い、つつましく食べるだけである。
 家の中での生活に飽きれば、通りに出てきて、井戸端会議をする。
 ここには豊かな共同体がある。
 気取った人を寄せ付けない雰囲気は微塵もない。
 「サワッディ(こんにちは)」と声を掛ければ、笑顔が返ってくる。

 人々の生活が、通りの中で生き生きと気楽に溶け合っているのを眺めるのも、
 このバンコクにあっても久々ぶりのことである。
 通りが、情報交換の場になり、心温まる交流の場になって、
 生活していく上で何の障害もなく自然に時間が流れていく。
 この通りを愛する人々がいればこそ、生まれてくる豊かな空間だ。
 もう今の日本では取り戻すことの出来ない世界だ。
 たいした国だ、日本はとつぶやいてみる。

 グリム童話の『ハーメルンの笛吹き』の中のねずみのように
 川の流れの中になだれ込んで滅亡してしまうのであろうか。
 節度のない文化、抑制のない文化とは、そういうものだ。
 あの笛吹きは、日本で言えば、何なのだろうか。
 さあ あなたはどうする?


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バンコク風情 | 01:06:53 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク トンブリ イーカン地区の下町の商店街へ-1
バンコク トンブリ イーカン地区の下町の商店街へ-1 1

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バンコク トンブリ イーカン地区の下町の商店街へ-1 5



 この頃は、チャオプラヤ川の川向こう、トンブリに興味を惹かれている。
 昔ながらのバンコクが残っているからだ。
 近代化を大急ぎで進めているバンコク都心にいると、圧迫されて、
 息が詰まりそうに思えてくるからだ。

 今日は、バンコクノーイの少し先にあるイーカン地区にいってみた。
 王宮広場(サナン・ルアン)からチャオプラヤ川沿いにテクテクと歩き始める。
 陽射しは強いが、歩くのが当たり前の生活になっているので、
 始めのうちは気にならない。しかし、家に帰ってからが、疲労回復が大変だ。
 外国人ツーリストもバンコクの中を良く歩く。
 彼らが歩くのは、バスを利用する自信がないからだ。
 循環バスの車掌相手では英語は通用しない。
 近頃では歩くことに関して言えば、彼らには負けない。後の疲労は別にして。

 チャオプラヤ川の上流に向かって歩き始めると、
 トンブリ地区へと結ぶピンカーオ橋(サファン・ピンカーオ)に出会う。
 イーカン地区には行くのには プラアティッド船乗り場から渡し舟に乗って
 ダウンドゥン船乗り場に渡ればいいのであるが、
 折角向こう岸に渡るピンカーオ橋に出会ったのであるから、この橋を渡ることにする。
 橋の上に上ると、チャオプラヤ川の流れが一望出来る。価値ある眺めだ。
 このチャオプラヤ川は、何百年にも渡って、タイの交通の要であったし、
 今尚健在であることが、行きかう船の多さでわかる。
 港市国家のアユタヤの交易を支えてきたのもこのチャオプラヤ川である。
 朱印船、中国、ペルシャ、インド、マレー、アラブ、イギリス、フランス、オランダ、
 ポルトガル、幾多の船団がこの川を上り、下っていったのであろう。
 さぞかし、心が躍る光景だったに違いない。

 橋を渡りきるとトンブリ地区に入る。町の様子は、一変する。
 下町特有のいかがわしさが感じられるのだ。それと同時に猥雑さもあり、
 古靴やまがい物のようなものも路上で売られ、
 バンコク側のような清潔さはなくなり、ごみごみしてくる。
 用もなくたむろしている人間も多くなる。慣れるまでは少し構える必要もある。
 こういうときには、わざと道を聞いてみるのだ。
 相手が答えてくれた途端に、緊張が解き放たれていくのがわかる。
 相手だって、何者が来たのかと構えているのである。

 古い木造住宅とコンクリートの住宅の入り混じった通りを過ぎると、
 道は急に細くなり、イーカン地区の古い商店街へと入っていく。
 いつの間にか、商店街の中に入り込んでしまったという感じである。
 チャオプラヤ川に対して直角に走るこの商店街に沿って、
 平行に運河が流れているが、もうその用は果たしていない。
 何十年か前までは、この運河が商店のそばまで船で商品を運ぶ大切な輸送手段に
 なっていたのであろう。
 今は、商いも小さくなり、陸路からの輸送で充分なのだろう。

 この商店街は、中国人が多く店を出していた商店街であるが、
 今はその中国人も数少なくなり 川向こうのバンコクに移住してしまったようだ。
 そして、中国人にかわって、バンコク周辺のタイ人、東北タイのイサンの人々が
 中心になって小さな商いをしている。
 この商店街の両側にチュムチョム(密集した集落)が広がり、
 この集落に住む人々が商店街の客である。
 この商店街は その日、その日の稼ぎで生活する下町の庶民たちの生活の舞台でもある。


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バンコク風情 | 18:50:15 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 公園の片隅の路上生活
バンコク 公園の片隅の路上生活者


 今、世界のどこでもホームレスのことが問題になっている。
 バンコクでも公園を住処としている人たちを良く見かける。
 田舎から出てきて仕事が簡単に見つかれば、公園で寝泊りする必要もないが、
 保証人や知り合いがいなければ、仕事探しも大変だ。
 廃品を集め、それを売って生活する人もいる。
 高速道路の下の空き地などもゴミの集積場所兼生活場所になっている。

 夜などは犯罪の温床にもなっている。ドラッグなどの密売の場所にもなる。
 こういう場所では、昼間でもちょっと一休みというわけにはいかない。
 夜など、とても近づける場所ではない。

 日本のホームレスに比べると、それでも気楽そうではある。
 冬のないバンコクなら、寒さに苦しめられることはないし、
 食べ物には苦労することもなさそうだ。
 水浴びが当たり前のバンコクなら、公園の水、川の水でどうにかなる。
 お金があれば奢るし、なければ奢ってもらうというタイなら、
 ホームレス同士の助け合いもありそうだ。
 ホームレスになるならバンコクでと、ついつい思ってしまう。
 日本では悲惨に見えるホームレスも
 ここでは、皆楽しそうにしていると思うのは、私だけであろうか。

 日本のようにがんじがらめのホームレスの生活ではない。
 雨露さえしのげれば、どうにか生活することの出来る気候のバンコクである。

 日本に帰って、寒い時期に 紙袋を抱えて座り込んでいる年老いたホームレスを
 見ていると、戦後60年の日本の繁栄は何だったのかと首を傾げざるをえない。
 優しさの失われた日本、明日はわが身かと心寒くなってしまう。


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バンコク ある風景 | 01:11:14 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク イスラム教徒の町は 猫の天国
バンコク イスラム教徒の町は 猫の天国 1

バンコク イスラム教徒の町は 猫の天国 2

バンコク イスラム教徒の町は 猫の天国 3

バンコク イスラム教徒の町は 猫の天国 4

バンコク イスラム教徒の町は 猫の天国 5

バンコク イスラム教徒の町は 猫の天国 6


 バンコクのイスラム教徒の住む集落に行くと、犬がいない。
 イスラム教徒は、どうも猫派らしく 猫に危害を加える犬を飼うことを好まないようだ。
 それは、イスラム教徒のチャム族の住むバーン・クルアでもそうだったし、ボーベー、
 トンブリ地区でも犬は飼っておらず、猫がのびのびと生活している。
 そのためか、人間に対する警戒心もなく、近づいていっても逃げる様子も見せず、
 逆に近づいてくる猫すらいる。

 イスラム教徒の集落は、犬がいないから、私も安心して集落の中を歩くことが出来る。
 理由を聞いても犬がいると子供に噛み付くなどと理由を挙げるがよくわからない。
 いろいろ調べてみると、どうもイスラム教の開祖であるマホメットが
 猫好きであったことに由来するらしい。
 又、イスラム教徒にとっては、犬は不浄の動物らしい。
 バンコクのイスラム教徒は一つの集落をつくり、まとまって住む。
 そのことから、犬を飼わず、猫を飼うという習慣が徹底するようだ。

 ただ、この頃ではイスラム教徒の集落の中に、
 仏教徒、特に東北タイのイサンの人たちが間借り、あるいは借家の形で入り込んできて、
 集落の中で多くなっていくに従って、犬を飼うことも多くなっている。
 犬を飼うのは、イサンの人たちである。
 イスラム教徒の住む集落のまとまりも失われ、野良犬が増えてくると、
 外から来た人間は、集落の中を歩くことも難しくなるし、だんだんスラム化していき、
 犯罪の温床にもなっていっている。
 イスラム教徒の住む集落は 迷路のように路地が入り組んでいるが、
 その路地は掃除が行き届いていて清潔である。
 その清潔度をみれば、イスラム教徒以外の住民が増えてきているかもわかる。
 地域がまとまりを失ってくれば、誰が住んでいるかもわからなくなり、
 集落も荒れてくるのだ。

 そんな集落になっていけば 
 集落は 猫たちにとって 天国から地獄へと変わっていく。
 昔から住んでいる人々にとっても同様のことだろう。
 どんどん増え続けるバンコクの人口、
 猫にとっても、人間にとっても苦難である。


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バンコク風情 | 21:58:25 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 市場の中の川魚
バンコク 川魚 1

バンコク 川魚 2

バンコク 川魚 3

バンコク 川魚 4


 アジアの市場に行くと、川魚が大きな顔をしている。
 ネパールでも、インドでも、タイでも同じことだ。
 プラー・ニン、プラー・チョン(雷魚)、プラー・ドゥック(鯰)など
 多種多様に渡る。

 インド、ネパールあたりでは、マサーラ味(カレー味)のフライ料理が
 大半である.

 しかし タイ、特に東北タイの人々は、ハーブを利用した魚料理が得意だ。
 バスや列車でバンコクから遠く離れていくと、池や農水路の中に入って、
 投げ網を器用に投げ込んでいる人たちを見かけることも多い。
 東北タイの人々にとって 魚は貴重な蛋白源だし、売れば生活の収入にもなる。
 魚を塩漬けにして醗酵させて造るパラーと呼ばれる保存食も
 東北タイの人々にとっては、大切な食材である。

 この頃では、養殖されることが多いのであろうが、
 雷魚の酸っぱいスープ(トム・ヤム・プラー・チョン)の中の
 雷魚の白身は美味だし、炭火の上で焼いても美味しい。
 プラー・ニンなど、1匹丸ごと唐揚げにしているものは もち米にあう。
 時々タイの人々は、日本から来た魚だというが、日本では見たことはない。
 
 川魚が、美味しいものであることに気づかせてくれたのは、タイだ。
 それも東北タイの人々である。
 東北タイの市場では、うなぎ、蜆、タニシなども良く見かけた。
 うなぎなど、適当にさばいて、柳川風に料理すると結構美味しかった。

 東北タイの魚料理は、ハーブの使い方に秘訣があるようだが、
 コンケンに住んでいたとき、その秘訣を学んでおけばよかったと
 後悔している。


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バンコク風情 | 02:14:24 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 死に逝くバンコクの運河
バンコク 死に逝くバンコクの運河  5

バンコク 死に逝くバンコクの運河  1

バンコク 死に逝くバンコクの運河 4

バンコク 死に逝くバンコクの運河  3

バンコク 死に逝くバンコクの運河  2


 バンコクは東洋のベニスといわれたくらいの運河の街であった。
 しかし、近頃では、実際に使われている運河は、数少なくなっている。
 大きな運河は今も生き続けている。
 センセーブ運河、プラカノン運河、バンコクノーイ運河、モン運河、
 バンコクヤーイ運河などは、市民の足として大きな働きをしている。

 ただ、問題なのはそれらの運河から人々が住む集落へと結ぶ支流の運河が
 ほとんど使われなくなってしまったことだ。
 そのために大きな運河へとつながる支流の運河の水門は閉じられ、
 どぶ川に姿を変えてしまった。新しい水は入ってこないのだ。
 流れを失った川は、再生の機会を失ってしまった。

 運河の発展とともに増え続けてきた支流の運河に住む人々の集落は
 流れのないどぶ川と顔を合わせて生活しなければならない。
 交通の中心が運河から陸上交通に移っていくと、
 都心に住んでいても、支流の運河のそばの集落は僻地のような有様だ。
 ゴミだしもままならず、ゴミは目の前の運河に捨てられることになる。
 集落は細い路地が錯綜し、車が入ってくることは不可能だ。
 運河の交通を中心に生活が成り立っていたのに、
 運河が用を成さなくなれば交通の手段はなくなってしまう。

 運河を愛した人々は去り、そこを借家にし、地方からの出稼ぎの人に貸す。
 出稼ぎの人々にとっては、目の前の運河は、ただのどぶ川に過ぎない。
 運河への愛情など湧くはずもない。不便な場所だから、家賃は安い。
 それだけの理由で住み着いた人々なのだ。
 そして、その集落はスラム化してゆく。批判・不満の声を上げる人はいない。
 陸上交通のバス通りから、隠されたこうした集落は、誰の眼にも留まらない。

 バンコクにはこんな集落が、数え切れないくらいあるようだ。
 水の流れが死ぬことで、水の流れとともに生きていた人々の生活も死んでゆく。

 華々しい発展の姿を示すバンコクの表の顔の裏側には、
 こうした発展が生み出した取り残された生活があること、
 こうしたことも忘れてはいけないことだろう。

***
 チャックリ王朝創立時代から、チャオプリヤ川から内陸部に向かって、
 多くの運河が造られてきた。そうした主流の運河から、各集落、各家庭へと向かう
 支流の小さな運河も網目のように作られてきた。
 この支流の運河が人々の交通の役目を果たし、バンコク庶民の生活を支えてきたのであ  る。
 今日ではこの支流に向かう水門が閉じられ、交通の用をなさなくなっている。
 我々が、よく眼にする運河は、主流の運河で、細い支流の運河は、なかなか眼に留まらな  い。
 バンコク都心にある運河は、外国人の目に留まりやすいことから、水質も向上しているが、
 外国人の訪れことの少ないトンブリ地区の運河はひどくなる一方である。
 
***


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バンコクの運河 | 12:41:16 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク タイの唐辛子はいかが
バンコク タイの唐辛子はいかが 1

バンコク タイの唐辛子はいかが 2

バンコク タイの唐辛子はいかが 3

バンコク タイの唐辛子はいかが 4


 タイ料理は辛い。中でも東北タイ料理は、死ぬほど辛い

 東北タイの田舎に行ってごらんなさい
 男たちが、緑の唐辛子をつまみにして、酒をのんでいるから
 
 唐辛子が、10個ほど入ったソムタムはいかが
 口の中が、火を食べたように燃え盛るよ
 マッチなんか いらないよ
 
 青い唐辛子、赤い唐辛子、より取り見取り
 
 もし、好きなら、プリー・キヌーという激辛の唐辛子もあるよ
 小粒でピリッとしていて、効果抜群!あなたを天国まで運んでくれる辛さ

 より取り見取り、よってらっしゃい、みてらっしゃい
 タイの唐辛子はいかが

 タイ料理には、唐辛子はかかせない。
 タイ料理が好きになるかどうかは唐辛子の辛さに耐えることが出来るかで決まる。
 辛さに忍耐力を要する料理は、どうも日本人には向いてはいない。
 それでも少し好きになれば、
 僅かでも唐辛子が入っていないと物足りなくなるから不思議だ。

 唐辛子は 1493年のアメリカ大陸を発見したコロンブスによって 
 スペインに運び込まれたものである。
 それが16世紀にインドに伝来したという。
 東南アジアはそれ以降ということになる。
 日本ではポルトガル人宣教師によって、1542年に持ち込まれたという話もある。

 となれば、アユタヤ王朝時代にはもうポルトガル人は
 タイに訪れていたわけだから、ポルトガル人によって持ち込まれたものであろうか。
 それとも、インド人商人によって持ち込まれたのであろうか。

 ということになれば、唐辛子が伝来する以前のタイ料理は、全く辛くないことになる。
 その頃は、タイを含めて、東南アジアでは
 どんな味付けの料理が食べられていたのだろう。


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バンコク風情 | 18:13:32 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク カキ氷で一服
バンコク カキ氷で一服3

バンコク カキ氷で一服 1

バンコク カキ氷で一服 2

バンコク カキ氷で一服4

バンコク カキ氷で一服5


 今日も午後から、川向こうのトンブリ地区をうろうろと動き回っている。
 1月も後半になり、2月が近づいてくると 
 バンコクも暑さが増してくる。夜は、結構寝苦しい。
 バンコクの街中は、1月2日に死去された現国王の姉君ガラヤニ王女の喪に服すと
 いうことから、黒い服を着た人々の姿が目立つ。
 もう3週間も経つというのに。
 学校、官庁ではそれに伴う行事も終わらない。
 どこかでけじめをつけて、すっきりさせた方がいいのではとも思う。


 ティアン船着場も、12月31日のような賑わいはなく、
 見かけるのは外国人の旅行者ばかりになっている。
 今日は、ワット・アルンを出発点にして、
 トンブリ地区にあるイスラム寺院を見て回った。
 一つだけ重要なイスラム寺院が見つけ出せず、
 あっちこっちとうろうろしたが 結局見つけ出せず、へとへとになってしまった。

 疲れ果てた足と身体を休める場所、
 そこは、ワット・アルンの裏通りにあるカキ氷やさん、
 今日で4回目の訪問、人柄のよさそうなおばさんが、
 こちらの注文にあわせてかき氷を作ってくれるのだ。
 まずは、ガラスの容器の中に入っている具を選ぶ。
 寒天、かぼちゃを甘く煮たもの、豆を煮たものなどの中から、
 好きなものを選べばよい。
 そしたら、おばさんが容器に選んだ具をいれ、その上にカキ氷をのせ、
 赤いシロップやコンデンスミルクをかけてくれる。
 具だけが違うだけで、あとは日本と同じである。

 暑い日に歩き疲れたときには、最高の体力回復剤になる。
 お腹を壊すなどと怖がらず、お試しあれ。
 店を構えているところなら、心配はありません。
 心配だったら、ワット・アルンの裏通りのおばさんの店にどうぞ行ってください。
 大丈夫ですよ。私は3回も食べてなんともありませんから。
 お前の腹は特別性だなどと言わず、是非どうぞ!

 今日は夕方遅くまで、のんびりトンブリ地区で過ごしていると、
 夕闇が辺りを覆っていた。
 ワット・アルンの境内を抜けて、船乗り場に向かうと、
 美しくライトアップされたワット・アルンの大塔が浮かび上がっていた。
 昼間見ていた大塔とは、打って変わって 幻想的なものだった。


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バンコク風情 | 11:23:28 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 水上バスの停まる街 ボーベーの街周辺(3)
バンコク 水上バスの停まる街 ボーベーの街周辺(3)1

バンコク 水上バスの停まる街 ボーベーの街周辺(3)2

バンコク 水上バスの停まる街 ボーベーの街周辺(3)3

バンコク 水上バスの停まる街 ボーベーの街周辺(3)4

バンコク 水上バスの停まる街 ボーベーの街周辺(3)5


 鉄道の線路を渡り、もうひとつの出入り口を抜けると、
 そこには1時代前の建物が立ち並んでいた。
 線路向こうの雑然とした市場とは全く対照をなすものだ。
 並んでいる建物は、
 すべて6,70年前に建てられたような立派な建物ばかり。
 どうしてこんなところにと思って、近くにいた人に訊くと
 ここにある建物はすべて寺のもので、僧侶が住むという。
 確かに壮麗なタイ風な寺院がある。
 どうも一般的な寺院ではなく、
 王族が特別な儀式の時のみに使用される寺院ということだ。
 その寺院のまわりには、王族に保護された僧侶たちとその住居があったのだ。
 中には寺院が経営する学校もある。

 線路の向こう側が、俗なる空間であれば、
 線路を越えたこの空間は聖なる空間というわけだ。
 動と静、俗と聖 この変転が線路を隔てて起こる世界に驚きを覚える。
 この閑静な寺院と僧侶の住宅地を通りぬけると
 密集したスラムのような集落が始まるのだ。
 
 タイの僧侶は庶民の暮らしに関心を持たない。
 タイの庶民は僧侶にとって奉仕してくれるだけの存在である。
 タム・ブン(徳を積む)のために、寺に喜捨し、来世での幸福を願うだけである。
 瀟洒な僧侶の住居とスラムに近い集落が、表裏一体に存在する。
 
 こんな僧侶と庶民の関係を見ていると、日本人である私からすれば、
 何かおかしいと思うのである。
 大乗仏教とタイの上座部仏教の違いに戸惑いも覚える。
 僧侶は、仏陀から使わされた使者と思うのは私だけであろうか。
 ヒンズー教の理不尽なカースト制度から人々を解放するために
 立ち現れたのが、仏教ではなかったのか。
 日々の暮らしに追われる貧しい人たち、
 快適に保護された中で生活する僧侶

 タイの宗教の姿がここにも現れている。


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バンコクの運河 | 15:40:08 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 水上バスの停まる街 ボーベーの街周辺(2)
バンコク 水上バスの停まる街 ボーベーの街周辺(2)1

バンコク 水上バスの停まる街 ボーベーの街周辺(2)2

バンコク 水上バスの停まる街 ボーベーの街周辺(2)3

バンコク 水上バスの停まる街 ボーベーの街周辺(2)4

バンコク 水上バスの停まる街 ボーベーの街周辺(2)5

 見知らぬ街にやってくると、ひたすら歩き回りたくなる。
 歩き回ることで、何かに出会うのでは期待するからだ。
 このボーベーの街からの帰りも 再び水上バスに乗ろうと思ったが、
 いや、たいした距離ではない、歩いても帰れるではないかと思い、
 船着場へと行きかけた足を、運河にかかる橋の方向に向けた。
 遠く向こうにはプラトーナムのバイヨクタワーが見えている。
 あれを目印にすれば、道に迷うこともあるまい。

 橋を渡ると、そこには迷路のように入り組んだ
 もう一つの衣料品卸売りマーケットがあった。
 高いビルディングのあるマーケットは、新マーケットであれば、
 この場所は、旧マーケットなのだ。
 新マーケットとは、裏腹に暗い照明の中で、衣料品が売られている。
 マーケットの端っこには、打ち捨てられた3階建ての長屋風の建物が、
 朽ちるままに打ち捨てられている。
 その中の食料品市場も、古い昔のままで、如何にもうらぶれているのである。
 衣料品マーケットにしろ、食料品市場にしろ、何十年か前のバンコクそのものである。
 なにやら、懐かしい思いすらする。
 20年前にバンコクの街を当てもなく彷徨していた頃の想いが甦ってくる。

 その旧マーケットの果てに 出口がある。
 その出口を越えると、そこは線路だった
 その出口には、「汽車に注意」と書かれていただけだ。
 踏み切りなどはない。
 線路を渡るものは、自分で勝手に気をつけろということだ。
 皆、それぞれに 勝手に線路の上を歩いている。
 バンコク中央駅、タイの人々は、フアランポン駅と言うが、
 そこから出た列車が通り過ぎていく線路である。
 列車に乗って、フアランポン駅を出ると、
 線路沿いにはスラムが密集していた。この場所よりもっと先かもしれない。

 予測されない風景が、突然現れ、驚きを覚えてしまう。
 旧マーケットの出口を出た途端に見えたこの風景は、
 まさにそうした風景だった。
 当てもなく歩き回る旅の形には、こんな醍醐味、楽しさがある。


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バンコクの運河 | 00:58:25 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 水上バスの停まる街 ボーベーの街周辺(1)
バンコク 水上バスの停まる街 ボーベーの街周辺(1)1

バンコク 水上バスの停まる街 ボーベーの街周辺(1)2

バンコク 水上バスの停まる街 ボーベーの街周辺(1)3

バンコク 水上バスの停まる街 ボーベーの街周辺(1)4

バンコク 水上バスの停まる街 ボーベーの街周辺(1)5


 ボーベーの水上バスの船着場の対岸には、イスラムの街がある。
 百年以上前に、タイ南部パタニーからやって来て
 このボーベーに住みついたイスラム教を信じる人々である。
 このボーベーという街の名前は、インドのボンベイの名に由来するという。
 この地にインド人が多く訪れたからという話であるが、
 いつ頃からこの名を呼ぶようになったかは、定かではない。

 バーンー・クルアの街にも犬はいなかったが、
 この街にもいるのは猫だけだ。イスラム教徒は、どうも犬を好まないようだ。
 この街も イスラム教徒が大半を占めるせいか、街全体にまとまりがあり、
 路地の中を歩いても、静かで清潔だし、危険な感じはしない。
 この街もラッタナーコウシン王朝のラーマ五世の時代にこの土地に
 住むことを許されたという。街の人口は約1万人、この街の対岸には中国人、
 この街を挟むように両側には、タイ人と中国人が住む。

 この街の中には当然モスクもある。そして、死者を埋葬する墓地もある。
 イスラム教徒であれば、誰でもここに眠ることが出来る。
 外国人のイスラム教徒もここに眠っているということだ。

 南タイでは 日増しに争いが激しくなり、死者の数は増す一方であるが、
 このバンコクでは、イスラム教徒も仏教とも平和に共存している。
 政治家の利権争いの渦の中に巻き込まれ、
 痛い目を見るのは、いつも地に生きる一般庶民である。
 それはイスラム教徒であっても、仏教徒であっても変わりはない。


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バンコクの運河 | 20:46:42 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 水上バスの停まる街 ボーベー
バンコク 水上バスの停まる街 ボーベー 1

バンコク 水上バスの停まる街 ボーベー 2

バンコク 水上バスの停まる街 ボーベー 3

バンコク 水上バスの停まる街 ボーベー 4

バンコク 水上バスの停まる街 ボーベー 5

バンコク 水上バスの停まる街 ボーベー 6


 近頃は、水上バスを利用することが多い。水上バスの停まる街には、
 ついつい興味を持ってしまう。
 そんな水上バス乗り場の一つにボーベーがあった。
 他の乗り場に比べ、人の乗り降りがはるかに多いのだ。
 乗り場周辺は、衣料を売る店が建ち並び、大きなビニール袋を下げた人たちで
 ごった返している。

 プラトーナムと並んでこのボーベーの街は、
 バンコクで最も大きな衣料品の卸売りマーケットなのだ。
 水上バス乗り場周辺一体が、衣料品の店で覆いつくされ、
 売られているものはといえば、
 高級品衣料ではなく、バンコク庶民の身につける安価な衣料である。
 ブティックではなく、街の洋品店、露天で売られているような類のものである。

 街には各々の顔がある。街の特徴を知るには、市場に行くのが一番だ。
 市場はどこかと、街の人に訊くと、橋の向こう側だという。
 街の中央を流れる運河(水上バスの行きかう運河ではない)にかかる橋を越えると、
 そこには、果物を商う大きな市場があった。
 バナナ、マンゴ、パパイヤ、パイナップル、スイカが
 うずら高く積み上げられているが、市場の中は静かである。
 果物を扱う商店の前もひっそりしている。
 訊いてみると、市場が開くのは、夜中の1時から明け方にかけてだという。
 昼間の今は、休息のときだったのだ。
 路上で行商する果物売りの人たちも、この市場で朝早く仕入れて来るのだ。

 ボーベーの街には二つの顔があったのである。
 一つは衣料の卸売りマーケット、もう一つは果物の卸売りマーケット
 それもバンコク市民に大きく貢献している重要な市場が、この街を支え、
 活気を与えているのである。


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バンコクの運河 | 13:13:03 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 路上で行商する人々
バンコク 路上で行商する人々1

バンコク 路上で行商する人々2

バンコク 路上で行商する人々3



 急激な発展を遂げているバンコクではあるが、
 その流れに逆らうように生きる人々もいる。
 昔ながらのやり方で 食べ物を売り歩く人々である。
 棹一本と籠、そして体力が 彼らを支える唯一の財産である。
 バンコクの中心部でもこうした人々が、細々ながらも生き抜いている。

 東北タイ イサンが彼らの故郷である。
 村では食べることが出来ないから、バンコクに出てくる。
 仕事はといえば、建築現場の肉体労働か、路上での行商しかない。
 東北タイの貧しい土地、度重なる旱魃は、東北タイ イサンの人々を
 バンコクへと押しやる。

 私は、彼らの売るものが好きだ。彼らの売るものには、土地の匂いがする。
 汗をかき、体を使って、行商する人の売るものに嘘はないと思うからだ。
 コンケン、ロイエット、カラシン、ウドン、ノンカイ、スーリン、ブリラム、ウボン 
 私にとっても、懐かしい土地である。東北タイの方言を聞くとほっともするのだ。

 カオ・ラム、もち米と小豆を甘く蒸したお菓子だ。
 黒いもち米、白いもち米を蒸したもの、ついつい手が出てしまう。
 軽く陽で乾した川魚、さっと油で揚げればこれも美味しい。

 バンコクに住む人たちも知っているのだ。
 スーパーやセブンイレブンで売られている食べ物より美味しく安心できることを。

 荷車をレストランのように改造し、
 東北タイ料理と売り歩く男、一国一城の主である。
 棹で食べ物を担いで売り歩く女たち
 こうした人々が生き続けている限り、まだ、私のバンコクは死んではいない。
 そして、バンコクを楽しむことも出来るのである。


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バンコク風情 | 20:08:52 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク タイのわんこ麺(クイティアオ・ルア)
バンコク タイのわんこ麺(クイティアオ・ルア)1

バンコク タイのわんこ麺(クイティアオ・ルア)2

バンコク タイのわんこ麺(クイティアオ・ルア)

バンコク タイのわんこ麺(クイティアオ・ルア)4

バンコク タイのわんこ麺(クイティアオ・ルア)5

バンコク タイのわんこ麺(クイティアオ・ルア)6



 バンコクの名所のひとつに アヌサオリ(戦勝記念塔)という場所がある。
 バンコクを走る路線バスの大半は、この場所を経由していく。
 そのためか、この場所は、いつも人があふれている。
 昔は随分、柄の悪い場所であったが、BTS(スカイトレイン)の駅が、
 出来てからは、明るい雰囲気に変わりつつある。
 とにかく、バンコク庶民の若者たちが集まる場所でもある。
 そのため、若者同士の喧嘩沙汰も、時にはあるようだ。

 この場所にタイのわんこ麺の店が軒を並べているのをご存知だろうか。
 勤め帰りの若い女性、若いアベック、学生たちが、このわんこそばを、
 これでもかという勢いで食べている姿は、見ごたえがある。
 このタイのわんこ麺、正しくは、クイティアオ・ルア(舟)、
 古い昔はアユタヤあたりで 船を漕いで、売られていた食べ物である。
 味付けも全くのタイ風でナムトックといわれる酸っぱいたれで味をつける。
 豚肉を入れるか、牛肉を入れるかの2種類である。
 一杯あたりの量が少ないため、いくらでもお変わりが出来る。
 ちなみに麺一杯の値段は、8バーツである。
 麺の量からすれば、安いのか、高いのか、判断するのは難しい。

 それでも、小食のタイ人たちが、椀を重ねながら、
 麺を食べている姿は一見の価値がある。
 日本人には、少し抵抗のある味付けであるが、
 是非とも、挑戦してみて、見聞を深める必要はある食べ物ではある。


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バンコク風情 | 22:43:48 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 中華街 ジュライホテル 宴のあと(2)
バンコク 中華街 ジュライホテル 宴のあと(2)1

バンコク 中華街 ジュライホテル 宴のあと(2)2


 ジュライホテル周辺も変わって、小奇麗になったものだ。
 20年近く前 ジュライホテル周辺を根城にしていたものにとっては、
 考えられない変化である。
 ジュライホテル前の公園など、なんと清潔で、美しくなったものだろう。

 20年前に遡ってみよう。
 ゴミだらけの公園の中には、いくつかのベンチがある。
 そこに座り込んでいるか、寝転がっているのは、
 仕事にあぶれた中年過ぎの中国人、田舎に帰ることもできない疲れ果てた男、女たち、
 日本人旅行者を見れば、きらりと眼が光る。
 朝飯の一杯でも、ご馳走になれるかとの期待からだ。
 ジュライホテルに日本人の人間模様があれば、
 ここには地を這うようにして生きるタイ人の人間模様がある。

 夕方過ぎれば、仕事の手を休めて座り込んでいる立ちん棒の娼婦、
 目つきの悪い男たち、目の前にジュライホテルがなければ、
 やって来れる公園ではない。
 24時間、ひっきりなしに顔ぶれが変わっていく公園である。
 まるで、小説の舞台にでもなりそうな公園である。

 猥雑で、無法で、悪に満ち溢れていたこの近辺、安ホテルの前には 
 必ず娼婦が座り込んでいた。
 冷気茶室のお勤め奉公を済ませた女たち、中国人は若い女を好む。
 二十歳過ぎたら御用済み、12,3歳から、春を売る世界に馴染んだ女たちは、
 春を売ること以外には 何の技能も持たない。
 料理一つ作ることも出来ないのだ。
 村に帰れば、村人の目がある。
 そうすれば、いることの出来るのは中華街だけだ。

 タイの近代化政策の中で、冷気茶室もその姿を消してしまった。
 今なお、安ホテルの前に立ち続けているのは、歳を取った娼婦ばかり。
 これも様変わりである。

 悪も善も、聖も穢れも、法も無法も混然としていた世界は、失われてしまったのである。
 カオスというアジア的世界、その中には、安らぎすらあったのだ。
 相手を傷つけることがなければ、許しあえるやさしさもあったのだ。

 ジュライホテルにたむろしていた日本人、
 前の公園にうつろな眼をして座り込んでいたタイの人たちは、
 どこに消えてしまったのか。
 暑い蒸し風呂のようなバンコクの中で、気だるい腐食した空気に身を任せて、
 どこまでも沈んでいく快感は失われてしまったのだ。

 楽宮ホテル、ジュライホテルと、仲間を失った台北ホテルが、
 今も ぽつねんとあり続けているのは、なにやら、哀れな気がしてしまう。


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バンコク 中華街 | 12:04:28 | Trackback(0) | Comments(2)
バンコク 中華街 ジュライホテル 宴のあと(1)
バンコク 中華街 ジュライホテル 宴のあと(1) 1

バンコク 中華街 ジュライホテル 宴のあと(1) 2


 中華街のはずれにあるジュライホテルには、
 1987年から1990年頃まではよく利用したものである。
 カラカッダ・イーシップソン・ロータリー、
 日本名 7月22日ロータリーの前にあったホテル、  
 コンクリート造りの建物ではあったが、
 古びて、部屋も使い古したようなホテルだった。              
 バスタブはあっても、使い物にならず、ベッドのマットレスといえば、
 人の形に合わせて沈み込んでいる。
 シーツは変えてくれたが、ブランケットは誰が使ったのか、いつ洗ったのかわからぬ代物、
 これだけは使う気にはなれなかった。シャワーも水シャワーだった。
 バスタブもあったが、使用不能な無用の長物。

 周りには、このホテルと並んで名の通った台北ホテル、楽宮ホテルがあったが、
 楽宮は、いかがわしいし、娼婦を押し付けようとする台北は落ち着かない。
 そういう意味では、ジュライは のんびりと落ち着け、値段も手頃だった。
 常時、5,40人の日本人が宿泊しており、その人間模様を眺めるのも興味深いことだった。
 冷気茶室と書かれた中国人の好みに合わせて14,5歳から18歳ぐらいまでの女の子を
 集めた売春窟、こんなものも当時の中華街の至るところにあった。
 食を愛するもの、性も愛するかと 中国人の貪欲さに驚きもした。

 冷気茶室と大きな看板が出ていれば、
 誰でも暑いバンコクの冷房つき喫茶店だと思うでは  ないか、そうではない。
 もともとはアヘン窟、タイの法律でアヘンが禁止になったとたんに、
 その同じ場所にアヘンの代わりに女の子を置いたのである。
 幅の狭いレザー張りのベッドのある小さな個室、
 明らかにこの小部屋はアヘンを吸うために作られたものだ。

 冷気茶室に毎日のように通いつめる日本人もいたし、
 立ちん棒と呼ばれる娼婦たちをあさる日本人も多くいた。
 港湾の荒っぽい仕事を退職して、滞在目的のためにタイ人の女と結婚した老人もいた。
 一緒にいた女とはけんかばかり、日本人を見れば、タイ人の悪口を長々とまくりたてる。
 新しくきた日本人旅行者は、何も知らず、彼の愚痴の餌食だった。
 そんな彼も噂によれば、10年ばかり前に 日本でなくなったということである。
 タイの悪口をひたすら言い続けてきた彼にとっても、
 話を聞いてくれる日本人がいたということでは、
 ジュライホテル近辺も地獄ではなかったはずである。

 朝方早く、ドアが どんどん叩かれる。
 何事かと思ってドアを開けると、警察官、別に私を目的にやってきたわけではない。
 麻薬の手入れである。マリファナ使用の調べにやってきたのであるが、
 どの部屋で誰がマリファナを吸っているかは、承知の上だ。形だけの訪問である。
 ホテルの従業員と警察がつるんでいることは、常連の宿泊客はみんな知っている。
 密告など当たり前のホテル、マリファナの匂いがすれば、すぐに警察に密告、
 警察からあぶく銭をもらう従業員も多かった。
 知らないのは、初めての若い旅行者ばかり、常連の旅行者に訊くことをしない。
 そして、1万バーツの賄賂を要求されるのだ。
 タイ人の場合は、5百バーツの罰金なのにね。

 そんなジュライホテルだった。


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バンコク 中華街 | 01:03:28 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 中華街 楽宮ホテルの今昔
バンコク 中華街 楽宮ホテルの今昔 1

バンコク 中華街 楽宮ホテルの今昔 2

バンコク 中華街 楽宮ホテルの今昔 3


 中華街 ヤワラートへ行ってきた。
 東急マーブンコウ前から73番のエアーコンディションバスで14バーツ、
 2バーツほど値上がりをしていた。

 20年ほど前に宿泊していた辺りを見極めて置きたかった。
 カラカッダ・イーシップソン・ロータリーあたりには、日本人旅行者がよく利用するホテルが、
 3軒ほどあったが、今なお健在なのは、台北ホテルだけだ。
 ジュライホテルも楽宮ホテルも閉鎖してからもう長い。
 当時、私が利用していたホテルはジュライホテルだ。
 しかし、昔ながらのバンコクの趣を残していたのは、木造の楽宮ホテルだった。
 泊まるには、いかがわしかったし、施設も老朽化していたから、避けていた。
 部屋には洗面所しかなく、トイレ・バスルームは共同使用、
 そこもぬるぬるとしていて、清潔なものではなかった。
 部屋によっては、トイレ・バスルーム付の部屋もあったようだが。

 どうして、泊まりもしないのにそんなことを知っているかというと、
 ジュライホテル近辺で知り合ったタイ人の若者が、
 楽宮ホテルの1室に住んでいたからだ。 
 彼の名前は、チョウ、中国人とタイ人との間に生まれた子供だった。
 彼の仕事はといえば、いわゆるひもである。
 彼の恋人が借りた楽宮ホテルの一室に 彼が 同居していたのだ。
 恋人は、パヤオ出身の立ちんぼうの娼婦であった。
 チョウは24歳、恋人は28歳、恋人には、パヤオに残した子供が二人、
 実家の母親が面倒を見ており、毎月毎月の仕送りが必要だった。
 チョウが1日にもらっていた小遣いは、百バーツだった。

 タイの男も女も一人暮らしは苦手だ。やさしくしてくれる相手がそばにいてほしいのだ。
 女は金を稼ぎ、男は女に尽くす。そんなカップルはどこにでもいた。
 娼婦、バーのホステスなど、実入りの多い女の職業では、
 それが当たり前のことのようだった。

 チョウとはよく一緒にご飯も食べたし、
 バンコクから百五十キロ離れたパクッチョンにある彼の田舎にも行った。
 家にいたのは、年老いた祖父母、近所には親戚もいた。
 母親は再婚して、再婚した相手との間にも二人の子供がいた。
 そして、時々、両親の様子を見に来ていた。学校は出ていないが、聡明な感じの人だった。
 チョウの父親は中国系、別の女と結婚していて、会うこともないという。
 チョウを含めた三人の兄弟を育てたのは、田舎の家の祖父母だった。
 小学校しか出ていないチョウには、彼の望む仕事に就くのは、難しかった。

 そのチョウとも20年近くあっていない。
 金持ちになることを夢見ていたチョウ、夢を実現したであろうか。
 チョウの色白の恋人はどうしているだろう。

 楽宮ホテルのわきのスワニーの店が、来ることのない日本人を待って、
 今尚、店を開いていることに侘しさをおぼえた。


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バンコク 中華街 | 19:32:57 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク ウォンウェンヤイ下町風情 駅と市場
バンコク ウォンウェンヤイ下町風情 駅と市場 5

バンコク ウォンウェンヤイ下町風情 駅と市場 4

バンコク ウォンウェンヤイ下町風情 駅と市場 1

バンコク ウォンウェンヤイ下町風情 駅と市場 2

バンコク ウォンウェンヤイ下町風情 駅と市場 3



 ウォンウェンヤイには駅がある。タイ国鉄のマハチャイ線だ。
 ウォンウェンヤイ駅とマハチャイ駅を1時間で結ぶローカル線である。
 1時おきに列車はマハチャイ駅へと向かうようだ。
 日本の駅の感覚では考えられない様子の駅である。
 プラットホーム全体に露店が並び、線路がなければ駅とは到底思えない。
 ベンチに座り込んでいる人たちを見ても、本当に列車を待っているのか、
 暇つぶしをしているのかは定かではない。
 このローカル線の列車の旅は、なかなか面白そうだ。
 バンコク郊外の何気ない田舎町を見ることが出来る。
 一度試してみる価値がありそうだ。日帰りの旅としては格好である。

 見知らぬ街ではないが、街にやってくると必ず市場をのぞきたくなる。
 市場はその街の顔である。
 メナム・チャップリヤの東側は
 大きなスーパーマーケットが我が物顔になっているが
 西側のトンブリ地区では、市場が大きな役割を占めている。
 売り手と買い手が言葉を交わしながら、
 売り買いが成り立つ生き生きとした生活がここにはある。
 アメリカンライフを好むのは、タイの中産階級だ。
 トンブリ地区の下町の庶民の生活にとっては、
 市場での買い物が1番安心できる。
 生きの良い魚、新鮮な野菜、果物、中華風漬物と眼で見て、
 そして触り、値引き交渉まで出来る。
 その上、時間も遅くなれば、大幅値引きもある。
 顔見知りになれば、安くもしてくれる。
 そんな雰囲気がこの市場にもあった。
 そんな世界は、川向こうのバンコク都心のスーパーマーケットにはないものだ。


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バンコク風情 | 12:30:31 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 中華街 パフラット市場のインド人街
中華街 サンペーン パフラット市場のインド人街1

中華街 サンペーン パフラット市場のインド人街2

中華街 サンペーン パフラット市場のインド人街3

中華街 サンペーン パフラット市場のインド人街5

中華街 サンペーン パフラット市場のインド人街5


 中華街の一角にサンペーンという地区があり、
 その端っこにインド人が多く商売をするパフラット市場がある。
 大半はパンジャビのシーク教徒である。
 多くは、インド・パキスタン紛争の折、難民としてバンコクにやってきたようだ。
 市場の中にはシーク寺院もある。
 カンボジアのクメール王朝時代にも多くのインド人が移住してきており、
 その一部は古くからタイにもはいってきていると思われる。

 パフラット市場を歩いていると、インド料理の店、インドの甘いお菓子の店がある。
 インド料理の食材を売る店もある。
 新しく移住してきたインド人は、ウッタル・プラッディシュのゴラクプールから
 やって来ている者も多いようだが、どうも違法滞在のようである。

 運河に沿ったこの地域は、インド風な独特の雰囲気があり、
 その路地には、衣服や雑貨を買い付けに来たコルカタ、デリー、ボンベイからの
 インド人がたむろしている。
 ここだけ見ていれば、インドのニューデリー駅前の小型の食堂街のようだ。

 いるのは、インド人ばかりではない。ネパール人も多いのだ。
 外国貿易を行っているマナンギーと呼ばれるネパール人、
 ミャンマー生まれのネパール人、バウン族(僧侶階級)、チェットリー族(武士階級)など、
 買い付けにやってきたネパール人が、ここにインド料理、ネパール料理を食べに来る。
 インド人にしろ、ネパール人にしろ、香辛料の味付けでないと我慢できないのだ。
 バンコク随一の美味しい食べ物が揃う中華街にあっても、猫に小判だ。

 この頃は私も国籍不明の怪しげな人間に見えるらしく、
 ここに来ると、インド人にはヒンディ語、ネパール人にはネパール語で話していると、
 彼らにはますます訳のわからぬ存在になり、
 日本人であることを伝えないと警戒されてしまう。
 その上カメラを構えていると尚更のことである。
 それでも日本人であることがわかると、警戒を緩め、
 途端に友好的になり あれこれと逆に訊かれることになる。

 アジアの中では、どうも日本人とは信用出来うる国民のようではあるが、
 同時に騙しやすいお人好しの国民でもあるようだ。
 警戒! 警戒! 気を緩めることなかれ!


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バンコク 中華街 | 14:14:24 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 中華街 食はヤワラートにあり
バンコク 中華街 食はヤワラートにあり1

バンコク 中華街 食はヤワラートにあり2

バンコク 中華街 食はヤワラートにあり3

バンコク 中華街 食はヤワラートにあり4


 美味しいものを食べたくなったら、やはり、中華街ヤワラートでしょう。
 
 中国人の住む街であれば、味は保障つき、値段も保障つき、
 中国人は、安くても不味い物は食べない。
 そんな意気込みの感じられる中華街ヤワラートの一廓に、
 中華料理食材を売る市場がある。
 乾ししいたけ、乾しえび、乾しなまこ、練り物、中国茶と数え上げれば、
 限リがないくらいだ。
 細い露地の両側に 眼一杯食材を並べた店が 所狭しと 軒を並べている。
 
 あれもほしい、これもほしいと言っていたら、いくらお金があっても足りない。
 タイの中国人は、お金持ち、日本人の私はお金持ちではない。
 ひたすら眺めるだけである。それだけでも、楽しくなれる場所だ。
 せめて、この市場の中にあるラーメン屋さんで、
 美味しいラーメンだけは食べて帰ろう。


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バンコク 中華街 | 01:29:31 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 中華街 午後の路地裏
バンコク 中華街 午後の路地裏1

バンコク 中華街 午後の路地裏2

バンコク 中華街 午後の路地裏3

バンコク 中華街 午後の路地裏4


 喧騒でエネルギッシュな表通りから一歩
 裏通りの路地裏に入り込んでみると
 そこには、午後のけだるい空気が漂う
 朝のあわただしさから開放された心と体の休息

 表通りと裏通り、喧騒と安穏
 これがあるから、
 中華街の人々も生きていける
 生き残るための商いの戦いで傷ついた心も
 この路地裏での静かな生活で
 心と体に潤いを取り戻す

 朝夕の祈りの場所もあれば
 子供たちが集う駄菓子屋もある
 そんな路地裏があるから生きていける
 それが人間の生活だ
 それを失ってしまったら、
 人間 鬼になるしかない


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バンコク 中華街 | 17:20:38 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 中華街 裏町通りの酒場の老人たち
バンコク 中華街 裏町通りの酒場の老人たち1

バンコク 中華街 裏町通りの酒場の老人たち2


 中華街の裏町通りの路地に迷い込んでみると、
 古めかしい酒場がある
 置かれているものは、当然 時代がかったデュークボックス
 そこに座り込んでいるのも中華街の老人たち

   若かった頃の時代の名残が ここにはある
   今更、わしらはどこに行けばいいというんだ
   今時のうるさい音楽など聴けたもんじゃない
   きらきらと光る照明なんぞ おことわりだ
   わしらのものだった中華街は もう消え去ってしまった

   わしらが想い出とともに集えるところは 
   昔ながらのこの酒場だけさ
   昔は悪いことのしたものさ こいつらとね
   そんなことも今では、夢の中
   わしらの悪事に乾杯
   わしらのよき時代に乾杯

 そんな会話が聞こえてきそうだ
 路地裏には、消えていく夢のなごりがある
 夢を求めて、遠い中国からやってきた祖先、
 その子孫たちはその夢を受け継いで
 ひたすら働いてきたのだ
 成功も失敗も この酒場で、祝い、嘆き、酔いに身を任せていたのだ
 希望に燃えた素晴らしき時代は
 老人たちの齢とともに 消え去ってしまった
 中華街に乾杯! 老人たちに乾杯!


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バンコク 中華街 | 10:57:25 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 中華街 食いねえ 食いねえ
バンコク 中華街 食いねえ 食いねえ1

バンコク 中華街 食いねえ 食いねえ2

バンコク 中華街 食いねえ 食いねえ3


   ラーメン食うなら、腹いっぱい食いねえ
   ほんのちょこっとだけ食うなんて
   けちくせぇことなんぞ、おいら 嫌いだぜ
   食いねえ 食いねえ
   チャーシューだって たっぷりだ
   これが中華街の心意気だぜ
   あんた、バーミー・ヘンか バーミー・ナムか
   どっちを食たって
   腹一杯は、請け合いだ
   食いねえ 食いねえ


 中華街の路地裏に入り込んだら
 赤々とかまどの火を燃やし
 ラーメンを茹で上げている店があった。
 ひとつ、ふたつの麺だまではないのだ。
 仁王立ちしたラーメン屋のおやじが
 これでもかというほどの多量の麺を持ち上げている。
 
 テーブルの前に座り込んで食べている客のラーメンを見ると
 普通の2倍以上もあるようなラーメンだ。
 量の少ないタイのラーメンとは、全く違う。
 こんなラーメンがあるとは、驚きであると同時に感動ものだ。
 
 中華街は 奥が深い。
 
 私も注文して食べてみる。
 バーミー・ヘン
 味は そこそこであるが、さすが 量はある。
 一杯食べれば、腹いっぱいだ。
 こんなことは、タイではあるものではない。

 値段は20バーツ
 こんなことってあるもんだ。


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バンコク 中華街 | 15:25:16 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 中華街 古風な通りの古風な鶏飯屋
バンコク 中華街 古風な通りの古風な鶏飯屋

バンコク 中華街 古風な通りの古風な鶏飯屋2

バンコク 中華街 古風な通りの古風な鶏飯屋3

バンコク 中華街 古風な通りの古風な鶏飯屋4


   中華街の忘れられた昔ながらの路地にいってごらん
   太った中国人が
   昔ながらに蒸し鶏をさばいて
   鶏飯を作っているよ
   美味しいものを食べたかったら
   太った中国人の店に行きなよ
   痩せた中国人に 太った蒸し鶏は にあわないよ

 中華街をうろつきまわっていると、
 人々が半世紀も前も同じ生活をしていたような通りに迷い込むことがある。
 こんなところには、中華街に住む人たちの当たり前の日常がある。
 惣菜屋もあれば、子供たちのための駄菓子屋もある。
 ごく当たり前の普段着の食べ物が、こんなところにもある。
 何の飾り気のない古い造りの店の中で、
 太った中国人のおやじが 
 愛想もなくぶっきらぼうな顔で、
 黙々と蒸し鶏をさばき、鶏飯を作っている。

 こんな当たり前の食べ物は、誠実さだけが勝負である。
 美味しい鶏と工夫した味噌だれ、
 そして、鶏スープで炊き込んだご飯
 それだけが 味を左右する
 そんな料理は 昔ながらの通りの古風な店に似合う。
 
 その食べ物の名前は カオ・マンカイ


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バンコク 中華街 | 14:36:41 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 中華街 先祖代々の薬用酒
バンコク 中華街 先祖代々の薬用酒1

バンコク 中華街 先祖代々の薬用酒2


   ここに取り出しましたる薬用酒
   これは先祖代々伝わる秘法を持って
   作り出したる幻の薬用酒
   低血圧、食欲増進、精力増強、美容健康
   何にでも効きまする
   嘘だと思わば お試しあれ

 と額に飾られたこの店の
 若き日の曾おじいさんの声が聞こえてくる
 どんな薬用酒も、こんな立派な店に飾られば
 効果てき面に見えてくるから不思議だ
 磨きぬかれた棚の中に飾られた薬用酒は自信満々だ
 高級中国酒の扱いだ
 巷に売られている薬用酒 長春とは格が違う
 しかし 効果のほどはどうだろう
 これだけは飲んでみなくちゃ わからない

 誰か 試してくれないかなあ
 効くようなら、私も買うからさ


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バンコク 中華街 | 15:12:31 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 中華街 薬屋の店先の干しかれいたち
バンコク 中華街 薬屋の店先の干しかれいたち1

バンコク 中華街 薬屋の店先の干しかれいたち2


    俺たち、何でこんなところに並んでいるんだい
    ここは乾物屋の店先じゃないんだぜ
    薬屋の店先に並べられたんじゃ
    どうも格好がつかないぜ
   
    話を聞けばさあ
    あたしたち スープにすると 美味しいんだってよ
    病人の滋養にいいんだってさ

    そんなもんかね
    でもやっぱり
    薬屋の店先じゃ 格好がつかないぜ

 かれいたちのそんな声が聞こえてきそうな薬屋の店先の干物になったかれい、
 私だって、ううんと思い、訊いてみたよ。

 ― おじさん これ、何の病気に効くの

 ― スープにすりゃ 美味しいし、病人にはいいんだよ

 なるほどね
 でも薬屋の店先に並べることはないだろ
 薬屋の店先じゃ 美味しく見えないよ
 かれいたちが 可哀想じゃないか
 
 そんな風に思ってしまったよ



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バンコク 中華街 | 23:39:43 | Trackback(0) | Comments(0)
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