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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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ネパール バクタプール‐6 素焼きの職人‐2
バクタプール‐6 素焼きの職人‐2 1

バクタプール‐6 素焼きの職人‐2 2

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バクタプール‐6 素焼きの職人‐2 12


 トウマディ広場を出て、トロリーバス乗り場へと続く下り坂を下り始めると、
 素焼き陶芸の職人プラジャパティの集落がある。
 昔からの陶芸の集落だ。
 このあたり一帯が バクタプールの陶芸品の生産の中心であり、陶芸品の土産物屋も
 多い。
 集落の中央が広場になっており、昔はそこで多くの陶芸職人が手でろくろうを回して
 いたものだった。
 今はすっかり電動式のろくろうに変ってしまっている。
 今では 広場の隅っこの方で時折、女たちが土をこねている。
 あるいは 土練りの仕事を終えたのか、何人かの女たちを座り込んで話し込んでいる。
 選挙のために学校が休みになった子供たちも広場の中心で遊んでいる。
 この広場の周りには彼らの住居が建ち並んでいるし、彼らの祭る寺院もある。

 広場の一隅には焼き物用の粘土が置かれている。ネパールの粘土は素焼きには良いが、
 釉薬を塗る本格的な陶芸には適さない。焼いても軽く重量感がない。
 この国では 素焼きの焼き物といえば、植木鉢ぐらいが家庭で用いられるくらいで、
 家庭で使われる器といえば、大半がステンレス製のものだ。
 ネパールのダール・バート・タルカリの食事の形に合わせたステンレス製の器を見て、
 「こんな器は 日本では刑務所で使われているよ」と冗談混じりにいうと
 ネパール人は笑っていた。
 インド文化の影響であるが、昔も真鍮製の器が使われていたようだ。
 我々からすれば、味気ない器類ではある。

 こんなことから、ネパールの陶芸は使い捨ての道具として用いられ、中国、日本の
 ようには発展しなかったようだ。
 インドでも同じで、昔 列車の旅をすると、素焼きのカップにミルクティを入れて、
 売りにやって来て、買った客は、勢いよく列車の外に投げ捨てていたものだった。
 東南アジア辺りでは古くから中国人が移住し、中国本土から、陶磁器を運び込んでいたせいか、
 タイあたりでは質の良い陶磁器を生産するようになっているが、
 ネパールでは、中国の影響はつき最近までは希薄だったようである。
 それでも観光客が多く訪れるせいか、近頃の焼き物を見ると凝ったものが多くなって
 いる。
 店先に座っていたおばあさんが、自慢げにレリーフの像を見せていたのが印象的だった。

 この場所を後にして、さらに下っていくと バクタプールの旧市街の外へと続く。
 そして、レンガ造りの橋を渡ると、バクタプールの外に出る。
 しばらく歩いて後ろを振り返ってみると、バクタプールのレンガ造りの家並みが
 建ち並んでいた。


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ネパール バクタプール | 11:17:06 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール バクタプール‐5 トウマディ広場
バクタプール‐5 トウマディ広場 1

バクタプール‐5 トウマディ広場 2

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バクタプール‐5 トウマディ広場 4

バクタプール‐5 トウマディ広場 5

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バクタプール‐5 トウマディ広場 8

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 メインバザールを通り抜けると、バクタプールの中心、トウマディ広場に出る。
 相変わらずバクタプール市民が広場にはたむろしている。
 夕暮れ時の平安な時間を過ごすためだ。
 広場にはバクタプール最大のお祭り ビスケット・ザットラのための山車が据え置かれ、
 明日の祭りを待ちわびている。
 山車には子供たちが群がり、乗り込んでいるが、叱るような大人はいない。
 日本ではこういうわけには行くまい。
 子供たちも祭りを楽しみにしているし、1年に一度出される山車にも興味があるの
 だろう。
 25年前に 初めてバクタプールを訪れた時に昇り、座り込んでいたニャタポーラ寺院 
 が 昔ながらの姿で聳え立っている。
 あの頃は、この場所に25年後に再び来るとは思ってもいなかった。
 25年という月日はあっという間の出来事である。

 山車に乗り込んでいる子供たちの服装もこぎれいになったものだ。
 25年前は、皆 子供たちは粗末な服を着ていたものだ。
 25年前の子供たちが幸せなのか、今の子供たちが幸せなのかはわからない。
 それは日本についてもいえることだろう。

 昔に比べれば、ネパールも日本も物質的には恵まれてきている。
 しかし、心はどうなのだろう。人と人とのつながりの深さはどうなのだろう。
 人間らしい生活が保障されているのだろうか。

 これからの25年 世界はどうなっていくのだろう。
 もうその頃は 私はこの世から去っているかもしれないし、この場所に立つことも
 ないだろう。
 これから先、私の人生がどうなっていくのかはわからないが、25年間、ネパール、
 インド、タイを中心に歩き回ったことは、そんなに悪い人生ではなかったとは思う。
 人間が生身に生きている姿を見続けることが出来たことは幸せだったと思う。
 やはり人間というのは興味深く面白い生き物である。
 本当に人間を見続けることは飽きないものだ。

 明日はビスケット・ザットラ、ネワールの神々を乗せて山車は街じゅうを練り歩く。
 ネパールの新しい年の訪れを祝う祭りだ。
 ネパールがより良い国になることを願うばかりである。


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ネパール バクタプール | 01:11:44 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール バクタプール‐4 通りの風景
通りの風景 1

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 マッラ王朝時代に造られた共同水場 ドゥンゲダーラを横目にみなから、
 タチュパル広場を後にして、トウマディ広場に向かって歩いていく。
 この道筋がバクタプールのメイン・バザールだ。
 店で売られて商品は、昔とは様変わりしてしまったけれど、建物はそのままの姿だ。
 年寄りたちは昔ながらののんびりした商いをしている。
 通りの中心にやってくると、バクタプールの農民カーストのキッサンたちが、楽器を
 打ち鳴らしながら、通り過ぎていく。
 中高年の集団だ。
 近頃の若者たちは、こうした伝統的な音楽には 興味を失っているのだろう。
 老人たちは昔を懐かしむように、徒党を組んで街の中を練り歩く。
 明日の祭り、ビスケット・ザットラを楽しむために。

 トウマディ広場に近づくにつれて、マッラ王朝時代の支配階級たちの多くすむ地域へと
 入っていく。
 シュレスタ、プラダン、アマチョ、ジョイシーなどの支配カースト人たちの住む地域である。
 彼らは主にヒンズー教を信仰する。
 ヒンズー教の王は神であるという神王思想は、国の統治を容易にする。
 タイでも、カンボジアでも、インドのヒンズー教の神王思想を取り入れている。
 王はヒンズー教の神 ビシュヌの化身であるという思想だ。
 マッラ王国は、ヒンズー教を取り入れ、平等思想を持つ仏教徒たちを支配下に
 おいていったのだ。
 後に マッラ王国を侵略し、カトマンズ盆地を支配したゴルカ王朝も同じ支配体制を
 とっていった。

 マッラ王朝の三国時代、カトマンズ、パタン、バクタプールと三つに分かれた王朝の
 1つ このバクタプールに ゴルカ王朝の始祖 プチティビ・ナラヤン・サハは、
 行儀見習いとして、入り込み、カトマンズの支配体制のすべてを探っている。
 そして、この王国を奪い取るための策を練るのである。
 無防備な外交能力のなさ、カトマンズ盆地の中にしか関心を持たなかった心の狭さが、
 マッラ王国の崩壊を招いたである。
 それはラオスのラオ族のランナー王国が ビエンチャン、ルアンパラバン、
 チャンパサックと三つの王国に分かれ、そのためにシャム(タイ)王国に滅ぼされて
 いくのに似ている。時代も同じ頃のことだ。

 それにもかかわらず、ネワール族、特にバクタプールでは色濃くネワール文化が
 残っている。
 カトマンズやパタンと違って カトマンズ盆地の中心から離れていることから
 バクタプールの旧市街の大半はネワール族によって占められている。
 カトマンズやパタンは旧市街の中にも多くの他民族が住みつくようになっている。
 そのためネワール族独特のつながりの強い共同体意識が失われていっている。
 カトマンズのネワール族などは、古い狭い住居を貸間にして、カトマンズ郊外に
 新しく家を建て始めている。
 まだ、バクタプールではそんなことはないようだ。
 何度もここに通えば、バクタプールのネワール族の共同体の姿がわかるだろう。
 そんなことに興味は湧いてくる。


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ネパール バクタプール | 12:10:21 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール バクタプール‐3 バクタプールの木工芸
バクタプールの木工芸 1

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バクタプールの木工芸 12


 高い寺院を目指して、坂道を下っていくと、バクタプールのある二つの広場の一つ
 タチュパル広場へと出た。
 表側から街に入れば、トウマディ広場に行き着くし、裏から入れば、タチュパル広場が
 近い。
 私は裏から入ってきたから、このタチュパル広場にやってきたわけだ。
 このあたりはバクタプールの中で最も古い地域である。
 25年前に初めてこの地に訪れたのだが、たくさんの土産物屋が出来ていることには
 驚いてしまった。所謂観光地の姿である。
 
 昔、ヒンズー教のブラーマン(僧侶)が住んでいた建物は、博物館になっており、
 その建物に有名なピーコック・ウィンドウが取り付けられている。
 カトマンズの木工工芸の高い到達点を示している。
 昔の記憶からすれば、もっと大きなもののように思えていたのだが、再び見てみると、
 意外と小さいものだった。

 ネワール族の特質かもしれないだ、彼らは細かい細工に興味を示すようにも思われる。
 木工の世界では、ダイナミックな大きな像のようなものは見かけない。
 あまり自分たちの力を誇示する民族ではないのだろう。
 インドの巨大建造物に比べると、小粒であるが、その繊細な芸では勝っている。
 富の違いによるのだろうが、ネワール族を見ていると、領土を増やすこと、侵略するという
 自分たちの領土の外へと向かう志向はあまりなかったようだ。
 だから 兵力を持つことにも興味を示さず、カトマンズ盆地の中で、安穏とした生活を
 送っていたのだろう。
 そのためにインドからの移住者 チェットリ族、バウン族に国を奪われる結果にも
 なったのだろう。
 国を奪われたあとも、人口数ではネワール族のほうがはるかに多かったにもかかわらず、
 国を再び奪い返すということもなく、今日に至っている。

 バクタプールにおいても これだけの歴史的遺産を残しながら、工芸はその後発展せず、
 木工芸の仕事の中心は、カトマンズ近郊の村 ブンガマティに移ってしまった。
 土産物屋で売られている木工製品のほとんどは、ブンガマティで造られたものである。
 バクタプールにもシルッパカールと呼ばれる木工の仕事をする職業カーストがあるが、
 木工工芸というより家を建てる大工(シッカルミ)になってしまっているようだ。

 街全体を博物館のようにして、入場料をとっているせいか、カトマンズに比べると
 建物の保存は良くなっているようだが、バクタプールの人たちの信仰とはかけ離れて
 いっているような気もする。
 それは観光地の持つ宿命のようなものだろう。

 歴史的建造物はともかく、バクタプール庶民の建物の老朽化が進み、建て替えも
 盛んになってきている。至る所で、そんな姿を見た。
 カトマンズに比べると まだ落ち着いたたたずまいを見せているが、旧市街地の外は
 どんどん建物が建ち始め、昔あった田園風景は失われてしまっている。
 ここにも環境汚染の問題は忍び寄ってきている。


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ネパール バクタプール | 00:46:35 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール バクタプール‐2 旧市街の人たち
旧市街の人たち 1

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 旧市街への入り口に監視員がいなかったので、旧市街の中に入ってしまうことにした。
 バクタプールの紹介をするということで自分を納得させることにする。
 実際、入場料である750ルピーも手持ちにはなかった。
 バクタプールの街の中に入ってみると、街の後ろ側辺りには、昔のネワール族の
 カーストの低い人たちが住んでいるようだ。
 低いといっても、中より下の人たちだ。
 アワレと呼ばれる左官職人たちが、住んでいる。
 いつも思うことだが、低いカーストの人ほど、お金を乞う人たちが多い。
 高いカースとの人たちから、困った時には恵んでもらうという姿勢が 習慣化した
 ものだろうか。そうだとすれば、悲しい習慣であるし、そうした関係から上下関係が
 生まれてしまうことに彼らは気がついてはいない。
 年寄りであるほど、その傾向が強い。
 若者たちにはそうした姿勢がないことが救いである。

 今日は天候も暑かったせいか、子供たちが1つ5ルピーのアイスケーキをなめている。

 もう少し内側に入ってみると、今度は、農民カーストの人たちの居住区になる。
 カトマンズ、パタン、キルティプールでは、この農民カーストの人たちのことを
 マハルザンと呼んでいるが、このバクタプールでは、キッサン(ネパール語で農民と
 いう意味である。)と呼ばれている。
 ここでは キッサンとまとめて呼ぶことはなく、様々のグループに分かれている。
 1つの家族から発生したグループが、何十世代も経るうちに1つの大きなグループを
 形作っていったようである。
 スナール、メイチャンなどと呼ばれるグループが百近くあるという話だ。
 日本で言えば、姓のようなものだろう。
 大工の仕事は バクタプールではシルッパカールという職業カーストの人々の仕事で
 あるが、簡単な家具職人の仕事は、このキッサンと呼ばれる農民カーストの人々も
 従事されるようになっているが、木工工芸のような高い技術の要求されるものは、
 シルッパカールの仕事のようだ。

 町の中心部に近づくにつれて、次にはサッキャ、バジャチャーレと呼ばれる
 仏教徒カーストの居住区に入っていく。
 ビハールと呼ばれるバジャチャーレの寺院は仏教、ヒンズー教両方の神々の像が
 並んでいる。その時々の王の信仰の形に合わせてきた結果だろう。
 サッキャ・カーストの住むところでは、あまりこんな形はないようだ。
 カトマンズやパタンのサッキャ、バジャチャーレの居住区に比べると、こじんまり
 している。
 又、カトマンズやパタンに比べると、ヒンズー教色も強いようだ。

 仏教徒たちの住む地区を出て、中心部に近づくと、マナンダールと呼ばれている
 菜種油を作る職業カーストの人たちが、ヒンズー教の神、ガネーシュを祭った寺院の
 前でモミを乾している。
 そして、その向こうには、寺院群か見えてきた。


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ネパール バクタプール | 12:28:04 | Trackback(0) | Comments(0)
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