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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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アジアの街角 1枚の写真から‐76 路地裏の屋台のラーメン屋
アジアの街角 1枚の写真から‐76 路地裏の屋台のラーメン屋

 バンコクにやって来ると 気が向けば 朝飯、昼飯替わりに食べることにしている
 屋台のラーメン屋がある。
 私が住んでいるマンションのすぐ前の通りの真ん中あたりに位置し、
 目の前は中級ホテルのレノホテル、屋台の後ろには日産自動車の大きな営業所がある。

 別段 取り立てて美味しいラーメン屋ではないが、余計な味付けをしていないので
 ナムプラーや酢を加えて 適当に 自分好みに味付けするには都合がよい。
 注文するものは バーミー・ヘーン(汁なしラーメン)で 年がら年中代わり映え
 しない注文だ。。
 タイの麺類は 量が日本の半分くらいで 食べた気がしないので ラーメン玉を
 余分に入れてもらうと 1杯25バーツのラーメンが 30バーツになる。

 私がこの場所に住み始めてから もう10年以上になるが 屋台の所有者も 
 今の所有者で三代目になる。
 東北タイのカンボジア国境に近いブリラムという県からやってきている言葉少ない
 おばさんで この屋台を引き継いで3年近くなるはずだ。

 この路地の中間にあるこの屋台のテーブルの前に座り込んで ラーメンを食べていると
 外国人旅行者や地元の人間たちの姿を眺めるには絶好の機会になる。
 こんな場所を見つけ、人々の姿を眺め、その変わりゆく様を眺めるのも 異国での
 生活の楽しみかもしれない。

 麺類というのは 欧米人旅行者には 馴染みのないせいか、この屋台で麺類を
 すすっている欧米人旅行者を見かけることは少ない。
 旅行者相手というより、近所に住む住民や日産自動車に勤めるタイ人従業員、
 目の前のレノホテルに従業員などが座り込んでいることが多い。

 今朝も午前9時過ぎに この屋台でいつもながらの汁なしラーメンを食べていると
 珍しくアベックの30過ぎの外国人旅行者がやってきた。
 話をすると フランス人でスペインに近い南フランスからやって来ている。
 「コマンタレブー」と声をかけると「トレビアン」と返ってくる。
 抵抗なく スープに入ったビーフンを食べている。

 色々 話をしようと思っていると 先程から屋台の前の通りをうろうろしていた
 60歳前後のアジア系の旅行者が声をかけてきた。
 見た目には 日本人なのか韓国人なのか わからなかったけれど、日本人だった。
 中国から北ラオス、そして北タイへ入り、そしてバンコクにやって来たという。
 定年退職か早期退職をして アジア旅行にやって来たらしい。
 長年の夢であった長期海外旅行がかない、今が1番楽しい時なのかもしれない。
 自分の旅の形は 自分で作り上げていくより仕方がないし、それは人それぞれの
 人柄に大きく影響されるものだから、訊かれたことだけに答えることにした。
 屋台の椅子に座り込んで 何も注文しないで 話に夢中になる人間は 私が生きている
 世界の人間とは別の人種である。
 旅の常識は その人間の常識の中にある。
 それは無頓着というものとは別のもので 人間に対する優しさの問題だろう。
 自分に対する興味や関心しかを持つことが出来ない人間は 他人に対する優しさを
 育てることは出来ない。
 ここ20年の日本の流れは そんな人間をどんどん作り出してきたのではと思う。
 長期滞在、長期旅行 アジアは一見近づいてきているようで、本当は どんどん
 遠ざかっているのかもしれない。

 この屋台のテーブルの前に座り込み、行き交う人を眺める。
 タイ人、中国人、韓国人、日本人 そして欧米人、中級のゲストハウスの多い
 この通りには タイの土着な雰囲気はなく、来ては流れてゆく旅行者の姿があるだけだ。


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アジアの街角 1枚の写真から | 10:35:33 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐75 幼なじみ
アジアの街角 1枚の写真から‐75 幼なじみ

 ネパールのカトマンズの街では 放課後になると 近所の子供同士が群がって遊んで
 いる姿をよく見かける。
 休日 カトマンズ郊外の村に出掛ければ 寺院の前の広場でも子供たちが群がって
 遊んでいる。
 近頃では カトマンズやカトマンズ周辺の村でも 1家族あたりの子供の数が
 2,3人になって 昔に比べれば、子供の数は少なくなってきているが、日本に
 比べると子供の姿を見かけることは多い。

 カトマンズ郊外の村に行くと カトマンズ中心部の子供たちに比べると、
 余程 明るく生き生きした安定した表情をしている。
 子供たちが こんな表情を持って遊んでいたのは 日本ではいつの時代のことだった
 のだろう。
 私が幼少年期を過ごした4,50年前には 近所の子供たちが集まって 一緒に
 遊ぶのは普通の姿だった。
 今の時代のような陰惨ないじめのようなものはなかった。
 子供を取り巻く大人たちの心が安定しているから、子供たちの関係も穏やかなものに
 なる。
 子供が変わっていくためには 子供を取り巻く大人たちが変わっていかなくては
 ならない。

 子供の教育ということが いつも話題になるが、地域の中で子供たちをどう育てて
 いくのか 地域の大人たちが一緒になって考え 協力し合っていかない限り、
 子供たちが育っていく環境は生まれてこない。
 何かの通り一遍の地域の行事の際に 子供を楽しませることだけやっていても
 人間同士が手をつなぎあう能力を育てていくことは出来ないだろう。

 カトマンズの郊外の村に行くと 様々の行事を通して 大人同士の関係も密度の高い
 深いつながりがあり、子供たちは 空気のように 自然にその影響を受けて育っている。
 それが 昔からある生活文化の伝承というものだろう。
 村の持つ生活文化、家族の持つ生活文化が密接なつながりを持ちながら、その文化を
 子供たちに伝承している。
 そのことが失われていない村や地域では 人間関係が安定しており、それが子供たちの
 心に明るい安定した世界を用意しているのである。
 安定した未来を予測できないのなら、今の世界を大切に生きていくより方法はない。
 子供に未来をと唱えながら 大人が今の世界をしっかりと見つめ、考えようと
 しなければ 子供たちの豊かな未来などどこにも生まれてこない。
 それほど 今の時代は 不確実な時代なのである。


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アジアの街角 1枚の写真から | 10:15:41 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐74 公園の片隅で
アジアの街角 1枚の写真から‐74 公園の片隅で

 カトマンズの中心部に ラットナパークと呼ばれる公園がある。
 カトマンズ市内では 1番大きな公園であるが、百メートル四方程度の
 公園である。
 街の中心にあるだけに カトマンズ市民の憩いの場になっている。

 公園の前の通りが カトマンズ市内を走るミニバスやティンプー(乗り合い
 電気3輪車)乗り場になっているし、近くにカトマンズ近郊に向かうバスターミナルも
 あるから、人々は時間つぶしにこの公園にやってくることも多い。

 その公園の一角では いつものように市民討論会は開かれている。
 若者、中年、老人たちが 集まってきて 適当なテーマで意見を言い合っている。
 全くの赤の他人同士の集まりである。
 ネパール人のこうした姿を見ていると 民族の違い、カーストの違いが有る国だけれど
 それでも人間同士の距離は 日本人と比べるとはるかに近いように思える。
 見知らぬ他人が 公園にやってきて 笑い声を上げながら、討論会を楽しむという
 生活が 今の日本社会で考えられるだろうか。

 日本の公園に行って、ベンチに座り込んでいる人になんとなく話しかけるということは
 考えられないことだ。警戒されるのが落ちである。

 ネパールにやってくるたびに どうして 日本とネパールでは 人と人の距離が
 違うのかと不思議に思う。
 生活レベルでいえば、ネパールの生活は 日本に比べればはるかに低いが、
 人間としてのゆとり、他の人間に対する関心は はるかに大きい。
 人々は 孤立しているという気持ちは 日本に比べると 小さいだろう。

 アジアは共生社会であるとよく言われるが、ネパールの人々を見ていると 
 そんな実感が湧いてくる。

 公園の中を見回してみても 一人でぼんやり座り込んでいる人などいない。
 知らないもの同士で そばにいるだけで自然に会話が始まっていくのである。
 それは公園だけのことではなく、小さな広場であれば、夕方近くなれば、人が
 集まってきて、会話が始まるのである。
 人が集まるから、路上の食べ物屋などもやってきて 生き生きした空間に変わって
 くる。
 それは共生空間といってよいものかもしれない。
 こうした空間が街のいたるところ、路上のいたるところにある。

 私がネパールに惹かれるのはそんなところにあるのだろう。
 こうした生活に慣れてくると 日本の生活が実に味気ないものに見えてくる。
 日本で生活している人からすれば、他人と係わり合いの少ない社会空間は 普通の
 ことであるから、別に何も感じないのかもしれないが、ネパールやタイでの生活が
 長いと 一歩外へ出ると 能面のような顔をしている日本人の姿は不思議なものに
 思えてくる。
 日本人にとって 戸外の共生空間はどこにあるのだろう、そんなものは必要のない
 ものなのだろうか。
 アジアの持つ共生社会から遠く隔たってしまったのか そんな思いが湧いてくる。


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アジアの街角 1枚の写真から | 21:23:17 | Trackback(0) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐73 先祖
アジアの街角 1枚の写真から‐73 先祖

 9月3日の朝 近所の通り辺りから 凄い爆竹の音が聞こえてきた。
 中国正月のときは バンコクの至るところで 爆竹の音が響き渡るのであるが、
 それは 2月10日前後のことで この時期ではない。
 中国人の結婚式でもあるのかと思っていた。

 この日、ブログで知り合った人がバンコクにやって来ているということで、
 MBKセンターの入り口で 昼間に出会うことにした。
 一緒に昼食でもと言うことだったが、折角だから 食事前に 歩いて10分あたりの
 ところにあるイスラム教徒 チャム族の集落 バーン・クルア周辺を案内した。
 私のブログで紹介している魅力的な場所である。
 バーン・クルアの集落を案内して、すぐ近くにある庶民的な市場、この場所もブログで
 よく紹介する場所で そこもついでに案内することにした。
 日中の陽射しは暑いけれど、折角の機会だからと思ったからである。

 この市場のある通りも夕方近くなれば、活気にあふれ 楽しい場所であるが、
 昼間の時間帯は 露店も少なく、けだるい昼間の午後を 皆 やり過ごしているようで
 夕方からの仕事に向けて 身体を休めている。

 その通りのペチャプリ通り側の入り口近くに 中国人の商う牛肉麺の店がある。
 この辺りでは名の知れた店のようだ。
 ここで牛肉麺を食べるのも 連れのブログ仲間にとって興味深いだろうと思ったので
 あるが、9月3日のこの日は どういうわけか いつもと様子が違い、店の入り口に
 敷かれたゴザの上には たくさんのご馳走が置かれ、店は営業していない。
 訳を訊くと 『サー・チン』と呼ばれる中国人の大切な行事のようで 店は4日間
 休みになると言う。

 どんな行事なのかよくわからないので 近所の知り合いの中国人に訊いてみると
 どうも日本のお盆のような行事で 先祖を敬う行事であると言う。
 中国人の中でも 中国本土から移住してきている中国人は 行事は1日だけ、台湾
 辺りから移住してきている中国人は4日間 この行事を祝うと言う。

 近頃では 日本のお盆などは 形骸化して、先祖からつながる血縁関係を確かめると
 いうことはなくなっている。
 人間一人では弱いものである。
 家族・親戚などのつながりが強く、助け合い、互助関係があれば、厳しい社会の中に
 あっても救われることは多いはずだ。
 弱いもの同士で助け合うことが出来る共同体があることは 物質的な負担や精神的な
 負担を軽減してくれることは 確かである。
 先祖が大切にされる家族制度は やはり三世代、四世代家族は基本になっている
 社会である。
 今の日本では 大半が二世代家族で 各家庭の持つ価値観、長い年月をかけて 
 育まれてきた生活の知恵、人間関係が存続していくことは難しくなっている。
 何か大きな困難に陥ることになれば、家族内で問題を解決していくことになるが、
 それが 家族の力を超えていれば、お手上げの状態になってしまう。
 この20年の日本の弱者切捨ての政治、ばらばらにされた家族、血縁関係、地域社会の
 中では、個人、1家族の負担は大きなものになる。

 中国から異国に移住してきた中国人たちは その異国での生活大変さを
 よく知っているから、祖先のつながり、血縁関係、出身地のつながりを
 大切にしている。

 ネパールのカトマンズにも ネワール族という民族は 血縁や地域社会のつながりを
 大切にする民族である。
 何百年も前に祖先 氏族として出発した家族が 枝分かれをしていけば
 大変な数になるが、その氏族が 1年に何度か集まる行事もある。
 多い氏族であれば、数百人になることもある。
 ネワール族は もともとは カトマンズ盆地に 長い間 王国を造り上げていた民族で
 あるが、今から250年ほど前、別の民族に 王国を征服されてしまう。
 異民族に支配されるという過酷な試練は ネワール族の血縁関係、地域での人間関係を
 強固なものにしていったのだろう。
 弱いもの同士、権力を持たないもの同士が生き残っていくためには 強固なまとまりを
 持つ以外に方法はない。

 そうした知恵や社会的な装置を失ってしまった日本の社会では 弱者は 個人として
 生き抜いていかなくてはならない。
 個人としての力や能力の備わっている人間は 生き残っていくことが出来るが、
 そうでなければ、過酷な運命が待っていることになる。
 自殺者がやたら多いことは その証明だろう。

 アメリカ型の西部開拓時代の個人の力ばかりに頼る社会であれば、普通の人間は
 生き残ることは出来ないだろう。
 アジアの国々には 長い歴史があり、その歴史の中で 育ててきた人間の知恵の
 歴史がある。
 そのアジアの人間の持つ人間関係、血縁関係、地域のつながりを壊し続けてきたのが
 戦後の日本の歴史であり、アジアの歴史でもある。
 個人主義を謳い、個人の自由を謳い、アジア固有の人間関係を壊し続けてきたのが
 欧米のやり方だった。
 その結果、日本がどうなったのか、アジアの国々がどうなったのか しっかり
 見つめる必要があるだろう。

 個人に抑圧、緊張ばかりを強いる欧米型の社会は アジアの長い歴史の中で育ててきた
 価値観とはそぐわないものだ。
 それを鵜呑みにして 造り上げて来た社会が 今の日本の社会である。

 もう一度 自分たちの社会、生活を見直すことがなければ、未来には悲惨な社会が
 待っているだけである。



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アジアの街角 1枚の写真から | 04:39:28 | Trackback(1) | Comments(0)
アジアの街角 1枚の写真から‐72 サドゥー
アジアの街角 1枚の写真から‐72 サドゥー

 カトマンズの街を歩いていると 多くのサドゥーたちに出会う。
 特にカトマンズの有名な寺院の中には 多くのサドゥーたちが住み着いている。
 サドゥーというのは 世俗を離れ、真実の道を究め、神々への信仰に身を捧げる人
 なのだろうが、カトマンズでの彼らの姿を見ていると そういったことは感じさせない。

 私の住んでいる近くにあるバグマティ川に架かる橋の近くに ラーマ寺院、
 ナラヤン寺院という今から 150年前に建てられた寺院があるが、そこは
 サドゥーたちの溜り場のような場所で 寺院を囲む建物の中には多くのサドゥーたちが
 住み着いている。
 老いたサドゥーもいれば、若いサドゥーもいる。
 昼間の3時を過ぎると 寺院近くの路上のネパールのミルクティーを飲ませる店の
 周りに群がって 話に夢中のサドゥーたちの姿を見かける。
 夕方を過ぎると 住み着いている寺院の建物の前で 夕餉の準備をしている。

 インドの叙事詩『ラーマーヤナ』や『マハバーラタ』の中にも こうしたサドゥーたちの
 話が出てくるが、そのサドゥー達の大半は 森や山の中に住み、俗世間から離れ、
 自給自足の生活をしていることが多い。
 そして厳しい修行を通して様々の超能力を身につけるという話がよく出てくる。

 しかし、インドからやって来ているカトマンズのサドゥーたちは 俗世間を離れては
 生活出来ないようである。
 私が住んでいる家にも 毎朝のようにサドゥーがやって来て 「ラーム、ラーム、サー」
 と大声を張り上げ、お金なり、食べ物の喜捨を求めている。
 家の家主が出てくるまで 10分でも20分でも叫び続けている。
 街中でサドゥーにカメラを向け、サドゥーがそれに気がつくと すぐさま お金を要求
 されるから、うっかり写真など撮ることも大変だ。
 外国人観光客からすれば、その異様な姿、メイキャップから興味深い存在なのだろうが、
 観光客に媚を売る様子を見ていると 一般人より余程世俗的で生臭く見えてしまう。

 私などから見ると ヒンズー教という宗教を利用した高級物乞いのように思えて、
 心惹かれることはない。
 サドゥーは 菜食主義者といっても インドでは 菜食主義など珍しいことでもなく、
 むしろ、太古の昔のように森や山に籠り、修行に勤しみ、超能力を極め、そのことから
 一般の人から尊敬を集めたり、恐れを抱かせるサドゥーであれば、これはこれで 興味
 深いものであるが、この頃のように お金を苦労しないで簡単に手に入れることの
 手段として サドゥーになるというのでは 魅力は感じない。

 この前も家への帰り道 私の前をサドゥーらしき老人が歩いていた。
 そのサドゥーの前を 彼の家族らしい若い母親と幼い子供が歩いていた。
 彼の娘と孫なのか、あるいは若い妻と子供なのかはわからない。
 サドゥーとは世捨て人なのかと思っていたが そうではないらしい。
 履いている靴なども 今流行りの靴で サドゥーのイメージとは かけ離れている。
 彼らの後ろについて歩いていくと 私のいつもの帰り道と同じ道で バグマティ橋の
 袂のラーマ寺院を囲む建物の中へと入っていった。
 彼らもラーマ寺院で生活するサドゥー達の仲間だったのである。

 ラーマ寺院に住み着いているサドゥーたちが 何か修行らしきものをしているのを
 見たことがない。
 大半は 午前中は お金と食べ物(米、小麦粉、豆など)集め、それが終わると、
 午後は 群がって話し込んでいるだけである。
 カトマンズでは そんなサドゥー達が年々増えている。
 昔は パシュパティナートでの祭り、シバラットリーの際、多くのサドゥーたちが
 インドから押し寄せてきたが、今では1年中いつでも多くのサドゥー達がいる。
 過酷なインドに比べて カトマンズは居心地の良い場所なのだろうか。



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アジアの街角 1枚の写真から | 16:38:55 | Trackback(0) | Comments(0)
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