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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

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ネパールにあるハンディクラフト‐9 チベッタン・カーペット
チベッタン・カーペット 1

チベッタン・カーペット 2

チベッタン・カーペット 3

チベッタン・カーペット 4

チベッタン・カーペット 5

チベッタン・カーペット 6

チベッタン・カーペット 7

チベッタン・カーペット 8

チベッタン・カーペット 9


ネパールでチベッタン・カーペットが織られるようになったのは、中国によるチベット
侵略によって、難民となったチベット人がネパールにやってきてからのように思われる。
25年前に私がカトマンズにやって来た頃には、チベッタン・カーペットはネパールの
重要な産業のひとつになっており、パタンのザウラケルあたりの作業場でも、チベッタン・カーペットを織っている人たちの姿をよく見かけたものである。

このカーペットビジネスで大金持ちになったチベット難民も多い。
手に確かな職を持っていれば、どこでも生きていけるという証明だ。

その頃は、まだ決まったパタンのものしか織られていなかったが、この頃では
ヨーロッパ人業者がデザインを持ってきて、モダンな図柄のものを織らせることが
多くなったようだ。
畳3畳大くらいの大きさだ。値段も結構張る。

湿気の多い畳のある日本の住居には、ダニなどもわき易く、合わないようだ。
寒い田舎の冬場には 畳1畳大のチベッタン・カーペットは重宝するかもしれない。
最近のマンションの板敷きのモダンライフには、ネパールのモダンな図柄も合うかもしれないが、すぐに飽きが来るような気がする。
伝統の図柄には 適わないだろう。

高価なものを好む日本の金持ちの眼は ペルシャ・カーペットの方に向いてしまうようだ。
織りの細かさ、カーペットの耐久性では、どうしてもペルシャ・カーペットには敵わないようだ。

私のカトマンズの部屋にもチベッタン・カーペットを敷いているが、カトマンズの
住居の床は、大半コンクリートだから、絨毯なしでは、冬場はしんしんと冷え渡り、
とても生活できたものではない。

街中では、チベッタン・カーペットを肩に担いで売り歩く村の人たちの姿も よく
眼にする。
寒さ避けに使用するには、タメルあたりのカーペット屋で売られているものより安いし、
充分である。

近頃では、カトマンズ郊外の村に行くと、カーペット用の毛糸を紡いだり、
カーペットを織っている農民たちも多い。ほとんど女たちの仕事だ。
生活するためには、現金の必要になってきた村の生活では、貴重な現金収入になって
いる。
昔から機織の盛んだったネワール族の里では、カーペットを織る音がよく聞こえてくる。
布を織ることから、カーペット織りへの転換はスムーズに行われたようだ。

25年前のキルティプールの街の中は、機織の音がいたるところで聞かれたが、今では
それがカーペット織りに変わってしまった。
寂しい気もする。
それでなくても乏しい布文化のネパールである。


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ネパールにあるハンディクラフト | 23:06:07 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパールにあるハンディクラフト‐8 アンティーク・インド刺繍布
アンティーク・インド刺繍布 1

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アンティーク・インド刺繍布 5

アンティーク・インド刺繍布 6

 20年以上前、インドの砂漠地方のラジャスタンによく行った。
 バールメール、ジャイサルメールには良く通ったものだ。
 砂漠地帯の風景、民族衣装を当たり前のことのように身につけた砂漠の男や女たち、
 ラクダ、砂漠の中の宮殿、今でも眼に浮かぶ。
 楽な旅ではなかったが、貴重な想い出だ。

 カトマンズのジョッチェン、フリーク・ストリートの入り口に グジャラートから
 やって来たインド人の商うインド、パキスタンのアンティーク刺繍布の店があった。
 これも20年以上前のことだ。
 もともと彼らは、デリーの路上に露天を開き、商いをしていた人たちだ。
 今でも、コンノートプレスあたりの路上では、刺繍布、ペインティングなど品物を
 拡げ、商いをしている女たちを見かけることも出来るはずだ。

 一家の主は、パキスタン国境のラジャスタンまで出かけ、布を仕入れていたようだ。
 片足の少し不自由な男だった。売る仕事は娘たちの仕事だった。
 私はよくラジャスタンに行き、彼らの売っている品物を安く買うことが出来たので、
 この店で布を買うことはなかったが、からかい半分に良く立ち寄ったものだ。

 そんな時代から20年の歳月が流れた。
 フリーク・ストリートは、旅行者の溜まり場所をタメル地区に奪われ、刺繍布を売る
 彼らの店もタメルへと移っていった。
 1軒だった店も 孫、甥が商いに加わり、いつのまにか4,5軒へと増えていった。
 そんな彼らの店の何軒かを訪問してみた。
 1軒は甥の店、1軒は娘の店、昔に比べると随分こぎれいになっている。
 もう1軒の店には、あの足の不自由な一家の主が店の前に座り込んでいた。
 もう84歳になるという。少し痩せたようだが、同時の面影はそのまま残している。
 中には1番下の娘がいた。
 彼は私のことを忘れているらしいが、私は覚えている。
 彼はいつも仕入れにインドに出かけ、カトマンズにいることが少なく、出会う機会が
 なかったせいもある。
 彼の長女とは出会えば、声を掛け合う。

 カトマンズにもインド、パキスタン刺繍の店は増えてきた。ネパール人もこの商いに
 手を出すようになったからだ。
 しかし、30年近い彼らのキャリアの持つ力には適わない。
 布の値段は昔に比べると何倍にもなっているが、置いてあるアンティーク・刺繍布は
 かなり質の高いものだ。

 久しぶりにインド、パキスタンの刺繍布を見るにつけ、あの熱いラジャスタンの砂漠の
 大地が懐かしくなった。
 一緒に刺繍の仕事をしたマルワリ商人の若者ラビ・シャンカールはどうなっただろう。
 もう50近くなっているはずだ。
 親に頼らず、自分の力で自分の商いを開発すると頑張っていたが。
 もう1度、バールメールの街を訪れてみたくなった。


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ネパールにあるハンディクラフト | 13:28:39 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパールにあるハンディクラフト‐7 ネパール和紙細工
ネパール和紙細工 1

ネパール和紙細工 2

ネパール和紙細工 3

ネパール和紙細工 4

ネパール和紙細工 5

ネパール和紙細工 6


 ネパールにはネパール・ライスペーパーと呼ばれるネパール紙(ネパーリー・カーガット)
 と呼ばれる日本の所謂 和紙のようなものだ。
 何でライス・ペーパーと呼ばれているのか、ネパール人に訊いても知らないと言う。
 木の皮を煮出し、繊維を取り出し、細かい網上の木枠を使って、紙を作り出す製法は
 日本の和紙作りと同じようだ。

 25年前に初めてネパールにやってきた頃、旅行者のお土産として売られていたものは
 このネパール紙を使って、印刷されたカレンダー、シルクスクリーンで刷られた仏像の 
 絵、ネパールの山の人々の生活を描いたものなどが中心だった。

 それがいつの間にか、手帳、葉書・ビンセンセット、写真のアルバムなどと商品の種類も
 増えてきているし、紙のそのものにも趣向が凝らされるようになり、木の葉などを
 紙の内側に入れた洒落たものも出回るようになっている。

 このネパール紙、本来は公文書として用いられていたものだ。
 25年前キルティプールに住み始めた頃、親しくしていたネワール族の農民カースト
 マハルザンの人に 建築代を援助するということで、3年分の家賃分として10万円を支払い、
 小さな家を造ってもらったことがある。
 途中で追い出されることがカトマンズではよくある話だと耳にしていたので、
 正式に契約を交わすことにしたのである。
 そのときに契約書としてネパール紙を使わなくてはならないことを初めて知ったのである。
 土地売買契約書、登記所など、正式の書類といえば、すべてこのネパール紙の使用が
 義務付けられていた。
 そのネパール紙を扱う店は土産物屋でなく、ローカルなバザールで10枚いくらという形で
 売られていた。
 その紙にタイプをして公文書を作るのである。
 ネパールでの紙の製造がいつ始まったのか知らないが、古い商人の商いの書付などにも
 使用されていたというから、マッラ王朝時代から使われていたらしい。

 近頃は、ランプシェードが流行らしい、昔は四面の中国風のランプシェードが
 よく売られていたが、この頃が凝ったデザインのものが増え、提灯のような形の洒落たものも
 多くなってきている。
 竹と紙の組み合わせという日本的なものである。

 ネパールでは、渋柿もあるから、柿渋を作り、柿渋を塗り、紙を補強したり、色合いに
 変化をつければ、面白い商品が生まれると思う。
 和紙を使った調度品、雑貨などにも利用できるはずである。

 私が育った田舎の家の近所で、渋柿を使って柿渋を作り、生活の足しにしている農家があった。
 その柿渋の臭い匂いの幼い頃の記憶が今でも残っている。

 ネパール紙を使った商品を扱う店には、70歳を越えた老人が座り込んでいた。
 この商いを続けて19年になるという。
 一時代、ネパールを支配したラナ家の末裔である。
 タメル地区は 昔は畑ばかりの土地で、その土地にラナ家は豪邸を建てていった。
 今でもその豪邸のいくつかは 残っているはずである。
 そのラナ家の末裔もネパール紙の土産物屋の店主におさまっている。
 時代は変わる、人の生活も変わる。


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ネパールにあるハンディクラフト | 22:09:03 | Trackback(0) | Comments(2)
ネパールにあるハンディクラフト‐6 ウールセーター
ウールセーター 1

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 ネパールのウールの手編みの歴史はそれほど古いものではない。せいぜい30年ぐらい 
 の歴史だろう。
 チベットのウールをインドに運んで商売をしたという歴史は、千年以上の暦嬰を持つだろう。
 チベッタン・カーペットも 中国によるチベット侵入・征服により、難民として
 カトマンズにやってきたチベット人たちが始めたものだ。

 今から20年以上も前には、毛糸の質も悪く、カーペットには適していても、セーターには
 向いていないチベット毛は、弾力性もなく、毛足も短いことから、2本の毛糸でセーターを
 編んでいた。
 又、出来るだけ早く編み上げるために、太い編み棒を使っていた。
 そのために編みあがったセーターは1kg以上の重さがあり、着ているうちに 
 どんどん伸びていくという代物だった。
 デュクティという店では、ニュージ―ランド毛を使って、セーター、カーディガンを編んでいたが、
 毛の紬糸が太く、編み上げると、1,5kgというものもあり、重いということで、
 日本人の好みではなかった。

 今では、ニュージーランド毛とチベット毛を混ぜ合わせ、弾力性のある強い毛糸も
 作られるようになったが、薄手なセーター類を好む日本人には受けない。
 スキーなどのアフター・ウェアーとしては重宝しているようだが。
 チベット毛のごわごわした肌触りは、人によっては、肌に馴染まず、嫌がられることもある。

 タメルに1軒セーター専門の凝った編みのセーターを置いてある店があるが、
 店の経営者家族は、自分たちの売っているセーターなど着ようともしない。
 注文があれば、そのデザインに合わせてセーターを工場の従業員に編ませるが、
 自分たちで日常身につけ、着心地を確かめるというような決めの細かさはない。
 ただ売れればいいという安易さなのである。
 在庫も山ほどあり、店の奥には何年前に編まれたのかわからないようなセーター類が
 山積みにされている。
 セーターを編む人、売る人とはっきり分かれており、売る人の発想の中に新しい商品
 開発という姿勢は感じられない。

 そんな中で、この頃注目を浴びてきているのが、中国からのパシュミナ毛を使って
 編み上げた薄手の肌触りの良いセーターだ。ただこれは機械編みで手編みではない。
 デザインもヨーロピアン・スタイルで ヨーロッパのファッション雑誌からそのまま
 持ってきたような感じだ。
 デザインさえ良ければ、一般的な市場を得ることも出来るだろう。
 手編みのための毛糸をパシュミナ毛から紡ぎだし、手編みのセーターのための毛糸を
 染め、手編みでセーター類を編み上げることも面白い試みだと思うが、かなりのコスト 
 を覚悟しなくてはならないだろう。

 ネパールのセーターの特徴は、カラフルで凝った編み模様が人の心を奪うものである
 から、パシュミナ毛の羊毛製品の中でも、生かしてほしいと思う。


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ネパールにあるハンディクラフト | 11:12:19 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパールにあるハンディクラフト‐5 タンカ
タンカ 1

タンカ 2

タンカ 3

タンカ 4

タンカ 5


 ネパールの名高い工芸には タンカがある。
 チベット密教を信仰する仏教徒 タマン族の描くチベット・タンカとネワール族の
 チットラカール・カーストの描くネワール・タンカと2種類ある。

 この二つ どう違うかとは はっきりしたことは言えないが、タマン族の描くチベット・
 タンカは 徒弟制の下に描かれる。弟子を取り、タンカを描くのに必要な描画技法を
 身につけさせると、その技術の習得度に合わせて、タンカの各細部を描く仕事を与え、
 師匠が最後に顔を書き入れるという分業で成り立っている。
 だから、芸術というより工芸といった方が良いだろう。
 使う色彩、色合いの変化はあっても、基本的な図柄は伝統的なものに頼っている。

 ネワール・タンカの場合は、一人の人間が一枚のタンカを 最後まで描き上げる場合が
 多く、タンカの図柄も個人の創意工夫が生かされる要素が多い。
 チベット・タンカに比べると リアリズムが入り込むことも多く、描かれている顔の
 表情などを見ると、イラストのような感じを受けることもある。
 ネワール族の人の話によれば、タンカはもともとネワール族が始め、それがチベットに
 伝わり、チベット密教を信仰するタマン族が チベットから伝わってきたチベット・
 タンカを描くようになったと言うが、定かではない。

 チベット、ネパールの山岳地方のチベット密教の修行寺では、チベット密教の僧侶が
 チベット・タンカを描くこともあるようだ。
 タンカといっても曼荼羅を描くことが多いようだ。

 旅行者の集まるタメル地区に行くといたるところにタンカの店がある。
 こんなにたくさんの店があって大丈夫なのか、高い店賃を払って、やっていけるのだろうかと
 心配になる。
 もう限界点に達しているのではないかとも思えてくる。
 土産物としては案外高価だし、買って帰っても どこにでもおけるという代物ではない。
 宗教的な意味合いを持つものは、扱いがなかなか難しいのである。

 そこで私が提案したいのは、タマン族のチベット・タンカ絵師の熟練した描画技法を
 他の工芸に生かせないかということである。

 日本には昔から、漆塗りの優れた工芸がある。ネパールには木工の技術もある。
 日本の漆を禿山になったカトマンズ周辺の山々に植樹し、漆を取り出し、木工製品に
 漆塗りを施す。
 絵師は あぶれたチベット・タンカの絵師を使う。
 何か面白い工芸が生まれると思うが、どうだろう。
 ネパール人の持っている伝統的な技術をうまく組み合わせる。
 それに日本の伝統的な工芸の技法と組み合わせる、そういった援助の方法もあるのではと思う。
 ネパールの工芸の伝統と日本の工芸の伝統がうまく融合すれば、魅力的なものが
 生まれてくると思う。
 村起こしにも繋がるし、ネパールの工芸の発展につながり、新たな雇用の機会にも
 繋がっていくだろう。
 
 タンカの描画技法は 繊細で熟練を必要とするものだ。タマン族の人たちはその手を持っている。
 安っぽいいい加減な土産物品ばかりのカトマンズ、質の高い工芸品が新たに出来上がることを
 期待している。
 日本の海外援助ももう少し、きめ細かくあってほしいものだ。


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ネパールにあるハンディクラフト | 22:56:50 | Trackback(0) | Comments(0)
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