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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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ネパール カトマンズの放浪者たち
ネパール カトマンズの放浪者たち 1

ネパール カトマンズの放浪者たち 2

ネパール カトマンズの放浪者たち 3

ネパール カトマンズの放浪者たち 4

ネパール カトマンズの放浪者たち 5

ネパール カトマンズの放浪者たち 6

 カトマンズの街中を歩いていると 多くのストリートチルドレンに出会う。
 ここ4,5年の間に こうした街を徘徊する子供たちの姿も様変わりをしてきている。
 
 昔から 街の中をうろうろしている子供たちはいたが、大半の子供たちは 家から
 逃げ出し、カトマンズという都会を見てみたいという思いからで、しばらく 
 カトマンズをうろうろと歩き回り、再び、村に帰っていく子供も多かった。
 村に帰っていけない子供たちは ビニール袋などの廃品を集め、お金を手にしたが
 それでは充分でないので レストランの近くに座り込んで 残り物の食べ物を
 もらえるのを待っていたものだった。
 昔は 王宮通りの昔からあるアイスクリーム屋の前が 夕方を過ぎると彼らの常駐の
 場所だった。

 外国人旅行者の集まるタメル地区にはあまり寄り付かず、タメル地区で外国人に
 お金をねだっている子供たちの大半は 家族とともに生活している子供たちで
 小遣い稼ぎのためにタメル地区を徘徊していた。

 それが近頃は 子供たちの姿も変わり、廃品集めをしているのは インド系の
 子供たちで 地方から逃げ出してきた子供たちは 廃品集めもしなくなり、日長1日
 ふらふらと旅行者の集まる場所を徘徊し、お金を得ると シンナー遊びに耽る子供も
 増えている。
 
 路上で小さな商いをする子供たち、ネパール・インド国境周辺からやって来て
 廃品集めに精出す子供たち、スラムで家族とともに暮らす貧しい子供たち、
 カトマンズでは多種多様な状況の中で 子供たちは生活している。

 その中でも1番荒れている子供たちは タメル地区やニューロード(カトマンズの
 中心的な商店街)辺りで物乞いをしている子供たちだ。
 村で生活していたときも 家族の愛に恵まれていなかった子供たちだ。
 家族に対して少しでも愛を感じていれば、村に帰りたくなるだろうが、そうした思いも
 起こらないくらいに 愛情から遠いところにいる子供たちだ。
 大人に対する不信の中で育ってきた子供たちが 大人に対する信頼を取り戻すことは
 至難の業だろう。
 こうした子供たちを施設に入れたとしても すぐさま逃げ出してしまうだろう。
 膨大な人間的なエネルギーを注がないと 彼らの心も生活も変えることは出来ない。

 彼らの姿を見ていると そこまでのエネルギーのない私にとっては ため息と苦痛が
 生まれて来るだけだ。
 物質的な援助だけでは 彼らの心を変えることは出来ない。
 ストリートチルドレンを救うために施設をつくるための、あるいは運営していくための
 お金を集めているネパール人や外国人がいるが 扱いやすい子供だけを相手にしている
 ようにしか思えない。
 孤児だ、ストリートチルドレンと言いながら それは本当なのだろうかという疑いも
 湧いてくる。

 街を徘徊するストリートチルドレンの未来はというと 絶望的な思いになる。
 それほど20年以上前のストリートチルドレンと今のストリートチルドレンは
 はっきりと違ってきている。
 彼らの大人に対する不信の程度があまりに大きなものになっていることがわかる。
 シンナー遊び、盗み、その果てには ギャング集団へと向かっていくだろう。
 カトマンズに長くいればいるほど、ひどくなっていく子供たちの姿である。
 そして ますます治安の悪くなっていくカトマンズである。


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カトマンズ 路上で生きる人々 | 11:11:27 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ インドからの小さな曲芸師
カトマンズ インドからの小さな曲芸師 1

カトマンズ インドからの小さな曲芸師 2

カトマンズ インドからの小さな曲芸師 3

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カトマンズ インドからの小さな曲芸師 6

カトマンズ インドからの小さな曲芸師 7

カトマンズ インドからの小さな曲芸師 8

 久しぶりにパタンの旧市街に行ってみることにした。
 寒くもなく、暑くもないこの気候の中では、肌寒い部屋の中に入るよりは
 外に出掛けるほうが快適だ。

 大通りに出て、道を渡り、クポンドールの乗り物の停留所へ行きかけると、
 パタンドカ(パタン門)行きの公営バスがすぐ前を走っている。
 バスの後ろを必死に追いかけ、やっとの思いでバスに乗り込む。
 パタンドカまで10ルピー(約12円)、去年は8ルピーだったが、
 2ルピーの値上がりである。

 5分もしないうちにバスは パタンドカに到着、バスを降りて、パタンドカを潜ると
 いきなり、二人のネパール女性がやって来て、何やら話しかけてくる。
 どうせ、何かの勧誘だろうと無視して パタンの旧市街の中に入ったところで、
 彼女たちが行っていた言葉に気がついた。
 「エクスキューズ ミー、プリーズ エントランス・フィー」と言っていたのだ。
 どうも今年から、パタン旧市街への入場料を取り始めたようだ。
 パタンの王宮広場への入場料は知っていたが、旧市街への入場料については
 知らなかった。
 バクタプールのように変えていくつもりなのだろうか。
 王宮広場、特殊な寺院への入場料については理解できるが、
 人々の生活する場所も含めるとは バクタプールもそうであるが、行きすぎである。
 お金が入りそうなところで 筋目もなくお金を簡単に得ようとするのは 
 ネパール人の悪い習慣である。

 パタンの旧市街を歩き回ったところで 行きつけのネワール料理の店で 
 アンダ・バーラ(水につけて柔らかくした大豆を磨り潰し、お好み焼きのように
 焼き、その上に卵を載せたもの)と薄味の水牛のカレー煮を食べる。
 パタンでは ホナチャが有名であるが、小さな店であったが、何気ない店の
 ネワール料理も美味しい。
 パタンにやってきたときの儀礼のような軽食を済ませ、通りを歩き始めると
 何やら、大勢の人々が集まって 1つの方向を見つめている。
 その方向に目を向けるが、変ったものは何一つ見出せない。

 私も立ち止まって、あたりを見回していると、小さな広場の真ん中に 二人の
 子供が現れる。
 12,3歳の少年と10歳にも満たない子供たちである。
 顔つきを見ると インド人のようである。
 インドの放浪の民 ジプシーのこどもたちだろうか。
 太鼓をたたき、通り行く人々を集める。
 大きな子供が 口で 布の中に入った小さな子供を 口でぶら下げる、宙返りや回転を
 何度も繰り返し 見せ場を作っている。
 最後の演技は 竹馬乗りだった。片足を上げて見せたり、太鼓をたたいたり、それが
 終わると お金を集めて回る。
 お金を集めている最中に 少し遠くに 中国人の団体の観光客の姿が見えると
 竹馬に乗ったままで、お金をねだりに行っている。
 なかなか目端の利く子供である。
 放浪芸で生活を立てていくには 大切な生き抜くための能力だ。
 カトマンズでお金を稼ぐと 今度はどこへと流れていくのだろう。
 ヴィザの必要のないネパールとインドを往復するのだろうか。

 自分の曲芸の能力を信じて 放浪芸を続ける彼らの未来に幸いあれ!


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カトマンズ 路上で生きる人々 | 15:53:33 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ ダマイと呼ばれる人たち
カトマンズ ダマイと呼ばれる人たち 1

カトマンズ ダマイと呼ばれる人たち 2

カトマンズ ダマイと呼ばれる人たち 3

カトマンズ ダマイと呼ばれる人たち 4

カトマンズ ダマイと呼ばれる人たち 5

 カトマンズの路上を歩いていると、足ふみミシンや手回しミシンを使って、ズボンや
 洋服のほころびを修繕している人たちを よく見かける。
 彼らは ポリヤールと呼ばれるカーストの人たちで、ネパールではダリットと呼ばれる
 低カースト人たちである。
 何百年前かに バウン族、チェットリ族がネパールに入り込んできたときに、
 職人カーストとして カミ(鉄職人カースト)カサイ(家畜の堵殺をするカースト)と
 ともにネパールに入り込んできた人たちだ。
 インドでもスードラと呼ばれ、高カーストの家に入ることも、同じ水場を使うことも
 許されなかった人たちだ。

 このポリヤールというカーストの人たちの主な職業といえば、楽団を編成して
 結婚式の時などに 花嫁、花婿の前を行進しながら、着飾って音楽を演奏することと
 衣服の縫製の仕事がある。
 彼らが衣服の縫製の仕事をすれば、彼らはダマイと呼ばれるが、彼らよりも上の
 カーストの人が 衣服の縫製の仕事をすれば、スッチカールと呼ばれ、ダマイとは
 呼ばない。
 ダマイという言葉には どこか彼らを蔑視する意味合いも含まれているようである。
 
 20年以上前は ネパールの人たちは 衣服を作るとなれば、布地を買って、
 このダマイの人のところにもって行き、オーダーメイドで衣服を作ってもらっていたが
 近頃は 中国からの安い既製服を買ったほうが安く、彼らの仕事は 衣服の修繕へと
 変っている。
 正式に縫製の技術を学んでおらず、親から子への縫製技術の伝達といった形であるから、
 決まりきった衣服であれば、縫えるが、複雑なスーツやコートになると 上手に縫う
 ことは出来ない。
 近代的な縫製技術を身につけていないのである。
 スーツとかコートなどの複雑な技術を要するものは テーラーと呼ばれている店を
 構えているところに行く必要がある。
 そういった場所は ダマイの人たちに比べると べらぼうに縫い賃が高い。

 カトマンズでは ビンセンタワーという名の高い塔のあるスンダーラという大きな
 水場のそばやビル病院の前などで ミシンを前に仕事をしているダマイの人たちの
 姿を見かける。

 旧王宮広場から下ったカリマティに向かうビシュヌマティ側に架かる橋の上でも
 ダマイの人たちの集団を見かけるが、年配の人たちが多く、若い人たちと違って、
 長い間 低カーストとして蔑視されてきたことによる卑屈な姿勢も残っているようだ。
 すぐにお金を恵んでくれと声をかけてくる。
 彼らの中から、人間は平等であり、ダマイの仕事に対して誇りを持つ必要がある。
 そして、昔ながらの縫製技術で仕事をするだけでなく、新しい縫製技術を積極的に
 学ぶ姿勢も大切なことである。

 昔、キルティプールに住んでいた頃、家によく遊びに来るプルナと呼ばれる子がいたが、
 時々、高いカーストの子供たちから ダマイ、ダマイと馬鹿にされていたのを思い出す。
 大人の差別意識は 大きく子供たちに影響を与えるものだ。
 人間には カーストはない、あるのは男と女だけだと 高カーストの知識階級の人間は
 そんなことを言うが、こんなカースト制の中で優遇されてきたのは彼らである。
 きれいごとを並べていても、結婚、食事、様々の生活場面の中では どう対応するのか
 信用できない。
 美しいことばには とげが隠されているものだ。



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カトマンズ 路上で生きる人々 | 14:09:37 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 路上で生きる人々‐06 ストリートチルドレン
ストリートチルドレン 1

ストリートチルドレン 2


 カトマンズのニューロードやタメルあたりを歩いていると、
 何日も洗っていない汚れきった衣服を身に着けた子供たちの集団を見かけることがある。
 10歳くらいから14,5歳ぐらいのストリートチルドレンの集団だ。
 ニューロードのローカルなパン屋の前にたむろして、パンをねだったり、
 ビッシャルバザールに駐車しているオートバイを、汚い布切れでオートバイの汚れを
 拭いては、お金をねだっている。
 大半のオートバイの所有者は、無視を決め込んでいる。

 この頃のストリートチルドレンは、接着剤に手を染める子供も多くなり、
 ビニールの袋に入れた接着剤をスースーと吸っている姿を良く見る。
 タメルあたりでは 旅行者にたかっている場合が多い。
 互いにテリトリがあるらしく、ニューロードの子供たちは、タメルには、来ないし、
 タメルの子供たちもニューロードには行かない。

 10年ぐらい前のストリートチルドレンといえば、もっぱら、路上のゴミの山の中から、
 ビニールを探し出し、それをカリマティあたりのくずやの元締めに売って、
 2,30ルピーを手に入れ、安い食堂で食べる、食べるのにそれでも足りないと、
 王宮通りの21アイスクリームの店の前で、店員のくれる残り物を待っていたものだ。

 近頃のストリートチルドレンが、くず拾いをしている姿は、トンと、見かけなくなった。
 いることには、いるのだが、どうもインド系の子供たちのようだ。
 村から、集団で逃げ出してきて、先輩からくず拾いのやり方、金になるもの、
 夜どこへ行けば、食べ物にありつくか、そんなことを伝授してもらっていたのだろうが、
 近頃の先輩は、接着剤遊びしか教えないようだ。

 ストリートチルドレンにもいろいろなタイプがある。
 カトマンズ近郊からやって来た子供は、3,4日カトマンズで、遊んでは家に帰っていく、
 そんなことを繰り返しているし、ツリスリ、ナラヤンガートあたりから集団で
 逃げ出してきた子供たちは、帰りのバス代もなく、長居を決め込むことになるようだ。
 タメルあたりのストリートチルドレンの中には、すぐ近くに住むところがあるにも
 かかわらず、学校にも行かず、拙い絵を売っては、旅行客にお金をせびっている。
 来ている衣服をみれば、他のストリートチルドレンに比べれば、
 こざっぱりしているから、すぐわかる。

 一ヶ月もストリートチルドレンの生活をしていると、目つきが変わってくる。
 素朴な村の子供の目ではなくなる。
 いじめ、いじめられる生活の中で、荒れてくるのだ。
 先日、タメルで見た光景は、それを象徴するものだった。12,3歳の子供が、
 喧嘩を始め、なんと、持ち出したのが、かみそりである。
 一瞬のうちに相手の足に切りつけ、傷口がぱっくりあいてしまった。
 周りの大人が、止めに入ったから、良かったもの、続けていたら、
 どうなっていたことか。
 すぐに、周りにいた大人が、バンドエードを貼っていたが、
 それで収まる傷ではなかった。
 
 カトマンズの街が、雑然とし、混乱の様相を表して来るのと平行して、
 ストリートチルドレンも様変わりしているのである。
 大人の生活は、子供の生活の中に必ず反映されていくものである。
 それを、肌でしっかりと、感じているのが、路上の大人の姿を 
 毎日のように見続けているストリートチルドレンだ。


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カトマンズ 路上で生きる人々 | 01:15:06 | Trackback(0) | Comments(0)
カトマンズ 路上で生きる人々‐5 老人たちの商い
カトマンズ 路上で生きる人々‐5 老人たちの商い 1

カトマンズ 路上で生きる人々‐5 老人たちの商い 2

カトマンズ 路上で生きる人々‐5 老人たちの商い 3

カトマンズ 路上で生きる人々‐5 老人たちの商い 4


 社会保障のないネパールでは、余程余裕のある家に住んでいない限り、
 年老いても働かなくてはならない。
 カトマンズ盆地に古くから住んでいるネワール族は、家族・親戚同士のつながりが
 深いから、歳をとれば のんびりとした生活が出来るようだが、山から 
 あるいはインドからカトマンズにやって来た人たちはそういうわけにはいかない。
 生きていくためには その日の糧を得るために 体を使って働き続けなくてはならない。
 家族がいたとしても、彼らも生きていくために精一杯だ。

 魚を揚げているのはインドからやって来た女性だ。
 20年も前からスンダーラと呼ばれるこの場所で魚を揚げ続けていた。
 5ヶ月前には元気にいつものように魚を揚げていたが、今回 やってくると、
 その姿が見えない。私も何度か彼女から、魚の揚げ物、ゆで卵のフライを買ったことがある。
 年寄りたちはいつの間にか姿を消してしまう。

 庶民相手に、値段の張らない果物を売っているのは、タマン族の女性である。
 亭主は歳を取り、彼女の収入が生活を支えている。子供はいない。
 カトマンズからの帰り道、気に入った果物があれば買うようにしているが、
 彼女の売る果物は、昔からの品種改良されていない果物で、私からすれば、
 美味しいものではない。
 ネパールの昔からのスンタラ(ネパール蜜柑)、日本の昔に会った長十郎梨より
 もっと固いネパールの梨、スモモなどを売っていれば買うようにしている。
 時々彼女の亭主が脇に座っていることもある。

 燻製の川魚を売っているのは、バウン族の男性、写真を撮ったら、何で撮るんだと
 叱られてしまった。話をしていくうちに心をやわらげてくれた。

 働けるうちは働くというのが、カトマンズにやって来て生活するインドや山からやって来た
 老人たちの当たり前の姿である。
 それが彼らのプライドを維持している。
 カトマンズに土地も家も持たない彼らにとって 仕事をしないということは死活問題に
 通じる。
 今のネパール政府には彼らを援助するだけの力はないし、やる気もない。
 負けてしまえば、こじきをするより仕方ない。
 プライドを捨てて生き続けるよりは 毎日休まず、頑張って働いている老人の方が
 生き生きしているのは確かなことだ。
 カトマンズ郊外の村に行っても、何かしら仕事をして生計を助けている老人の姿を
 良く見かける。糸を紡いだり、縄を編んだりして、家族を助けている。

 日本の中高年のように年金を当てにして、海外でロングステイをしようという世界とは、
 異質な世界なのだ。
 そういう日本人には、アジアに生きている別の老人たちの姿は見えてこない。
 死ぬまで行き続ける、働き続ける。それがかつての日本人の姿だった。
 今の日本の老人が果たして幸福なのかどうか、考えてみる機会が、ネパールにも
 インドにも、他のアジアの国々にはある。
 安っぽい海外ロングステイなど アジアの人々のひんしゅくを買い、軽蔑を生み出すだけだ。
 誰も根付かないものに対して親しみは示さない。日本の田舎でも同じことだ。


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カトマンズ 路上で生きる人々 | 14:10:54 | Trackback(0) | Comments(0)
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