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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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カトマンズ ゴダワリへの散歩‐03
カトマンズ ゴダワリへの散歩‐03 1

カトマンズ ゴダワリへの散歩‐03 2

カトマンズ ゴダワリへの散歩‐03 3

カトマンズ ゴダワリへの散歩‐03 4

カトマンズ ゴダワリへの散歩‐03 5

カトマンズ ゴダワリへの散歩‐03 6

カトマンズ ゴダワリへの散歩‐03 7

カトマンズ ゴダワリへの散歩‐03 8

 ゴダワリの水場から離れ、ミニバスでやって来た道を徒歩で下っていくことにした。
 ゴダワリのミニバスの溜まり場を通り過ぎる時に 行きに乗ってきた運転手に声を
 かけられたが、ことわり、そのまま、道を下っていく。
 空気はどこまでも清涼で 気持ちがいい。
 カトマンズ市内の空気のように べたべたと肌にまとわり付くこともなく、自然の
 恵みの中の素晴らしい空気だった。
 白いスモモの花が咲き、山も春の装いを彩っている。

 道を下っていくと チェットリ族の家々が 道沿いに並んでいる。
 ネワール族のように集団で住むことのない彼らは、1軒家に住む。
 1階は物置と家畜の飼育場所、2階が生活場所、3階が台所と穀物の保存場所のようだ。
 家は南向きに建てられ、そこが庭になっており、そこは冬場の人々の憩いの場所である。
 萱葺きの昔ながらの家もある。
 のんびりとした風景である。

 そんな家々を眺めながら、坂道を下っていくと 学校の生徒らしい集団にあった。
 タマン族の少年たちだった。
 小学6年生だと言う。
 谷間の向こうの集落に住み、谷間を越えて学校にやってくるようだ。
 カトマンズ近郊に住む民族であるタマン族であるが 教育の程度は低い。
 親たちが教育に関心がないためでもあるが、ゴルカ王朝時代の愚民政策の結果とも
 いえる。
 タマン族も 最近になって少しずつ教育に対する関心が増してきているが、
 小学6年生である子供たちの姿を見ても その年齢にばらつきがあり、そこにも
 教育の遅れが現れている。
 彼らが通っている学校は 7年生までで 進学の際には 別の学校に通うことになるが、
 何人の子供たちが進学できるのだろう。
 着ている制服も 25年前にキルティプールの公立小学校に通う子供たちと同じものである。
 今のカトマンズの公立学校は ネクタイを締め、学校に通うことが多くなった。
 貧しい家庭の子供たちにとっては 負担である。
 形ばかりを考え、子供の実態を知らないバウン族の教師たちの姿勢が 
 そこに現れている。
 生徒たちが入っていった学校の大半の生徒は タマン族の子供たちだ。
 この学校で教えるバウン族の教師たちは タマン族の集落へ行き、
 タマン族の子供たちの生活の実態を調べに行ったことがあるのだろうか。
 大半のバウン族は 他の民族、他のカーストの人たちには関心を持たない。
 関心を持つときは 利害関係が絡んだ時だけである。

 タマン族、マガール族、低カーストの家庭にとっては 制服を揃えることだって、
 大きな負担である。
 それぞれの民族の持つ特殊性を理解することから教育は 出発すると思うが、
 バウン族やチェットリ族の教師にはそういう視点はない。
 彼らは 250年に渡る王制の中でヒンズー教至上主義の中で生きてきた支配階級で
 ある。
 仏教徒であったタマン族は カトマンズ近郊に住みながら、王制の恩恵を受けること
 なく、250年の時の流れに身を任せてきただけである。
 教育を受ける機会の少なかった彼らが カトマンズでできる仕事といえば、皿洗い、
 リキシャの運転手、荷運び人夫、農繁期の畑仕事の請負、建築現場でのレンガ、
 砂運びなどの賃金の安い肉体労働だけだった。
 この便利な街道沿いに住んでいる民族の大半はチェットリ族で、タマン族の集落は
 谷間の向こうの不便な場所であり、公立学校に通う子供たちの大半は、タマン族で、
 チェットリ族の子供たちは 私立学校に通っているようだ。

 チェットリ、バウン族、ネワール族に比べれば、教育程度の低いタマン族ではあるが
 彼らの中にも 段々教育の芽は育ち始めている。


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カトマンズ 街道を行く | 04:52:48 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ ゴダワリへの散歩‐02
カトマンズ ゴダワリへの散歩‐02 1

カトマンズ ゴダワリへの散歩‐02 2

カトマンズ ゴダワリへの散歩‐02 3

カトマンズ ゴダワリへの散歩‐02 4

カトマンズ ゴダワリへの散歩‐02 5

カトマンズ ゴダワリへの散歩‐02 6

 カトマンズからピクニックにやって来たカトマンズ市民たちのための小さな食堂が
 並ぶ集落を抜けて、奥に入って行くと ボートを浮かべた池があり、ボート遊びを
 している若者の姿も見える。
 水の色も澄んだブルーでカトマンズ市内では見かけることのない水の色だ。
 その近くに ゴダワリの山々から湧き出る清流を集めた水場の石造りの蛇口から
 水が勢いよく流れ出ている。清く澄んだ水である。
 山から流れ来る澄み切った水を見るのは 一体何年ぶりのことだろう。
 東京の運河の水も最近はきれいになったが、澄んだ水とは言い難いし、バンコクの
 運河の水も チャオプラヤ川の水も清水ではなく、ましてやカトマンズを流れる
 バグマティ川の水は 黒く濁ったドブとしか言いようがないし、ラニポカリの池の
 水の色は緑色だ。
 このゴダワリの水を見て、本来の水のイメージを回復することが出来た。

 その水場の横には タンクローリー車が並び、タンクに水を入れる順番を待っている。
 話を訊くと タンクに水を満タンにすると 400ルピーを支払うと言っている。
 この水がカトマンズ市内に入ると 2千ルピーの値段が付く。
 なかなかの商売である。

 ゴダワリは 昔からその清い水で有名な場所であり、ゴダワリを囲む山々もきちんと
 保全されており、それが豊かな清流の源泉になっている。
 カトマンズ盆地を囲むほかの山々は 木々は伐採され、水の源泉とは程遠い姿になっている。
 カトマンズ市内では水不足で 私の住んでいるパタンでは 5日に1時間ばかりの
 給水が行われているだけだが、このゴダワリ周辺の村々では24時間水が供給されて
 いる。
 それも浄水の必要のない素晴らしい水である。
 豊かな水と汚染されていない美味しい空気、これは人間が当たり前に要求するものでは
 あるが、今のカトマンズでは こうした当たり前のことも保障されない。
 すっかり限界を超えたカトマンズの人口、誰も有効な手立てを考え出すことも出来ず、
 手をこまねいているばかりだ。

 25年前は人口も少なく、電気も水の心配もなかった美しい街 カトマンズも 
 今では 汚物の掃溜めのような場所になってしまった。
 そんなカトマンズ市内とは 異質な世界がこのゴダワリには 残っている。

 そんな中で チベット仏教を学ぶ幼い僧侶たちがやってきた。
 清涼な空気、素晴らしい水、そして自然は 彼らに聡明な叡智を与えることだろう。
 チベット難民の子供たちのようだった。

 彼らが通り過ぎたすぐ横で 何百年前かに造られた石造りの苔むした塔が 
 時の流れを刻みつけ、人間の愚かさを見つめ続けているかのようだった。


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カトマンズ 街道を行く | 23:52:02 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ ゴダワリへの散歩‐01
カトマンズ ゴダワリへの散歩‐01 1

カトマンズ ゴダワリへの散歩‐01 2

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カトマンズ ゴダワリへの散歩‐01 4

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カトマンズ ゴダワリへの散歩‐01 7

カトマンズ ゴダワリへの散歩‐01 8

 今日も朝4時に起きて、コンピュータにご挨拶、朝8時まで来るはずの電気が 
 7時15分には停電に入ってしまう。
 ここ2,3日 こんな状態が続いている。
 次に電気が来るのは 午後4時から真夜中12時まで、部屋にいても仕方がないので
 今日は 停電の時間帯、カトマンズ郊外のゴダワリへ行ってみることにした。
 23年も前、蝶捕りがネパールでまだ厳しくなかった頃、日本人の蝶捕りと一緒に 
 ゴダワリの奥にあるプルチョキの山の頂上に登ったことがある。
 彼の目当ては クリシュナアゲハという蝶だった。

 山には登ったけれど、ゴダワリの里を散策することのないまま、
 23年が過ぎてしまっていた。

 家を出て、大通りでラガニケル行きのミニバスに乗る。
 ラガニケルまで12ルピー(約15円)の運賃だ。
 ラガニケルに着くと、早速ゴダワリ行きのミニバスを探す。
 ラガニケルのバス乗り場に集まっているネパール人に ミニバスの場所を訊き、
 やっとバスを見つける。

 トヨタエースを改良したミニバス、乗せられるだけ人を乗せる。
 座れないものは ぶつぶつと文句を言っているが、車掌は知らん顔だ。
 バスはカトマンズを1周するリングロードを越え、村へ向かう道へと入っていく。
 どうも憶えのある道だと思ったら、以前に行ったことのあるアルシディ、タイバーへと
 向かう道筋だった。

 ミニバスは 坂道を登り、タウンケルという小さな村を抜けると、チェットリ族、
 バウン族、タマン族の住む生活地域へと入って行き、並ぶ家々もネワール族のものとは
 違って 屋根のある建築様式の家に姿を変える。
 遠くには 谷間を挟んだ向こう側にタマン族やチェットリ族の集落が見える。
 いかにも田舎にやってきたという光景だ。

 30分くらいかけて ミニバスはゴダワリの終点へと到着した。
 運賃は15ルピー(約20円)だった。
 終点のゴダワリは ピクニックの場所としても有名で、レストランの数も多い。
 自然が保全されているせいか、空気が清涼で、なにやら生き返った気になる。
 ここ20年ばかり、東京、バンコク、カトマンズと空気の不味い場所での生活が
 多かったせいか、空気が美味しいと感じたのは久々振りである。
 あたりは山に囲まれ、その山も樹木がしっかり根付き、大木も多い。
 いたるところでオゾンが発生しているといった感じだ。

 ゴダワリは 水が豊富なことでも有名で、素晴らしい水が湧き出しており、その水を
 売るためのタンクローリーが十数台もやってきている。
 タンクローリーの向かう道にあしを進めていくと、有名なボタニカルガーデンがあり、
 そこの研究所の敷地には 桃色の花が満開寸前だった。
 中に入って、花の名前を訊くと、日本からの桜の花だという。
 八重桜ではなく、花びらが五弁の桜である。
 一足先に花見を済ませてしまった。
 カトマンズの街の中は 初夏の陽気であるが、ここゴダワリは春爛漫である。

 タンクローリー車が向かう道をどんどん歩き続けていくと、チベット密教を学ぶ
 僧侶たちのグンバが見えてきた。
 そして、向こうから仏教を学ぶまだ幼い僧侶たちが 走り出してきた。



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カトマンズ 街道を行く | 00:06:53 | Trackback(0) | Comments(0)
ネパール 糸を紡ぐ人たち
ネパール 糸を紡ぐ人たち 1

ネパール 糸を紡ぐ人たち 2

ネパール 糸を紡ぐ人たち 3

ネパール 糸を紡ぐ人たち 4

ネパール 糸を紡ぐ人たち 5

ネパール 糸を紡ぐ人たち 6

 カトマンズ近郊の村々を歩いていると、羊毛の糸を紡いでいる人たちに
 出会うことが多い。
 これは昔からの仕事であったのかというとそうではない。
 カトマンズ盆地に限って言えば、羊毛を紡ぐという習慣はなかった。
 こうした仕事が始まったのは 1959年のダライ・ラマのインド亡命に伴い、
 難民としてネパールに逃げ込んできたチベット人によって チベッタン・カーペット
 作りの技術が伝えられた頃から始まったらしい。

 カトマンズのチベット難民の住む地域では、生活のためにチベット人によって
 チベッタン・カーペットが 織られ始め、その規模が大きくなるにつれて、
 ネパール人に毛の手紡ぎの技術、カーペットの織りの技術が伝えられた。

 私が始めてネパールを訪れた25年前には、パタンのザウラケルには
 チベット難民センターがあり、そこにはチベッタン・カーペットの工場があったが、
 働いている人は ネパール人も多かった。

 そうこうするうちに 外国からの注文が増え、チベット人たちはいつの間にか
 工場のオーナー、タメル地区の店のオーナーに早変わりして、カトマンズで富を
 蓄えるようになり、今では御大尽様である。
 そうなると、自分でカーペットを織るよりは下請けに出したほうが、
 はるかに効率がよいことになり、カトマンズ近郊の村では、チベット人たちの注文で 
 村人たちは毛を紡ぎ、カーペットを織るようになっていくのである。

 私が25年前に住んでいたキルティプールの町では 当時、織物が盛んな町で、
 丘の上に立つ民家の1階では カタンコトンと機織の音が聞こえていたが、
 今はそれがカーペット織りに変わってしまっている。

 カトマンズの人口が急激に増え、農地が住宅地に変わっていくにしたがって、
 村々では 女たちの畑仕事も減り、それが、手紡ぎ、カーペット織りの内職を
 促すことになったのだろう。
 自給自足の生活が崩れ、現金収入が必要な社会に変わってきているカトマンズである。
 主食の米の生産もままならず、市場から買うことが多くなっている。
 農地が減り、農民が農民でなくなってきた現在、内職なしでは生活も成り立たなく
 なっているのである。

 テレビ、冷蔵庫、プロパンガス、オートバイがカトマンズ近郊の村々にも入り始め、
 消費をあおり始めている。
 テレビのコマーシャルは 村人の欲望に火をつけていく。
 お金がなくては 欲望を満たすことが出来なくなりつつある。
 昔ながらの生活を脅かす贅沢な生活が 入り込み始め、村人の生活も忙しさを
 増してきている。
 傍目には穏やかな村の暮らしであるが、台所は火の車かもしれない。
 この頃では 月賦を利用しての購買も簡単に出来る。
 払えると思った金額も 何か起これば、借金に変わり、返金も出来なくなる。
 知らず知らずのうちに 危険を背負い込むことにもなっている。
 事が起こるたびに 村の女たちの仕事は増えていく。


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カトマンズ 街道を行く | 09:57:53 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 街道を行く‐20 再び木工の郷 ブンガマティの村へ‐3
再びブンガマティへ‐3 1

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再びブンガマティへ‐3 8


 もらった竹を片手に ブンガマティの村の下の方へと下っていく。
 片手に竹を持っているせいか、やたら、犬が吠え掛かる。
 この辺りで木工彫刻はさかんだ。
 アンティークの木工の彫像を売っている。
 木工彫刻の村だけあって、玄関のドアなどにもその趣向が見られる。
 日本のネパール料理店などでも、この村にドア、窓、調度などを注文し、
 店のインテリアに使用しているようだ。

 もう少し、じっくり村の中を歩きたかったけれど、竹を持って移動するたびに
 犬に吠え掛かられるのは嫌なので、村の外を通って、バス停に向かうことにする。

 バス停近くに ネワールの農民カースト マハルザンの木工の作業場があり、
 以前、二人の少年が見習い修行中であったが、その腕を上げているかと、
 作業場の中を覗いてみると、その姿は見えなかった。
 訊くと、親戚の別の場所で仕事をしているということだった。

 ここでバスに乗れば、カトマンズまでのバスがある。
 しかし、ここに来るときに、バスの中から、素晴らしい景色が見えた。
 その景色をゆっくりと眺めるために、その場所まで歩くことにした。
 ネパールのローカルバス、手を上げれば、どこでも止まってくれる。
 竹を杖代わりにして歩き始めると、道筋の家の中でチベッタン・カーペットを
 女たちが織り上げている。
 チベット人の注文で織っているらしい。
 この仕事するのは、ネワール族の農民カースト マハルザンの女たちが多いようだ。
 作業をしている作業場、お茶を飲み、のんびり休息をとっている作業場もある。
 ネワールの農民カースト マハルザンの女たちは働き者である。
 畑仕事、酒造り、こうした手間仕事、育児、炊事・炊飯とよく働く。
 少し会話をして歩き始めると、「気をつけて、行きなさいよ」と声をかけてくれた。

 竹をくれたサッキャの女性やマハルザンの女性の心遣い、そうした小さなことが、
 村の印象をよくするものだ。
 今回の訪問はそれだけでも大きな収穫だ。

 上り坂を 竹の棒を杖代わりにして、登りつめると、素晴らしい景観が見えてきた。
 緩やかな平野部の真ん中を川が流れ、その周りの田畑は広がっている。
 周辺に広がるにしたがって、段々畑になっている。
 平和なのどかな風景だ。こうした風景を見ると、カトマンズ盆地が、如何に豊穣な
 土地であるか、よく理解できる。
 ここに紀元10世紀以降、ネワール族の文化が花開き、マッラ王朝を頂点とする
 宮廷文化の基礎になった、過剰な農産物を作り出していた風土は見て取れる。
 外への侵略の意思は持たず、ただひたすらカトマンズ盆地の中の充実だけを目指した
 マッラ王朝は、今の数々残る仏教建築、上下水道の施設を残し、カトマンズは、民衆に
 とっても 桃源郷のような地であったのだろう。
 今のカトマンズを見ていると、このマッラ王朝の時代より進んでいるとは、
 到底 思えない。人間が賢くなっているとは思えない。
 世界中、人間の愚かさにあふれている。

 そんなことを思っていると、そばにいたネパール人が、

 ― タクシーはいらんかね と訊いてくる
 ― バスで帰るから必要ない と云うと
 ― バスはネパール人が使うもの、旅行者は使わない 。

 と捨て台詞を投げかけてくる。

 余計なお世話である。ここにも愚かなバウン族のネパール人がいる。
 こんな連中がいるから、ネパールはよくならない。

 少し待つと、カトマンズ行きのローカルバスがやって来た。
 バスの中はがらがら、パタンのラガニケルに近づくにしたがって、満員状態、
 窓のすぐ近くだったので、悪臭をかぐこともなく、タパタリで降りることが出来た。
 乗車賃14ルピー、誰が、2,3百ルピーのタクシー代を払うか。


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カトマンズ 街道を行く | 00:35:41 | Trackback(0) | Comments(0)
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