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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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カトマンズ ネワール族の初七日
カトマンズ ネワール族の初七日 1

カトマンズ ネワール族の初七日 2

カトマンズ ネワール族の初七日 3

カトマンズ ネワール族の初七日 4

カトマンズ ネワール族の初七日 5

カトマンズ ネワール族の初七日 6

カトマンズ ネワール族の初七日 7

カトマンズ ネワール族の初七日 8

 秋晴れのダサインの祭りの中、バグマティ川にかかる黒い鉄製の吊橋のすぐそばの
 川辺のシバ寺院を歩き回ってみた。
 
 シバ寺院のすぐ近くの沐浴場の上の四角い石造りの休憩所で、4,5人の女たちが 
 何やら料理を作っている。
 カトマンズの寺院の近くでは よく見かける風景で礼拝のようでもある。
 しかし、礼拝のための僧侶はいない。

 近づいて行き、訳を訊くと 7日前に亡くなった母親のための供養を行っていると言う。
 彼らは ネワール族の中のカーランジットというカーストに属する。
 元々は 糸を染めることを仕事にしていたようだが、マッラ王朝時代には、王の占い、
 礼拝にも係わるようになり、マハブラーマンとも呼ばれるようになったカーストの
 人たちだ。

 このネワール族のカーストの人々は 母親が亡くなってから7日目に母親のための
 供養を行う。
 そこで母親の好きだった食べ物を用意し、亡き母親にご馳走するのである。
 子供のうち、結婚した娘たちが集まり、その中でも一番下の娘が 中心になって行う。
 彼女たちは5人の姉妹であるが、末っ子は結婚していないために参加できない。

 父親が亡くなった時にも同じ供養をするが、そのときには結婚している一番上の娘が
 中心になって行う。

 父親が亡くなれば、一年間 ダヒと呼ばれるヨーグルトを食べることはできないし、
 母親がなくなれば、一年間牛乳を飲むことはできない。
 ネパールのミルクティは一年間お預けである。

 今回の母親の供養の中心が 年の若い娘のため、供養の儀式の流れがわからず、
 一番年上の娘の指示に従って、行っている。
 一番年上の娘は父親が亡くなったときに同じ体験をしているから、要領はわかる。
 そのときには 親戚の年長者の女性が 手順を教えてくれたと言うことだ。
 下の娘は その間、口を利いてはならないし、他のものはその娘に触ってはならない。
 下の娘が 巫女の役割を担い、母親を呼び寄せる役目なのだろうか。

 私がネワール族の文化に興味があるというと、最後まで見ていけと言う。
 昔は 64ロプニの農地があったが、50年前のマヘンドラ王の時代に半分の農地を
 取り上げられてしまったこと、マハブラーマンとも呼ばれ、ネワール族の中でも
 高いカーストであること、母親は82歳でなくなり、亡くなる1週間前までは、
 元気で強健だったことなどを話してくれる。

 母親への供養ための料理が整うと、今度はすぐ近くにある丸い石造りの休憩所へと
 料理を運び、一番下の娘が きれいに並べて、亡き母親のための供養は終了する。

 すべての料理を並べ終えれば、したの娘も普通の娘に戻り、口を利くことも触ることも
 許される。
 その途端に そこに集まっていた四人の娘たちは 号泣し始める。
 それも儀式の流れに組み込まれているようだ。

 供養のための食べ物は、近くの犬たちにも与えられ、
 母親のために用意した食べものや衣類は 少額のお金とともに 
 呼ばれたカーストの低いものたちに与えられる。
 この日は 三人の低カーストの人たちが呼ばれていた。

 供養が済んだあと、家に帰るまで後ろを振り向いてはならない。
 名残惜しさを示すと、なくなった母親が再び、家に戻ってきてしまうからだ。
 母親は浄土に行けず、天と地の間を彷徨うことになる。

 彼女たちにお礼を言い、号泣する彼女たちを後に残し、家路へと向かった。


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カトマンズ ネワールの街と文化 | 10:09:50 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ タンドゥカールの葬儀
タンドゥカールの葬儀 1

タンドゥカールの葬儀 2

タンドゥカールの葬儀 3

タンドゥカールの葬儀 4


 ドーナツでも買おうと 家から通りに出て、いつも行くパン屋に行くと、シャッターが
 下りていて、店を開けていない。
 いつもなら、近くの短大の学生たちが店の軒先に置かれている椅子に座り込んでいる。
 近くの道の中央には、何やら衣服らしいものが、かごの中に入れて、置かれている。
 近くにいた人に訊くと、いつも行くパン屋の家族、84歳の祖母が昨夜、亡くなった
 ためだという。

 ネワール族では 昔から 死人が出ると、その衣服を道端に置き、低い掃除人カーストのものに
 与え、死の穢れを持ち去ってもらうようだが、この頃では、それを持ち去るカーストの人たちも、
 昔より豊かになり、もって行くことはなくなった。

 死者は、家族や親戚の男たちによって、彼ら専用の火葬場へと運ばれていったと言う。
 ネパールでは、カーストによって火葬の場所か異なっている。カーストごとに専用の
 火葬場があり、他のカーストの人間は、その火葬場を使用することが出来ない。
 なかなか面倒なことである。

 死者の出た家の入り口には レンガが置かれ、死者を送っていった人たちを迎える
 準備が整っている。
 ここで死者に取り付いていた死の霊が 使者を送りに行ったものに取り付いて 再び
 家の中に入ってくることを防ぐためだ。
 使者を送りに行ったものたちは、このレンガの外で、家の内側に居る親戚の女たちに
 よって お払いを受け、家の中に入っていく。
 お払いをする女たちは、死者の直接の家族であってはならない。
 家族には死の穢れが取り付いているからだ。
 家族・親戚が集まると、食事が始まるが、家の外からやってきたものは、
 その家族とは一緒に食事はしない。
 死者の出た家族にはズットと呼ばれる死の穢れが取り付いているから、
 彼らの作ったものは 他のもの(外からきたもの)は食べてはならない。
 食べ物は自分たちで持ってくる。

 タンドゥカールの場合は 死者の出た家族には13日間 視の穢れが取り付いている
 ということから、13日間、彼らは他のものとは食事をともにしない。
 その間、鏡を見ること、テレビを見ること、髪を洗うことなど、様々のタブーがある。
 残った家族が楽しんでいる姿を見て、死者が蘇り、家に帰って来、怒りに任せて、
 他のものを再び死の世界へと誘うことを恐れるためだ。

 13日目にバジャチャーレといわれる仏教徒の祭事を行う人を呼んで祭儀を執り行ったあと、
 平常の生活に戻り、死の穢れから開放されることになる。

 この13日間には、家族の中では様々の祭事が行われるようだ。
 どれもこれも 死者が心置きなく、冥土の世界へと旅立ってもらうためだ。
 死者が 向こうの世界で困らぬように、ひとかけらの金、日常品を持たせるのも
 そのためだ。

 そこには死者に対する、あるいは死後の世界に対する彼らの深い精神世界がある。
 それは、今では日本では失われた世界だ。
 それらの様々の宗教的な装置は、生きていることを問うことでもある。
 死に対する怖れは、生にたいして大きな影響力を持っているはずだ。
 ネワール族の農民の世界にはまだこうした世界が残っている。
 死者をゴミ置き場に捨てるような日本とは違う。
 死者に対する恐れを失った日本では、凶悪犯罪はいくらでも生まれてくる。
 死に対する想像力を失った社会では、人間は単なるものに過ぎなくなっていく。
 人間を抑制する精神的な装置、知恵が科学万能のもとに、ある異が経済重視の社会の中で
 失われてしまったのである。
 文部省の推奨する道徳教育でどうにかなるような世界ではないのだ。
 犯罪とは 社会を映す鏡であるし、人間の置かれている精神世界の象徴でもある。
 豊かな精神世界を失っていけば、世の中どんなことでも起こりうる。


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カトマンズ ネワールの街と文化 | 11:34:49 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ タンドゥカールと老人
タンドゥカールと老人 1

タンドゥカールと老人 2

タンドゥカールと老人 3

タンドゥカールと老人 4

タンドゥカールと老人 5

タンドゥカールと老人 6

タンドゥカールと老人 7


 私の住んでいる地域には ネワール族のタンドゥカールというカーストの人々が
 たくさん住んでいる。
 農業に従事するカーストのようであるが、かといって ネワールのジャプーと呼ばれている
 農民カースト マハルザンとも違うカーストの人たちである。
 カーストとしては、マハルザンの下に位置づけられている。
 彼らの主な仕事は 農業と米の商いだというが、それだけでもないようだ。
 いろいろな人に聞いているのだが、納得のいくはっきりしたカースト上の職種はわからない。

 つい先日、このタンドゥカール・カーストの84歳の高齢の葬儀を見かける機会が
 あったことから、タンドゥカールの人たちの宗教、生活習慣についていろいろ尋ねてみた。
 彼らの生活の中での年寄りたちの生活を中心に尋ねてみた。
 農業に従事するネワール族のタンドゥカールやマハルザンの人たちには、年間を通して
 多くの宗教行事がある。
 他のネワール族の人たち、上位カーストのシュレスタ、サッキャ、バジャチャーレと比べても
 はるかに多い。

 カトマンズの祭りなども中心的な役割を果たしているのは、農民カーストの人たちである。
 祭りや宗教的な行事があるたびに一族一党が集まり、そのつながりを深めている。
 大きな行事であれば、集落全体がまとまりを見せる。
 家族・親戚、地域の同じカースト同士が協力しあうことで、その絆の深さを確かめ、
 同時に 神々とのつながりを深めていく。

 そんな農民カーストの世界には、年寄りたちにとって重要な行事がある。
 ジャンクーと呼ばれている行事だ。
 家に居る年寄りが 77歳7ヶ月7日を迎えると、その年寄りのための大きな祭事が
 ある。
 年寄りのために山車を造り、77歳になったことを祝い、神に感謝し、その山車に
 当の年寄りを乗せ、その孫たちが綱を引き、町中を練り歩く。
 年を取ることで、神々に近づいたことを喜ぶのである。
 もし、その年寄りに妻がいれば、妻がその年齢に達していなくても、一緒に山車に乗って 
 街の中を練り歩く恩恵に預かることができる。
 そして、その日から4,5日間は 神に感謝する祭儀、お祝いの会食を
 多くの家族・親戚とともに祝うことになる。

 その次は81歳になった時だ。今度は山車ではなく、81歳になった年寄りを乗せる
 神輿のようなものを造る。
 前と同じように孫たちが年寄りを乗せた神輿を担いで、街中を練り歩く。
 ネワール族のお祭りの際には、神々の像を担いだり、引いたりしながら、街中を練り歩く。
 それと同じ扱いだ。

 84歳になれば、今度は、年寄りを通常の入り口から運び出してはいけない。
 窓から、外へ運び出し、終われば、又、窓から運び入れなくてはならない。
 そして、一回目のジャンクーと同じように山車に年寄りを乗せて、街中を練り歩く。
 3回のジャンクーを経験した年寄りは神様と同じ存在に近づいたということで、
 家族・親戚は大喜びである。一族・一党に神々が繁栄をもたらすと信じているからだ。
 4回目は 95歳のときに行うらしいが、誰もが、このジャンクーは見たことがない
 と言う

 ネワールの農民カーストの社会では、年寄りは大切にされる。
 宗教行事などの手順は年寄りの支持が必要だ。様々の知恵、宗教的な教えは、
 年寄りから孫たちへと伝わっていく。
 カトマンズ盆地の中の人口は今や250万人を越えようとしているが、
 カトマンズの中心部でもまだまだ村的な要素の強い家族制度、共同体は 
 農民カーストの中では 生き生きと生き続けている。ここには老人問題はない。
 老人を粗末にすれば、神々から見放されてしまうのだ。老人は神々に近い存在だ。
 宗教と家族制度が美しく機能している世界、家族同士のつながりの深い濃厚な世界だ。
 これは ネワール族が誇れる素晴らしい文化である。
 彼らは決して日本のように豊かな人たちではない。しかし、やるべきことは惜しまずに
 やる民族だ。
 
 こういうネワール族社会に生きている老人は決して孤独ではない。
 家族とともに生活し、家族のそばで当たり前のことのように穏やかな死を迎える。
 日本のように老人医療の恩恵を受けることなくても、死を自然に受け入れ、与えられた
 寿命を全うするだろう。家族に囲まれながら。


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カトマンズ ネワールの街と文化 | 01:26:14 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ ネワール族 仏教徒の悲哀‐6
カトマンズ ネワール族 仏教徒の悲哀‐6 1

カトマンズ ネワール族 仏教徒の悲哀‐6 2

カトマンズ ネワール族 仏教徒の悲哀‐6 3

カトマンズ ネワール族 仏教徒の悲哀‐6 4

カトマンズ ネワール族 仏教徒の悲哀‐6 5

カトマンズ ネワール族 仏教徒の悲哀‐6 6

カトマンズ ネワール族 仏教徒の悲哀‐6 7

カトマンズ ネワール族 仏教徒の悲哀‐6 8


 ラナ家独裁政治の中で ネワール族の生活はどう変化していったのだろうか。

 ネパールはラナ家のみにあるという独裁政治は、首相職を世襲制にし、カトマンズの
 至るところに ラナ家の息子たちのための豪奢な宮殿を建て、ラナ家の家系に
 つながる者たちで 官僚、軍隊の中での上級将校は占められ、イギリスへの留学の
 機会も A級ラナと呼ばれるシェムシェル・ラナ家直系のみに与えられ、
 民衆には教育の機会は与えられなかった。
 学校づくりが行われるようになったのも、ラナ家末期のことである。
 それまでは、他民族に対する徹底的な愚民政策を続けていたのだ。

 逆らうものには徹底した重罰を与え、気に入らないものは 意のままに排除していった時代
 だったのである。
 ラナ家の言うことが 法だったのだ。
 そして、ラナ家の地位を確実にするために、サハ王家が 妃を迎えるときには 
 必ず 妃は ラナ家からというルールも確立していったのである。

 イギリスへは イギリス軍傭兵グルカ兵として グルン、マガール、ライ、リンブー族を送り出し、
 イギリスから 莫大な見返りを得ていたのだ。
 一体何人のグルカ兵が イギリス軍の戦いの最前線に立ち、命を落としていったのだろう。
 命を落としても、得るお金は、イギリス兵の何十分の一にも満たなかったのである。

 ヒンズー教至上主義を掲げたラナ独裁政治は ネワール族の仏教徒たちへの圧迫へと
 つながっていった。
 仏教徒の多かったパタンでは、サッキャ・カーストの仏教僧侶たちは、カトマンズ追放、
 ネパール追放の憂き目に合い、あるものはチベットへ、あるものはインドへと
 逃れていったのだ。
 サッキャ・カーストの宗教施設バハールと呼ばれる建物から 僧侶の姿が消えたのは
 このラナ独裁政治の折のことだった。
 毎年、パタンで行われる仏陀生誕節のお祭りの時には、その時代の悲しみを歌に託して、
 行列は、その悲しい歌を歌いながら、街の中を練り歩く。

 仏教徒たちは ラナ家の恐怖政治から逃れるために、ヒンズー教の儀式も取り入れるように
 なっていく。
 殺傷を禁じる仏教の教えとは裏腹に、ヒンズー教徒のダサインの祭りには、山羊、アヒルを
 生贄に捧げるようになっていく。
 ラナ家への従順を示すためである。
 ラナ家に逆らうことは、死を伴うくらい危険なことだったのだ。
 気に入らない相手を抹殺するには、ラナ政権に密告するだけで充分だったはずだ。

 イギリス様式の建造物に憧れるラナ家のものたちは、イギリス様式の宮殿、豪邸を建て、
 寺院といえば、インド様式の寺院が建てられ、ネワール族の仏教徒の工芸職人の仕事は
 先細り、ネワールの工芸文化は停滞していくのだ。
 インドのマルワリ商人に ネパールの商業活動に利権を与えることで ここでも莫大な財を
 得ていたのである。
 インド、チベット貿易の覇者だったネワール族は、ここでも力を失っていくのである。
 チベット貿易では、西のタカリ族が 台頭してくるのである。

 ネワールの農民カーストにおいても同じことである。
 ラナ家が ここに家を建てると決めれば、容赦なく農地は、何の保障もなく取り上げられて
 しまったのだ。
 土地は個人のものではなく、国王のものだったのである。
 国王を幽閉し、実権を奪い取ったラナ家にとっては、何事も意のままであり、
 反逆すれば、死が待っているだけだったのだ。

 こうした当時の残虐性は、今でも警察、軍の中には残っているのである。
 つい最近まで続いた毛沢東主義共産党と政府の戦いの中で、毛沢東主義者の疑いを
 かけられ、軍や警察に拉致されたものの多くが、軍、警察による拷問、強殺によって、
 命を失っていったというのは周知の事実である。
 チェットリ族の下位カーストに対する残虐性は、
 今でも軍や警察内部に脈々と息づいているのである。


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カトマンズ ネワールの街と文化 | 01:43:23 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ ネワール族 仏教徒の悲哀‐5
ネワール族 仏教徒の悲哀‐5 1

ネワール族 仏教徒の悲哀‐5 2

ネワール族 仏教徒の悲哀‐5 3

ネワール族 仏教徒の悲哀‐5 4

ネワール族 仏教徒の悲哀‐5 5

ネワール族 仏教徒の悲哀‐5 6

ネワール族 仏教徒の悲哀‐5 7

ネワール族 仏教徒の悲哀‐5 8


 1768年にゴルカからの豪族 プリティビ・ナラヤン・サハの侵略を受け、
 征服されたカトマンズの民 ネワール族の新たな悲哀の歴史は続いていくのである。
 カトマンズ盆地の中で大半の人口を占めていたネワール族 まとまって反乱を起こせば、
 再び、国を取り戻す機会もあったように思われるが、カースト制にこだわり、
 まとまりを欠くネワール族は、ゴルカ王朝に逆らう勢力を形成することは出来なかった。

 憧れの桃源郷 カトマンズ ネパールで唯一の文明社会を手にした、
 プリティビ・ナラヤン・サハの喜びの程は、如何程のものであっただろうか。
 ゴルカ王朝では、上級警察官、上級将校にはチェットリ族を配し、下級兵士、下級警察官には
 マガール、グルン、ライ・リンブー族を用い、ネワール族の監視を強めていったのだ。
 当然のことであるが、ネワール族の兵士、警察官などはいなかった。
 反乱の原因になる職業にネワール族を抱えるはずもない。
 ネワール族とすれば、新しい支配体制の手足となり、ネワール族を監視する仕事に就くことは
 嫌っただろう。
 下級兵士として支配体制を支えたグルン、マガール、ライ・リンブー族の人たちは
 後のラナ家専制(ラナ家による摂政制)の時代には イギリス軍の傭兵 ゴルカ兵として、
 名を馳せるようになっていく。その命を引き換えに。

 サハ家、ラナ家の支配体制は、ネワール族の力を削ぐことに専念したことだろう。
 チベット・インドとの貿易も支配体制に協力的なタカリ族を優遇し、ラナ家の時代には
 インドのマルワリ商人を優遇することで、ネワール族の経済力も削いでいったのだ。

 世界に名を広めたネワール族の建築様式も、ラナ家の時代には、
 イギリスの建築様式のものに変わっていく。
 イギリス人の建築技師をネパールに招聘し、ラナ家の宮殿、シンハ・ダルバールを初めとして
 一族のために数多くの宮殿などを完成させていった。
 寺院などもインド様式のものを建て、ネワール様式のものは、新たに建てられることはなかった。
 国教もヒンズー教に定め、ヒンズー教徒優遇の体勢になっていく。

 貿易、商業に従事していたサッキャ、トゥラダの経済力にも陰りが見え始めただろうし、
 寺院も工芸を支えていたウダース(タムラカール、スタビ、シルッパカール、シラッカールなど
 工芸に従事するカーストのグループ)たちの仕事も目減りをしていっただろう。
 マッラ王朝時代の支配カースト シュレスタ・カーストの人々も、新たな生活の道を
 探す必要に迫られただろう。
 あるものは商業への道へ、あるものは新しい支配体制に従順を誓うことで、
 下級官吏の職を得ただろう。

 新しい支配体制の中での生き残りをかけて、すべてのネワール族は新しい生活の形を
 模索し始めたのである。それを支えたのが、各カーストの中にあったつながりであり、
 一族の強固なまとまりだ。
 それが クル・デェオタを守り神とする一族集団で構成するグッティであり、
 各地域ごとのグッティであり、同一カーストをまとめた組織だった。

 プリティビ・ナラヤン・サハによって カトマンズに成立したゴルカ王朝も 
 有能な摂政であったビムセン・タパ(1839年没)までは安定していたが、
 その後は王位継承争うに絡んだ側近たちのパンディ・チェットリとタパ・チェットリたちの内紛に
 明け暮れ、ラナ家の創始者、ジャン・バハドール・ラナの台頭を許すことになる。
 ジャンバハドールは 国王を幽閉し、権力を争う中で、残虐性を発揮し、
 ラナ家の専制制の基礎を作ったが、そのジャン・バハドール・ラナもジャングルでの狩の際に、
 1877年に なぞの死を遂げる。どうも暗殺だったようだ。
 7年前に起こった王宮殺害事件のような血生臭い事件が ラナ家の中にも起こり、
 ジャン・バハドール・ラナの直系である息子・甥たちのすべてが、ジャンバハドールの兄弟たちに
 よって殺害され、シェムシェル・ラナ家に権力は移っていく。
 それは ラナ家の殺戮の血の歴史でもある。
 首相であり、マハラジャであり、軍の指揮権を手にしたシェムシェル・ラナ家は、
 強権・恐怖政治の中で力を発揮していくことになる。
 こうしたラナ家の血で血を洗う姿を眼にしていたネワール族にとっては、
 ラナ家は恐怖の対象でしかなかったはずだ。


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カトマンズ ネワールの街と文化 | 17:02:45 | Trackback(0) | Comments(0)
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