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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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懐かしい風景‐08 パタンの街角
懐かしい風景‐08 パタンの街角 1

懐かしい風景‐08 パタンの街角 2

懐かしい風景‐08 パタンの街角 3

懐かしい風景‐08 パタンの街角 4

懐かしい風景‐08 パタンの街角 5

懐かしい風景‐08 パタンの街角 6

 カトマンズ盆地の中には マッラ王国時代の中期に造られた三つの王国があった。
 それまでは 一つの王国であったが、その時代の王ヤクシャ・マッラが、王国を
 カトマンズ、パタン、バクタプールと三つに分け、息子たちに分け与えてしまった
 のである。
 はじめのうちは 互いに仲良く、親密であった王国同士も 時が経つにつれて、
 争うようになってしまう。
 この分裂が 後のゴルカの豪族 プリティビ・ナラヤン・サハの侵略を許してしまうことに
 なるのである。

 その王国の一つだったパタンの町は カトマンズ、バクタプールに比べると
 仏教徒の多い町である。
 私もパタンの町の端っこに住んでいることから、パタンの旧市街を散策することが
 多い。
 テンプーと呼ばれる乗り合い電気自動車に乗れば、パタンの旧市街の入り口 
 パタン・ドカにも行けるし、モンゴルバザールと呼ばれている旧市街の中心にも
 行ける。
 公共バスもあり、それを利用すれば、パタン・ドカに行ける。

 カトマンズは商業の中心であることから、人通りも激しく、落ち着かないが、
 このパタンの旧市街には 昔からの住民が今なお多く住み続けており、
 落ち着いた雰囲気の町並みである。

 人通りの少ない通りをのんびりと歩いていると、町の至るところに仏教寺院がある。
 バジャチャーレといわれる仏教徒の住む地域の中には 必ず ビハールと呼ばれる
 寺院があり、そこに住む人たちの信仰、行事の中心的な場所になっている。
 仏教徒にはサッキャといわれるカーストの人たちもおり、彼らは通りにバハールと
 呼ばれる宗教施設を造っている。

 パタンの旧市街の通りを歩いていると、細い路地に出会うことが多い。
 そんな路地に入り込んでみると、立派な石像が置かれ、
 路地の入り口になっていることがある。
 バジャチャーレは仏教徒であるが、ヒンズー教の神 ガネーシャも信仰している。
 ガネーシャの隣に立っているのはビシュヌーであろうか。
 路地の入り口に立っている二人の神様に挨拶をして、路地の門を潜ると、
 広い中庭のような広場に出る。
 広場の周囲には レンガ造りの3,4階建ての住居、寺院、集会場が立ち並んでいる。
 広場では 子供たちの遊ぶ姿や休日のひと時をのんびりと過ごす大人たちの姿がある。
 
 その広場に建つ住居の間にもわき道があり、その先にも小さな中庭があり、そこには
 チャティアと呼ばれる石造りの仏塔がある。
 そこは この中庭を囲むように建てられた住居があり、どうも一族・親戚が住んで
 おり、そのチャティアと呼ばれる仏塔は一族の守り神のようだ。
 これと同じようなものは、タイやラオスにもあり、チャディと呼ばれている。
 集落の共有の広い広場、一族・親戚のための狭い中庭、この辺の使い分けが興味深い。

 バジャチャーレというのは仏教の祭儀を行う際の僧侶の役割を持ったカーストである。
 サッキャやマハルザン、ウダースと呼ばれる仏教徒の職人カーストの仏教行事には
 欠かせない存在である。
 そんなバジャチャーレが住んでいる集落には 安定した落ち着きがあるし、
 人々の表情も穏やかである。
 長い歴史の中でともにこの場所ですごしてきた共同体、人間関係が 
 その落ち着きを生み出しているのだろう。
 ネワール族の集落には カーストは違っていても、
 それぞれの集落には同じような落ち着きがある。


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懐かしい風景 | 16:55:50 | Trackback(0) | Comments(0)
懐かしい風景‐07 ネパールの中のインド
懐かしい風景‐07 ネパールの中のインド 1

懐かしい風景‐07 ネパールの中のインド 2

懐かしい風景‐07 ネパールの中のインド 3

 私の住んでいるバグマティ川の川沿いには 多くのインド系の人たちが住んでいる。
 ネパールの南の平原地帯は インドと国境を接している。
 昔、イギリスの東インド会社、イギリス政府はネパールでタライ地方と呼ばれる
 この平原地帯を領土にしていた。
 ネパールとイギリスの戦争終結の和平条約締結の際、ネパールの領土であったこの地方を
 イギリスは獲得し、イギリスはその見返りにネパールに多額のお金を支払っていたが、
 後にその支払いを停止するにあたって、タライ地方をネパールに返還することにしたのである。

 この地方に住んでいたインド人たちは 国境の新しい線引きによって、
 ひとつの村、町が分断され インドとネパールに分かれてしまう結果になるのである。
 今から150年ほど前のことだから、その頃は国境といっても その行き来は
 自由なものであった事から、別に生活に支障はなかったのだろう。
 住民票、国籍も今ほど整備もされていなかったにし、
 気にもかけない時代だったに違いない。

 そんな地方のネパール側、インド側から多くのインド人、インド系ネパール人が、
 仕事を求めてカトマンズにやってくる。
 顔つきだけ見ていれば、インド人なのか、インド系ネパール人なのか 判断はつかない。
 郷里を訊けば、やっとインド系ネパール人か、インド人なのかがわかるといった具合だ。
 
 彼らの多くは 野菜、果物の行商、インド風な食べ物を売ることで
 生計を立てていることが多い。
 私の住んでいる地域の近くには 果物、野菜の卸売りの市場があることから、
 野菜、果物の行商をする人たちが 仲間と一緒に間借りをしながら住み着いている。
 朝早くから夕方遅くまで 通りをこれらの人々が行き来しているのをよく見かける。
 皆 タフで 雨の日も風の日も 朝から晩までよく働く。
 村に仕送りして 家族を支えているのである。
 売り上げが多くなって、生活が安定してくれば、田舎にいる妻子を呼び寄せることも
 あるようだ。

 1年前に会った果物売りの親子も 決まった売り場所を見つけ、
 そこを通るといつも顔を合わせる。
 短かった頭髪もすっかり伸びて、最初のうちはわからなかった。
 父親を手伝いながら、頑張っている。
 1年前に私が写真を撮ったことなど忘れているのだろうか。

 家のすぐ近くの通りの隅っこに座り込んで靴の修理をするひと、
 一緒に話し込んでいるのは 荷車にパパイヤを載せて売り歩く新顔だ。
 インド・ネパール国境あたりから、兄を頼ってカトマンズに出てきたらしく、
 彼の兄は修理関係の仕事をしていると言う。
 その近くでは、パニ・プーリと呼ばれるインド風お菓子、
 酸っぱいたれにつけて食べるネパール人も好むお菓子が売られている。
 その車の形は いかにもインド風だ。
 どれもこれも 昔から変わらないインド式の路上の商いの形である。

 20年以上前にインドのニューデリーのパハールガンジ メインバザールの安宿に
 滞在していた頃に 見かけた光景と同じである。
 インド人はどこにいてもインド人である。


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懐かしい風景 | 22:19:57 | Trackback(0) | Comments(2)
懐かしい風景‐06 木彫りの入り口
懐かしい風景‐06 入り口 6

懐かしい風景‐06 木彫りの入り口 1

懐かしい風景‐06 木彫りの入り口 2

懐かしい風景‐06 木彫りの入り口 3

懐かしい風景‐06 木彫りの入り口 4

懐かしい風景‐06 木彫りの入り口 5

 カトマンズの先住民族 ネワール族は 木彫りの名手である。
 しかし、誰でも木彫りをするというわけではない。
 ネワール族にはカースト制があり、今から数百年前のマッラ王朝時代、
 ジャスティス・マッラ王は その仕事の種類によって 64の職業カーストに分け、
 それを ヒンズー教のカーストにしたがって 上下関係に分けていったようだ。

 そのカーストの中にウダースと呼ばれる仏教徒の職人集団があり、
 タムラカール(銅・真鍮職人)、シラッパカール(木彫り職人)、
 ラーズカルニカール(お菓子職人)など多くの仏教徒職人カーストがいた。
 その中のシラッパカールという職人カーストの人たちが 木彫り職人だったのである。
 今では ネパールの木彫りといえば、カトマンズ郊外のブンガマティという村が有名で
 そこでは カーストにこだわらず、ブンガマティの村に住んでいる村人たちの大半は
 木彫りの仕事に従事するようである。

 カトマンズ、パタン、バクタプールの町を歩いていると、
 今から百年以上前に作られた木彫りを施した窓や玄関の戸などをよく見かける。
 寺院などは 信仰の対象になるから凝ったものが多いが、
 住居などにも素晴らしい木彫りが当たり前のように施されていることも多い。
 その木彫りを施された入り口が カザと呼ばれる軽い昼食を食べさせるローカルな食堂で
 あったりする。

 何気ない場所に百年以上前の木彫りの手仕事があったりするが、
 建物の老巧化が激しく、この木彫り細工もいつまで見ることが出来るのかと
 心配になったりする。
 寺院などは 世界遺産をいうことで それなりの援助もあるのだろうが、
 一般住宅ということになれば、持ち主の財力に期待するより仕方がないのだろう。

 昔のカトマンズの人々は 儲けたお金は 寺院に喜捨したり
 自分の家を 木彫り細工で飾りつけるということに心を向けたのだろう。
 唯一の楽しみはといえば、祭りや親戚縁者との行事の中で、出会い、酒を酌み交わし、
 太鼓や笛に合わせて踊ることだったのだろう。

 今は 余分なお金が出来れば、株だの土地を買うだのして 投資にお金を回すようだ。
 過剰なお金が社会の中で ぐるぐると回っていくことがなくなったのである。
 金持ちがお金を使うことで 巡り巡って、いつかは貧乏人のところに到達するという
 形がどんどん失われてきている。

 金持ちたちは 郊外の近代的な家を買い、昔ながらの美しい木彫りの工芸には 
 興味を示さなくなっている。
 本宅は郊外、昔から住んでいた家は、賃貸しにするといった形になり、
 古い住居は荒れる一方である。

 60年近く前のカトマンズの大地震でも生き残った建物も 
 次の地震ではどうなるのか 予測も出来ない。
 いや、今の状態の家屋を見れば、崩壊してしまうことは見えているだろう。
 それも歴史が定めた運命であると思えば、仕方のないことだろう。

 今は まだ残る古い木彫り細工を見ながら、古い時代のカトマンズの名残を
 感じることは出来る。
 ネワール族の職人文化や共同体を見るにつけ、この民族の文化的な豊かさには 
 いつもながらに心を動かされてしまう。


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懐かしい風景 | 22:15:56 | Trackback(0) | Comments(2)
懐かしい風景‐05 忘れられた場所
懐かしい風景‐05 忘れられた場所 1

懐かしい風景‐05 忘れられた場所 2

懐かしい風景‐05 忘れられた場所 3

懐かしい風景‐05 忘れられた場所 4

 カトマンズとパタンを結ぶバグマティ橋を渡って、パタンの町に入り、
 橋のすぐそばにある階段を下りていくと バグマティ川の岸辺に立つことになる。
 カトマンズの人口増加によって、すっかり汚染されてしまったバグマティ川、
 岸辺に沿って造られている道を上流に向かってどんどん歩き続けていくと、
 ラナ家専制時代の始まりの頃、今から150年以上前に作られたヒンズー寺院が
 ある地域に入っていく。

 この道は地元の人間が行き来するぐらいで、昼間でも人の姿は少なく、
 人の姿といえば あたかも廃家のようになっているレンガ造りの建物に住んでいる
 人ぐらいのものである。
 徒歩で移動する人の少なくなったカトマンズでは 主要道路から離れているこの場所には
 不思議な静寂が漂っている。

 バグマティ川の岸辺の寺院や火葬場は ラナ専制時代にその多くは造られてきた。
 サハ家からその権力を奪い取ったラナ家の創始者 ジャンバハドール・ラナの死後、
 その弟によって、兄の死を悼んで建てられたものがほとんどであるが、
 ジャンバハドール・ラナも暗殺されたのではないかという疑いもある。
 兄のために 寺を建てたこの弟も 暗殺されてしまう。
 そして、権力は ジャンバハドール・ラナ家からシェムシェル・ラナ家へと移っていく。
 そのシェムシェル・ラナ家も60年近く前のサハ家の王政復古によって、力を失って
 しまうことになる。

 後ろ盾を失った寺やその周辺の家屋は 維持・援助する人間を失い、
 崩れるままに任せているという姿を見せている。
 こんな寺の姿を見ていると、宗教とは なんだろうという疑問も湧いてくる。
 未だに隆盛を誇る寺もあれば、こうして衰えを見せる寺もある。
 人々の信仰を集める寺は 朝夕に人々は祈りのためにやってくる。

 ラナ家が 権力を誇示するために建てた寺は ラナ家の権力の衰退とともに
 人々は見向きもしなくなる。
 ヒンズー教至上主義を掲げ、その権力、武力によって押し付けた宗教の行方が
 ラナ家の寺の姿に現れている。
 カトマンズに住んでいる人に聞いても この寺のことを知らないものも多い。

 このカトマンズの先住民族 ネワール族が建てた寺は 未だに息づいており、
 人々の参拝は途切れることはない。
 それらの寺は 権力とは無縁のものだ。
 ネワール族の生活場所の中にあり、日々の行事の中に組み込まれている。
 大小の寺の中には 様々の神々がおり、人々によって祭りが催せられ、
 祭りの際には 人々とともに街じゅうを練り歩く。

 人間も 同じことだろう。
 昨日 頂点にいた人が 明日には見向きもされなくなるというのが 
 今の時代でも 同じである。

 カトマンズの喧騒が 嘘のようなこの場所を歩いていると、
 昔のカトマンズを歩いているような気分になるから不思議なものである。
 バグマティ川の水の流れは すっかり汚れてしまったけれど、
 この川の岸辺には 人間の歴史、今生きている喜怒哀楽が深く刻み込まれている。
 インドもネパールも 川は聖なるものであり、日本とは違う意味を持つ。
 そんなことも感じさせてくれるバグマティ川の岸辺である。


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懐かしい風景 | 21:28:26 | Trackback(0) | Comments(2)
懐かしい風景‐04 マニュアルのない世界
懐かしい風景‐03 マニュアルのない世界

 ネパールやインドでは バスの屋根の上に座り込んでいる乗客をよく見かける。
 乗客からすれば 込んでいる車内よりもバスの屋根に座り込むほうが快適と
 いうこともあるだろうし、運転手や車掌も出来るだけ多くの乗客を
 積み込みたいという気持ちが合わさり、こんな状態が生まれるのだろう。

 しかし、これは危険との隣り合わせであることも確かだ。
 ネパールのニュースで ネパールのローカルバスやネパール人が使うツーリストバスが
 谷底や川に落ち、多くの死傷者を出したという話を耳にする。
 大勢の乗客と荷物を乗せ、バスがバランスを崩したという話も聞くし、居眠り運転、
 酒酔い運転の場合もあるだろう。
 インドあたりでは スピードの出しすぎによる衝突が多いようだ。
 インド人の運転手は インド音楽を大きくかけ、気分が乗るとやたら、スピードを出す。
 ローカルバスの運転手は特にそんなところがある。

 私の一度、インドでそんなバスに乗ったことがある。
 インドのラジャスタンの砂漠の中の町 バールメールからジョードブルに
 向かうローカルバスに乗ったときだ。
 いつもは列車でジョードブルに向かうのであるが、仕事の都合で列車の時間に
 間に合わなかったのかもしれない。
 バスの車内は乗客で一杯であり、バスの屋根の上を見たら、
 インド人たちが座り込んでいる。
 夕方近くのラジャスタンの気候なら、バスの屋根の上のほうが快適だと思い、
 ジョードブルまでバスの上に乗り、移動したことがある。
 その頃は まだ怖いもの知らずであったのかもしれない。

 ネパールやインドで旅をしていると、マニュアルなど役には立たない。
 そのときそのときで出会う出来事に 自分で対処して判断していくより方法はない。
 安全か危険かも自分で判断するより仕方ないし、近づいてくる人間が信用できるか、
 出来ないかも自分の眼を信頼するだけである。

 バスも列車も時間通りに出発することも、到着することも確実な世界ではない。
 時には事故に遇うこともあるはずである。
 事故で怪我、最悪の場合は死ぬこともあるかもしれないが、その保障すら定かではない。
 不確実なことが当たり前だし、事故が起こっても 誠実に対応してくれることなど
 期待できない世界なのである。
 
 ホテルに泊っても 冷蔵庫が壊れていたり、冷房が効かなかったりもする。
 それはホテルのメンテナンスが充分でなかったりするせいだし、サービスという考え方も
 日本とははっきりと違う。
 はっきりと主張する姿勢がなければ、泣き寝入りになってしまうこともしばしばである。
 クレームをつけても、すぐには対応もしてくれないことなど当たり前のことだ。

 そんな国で安全な旅をするには 旅をする個人の能力が問われている。
 そして どこまで自己主張が出来るのかも大切になる。
 自己主張というのは けんか腰ということではない。
 けんか腰になると 逆に危険を呼び込むことにもなってしまう。

 日本のようなマニュアル社会の中で生活している日本人にとっては、
 自分の持っている生活力、適応力を試すには こうした国々を旅することは 
 いい機会になるはずである。


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懐かしい風景 | 23:39:06 | Trackback(0) | Comments(2)
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