投稿日:2008-07-21 Mon



ブータン 女性用民族衣装 キラ ノシェム
20世紀中期に織られたもの
ブータンのキラの中には、生糸、天然シルク糸を使って文様を織り込むだけでなく、
毛糸を使って文様を織り込んでいるものも、よく見かける。
1970年以降はアクリルが用いられているが、それ以前のものは、
羊毛が用いられている。
自前で生産できる手紡ぎの天然シルク糸に比べれば、
輸入に頼らざるを得ない工業生産の羊毛糸は、高価なものだったかもしれない。
冬場はかなり冷え込むブータンでは、羊毛を織り込むことは、防寒も役割を
果たしていたのだろうか。
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投稿日:2008-07-21 Mon
以前、バソンタプールの旧王宮広場の中にある第8代のサハ家の国王の血筋にあたるネパール人と親しくしていたことがあって、よくその家を訪問した。
4階建ての古い建物で、1階、2階は 店舗として貸し、3階にはその知り合いが、
4階部分には 彼の弟家族が住んでいた。
その弟も何年か前に亡くなり、親しくしていたネパール人も住んでいた場所を貸間にし、
別の場所に引っ越してしまい、会う機会はなくなってしまった。
いつ頃までかは知らないが、彼が住んでいたあたりは、
すべて彼の一族の土地であったらしいが、 切り売りするうちに、
知り合った頃には 彼が住んでいた建物だけが、彼らの残された土地になっていた。
彼の父親はサハ、母親はラナ、父親の時代は、サハとラナが結婚するのが
当たり前のことのようであったが、知り合いの彼は、サハ同士で結婚していた。
あるとき、彼が 地方のツルスリに用があるので一緒に遊びに行かないかと
誘われたことが
ある。もう24,5年前の話だ。
話を聞くと、ツルスリ近辺に 何千ロプニ(1ロプニは約160坪)かの農地があり、
その小作料が滞っているから、ツルスリの役所に苦情を申し立てに行くとの事だった。
私もツルスリには、行ったことがなかったので、良い機会だと思い、同行することに
したのだ。
第8代目の王の血筋に当たる人間が、これだけの土地を持っているとするなら、
もっと近い血筋の人間なら、もっと多くの土地を持っていても不思議ではない。
サハ家でこのくらいなら、104年の独裁制をしいたラナ家であれば、もっと莫大な
地所を持っていたとしても不思議ではない。
先住民族であるグルン族、マガール族、タマン族などを支配下に置くことで、
彼らの持つ土地を奪っていったことは考えられることだ。
専制君主制とは、そういうものだからである。
ラナ家の時代になると、西ネパールのグルン、マガール、
東ネパールのライ・リンブー族にとっては、苦難の時代になるのである。
イギリスの要請によって、グルカ兵をイギリス軍の傭兵として、供給することで、
ラナ家は、その見返りに莫大なお金を手にすることになる。
グルン、マガール、ライ・リンブー族の村が貧しければ貧しいほど、
村の若者を グルカ兵として訓練し、イギリス軍に送り込むことは容易だっただろう。
安定した暮らしが出来るなら、イギリス軍の戦いの前線に立ち、命の危険にさらされる
グルカ兵などを望むものはいない。
貧しさゆえの選択である。
イギリスからの莫大なお金を得ながら、ラナ家はそのお金で贅沢の限りを尽くす。
カトマンズのラナ家の宮殿群が、山岳民族の命と引き換えに得たお金で建てられたものだ。
莫大な富を得ても、その富は彼らの村へと還元されることはなかった。
村が貧しければ、貧しいほど、グルカ兵の志願者は減ることはない。
インドとの戦闘、第1次世界大戦、第2次世界大戦、インド独立戦争とどれだけの
グルカ兵が 世界の各地で、命を失っていったのだろう。
一時期、グルカ兵の死者の数が多すぎて、イギリス軍へのグルカ兵の供給に支障をきたし、
ラナ家も困ってしまうということもあったようだ。
どれだけのグルカ兵の戦死者があったのか、正確に調べて見る必要もあるだろう。
給料は正規のイギリス兵の何十分の一、戦死の保障も同様だ。
戦闘の一番危険な前線での任務に就きながら、この有様だったのである。
やっとここ数年で、イギリスでの裁判の結果、イギリス軍の正規の兵に近い給料と
戦死の際の保証金になったようだ。
山岳地方の貧しさを温存し、グルカ兵をイギリスの傭兵として、身売りをし続けてきた
ラナ家、サハ家によるチェットリ族による支配体制、これに対する反逆が、グルカ兵を
多く出したグルン、マガール、ライ・リンブーの中から生まれてきている。
マオイストの戦士として。
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投稿日:2008-07-20 Sun








昨日とは打って変わって、上天気のバンコクだ。
日が照り付けると気温はどんどん上がっていく。
それでも昼を過ぎてくると、雲が広がり、うす曇になり、外を出歩くのも
気にならなくなる。
昼前、朝食と昼食を兼ねて、カセムサン通りの屋台に出かけていく。
この通り、夜は 全く屋台は姿を消してしまうが、昼時は、屋台が出て、近くの会社に
勤めるタイ人たちでいつも賑わっている。
今日はおかずを何品か買うつもりで出かけてきたが、今日はいつもの屋台の
ラーメン屋さんが 店を開けているので、いつものようにバーミー・ヘン
(汁なしラーメン)を注文する。
麺玉一つでは 足りないので いつも 二つ入れてもらうことにしている。
麺玉二つ入れてもらって30バーツ、約百円だ。
この店のラーメン取り立てて美味しいというわけではないが、余計な味付けをしていないから、
ナム・プラー、酢、砂糖を加えて 自分好みの味付けに出来るのがいい。
店によっては、スープなどがやたら甘くて困ることもある。
タイの場合、麺類は屋台によって、具が異なる。豚肉、鶏肉、牛肉、練り物、鴨肉と
いろいろだ。
この店は、豚肉と練り物を具に使っている。
ラーメン、麺類といえば、やはり中華街のヤワラートが1番であるが、
ラーメン1杯のために わざわざバスに乗って出かけていく気力はない。
このラーメン屋、すぐ隣の屋台のおかず屋さん、ぶっ掛けご飯屋のもので、
麺類を任されているのは 雇われている人で、2代目である。
1代目はいつの間にかいなくなってしまった。
このラーメン屋、ぶっ掛けご飯屋は家族経営の屋台で、70歳近い母親とその娘、
息子たち、娘のだんなたちが中心になって 商いをしている。
朝の3時、4時から支度をしているらしいが、私は見たことはない。
タイ人には珍しいくらい働き者の一家だ。
彼らは中国系ではなく、純粋なタイ人である。
70歳近いお母さんがよほどしっかりしているのだろう。
私がこの場所に越してきて、10年ばかりになるが、そのときからの付き合いだ。
「長い間見かけなかったけれど、どこに行っていたんだ」と 声はかけてくれる。
久しぶりに彼らのラーメンを食べ、部屋に戻って行く途中に、いつもの果物売りがいる。
カンボジア国境の町、象祭りで有名なスーリンから出稼ぎに来ている若い女性が
荷車を引いて商いをしている。
彼女も このカセムサン通りの物売りの常連だ。
タイはいよいよ、果物のあふれる季節に入った。今 彼女が扱っている果物は、
マンクッド(マンゴスチン)、トゥーリアン(ドリアン)、ロントン、
ネパールで売られているライチーの話をすると、明日は仕入れてくると言う。
ネパールで売られているインドからのライチーは小粒で 如何にも酸っぱそうで
ライチーはバンコクでと決め、カトマンズで買うのは我慢していた。
今日は、この果物売りから、マンゴスチンを買うことにした。
1キロ25バーツ(日本円で75円) 2キロ買うことにした。
2キロといっても マンゴスチンの場合、中身は少しで、外の皮ばかりが厚く、
2キロ買っても、白い果実は500gくらいのものだろう。
この頃、タイでは、果物だけは値下がり傾向にある。
つい先日も、ランブータン(ゴ)の値段が安すぎて、農家が価格調整と抗議のために
自動車道路にランブータンをばら撒いているという話をニュースで聞いた。
4,5年前と比べても、果物の価格は下がっており、農家の家計に打撃を与えている
ことは確かだ。
果物好きの私にとっては、安いのに越したことはないけれど、米、油、野菜、麺の
値上がりを 眼の前にすると、農家、農民の生活が大変になっていることもわかる。
どこの国でも、苦しむのは農民ばかりである。
だから、若者はどんどん、田舎を離れていく。
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投稿日:2008-07-20 Sun






ブータンの女性用民族衣装 キラ クシュタラ
1970年以降に織られたもの
白い地にはインドの木綿の工業糸、
文様の織りこみには 天然シルクの紡ぎ糸が使われ、
染めには化学染料が使われている。
ブータンのキラのデザインも時代時代の流行があるようだ。
一人の織り子が一年で織るキラの数は、1枚か2枚ぐらいであるから、
注文する人は、好みのデザインを織ってくれるように頼むのだろう。
すべてのブータン女性が 1年近くかけて織られたキラを着るわけでもないだろう。
こんなところにも貧富の差は現れると思うが、どうだろう。
かなりの人が、クシュタラやノシェムを身につけるようになったのは、
やはり、1980年以降だと思うが、その辺の変化について
知りたいと思う。
そのためにはブータンに行くより方法はないだろう。
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投稿日:2008-07-20 Sun



ブータンの女性用民族衣装 キラ クシュタラ
1970年以降に織られたもの
インドから化学染料、木綿の工業糸が、輸入されるようになり、
それが、ブータンの織りの技法や、キラのデザインに大きな影響を
与えるようになったことは、時代ごとに、キラを見てもよくわかる。
ブータンの女性の晴れ着であるから、華やかなものが好まれていったのだろう。
それは、日本の着物においても同じだ。
若い女性には、それに見合う色彩やデザインも必要なのだろう。
一枚を織り上げるのに1年近くの時間を要するこのようなキラ クシュタラを
ブータン女性は、何枚くらい持っているのだろう。
織りも精緻なものになっていったが、時代を経ても味わいが出てこないというのが
化学染料を使った染めの欠点だ。
布に色がなじんでいくということがないようだ。
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