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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

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東北タイとの出会い
 東北タイの中のコンケンという町に、7年ほど住んだことがある。住んだといっても、1年のうち5ヶ月という形で、7年だ。
 だから、私にとって、タイは 東北タイを意味する。タイ料理も、東北タイ料理が口に合い、今、バンコクにいても、東北タイ料理を口にすることが多くなる。

 20年以上も前、カムプーン・ブンタヴィーの「東北タイの子」を読んだことがある。ウボンラチャタニーの村の生活を描いたものだ。素朴で誠実な東北タイ農民がひしひしと伝わってきて、そこから タイ人のイメージを作り上げたのであるが、バンコクのタイ人を見ていると、自分の作り上げたタイ人のイメージとバンコクに生活する人々との違いに驚いたことも少なからずあった。大都市のバンコクには、誠実さも、素朴さもなかった。
 利害関係以外でのタイ人との交流を生み出すことも難しかった。

 20年前のことである。東北タイを旅していたときのことである。バンコクからコラート、コンケン、ウドンタニ、ノンカイへと旅をし、その終点が、メコン川をはさんで、向こう岸にラオス ビエンチャンが見えるノンカイだった。その頃には、タイ・ラオス友好橋は建設されてはいなかった。

 ビエンチャンへの川船の船着場付近の喫茶店で、一人の日本人に出会った。20年前というと、ノンカイはまだまだ、日本人の姿を見かけることは、少なかった。
 そんな場所で、日本人と出会うと、懐かしさがこみ上げてくるものだ。
 彼は、海外青年協力隊で農業指導のために派遣されている青年だった。現地になじみ、真面目に仕事に取り組んでいる様子が、彼の話す言葉から、うかがうことが出来た。
 その彼が、「明日、村で結婚式があるけれど、行かないか」と誘われた。街から街への移動で、村に踏み入ることのなかった私にとっては、絶好の機会だった。
 翌日、彼は、オートバイで待ち合わせの場所にやって来、オートバイの後ろに私を乗せ、村へと案内してくれた。
 村では素朴な結婚式の宴が開かれていた。ラオカオといわれる米焼酎、生の牛肉のたたき、ラープなど東北タイの料理をご馳走になった。ネパールでの食になれていた私には違和感はなかった。焼酎も、牛肉のたたきも、ネパールでは体験済みだったから。

 酔い覚ましに、二人で村の池の近くに行くと、池の中で子供たちが泳いでいた。
 彼は 村の様子を話してくれた。この村にはまだ電気は来ていないけど、テレビはあること、電気はバッテリーを利用していること、そういう家は、アラブ諸国に出稼ぎに行って、お金を稼いできた人の家であること、大半の家は、貧しいことなど。
もうこの頃から、東北タイでは、外国への出稼ぎがはじまっていたのである。

この村には、「東北タイの子」の村の姿が、残っていたこと、そのことを体験できたことを、彼に感謝しながら、村を後にした。


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徒然なるままに | 10:48:27 | Trackback(0) | Comments(0)