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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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カトマンズ 静けさを求めて
カトマンズ 静けさを求めて 1

カトマンズ 静けさを求めて 2

カトマンズ 静けさを求めて 3

カトマンズ 静けさを求めて 4

カトマンズ 静けさを求めて 5

カトマンズ 静けさを求めて 6

カトマンズ 静けさを求めて 7

カトマンズ 静けさを求めて 8

 雑然とした大都会 バンコクの生活が長くなると 妙にカトマンズのことが
 懐かしくなってくる。
 カトマンズを流れるバグマティ川の岸辺近くの寺院の持つ静けさが恋しい。
 バグマティ川に架かる黒い鉄製の吊橋を渡り、レンガ造りの階段を下り、
 バグマティ川に沿って歩き始める。

 この当たりには 二つのシバ寺院がある。
 一つは サハ家によって建てられたもの、もう一つはラナ家によって建てられたものだ。
 サハ家のものはネワール族の建築様式で建てられ、ラナ家のものはインド様式を取り
 入れて建てられているが ネワール族の建築様式も所々には残っている。
 サハ家の建てたシバ寺院を通り過ぎると ラナ家の建てたシバ寺院へと続くわき道が
 あり、そのあたりから、風景の中に静けさが漂い始める。
 赤いレンガの塀にはさまれた石畳の道、百年以上前から続いているその姿である。
 人口増加の激しいカトマンズの中にあって、ここだけは 静寂が今なお残っている。
 雨の降らない今年の雨期の暑い最中にあってさえ どこか清涼な空気がここにはある。

 ラナ家の創始者 ジャンバハドール・ラナの死後、ラナ家を継いだその兄弟のラナ・
 ウディットによって建てられたシバ寺院であるが、そのラナ・ウディットも 他の
 兄弟たちに暗殺されてしまう。
 ラナ家の血で血を洗うような権力争いの始まりである。
 ラナ家の創始者であるジャンバハドール・ラナも 狩猟中の事故であったと言われて
 いるが、暗殺であったという疑いがある。
 ラナ・ウディット暗殺の後、その兄弟ビル・シェムシェルの一派によって、
 ジャンバハドールの直系である息子や甥たちの多くが虐殺されたのである。

 当然、この寺院はその後の権力によって打ち捨てられてしまった。
 この寺院を参拝するものは ジャンバハドール一派であると思われたに違いない。
 私は この寺の中にあるシバ寺院より 寺の周辺の姿に惹かれる。
 丸みを帯びた石畳の上を独りのネパールの中年女性が歩いていく。
 日々のお勤めのためだろうか。
 シバを祭っている古い祠が 彼女の大切な信仰の対象のようだ。
 この寺院にやってくる数少ない信者の一人である。

 未だに打ち捨てられているという姿を多く眼にするこの辺りの光景は 
 心の中に深く染みこんでくる。
 深い悲しみと静寂、こうしたものが辺りを支配しており、
 その雰囲気が実に魅力的なのだ。

 ここにやって来れば 大抵は独りきりになれる。
 この寺院の持つ静寂を 心行くまで独りきりで楽しむことが出来る。
 これほどの贅沢はない。
 私が生きている間はどうにか 今の姿を保ってくれそうだ。
 どんなに有名な場所であっても 騒がしい場所はお断りである。
 心落ち着く場所 時間の流れが緩やかで その流れに身を置く心地よさが
 感じられる場所、そんな場所の一つが このシバ寺院の周りなのである。



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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 02:36:42 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ ラーマ寺院の周りで
カトマンズ ラーマ寺院の周りで 1

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カトマンズ ラーマ寺院の周りで 9

カトマンズ ラーマ寺院の周りで 10

 バグマティ橋の袂には サハ家の王を幽閉し、ラナ家を起こし、ラナ家専制政治の
 基礎を作ったラナ家の創始者 ジャンバハドール・ラナの建てた二つの寺院がある。
 一つは ラーマ寺院、もう一つはナラヤン寺院である。
 少し足を伸ばすと サハ家三代目の王を偲んで、その王妃が建てたマハデブ寺院がある。

 ラーマ寺院、ナラヤン寺院を囲む建物には多くのサドゥーが住み着いている。
 本物のサドゥーもいれば、偽者のサドゥーもいるようで、ここで寝起きし、煮炊きを
 しているようだ。

 この近辺は私の散策コースの一つで 暇があれば、このあたりをうろうろと歩き回っている。
 サドゥーとここに住み着いているネパール人を除けば、参拝にやってくる人々も
 まばらで のんびり出来る場所の一つで ネパール人たちも参拝ではなく、私と
 同じように暇つぶしにここにやってくるようだ。
 又、寺院の周りには共同の水場が多く、洗濯にやってくる人もいるし、朝夕の食事の
 仕度のための水汲みにやってくる人もよく見かける。

 ラーマ寺院もナラヤン寺院も 160年近く前に建てられた寺院であるが 
 ジャンバハドール・ラナの死後、権力争いがあり、ジャンバハドール・ラナ家の血縁は
 迫害され、それに代わって、シェムシェル・ラナ家が権力を握ったことから、寺院の
 管理も十分になされなかったようだ。

 ラーマ寺院の中や周りには猿や牛たちが棲み、なんとも牧歌的な雰囲気があり、
 ここにやって来ると心も穏やかになってくる。

 ふらふらと寺院の周りを歩いていると、昼間の暑い陽射しの中、ナラヤン寺院の
 入り口から二人の女の子が 水を家まで運んでいる。
 寺院の入り口では 昼寝を決め込んでいる男と犬たち、こんなことはいつものこと
 らしく、女の子たちは気にもせず、せっせと水を運んでいる。

 女の子たちの後について歩いていくと マハデブ寺院の入り口近くまでやって来た。
 この寺院は 二百年前に建てられた寺院で、サハ家の王がまだ権力を持っていた時代に
 建てられたものだ。
 ラナ家の寺院はインド建築の模倣とネワール建築の融合であるが、このマハデブ寺院は
 ネワール建築である。
 寺院を囲む建物の入り口を抜けると、寺院に向かって祈りを捧げている像がある。
 サハ家 三代目国王 ラナバハドールの王妃の像のようだ。
 この寺の管理をする人間はいるようだが、いつ行っても参拝者の姿はない。
 この寺院もこの寺院を囲む建物に住み着いている人たちの生活のにおいを感じさせる
 だけだ。
 日本の寺のようにやたらきれいに管理されているために、逆に居心地の悪いということが
 ないのが、ネパールの寺院の良さである。
 寺院の中で 人が普通に生活している。
 その生活のにおいが 堅苦しい宗教の枠を取り除いてくれるから、不思議である。

 寺院の中の自分の好きな場所、気に入った場所に座り込んでいても誰も文句を言う人は
 いない。
 二百年前に建てられた国宝級の寺院を独り占めしたような贅沢を味わえるのである。
 こんな贅沢、そしてのんびりと流れる静かな時間、これはネパールの寺院の良さだ。
 観光地の寺院なら そういうわけにはいかないが、バグマティ川岸辺に建てられている
 寺院なら、観光客も少ないから、贅沢な時間を過ごすこともできる。
 こんな場所が残っている限り カトマンズの魅力は まだまだ失われない。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 18:59:38 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 猿と一緒に雨宿り
カトマンズ 猿と一緒に雨宿り 1

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カトマンズ 猿と一緒に雨宿り 7

カトマンズ 猿と一緒に雨宿り 8

 バグマティ橋の近くのタパタリの交差点のネワール・カザ(ネパール人の昼飯用の
 軽い食事)の店で ネパール・モモと水牛肉料理で軽い昼食を済ませ、バグマティ川の
 川辺に下りていこうと思い、すぐ近くのナラヤン寺院の入り口までたどり着くと、
 急に雨足が激しくなってきた。
 家を出るときに それまで降っていた雨が止んだので、もう雨は降るまいと雨具の
 用意はしてこなかった。
 仕方がないの、寺院の入り口の屋根の下に佇み、雨をやり過ごしていると、道の
 向こうから1匹の雌猿がやってきた。
 猿も雨に濡れることは厭らしく、すぐ近くまでやってきて 同じ屋根の下で雨宿りを
 決め込んだようである。

 隣に私のいることを気にするでもなく、のんびりとあたりを見回している。
 カメラを向けても別に嫌がる様子もない。
 ポケットに飴玉が突っ込んでいたので、それを見せ、手渡すと ありがとうという
 わけでもなく、外側のビニールを剥ぎ取って食べ始めている。
 普段は 食べ物を手にしている人間を見ると、隙をねらって、うまく食べ物を
 奪い取っていくこの近辺の猿たちであるが、こっちの方から与えると 神妙な顔つきで
 食べているから 不思議なものである。
 猿と一緒に雨宿りというより、何やら 雨宿りの仲間が増えたといった感じで、
 こちらの気持ちも変わってくる。
 猿のほうも飴玉をもらったせいか、警戒心も薄れ、互いに雨宿りの仲間のような感じに
 なった。

 確かに通行人から 食べ物を掠め取る猿たちであるが、取られた側もそれで猿を
 憎むわけでもなく、遠の大王 ハヌマンの化身ぐらいに思って、喜捨でもしたつもりに
 なるのだろうか。
 私も以前 このあたりを 買ったばかりの梨をビニール袋に入れて歩いていると、
 猿がそ知らぬ顔をして、後ろからついてくる。
 後ろを気にしていると 前のほうからも梨をねらっている。
 今度は前のほうに気を取られた隙に ビニールの袋を破られ、その中の二つを
 猿に奪い取られてしまった。
 こちらの不注意だから仕方がない。
 猿も生きていかなくてはならない。

 雨も小降りになり、雨宿りの猿に別れを告げ、ナラヤン寺院の中庭を抜け、
 バグマティ川の岸辺へ下りてゆき、岸辺に沿って散策を続けた。


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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 14:04:46 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 川辺のシバ寺院に住む子供たち 小さな歴史‐10
カトマンズ 川辺のシバ寺院に住む子供たち 小さな歴史‐10 1

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カトマンズ 川辺のシバ寺院に住む子供たち 小さな歴史‐10 5

 川辺の寺院の仲良し3人組の一人だったタルー族のスーザンのこの1年半の小さな
 歴史の中で何があったのだろうか。

 前回の3月のカトマンズ滞在の際には 母親の身体の具合が悪いことから、近所にある
 公立学校を辞めていた。
 今回 出会ったときもまだ新しい学校は決まっておらず、川辺のシバ寺院の近くで
 近所と友達と遊び呆けていた。
 長髪だった髪の毛が 丸坊主になっていたので 「どうしたのか」と訊くと 
 南ネパールのタライ地方に住む実家の祖父が亡くなり、それで丸坊主にしたと言う。
 ネパールでは ヒンズー教徒にしろ、仏教徒にしろ、身近な家族が亡くなると
 丸坊主になって喪に服すという習慣がある。
 ヒンズー教であるタルー族のスーザンもその習慣に従ったわけである。

 母親の病気、祖父の死によるタライ地方への里帰りと様々のことが起こり、
 新しい学校への転校は遅れているようだった。
 
 バグマティ川沿いの歩いていると 近所の仲間3人で遊んでいるスーザンに出会った。
 すぐ後ろにある寺院の中では 桃の樹が桃の実をたわわにつけている。
 「あっ!桃の実が一杯なっている。スーザン とってきておくれよ」と
 声をかけると 塀をよじ登り、そこから桃の木に登って 小さな桃の実を取り始め、
 投げて寄こしてくるが、まだ熟れてはなく 青い桃の実だ。
 猿蟹合戦の蟹になったような気分である。

 あるときは 妹を連れて 水汲みに出掛けている姿もよく見かけた。
 1年半で随分成長したものである。

 そんなスーザンが やっと転校できる学校が決まったようだ。
 初めて新しい学校に行く日の朝、川辺のシバ寺院の庭の片隅でであった。
 とても不安そうな様子で 学校の手続きをしてくれたシバ寺院に住んでいる住人に
 いろいろ説得されていたようだ。
 制服も前の学校のものとは違い、白いシャツから青いシャツに変わっている。
 補助教材も前の学校のものとは違うだろう。
 転校するだけでも 親にとっては大きな負担である。
 公立学校であっても 制服や補助教材は同じではない。

 とにかく 学びへの1歩を再び踏み出したのである。
 再度 3年生になって学ぶ必要がある。
 スジータは もう4年生である。
 ビックラムは 学校を辞めたままである。

 1年半の間に彼らの家族に起こった出来事から 仲良し3人組も別々の歩みを
 始めることになった。
 家庭の安定しているスジータやスーザンは どうにか勉強できる態勢が出来たが
 ビックラムの家族、ビックラムの姉妹たちには 学びの機会はやって来ない。

 学校があるから 学べるのでなく、学ぶことを支える家族がいなければ、子供たちの
 学ぶ機会が失われてしまうネパールである。
 それは 日本でも同じことだろう。
 日本だって登校拒否児童はいる。給食費の払えない子供だっている。
 皆関心がないから、しっかりと見ようとしないだけである。
 自分たちが安定した暮らしをしていれば、苦しんでいる人には眼を向けようとしない。
 地域共同体が失われているから、他人の子供のことは知らないで済むのである。
 助け合い、支えあいの精神などすっかり失われ、仕事を失い、子供の養育すら苦しく
 なっても 助けてくれる近隣はないのである。
 明日は我が身であるかもしれないから、少しでも困っている人に手を貸そうという
 当たり前の助け合いの精神は失われれば、あるのはただただ砂漠のような殺伐した
 風景が広がっていくだけである。

 ビックラムの家族だって、ネワール族の共同体の中にいれば、どこかから救いの手は
 のびてきているはずであるが、異民族間の結婚をしたために 共同体の外で生活する
 羽目になり、共同体を失ってしまったのである。
 ネパールで共同体の外にはみ出てしまえば、大変な思いをすることになる。
 それと同じように 日本の都会生活の中での日本人の緊張も小さなものではない。
 ビックラムの家族と同じような状況の中で生活しているのだから。



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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 14:25:59 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 川辺のシバ寺院に住む子供たち 小さな歴史‐09
カトマンズ 川辺のシバ寺院に住む子供たち 小さな歴史‐09 1

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カトマンズ 川辺のシバ寺院に住む子供たち 小さな歴史‐09 5

カトマンズ 川辺のシバ寺院に住む子供たち 小さな歴史‐09 6

 このシバ寺院を初めて訪れたのは 今から1年半ほど前である。
 このバグマティ川の川辺に古い寺院があるのは知っていたが このシバ寺院の中に
 足を運ぶことはなかった。
 それまでは このバグマティ川沿いの地域に住んでいても カトマンズの街の
 中心部へと出ることが多く、自分の住んでいる地域を散策することはなかった。

 全く仕事は関係なしに このあたりを散策するようになり、 この川辺のシバ寺院に
 何度か足を運ぶ中で、シバ寺院の入り口に座り込んでいた子供たちと出会ったのである。
 その子供たちが 仲良し3人組のタマン族のスジータ、ネワール族のビックラム、
 タルー族のスーザンだった。
 3人は 近くにある公立学校の小学2年生で 同じクラスで学ぶ同級生だった。
 しっかり者のタマン族の女の子 スジータが 二人の男の子 ビックラムとスーザンに
 ネパール語の教科書を読み聞かせていた。

 それから1年半の月日が流れ、ネワール族のビックラムは学校をやめ、タルー族の
 スーザンは家の事情からしばらく学校に通えず、退学になり、別の学校に通うように
 なってしまった。

 このシバ寺院の中に住んでいるのは ビックラムの家族とスジータの家族、そして
 チェットリ族やバウン族の家族も住んでいる。

 タマン族であるスジータの家族は 父方の祖母、そして 父親、どきどき 
 まだ若い叔父の姿を見かけることがある。
 母親はいないようで 祖母がスジータの母親代わりをしている。
 この頃になってよく父親の姿を見かけるようになった。
 それまでは家に帰ってくるのは 土曜日だけで 他の日は遠くで働いていたようだが
 今は近くで 廃品のダンボールやプラスティックの圧縮の仕事をしている。
 ビックラムの父親も 以前はその仕事をしていたようだが、酒で身を持ち崩し、
 仕事がいい加減になって 辞めてしまったようだ。
 スジータの祖母は 60歳過ぎだが、その顔のしわの具合を見るともっと年を取って
 いるように見える。
 厳しい肉体労働の中でその人生を過ごしてきたに違いない。

 タマン族は 数多くの先住民族の中でも 人口の多い先住民族で カトマンズの周辺部に
 多く住むチベット仏教を信仰する民族である。
 そのため ヒンズー教を国教とする240年の王制の歴史の中では 軽んじられ、
 教育の機会も与えられず、虐げられた貧しい生活を強いられた民族である。
 彼らの耕す田畑といえば、山間部の痩せた土地で、農耕に適した土地はすべて 
 チェットリ族、バウン族に奪われてきたのである。

 貧しさと教育レベルの低さは 彼らを過酷な肉体労働へと追いやっていったのである。
 リキシャ、荷運び、ネワール族のための田植え時の土起こしなどもタマン族の仕事で
 ある。
 そんな王制時代の歴史の延長線上にスジータの祖母の人生もあったに違いない。
 それを乗り越えるために スジータを学校へと送り出しているが、
 授業料の安い公立学校で学ばせるのがやっとのことだ。
 その公立学校に行く子供たちの中でも スジータの家族は貧しい。
 制服や学用品を揃えることだって 楽ではない。
 そんな問題が出てくると スジータも学校へ行くのを嫌がることもあるようだ。
 祖母 父 スジータの三世代の家族 いつになったら 貧しさから解放されるのだろう。
 努力と勤勉さだけでは 解決できないネパールの歴史の重さが 彼らの肩に圧し掛かっている。



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カトマンズ バグマティ川の辺にて | 16:02:57 | Trackback(0) | Comments(0)
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