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ひかるの

Author:ひかるの
25年間、ネパール、インド、タイと 
うろうろ歩き回っています。
アジアの工芸、人々の生活を 眼で、
身体で確かめ、伝えていきます。

** 格安にて カトマンズ案内致します **

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東京 久しぶりです!
ブログを更新することなく、随分になりました。
ブログですが、別のブログで更新しています。

カトマンズ・バンコク慕情~アジアの旅の徒然に
http://blogs.yahoo.co.jp/hikaruno_season

体力的に二つのブログを更新することが難しくなり、当ブログはしばらく
お休みとさせて頂きます。

上記の『カトマンズ・バンコク慕情~アジアの旅の徒然』にご訪問頂けると
嬉しく存じます。

ご連絡 方々 ファンの皆様へ




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徒然なるままに | 02:04:21 | Trackback(1) | Comments(3)
東京 肺がん治療2日目
 昨日の抗がん剤投与の治療は 時間的にも長く とてもきつかった。
 朝11時半から夜9時まで休みなしの点滴治療だった。
 点滴の器具を引いてのトイレ通いもなかなかの重労働だった。

 今日は 昨日投与した抗がん剤の副作用の強いシスプラチンを早く身体の外に
 出すために、輸液と呼ばれる普通の点滴を4本(1本につき2時間)とステロイド液
 150mlを 9時間近くかけて点滴する。

 昨日の抗がん剤の副作用も出てきている。
 まずは 止まらないしゃっくり、食欲不振、体力減退、これが主な症状である。

 この症状が何日か続くようだ。
 私と同じ抗がん剤を使った70代の女性にも同じ副作用が出ていて この女性と
 話をして、笑いあってしまった。

 2週間も居れば、肺がんに罹ったもの同士の話がいつの間にか 狭い病棟内で伝わるように
 なり、声を掛け合うようになる。
 私の隣のベッドの住人も肺がん患者である。

 ところが デールームと呼ばれている公共ルームは 老人ホームと化し 常連の女性高齢者の
 食事ルームになっている。
 ちょっと近寄りがたい雰囲気である。
 概して わがままな女性たちで 看護士たちの仕事も大変である。
 一人の70代以上の女性など 何かにつけて文句ばかりつけていて、看護し泣かせであるが、
 そのとばちっりが 私のほうまで回ってくる。

 寂しさという鬼が住み着いてしまうと、人間は魔物になってしまう。



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徒然なるままに | 11:30:06 | Trackback(1) | Comments(0)
東京 今日は抗がん剤投与の初日
東京 今日は抗がん剤投与の初日 1

東京 今日は抗がん剤投与の初日 2

東京 今日は抗がん剤投与の初日 3

 毎日 午前3時過ぎになると 自然に目が覚める。
 寝付くことが出来ないので、ブログ記事を書き始める。
 病院の外は闇の中である。
 部屋の外の病院の廊下をのぞいても 人の姿はなく、時折 看護師の姿を
 見かけるだけだ。
 午前4時になると デールーム(公共待合室)でインターネットが使えるので
 そこへ移るのが 日課のようになっている。
  
 今日も血液の採決が午前中にある。
 その後、午前11時から 抗がん剤投与が始まる。
 効果があれば、背中の右端上のこぶが小さくなれば、寝やすくなる。
 また、溜まった胸水が減れば、呼吸も楽になるはずである。
 右わき腹からみぞおち間での痛みが減れば、寝やすくなる。
 
 昨日は 8時間だったが 今日はそれ以上の長さになりそうである。
 シスプラチンとアリムタという抗がん剤、それに副作用を抑える薬、
 尿量を増やすための輸液の点滴と かなりの量の点滴になりそうだ。


 今日は朝から 久しぶりの曇り空だ。
 雨でも降るのだろうか。
 入院のときもそうだった。

 朝8時半に 1階の血液採血センターに行き、血液のチェックをする。
 抗がん剤投与は 午前11時からの予定だったが、30分遅れで始まる。
 最初は 普通の点滴だが、二袋を同時に行う。
 点滴に二つのラインがあり、ひとつのラインは 薬、特に副作用の強い抗がん剤
 シスプラチンを早く水で押し流すための点滴、もう一つのラインは 抗がん剤中心の
 ラインで、抗がん剤アリムタ、シスプラチン、副作用を避けるための制嘔吐剤、
 利尿剤などを投与するものである。

 午後11時半に始まった点滴が終わったのは 午後9時だった。
 これが休みなしに行われたのである。
 その間 点滴の器具を引っ張ってトイレに通うのは一苦労だった。
 20回近く トイレに行っただろうか。
 まるでカタツムリのようなものである。
 トイレに行くために動かくことがなかったら、まるで樹木になったような気がしただろう。
 自由に動けないということは 全く苦痛なことである。

 気に意思があるとしたら、やはり 大きな不満を持つだろうな。
 自由で行動できることは 大きな喜びである。
 私のように 自分の身体を使って、世界のことを知るタイプの人間にとっては
 身体が自由に動けないことは 大きな苦痛である。
 自分の身体や行動が 世界を知るための大きな重要は道具なのである。

 今も癌とは何か知るというためには 自分の身体が 被験者になっているが、
 こうした体験は やはり苦痛を伴い、快いものではない。

 それでも 形綴ることで 誰かの役に立つかもしれないと思うと 頑張る気持ちも
 湧いてくる。

 人間いつか死ぬのだから、こうした試練を伝えていけば、誰かに勇気の一つでも
 伝えることが出来るかもしれない。

 58歳になる今ままで 自分の納得のいくように好き勝手に生きてきたのだから、
 残る人生は 少しは 皆と「生きる意味」を語り合ってもいいのかもしれない。
 そこから 何かが生まれてくるかもしれないではないか。
 そんな気持ちにもなっている。


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徒然なるままに | 18:47:37 | Trackback(1) | Comments(0)
東京 冬晴れの中で
 東京厚生年金病院に入院して 2週間の日々が流れた。
 暖かい常夏のような陽気の病院の中から、病院の外を眺めると
 戸外には春がやってきているのではないかと 錯覚すら生まれてくる。
 
 病院のすぐそばの小学校の狭い校庭では 子供たちが遊んでいる。
 病院の外は 小春日和なのだろうか。


 この2週間で 一通りの検査も終了し、今週から 本格的な治療の段階に入る。
 アリムタ(Alimuta)という抗がん剤とシスプラチンという抗がん剤を併用して
 投与するということであるが 抗がん剤イレッサの効かない腺癌には もっとも
 有効な方法ということだ。
 しかし、シスプラチンという白金剤は 強い副作用を持つ薬で、注意深く使用する
 必要がある。
 腎障害や吐き気などの副作用も起こりうるといわれているが、誰でもというわけではない。

 明日は輸液を使って 試験的に点滴をし、患者の様子を見るだけだが、それでも
 10時間以上の点滴になる。

 こんなに何本も点滴を打つのは、20代のときの急性肺炎のときと、30代後半の
 時に細菌感染から足首が膨らみ、激痛に駆られたとき以来である。
 このときは バンコクの地方都市 パックチョンという町の市立病院で
 1週間ばかり、治療を受けた。
 点滴は別にして、傷口の外科処理は ずいぶん原始的な方法が取られた。

 点滴中はトイレに必ず行きたくなるので その処理が大変である。
 今は 昔と違って ガラス瓶がビニールパックに変わっているので
 安心して 動き回ることは出来るようになっている。

 明日は試験的、明後日は本格的な抗がん剤の投与である。
 腎臓の負担を軽くするために、利尿剤などを使うこともあり、
 尿量をひたすら確保する必要があるようだ。

 そのために 輸液や生理食塩水などもどんどん点滴し、尿量をとにかく
 増やすようである。
 だから 1日10時間以上の点滴は 当然のことになる。
 午前中には 試験的点滴のための血液採決が必要だ。

 と書いているうちに 1月27日 抗がん剤投与前日、 試験的に輸液が
 点滴によって投与された。
 500mlの輸液が4袋、1袋につき 約2時間であるから、連続8時間の
 点滴だ。

 2時間の点滴につき、2,3回のトイレ、4袋分の8時間の点滴なら、
 トイレに行くだけで 10回以上ということになる。
 
 朝10時から始まった点滴は 夕方 6時40分まで続いた。

 明日 1月28日からは 本格的な抗がん剤投与である、
 少しでも 今の病状より回復することを 願うだけである。

 8時間ばかりの点滴のせいか、すっかり食欲がなくなってしまった。
 その上、夕方の7時を過ぎると 痛みも増し、鎮痛剤は 不可欠のものになってしまった。
 咳が 夕方過ぎると、ひどくなる。
 午後9時過ぎると 睡眠薬の世話になるようになった。
 治療と癌の進行との闘いになってきている。
 
 ブログをどこまで続けることが出来るのか 心配になっている。
 気力のみである。
 しかし、辛いけれど、ブログは 私の人生の大切な一つの一面になっていることも
 本当である。



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徒然なるままに | 16:19:05 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 病院生活の始まり‐04 七日目(1月18日)
東京 病院生活の始まり‐04 七日目(1月18日) 1

東京 病院生活の始まり‐04 七日目(1月18日) 2

東京 病院生活の始まり‐04 七日目(1月18日) 3

東京 病院生活の始まり‐04 七日目(1月18日) 4

 今日は なかなか大変な検査の日である。
 気管支内視鏡検査と呼ばれる検査で、胃カメラと同じ要領で、気管支からカメラを入れ、
 肺の中の様子を調べる検査だ。
 午前中は 地下一階の検査室で 胸部のレントゲン撮影、正午過ぎには 点滴、
 身体を弛緩させるための筋肉注射、そして 午後1時30分過ぎには 
 喉に麻酔剤を入れる。
 飲み込まぬように 扁桃腺あたりで粘々の麻酔剤を何分か留め置く。
 そのあと、今度は息を吸い込みながら、噴霧器からの麻酔薬も吸い込んでいく。

 それが終わると目隠しがされ、カメラ用のチューブが 気管支の中に入れられていくが
 感覚はすっかりなくなっている。
 肺に発生している癌組織も取り出すようだ。
 20分近くカメラのついたチューブは 肺の中を動き回っていたようだが、それを抜く
 最終段階でむせあげてしまった。

 カメラを備えたチューブが肺の中を動き回った負担は大きく、その後の15時間以上は
 息苦しく不快な感覚が残ってしまった。

 車椅子に乗せられ、部屋に帰ると ベッドの上で 寝込んでしまった。
 麻酔がまだぬけていなかったのである。

 近代医学、欧米の科学万能主義の医学には どうも 人間に対する優しさが
 かけているようだ。
 正確な認識も必要だが、それを得るための手段は 選ばないようだ。 

 インドのアユルヴェーダ、中国の漢方と何千年にも渡る東洋の知恵と西洋医学を
 融合させることによって、人に優しい医学、人間のための医療は生み出されては
 来ないのだろうか。

 人が生きるということは 身体の健康のみならず、
 心の健康も含まれているはずである。
 何故 人は生きるのかは 古今東西の問いかけであるが 今の時代ほど 
 そのことが蔑ろにされている時代は ないような気がする。

 身体だけが生き、心が死んでしまえば 生きている意味はどこにあるのだろうか。

 この病院で この病院の医療を実地体験しながら、自分の生を確かめている。
 人間らしく生きるとはどういうことか それを考えようとしている。

 7階病棟にいる患者たちの大半は 私よりも皆年上の人ばかりである。
 身体の病を治しながら、心の中は 寂しさで一杯の表情をしている。
 
 ネパールのカトマンズの老人たちは 生きるために過酷な状況の中に置かれていても、
 もっと明るい表情をしているし、生きることに積極的である。
 豊かさは 物質的な快適さを与えてくれるけれど、心の幸せは保証してくれないことが
 よくわかる。
 長生きに伴う心の豊かさが保障されなければ、
 長生きも地獄の有様に変わることにもなる。
 ここ3,40年 そのことを考えようとせず、
 平均寿命ばかりを自慢し続けた結果が 今の日本の老人問題である。

 久しぶりの真冬の日本滞在である。
 いつも寒くなると 逃げるように バンコクへと旅立つのは 例年のことだった。
 病院の窓から眺める冬空の姿も 久しぶりのことで 意外と美しいものだ。

 窓の内側の病院内の常夏のような室温、窓の外の冬の寒さ、これだけでも 
 何かおかしな感覚にさせられる。
 現実の世界に生きているという実感から 程遠いところにいる自分を感じてしまう。

 病院の目の前に 小さな小学校があるが、幼稚園か保育園が併設されているのか、
 幼い子供たちが 小さな狭い校庭の中を歩き回っている。
 彼らは やはり現実の寒い季節の中を生きている。

 今日は ほんの少し、隙間程度にあけた窓から 激しい木枯らしの音が
 鳴り響いているのがわかる。
 常夏のような病院のなかにいても 病院の外を出れば、
 厳しい現実が待ち構えていることがよくわかるのである。

 春夏秋冬の季節感のある日本の国は 美しいが 冬を持つ国の過酷さはある。
 昔の日本は この過酷な季節を みんなしてどう乗り超えていたのだろう。



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徒然なるままに | 04:23:31 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 病院生活の始まり‐03 四日目(1月15日)
東京 病院生活の始まり‐03 四日目(1月15日) 1

東京 病院生活の始まり‐03 四日目(1月15日) 2

東京 病院生活の始まり‐03 四日目(1月15日) 3

 胸水を抜いてからは 検査も中休みである。
 右半分の背中の痛みとわき腹からみぞおち近くまでの痛みは相変わらずのことで
 夜は鎮痛剤なしには眠ることは出来なくなっている。


 病院の食事も 初めのうちは 三食昼寝付で 嬉しかったのだが、味付けに変化がなく、
 だんだん飽きてくる。
 それでも 入院当初に比べると 体重は増えている。  
 病院に入院しているだけでも 心の安定度は違うものである。
 何かあっても 何らかの処置がしてもらえるという安心度は 食欲にも影響を与えるようだ。

人間 病院の生活にも慣れてくると、だんだん我がままにくるようである。
 三食昼寝付の気楽な生活であるが、粗食には慣れている私でも 病院の食事には不満を持ち始める。
 あまりに薄味の味付けには なかなか慣れていかないものだ。

 魚料理に鮭の切り身がよく出るが、薄味だと、鮭独特の臭みが出てきて、それが鼻を突いてくる。
 時々出てくる鯖料理のほうが 食べやすい。
 鮭は やはり 塩鮭が1番美味しい。

 果物は オレンジ、グレープフルーツ、パインナップル、キューイが繰り返し出てくる。
 たまにバナナや蜜柑もでる。
 果物好きの私にとっては たとえ僅かであっても 日に二度、三度と果物が出るのは嬉しい。

 病院の料理に工夫も感じられるが、料理の組み合わせに何か メリハリがないのである。
 互いの料理が 殺風景に並んでいるだけで それぞれ 無関心を装っている。
 病院の料理などそんなもので 昔より 塩分とか糖分とか、栄養について関心が深まった分だけ
 まずくなったような気がする。

 やはり 料理というものは 甘いもの、辛いもの、酸っぱいものなどが うまくバランス良く用意されて
 食欲を促すものなのだろう。
 最大多数の最大幸福という発想では 美味しい料理は生まれてこないようだ。
 それは美食というより お粥とお新香、佃煮、塩辛というだけで 食欲は満たされる。
 重要なことはバランスということなのだろう。

 バンコクの下町の市場のチョーク・サイ・ムー(豚の臓物入りお粥)のことが思い起こされたり、
 一皿 15バーツの飲茶やかぼちゃの新芽の炒め物のことが思い浮かんでくる。

 今度 バンコクに行ったら、息子と 飲茶や野菜の炒め物、シーバスの煮魚を一緒に食べよう。
 今回はあわただしく、帰国し、帰国前に一緒に美味しいものを食べる機会もなかった。

 美味しいものは 親しい者と一緒に食べるのが 一番の食欲になる。
 1ヵ月後には 短期のバンコク行きも出来るようになるだろうか。



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徒然なるままに | 04:38:50 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 病院生活の始まり‐02 三日目(1月14日)
 今日から本格的な検査の始まりであるが、タイ・バンコクの国立チュラロンコン
 大学病院での検査結果は出ているので、それの再確認ともっと綿密に病状について知ると
 いう目的のためである。

 午前中は 胸膜にたまっている胸水の一部を取り出し、胸水の中に含まれている癌細胞の
 種類を確定するためである。
 病室にエコーによって胸水の所在を確かめる器械が運び込まれ、
 主治医と担当医の手によって、胸水が取り出された。
 担当医というのは どうも昔のインターン、今では研修医と呼ばれており、
 経験を積んだ主治医の下で医療技術を研鑽し、主治医の補助をする役割らしい。
 私の担当医のY医師は ゆくゆくは外科医を目指していると言っている。

 取り出された胸水は 病院外部の病理研究所に送られ、癌細胞の遺伝子や構造が調べられ、
 それを基に適切な治療方法と抗癌剤が選択されるようだ。
 私の場合は 腺癌なので 遺伝子によって、今 効き目のあるイレッサという抗がん剤が
 使えるかどうかを確かめるためである。

 午後からは 胸部と腹部のCT検査のために 昼食は午後3時以降になってしまう。
 バンコクでは 国立病院であるチュラロンコン大学病院の胸部のCT検査の費用が 
 7千5百バーツ、約2万円という高さに驚き、これではバンコクでは 到底 治療も検査も
 出来ないと思い、日本に急いで帰国した検査である。
 その上 順番待ちで いつ検査をしてもらえるかわからない。
 高額な治療費の私立病院に行けば、すぐに検査はしてもらえるだろうが、
 検査費用は 国立病院の2倍以上になるだろう。
 国民保険制度のないタイでは 癌は やはり死病であり、定期健康診断もないから 
 気がついたときには癌もかなり進行して手遅れ状態である。
 検査費用も治療費も抗がん剤も タイの一般庶民から見れば、
 べらぼうに高いから、お手上げである。


 病院の地下一階にある検査室で 10分もしないうちに胸部、腹部のCT検査は終了である。
 CT検査用の器械は 日本でも1台2千万円以上である。
 

 
 病院生活も三日目に入ると、体調にも余裕が出てきて、辺りをじっくり観察できることも
 出来るようになる。
 お医者さんたちも看護師さんたちも しっかり仕事に励んでいる様子がよくわかる。
 私と関わりのある看護師さんは 4,5人いるのであるが、
 顔と名前がなかなか一致してこない。
 顔と名前が一致してこないと 人間関係の深まりも生まれてこない。

 仕事を終え、私生活ではどんな生活や人間関係の中で生活しているのかわからないが、
 病院内での姿を見る限り、いたって真面目だし、顔つきもきりっと引き締まっており、
 バンコクあたりに遊びにやって来ている日本の女の子たちとは 大違いである。
 結婚年齢も高く、30歳近くなっても 未婚という看護師も多いようだ。
 看護師という厳しい職が 男性を見る目を厳しくさせるのかもしれない。
 患者のわがままや患者の生死に触れることで 大人としての目を持つことが
 出来るのだろう。

 
 夜になると胸水を抜いたところが 痛み始める。
 バンコクで胸膜の組織を切り取ったところも一緒に痛み始める。
 強い鎮痛剤をもらって、今夜は早寝だ。
 バンコクのチュラロンコン病院で胸膜の組織細胞を 小さく切り取り、取り出した場所が
 小山のように盛り上がり始め、 それが背中の右端にあたり、普通の姿勢で寝るのも
 難しくなってきている。
 がん細胞が 胸膜組織を取り出した細い道に沿って 表に出てきてしまったのである。
 抗がん剤に期待するより方法はないようだ。
 放射線療法では 対応できないようである。




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徒然なるままに | 06:46:23 | Trackback(0) | Comments(9)
東京 病院生活の始まり‐01 一夜明けて
東京 病院生活の始まり‐01 一夜明けて 1

東京 病院生活の始まり‐01 一夜明けて 2

東京 病院生活の始まり‐01 一夜明けて 3

東京 病院生活の始まり‐01 一夜明けて 4

 明けない夜はないと言われているように どうにか一夜の安らぎの夜を送り、
 朝を迎えることが出来たことが出来た。
 人は簡単に死んでしまいそうで 案外しつこいものである。
 あっさりというのも楽でいいのであるが、なかなかそうは問屋が卸さないようだ。

 救急外来用の入院患者のための6人用の大部屋に たった一人の入院患者である。
 ベージュ色のカーテンで仕切られた一人当たりの空間は 約2畳、
 清潔なベッドと小さな物いれ用のたんすが用意されていれば 身体の疲れを癒すには
 十分である。

 それにしても日本の病院の暑さには驚いてしまう。
 常夏のバンコクからやって来た私が 暑く感じてしまうくらいで 
 室温は25,6度以上かもしれない。
 寝苦しい夜が明け、朝も6時を過ぎると 病院内は活気にあふれてくる。
 午前7時を過ぎると 朝食の時間は近づいてくる。
 今朝の朝食は 食パン2枚に 味のしない野菜炒め、牛乳、そしてオレンジ半分、
 食べることが出来たのは パン1枚、半分のオレンジ、牛乳だけである。
 明朝からは パン食をお粥に替えてもらい、牛乳は果物ジュースに替えてもらう。

 午前10時には 6階の救 急外来用の部屋から 7階の内科(呼吸器科)の部屋へと引越し、
 6人部屋で通路を真ん中にして カーテンで仕切られた部屋が 3部屋ずつ並んでいる。
 6階にいるときは窓際だったけれど、7階では真ん中の部屋で両脇の部屋の住民の存在が
 気にかかかる。
 慣れるより仕方のないことだ。

 大半の部屋の住民は皆、しっかりカーテンを閉め切っているので 
 誰がこの部屋の住人なのか よくわからない。

 今から35年前に急性肺炎で入院した池袋の下町の中にあった総合病院の大部屋との
 違いに驚いてしまっている。
 その病院は 大学の学生保険と国民健康保険を両用すれば、入院費も治療費もただだった。
 ベッドも5,6台 置かれており、如何にも下町風という大雑把な様子だった。
 私のすぐ近くにいた当時脳軟化症と呼ばれていた病気の大柄のおじいさんが寝ており、
 夜になると勝手に逃げ出したり、暴れないように両手、両足を縛りつけられていた。
 お尻にはおしめがつけられており、時折、その臭いには閉口したものだった。

 私の大学での専門は心理学で 大学3年、4年のときは 情緒障害児いわゆる自閉症・
 アスペルガーの子供たちや親たちとの活動に精出していた時期で その無理がたたって、
 過労気味になり、急性肺炎にかかってしまったのである。
 だから、その入院の折は 入れ替わり立ち代わりの訪問者が多く、1ヶ月という入院期間は
 瞬く間に過ぎ去り、同じ部屋に誰が入院していたのかという記憶は 能軟化症(認知症)の
 おじいさんのことと、確か早稲田大学の学生だったと思うが、やはり 急性肺炎で入院し、
 翌日には亡くなった若者のことだけである。

 ほとんど同じ年齢だった若者であったにもかかわらず、一方は亡くなり、
 一方は生き残っている。
 もうあれから35年の月日が流れたのである。
 そして 私は今、再び 病院の一室で肺がんとの闘いの中にいる。
 闘いというより 肺がんという病をどう受け入れるか そのことの方が重要な事がらになっている。

 今日は昼食あたりから 少しずつ 食欲が出てくる。
 今日一日は 検査も治療もなく 昨日の疲れを癒すようにうつらうつらと 
 日長一日 寝ているだけだった。

 この日、主治医、担当医、担当看護師が決まる。
 主治医は40歳前後のF先生、担当医は30歳前の研修医のT先生、
 看護師は25歳前後のTさん、
 他にも数人の看護師の援助の中での生活が始まった。

 夕方 夕食後 のんびりと寝込んでいると Yがやってきた。
 日本を離れてからの26年間 何かにつけ、大きな援助をしてくれている。
 その報いに応えることができず いつも心苦しい思いをしている。

 彼女が帰っていくと 今日1日の病院の生活も終わりに近づき、後は痛み止めの薬をもらって
 寝るだけである。




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徒然なるままに | 10:33:19 | Trackback(0) | Comments(0)
東京 成田空港から東京へ‐02
東京 成田空港から東京へ‐02 1

東京 成田空港から東京へ‐02 2

 エレベーターで区役所の2階に上っていく。
 広々としたフロアである。
 国民健康保険の申請窓口の場所を訊きながら、動き回っていると 女性が受付の窓口が見つかる。
 26年前に日本を離れ、それ以後 日本では健康保険には加入しておらず、その後は大半タイ、
 ネパールを中心に生活しており、日本での収入はないことを伝えると、パスポートを調べ、
 それに見合った国民健康保険の支払額を決めてくれ、それに伴って、国民健康保険限度額適用
 認定書も作ってくれる。
 奥に座り込んでいる男性職員の上司が何かいろいろと注文をつけているようだったが、
 30分あまりでどうにか出来上がる。

 次は飯田橋にある東京厚生年金病院を目指すだけである。
 国民健康保険課の窓口の職員に飯田橋までの行き方を尋ねると 区役所から東西線の東陽町まで
 徒歩5分、小雨振る中、荷物を下げて、東陽町の駅を目指す。
 徒歩5分だというのに 10分以上に思えてくる。
 東西線といえば、東京でも古いタイプの地下鉄、階段の上り下りが昔ながらの不便さで 
 鬱陶しい。
 運が悪いことに やって来た地下鉄の電車はほぼ満員で座れる席はないし、
 東陽町と飯田橋までは意外と
 遠いのである。
 4,5駅目でやっと席が空く。
 かなり体力の限界点に近づいてくる。
 
 やっと飯田橋の駅には着いたが、エスカレーターはなく、階段の上り下りは 
 ひたすら自分の脚力である。
 地下鉄の構内をぐるぐる回り、やっとの思いで地上に出るが、病院の建物は目に入らない。
 はあはあ、ぜいぜいと息を吐きながら、病院の方向に向かって 坂道を上って行く。
 小雨は 止むことなく 降り続いている。
 小雨とともに暮れなずむ夕暮れの東京の街並みの中では すべての建物は灰色がかって 
 皆 同じ建物に見えてしまう。
 近くにいた中年夫婦に病院の場所を尋ねると 道路の向こう側にある灰色の10階建ての建物を
 指し示してくれる。

 どうにか辿り着いたのだ。午後4時半である。
 命はどうにかつながったようだ。
 脈拍も血液中の酸素濃度も最悪の状態で 話を進めていくのが一苦労である。
 救急外来のT先生に通せば、話は伝わるはずである。

 受付で5分近く待っていると 電話で呼び出されたT先生がやって来る。
 救急外来室で早速診察である。

 血液検査、レントゲン撮影、心電図、血圧などバンコクの国立チューラロンコン大学病院で
 調べたことをもう一度検査をするうちに、午後6時近くなり 6階の救急外来患者用入院用の
 大部屋に移動、この部屋の入院患者は 6人部屋でありながら、私一人である。

 午後6時過ぎに病院の夕食が運ばれてくる。
 ご飯、ほうれん草のおひたし、山芋の千切り、イカのフライに冷凍野菜(コーン、にんじん、
 えんどう豆)少し、食べているうちはおいしく感じたが、食べているうちに、食べることに
 飽きてくる。

 窓際の席だったので 閉め切った窓のガラスの向こう側に 東京の夜景が浮かんでいた。
 明日から 本格的な検査の始まりである。
 とにかく 疲労回復に努めなくては…。



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徒然なるままに | 19:30:04 | Trackback(0) | Comments(4)
東京 成田空港から東京へ‐01
 ノースウェスト航空の飛行機を出ると 車椅子が待ち構えており、成田空港構内の迷路のような
 通路を通って、検疫、入管、税関を抜け、外へ出る。
 知り合いの人間がいるかと眺めて見るが 見当たらない。

 車椅子で公衆電話のある場所へと運んでもらい、そこから ブログを通して知り合ったタイ好きの
 知人に電話をかける。
 東京での病院の手配をお願いして置いたのである。
 電話をかけると 病院のほうは すぐに行けば入院できる形になっており、まずは救急外来に
 行けばいいことになっていると言われる。

 時刻は午後1時45分 自分の体力に合わせて これからの計画を立てて見る。
 京成電車を利用するか、JR総武線快速を利用するか、京成電車であれば 
 時間は短縮出来るが、船橋で乗り換えの手間がかかる。
 少ない荷物であるにしても 階段の上り下りは 身体に堪える。
 総武線快速の時間表を見ると 具合のよいことに午後2時発の東京行きがある。
 錦糸町駅到着は 午後3時22分だ。
 1時間22分の時間の長さは気になるが、始発なので座っていける、
 どうにか体力は持つだろう。

 斜め前の席には 中国人風な数人の若者たちが 大きな荷を前に 楽しげに話し込んでいる。
 目が向くのはそのくらいで ただただ 電車が錦糸町駅に到着するのをひたすら待つだけだ。
 
 同じ姿勢で座り続けていることが辛くなってきたころに 電車葉錦糸町駅に滑り込んでいく。
 再びの決断である。
 時間は午後3時22分 もう一頑張りすれば、江東区役所へ行って 国民健康保険の申請・
 取得、国民健康保険限度額適用認定書の交付を受けることが出来そうだ。 
 江東区猿江のいつもの居場所に行っても、辛い夜を迎えることになりそうだ。
 そのくらいなら、無理をしても 今日中に必要なな手続きを済ませておけば、
 入院も出来る。

 エスカレーターのない階段を 小さなリュックサックと小さな旅行バッグを提げ、
 よたよたしながら 改札口へと向かう。
 どうなるかは 時の運に任せるより仕方ない。
 駅の外では 小雨が降っている。
 日本の冬の寒さの中に置かれても 寒いという感覚は生まれてこない。
 それだけ 緊張しているのだろう。
 タクシー乗り場まで行き、江東区役所と行き先を告げる。   

 度重なる信号待ちを繰り返しながら タクシーはやっと江東区役所に到着する。
 タクシー料金は1160円だった。

 日本を離れる前までは 江東区で働いていたし、日本を離れた後も 住所は江東区に
 置いていたが 江東区役所にやってくるのは 初めてのことである。
 区役所の国民健康保険課は 2階の窓口である。
 どういう対応を受けるのか不安は不安である。
 息切れしている呼吸を整え、次の戦いに備える。



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徒然なるままに | 10:47:09 | Trackback(0) | Comments(0)
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