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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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バンコク 元旦のパッポン通り
バンコク 元旦のパッポン通り 1

バンコク 元旦のパッポン通り 2

バンコク 元旦のパッポン通り 3
バンコク 元旦のパッポン通り 4

バンコク 元旦のパッポン通り 5

バンコク 元旦のパッポン通り 6

バンコク 元旦のパッポン通り 7

 元日は 日本からやって来ている知人のTさんに チャオプラヤ川の川向こうの
 トンブリ地区の下町界隈を案内しようと思ったが、大晦日の動きが ハードワークに
 なり、昼過ぎても体調が回復せず、午後3時の約束はキャンセルしてもらい、
 夕方午後6時に待ち合わせをすることにした。

 たまには スクムビットのソイ・ナナ辺りと並ぶバンコク一の歓楽街 パッポンを
 散策するのも一興と思い、午後6時にBTS高架電車の駅 ラーチャ・テェヴィで
 待ち合わせ、電車に乗り込み、サイアム駅で乗り換え、サラ・デーン駅へと向かった。

 サラ・デーン駅で降り、電車の反対方向に向かって通路を歩き、敢えて 昔の
 ロビンソンデパートを出発点にして歩き出す。
 ラーマ四世道路とシーロム道路の交わる交差点の一角にあったデパートである。

 20年以上も昔、中華街の中にあった日本人の溜まり場 ジュライホテルに泊まって
 いた頃は 4番のバスに乗って シーロム道路を目指した。
 国立チュラロンコン大学のすぐ近くのバスの停留所で降り、すぐ後ろの横断歩道橋を
 渡るか、少し先の横断歩道を渡って ロビンソンデパートの前から歩き始めるのが
 いつもの定番のコースだった。

 そのコースを連れの知り合いと一緒に歩き始めた。
 夕方も6時を過ぎると 遊歩道には衣料やアクセサリー、民芸品を売る露店が立ち並び、
 昼間のビジネス街から夜の歓楽街へと姿を変えるのは 昔ながらのことである。

 露店と行き交う人で混雑するシーロム道路の歩道を 縫うように歩いていく。
 10分近く歩くと タニヤ通りにぶつかる。
 タニヤ通りのネオンサインのほとんどは 日本語で描かれている。
 昔から 日本の企業御用達の高級ナイトクラブの並んでいる界隈である。
 ビジネスマンではなかった私にとっては あまり馴染みのない場所である。
 ナイトクラブ、バー、日本食の料理屋、ラーメン屋などが並んでいる。
 時間が早いのか、不況のせいか まだ 日本人の姿は多くない。

 タニヤ通りを抜けると スリウォング道路の歩道へ出る。
 シーロム道路が表通りなら、スリウォング道路は裏通りである。
 この裏通り スリウォング通りも昔に比べると 随分明るくなり、健康的な雰囲気に
 変わっている。
 20年前のシーロム道路とスリウォング道路に囲まれたバンコクの一大歓楽街といえば、
 性の無法地帯といってもよく、外国人が求める性のほとんどが用意されているような
 場所だった。

 連れの知人と偽ブランド品の並ぶパッポン通りを歩き、パッポン通りのすぐ横の路地を
 歩く。
 時間が夕方の7時だったせいか、数多くのバーが並んでいるにもかかわらず、
 呼び込みもなく、至って静かな姿で 拍子抜けしてしまった。
 悪も善も、聖も汚れもすべてが一体化され、混然、混沌の中にあったこのあたりも
 様々の法的な規制が厳しく行われ、健康的な歓楽街へと様変わりをしてしまった。

 二人で再び、スリウォング道路に戻り、歩道脇のビア・バーのテーブルの前に座り込み、
 ビア・チャンの小瓶を傾けながら、通りを歩いていく人を眺める。
 正月休みに入っているせいか 若者から中年まで日本人旅行者の姿も多い。

 簡単にただの遊びと思ってやって来たこの歓楽街で 性と愛を錯覚して 
 地獄のような世界に足を踏み入れる人たちも多くいるのだ。
 それは理屈でどうなるものでもなく、体験してみなければ 分からない世界だ。
 体験して何かを学び取る人もいれば、どこまでも不毛な愛の世界に嵌り込んでいく
 人もいる。

 再び歩き始め、裏通りを散策しているとこの界隈の有名レストランなのか
 多くの外国人旅行者が席を求めて 立ち並んで待っているレストランがあった。
 昔はこんな裏通りにこんなレストランはなかった。
 レストランの名前は マンゴツリー、外国人の間では有名なレストランなのだろう。

 表通りのシーロム道路に出て、露店で混雑する歩道を抜け、BTS高架鉄道に乗って
 ラーチャ・テヴィ駅に帰ってきた。
 毒気のなくなったパッポンには何の魅力もなくなってしまった。



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バンコクを歩く | 10:26:46 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 懐かしのルンビニパーク‐02
バンコク 懐かしのルンビニパーク‐02 1

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バンコク 懐かしのルンビニパーク‐02 8

 すっかり小奇麗に整備されたルンビニパークの中をのんびり歩く。
 乾期の12月も後半に入り、午前中の公園の中は まだ爽やかな涼しさが残っていて
 気持ちがよい。
 汗も 少しかく程度で別段気にならない。

 池のそばに近づいて 池の中の浮かぶ木切れにもたれかかるようにミズオオトカゲが
 日向ぼっこをしている。
 写真を撮ろうと 池の中にいるミズオオトカゲを見ながら 少し移動すると 近くで
 物音、そっちの方へと眼を向けると 陸の上で日向ぼっこをしているもう1匹の
 ミズオオトカゲがいた。
 彼も驚いただろうが、もっと驚いたのは私の方である。
 池の中へと逃げ出して行くかと思ったが、そのまま 日向ぼっこを続けていた。

 やはり バンコクは 亜熱帯の動植物の世界なのである。
 普段は 近代的な高層ビルに囲まれて そんなことを忘れている。
 公園の中にも沢山のヤシの木やソテツがあるのが 当たり前の姿なのである。
 花を咲かせる樹木だって 熱帯風の花を咲かせているのだ。
 赤い花の名前を清掃の仕事をしている女の人に訊いたが、花の名前は知らず、
 この赤い花が食用になることは知っていた。
 そのことの方が 花の名前を知ることより、重要な事なのだろう。

 いつもはビルに囲まれ、自然を忘れてしまったような生活をしているが、
 自然が保全されているルンビニパークのようなところにやって来ると はっきりと
 バンコクの亜熱帯の自然を再確認することになる。

 私が住んでいるMBKセンター(マーブンクロン)近辺は 市民が共有出来る自然と
 いえば、センセーブ運河沿いにわずかに残る自然ぐらいのものだ。
 伸び伸びと好き勝手に 自然に囲まれた中を動きまわることなど出来ない。
 久し振りに広い公園の中をゆっくり歩きまわることで 自然と触れ合うことが出来た。

 急いで歩きまわると 息苦しくなる体調であるが、体調に合わせて、ゆっくりと
 1時間半ばかり 散策した。
 暑い季節なら 汗まみれになっているところであるが、午前8時過ぎの天候の中では
 うっすら 汗がにじみ出てくる程度だった。

 再び、ゆっくり、ゆっくりと チュラロンコン病院へ向かって歩くことにした。
 そろそろ 血液検査の結果が出る時間が近づいている。



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バンコクを歩く | 14:15:18 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 懐かしのルンビニパーク‐01
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バンコク 懐かしのルンビニパーク‐01 9

 朝7時半に行った血液検査の結果が出るのが 10時近くまでかかるというので
 国立チュラロンコン大学病院のすぐ前にあるバンコクで1番広い公園 ルンビニパーク
 へ行ってみることにした。

 この公園の中を歩いていた頃といえば、今から20年以上前のことだ。
 バンコクの暑い気候を逃れるために 夕方近くによく公園の中を歩いたものである。
 夕方を過ぎ、公園の中が暗くなってしまうと 怖い場所に早変わりし、強盗、
 追い剥ぎたちの活躍する場所になると云われていた。
 本当か嘘か確かめるまでもないので、暗くなり、人の姿がまばらになると さっさと
 公園を出たものである。

 今日 公園の中を歩いて驚いたことは 20年以上前に比べると 格段に整備されて
 おリ、強盗や追い剥ぎの隠れるところがないくらいに 公園の中がすっきりしていた
 ことだ。
 20年以上前は 昼間でも 仕事にあぶれた人たちがたむろしていて、いかがわしい
 雰囲気があったが、今では 午前中のせいか、ジョギングをする人、太極拳を楽しむ
 人たち、池の畔のベンチやテーブルの前の椅子に座り込んで 飲み物を用意して 
 会話を楽しむ人たちと 随分健康的な雰囲気に変わっていた。
 しかし、それは仕事に行かないで 平日の午前中を楽しむことの出来る豊かな階層の
 人たちで、顔つきを見ると その大半は 中国系タイ人である。

 20年以上前といえば 私ももっと若く、シーロム道路とスリウォング道路に挟まれた
 タイの一大娯楽街がどんな姿なのか 好奇心も関心もあった。
 人間の中にある善、悪、いかがわしさ、歓楽街の中で生きる人間の姿も含めて それは
 私の関心の的だった。
 実際 20年以上前のバンコクのパッポンを中心にした歓楽街も あるいは 海辺の街
 パタヤも 人間の性の様々の形が許され、どこかソドムのような様相すら示していたが、
 しかし、タイ人も外国人も自由に自らの性を楽しんでいた不思議な時代でもあった。
 それは パッポンやパタヤだけでなく、バンコクから離れた地方都市でも同じ姿を
 見せていたのである。
 性というものを 欧米的な道徳観で判断しないアジア的なおおらかさが まだ残って
 いた時代だったのだ。
 欧米風の性に対する狭い道徳意識は 人間を抑圧し、そのために 逆に凶悪な犯罪を
 生み出すことにつながっているように思われる。
 人間の欲望を 上手に吐き出す社会システムも必要なのだ。

 そんな時代から20年以上も経った今のバンコクでは 欧米的な道徳的な圧力に従い、
 通り一遍の面白みのない街になってしまった。
 人々から自由が失われてしまったのである。

 ルンビニパークの入口には 20年前とは変わらず、ラッチャカン・カンティ・ホック
 ラーマ6世の銅像が立っている。
 最後の絶対王制の時代の国王である。
 ラーマ7世の時代から 立憲君主制へと変わっていく。
 このラーマ6世の銅像もルンビニパークも すっかり高層ビルによって 
 囲まれてしまった。
 ルンビニパークの中も外もすっかり変わってしまった。
 時代は 移り変わり、その移り変わってしまったこの公園の中に 私は佇んでいる。
 私だって 同じくらいに変わってしまっているのである。

 どこもかしこも すっきりとまとまり、小奇麗になり いかがわしさが住み着く場所は
 なくなってしまったようだ。
 闇と光が織りなす世界、悪と善 聖と汚れ それらが絡みあって 世界は豊饒の姿を
 現してくる。
 しかし、 なんと薄っぺらな時代になってしまったのだろう。
 面白みのない世界になったものである。
 そろそろ 老兵は去るのみである。



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バンコクを歩く | 21:06:00 | Trackback(0) | Comments(2)
バンコク シーナカリン王母の生家の周り
バンコク シーナカリン王母の生家の周り 1

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バンコク シーナカリン王母の生家の周り 5

バンコク シーナカリン王母の生家の周り 6

バンコク シーナカリン王母の生家の周り 7

バンコク シーナカリン王母の生家の周り 8

 現国王 ラーマ9世の母 シーナカリン=サングワン・タラパットは 1900年に
 ノンタブリ出身の金細工職人の娘として生まれたが、早くにこの父を亡くし、
 母親の手で 先に説明した公園の中にある今は崩れかけたレンガ造りの家で育てられた。
 その母も病身で娘の面倒を見ることも出来ず、 8歳になったときには王室に奉公に
 上がるが、9歳になったときには その母も失い、天涯孤独の身になったが、
 運よくシリラート王室医療院付属の看護学校に通い1916年卒業することが出来た。
 勝手な想像だが、タラバットの一族は 王室や貴族お抱えの金細工職人の一族で
 あったのかもしれない。
 そのことから、王室につてがあり、王室に奉公に上がることもできたのだろう。

 その後の経過については 次のホームページを参照されると良いだろう。

 王家/父母姉兄
 http://www.1046.in/royalhousehold1.htm

 現国王の王母 シーナカリンを偲んで造られた公園の周りは 下町風な情緒の色濃く
 残る場所である。
 表通りには戦後移民してきたと思われる中国人たちが住み、裏通りにはタイ人たちが
 住む。
 豊かな成功した中国人であるというより、細々と生活しているような中国人たちが多く、
 タイ人たちはといえば、下働きをしているような人たちだ。

 王母 シーナカリンの生まれた時代なら 随分うら寂しい界隈だったのではなかろうか。
 公園の周りの建物の様子を見ても 第2次世界大戦以後建てられた木造住宅が多いようだが、
 ところどころには 百年以上前に建てられたような貴族の屋敷も残っている。
 そんなことから、王母 シーナカリンの生まれた百年以上前の時代といえば、
 広大な敷地に囲まれた貴族の屋敷とその使用人たちの住まいがあったぐらいだろう。

 戦後 チャオプラヤ川の対岸にある中華街の商人たちの商品の保管場所として、
 倉庫なども建てられたようだが、今では 中華街も昔ほどの勢いもなく、
 あたり一帯は裏寂れた雰囲気を漂わせている。

 夕方近くなると 近くの公立学校に通う小学生や中学生が 路上のカキ氷の店に
 群がっていたりするし、木造の長屋風の昔風の商店には 近所の住民たちも
 集まっている姿は如何にも下町的な風景である。

 裏通りに入っていくと 時代の流れなど忘れてしまったような人々の生活もある。
 古きよき時代のバンコクが そのまま残っているような感じなのである。
 時間の流れが止まってしまったところに 間違って入り込んでしまったような
 気持ちにもなってしまう。
 こんな不思議な場所が トンブリ地区には 何箇所かある。
 物価が安い、部屋代が安い、簡単に住む土地が手に入った、開発は遅れているといった
 様々の要因が絡み合って、昔ながらの生活が そのまま残っているのだろう。

 バンコクの中心部での生活に疲れたときには トンブリ地区にやってきて、
 のんびりとした時間の流れの中に身を置いてみる、下町の気さくな雰囲気に触れてみると
 いうのは 心の健康のためには いいのかもしれない。
 それも昼間のことで 夜になるとちょっと危険な界隈で 表通り以外は歩けない
 雰囲気があるので要注意である。
 何処か人間の吹き溜まりのような場所でもあるからだ。
 気さくで人の良さもあるが、半面、分けのわからない怖い人間もいるのも本当である。
 下町めぐりは バンコク庶民の生き生きした姿を見るにはいいが、それも昼間に
 限定された世界である。
 バンコクの下町歩きも 五感と第六感を駆使して、危険の匂いを嗅ぎ取る必要がある。


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バンコクを歩く | 14:51:22 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク チャオプラヤ川に御挨拶
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バンコク チャオプラヤ川に御挨拶 8

 バンコクの中心部のMBKセンター周辺だけに籠っているのも拙かろうと思い、
 今日は 折角バンコクに来ているのだからと思い、メナム チャオプラヤ
 (チャオプラヤ川)に挨拶に行くことにした。
 バンコクも もうすっかり夏の装いで 外の暑さを考えると 外を出歩くのも 
 腰を上げるのに ちょっとした決心が必要なのである。
 といっても 部屋にいても暑いのは同じことで、同じように暑いのなら、
 たまには外を動き回るのもいいかもしれない。

 いつものように 安物のデジカメ片手に 73番の冷房バスにのって、
 終点のサファン・プット(仏陀橋)へと向かった。
 バスを終点で下りて、サファン・プットの橋の上へと上っていく。
 何一つ 陽を避けるもののない橋の上では 太陽の陽射しも肌を突き刺してくるようだ。
 暑い、その言葉しか 頭に浮かんでこない。

 夏の厚い陽射しを浴びて 遠くに見える寺院や建物の屋根もきらきら光っている。
 風景はすっかり夏のものである。
 カトマンズのどぶ川のバグマティ川を見慣れた目には このチャオプラヤ川は 
 いかにも川らしく 優雅にも見える。水が伸びやかに悠々と流れている。

 橋の上に立ち止まり、川の流れと周りの光景を眺めていると 橋の向こう側の
 遊歩道を 二人の日本人の学生が 「地球を歩く」というガイドブックを片手に
 歩いている。
 そこまではいいが、チャオプラヤ川上流の景色が見たくなったのか、
 交通の激しい橋の車道を越えて こちら側に来ようとしている。
 ちょっと危ない判断である。さすがに危ないとわかったのか 諦めたようだ。

 橋を渡りきり、チャオプラヤ川の川辺に下りていくと さっきの学生が 
 向こうからやってくる。
 「どこに行くの」と尋ねると 「ワット・アルンまで行く」と言う。
 ここからだと随分距離があるから、「ちょっと遠いよ、道もわかりにくいよ」と言うと、
 「ワット・アルンに行くつもりで来たら、下りる場所を間違えてしまった」と言う。
 道順を説明しようとすると 「大丈夫です。わかります」と自信たっぷりで答え、
 「観光で来ているんですか」と尋ねてくる。
 「観光できているのは お前たちだろう」と言いたくなるが 「はい、そうですよ」と
 言って別れる。
 無事にワット・アルンに行き着くことを願うばかりである。

 私は観光客の向かう方向には向かわず、トンブリ地区の下町に向かって歩いてゆく。
 サファン・プットの下流のトンブリ地区は 現国王の母上の生家があったことで
 有名な場所で その生家のあった場所が公園になっている。
 雑然とした街並みの中では オアシスのような場所で 私の好きな場所でもある。
 まずはそこを目指して歩いた。

 公園の中に入ると ダイエットのためか 太り気味の人たちがのんびりランニングを
 している。
 本当は 私も仲間入りしたほうがいいのだが、この暑さの中では遠慮したい。
 木陰のベンチに座り込んで、仲間同士で世間話をしている老人たちの仲間入りを
 する方がいい。
 この公園、決して広くはないが 緑がふんだんにあるのが嬉しい。
 大木もたくさんあって 木の精霊たちに囲まれているような気持ちになるから 
 不思議である。
 あまり、観光客には知られていない隠れた名所である。
 ここで私も一休みである。



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バンコクを歩く | 18:07:21 | Trackback(0) | Comments(0)
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