投稿日:2009-11-10 Tue


前回の布の展示会から6ヶ月が過ぎ、11月4日から11月10日まで
再び展示会を開くことになりました。
ブータンの野蚕の手紡ぎ糸で織ったキラ(ブータンの女性用衣装)を中心に
インド、東南アジアのシルク布も展示したいと考えています。
山の国 ブータンの自然の息吹を感じさせる素朴で暖かい布の素晴らしさを
感じ取っていただければ 幸いです。
インドの野蚕シルク糸で織られた服地用の布も展示します。
こぞって お出かけください。
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投稿日:2009-11-07 Sat




展示会も3日目に入ったが、どういうわけか 盛り上がって行かない。
せめてもの救いは ブログを読んでくれている方々が やって来てくれていることだ。
ギャラリーの持っている名簿のお客様は 日常どういう生活をしているか
よく分からず、なかなか話が弾んでいかないが、ブログ仲間の場合は どんなことを
大切にしているか、どんな生活をしているか、ある程度、わかっているから、
初対面でも 初めてあったという気がせず、すぐに会話が弾んでくる。
今日もネパールの話題を通じて知り合ったブログの仲間が いらしてくれ、
愛器のオカリナを入れる袋を作るということで ブータンの野蚕のシルク布を
購入して頂いた。
20年前にネパールで手に入れたカンバールと呼ばれる桃色の野蚕シルクの手織り布で
ある。
まだ使われていない未使用の布であるが、水洗いをして 糊を落とすと 柔らかくなり、
肌に馴染んでくる暖かみのある布である。
触れば、触るほど愛着の湧いてくる布だ。
袋からオカリナを取り出すたびに オカリナへの愛が ブータンの布に移っていく
だろう。
10年でも20年でも使用に耐える強靭な布だから、一生ものの布だ。
末永く布との付き合いを楽しんでもらいたいと願う。
ネパールのことに話が弾むにつれ、ネパールへの思いが膨らみ、早く日本を出て、
ネパールに行きたくなってきた。
展示会会場への行き帰り、都営新宿線を利用しているが、携帯電話を使って、メールを
送っている人が年々増えている。
昔は 本(漫画も含めて)を読んでいる人が多かったが、それが携帯電話を使っての
メールの送受信になっている。
ネパールやタイでも携帯電話は ポピュラーになってきているが、メールのための
インフラが まだ出来ていないので会話だけである。
携帯電話を持たないアナログ人間の私からすれば、コミュニケーションの手段に
メールを使う気持ちが わからない。
人は やはり どこかで人につながっていることを確かめたいのだろうか。
人は孤独の中では生きていけない。
しかし、携帯電話のメールのやり取りだけでは 孤独は充分に癒されない。
人の笑いはどこから 生まれて来るのだろう。
何か つかみどころのない都会の人々の姿である。
混んでいる電車の中では 手の位置には気をつけなくてはならない。
ぼんやりしていると 何が起こるかわからない。
皆で息苦しい世界を作っている。
あと10年経てば、どんな日本になっているのだろう。
良くなるのか、悪くなるのか さっぱり予想がつかない。
自分の望んでいる社会の姿が見えなくなれば、成り行き任せに任せるより仕方がない。
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投稿日:2009-11-06 Fri




少し、寒さが遠のき、外に出かけるのも楽になる。
都営新宿線の地下鉄の電車には 午前11時7分発に乗れば、展示会の開催時間の
12時にはちょうどよい。
猿江恩賜公園の紅葉もここ2日の気温の低下で 進んでいる。
今年は東京で紅葉を眺めることなど出来そうにもない。
展示会が終わることには 東京の紅葉も終わりに近づいているかもしれない。
まだ 身体の具合が本調子でないので どうも無理が利かない。
部屋に帰ると まずすることといえば 2時間ばかり 眠り込むことである。
ネパールにいても タイにいても 人間関係は 最少に抑えているから、展示会を
開くと 半年分の人との係わりが 1週間に集約されるようである。
今日は 12時に展示会を始めても 訪問客がやって来始めたのは 2時近くなって
からだ。
ギャラリー TEORIYAを会場に17年ぶりに展示会を始めたのが、昨年12月から、
今年の5月に続いて 今回で3回目である。
この場所を足場に次のステップと考えているが、思い通りにいかないものだ。
今日は 前日に比べると売り上げが上がったので 少しほっとした。
会場費が1日2万円、案内状の印刷、発送などを合わせると 1日10万円近い、
売り上げがほしいのだが、その半分だって 難しいのが現実である。
ブータンの染織品を 展示するようなお寺さんがあっても 面白いと思うが、
そういうお坊さんは 現れないようだ。
今日 外においてある看板を見て 展示会場に60歳過ぎの人がやってきた。
アジアの布に興味があるということで 入ってこられたらしい。
定年退職して、今は別の仕事についており、月収15,6万円だと言う。
65歳を過ぎれば、年金が月30万円近く入るらしいが、65歳以降どういう生活を
しようという計画はないらしい。
海外には行ったことはないらしいが、バンコクの話をすると、バンコクの歓楽街で
遊んでみたいという気があるようだ。
真面目に仕事をしてきた人間が バンコクの享楽の世界を知ると のめりこんで
しまうのではと心配にもなる。
奥さんは公務員で現役中という話だが、互いに仕事をやめ、年金生活に入っても
老年期を一緒に楽しもうという気はないらしい。
せっかく何十年もともに生活してきたのだから、余生をともに楽しめばと思うが、
今の日本では そういう形にならないらしい。
夫婦であっても 個人主義、自由尊重、いいのか悪いのか わからない。
家族、家系の存続を失った日本の象徴的な姿だ。
余生を次世代のために 何かを伝え、残していくという生活文化、家の伝統を伝承して
行く形は すっかり失われている。
同じ場所に住み続けていても やっぱり根無し草なのだろう。
次に続いていくものがいない。
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投稿日:2009-11-05 Thu






今日の朝から 昨日の寒さが まだ残っている。
昨夜 寝たのは真夜中の2時、まだ寝ていればいいのに 朝7時には 目が覚めて
しまう。
今日から始まる『アジアの布展』のための最終チェックをし、必要なものを確かめる。
忘れ物がないことを確かめ、午前10時過ぎには家を出る。
正午からの始まりだから、もっとのんびり出かければいいと思うが、初日だと思い、
早目に会場へと向かう。
10時半過ぎには会場に到着する。
会場の扉を開け、窓を開け、値札の位置のチェックや全体の展示のバランスを見る。
会場のすぐ外にも ブータンの布を飾る。
終わったついでに 展示会場の写真を撮る。
準備万端である。
寒い天候のせいか、宣伝が行き渡っていないのか 人の出足が遅い。
最初にやってきてくれたのは ブログ仲間の一人とその知り合いの方、その後も
ブログを読んでやってきてくれた人、展示会のたびにやってきてくれるブログ仲間の
方が続く。
その後、何人かの方が続くが 今日1日は 全員で10人ばかり、どうもぱっとしない
1日だった。
質の良いものを展示しているつもりであるが、初日は 盛況とはいえないものだった。
ちょっと寂しい初日だった。
午後8時過ぎに展示会場を出て、9時前に家にたどり着く。
疲れ果て、2時間ばかり横になり、今こうして ブログを書いている。
残りの6日間に期待しようと思っている。
時間があれば 皆さん 来てください。
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投稿日:2009-11-04 Wed





人が生きる場所を変えて、別の場所へと移っていくことはどういうことだろう。
18歳のときに 田舎を離れ、東京で暮らすようになった。
東京で15年近く生活して それなりに人間関係も出来たが、やはり そこは
自分の居場所ではないという気持ちは いつでもあったような気がする。
東京での15年間の生活の中で 大学時代は池袋 その後は 国立、松戸、そして
市川へと引越しをした。
仕事絡みで 引越しするというのが主な理由だった。
田舎から都市に出てきた人間なら 皆 そんな生活だろう。
1960年代後半から1980年代始めまでの都市生活の中で 心の中で
口ずさんでいたいくつかの歌があった。
その中の一つが 泉谷しげるが歌っていた歌 『春夏秋冬』だった。
春夏秋冬
作詞・作曲 泉谷しげる
季節のない街に生まれ 風のない丘に育ち
夢のない家を出て 愛のない人にあう
人のためによかれと思い 西から東へかけずりまわる
やっとみつけたやさしさは いとも たやすく しなびた
春をながめる余裕もなく 夏をのりきる力もなく
秋の枯葉に身をつつみ 冬に骨身をさらす
今日ですべてが終わるのさ 今日ですべてが変わる
今日ですべてがむくわれる 今日ですべてが始まるのさ
季節のない街に生まれ 風邪のない丘に育ち
夢のない家を出て 愛のない人にあう
となりを横目でのぞき 自分の道をたしかめる
また ひとつずるくなった 当分 てれ笑いがつづく
今日ですべてが終わるのさ 今日ですべてが変わる
今日ですべてがむくわれる 今日ですべてが始まるのさ
今日ですべてが終わるのさ 今日ですべてが変わる
今日ですべてがむくわれる 今日ですべてが始まるのさ
春夏秋冬 歌 泉谷しげる
http://www.youtube.com/watch?v=ckhTGPx8QHE&feature=related
住む場所を移るたびに 挫折と期待があったが、そんな中で何を得たのかは
いつも定かではない。
しかし、一つの場所に住むことの出来ない人間もいるのである。
その延長線上に ネパールでの生活も タイでの生活もあったが 何も確実なものは
なく、あるとすれば、自分が生きているという事実だけだった。
今から考えても 一つの場所に根付き、そこで家族を作り、子供を育て、地域に根を
拡げて 生きることができれば それが1番いいことだと思う。
しかし、仕事人間の男の中には 根付いているつもりでいたが、子供も自分の手を離れ、
定年退職してしまい、自分の周りを見回してみると、本当は 根付いているものは
何もなかったと気がつく人間もいるのかもしれない。
『今日ですべてが終わるのさ 今日ですべてが変わる
今日ですべてがむくわれる 今日ですべてが始まるのさ』と
海外での長期滞在を夢見るのかもしれないし、実際に長期滞在を実行してしまうのかも
しれない。
海外旅行の一般的でなかった時代なら、田舎から都会に出るのが若者たちの一つの
形だったのかもしれないが、今は 簡単に海外旅行も海外生活も出来る時代になった
から、若者たちも 海外生活を始めるようになった。
何の覚悟もなく なんとなく 始める。
それが今風なのだろうが、『生きる』という視点を失ってしまうと、海外生活も
危ういものになる。
歓楽街に行けば、簡単に女の子との係わりが生まれる。
砂漠のように味気なかった日本の都会での生活から開放され、オアシスのような世界を
見つけたと錯覚してしまう。
お金で始まった関係も 孤独の中の日本の生活に比べれば、楽園のように思えてくる。
一緒にいることを いつの間にか愛と錯覚してしまうことだってある。
不毛の愛におぼれてしまう怖さもあるが、それすら見えなくなってしまう。
再び 孤独の生活が始まり、お金で女の子との係わりを求め、あり地獄の中に
落ちてゆく。
やはり 新しい始まりはないのである。
お金で得た変化はイリュージョンであり、自分が変わらない限り、新しい始まりは
生まれてこない。
それにどこかで気がつけばいいが、気がつかない限り、同じことの繰り返しになる。
自分の生活を変える決意がなければ、やはり どこにいても 何も始まらないし、
何も変わっていかない。
そして、愛のない孤独の中に置かれ、果てのないむなしさの中で苦しむことになる。
自分を見つめ、自分を変えようとしない限り、人との関係も変わっていかない。
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投稿日:2009-11-03 Tue



帰国してから 3週間 体調のすぐれない中で どうにか 展示会間際まで
たどり着いたといった感じである。
展示物の値段票、説明文も貼り付け、荷造りも済ませた。
昨日は 展示会場 ギャラリー 『TEORIYA』へ展示物を運び込んだ。
いつものことで 前回の展示会の際、頼んだ赤帽のおじさんに来てもらう。
天候が崩れ、雨でも降りそうな気配である。
寒さにはすっかり弱くなった私にとっては 嫌な天気である。
運送にかかる時間が 2時間以内であれば、費用は4600円である。
私の場合 部屋から展示会場まで 30分という距離であれば、赤帽を使うのが
1番安価だ。
展示物を詰めた大きな荷運び用のプラスティックの袋が7つ、小さな運送者には
調度いい荷物の量だ。
宅急便だと1万円を超えてしまうが、都内の搬送であれば、赤帽が便利である。
赤帽の運転のおじさんも 2度目なので 展示会場までスムーズに迷うことなく
行ってくれる。
約束の午後3時に赤帽のおじさんはやってくる。
去年 転職をして赤帽になった人で 当たりも柔らかく、人柄もよく、楽しく会話を
しているうちに会場に到着する。
展示会場に荷物を運びあげたところで ギャラリーのオーナーがやって来る。
20年来の知り合いで ブータンの布の展示会を初めて開催したのも この方の
ギャラリーで それ以来 お付き合いさせて頂いている。
当時 60歳だったこの女性も80歳を超えてしまった。
互いに歳を取ることから、逃げることは出来ない。
私より はるかに元気で壮健である。しゃきしゃきの江戸っ子だ。
もともとは亀戸の出身で 私も昔は 亀戸近くで働いていたから、どこかで
縁があったのかもしれない。
自宅に帰ると 毎日 糸を紡ぐのが この方の日課だ。
今回の展示会は どういう結果になるのか 心配であるが この不況時、
悩んでも仕方ないのかもしれない。
なるようにしかならない。
荷物をギャラリーに預け、部屋まで帰ってくると 雲間に月が顔を出していた。
カトマンズで見る月、バンコクで見る月、そして東京で見る月、見る心の置き方が
違っている。
若い頃は 月をじっくり眺めることはなかったけれど、この歳になると
月が出ていると ついつい眺めてしまう。
今日は 展示会場の飾りつけだ。そして 明日からは本番である。
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投稿日:2009-11-03 Tue


東京での生活費の節約のために 近所のスーパーの夜12時過ぎの安売りをねらって、
買い物をすることにしていることは 前にも話したが、先日 夜12時半近くなって
スーパーへ行き、安売りの品物を探していると、25歳前後の一人の若者を見かけた。
半額以下になった弁当を買いにやってきているようだった。
着ているものをみると、履いているジーパンは汚れ、着ているトレーナーもあめ色に
変わり果て、その汚れ方は半端ではなかった。
カトマンズやバンコクでは 時々そんな若者を見かけることがあるが、日本の東京で
見かけたのは初めてのことだった。
私の住んでいるあたりには 路上生活者 ホームレスの人たちも見かけるが、ここまで
汚れた服装をした人間を見かけることはなかった。
私が日本で過ごしていた頃も 時々 帰ってくる26年間の生活の中でも ここまで
汚れた服装をしている若者はいなかった。
安売りの残り少ない弁当を確認している様子も 少し変わっていて、弁当を手にして、
匂いをかいでいる様子を見ると、少し 心の状態に問題があるのかと心配になった。
あの服装の汚れ具合からすれば、きっと長い間 野宿の生活をしているに違いない。
一体どうしたのだろう。今の日本は一体どうなったのだろう。
いたたまれない気持ちになってしまう。
あまりの驚きや心の痛みに 呆然としていた。
周りの人たちは 見てみない振りをしているようで 彼は存在していないかのよう
だった。
確かに真夜中の12時過ぎにやってくる人たちは 決して豊かな人たちではない。
ぎりぎりのところで生活している人たちが大半だろう。
安売りになった弁当や惣菜を大量に買い込んでいる人もいる。
中国人や韓国人、フィリピン人などもいる。
仲間の食事のためのまとめ買いをしているのだろう。
家族のための朝、昼の食事のためかもしれない。
みんな 人のことに構う余裕などないのである。
自分が生きていくことで精一杯なのだ。
時間がスーパーの閉店に近づくにしたがって、スーパーの値札係が 安売りの品物の
値段を更に安く付け替えていく。
残りが多ければ 定価3百円以上の弁当や惣菜が3分の1以下の百円近くになるからだ。
グルメ、グルメで 一度の食事に 2千、3千円とかける人とは無縁の世界の出来事である。
器用に生きていけない人間はいつの時代でもいる。
そういう人間を 暖かく支えてきたのが 昔の日本社会だった。
いい意味でのおせっかいな人はたくさんいたのである。
部屋に在庫の不要な洋服があったから、上げればよかったと後で思ったが、
そのときは 気持ちが動転していて 考えが及ばなかった。
日本がこの10年間 貧しくなったことの原因を分析しているブログ記事に
こんなものがあった。
なぜ日本国民は短期間に貧困化したのか?
http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/629f6351ce7559cbf4073c3037e6ce75
〜『杉並からの情報発信です』より
私にとっても 生活の糧を得るために帰国しているが、
日本にいるときが 1番辛い時間である。
心痛むことが多すぎる。
希望が見えてこない。
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投稿日:2009-11-02 Mon







コンケンでの7年間の生活の中での足は 自転車だった。
暇があれば、コンケンの町の中を 自転車を使って 走り回っていた。
いつの間にか コンケンの町は 自分の庭のようになっていた。
布の仕入れ、洋服の縫製で知り合った人々、近所づきあいの中で知り合った人々、
良くも悪くも そうした付き合いの中で コンケンは自分にとって身近な町に
なっていった。
タイでの生活と平行しながら ネパール カトマンズでの生活もあった。
1年にタイでの生活が5ヶ月、ネパールでの生活が 4,5ヶ月、そして
時々インド、残りが東京という生活が 26年間続いてきた。
そんな生活の中で 1番興味深かったことは 人間を見つめることであり、
それぞれの国で生活している人々の姿だった。
ネパール人、インド人、タイ人、そして 日本人、その違いを見つめ、その違いが
どこから生まれて来るのか それを探ることは 楽しいことだった。
私が ネパール語、ヒンディ語、タイ語が話せるようになったのも 人間に対する
好奇心の強さからだったのだろう。
家族制度、地域共同体の中の人間関係、そして その中で生きる子供、若者、中年、
老人の姿を眺めることは 飽きることはなかった。
それは 貧しさとは何か、豊かさとは何か、幸福とは何かを考える機会にもなった。
国が異なれば 生活文化も異なり、貧しさ、豊か、幸福に対する受け取り方も
異なることだった。
日本人の持つ価値観や見方だけでは 貧しさも豊かさも幸福も正しく判断できないと
いうことがわかってきた。
又、昔は日本にもあった伝統的な生活文化(家族制度、地域共同体文化)が
息づいていた。
そういう視点からみれば、見えてくる世界も 欧米化し、昔ながらの伝統的な
生活文化を失った今の日本人には 違う次元の豊かさも幸福も見えてこないかも
しれない。
アメリカ的な個人主義、モダンライフが人間を幸福にするという嘘が 今の日本では
現実のものになってきている。
老人たちは 家族と暮らすこともなくなり、老人ホームなどの施設で暮らすように
なってきている。
戦後 欧米式モダンライフを目指したマンションライフは その個人主義を尊重する
あまり、人々との付き合いを失わせ、家族制度を二世代家族に変えてしまった。
人々を支え、豊かさを共有する家族制度は失われ、家族はばらばらになり、
皆 逆に貧しくなってしまった。
人々の間から笑いが失われ、街は無機質なものに変わり、街の中では 共生する
人々の姿はなくなっている。
新しい欧米タイプの法律がどんどん作られ、息苦しさばかりが増していく。
突然の変化であれば、皆 気がつくが、戦後65年かけて 少しずつ作り上げてきた
変化には気がつかない。
この26年間の変化は アジアの各地で起こっているけれど、1番成功したのは
日本だろう。
ネパール、インド、タイ そして日本、浮遊するように生活してきた26年間で
あるけれど、そのアジア世界の変化を見続けることは 飽きることのない興味を
与えてくれた。
人間に対する好奇心がなければ、どこにいても人間の心や姿は見えてこない。
それは 日本に居ても同じことである。
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投稿日:2009-11-01 Sun




昔、ラオスに簡単に入れない頃は ラオスの布を手に入れるために ラオスとの
交易の盛んなメコン河河畔のノンカイの町へよく行った。
東北タイの中心都市 コンケンに住み始めてから 辺境の町 ノンカイの町も遠い
存在ではなくなった。
コンケンからバスで3時間ばかりで行けたのである。
タイとラオスを結ぶメコン河にかかるタイ・ラオス友好橋が出来るまでは
税関のある船着場周辺が賑わっており、たくさんの土産物屋が並んでいた。
メコン河沿いには いくつかのレストランが並んでおり、メコン川の対岸に
拡がるラオスののんびりした風景を眺めながら 食事も出来た。
レストランの自慢の料理は メコン河で取れた大鯰のタイ風スープだったが、
臭みがあって、美味しいとは思えなかった。
東北タイでは メコン河で取れた大鯰は 高級魚である。
布の仕入れにやって来ても 1番興味が湧いたのは町の風景だった。
布探しより、町の中をふらふらと彷徨していることのほうが楽しかった。
船着場の近くに 木造の古い映画館があったがどうなったのだろう。
ノンカイやコンケンでラオスの布を仕入れることが多かったが、コンケンでは
いつも行きつけの店があって そこの店の女主人が ラオスまで行って よく布を
仕入れていたので その店で仕入れることも多かった。
この写真の2枚の布は この店で15年ほど前に買ったシルクの布である。
ラオスの布といえば ショールやスカーフ、ストールが大半だったが、この布は
服地として織られていて 珍しかったので買い求めたのである。
咳が収まらず、展示会中に悪化しては困るので 仕方がないので 近くの病院に
行ってきた。
健康保険がないので 医療費が気になっていたが やはり 安くはなかった。
診察と検査(レントゲン、血液検査、尿検査)と薬代で 1万4千円近くになった。
昔 かかった肺炎の症状と似ていたので心配になり、診察を受けたが 肺には問題は
なかったので安心した。
激しい咳で 周りの筋肉がおかしくなっているようだ。
呼吸器の専門医ではないので 詳しいことはわからないと言う。
先日から咳止めの漢方薬を飲み始めているが それがやっと効果を表している。
あと10日間が勝負だから、とにかく頑張らなくてはならない。
どうにか 持ちそうである。
展示会中に咳をしていても 新型(豚)インフルエンザではありませんから
怖がらないでください。
気管支は昔から私の弱点なのです。
今回は どうもそれが悪化したようだ。
保険がないので 日本では病気にかからないように気をつけていたが、
今回は注意不足だった。
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投稿日:2009-11-01 Sun





コンケンには7年住んだわけであるが 人間住めば都で どうにか生活できるもので
ある。
コンケンは東北タイであり、東北タイ方言のイサン語を 皆 話しているが、
東北タイの中心的な都市ということで コンケンの町では タイ語が充分に通じる。
もしコンケンの外にある村に行けば、タイ語はあまり話さないので 村の人々に
馴染むには イサン語を習得する必要があるだろう。
私がどこでも住めるというのは 一つには 異国に生活する人々に対する好奇心が
強く、人々の生活を理解したい気持ちから 現地語を話したい、理解したいと思う
部分が強いからだろう。
それともう一つは 食べることに対する好き嫌いがなく、何でも食べてみるという
ところがあるからだろう。
コンケンの市場へ行き、川海老を見つけては から揚げにしてみる、うなぎを
見かけると柳川にして食べてみる、蜆を買って 味噌汁にいれる、そういうことが
楽しんで出来ることも 異国で暮らすことにプラスになっている。
近所に住むベトナム人とは 夕食を一緒に作り、一緒に食べることが多かった。
私が1,2品作ると彼らも1,2品料理を作って一緒に食べるといった具合である。
東北タイにも 中国系タイ人、ベトナム系タイ人 ラーオ系タイ人と様々の人間が
生活していて、その違いを眺めているだけでも興味深かった。
しかし、日本で普通に生活してきた人なら 異国で長期滞在生活をすることもないと
いうのが、私の本音である。
日本での生活の疲れを 異国の異なった文化に触れて、自分をリフレッシュさせると
いうなら、時々タイにやって来て 何週間か生活して、又 日本に帰って生活すると
いうのがいいように思う。
私のように独り者であれば、どこに住むのも同じであるが、家族を持っている人が
一人家族から離れて長期滞在をしていれば、日本での足場を失ってしまうのでは
心配にもなる。
長い旅行、それも1ヶ月くらいならまだしも 1年、2年も日本を離れていれば、
日本での居場所も失ってしまいかねない。
言葉が通じて、自分の好みのものを食べることが出来、それなりの人間関係が
あるなら、生活の基本は 日本に置いたほうがいいかもしれない。
異国で暮らすとなると 一過的な旅行とは違って もろもろの生活の重荷を
日本で暮らす以上に抱えることになる。
そうした困難を乗り越えていく強さ、たくましさが 自分にあるか、問うことも
必要だ。
言葉、食べ物の壁も小さなものではない。
言葉が通じなければ、騙される機会も増えるし、誤解に苦しむこともある。
どうして日本を離れてまで 海外で暮らしたいのか、タイならタイで、何をタイでの
生活に期待しているのか 一度 きちんと考えたほうがいいだろう。
急がば回れではないが、最初は タイ語やタイカルチャーを習ってみたりしながら、
1,2ヶ月生活してみる。
そして、タイの生活環境を探り、信頼できる人間関係を作ることなどで 土台作りに
励めばいいのかもしれない。
青い鳥が 実は海外生活ではなく、日本での生活にあったりするものである。
私のように26年間の大半を過ごし、日本での生活の土台を失った人間とは
違って、逆に 生まれてから 日本で過ごしてきた人間であれば 日本で作り上げた
人間関係も貴重なものである。家族もあるはずである。
そうしたものが 日本で作ることが出来なかったとしたら、異国で新しい人間関係を
作り上げることは至難の業であることは 自覚しておいたほうがある。
気をつけないと お金目当てで近づいてくる愛想のよい人間との関係を、魅力的な
人間関係であると 誤解してしまうことも多い。
それが地獄への1歩だったりする。
急がず、ゆっくりと長期滞在を希望する国で 1,2ヶ月何度か生活を繰り返し、
しっかり、現地での生活をじっくり観察することを勧めたい。
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