投稿日:2009-11-23 Mon




これから再び始まる6ヶ月近いタイ、ネパールの生活に必要な買い物も済ませ、
あとは荷造りを済ませるだけとなった。
日本を出る頃になって、天候が崩れ、寒い思いをしていたから、これから日本を
離れ、暖かい国へと向かうことが嬉しくなる。
今回の日本滞在は 体調の悪い中での滞在だったので あまり動き回ることが
出来なかった。
まだ本調子ではないけれど、暖かいバンコクへ行けば 体調も良くなるだろう。
今年から来年の1月中旬までは タイにいて 乾期の涼しいタイでの生活になる。
その後、電力不足、水不足のネパールでの過酷な生活が待っているから、
暖かいタイで体調を整え、健康を回復する必要がある。
1月中旬から2月の後半までは 寒さの峠は越したとは家、まだまだ寒いカトマンズで
ある。
灯油代も日本並みに高く、石油ストーブを付けっ放しというわけにも行かないだろう。
昨日の東京も寒かった。
買い物がてらに 錦糸町まで出てみたが
遠回りして通り抜けた近くの公園のイチョウの葉も 随分落葉して、冬支度が
始まっていた。
今にも雨の降りそうな夕暮れの公園の中は ひっそりしていて 時折ジョギングを
する人が通り過ぎていくだけだった。
日本の変化と多様性に満ちた四季ともしばらくお別れである。
どんなに素晴らしい四季の変化を持つ日本であっても 寒い日本の冬だけは
お断りである。
身体が亜熱帯向きになってしまっているから 冬の日本は 身体中が痛くなって
過ごせない。
昼過ぎには 錦糸町から成田に向けて出発だ。
夕方 日本出発のバンコク行きの飛行機が待っている。
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投稿日:2009-11-22 Sun






日本滞在の1ヵ月半で 悲惨な事件が 毎日のように新聞やテレビで報道され、
気持ちが暗くなってしまう。
犯罪は どこにもあることだけれど、子供同士のいじめ、暴行事件は 日本は
突出してきているのではと思う。
子供の自殺もその一つだろう。
*** 逮捕・補導の8人、口裏合わせか 沖縄・中2暴行死 ***
沖縄県うるま市の市立中学2年、米盛(よねもり)星斗(ほしと)さん(14)に
暴行を加え、死亡させたとして同級生ら8人が逮捕・補導された事件で、通報時に
現場にいた4人は、県警の当初の事情聴取に対し、米盛さんに暴行を加えたとされる
残る4人の存在を丸1日隠していたことが県警への取材でわかった。県警は、8人が
通報前に口裏合わせをしていたとみて、8人の関係や当時の状況を詳しく調べている。
うるま署の発表によると、少年らは17日午後5〜8時に米盛さんに断続的に暴行を
加え、米盛さんが意識を失うと、約500メートル離れた駐車場まで運び、そこから
通報した。
捜査幹部の話では、18日未明に米盛さんが搬送先の病院で死亡した後、通報現場に
残っていた4人から同日夕方ごろまで同署が任意で事情聴取。米盛さんの全身に
殴られたような跡があったことから、死亡時の状況に不自然な点がないか聴いたが、
4人はそろって「空き地にあるプレハブ小屋の屋根から飛び降りた際に米盛さんが
足を滑らせて転倒し、一緒に帰ろうとしたが約500メートル先のスーパー駐車場で
意識を失った」と説明していたという。
18日夜に4人はいったん帰宅。翌19日朝から再度聴取したところ、昼ごろまでに
うち1人が「実は殴りました」などと話し、ほかにも関与した同級生がいたことを
認めた。
8人はいずれも暴行に直接加わったことを認めており、県警は、通報時に4人だけが
現場に残り、他の4人をかばう形になった理由について調べを進める。
〜 朝日新聞より
自分が中学生だった40年以上前のことを思い出しても 一人の人間を集団で
暴行するということはなかった。
けんかはあっても それは1対1の素手のけんかが基本だった。
近頃の少年・若者たちの暴行事件を見ていると 集団暴行や簡単に刃物を使う事件が
やたら 多くなっている。
人間の命に対する認識が薄れてきているのだろう。
この中学生の事件の裏側には 何があるのか 知りたくなる。
この事件が起こったうるま市は人口11万5千人の小都市である。
うるま市の中には 多くの米軍の施設がある。
キャンプコートニー、キャンプマクトリアス、陸軍貯油施設、ホワイト・ビーチ地区
などがある。
米軍基地と観光によって成り立っている街といっていいだろう。
実際 私は沖縄のうるま市には行ったことがないから、どんな雰囲気の街なのかは
よく知らない。
米軍基地のある街というイメージは 沖縄に行ったことのない人間には
よく分からないものである。
子供たちの育ちに 米軍基地の影響していることは確かだろう。
今回の事件についても 親子関係、学校教育のあり方、地域共同体の姿(米軍基地も
含めて)考えていく必要があるだろう。
簡単にいじめだったと済ませ、きちんと状況を分析しないから、別の場所で同じような
事件が起こる。
マスコミもただ騒ぐだけで 事件の裏側に流れている問題点を追求しようとしない。
同じ年齢の子を持つ親も ひと事のように片付け、忘れていく。
わが子が 今は問題を起こさなくても 高校生、大学生、社会人になって
大きな問題を引き起こすことだってある。
想像力を失った人間、共感性を失った人間に囲まれていれば、どんな子供だって、
おかしくなっていくのは当たり前のことである。
今回の事件も 1週間もすれば、何事もなかったかのように忘れられていくのだろうか。
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投稿日:2009-11-21 Sat

ネパールのカトマンズの街では 放課後になると 近所の子供同士が群がって遊んで
いる姿をよく見かける。
休日 カトマンズ郊外の村に出掛ければ 寺院の前の広場でも子供たちが群がって
遊んでいる。
近頃では カトマンズやカトマンズ周辺の村でも 1家族あたりの子供の数が
2,3人になって 昔に比べれば、子供の数は少なくなってきているが、日本に
比べると子供の姿を見かけることは多い。
カトマンズ郊外の村に行くと カトマンズ中心部の子供たちに比べると、
余程 明るく生き生きした安定した表情をしている。
子供たちが こんな表情を持って遊んでいたのは 日本ではいつの時代のことだった
のだろう。
私が幼少年期を過ごした4,50年前には 近所の子供たちが集まって 一緒に
遊ぶのは普通の姿だった。
今の時代のような陰惨ないじめのようなものはなかった。
子供を取り巻く大人たちの心が安定しているから、子供たちの関係も穏やかなものに
なる。
子供が変わっていくためには 子供を取り巻く大人たちが変わっていかなくては
ならない。
子供の教育ということが いつも話題になるが、地域の中で子供たちをどう育てて
いくのか 地域の大人たちが一緒になって考え 協力し合っていかない限り、
子供たちが育っていく環境は生まれてこない。
何かの通り一遍の地域の行事の際に 子供を楽しませることだけやっていても
人間同士が手をつなぎあう能力を育てていくことは出来ないだろう。
カトマンズの郊外の村に行くと 様々の行事を通して 大人同士の関係も密度の高い
深いつながりがあり、子供たちは 空気のように 自然にその影響を受けて育っている。
それが 昔からある生活文化の伝承というものだろう。
村の持つ生活文化、家族の持つ生活文化が密接なつながりを持ちながら、その文化を
子供たちに伝承している。
そのことが失われていない村や地域では 人間関係が安定しており、それが子供たちの
心に明るい安定した世界を用意しているのである。
安定した未来を予測できないのなら、今の世界を大切に生きていくより方法はない。
子供に未来をと唱えながら 大人が今の世界をしっかりと見つめ、考えようと
しなければ 子供たちの豊かな未来などどこにも生まれてこない。
それほど 今の時代は 不確実な時代なのである。
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投稿日:2009-11-20 Fri







今日は 朝から雨が降り、部屋の中にいても 寒さが身にしみる。
不況からの出口が見えないまま、季節は大急ぎで冬に向かっている。
失業者にとっては 過酷な季節の始まりである。
あと10日もすれば 12月がやって来て 街は クリスマスのイルミネーションに
あふれ、お金のない人間にとっては ますます 世知辛く感じられる12月である。
貧しさは 日本では 苦しいものになる。
あの貧しいと言われているネパールでも 貧しいことは辛いことであるが、
貧しい人たちが生きていくためのシステムが まだ残っているのである。
路上では 貧しい人たちのための床屋がある。
20ルピー(25円)で頭を刈ってくれるだろう。
路上のカフェに行けば、5ルピー、6ルピーのミルクティが飲める。
川魚の唐揚げとチューラ(干し飯)なら 20ルピーで食べることが出来る。
共同の水場へ行けば、水道代もかからない。
廃品回収をすれば、どうにか生きていくことも出来る。
昔の日本だって 良く廃品を集めては 生計を立てていた人がいたものである。
貧しいスラムの中でも 貧しいもの同士の助け合いがある。
ネパール政府が貧しいものに手を差し伸べてくれないのだから、貧しいもの同士で
助け合って生きていくより方法はないのである。
村から仕事を求めて親戚がやって来れば カトマンズにやってくれば、
粗末なスラムの中の小屋も 安息の場所になる。
電気のない小屋の中で ろうそくを灯して、食事を作り、ともに分け合って食べれば、
ご飯(バート)と豆汁(ダール)と野菜カレー(タルカリ)という質素な食でも
心を暖めてくれるのである。
孤立して孤独でないという思いは 人を惨めな思いにさせない。
カトマンズの主要な商店街のニューロードや外国人旅行者が集まるタメル地区に行けば、
贅沢三昧の人々の姿を見かけることはあっても それは別世界の出来事で手の届かない
生活であるが、スラムの貧しい生活の中でも 人と人との濃厚なつながりはある。
それは大きな慰めである。
昔のカトマンズでは カーストによって人々の住居は住み分けられていた。
街の中心、権威の中心には王宮があり、その周りには高いカーストの人々が住んでいた。
貧しいカーストの低い人々は 街の周辺にあたる川の近くに住んでいて、豊かな生活を
保証されたカーストの高い人々と貧しいカーストの人々との係わりは制限されていた。
カーストの高い人には彼らの共同体があり、カーストの低い人たちには彼らの共同体が
あり、その中で助け合って生活していたのである。
それは互いに刺激を与え合わないという一つの知恵であったのかもしれない。
そして互いの生活に干渉しないということも含まれていたのだろう。
今 豊かな人々のライフスタイルは は一戸建ての家を建て、個人主義、自由な生活を
変わっているが、貧しいものたちは 助け合わないと生活できないから 肩を寄せ
合って生活している。
生活は苦しいけれど、精神的には追い詰められてはいない。
だから、皆 明るいのである。生活の中に笑いがあるのである。
日本の長屋の生活の中にあった助け合い、支えあいの心が残っているのである。
貧しい人たちが 川原の空地に住み始めても すぐに追い出そうとはしない優しさが
どこかに残っている。
杓子定規に追い出そうとする日本の行政や近隣の住民とは 少し違っている。
日本では 政府は不必要に法律を作り、国民の生活に干渉し、締め上げていくことで
皆、多くのフラストレーションを育て、他人に対する優しさを忘れていくのである。
優しさを忘れた社会がどうなっていくのか 今の東京を見れば、よく分かるはずである。
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投稿日:2009-11-19 Thu






カトマンズの街中を歩いていると 多くのストリートチルドレンに出会う。
ここ4,5年の間に こうした街を徘徊する子供たちの姿も様変わりをしてきている。
昔から 街の中をうろうろしている子供たちはいたが、大半の子供たちは 家から
逃げ出し、カトマンズという都会を見てみたいという思いからで、しばらく
カトマンズをうろうろと歩き回り、再び、村に帰っていく子供も多かった。
村に帰っていけない子供たちは ビニール袋などの廃品を集め、お金を手にしたが
それでは充分でないので レストランの近くに座り込んで 残り物の食べ物を
もらえるのを待っていたものだった。
昔は 王宮通りの昔からあるアイスクリーム屋の前が 夕方を過ぎると彼らの常駐の
場所だった。
外国人旅行者の集まるタメル地区にはあまり寄り付かず、タメル地区で外国人に
お金をねだっている子供たちの大半は 家族とともに生活している子供たちで
小遣い稼ぎのためにタメル地区を徘徊していた。
それが近頃は 子供たちの姿も変わり、廃品集めをしているのは インド系の
子供たちで 地方から逃げ出してきた子供たちは 廃品集めもしなくなり、日長1日
ふらふらと旅行者の集まる場所を徘徊し、お金を得ると シンナー遊びに耽る子供も
増えている。
路上で小さな商いをする子供たち、ネパール・インド国境周辺からやって来て
廃品集めに精出す子供たち、スラムで家族とともに暮らす貧しい子供たち、
カトマンズでは多種多様な状況の中で 子供たちは生活している。
その中でも1番荒れている子供たちは タメル地区やニューロード(カトマンズの
中心的な商店街)辺りで物乞いをしている子供たちだ。
村で生活していたときも 家族の愛に恵まれていなかった子供たちだ。
家族に対して少しでも愛を感じていれば、村に帰りたくなるだろうが、そうした思いも
起こらないくらいに 愛情から遠いところにいる子供たちだ。
大人に対する不信の中で育ってきた子供たちが 大人に対する信頼を取り戻すことは
至難の業だろう。
こうした子供たちを施設に入れたとしても すぐさま逃げ出してしまうだろう。
膨大な人間的なエネルギーを注がないと 彼らの心も生活も変えることは出来ない。
彼らの姿を見ていると そこまでのエネルギーのない私にとっては ため息と苦痛が
生まれて来るだけだ。
物質的な援助だけでは 彼らの心を変えることは出来ない。
ストリートチルドレンを救うために施設をつくるための、あるいは運営していくための
お金を集めているネパール人や外国人がいるが 扱いやすい子供だけを相手にしている
ようにしか思えない。
孤児だ、ストリートチルドレンと言いながら それは本当なのだろうかという疑いも
湧いてくる。
街を徘徊するストリートチルドレンの未来はというと 絶望的な思いになる。
それほど20年以上前のストリートチルドレンと今のストリートチルドレンは
はっきりと違ってきている。
彼らの大人に対する不信の程度があまりに大きなものになっていることがわかる。
シンナー遊び、盗み、その果てには ギャング集団へと向かっていくだろう。
カトマンズに長くいればいるほど、ひどくなっていく子供たちの姿である。
そして ますます治安の悪くなっていくカトマンズである。
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投稿日:2009-11-17 Tue

カトマンズの中心部に ラットナパークと呼ばれる公園がある。
カトマンズ市内では 1番大きな公園であるが、百メートル四方程度の
公園である。
街の中心にあるだけに カトマンズ市民の憩いの場になっている。
公園の前の通りが カトマンズ市内を走るミニバスやティンプー(乗り合い
電気3輪車)乗り場になっているし、近くにカトマンズ近郊に向かうバスターミナルも
あるから、人々は時間つぶしにこの公園にやってくることも多い。
その公園の一角では いつものように市民討論会は開かれている。
若者、中年、老人たちが 集まってきて 適当なテーマで意見を言い合っている。
全くの赤の他人同士の集まりである。
ネパール人のこうした姿を見ていると 民族の違い、カーストの違いが有る国だけれど
それでも人間同士の距離は 日本人と比べるとはるかに近いように思える。
見知らぬ他人が 公園にやってきて 笑い声を上げながら、討論会を楽しむという
生活が 今の日本社会で考えられるだろうか。
日本の公園に行って、ベンチに座り込んでいる人になんとなく話しかけるということは
考えられないことだ。警戒されるのが落ちである。
ネパールにやってくるたびに どうして 日本とネパールでは 人と人の距離が
違うのかと不思議に思う。
生活レベルでいえば、ネパールの生活は 日本に比べればはるかに低いが、
人間としてのゆとり、他の人間に対する関心は はるかに大きい。
人々は 孤立しているという気持ちは 日本に比べると 小さいだろう。
アジアは共生社会であるとよく言われるが、ネパールの人々を見ていると
そんな実感が湧いてくる。
公園の中を見回してみても 一人でぼんやり座り込んでいる人などいない。
知らないもの同士で そばにいるだけで自然に会話が始まっていくのである。
それは公園だけのことではなく、小さな広場であれば、夕方近くなれば、人が
集まってきて、会話が始まるのである。
人が集まるから、路上の食べ物屋などもやってきて 生き生きした空間に変わって
くる。
それは共生空間といってよいものかもしれない。
こうした空間が街のいたるところ、路上のいたるところにある。
私がネパールに惹かれるのはそんなところにあるのだろう。
こうした生活に慣れてくると 日本の生活が実に味気ないものに見えてくる。
日本で生活している人からすれば、他人と係わり合いの少ない社会空間は 普通の
ことであるから、別に何も感じないのかもしれないが、ネパールやタイでの生活が
長いと 一歩外へ出ると 能面のような顔をしている日本人の姿は不思議なものに
思えてくる。
日本人にとって 戸外の共生空間はどこにあるのだろう、そんなものは必要のない
ものなのだろうか。
アジアの持つ共生社会から遠く隔たってしまったのか そんな思いが湧いてくる。
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投稿日:2009-11-16 Mon





展示会中は 緊張していたせいか、どうにか体調を保っていたが、3,4日前から
わき腹の肋骨辺りに痛みを覚え始め、咳き込むたびにその部分が傷むので胸膜が
おかしくなっているのではと再度病院に行くことにした。
それに少し急ぎ足で歩いたり、階段を上ると息切れも以前より激しくなっている。
悪化してバンコクに帰れなくなっても困ると思ったからだ。
悪化だけはさけなくてはならない。
今日も保険証なしでいくら治療費を取られるかと心配しながら、道を歩いていく。
この前作ってもらった診察券を受付に出し、2階の内科の待合室で待つ。
受付開始は午前8時半から、診察開始は9時からだ。
私が大病をしたのは 今から30年以上前の学生時代のことだ。
下宿生活の無理が祟ったのか 急性肺炎に罹ってしまった。
毎晩咳と寝汗がひどく どうしようもなくなり、近所の病院に行った。
この病院は 当時 大学の指定病院で 学生健康保険と国民健康保険を使えば、
治療費も入院費もただだった。
入院した部屋は大部屋で 10人近い入院患者がおり、すぐ近くのベッドには
脳軟化症、今では認知症と呼ばれている70歳近いおじいさんがいて、夜になると
勝手に動き回らないように 両手足をベッドにくくりつけられていた。
私といえば 毎朝の抗生物質の点滴と薬の投与、3度3度のきちんとした食事で
どんどん回復し、1週間もすれば、体力も回復したが、結局1ヶ月近く入院することに
なった。
30年以上前の秋の10月中旬から11月中旬までのことである。
私が入院して 2,3日目にやはり学生が同じ急性肺炎で担ぎこまれ、ベッドから
遠かったので話はしなかったが、最後に食べた食事がカレーライスであったことを
話していたのを耳にしたが、夜になると容態が急変し、翌日には亡くなってしまった。
人間って 意外とあっさり死んでしまうものだと思ったが、運命とはそんなものかも
しれない。
あれから 30年以上経って、今なお自分が生き続けていることのほうが不思議である。
日本での病院との係わりは 日本を離れて生活するようになってから、久しぶりの
ことで 内科の診察室の前の待合室に座り込んでいる人たちといえば、ほとんどと
言ってよいくらい 私より年上の老人ばかりである。
病院と日中の公園へ行けば 確かに老人ばかりである。
確かに日本は 老人社会になっていることを実感する場所である。
老人たちの居場所といえば、病院と日中の公園ぐらいなのかもしれない。
誰かのために生きる生活を失ってしまえば 生きる力も失われ、健康を簡単に
損なうものかもしれない。
人間 緊張した そして充実した生活をしていれば、丈夫さを維持でき、
健康を保てるものだろう。
私も何処か緊張感を失った老人の世界に片足を突っ込んでいる。
診察が始まって30分ぐらいすると私の名前が呼ばれる。
今日は呼吸器科の医師がいる日なのでやってきたが、肺には異状は見られないと言う。
レントゲンでは肺のすべてを見ることが出来ないのでCTスキャンをすれば、見えない
場所も見ることが出来るがどうかと訊かれるが、保険なしでは2万円かかるというので
自分の状態を話し、1週間後にバンコクに行くので 本格的な治療はバンコクで
受けるのでそれまでの薬、肺炎用の抗生物質も出してほしいと頼んだ。
今日の診察代は安く、1449円だった。
薬代は別で 病院の近くの薬局で調剤してもらい、4種類 1週間分の薬代は
4189円だった。
やって来る人たちに老人が多いせいか、とても丁寧で 分かりやすく薬の用途・効用の
説明を写真付で印刷してくれたのはありがたかった。
1度に4種類も処方されると わからなくなってしまうものである。
帰り道は 近くの公園の中を歩いて帰ることにした。
紅葉の季節の始まりの遅い都会の東京であるが、公園の中では イチョウの葉が
すっかり色づいて黄金色に変わり、あと1週間もすれば、季節は秋から冬へと
移っていくだろう。
今の健康状態では 遠出は出来ないので 近くの公園の木々を眺めては 僅かばかりの
秋を楽しんでいる。
日本滞在もあと1週間である。
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投稿日:2009-11-15 Sun


外国での生活の中で 1番大切なことは 健康ということかもしれない。
26年間、ネパール、インド、タイで生活してきたが、何度か病院や診療所の
世話になることもあった。
26年前に初めてネパールのカトマンズに住みだした頃に最初にかかったのは
ウィルス感染からくる吹き出物が出来たが、抗生物質で簡単に治癒した。
その後 ネパールからインドを旅したとき、ネパール・インド国境の安宿で
ひどい水を間違えて飲み、1週間ばかり インドを旅し、カルカッタに到着したときに
ひどい下痢に襲われ、30分おきのトイレ通いが2,3日続き、下痢の合間を縫って、
宿の近くのクリニックに行き、インド製の薬をもらって、やっと収まった。
どうもアメーバー赤痢だったようだ。
カトマンズで生活していると必ず洗礼を受けるのが ジアルジア症である。
ランブル鞭毛虫に汚染された飲食物によって引き起こされる。
不潔なローカルレストランやあまり豊かでない現地の人の家で出された食べものや
水から感染することがある。
この病気にかかると下痢になり、硫黄くさいげっぷやおならが出る。
メトロニダゾール、チニダゾールがこの病気の特効薬である。
goo ヘルスケア ジアルジア症
http://health.goo.ne.jp/medical/search/10PC2300.html
虫に刺され、そこから細菌感染し、瞬く間に 右足首が膨れ上がり、凄い痛みに
襲われたことがある。
パックチョンに住んでいた頃のことで 公立病院に1週間近く入院し、1日に何本も
抗生物質の点滴を受け、その上、麻酔なしで 看護師に炎症の箇所をメスで切り
取られたこともある。
そのときには 海外旅行保険に入っていたから、そのときの治療費は 病院で
領収書を作ってもらい、バンコクにある保険会社の支店で支払いを受けた。
海外で罹った主だった病気はこんなものだったが、他には歯の治療もあった。
日本で国民健康保険に入っていなかったから、歯の治療もカトマンズやバンコクに
限られた。
バンコクでも高い治療費を払えば、日本並みの治療も出来るが、歯の治療は旅行保険が
利かないので、普通の町の歯医者さんを利用することが多かった。
治療のレベルは満足できるものではなかったが。
老後 海外での長期滞在を考えている人は 歯だけは 日本で充分に治療して置く方が
いいだろう。
海外での病気の治療は 応急処置と考え、日本に帰って治療するのが1番だろう。
海外生活が長期にわたるようなら海外旅行保険に入っておくことも一つの方法である。
ただ 1番安いオプションのものでも 1年で6万円近い、アメリカの9.11のWTC
崩壊前は3万円くらいだったが、それ以後 倍近くなってしまった。
1番安いものが 6万円になって以降 私は馬鹿らしくなり、旅行保険をやめてしまった。
長生きを別に望んではいないから ネパールやタイの庶民並みの治療で充分だと思う
ようになったからだ。
今の私とって 1番困ることは日本で病気に罹ってしまうことだ。
タイやネパールであれば、自分の状態を見ながら、抗生物質の薬を買うことも出来るが、
日本では 医者の処方箋がないと手に入らない。
この前も 咳が収まらず、健康保険なしで 検査を受けたら、薬込みで1万4千円、
薬も咳止めだけ、肺には別に問題はないと言われたが その後の10日間 売薬で
小康状態を保っているが、バンコク行きまで どうにか今の状態を持たせようと
思っている。
栄養補給と休息、睡眠である。
睡眠のほうは 取りすぎて困るくらいだ。1日10時間以上 寝ている。
いつも日本に帰ってくるときには 日本で治療を受けなくてもいいように
注意しているのだが、咳きぐらいと注意を怠ってしまった。
海外で生活するようになってから 家庭の医学程度の本によく目を通すようになった。
今なら、インターネットを使えば、病気に対する知識が簡単に分かるようになっていて
便利である。
海外で 薬を買うときなどには 大いに参考になる。
海外で治療を受けるときは 病気の状態を英語で言えるように 単語を 前もって
調べておいたほうがいい。
どの国の医者も 英語は通じるはずである。
日本語の分かる診療所もあるが そんなところはやたら治療費が高いものである。
海外での長期滞在も 金次第でどんな形もあるから、自分のレベルに合わせれば
いいだろう。
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投稿日:2009-11-14 Sat






展示会が終わった翌日から 天候が崩れ始め、雨の降る毎日である。
季節は これを機会に冬へと進んでいくのだろう。
バンコクの雨なら 涼しさを呼び込むから嬉しいものだが、この時期の日本の雨は
寒さの季節に向かう雨だから、恨めしい思いだけが湧いてくる。
しかし、今の時期の日本の雨でしばらく、お預けだ。
日本を離れると これから向かうバンコクもネパールのカトマンズも乾期の世界に
入り、雨とは無縁の世界になる。
バンコクは これから 過ごしやすい季節になるが、カトマンズは日本と同じように
秋から冬へと向かう。
バンコクへ向かうまであと10日ばかり、これから 部屋の片付け、ブータン布の
写真を撮る仕事が残っている。
風呂の残り湯があると ブータンの布の中で汚れのひどいものも洗うようにしている。
体調が回復していないので無理をしない程度に少しずつ 仕事をしている。
たどり着いたらいつも雨降り
作詞・作曲 吉田拓郎
疲れ果てている事は 誰にも隠せはしないだろう
ところがおいらは何の為に こんなに疲れてしまったのか
今日という日が そんなにも大きな一日とは思わないが
それでもやっぱり考えてしまう ああ このけだるさは何だ
いつかは何処かへ落着こうと 心の置場を捜すだけ
たどり着いたらいつも雨降り そんな事のくり返し
やっとこれで俺らの旅も 終ったのかと思ったら
いつもの事ではあるけれど ああ ここもやっぱりどしゃ降り
心の中に傘をさして 裸足で歩いている自分が見える
人の言葉が右の耳から左の耳へと通りすぎる
それ程頭の中はからっぽになっちまっている
今日は何故か穏やかで 知らん顔してる自分が見える
たどり着いたらいつも雨降り 歌 吉田拓郎
http://www.youtube.com/watch?v=JPihM5wHihA
日本での雨降りの印象は あまりいいものではない。
山歩きのときに 雨の中を歩き、合羽のすき間から入り込んでくる雨水の気持ち悪さ、
寒さを感じさせるみぞれ混じりの初冬の雨に震えたこと、大人になってからは
雨は嬉しいものではなかった。
雨が喜びに変わったのは タイやネパールで生活するようになってからだ。
暑さに包まれ、その暑さにひたすら耐えているときに 突然スコールがやって来て、
涼風を運んでくる。
水不足、電力不足のカトマンズの生活の中で 水不足、電力不足を解消してくれる
ことを期待させる雨、雨はいつも希望の印だった。
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投稿日:2009-11-13 Fri


ブータン 貫頭衣 キシュン 19世紀後期


ブータン 男性用民族衣装 ゴ 20世紀中期


ブータン ブータン式風呂敷 ブンディ 20世紀中期


ブータン 毛織物 ヤタ 20世紀中期
展示会場から持って帰ってきた展示品を 片付けることに追われている。
今日も曇り空の嫌な天気である。
季節は晩秋に向かい、これから気温も下がってくるのだろうか。
すっかり 夏向きの身体になってしまった私にとっては 嫌な季節の始まりだ。
寒い中では 血液の循環が悪くなり、身体の節々が痛くなってくる。
暑いバンコクの気候に憧れる。
今回の展示会は 期待通りのものではなかったが、今までとは違った人たちも
訪れてくれた。
『ヤクランド』(http://www.yakland.jp/index.htm)の主催者である久保淳子さんの
ホームページでの紹介や『風の旅行社』(http://www.kaze-travel.co.jp/)からの紹介で
ブータンに興味のある人やブータンに行ったことのある人たちも来てくれた。
そうした人たちの話を聞いていると ブータンも大きく変わってきていることが
耳に入ってきた。
近頃では キラも全身を覆うように着るものではなく、腰に巻くだけのハーフキラと
呼ばれるものに変わり、布もブータンの手織りのものではなく、インドの工場生産の
布を使うようになっていること、ブータン国内に高級ホテルや高級リゾートが
どんどん建てられていることなど 驚くことも多かった。
王制も立憲君主制に変わり、議会制民主主義に変わり、ブータンの近代化に拍車を
かけているようだ。
多民族国家であるブータンでは 共通語として英語の教育に力を入れているようだ。
話を聞いていると 急激な欧米化は ブータン人としてのアイデンティティを
失わせるのではないかと心配になる。
消費社会が進んでいけば、貧富の格差、便利さ、効率性を追求する社会に変わり、
国民幸福指数も言葉だけのものになるのではと思えてくる。
電化製品などなかった20年以上前のネパール、タイもテレビ、冷蔵庫を備える家が
増えてきているが、冷蔵庫の中身といえば、冷たい水ぐらいのものだ。
テレビは モダンライフを楽しむ家の姿を見せ、豊かな生活という幻想を抱かせる。
それによって 貧しさを感じることになってしまうのである。
近代化という名の下に 富を得る人間と貧しくなる人間が生まれて来る。
外国資本がどんどん入り込んでくることで 富は国外に流失していくのである。
それは 植民地主義の時代から続いているアジアの国々の姿である。
貧困は生み出されていくものなのだ。
皆で分け合っていた社会が 貨幣経済によって 富の独占の社会に変わっていくので
ある。
そして富を独占した人々は 輸入品に関心を持ち、自動車を買い、モダンライフを謳う
家を購入し、過剰な富は貧しいもののところには回っていかなくなる。
人間は ますます愚かな生き物になっていくようだ。
その愚かさに気がつかないまま 時は流れていく。
多くの知恵に恵まれていた国も いつの間にか その知恵を忘れていく。
そして 共生の社会は 過去の産物になっていく。
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