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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

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バンコク 古き時代の名残を求めて 中華街からバンラックへ-7
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バンコク 古き時代の名残を求めて 中華街からバンラックへ-7  7


 19世紀後半にタイに夢とアジアのオリエンタルな叙情を求めてやって来た
 ヨーロッパの人間たちが、足を踏み入れる場所といえば、このバンラックだ。
 そして憧れのホテルはオリエンタルホテル、創業は1876年、サマセット・モームを
 筆頭に数々の著名人が宿泊しているホテルだ。
 1974年にマンダリンホテル・グループが買収し、今では単なるサービスの良い
 5スターホテルに過ぎない。
 表通りからもチャオプラヤ川の船上からも昔の面影を探ることは出来ない。
 観光ビジネスに組み込まれたホテル以上の何物でもない。

 古き時代の名残がないなら、
 一泊30ドル以上のホテルには泊まったことのない自分には無縁の世界である。
 お金があったとしても泊まる気にはなれない。
 ホテルは人を選び、人はホテルを選ぶ。
 5スターホテルに泊まるだけの財力とステータスがかみ合わなければ、
 どんなホテルに泊まっても、居心地のよいものではないだろう。
 財力はあっても教養と品位がなければ、宿泊している人々は、
 表面的には節度ある態度を示しても、心の中には軽蔑の眼がひそんでいる。
 成金などすぐに見抜かれてしまう。
 私の生きている世界とは別世界であるこの建物の中には入っていく気持ちには
 なれなかった。

 欧米人種にはどこかアジア人種に対する蔑みの態度がある。
 経済大国日本を一応認めても、文化人としての日本人を認めているとは思えない。
 ヨーロッパの人間は 自分たちの文化に対して強い誇りを持っている。
 日本人はどうだろう。日本にも誇れる文化はある。
 しかし、それはヨーロッパ文化に憧れすぎるために忘れられてしまっている。
 日本人としてのアイデンティティはどこにあるのか、
 もう一度考え直してみる必要があるようだ。
 それが確立されない限り、
 日本はアジアのリーダーシップを持つことが出来ないだろう。
 欧米追従型の文化を追いかけている限り、アジアの国々の信頼や尊敬を
 得ることも出来ないだろう。

 19世紀後半から第2次世界大戦が勃発するまで、
 バンコクにやって来た外国人はどんなところに住んでいたのだろう
 そんなことに興味が湧き、バンラック、シーロムロード、サトーンロードあたりを
 歩き回ってみた。
 ヨーロッパ人にとっての古きよき時代の名残の残っている建物を探してみたかった。
 サトーンロードあたりは、外国人居住区として土地が用意されていたという話だが、
 意外とそれらしい建物は少ない。
 2,3時間の探索では充分ではないのかもしれない。
 タイ人のメイドや使用人を雇い、優雅に生活していた場所、それらしい建物は
 見つかっても、周りが高い塀に囲まれていて写真が撮りにくかったりする。
 大半は打ち捨てられ、朽ちるに任せている。利用する気がないなら、
 取り壊してしまう方が建物に対する情けのようにも思うが、
 その荒廃振りには哀れを感じてしまう。
 使っていれば、建物はそれなりに生き続けていくが、住む人を失えば たちまち
 荒れていくのが人間の造った建物の宿命だ。
 こんな具合にバンコクの古い建物は保存されることなく失われていくのだろう。
 それも時代の流れなのだろう。


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バンコク 古き時代の名残を求めて | 15:09:42 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 古き時代の名残を求めて 中華街からバンラックへ-6
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 チャオプラヤ川の下流に向かって足を進めて行くと、
 1880年頃の列強の国々からアジアに夢を求めてやって来た外国人たちの
 宿泊先1876年創業のかの有名なオリエンタルホテルがある。
 その頃は、このあたりを中心に 治外法権を利用し、無法地帯のような外国人租界を
 作り上げていたのだろう。
 オリエンタルホテルの横には、フランス系の宗教関係の建物が建ち並んでいる。
 その中心にはアサムプション・カテドラルがある。
 ラーマ2世の時代 1820年フランスのパスカル神父とフランス人の建築家によって 
 最初の聖堂が建てられたが、1908年に再建されたローマンカトリックの大聖堂である。
 
 フランスが初めてタイに足を踏み入れたのは、1662年のことである。
 外国との貿易を積極的に推進していたアユタヤ王朝のナーラーイ王の時代だ。
 この時代には 古くからのアユタヤとの貿易の中心的な役割を果たしていた
 ポルトガル勢力が没落し、新興勢力のオランダ、イギリス、フランスが
 三つ巴の利権争いを演じている時代でもあった。
 その中で台頭してきたのがフランスである。ナーラーイ王の信頼を得て、
 アユタヤでのフランス人の有力な外交家フォールコンを通じて、
 ナーラーイ王はフランスとの関係を深めていく。
 フランスのルイ14世の目的はナーラーイ王のキリスト教への改宗であったが、
 仏教の擁護者である役割を持つ王には 到底応じられることではなかった。
 しかし、1688年にナーラーイ王が亡くなるまでは、良好な関係は続いたのである。
 ところが、ナーラーイ王がなくなると、王位継承の争いが始まり、
 外国人勢力に反感を持っていた中国人、仏教徒の後ろ盾を得たペートラーチャーは
 ナーラーイ王の息子、フォールコン、宣教師などを殺し、フランス勢力や
 親フランス勢力を一掃してしまったのである。
 王となったペートラーチャーは、アユタヤから白人を追い出し、
 アユタヤを鎖国国家としてしまうのである。

 その仕返しをするように ラーマ4世の時代の1865年にフランスがタイと結んだ
 友好通商条約は、フランス商品の課税禁止、治外法権を許す不平等条約であった。
 これをもって180年近く途絶えていたフランスとの関係が再開されたのである。
 アユタヤでの恨みをバンコクで晴らすように バンコクの地で
 治外法権に護られた『フランス保護民』を 賄賂を使いどんどん増やしていった。
 1907年の外国人と外国領事館の『保護民』は、総計24,665人、
 そのうち欧米人は1,600人で、多くが近隣諸国のアジア系移民であった。
 中でもフランス人と『フランス保護民』は16,455人と突出していた。
 このような方法でタイでの影響力を強め、
 治安面でタイを混乱させようとしていた意図がうかがわれるのである。

 そんなこととはお構いなしに今のアサムプション大聖堂を中心にした界隈は、
 そこだけ見れば、ヨーロッパのどこかの通りのようである。
 その優美さにおいて バンコクとは到底思えないような雰囲気もある。
 ベトナム、カンボジア、ラオスを支配下に治め、
 次にはタイをねらっていたフランス人勢力の傲慢さがこの場所には感じられる。
 20世紀前後のこのバンコクはどういう場所だったのだろう。
 中華街に近いこの地域、中華街の中国移民の不良たちと
 『保護民』の身分を利用した不良たちの壮絶な縄張り争いもあったことだろう。
 腐敗寸前の果実の芳香のような外国人租界 
 一度は 誰でも身をおいてみたいと思う奢りと虚飾に満ちた時代だったのだ。


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バンコク 古き時代の名残を求めて | 21:32:05 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 古き時代の名残を求めて 中華街からバンラックへ-5
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 インド マドラスからのタミル人の末裔たちの住む集落を抜けて、
 チャオプラヤ川の岸辺に向かうと、消防署があり、
 その横の広場には 朽ちかけた大きな建物があった。
 ラーマ5世の時代の1890年にイタリア人の設計の下に建てられた
 カスタムハウス 税関の建物である。
 1850年頃から、タイはイギリス、フランスなどの列強の脅威にさらされていた。
 ラーマ4世、ラーマ5世の時代である。
 映画『王様とわたし』でも象徴されるように、
 ラーマ4世の時代からタイの西洋化への道が始まるのである。
 ラーマ4世は 王族・貴族を積極的にヨーロッパに留学させ、
 王宮内にもヨーロッパ人の家庭教師を雇い入れ、王子の教育を任せる。
 如何にしてタイをイギリス、フランスの植民地化から護り抜くか、
 緊急の課題に迫られていたのである。
 1855年イギリスとのボーリング条約、1865年フランスとの友好通商条約
 イギリスはマレーシア側から、フランスはラオス、カンボジア側から迫ってきており
 不平等条約にもかかわらず、嫌が応にも条約を結ばざるを得なかった。
 ラーマ5世の時代には、フランスにはラオス、イギリスにはビルマ国境に近い領土、
 南タイの領土の一部を割譲することになる。
 日本もヨーロッパに国々と同様に1896年にタイと友好通商条約を結んでいる。

 タイに列強が怒涛のようにやって来るそんな時代に建てられたカスタムハウスである。
 外国製品の課税を認められない時代に、
 このカスタムハウスはどういう働きをしたのであろうか。
 チャオプラヤ川を 外洋からやって来る大型船、タイからの積荷を運ぶ大型船、
 そしてその隙間を縫うように進む中国人華僑の小型船、そんな光景が眼に浮かぶ。
 イギリス、フランス、ドイツ、アメリカが入り込んで来て、
 タイに無課税で工業製品、繊維製品を売りつけていく。
 タイの側が輸出出来るものはといえば、米だけだった。
 19世紀後半の米の海外需要の拡大から、米は輸出用の換金作物になっていった。

 ここで登場してくるのが、華僑である。
 商売に長けている中国人は、米の流通経路である タイ農民からの籾仲買、籾輸出業、
 精米を独占するようになる。タイ人は米作のみを行ったのである。
 農村の隅々まで入り込み、籾の買い付けのみならず、繊維製品、日用品などの小売などを通じて、
 農村に貨幣経済を持ち込むことになった。
 そして、籾を担保にお金を貸し付けることも始めたのである。
 これを基礎に製材、小売業、海運業、卸売業、貿易商として富を蓄え、
 タイ経済の中枢になっていくのだ。

 ここで悲惨な状況に追い込まれていくのが農民たちである。
 貨幣経済に組み込まれたことで、借金を重ね、奴隷に身を落とすもの、
 借金のかたに子供を奴隷として身売りする農民も出てくるようになる。

 そんなタイのことを知り尽くしているこのカスタムハウスである。
 外国への門戸開放で誰が利を得、誰が苦しみを増加させたかも知っているはずだ。
 今120年を得たこの建物の中には、バンコク市の下級職員が住んでいる。
 上級官吏はこんなところには住まない。
 何の改良もされていない120年前の建物が住みよいはずはない。

 観光名所の看板が出ていてもこれではしょうがない。
 近くにありフランス大使館もカソリック教会も、そのメンテナンスは素晴らしいのに、
 このカスタムハウスのなおざりな扱いには、驚いてしまう。
 19世紀のイギリスやフランスなどとの不平等条約の屈辱が
 このカスタムハウスに悪夢のように象徴されているとでもいうのだろうか。


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バンコク 古き時代の名残を求めて | 17:10:02 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 古き時代の名残を求めて 中華街からバンラックへ-4
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 リバーシティ、シェラトンホテルの前を歩き始める。
 この辺にたむろしているタクシーは観光客相手で性質が悪い。
 しきりに声を掛けてくるが、知らん顔をして通り過ぎる。
 チャオプラヤ川沿いを歩きたいのだが、ホテルやビルが川沿いに建ち並び、
 歩いていくことは出来ない。一旦チャロンクルン道路に出るより仕方がない。
 この道はバンラック地区の主要道路で中華街へとつながっている。

 中央郵便局の手前の路地には、インド系の人たちが集まるレストランがある。
 そこへ行き、話しかけると、
 インド系のミャンマーからやって来たイスラム教徒だと言う。
 どうも大半は密入国してきたらしく、カメラを向けると嫌がって逃げてしまう。
 その中にネパール人もいた。ネパール語で話しかけると、びっくりしていた。
 彼の父親の代に バンコクにやってきて、彼はバンコクで生まれたと言う。
 ビルマにも多くのネパール人が住んでいる。
 このレストランがインド系ビルマ人たちの情報交換の場所なのだろう。
 中華街のパフラットのインド人街のインド人たちは、
 直接インドからやってきているインド人たちだ。
 それぞれの縄張りがあるのだろう。
 正式なルートでやって来ている人は頼むと写真を撮らせてくれる。
 彼らはビルマ(ミャンマー)がイギリス植民地時代に、インドからビルマに移住した
 イスラム教徒たちである。
 マンダレーあたりにはかなりのイスラム教徒がいるという話だ。
 タイ・ビルマ国境のターク県のメーソードあたりにもかなりのビルマから移民の
 イスラム教徒がいるらしい。
 国籍、無国籍の者を含めると、タイには数十万人のビルマ人がいるとされている。
 インドの出身地を聞くと、グジャラートのスラット、カルカッタ、バングラディッシュの人が多く、
 ほとんどの人が、ウルドゥ語を話すことが出来るようだ。

 ミャンマーのイスラム教徒としばらく話をして、中央郵便局の前を通り過ぎ、
 川沿いを目指して路地に入っていくと、イスラム教徒の居住区に入ってしまった。
 そこにはモスクもあった。そのモスクの名前はハルーン・モスクだった。

 ハルーン・モスクは バンコク(トンブリ地区を除く)では最も古く
 1820年に最初に建てられている。
 このモスク周辺に住んでいるイスラム教徒は、インドのマドラスあたりから
 やって来たタミル人の末裔のようだ。

 1857年にイギリスがタイと結んだボーリング条約(英タイ友好通商条約)は
 イギリス人の治外法権を認めた不平等条約であった。
 イギリス本国及びイギリス領の国の人々は『保護民』をして、自由に商売が出来、
 土地も買うことが出来たのである。
 そのため、イギリス領であったインド、ビルマから多くの移民が『保護民』として
 タイに入り込んできたのである。
 その時代に移民、あるいは商人としてインドのマドラスからも
 多くのタミル人のイスラム教徒が やってきて、宝石の商いを生業とした。
 この近辺には宝石店が多く、タミル人が中心に商いをしており、
 中華街、スクムビットにも進出しているようだ。
 ラオスのビエンチャンでも宝石店を経営しているタミル人のイスラム教徒に会った。

 このハルーン・モスクの前に置かれているベンチに座っていると、
 様々の国のイスラム教徒がやって来る。
 このモスクの周りに住んでいるマドラスのタミル人の子孫たち、
 彼らはタイ人との通婚で、顔つきも柔らかくなっている。
 彼らとはタイ語で話す。
 その向こうに座っているのはスリランカから来ているスリランカのイスラム教徒、
 彼らとは英語で、ビルマからやってきているインドのグジャラートのスラット出身の
 イスラム教徒とはウルドゥ語で話をする。
 出来るだけ彼らの言葉で話せば、警戒心も薄れ、友好的になってくる。
 皆、私がイスラム教徒かと思うらしいが、そうでないというと残念そうな顔をする。
 皆午後4時の礼拝のためにやって来ているのだ。

 今日、このハルーン・モスクで タイで亡くなったナイジェリア人の埋葬があった。
 友を埋葬するために10人以上のナイジェリア人のイスラム教徒がやって来て、
 墓地の中で亡くなった友のために土を盛り上げていた。
 イスラムのモスクでは、同じイスラム教徒であれば、墓地に埋葬することを許している。
 イスラムのモスクは世界の各地からやって来たイスラム教徒たちの情報交換の場所で
 あり、助け合いの場所でもある。祈りの場であり、憩いの場でもある。
 こんなところから、イスラム教徒同士の強いネットワークが生まれてくることもわかる。
 仏教徒同士ならどうだろう。キリスト教徒同士ならどうだろう。
 アメリカ人、ヨーロッパ人、アジア人、アフリカ人ということで差別的な対応は
 ないだろうか。
 こんな風に考えてみると、イスラム教徒同士の気綱の強さ、平等性は凄いと思う。
 インターナショナルという意味では、
 イスラム教徒が一番インターナショナルなのかも知れないと思えてくる。


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バンコク 古き時代の名残を求めて | 01:02:49 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク 古き時代の名残を求めて 中華街からバンラックへ-3
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 今 私は、チャオプラヤ川岸辺近くのリバーシティというアンティークショッピング・プラザの前に
 立っている。
 運河の河口はここになくてはならないのに、運河の河口は見当たらない。
 河口は埋め立てられ、ここにリバーシティの建物と隣のロイヤル・オチッド・シェラトンホテルが
 建てられてしまったのだ。
 なんということだ。全く残念なことである。しかし、ないものはどうしようもない。

 辺りを見回すと リバーシティのすぐ横に 空を突き刺すように
 一本の尖塔が聳え立っている。
 どうもキリスト教の教会らしい。
 教会の敷地内に入っていくと、子供たちが広場でフットサルの練習をしている。
 広場の正面に教会の聖堂が、堂々とした威厳を持って建っている。
 聖堂の内部には多くの外国人が出入りしている。
 今日は結婚式があるようだ。中にいた外国人に国を聞くと、
 イギリスのカソリック教徒であった。きっとアイルランド系なのだろう。
 聖堂の内部にいると ヨーロッパ人ばかりで、ここがバンコクであることを
 忘れてしまいそうである。

 タイに初めてやってきたヨーロッパ人はポルトガル人だといわれている。
 1511年マラッカを征服し、そして1516年にアユタヤにやって来て、
 銃と軍需品を供給することを条件にアユタヤ王朝と友好条約を結び、
 アユタヤに住むことを許される。
 ビルマとの戦争に明け暮れていたアユタヤ王朝にとっては、好都合だった。
 1567年にはアユタヤの地に初めてカソリック教会を建てた。
 ポルトガル商人とともに、ポルトガル人の傭兵はビルマとの戦いに雇われ、
 アユタヤ崩壊後も、トンブリ王朝においても、タークシン王を助け、
 タークシン王から土地をもらい、1770年トンブリの地に初めて、
 クディ・チンと呼ばれるカソリック教会を建てた。
 それが、今日のサンタクーロズ教会である。
 しかし、ポルトガル人聖職者に代わって、
 サンタクルーズ教会に入ってきたフランス人聖職者との意見の違いから、
 その教会から分かれ、ラーマ1世の時代に バンコクの現在の土地を譲り受け、
 ポルトガル人たちが1786年バンコク側に建てたカソリック教会が、
 このホーリーロザリオ教会である。
 現在の教会の建物は、1891年から1898年にかけて、新しく立て直されたものだ。

 私は取り立てて宗教を信じる人間ではないが、
 内部は美しく品位の感じられるものであり、宗教的な雰囲気にあふれている。
 もし、何か教会音楽がパイプオルガンで演奏でもされていたら感動しただろう。
 バンコクのあのきんきら金の寺に食傷した眼には、
 この教会の内部は 内面的な深い信仰の結晶のようにも思われ、
 心が洗われたようにも感じられた。
 そこには伝統工芸とは 別物のヨーロッパの伝統芸術があるような気がした。
 それにしても、ヘンデル、バッハ、テレマン、クープランの音楽でも
 鳴り響いていれば、この教会の椅子に座り込んで、
 神の声に耳を傾けようとしたかもしれない。
 このバンコクの地では考えられないくらいに美しいカソリック教会だった。
 やはり、カソリックの美意識は素晴らしい。


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バンコク 古き時代の名残を求めて | 00:36:44 | Trackback(0) | Comments(0)
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