■プロフィール

ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

■最近の記事

■Automatic translation WEB site
■最近のコメント
■最近のトラックバック
■月別アーカイブ
■カテゴリー

■FC2カウンター

■あしとも

■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
■ブロとも申請フォーム
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
バンコク ビエンチャンへの旅 PARTⅡ‐14 帰路03
バンコク ビエンチャンへの旅 PARTⅡ‐14 帰路03 1

バンコク ビエンチャンへの旅 PARTⅡ‐14 帰路03 2

バンコク ビエンチャンへの旅 PARTⅡ‐14 帰路03 3

 8月26日 午後5時

 ウドンタニのロビンソンデパートからバスターミナルに帰ってくると 我々の乗る
 チャーン・ツアーの2階建て豪華バスが 停車していた。
 普通のV.I.Pのツーリストバスは 中央の通路を挟んで 二つずつの座席の計四つの
 座席が並んでいるが、チャーン・ツアーのツーリストは 通路を挟んで 1座席と
 2座席の計3座席である。
 だから、座席の幅もゆったりしていて、他のバスの座席と比べれば、飛行機の
 ビジネスクラスの座席とエコノミークラスの座席ぐらいの差がある。
 隣に知り合った日本人が座っていることもあって 気が楽である。
 見知らぬタイ人が隣に座っていると どこか居心地が悪く 少しばかり緊張感もある。

 午後5時15分 ツーリストバスは バンコクと目指して予定通り出発した。
 出発して すぐに水とおやつのバターケーキが配られた。
 次の中継地はコンケンである。距離は約百キロばかりである。
 夕暮れの街道を バスはひたすらに走り抜けて行く。
 東北タイ イサンの大地の中を走って行く。
 この道も ベトナム戦争時代に造られた道路を整備したものだ。
 時速百キロの速さでも 大丈夫である。

 夕暮れの空には入道雲のような雲が湧き上がっている。
 このイサンの大地に生きる人たちは ラオス人と同じラーオ族であり、
 ラーンサーン王国の末裔たちである。
 たびたびの旱魃に襲われ、その上 塩分の多い土壌は イサンの大地に生きる
 農民たちに苦しい試練を与え続けてきた。
 タイから アラブなどの国々に行く出稼ぎの人たちの大半は イサン農民である。
 バンコクへの出稼ぎの人たちも 東北タイのイサンの人たちが大半だ。
 タイの国民的な文学 カムプーン・ブンタヴィーの書いた『東北タイの子』を読めば、
 イサン農民の苦しい生活が 見えてくる。

 バスは イサンの大地を走りぬけ、午後7時前には コンケンの町に到着した。
 23年前にコンケンに初めてやってきたときに泊まったローマホテルは 今も健在
 だったし、冷房つきツーリストバスのターミナル近くにあるケンインホテルは 
 手織り布の仕入れの際にはよく泊まった。
 その後この町に 6年以上 住むことになるとは思いもよらなかった。
 自転車にのって 暑いコンケンの町をよく走り回ったことが 昨日のことのように
 思い出されてくる。
 このコンケンでの6年に渡る生活が 最もタイとの深い関わりを持った時期かも
 しれない。
 喜怒哀楽に満ちたコンケンでの生活だった。

 バスはこのコンケンでガソリンの給油をしている。
 その短い時間、バスを出て、コンケンの空気を吸う。
 青の6年間の濃厚な生活から 早 12年の年月が流れてしまった。
 その6年間の出来事が 短い時間の中で 走馬灯のように流れて行く。
 いつか、コンケンでの生活を書きたいと思っているが、未だに心の整理がつかない。

 バスは20分ばかりの停車の後、次の中継地 コラートに向かう。
 コラートまでの距離は約2百キロである。
 コラートまでの道も整備された立派な道だ。
 もう街道の両脇は すっかり暗闇の中である。
 バスのテレビでは 東北タイ出身のお笑い芸人たちのショーが流れている。
 コンケンの町で運び込んだ軽い夕食とペットボトル そして おやつが配られる。
 これらのものを食べ終わると、バスの中ではすることは何もない。
 バスの外は 暗闇の中、時折、途中の小さな町が その灯りと共に浮かび上がって
 来るだけだ。

 2時間半ばかり バスは 走り続け、東北タイの玄関口 コラートのバスターミナルに
 到着した。
 このターミナルでは 東北タイ コンケン ウドンタニ ノンカイ行きの路線と
 チェンマイに向かう北タイ行きの路線がある。
 又、カンボジアに近いブリラム、スーリン、南ラオスに近いウボンラチャッタニに
 向かうバス路線もある。

 このコラートから 120キロばかりバンコクよりにあるパッチョンには2年ばかり
 住んだことがあるから、このコラートのバスターミナルを経由して、東北タイに
 向かうことも多かった。
 もう20年近く前の話である。
 バスを降りて、タバコを一服、昔 コンケンに住んでいるときは バンコクへ行く際
 喫煙室付きの最速のツーリストバス ナコンチャイエアーのバスを利用していたが、
 タイのタバコ規制が厳しくなり、喫煙室付きのバスはなくなってしまった。

 バスはターミナルに10分休憩すると 午後10時 再び、バンコクを目指して
 走り出した。
 バンコクまでの距離は 約250キロである。
 残り 3時間半 暗闇の中を バスは走り抜けるだけだ。
 バスの中の乗客は眠りの中に入ったが、携帯電話の呼び出し音が時折、
 けたたましく鳴り響く。
 タイでは まだ携帯電話に対する規制もエチケットもない。
 便利さもいいが 周りの迷惑を考えること出来ない便利さは不要である。

 うとうとしているうちに バスは 新モチットのバスターミナルに着いた。
 午前1時半である。
 先に下りた日本人の若者に挨拶をしようと思って、バスの外に出ると、
 どこに消えたのか若者の姿はなかった。



++ブログランキングへの協力をお願いします。++

  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ


スポンサーサイト
ビエンチャンへの旅 | 09:43:04 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク ビエンチャンへの旅 PARTⅡ‐14 帰路02
 8月26日 午後4時

 バスが バンコクに向けて出発するまでには 1時間 ちょっとの時間がある。
 連れの若者が 腹が空いたのでロビンソンデパートで食事をしたいというので
 付き合うことにした。
 私は ビエンチャンの大使館前の一杯飯屋で 昼飯は食べていて、腹は空いて
 いなかったし、バスの中で軽い食事が出るとわかっていたから、冷たい飲み物でも
 飲もうと思って ロビンソンデパートまで一緒に歩いていった。

 このウドンタニにも何度か来たことがある。
 ウドンタニの次に停車する町 コンケンに住んでいたときに 藍絣布を仕入れるために
 よく来た町である。
 このウドンタニの近辺には 藍絣布を織る村がたくさんある。
 そのために ウドンタニには 藍絣布がたくさん集まっていたのである。
 ベトナム戦争時代には この町には たくさんのアメリカ兵が駐留し、
 ここから ベトナムに向かって 多くのアメリカ兵が飛び立って行ったのだ。

 23年前に初めてこの町にやってきたときは 全くの田舎町をいった様子で
 何もなかった町だった。
 バスターミナル近くの扇風機付きの宿に泊まり、暑い夜を過ごした。
 その後 何度か来ているが 布の仕入れには 13,4年前に来ただけで、その後は
 ビエンチャンの帰りに このバスターミナルにやってくるだけになってしまった。

 昔は 若者が食事をしたいと言ったロビンソンデパートなどのような洒落た場所は
 どこにもなかった。
 若者と一緒にロビンソンデパートの中に入り、若者が目指した店は ケンタッキー・
 フライドチキンの店だった。
 ちょうど学校の下校時間にあたり、中学生たちが デパートの中をうろうろしていたし、
 ケンタッキー・フライドチキンの店にも 多くの若者があふれていた。
 日本は 年々 国民の年収が減り、生活が苦しくなっているのに、タイの田舎町である
 このウドンタニの生活水準は上がっている。
 日本企業は アジアの国々を豊かにしているが、肝心の日本人の生活は貧しくすると
 いうおかしなことをしている。
 彼らには国を愛する気持ちもなければ、国民を豊かにしようという姿勢もないのだろうか。

 ビエンチャンにはケンタッキーもマグドナルドもない。
 ビエンチャンを離れ、タイの国境を超えて やって来た町で食べる食べ物が 
 ケンタッキーのハンバーガーというのは 今風の若者の習慣なのだろう。

 ビエンチャンのタイ大使館で会ったこの若者 いわゆるフリーターのようで 
 タイ バンコクと日本を往復しているようだ。
 日本では実家に住んでいるという。
 若年寄の雰囲気で 歳は 30前なのか、30過ぎなのかはよくわからない。
 昨年 バンコクで殺害された棚橋氏のことやカオサンの名物男 ふくちゃん
 (日本のテレビ局で バンコクで生活するホームレスという番組で取材された
 30代の日本人)などのことについても詳しいから、そうしたバンコク長期滞在組の
 グループの一人なのかもしれない。

 あまり自分のほうから話すことも少なく、訊かれたら応えるといった様子で
 若者の持っているはずの覇気や好奇心の強さ、前向きな姿勢は感じられない。
 だから、一緒にいても気にならないし、空気のような存在なのである。
 実家にいれば 親たちからいろいろ言われるから、バンコクに逃げ出し、
 お金が尽きると働くといった生活なのだろうか。
 バンコクに4千5百バーツでアパートを借りて生活するようになって、
 4,5年になると言うが 酒も飲まず、タバコも吸わず、そんなに遊んでいるようにも
 見えず、バンコクの同じような日本人の若者と付き合うだけで、タイの文化や人にも
 興味を持たず、何が楽しいのだろうと思えてくるが、ある意味でこうした若者が 
 今の日本では増え続けているのだろう。

 人生の目標も希望も失ってしまった若者、その安易な逃げ場所になってしまった
 バンコク、この20年の日本の社会の目指したもの、家族制度、教育の結果が
 生み出してきた一つの姿だろう。
 タイに長期滞在する若者もいれば、ニートになって部屋に閉じこもって 
 インターネット相手に日長一日 毎日を過ごす若者もいる。
 あるいは 世界旅行と称して、日本を飛び出す若者もいる。
 世界を見ようと思っても 自分の狭い視点でしか見ることが出来ないから、
 何も見えてこない。
 日本人旅行者の溜り場から溜り場へと 場所を移動し、日本食を食べ、
 ハンバーガーを食べ、ほっとし、暇つぶしに ネットカフェに屯していることも多い。
 同じタイプの集まる沈没場所は 彼らの安住の場所なのである。
 お金がなくなれば、再び日本で半年、1年働き、節制してお金をため、3ヶ月、
 4ヶ月の旅に出る。
 そうした生活も この不況でだんだん難しくなっており、物価の安いカトマンズでも
 こうした若者の数は減ってきているようだ。 
 ビエンチャンのタイ大使館でも 前回は10人以上の日本人がビザの更新に
 来ていたが 今回 出会ったのは 3人だけだった。

 バンコクでの生活が長くなればなるほど、確実に生活の目標を失い、世の中に対する
 関心や批評、批判の精神は失われ、その先には 確実に 地獄が待っている。
 人のことは言えず、私だって 同じである。


++ブログランキングへの協力をお願いします。++

  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ


ビエンチャンへの旅 | 19:37:20 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク ビエンチャンへの旅 PARTⅡ‐14 帰路01
バンコク ビエンチャンへの旅 PARTⅡ‐14 帰路01

 8月26日 午後2時

 橋の袂にあるラオス側国境で 出国手続きを済ませ、メコン川を越えたタイ側の
 国境へ シャッフルバスに乗って向かう。
 ラオスに入国したときもそうだったが、以前は10バーツだったが、
 今は20バーツになっている。
 タイ側の入国手続きも素早く済ませ、タイ側のノンカイの入り口に立つと 
 ウドンタニへ行くというハイエースの運転手たちが 声をかけてくる。
 ノンカイ-ウドンタニは距離にして 60キロばかりである。
 全くの暴利である。時間にすれば、1時間もかからないはずである。

 ノンカイの駅に行って 再び夜行列車で帰るという方法もあった。
 ノンカイ 午後6時30分発のバンコク行きの寝台列車である。
 久し振りにノンカイの町を歩き回っても面白いと思ったが、連れの若者が
 ウドンタニから チャンツアーのツーリストバスで帰るというので 旅は道連れと
 いうことで ウドンタニ行きが出ているバスターミナルへと 乗り合いトゥクトゥクで
 一人40バーツを払って向かった。
 すぐ近くかと思っていたら 意外と遠かった。
 ノンカイの町をじっくり眺めるのは 12,3年振りである。
 
 23年前に初めてノンカイの町を訪れたときには メコン川をはさんだラオス国境の
 辺境の町といった感じで ラオス人やタイ人たちがメコン川を行き交うための船着場と
 税関があるというのが国境の町を感じさせ、メコン川沿いには 多くの土産物屋が
 並んでいた。
 その土産物屋では ラオスやビルマ、ベトナム辺りの商品や民芸品が売られていた。
 この初めてのノンカイ訪問の際、ノンカイの村で農業指導をしている海外青年協力隊の
 隊員に会い、ノンカイ郊外の村を案内してもらった。
 ちょうど 結婚式の祝いの最中で ラーオ・カオと呼ばれる焼酎や生の牛肉料理も
 ご馳走になった。
 村では まだ電気は来ておらず、アラブ諸国への出稼ぎでお金を得た家では 
 テレビを見るのに バッテリーを使っているという話だった。

 その後 何度かこのノンカイの町を訪れたが、この町が変わり始めたのは 
 タイ・ラオス友好橋が出来てからだった。
 久し振りに ノンカイの町を眺めてみるのもいいと思ったが、今回は諦めた。

 ノンカイのバスターミナルに着くと ウドン行きのバスへの誘いがかかる。
 冷房バスで 35バーツである。
 すぐに出発するだろうと、チケットを買い、バスに乗り込んだはいいが、
 出発は30分後だった。
 隣に停車していた『407』として有名なバンコク行きのバスは 早々と出発して
 しまった。
 これに乗れば、ウドンタニ到着も早かった。

 バスは出発し、1時間ばかりで ウドンタニのバスターミナルに着いたが 
 このバスターミナルは ウドン郊外のバスターミナルで 我々が乗ろうとする
 チャーン・ツアーのバスの出発する町中のターミナルとは別物だった。
 大急ぎで 一人40バーツを払って、トゥクトゥクで街中のバスターミナルに向かった。
 バスターミナルに着いたのは 4時過ぎ、チャーン・ツアーのバンコク行きの出発
 時間は5時15分、1時間以上の待ち時間がある。
 バンコクまでのバス料金は 412バーツだった。



++ブログランキングへの協力をお願いします。++

  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ


ビエンチャンへの旅 | 19:56:59 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク ビエンチャンへの旅 PARTⅡ‐13 タイ大使館にて
 8月26日 午後12時半

 ビザの受け取りの時間は 午後1時であるが 12時半にはタイ大使館に着いてしまう。
 着いた途端に 大使館前に停車しているトゥクトゥクやトヨタハイエースの運転手から
 国境のタイ・ラオス友好橋までの勧誘が始まる。
 始めは 2百バーツと言っていたハイエースの運転手が 百バーツでもいいと言うので
 一応OKする。
 人柄はそんなに悪くない。

 大使館の前にある一杯飯屋で 運転手たちが昼ごはんを食べている。
 見ていると美味しそうである。
 美味しいかと訊くと 美味しいと応える。
 いくらかと訊くと8千キップと教えてくれる。
 タイバーツで32バーツ、日本円で約90円、バンコク並みの物価だ。
 お前も食べるかと訊くので 食べると言うと 奥にいる女主人に注文してくれる。
 味付けはあっさりした中国風でなかなか美味しい。
 ご飯もタイのぶっ掛けご飯のご飯と違って、粘りがあって美味しい。
 ラオス人は ご飯の炊き方を知っていると思い、驚いてしまった。
 量も それなりにはある。
 ラオスの人は タイ人と違って、3食をきちんと食べるようだ。
 女主人に値段を訊くと 1万キップと言いたかったらしいが、一緒に食べた
 運転手たちが 「8千キップと言ってしまったよ。」と言うので その値段になって
 しまった。
 ここでも地元プライスとツーリストプライスがあるようだ。

 ラオス人の運転手たちとわいわい騒ぎながら 昼飯を終えると、日本人らしい若者が
 店にやって来て コーラを注文している。
 1時近くなったので 大使館へ移動する際、声をかけてみたら、やはり日本人だった。
 「国境の橋まで 百バーツで ラオス人運転のハイエースで行くが あなたもどうか。」
 と誘うと、車を見て納得し、一緒に行くことになった。
 大使館の門の前に 並んで 門が開くのを一緒に待つ。
 昨日 ビザの申請に来ていた70過ぎの老人もいた。
 持っているバックの中を しきりに何かを探していたが、パスポート受け取りのための
 番号札を忘れてしまったようだ。

 ラオス人たちが ビザの受け取りにやって来て、きちんと並んでいないので 
 しきりに 文句を言っている。
 郷に入っては郷に従えということが どうもわからないようだ。
 彼にとっては 日本も住みにくいだろう。
 カトマンズでも 昔はこんな日本人の老人を良く見かけた。
 日本人に会うたびに ネパール人の悪口を言っていた。
 そんなにネパールが嫌いなら 日本に帰ればいいのにと思うが、日本では相手に
 されない人間でも 新しくやってくる旅行者は 老人のことを何も知らないから、
 相手になってくれるのである。
 タイ バンコクのジュライホテルにやってきては 新米の日本人旅行者相手に
 タイ人の悪口を 壮絶な勢いで話していた老人がいた。
 年金で生活している老人だった。
 ビザ取得のためにタイ女性と結婚したが そのことから様々の面倒が
 始まっていたらしい。
 そう憂さを 日本人相手に タイ人の悪口を言うことではらしていた。
 20年前のことである。

 1時になっても門は開かず、門が開いたのは 1時10分だった。
 門を抜け、本館前で順番票を貰い、本館の中に入って行く。
 本館のカウンターの上には電光掲示板、5分も経たない順番がやって来て、
 パスポートを受け取り、ダブルエントリーのビザかどうかを確かめると、
 確かにダブルエントリーのビザだった。

 大使館の外で待っているハイエースに 日本人の若者と乗り込む。
 まだ新車に近い状態で 冷房もよく効いている。
 客は 私とこの若者の二人だけだった。
 それで一人百バーツとは 安い。

 ビエンチャンの町から 国境の橋に向かって 車は走る。
 20分もしないうちに 車は ラオス国境の橋の袂に着いた。



++ブログランキングへの協力をお願いします。++

  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ


ビエンチャンへの旅 | 15:58:19 | Trackback(0) | Comments(0)
バンコク ビエンチャンへの旅 PARTⅡ‐12 地方行きバスターミナル
バンコク ビエンチャンへの旅 PARTⅡ‐12 地方行きバスターミナル 1

バンコク ビエンチャンへの旅 PARTⅡ‐12 地方行きバスターミナル 2

バンコク ビエンチャンへの旅 PARTⅡ‐12 地方行きバスターミナル 3

バンコク ビエンチャンへの旅 PARTⅡ‐12 地方行きバスターミナル 4

バンコク ビエンチャンへの旅 PARTⅡ‐12 地方行きバスターミナル 5

バンコク ビエンチャンへの旅 PARTⅡ‐12 地方行きバスターミナル 6

 8月26日 正午

 タラード・サオの道の向こうには ビエンチャンから地方都市へと向かうバス
 ターミナルがある。
 前回のビエンチャン訪問のときは タイ国境へ向かうために 車をチャーターする
 ために立ち寄っただけで、しっかりと見ていなかった。
 今日は じっくりと バスターミナルを見ることにした。

 バンコクにある新モチット地方行きバスターミナルとは 比べようもない小規模な
 バスステーションだし、タイの地方都市にあるようなバスターミナルと似たもので
 ある。
 ネパールのカトマンズの地方行きのバスターミナルにも似ている。
 カトマンズの方が バスの発着の頻度は多いくらいである。
 バス乗り場には ちょうど ウドンタニ行きの国際バスが停車し、客を乗せている
 最中で バスターミナルの中のバスの中では 1番豪華なバスのように見える。
 ウドンタニ行きの国際バスのチケットを購入するには パスポートが必要である。

 地元のバスは 使い古したおんぼろバスで あんなバスで 何百キロも遠くまで
 行くのかと思うと 気が重くなるほどだ。
 南ラオスのパクセまでは7百キロ以上、ルアンパバーンまでは 420キロ、
 一体何時間のバスの旅になるのだろう。
 そんなことが気になるほど 軟弱になってしまっている。

 30代、40代の頃は よくバスと使って長旅をしたものである。
 ネパールのカトマンズからインド国境へバスで行くなら、10時間は当たり前
 だったし、東ネパールのインド国境の町までは 最低15時間のバスの旅だった。
 貧乏旅行とはそんなものだと思っていたので気にならなかったし、それを受け
 入れるだけの体力もあった。
 ツーリストバスというのは名ばかりで リクライニングシートもいい加減で
 快適とは程遠いインド製の古いバスだった。
 タイで初めて東北タイを旅したときも ローカルバスを乗り継ぎながら、コラート、
 コンケン、ウドンタニ、ノンカイまで旅をした。
 それでも疲れ果てたという記憶がないのは それだけ体力があったし、
 見知らぬ土地に向かうという期待と好奇心が 大きかったのだろう。

 今はもう駄目である。
 おんぼろバスと走行距離の長さを見てしまうと 逃げ出したくなってしまう。
 ルアンパバーンまで420キロ、10時間近いバスの旅になるのだろうか、
 道は舗装されているのだろうか、そんなことばかりが気になって、
 期待も好奇心もどこかに行ってしまっている。
 未知なるものに対する憧れが いつのまにか失われている。

 バスターミナルにある木製のベンチに座り込み、これから旅に向かうラオスの
 人々を眺めているだけが精一杯である。
 気持ちのよい風の吹きぬけるベンチに30分ばかり座り込み、軟弱になってしまった
 自分を情けなく思うばかりである。
 20年ばかり若ければ、自分だってという思いばかりが湧いてくる。

 そろそろタイ大使館へビザを貰いに行かなくてはならない。
 町のトゥクトゥクとの交渉だ。
 少し高いと思ったが 60バーツで交渉成立である。
 大使館の場所がわかっていれば、歩いてでもいいのだが、
 新しい場所に移転してしまったので 場所がよくわからない。



++ブログランキングへの協力をお願いします。++

  ** 忘れないで **
       ↓
日本ブログ村ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
   ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングに参加しています。
**面白いと思ったらクリック**
  人気ブログランキングへ


ビエンチャンへの旅 | 17:07:52 | Trackback(0) | Comments(0)
次のページ

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。