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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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バンコク 集落 バーン・クルアの朝
バンコク 集落 バーン・クルアの朝 1

バンコク 集落 バーン・クルアの朝 2

バンコク 集落 バーン・クルアの朝 3

バンコク 集落 バーン・クルアの朝 4

バンコク 集落 バーン・クルアの朝 5

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バンコク 集落 バーン・クルアの朝 8

バンコク 集落 バーン・クルアの朝 9

バンコク 集落 バーン・クルアの朝 10

バンコク 集落 バーン・クルアの朝 11

バンコク 集落 バーン・クルアの朝 12

 朝6時過ぎに眼を覚ましたので まだ気温の上がらないセンセーブ運河沿いを歩いて、
 イスラム教徒の集落 バーン・クルアの朝の様子を眺めに散歩に出ることにした。
 サファン・フアチャン(象の頭橋)の上から センセーブ運河を走る水上バスの
 船乗り場に目を向けると 朝の早い時間、通勤時間にはまだ早く 桟橋には 
 人の姿はない。

 運河の遊歩道に降り立ち、運河に沿って歩き始める。
 いつも開けっ広げにしている木造の古い家を右折して モスクに向かう路地に
 入っていく。
 出会った人と朝の挨拶を交わしながら、路地裏の中を歩いて バーン・クルア・ヌア
 (北バーン・クルア)の端っこにある惣菜屋が集まっている一角へと向かう。
 集落の中のイスラム教徒の家に間借りをしている東北タイ イサン地方からやって
 きている若者や出稼ぎの人たちが この場所にやって来て 朝の食事に向かっている。
 惣菜屋の前では 惣菜を売っている女性が 一人の僧侶のために惣菜を サイ・バート
 している。
 毎日のことなのだろう。
 バンコクの古い集落では まだ こうした習慣が残っている。
 この辺りはイスラム教徒の居住区で 仏教寺院はなく、1キロほど先にある寺から
 やって来るのだろう。
 朝早く 散歩をすることは しばらくなかったので 久しぶりのサイ・バートの情景に
 新鮮な思いがした。

 再び 迷路のような路地裏を抜けて、センセーブ運河へと向かう。
 センセーブ運河の向こう岸にバーン・クルア・タイ(南バーン・クルア)という名の
 水上バス乗り場である。
 そろそろ 7時半近く、仕事に出掛ける人の姿が桟橋の上に佇み始めている。

 この桟橋の対岸地区は バーン・クルアの西地区に当たる。
 今日は 12月5日の国王誕生日が土曜日だったので 12月7日の今日は 
 代替え休日になっており、子供たちも学校が休みで 朝の慌ただしい雰囲気はない。
 路地裏に住む人々ものんびりと座り込んでいる。
 忙しいのは朝の惣菜を売る人たちと 昼食用の惣菜の準備をしている人たちだけだ。

 その朝食用の惣菜 チョーク(お粥)を売っている家がある。
 この家、昼間は 手作りのお菓子やまんじゅうを売っているのは知っていたが、
 朝は お粥を売っているとは知らなかった。
 この地区 バーン・クルアはイスラム教徒の集落なので 豚肉を使った料理はなく、
 牛肉か鶏肉である。
 お粥の味付けも中国風というよりも イスラム風の濃い味付けである。
 チョーク(お粥)は 中国風の豚肉団子や豚の内臓を入れたものが美味であるが、
 私の住んでいる辺りには 残念ながら 豚肉主体のチョークはない。

 折角 見つけたお粥だったので 朝ご飯用に チョーク・サイ・カイ(鶏肉入り
 お粥)を注文して ビニールの袋に入れてもらって 持って帰ることにした。
 帰り道に 象の頭橋の下で惣菜を売っている馴染みのおばさんのところで 
 ラープ・ムー(豚肉のイサン風和え物)を買い、お粥の副食にすることにした。


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バンコク 運河の辺の街 | 15:25:28 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 日曜日の午後
バンコク 日曜日の午後 1

バンコク 日曜日の午後 2

バンコク 日曜日の午後 3

バンコク 日曜日の午後 4

 午後3時を過ぎると 開け放したベランダのドアから 西日が差し込み始める。
 冬場のバンコクのほうが 私の住んでいる部屋は 夏場より熱いくらいである。
 その西日を避けるために インドで買ったマディアプラデェッシュのブロック・
 プリントのベッドカバーで暖簾を作ってみたが 長さが十分でなかったせいで
 暖簾の下から容赦なく西日が入り込んでくる。

 こんな時には 部屋の中にいても茹だるだけなので 買い物がてらに外に散歩に
 出掛ける。
 今日は久し振りに センセーブ運河沿いの遊歩道を イスラム教徒の住む集落
 バーン・クルアに向かって歩いてみることにした。
 サファン・フアチャン(象の頭橋)を超え、その途中にある階段を降りて、
 センセーブ運河の遊歩道へ向かう。
 遊歩道に降り立つと 目の前に水上バス乗り場になっている桟橋があり、水上バスを
 待つ人達が 桟橋の上に立っている。
 今日は日曜日のせいか 待つ人の数は少なく、待つ人々の様子もゆったりしている。

 2,3ヶ月前は 雨期開け前で チャオプラヤ川の水位が上がり、川の水が運河に
 向かって逆流してきて 洪水をもたらすので 運河の水門は閉じられ、流れ出る汚水で
 運河の水は すっかり薄汚れていたが 乾期に入った現在は 水門が開けられている
 らしく、運河の水も少しはきれいになっている。
 それでもいつもより水位は高く、水上バスがやってくると 運河の水が桟橋に覆い、
 待つ人々は 桟橋から逃げ出している。

 そんな人々の姿を眺めながら、遊歩道を歩いていく。
 途中の小さな公園では 休日の夕方近くの午後を 男の子たちはサッカーを 
 女の子たちはバトミントンを興じている。

 いつも通りの人たちが 運河沿いの遊歩道で 各々の日常の営みを続けている。
 夕餉の惣菜の用意をしている人、近所の人達との会話を楽しんでいる人、家の前で
 何やら修理をしている人、眼が合えば 軽く会釈をして挨拶を交わす。

 体力が十分ではないので カメラを向ける気力が湧いてこない。
 集落の雰囲気に溶け込むことで精一杯だ。
 眺めること、観察すること、関心を持つことにも気力が必要なことがよく分かる。

 遊歩道沿いに歩いて、大型スーパーマーケットのテスコ・ロータスに向かって歩く。
 集落 バーン・クルアの運河を挟んで向こう側にそのスーパーはある。
 別段、これといって買うものはないが、大安売りの新鮮な魚や果物でもあえば、
 買ってこようと思っていた。
 実際 スーパー ロータスに行ってみると 期待していたものはなく、何も買わずに
 帰ってきてしまった。
 この時期 果物類は安くなっているが、魚は高い。
 鯵や鯖の新鮮なものがあればと思ったが、鯵は値段が高く、鯖は活きが悪かった。
 活きが良ければ 味噌煮にでもしようかと思っていたのだが。

 いつもなら気にならない人の動きが鬱陶しく、バランスよく相手を避けながら、
 上手に動くことが出来ず、人の動きがついていくことが出来ず、
 もどかしい気持ちになる。
 反射神経が 衰えているようだ。

 部屋に帰ると 陽は沈みかけており、西日の心配はなくなっていた。



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バンコク 運河の辺の街 | 20:30:09 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク バーン・クルア 葬儀
バンコク バーン・クルア 葬儀 1

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バンコク バーン・クルア 葬儀 9

 昨日は 台風16号の余波で 午前中は雨が降っていたバンコクだったが、
 午後からは 雨も止み、曇り空に変わった。
 ご飯は 前日に炊いていた残りがあったので 何か 昼食用のおかずでも買おうかと
 外に出かけた。
 すぐ近くで手に入れようと思ったが、雨上がりで売っているおかずが少ない。
 仕方がないので 下町の市場辺りまで 散策代わりに歩くことにした。
 路上のおかず売りの露店も 雨が上がったばかりのせいか、盛況ではない。
 市場の中に入っても 同じことだった。

 それではと思い、イスラム教徒の住むバーン・クルアの端にある惣菜を売る場所で
 3点ほど惣菜を買った。
 先日まではラマダン(断食の月)で ひっそりしていたこの場所も 少し賑やかに
 なっている。
 ここでは おかずをビニールの袋に入れてもらって、1袋15バーツ、市場では
 昼間は20バーツである。

 おかずをぶら下げて バーン・クルアの集落の中を センセーブ運河沿いの遊歩道を
 歩いていると 途中 集落のイスラム教徒のチャム族の人たちが 大勢集まっている。
 近くにいた時々パンやクッキーを買う手作りの店の女主人に 何事かと訳を訊くと
 葬儀のためだと言う。
 76歳の女性が亡くなり、これから 死者を入れた棺をモスクまで 皆で運ぶために
 集落の人々が集まっている。
 集落の長老たちが 行列の先頭を歩き、その後に棺を載せた手押し車が続いて行く。
 北バーン・クルアの大勢の住民たちも モスクに向かって歩き始める。
 私もその後ろについて 一緒に歩き始める。

 モスクに到着すると大勢の人々である。
 葬儀に参加出来る北バーン・クルアの人々が モスクの外にも中にもあふれている。
 棺は 2階の礼拝堂に運ばれたようだ。

 集落全体で なくなった人を見送るということが このイスラム教徒のチャム族の
 あいだでは まだ当たり前のこととして行われている。
 こんなところにも 集落のイスラム教徒の絆の強さを感じさせる。
 一旦 モスクに棺を納め、祈りを済ませ、そのあと すぐ近くにある墓地に運ばれ、
 埋葬されるようだ。

 ラマダンの後の集まりといい、この葬儀といい、行事をいうものが集落の
 イスラム教徒のつながりを再確認する機会になっている。
 この葬儀の様子を見ていると カトマンズのネワール族の葬儀を思い出した。
 ネワール族も血縁関係・カーストを中心とした強いつながりを持った共同体を持って
 いる。
 共同体を中心にした行事は イスラム教徒より多いだろう。
 行事というものが 共同体のつながりを強固なものにし、再確認の役割を果たして
 いることがよくわかる。

 イスラム教徒の間では お金の貸し借りには利子をつけないことになっている。
 商いの上での貸し借りであれば、儲けが出れば、その儲けの中から 貧しい人たちや
 社会奉仕のために喜捨される。
 こんな制度も 共同体を強める役割を果たしているようだ。

 カトマンズのネワール族にしろ、バーン・クルアの集落のイスラム教徒 チャム族に
 しろ、強いつながりを持った共同体が維持される限りは 人々は 助け合い、心の
 安定も得ることが出来るだろう。
 ネワール族も チャム族も 大半の家は 三世代家族が当たり前で 生活文化の伝承が
 世代から世代へと自然に行われている。
 
 こうした生活文化の伝承が途切れたところで 不安定な社会が生まれ、
 地域共同体のない社会に変えてしまっている。
 その見本が 日本の都会である。
 家族のつながり、他者とのつながりが 薄れていけば、
 犯罪に対する抑制作用もなくなってしまう。
 親に顔向けが出来ない、世間様に申し訳ないという気持ちは生まれてこないのである。


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バンコク 運河の辺の街 | 11:30:44 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐07 ラマダン03 大人たち
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バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐07 ラマダン03 大人たち 3

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バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐07 ラマダン03 大人たち 10

 ラマダン(断食月)が明けて 人々の表情も イスラムの義務を果たしたという
 思いが感じられ、ほっとした様子が見られる。
 いつもは静かな路地にも たくさんの人々が座り込んで話しに弾んでいる。
 モスクの中では モスクの信者たちの会食の準備のために 男も女も忙しく
 立ち働いている。
 これも集落のつながりを深めるには大切な仕事だ。

 このラマダンが明けた日、この集落を出て、別の場所に住んでいる人々も 
 旧交を暖めるために帰ってくるようだ。
 人々の姿を見ていると まるで日本の盆や正月のようだ。

 イスラム教徒チャム族の場合、入り婿制が基本であったらしく、家を継ぐ娘が 
 婿を取るということになっている。
 タイでも中国系タイ人を除けば、仏教徒のタイ人も入り婿制の結婚形態を取るため、
 家庭の中でも女の役割は大きい。
 チャム族は 古い時代から海洋貿易にも長けた民族で 船を操って貿易に従事して
 いたことから、家を護るのは女の役割で、入り婿制のほうが 都合が良かったのかも
  しれない。
 娘が多ければ、分家して、別の場所に家を建てるということもある。

 集落の中の血族、集落の外に出た血族が このラマダン明けの日には やってくる。
 昨日 ラマダン明けのご馳走の準備をしていた老夫婦の家にも 大勢の訪問者が
 やって来ている。
 孫たちもやってきていて、おばあちゃんも嬉しそうだ。
 こんな家族の姿は 万国共通の姿である。

 一緒に集落の中で育っても この狭い集落の中では 新たに家を建てることの出来る
 土地は残っていない。
 昔は この辺りは 森のような場所で ペッブリ辺りまでチャム族の土地で、
 主に農業に従事していたらしい。
 そんな時代であれば、すぐ隣の空いた土地に娘、息子家族のために 新たに家を
 建てればよかったが、今では チャム族の数も増え続け、ペッブリ道路の
 向こう側まで 家々やビルですっかり、埋まり 空いた土地などはない。

 150年前は 数十家族であったチャム族も増え続け、今では数千人になっている。
 それでもタイの中では 少数民族であることから、チャム族の生活を護っていく
 ためには チャム族同士の強いつながりが必要なのだろう。
 イスラムの掟を守りながら、協力し合い、互いに助け合う姿勢は 少数民族が 
 生き抜いていくためには 欠くことのできないものである。


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バンコク 運河の辺の街 | 13:15:58 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐07 ラマダン02 子供たち
バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐07 ラマダン02 子供たち 1

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バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐07 ラマダン02 子供たち 7

バンコク 集落 バーン・クルアを歩く‐07 ラマダン02 子供たち 8

 今日はラマダンが終わったことを祝う日である。
 子供たちには ラマダンの間 断食は強制されないが、出来る範囲内で断食をするのも
 良いように言われている。

 今日は休日の日曜日のせいか、子供たちの姿が目立つ。
 午前中のモスクでのラマダン終了のお祈りのために それぞれにモスクへ行くための
 正装をしている。
 男の子も女の子も同じである。
 モスクに行って こうしたムスリムの衣装を身につけ、大人たちに混じって 
 祈りを捧げることで どこか大人に近づいたという気持ちにもなるのだろう。

 兄弟や近所の仲間を連れ添って 子供たちはモスクへと向かっている。
 朝の祈りは済ませ、次の行事は皆での会食だ。
 近隣の大人も子供も一緒になって 会食をする。
 顔見知りの叔父さんや叔母さんが 会食の準備のために モスクの中で 
 忙しく立ち働いている。
 モスクを中心にして 地域全体でラマダン終了を祝う。
 それを 子供たちは直接眺めている。
 大きくなって 大人になれば 自分たちも同じ役割を担うことを自然に知る。
 モスクは信仰の中心であるばかりでなく、地域の活動の中心でもある。
 ドブ掃除が必要になれば、モスクに集まって相談する。
 地域の共同作業は すべて モスクの中で話し合われる。

 住宅の密集するバーン・クルアの集落の中では 皆 顔見知りである。
 血がつながっていなくても 皆 兄弟姉妹なのである。
 それを モスクでの集まりを通して 子供たちは知っていく。
 大人から子供への信仰・文化・習慣の伝達が モスクを中心に行われている。

 重要な行事の際に身につける衣装は 仲間であることの確認にもなる。
 統一した衣装ではないけれど それぞれの家庭で工夫した衣装のようだ。
 衣装を見る限り、男たち、男の方がお洒落である。
 礼拝のための衣装を身につけると 子供たちであっても 一人前のモスリムに
 見える。
 この礼拝の衣装を身につけると いたずらなど出来ないようだ。

 普段の日は 普段着を着ているから イスラム教徒のチャム族の子供なのか、
 仏教徒のタイ人なのか見分けはつかないけれど、今日ははっきりと見分けがつく。
 仏教徒である子供たちは モスリムの衣装を身につけていないからすぐわかる。
 仏教徒の子供たちは 東北タイから出稼ぎにやって来て、この集落の中で間借りを
 している家族の子供たちであるが、こうしたイスラム教徒 チャム族の集落 
 バーン・クルアの中では イスラムの大きな行事の中では 居場所がないようだ。
 彼らの親も 村に帰れば 仏教の寺を中心とした濃厚な人間関係があるのだろうが、
 バンコクという大都会の中では ばらばらの存在である。
 子供たちも バンコクという都会の中では同じである。
 それは 高度成長期の中で 都会での生活を余儀なくされ、人々とのつながりを
 失った日本の出稼ぎの家族と同じである。

 日本でも このバンコクでも 地域との深いつながりを失った人々が どう再生して
 行けばいいのか はっきりした方向は見えない。
 ただ わかっていることは 子供たちは必ず地域の学校へいく。
 地域の中での学校の役割を広げ、地域社会での子供にとっても 大人にとっても
 要となるようなシステムの構築が 地域での人間関係を育てる力になるかもしれない。
 このチャム族のモスクのように。



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バンコク 運河の辺の街 | 10:26:20 | Trackback(0) | Comments(0)
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